2017年3月31日(金)

やあ!47年ぶりだね!万博公園駅の改札を出ると目に飛び込んできた懐かしいもの。

幼い頃、胸がはち切れんばかりのわくわくで見上げた太陽の塔は、記憶の中のカッコいい姿とは違って疲れたみたいに薄汚れていて、観光客にスマホを向けられちょっぴり恥ずかしそうだった。でも聞くところによれば中身を全面改装するらしいので、その時にきっと外側も塗り直してピカピカになるんだろう。


エキスポシティに行ってきた。1970年開催の万博以来だから、太陽の塔も私も老いるってもんだ。日曜日のアミューズメント施設は親子連れだらけ。はしゃぎまわる子供たち、右往左往する若い親を眺めていると、幼いヘボピーと私をこんな遠くまで何度も連れてきてくれた父の記憶がよみがえって、懐かしくて有り難くて涙が出た。

だがバスと電車を5回乗り換えて、片道二時間オーバーの時間を費やしてはるばるここまで足を伸ばしたのは、なにも思い出に浸るためではない。109シネマのアイマックスシアターで絶賛上映中の「ラ・ラ・ランド」が目的だ。

そう、マッドマックスほどじゃないけど軽くこの映画にはまっていて、この日は4度目。近所の映画館の音響がイマイチだ、どこか音のいい映画館はないものかとツイッターで呟いたら、それならエキスポシティのアイマックスがいいですよ!とフォロワーさんが教えてくださったのだ。

アイマックスとは通常のものよりはるかにサイズが大きくて解像度の高い次世代型スーパースクリーン。あまりにも場所を取り、お値段もレギュラーサイズに比べるときっと相当むちゃくちゃお高いせいだろう、関西の導入シアターは羽曳野とか美濃とかの田舎……いや大阪中心部から離れた閑静な場所に点在するのみ。私の住む県にはひとつもないもんで、痛む体をなだめつつプチ旅行したわけ。

アイマックス鑑賞料金は2300円と通常上映よりも500円も高くて、すでにそこからスペシャルな予感。2100円の3D上映はおろか、1800円の通常上映料金すらケチってレディースデーを選ぶケチな私にとってはかなりの出費であるが、それを押して行っちゃうあたり、私のララっぷりがお分かり頂けるだろうか。(ララっぷり=何となく浮き浮きしてる感じ。今作った。)

電車の遅延を恐れてかなり早めに現地に着いたはいいが、のんびりランチでも……と計画していたレストランはどこも3,40人待ち。休日のレジャー施設をなめていた私はメシにありつけず、おまけに万博公園駅の改札をぼーっと通った際に、スルッと関西(残高2500円!)を取り忘れたことに気付いたのが上映開始10分前!
狂ったように忘れ物オフィスに電話したりしたせいで、結局のところすべりこみセーフで入場。バタバタするあまり心が折れそうに……。(のちにスルッと関西はポケットの奥から出てきた。ちゃんと探せ。)

それでも動揺する心をラララチャンネルに切り替えて、シアターの暗い廊下を進んで曲がって、ホールに一歩足を踏み入れた瞬間、言葉を失った。

アイマックスシアター内部の写真は見たことがある。でも実物は想像を越えていた。映画館とは思えないようなホールの天井高と、壁一面を占める巨大なブルーのスクリーン。前に立つとまるで宇宙船か水槽の中にいるような錯覚すら覚えて胸が震えた。
その感覚は巨大な建造物──ピラミッドやタージ・マハルが突然視界に飛び込んできた時と同じ驚きで、人間、対象物の聖性や構造の美しさよりもまず「巨きさ」に心を奪われるものだなあと感じ入ったわ。

映像の美しさも通常上映とは段違い。「レーシック手術ビフォーアフター」ってレベルで違う。自分はこれまでの3回、一体なにを見てたんだ?とのけぞるくらいに細かいところまで、それも見ようと意識しなくても目に入る。
スクリーンが違えば脳が処理できる情報量にこれほどまでの差が出るなんて……こっ、こいつが次世代型スクリーンの実力か!とびっくりした。

そんなこんなの初アイマックス。マッドマックスもここで観ればよかったなあと後悔しきり。これからはすごく好きな映画が見つかれば、はるばる万博公園駅まで旅しよう。太陽の塔にも47年ぶりなんかじゃなくて、やあ!半年ぶりだね!って挨拶できるな。

2017年3月28日(火)

瞳がぎらり、おそろしいまやちゃん(ヘボピー撮影)

今にはじまったことじゃないけど……すんません、あたくし体調悪くてサイト更新やってられる状態じゃございませんの。
まあ転んで怪我してからまだ一週間ぽっちしか経ってないんだから「ヒャッホー!サイコーだぜぇ!」ってジャンプしてられる方がおかしいんだけど、年々「今日は調子E〜!」という日が減ってきて、今や年に28日/365日程度しか「ヒャッホー!サイコーだぜぇ!」状態がないのが寂しいし残念だし、さらには自分が一歩一歩ファイナルデーに近づいていることを痛感するから「体調悪いとか言うてる場合じゃねえ!しっかり人生楽しまねば!でも体痛くて動けない……。」とあせりもつのる。

それでも日は暮れまた昇り、出社時刻はラーを乗せた太陽の船の運航のごとくきっちりと巡ってきたもので、今日も痛む体を引きずって会社行ってきます。
若い人たち……いつまでも若くて元気だなんて思ってちゃダメダメよ!多分人間の肉体の使用期限は50年くらいなんだろうから、今の状態はいつまでも続かないのよ?!若いなら若いなりの悩みもあろうが、つべこべ言うとらんと体力あるうちに私の分まで好きなことしてくれ!頼む!

血清を注射してもらってゾンビから元に戻ったまやちゃん。

2017年3月23日(木)

♪もうすぐは〜るですねえ かれをさそってみませんかぁ〜♪とキャンディーズも歌っていたことなので、夜になると不良がシンナー吸ってる公園にマヤ君をさそってみました♪

「もし明日死ぬとしたら最後の食事に何が食べたい?」と訊かれて真っ先にスナックパンが浮かんだ管理人ですおはようございます。スナックパン、おいしいよね!マーガリンをつけて食べたら最高だよね!一時はトランス脂肪酸を避けるためにマーガリン断ちしてたけれど、長くはもたなかったよ。さあ、バターよりマーガリンが好きなひと、手をあげてー!子供たち:はいー!はいー!!(足の痛みでおかしなテンション)

スナックパン(正確に言えば「8本入りのスティック形状のパン」)の中でもほんとはヤマザキのやつが一番好きだけど、いつもそれより微妙に安いコープのスナックパンを食べてます。コープのスナックパンはぼそぼそしててつばが吸い取られるんだよね……でも数十円の差で安い方を買っちゃうんだよね。

でも今夜はヤマザキのスナックパンを買ってマヤハウスに帰ろう。自分へのご褒美だ。……というのはヘボピーが会社の飲み会なので、退社後は家に直行の上、マヤをおしっこに連れて行くミッションをこなさねばならないのだ!

先日の転倒で階段の上り下りすら避けた方がいい状態だけど、マヤはトイレを屋内でしてくれないから背に腹は代えられぬ。いや、おもらし対策にダイソーの100均パネルクッションを部屋に敷き詰めてるから(おかげで家がスーパーみすぼらしい!)室内でトイレしてくれたってぜんぜん構わない、むしろウエルカムなのだが、頑固なマヤはもう膀胱がパンパンになるまで辛抱するので、傷ついた飼い主があわてて帰宅するわけ。

「敷地内では犬は抱っこすること」というマンションの規約があるために、12キロの老犬(若い頃と違って全体重を預けるから重い!)を抱えて4階まえの階段を上り下りする……おおおお……想像しただけで足が痛くなってきた。

でもがんばる!マヤちっちを済ませたあとは、ヤマザキのスナックパンが待ってるから足を踏ん張ってしっかり歩くぞ!負傷したバディを引きずって撤退する兵士になったつもりでがんばる!……って「負傷した兵士」は私の方なんだけどね!

2017年3月21日(火)

もーイヤっ! 昨年11月から12月の間に三回転倒して怪我したところがようやく治って喜んでたら、昨日こけた、またこけた。何かに足をひっかけたわけでも急に走り出したマヤに引っぱられたわけでもない。なにもないところで足をとられてまたこけた。

今回は急な坂道での転倒だったせいで、両ひざに加えて肩まで打って、歩けないわ手は上がらないわで大変だ。着替えはできない、階段を下れない、ベッドから起きあがるのすら苦労する、不便きわまりない。

整骨院の先生に「私くらいの年齢の人ってこんなに転ぶものなんでしょうか?」とぼやいたら、「ミキさんは確かによくこけはりますね」と言われたから、50才台の平均的人類はもっとなめらかに直立歩行できているのだろう。

日を追って自分の肉体の「容れ物」感が増していて、なんだか写真を参考に「ニンゲン」に化けたはいいが、慣れない体を操りあぐねて漁師にとっ捕まるタヌキにでもなった気がする今日この頃である。

本文には関係ないけど某メガバンクの移転祝いに寄せられた胡蝶蘭。
リッチマンワールドと自分の住む世界との断絶っぷりに思いをいたすと共に、ピンクの鉢の送り主の「やっちゃった感」に微笑みが漏れた。

2017年3月17日(金)

朝起きるとヘボピーが笑いながら教えてくれた。「ちゃあちゃ、寝言で『……だんごしゃん……だんごしゃん……』って言っとったで!(笑)」 団子しゃんとは無論マヤのこと。夢でまでマヤを呼んでいたなんて、どんなに自分の犬のこと好きなんだよ……。

団子しゃんといえば、先日目を閉じて瞑想していた時、回りに犬たちがいるような感覚を覚える、という楽しい経験をした。ハル、キナ、ナチ、ハル、リラそしてマヤ。サルーキ達と一匹のコッカースパニエルが「伏せ」をして、仰向けに横たわり瞑想する私を取り巻きじっとこちらを見つめているのだ。

「風のハウンド」であるサルーキ達が長い首をすっと伸ばしてスフィンクスのポーズで伏せた姿は、古代の彫像のように美しい。でもその中に一つだけ、茶色い団子みたいな丸っこい犬が神妙な顔をして座っているのが見えた時、思わず吹き出しそうになって瞑想を中断した。

また別の日にちょっとした占い(ではないのだが)をした際に、タロットカードにおいて「ザ・フール(愚者)」に対応する結果が出て、なるほどと思い当たる点がが多かったのだけれども、中でも「愚者」の足元の犬に心を捉えられた。

「愚者のカードに描かれた青年は頭に王冠をいただき、手に花を持って夢見るような面もちで歩いている。彼の足元には犬、行く先には崖。なんでもこの犬は「前進」を象徴すると共に、崖があることを知らせてくれる存在でもあるとのこと。

瞑想中に出現した犬たちのヴィジョンと占いの結果に直接の関連性はないけれど、自分の人生において「犬」というものがいかに重要かということを、再確認した次第。
これから先も、昼日なかも夢の中でも犬たちと一緒ならば少なくとも崖からまっさかさまに落ちることはなかろう、という妙な安心感を抱いている。

団子しゃん。瞑想中にこんな感じで「ぼくもいますよ!」って顔して座ってたよ。

2017年3月14日(火)

体育の授業がスパルタ軍の新兵育成所並みにハードになりそうなネーミング。ゴラァ!そこのお前、戦場だと5秒で死んでっぞおっ!


総合的に調子が悪い。5日間も偏頭痛が治らなくて歯は知覚過敏で足は痛くてびっくりするほど視力が落ちてて、体がだるいから毎日ビタミン剤とサプリメントをざらざら飲んでる。

調子が悪いのは今に始まった事じゃないけれど、ここ4,5日間で猛烈によろしくない原因にアタリはつけている。あれだ、3月11日、満月の前日の夜に月の光を浴びすぎたからだ。

月の光を浴びておかしくなるなんて、どこの英国ロマン派だよ……って感じだが、ロマンティックな意味合いはない。築45年、マンション黎明期の建築スタイルを取るマヤハウスは、高台にあって東と西に向けて豪快に窓が開いているため、夜空を運行する月がお布団に入りながらにしてぐるっと見えるのだ。

お月様も自発的に夜空を見上げて「きれいだねぇ」と鑑賞するスタイルならいい。だが我が家では寝た状態の目の高さだと有無を言わせず月影が飛び込んでくるから、ちょっとした光の暴力なのだ。

ましてや11日の月はひどく明るかった。雲一つない夜空にほぼ純白に輝いて、その権高な姿に「女神ディアナよ……」と感動しつつ、軽く瞑想などしていたまではよかったのだが……。


お布団の中から月が見えるなんて、なんてぜいたくなんだろう!お父さんがこの家を買った時は「こんな不便な場所に……」とお母さんと一緒になって文句ばっかり言ってたけど、「お父さん、いい家を選んだね!」ってもっと褒め称えてやればよかったなあ、と布団にもぐり込んだ数時間後、顔に当たる直射月光に起こされた。

月光といえばうすぼんやりと優しく明るい光を思い描くものだが、この夜の月はあまりにパワフルだった。燦爛と輝いて銀色の矢をこちらに向けて放っているよう。
これはいかんとベランダ側のカーテンを閉めて寝なおしたはいいけれど、夜中の2時にまた月光に起こされた。南側の窓のカーテンは開けていたため、空を移動した月がまたしても直射月光を浴びせかけていたのだ。

部屋を見回すと月の光は窓枠の黒々とした影を作り、モンスターの一つや二つ登場しそうなホラーなムード。眠かったからそのまま寝直すと、顔にさす月光の影響だろうか、こんな夢を見た。

私は田舎道に立っている。田舎といっても自然たっぷりで心が安らぐような場所じゃない。家には家族の数だけ車があるような、田んぼと住宅が混在するどこにでもある冴えない田舎だ。

そして目の前にはキャットウーマンのラバースーツ(黒いゴム製の全身タイツね)の上から不思議の国のアリスのワンピース(ブルーのワンピースの上に白いエプロン)を着込んだ若いロシア人コスプレイヤー。
彼女は腰にくくりつけたひもに繋いだ、全身タイツにチョウチョの羽をつけた男に、ビシッ!ビシーッ!とムチをふるいつつ、ものすごいスピードで田んぼの測道をローラーブレードで走り回っている。

私は田んぼの真ん中に立っているはずなのに、被写体をフォーカスするカメラのような視点になって、彼女と一緒にハイスピードで移動している。
ひとしきりぐるぐる走り回ると、私の視点はカメラをぐぐーっと引いたような位置に変わり、田んぼの向こうでキャットウーマンとチョウチョ男の衣装がバーン!とはじけ飛ぶのを目にしたのだった。

アホくさすぎてそこで目が覚めた。目覚めて思わず「なんだよこれ……」と呟いた。頭はズキズキしており、水曜日の今もまだわずかに痛い。

調べてみると強い光が目に入った際にも偏頭痛になるそうで(そういえばポケモン事件ってあったよね)、偏頭痛の原因のひとつは直射月光だと推測しているが、なんだあの夢は。月の光で見る夢はロマンティックには限らないってこと、英国ロマン派にひとこと言ってやりたい。

2017年3月14日(火)

神戸海港150年記念イベントの一環として、昨日クイーンエリザベス号が入出港していた。
朝5時半時の入港を見に行くためには、マヤハウス(市の中心部から遠い)からでは交通機関の乗り継ぎ的に難しいし、夜の出航時間には残念ながら予定が入っていた。だから昼休みにささっと見に行くのを楽しみにして、一眼レフもばっちり準備していたのに……。

あいにく月曜日は小雨ぱらぱらの曇天模様。根性の入ったカメラオタクならば意に介さない程度の雨量ながら、水滴がついたカメラの後始末が苦手な軟弱者は、ぱらぱら降り出した瞬間に、「これで行かずに済む……」と内心ほっとした。いや、なんぼ近所とはいえ、昼休みの一時間で港まで行って帰ってくるのは大変なんだもん。

けれど夜になって流れてきた神戸新聞のツイートによれば、なんと数百発の花火で出航を見送ったというではないか!
写真を見ると山と花火をバックにしずしずと大海に(瀬戸内海だが)に滑り出す「海の女王」のなんと美しいこと!小雨ごときに負けた自分、予定を変更してまで出航を見に行こうとしなかった根性のない自分に腹が立って頭をかきむしった。

幸いなことに海の女神はあと一回のチャンスをくれた。来週月曜日、20日の同じ時間に入出港してくれるのだ。さすがキュナードライン、太っ腹!神戸市、誘致よくがんばった!

サービスタイムは朝の5時から6時あたりそして、夜の7時半から8時半頃。そう、巨大クルーズ船は入るのも出ていくのもタグボートに先導されて、しずしずとじゃないとできないもんで、入出港はけっこうなスローペース。「さようなら〜!」と紙テープを飛ばして手を振ってからが意外と長くて、見送る方と見送られる方に微妙な間が空いちゃう程度に時間を要するものなのだよ。

朝5時から港に着ける電車はあるのだろうか?そもそも早朝に入港を見てから一旦マヤハウスに戻り、夜にまた港まで出る体力が私にあるのだろうか?
いやいや、そんなこと言ってる場合じゃない。ふるさとの海港150年を祝えるのは今年だけ。死んでも行くぞ!あくまで雨が降らなければの話だが。(意志薄弱)

2017年3月10日(金)

今日一日働いたら土日は休み!今週はほんとにしんどかったなあ!なんてぼやいたら「完全週休二日制でなにほざいとんねん(#^ω^)」と怒られそうだが、週休一日だと二日、二日休だと三日、三日休みだと月五日勤務の天下り役人(年収一千万)が羨ましくなる、それが人間というものなのです……とワケわからんこと言ってないで、さっさと出社の支度をしなくては。

明日は休みだけれど今から気が重いことがある。飼い主が「この冬最後のふかふか」をエンジョイするために(気温が上がると長い毛は暑いからね)マヤとわんわん美容室に行くのだが、行きつけの美容室が駅前から駅徒歩20分の場所に移動したせいで、往復がけっこう大変そうなのだ。

これまでなら家からバスで駅前に出て、そこから徒歩7.8分弱だった。それが駅前に出てからゲージを下げて犬を連れて、20分も歩かなきゃならないなんて!そもそも12キロの犬を入れたゲージは死ぬほど重くて、バスに乗せるだけでも疲労困憊だというのに。

タクシーの利用にミジンコほどの抵抗も持たないリッチマンなら「タクシーで行けばいいじゃない」とヘリウムよりも軽い感じで言うだろう。だが、美容代9千円にタクシー往復3千円が上乗せされると、ヒラリーマンにはキツいんですよ。

そんなわけで、今、心におおいかぶさっている一番のプレッシャーがこれ。昨日は「最先端医療」の件で悩んでいたというのに、一夜明ければ超ド級の問題よりもわんわん美容室の方が気が重いだなんて、人の心って複雑なものですなあ……ってか、この世で大変だ大変だと悩んでいる問題のほとんどは、実のところそう大した問題じゃないのでは?なんて思えてきたわ。

この服を着たまやちゃんは「マサル」と呼ばれます。闇金ウシジマくんのキャラが着そうな服だからです。

まやちゃんはやっぱりどう見てもカワユイので、もっとカワユクするためにがんばって美容室つれて行きます。

2017年3月8日(水)

3月に入ってから暗めの発言しかしてないから、ここらでマジカルポテト(マヤのあだ名だよ!)の写真でも……。

おまた、ぱかーん

タマタマはずっと昔に取られちゃいました。
みんなも悪い子してたら、ぱんだ動物病院の先生がタマタマ取りに来るぞ!

「ベッカムさん」。父が気に入っていたヘアスタイル。

二代前のベッド「ピンクさん」

買ってもらった時は大喜びで大切に使ってたのに、
だんだんぞんざいに扱われるようになったせいで、
ぼろぼろになって捨てちゃった。

股関節を悪くしてダイエットを命じられた頃、15キロ。

じゃあみんな、おしごとがんばって!
ぼくがみんなのぶんまでだらだらするからあんしんしていいよ!

2017年3月7日(火)

オカルト/ スピリチュアル的に見える発言が続くこと、お許し頂きたい。

風呂に入りながら考えていた。外から見て幸福に見える人でも、内にはどんな不孝を抱えているか分からない、幸不幸は相対的なものだとよく言うが、私はそれには賛同できない。特にカナの死を経てからは。
人生は自ら選び取ってデザインしていくものだと考えていたけれど、どうもそうではないみたい。この世はあまりに不公平に出来ている。人によって生まれた時から持っているアイテムの数が大きく違うのに、どんな工夫をすれば同じ人生レースに参加できるっていうのだろう?!

体を洗いながらぼんやりとそんな思いをいじり回していたら、唐突にあるイメージが降ってきた。それは黄金色の炎の中で鍛えられる剣のイメージ。そして「強靱な剣は何度も鍛えることによって造り上げられる」という言葉と、剣を掲げた天使のイメージ。

西洋風の「天使」というイメージにはあまり縁がない自分の頭にそんな姿が浮かんだことに驚きながら、「剣を掲げているということはウリエル?それともミカエルかな?」なんて考えていた。


私自身が問題を抱えているわけではない。大きな試練にさらされているのは中学時代からの親友Aだ。人生には経済問題、家族間のいざこざといったトラブルは色々あるが、中でも「病」という問題は一番やっかいなもの。動揺がないと言えば嘘になる。

幼い頃からずっと苦労続きだったAは、6年前に寝たきりのお母様を見送ってからこちらは、仕事と経済上の問題を抱えながらも心の支えになる存在と遭遇したことを通して、楽しく朗らかな境地に遊んでいた。だというのにまたしても荒れ狂う人生の海に投げ出された!と私なぞは思ってしまうのだ。(A自身はそういう風に捉えてはいなさそうだけれど)

いくら「強靱な剣は何度も鍛えることによって造り上げられる」とはいえ、肉体を持つ人間には限界というものがある。私は今、岸辺に立ってAにロープを投げておろおろしている状態だ。
自分も一緒に海に飛び込みたい。でも手を放すわけにはいかない。だからロープをしっかりと握りしめて大声で助けを呼んでいる。

助けは来る。きっと来る。だから今できることをひたすらやるしかない……と思っていると、昔何かの本の中で見つけて気に入り、メモした一節が目に入った。

求めるなら助けは来る しかし決してきみの知らなかった方法で
If you ask for help it coms, but not in any way you'd ever know.

私にできることはAが望む形でフォローするのみ。しっかりしよう。

2017年3月4日(土)

2月28日の日記に記した「夢の備忘録」の続きを少しだけ。(振り返ってみれば大した意味もなさそうなのだけれど)

夢の中で私ともう一人、知らない中年女性が瓦礫の山を見つめている。重機を遣わないととても持ち上げられそうにないコンクリートの固まりの下には、何か大切なものが下敷きになっている。念力の使用が瓦礫を取り除く唯一の方法だが(X-MEN かよ)、私は進退窮まっている。「あれ」がなければ自然の力を取り出すイメージが上手くできないよ……。

「あれ」とは私が瞑想する時にしばしば使っている色と香りのことなのだが、泣きべそをかく私に隣りに立つ人は笑いながら言った。そんなものは必要ないでしょ?モノは入り口を開くきっかけにすぎない。本当は色と香りが肉体を満たすイメージをするだけでいいはずだよ。

ああそうか!これまで自分は「型」に捕らわれすぎていた。エネルギーの流れを意識するのに導入剤はべつに必要なくて、大切なのは世界の中で「自分」をどう捉えるかなんだ。
それに気付いた時のなんという晴れ晴れとした気持ち!もちろん夢がきっかけでスプーン曲げられるようになったわー!(=´ω`=)ってわけじゃないから、夢は夢にすぎないけれど、何かとても示唆に富む場面だったわ。

さて、これから三重に向かう。中学時代からの親友が特大のトラブルに見舞われたので、彼女の地元に参上してこれからどうコマを勧めるべきか第一回の作戦会議を開くのだ。
友人は私と同い年、子なし未婚で頼るべき家族もいなくて人ごとじゃない。だからここはいっちょヒマしている私がフォローに入るか!と腕まくりしているよ。
それじゃ往復6時間のプチ旅行、行ってきます。きばりすぎないよう、ゆるゆるいきますわ。