2016年10月29日(土)

2週間前、三塁ベース目指して滑空するドカベンキャラ並みの派手な転び方をした時に、ひざ小僧に作った直径5センチの大きな擦り傷。転んだ直後は血の赤に混じってなんや黄色いもんまで見えたから「脂肪層?」と失神しそうになったけど、貼ったままで放置する科学のばんそうこうを使用したところ、二週間後の今ではきれいに治りつつあり胸をなでおろしている。

昔のすり傷の治療法は「オキシフルで消毒して殺菌作用のある軟膏を塗り、ガーゼとテープで保護する」のが普通だったけど、今では「消毒薬は必要な細胞まで殺すからぜったいダメ!水で洗って、ハイドロコロイド素材の湿潤式絆創膏か、サランラップで保護」というのが正しい方法とされているそうだね。

奇しくもこける数日前、私はこの情報を目にしており「ふぅーん、こけた時はそうしよう」と思っていた。だが、人はパニックを起こすと冷静な判断ができないもの。
血まみれの足を引きずりながら「どこか傷を洗えるところはないか?」と頭を高速回転させたはいいが、思い当たった駅のトイレにたどり着く100メーター手前で心が折れて、目の前にあった普通の薬局によろめきIN.抗う間もなく従来型の治療をされちゃったんだけどね……。
(マキロンとガーゼ付きテープで780円もした。ダイソーなら216円で済んだのに……と丸2日間へこんだ。せめてマツキヨとかヤギ薬局なら良かったのだが、街の薬局って定価販売だからなあ)

その後、従来型のガーゼとテープをひっぺがし、4枚600円もする科学のばんそうこうを惜しみなく使用したところ、はじめの3日間はばんそうこうの隙間からサーモンピンクの体液があふれ出し、足を伝って流れ落ちるくらいでばんそうこう交換が怖かったけれど、今では2日に一度の交換の度に、快調に小さくなる傷口を眺めるのが楽しみだ。

あれほどぐちゅぐちゅでなんや黄色いもんまで見えていた傷口が、薄赤いゼリーみたいになってきたからばんそうこう卒業まであと一息。徐々に面積を広げる生白く薄い皮膚を目にして自分が甲羅を脱ぎだてのカニ型宇宙人になった想像をしながら、「生き物の再生能力ってすごいなあ」と感心しきりの今日この頃である。

2016年10月28日(金)

粛々と進行中の断捨離だが、我が家のモノの多さと混乱ぶりは「カイロ博物館かよ!」と叫びたくなるレベルなので、やってもやってもモノが減らない。
価値があるものは中古ショップ、そうでもないけどお金を払ってくれる人がいそうなものは教会とかのバザー、お金を出してまではいらないだろうけど、タダならもらってくれる人がいそうなものは、小学校の資源ゴミ回収に……という、モノの命を最大限に活用してやろうという、人として正しい姿勢はきっと断捨離には向かないのだろう。
……と思いつつも、根がケチんぼだから「一気に捨てる」こともできずに、週末が来るたびにアリさん活動継続中。

そんな中、部屋の中でかなりのスペースを占める大物の処分見積もりを依頼した。
それは家具。まだ物欲と自己顕示欲と拝金主義と見栄の強かった頃に「お客さんを招いた時にいい顔をしたい」という欲望から、大塚家具で揃えたヨーロッパ家具である。

ニュースや日経で取りあげられていたからご存知の方もおられるだろうが、壮大な親子げんかの果てに店を分離した大塚家具のお嬢さん(父親は新会社「匠大塚」を立ち上げたそうだ)。彼女のツルの一声で大塚家具が1ヶ月ほど前からリサイクル事業に参入、中古家具の引き取りを始めたのだ。

shかし大塚家具からのダイレクトメールを受け取ったその日にソッコーで査定依頼をしたものの、依頼が「殺到」しているため、担当者が査定に来てくれるのは一ヶ月後とのこと。

そして2週間前、ようやく査定担当の男性二人組の訪問があった。
玄関に入るなり「ほげぇーっ」とびっくりして玄関の壁に貼っているラジャビアン工房のペルシャ絨毯を眺めているから、内心「うしし、奥にはもっといいのがあるのだよ」とほくそ笑みながらリビングに案内。

「さすがインカントのソファーは見事ですねえ」とか、「このタブリーズ、珍しい色ですねえ!」とか「ヘレケはもう市場に出てこないんですよ。うちでも絨毯フェアした時に集められなくて」などと私の自尊心をくすぐるサービストークで、「へぇー、さすがプロだけあって絨毯のことまでよく知ってるなあ」と気分をよくさせ、「大塚に任せてよかったな」と安心感を与えて帰っていった……のだが。

結論から言おう。査定からさらに10日近く待たされた結果、電話口で伝えられたのは驚愕のプライス。
ちょうど国道わきで電話を受けたのもあって、「えっ?よく聞こえないから場所を移動します!」と公園に移動して聞き直したほど信じがたい査定額は以下の通り。
ジャーン!!

インカントのソファー(40万)→3千円 メラーデザインのサイドボード(45万円)→1500円 大理石のテーブル(40万円)→1500円 
北欧の匠の技が光るハズレブの飾り棚に至っては、80万の商品を45万でセールで買ったものが、
な、な、なんとお値打ち価格のせんえんっ!

トータル金額7千円って、ニトリの家具かよ!と笑っちゃうほど期待はずれ。いや、事前にネットで中古家具について調べたら「10分の1程度」とあったから、10分の1は無理でも20〜30分の1にはなるだろう。そしたら引き取り価格の4,5万で新しいテーブルに買い換えようかなあ……なんて迷っていたけど迷ってスーパー損したわ。

それでもキャンペーン期間中は引き取り手数料が無料とのことで、悩んだ末にサイドボードと飾り棚は持っていってもらうことに決定。
これまでに種々の失敗行動を積み重ねた私は今、声を大にして皆様に告げたい。「高いもんなんかいらん。モノはあの世にゃ持っていけん」

2016年10月27日(木)

ブータンの首都ティンプーで泊まったホテル「マンダラリゾート」から眺める首都の夜明け。

市街地からちょっと横に視線をずらすとどこにでもある田園風景。
ときを作る雄鶏の声、まだ眠そうな小鳥のさえずりがそこかしこから聞こえてくる。

ちょっと明るくなってきた。右端に見える白い建物のあたりに王宮がある。

周辺で一番高いこの山を見ながら日が昇る時に瞑想しようとしたけれど、部屋に忘れ物をして取りに戻った。
夜明けに間に合わなかったかなあ……とあわてて戻った時、山のてっぺんがぱあっと朝日に照らされて光り輝いた。
それはまさに頂上に視線を上げた瞬間だったから、なんだか祝福されているみたいで幸せになった。

昼のティンプー中心部はこんな様子。首都だけど緑だらけなんです。

さっきまでこの上なく幸福な夢を見ていた。父母とカナとヘボピーと私の五人家族でそろってブータンに旅行に行く夢だ。

夢の中でもカナは相変わらず父のことを嫌っていて、そばには近寄ろうともしなかったし、声が聞こえるたびに「お父さんいやだぁ」と眉間にしわを寄せていた。
それでも「無理矢理ひっぱって来たんよ!」と母が言う通り、カナが父と一緒の空間にいるなんてあり得ないことだったから、こうして旅行に来るだけでもすごい進歩だ!これからきっともっと良くなるに違いない、と希望がわき上がってきてとても嬉しかった。

そこには父母と妹たちの他にも、何人かの親戚と祖母もいたような気がする。ブータンの緑のじゅうたんの中で寝ころんだりおしゃべりしたり、思い思いにゆったりと過ごす家族を眺めている私は満足感に満たされていた。そうしながらも「記録を取らなきゃ!」と一眼レフをかかえて写真を撮りまくっていたあたりは現実世界そのものなんだけど。

海外に一度も行ったことのないカナを旅行に連れて行きたかったけれど、果たせなかった後悔は消えることがない。パスポートまで取らせておきながらスケジュールを組むのがしんどくて、「秋になったら……」と先延ばしにしていたら夏の間にカナは逝ってしまった。だからたとえ夢でも海外に行けて、ああ良かったと肩の荷をおろしたようだった。

父とカナの不仲の影響もあって、5人そろって旅行に行ったのは私が中学生の頃が最後だと記憶している。三人姉妹が成人してからも家族がそろうことはなかったから、現実には経験したことのない旅行。
家族で旅するってなんて楽しいんだろう!と飛び跳ねたくなるくらいそれは愉快だったけれど、やがて母が私に言った。「私たちはもうちょっとこっちに残るから、あんた先に帰ってなさい」 そこで目が覚めた。

目が覚めた時、ああ、そういうことか!と感慨が胸に押し寄せた。あとに残ったのは死んでしまった人たちだから。
でも、以前こういう夢を見た時みたいな悲しさや寂しさは感じなかった。ただ、楽しかった!という満たされた思いと、もうここにいない人たちの愛が降り注いでくるような安堵感でいっぱいだった。

あの世とか霊魂があるのかどうか、相変わらず本心からは信じられない。それでもこうして夢の中で亡き人たちに会い、聞こえるはずのない声を聞くことを重ねながら、愛する者との別れを腹の底に落とし込んでゆく、自分が今その過程にあることが分かる。
四年という時間をかけて、自分が少しづつ癒されつつあることを実感する。

2016年10月26日(水)

「スタートレック ビヨンド」、往年のトレッキー(スタトレマニアのことね)として非常に楽しみにしてたんだけど、今の映画は3D、4DXで上映することを前提に、「臨場感」を重要なファクターと捉えて制作している影響だろうか、それとも監督が「ワイルド・スピード」のジャスティン・リンさんだったからなのか、とにかくスピード感が半端なくて、ぶっちゃけ「よく分からなかった」。

いや、往年のファンが胸を熱くする小ネタも散りばめられており、異星人の女性ニューキャラクターもたいそう可愛かったりで、見て損した!ってほどではないんだけど、画面に動体視力がついていかないというか、目から入った情報をストーリーの構成要素として脳が理解する前に次のシーンに移ってるもんだから、やっぱり「よく分からなかった」。

漫画原作の恋愛映画しか観ないギャルじゃあるまいし、よもや自分が映画に対してこの言葉を発することになるとは……。年を取るとあらゆる能力が劣化するものだと変なところで感心させられた次第でございます。


ぜんぜん関係ないけど、バングラデシュはタンガロイ村で、村を案内される私とヘボピーに無言のままずっとついてきていた幼子。

5月のバングラデシュは現地の人にとってはまだまだ寒いようで、この子も自らあみ出したオバQスタイルで寒い空気から身を守っている。

2016年10月25日(火)

お見送りしてくれるマヤちゃん。目はまだよく見えているようで、私やヘボピーがでかける時にはあわててベランダに駆け出すと、マンションの四階から見おろして、あたりの空気を震わせながらわん!わん!と吠えるのだ。

この写真に写っているのはヘボピーだけど、マヤの隣りにいた人間はかつて父だったり母だったりカナだったりして、マヤが我が家に来る前は、同じこの場所から先代犬イリと母、イリと父が並んで見送ってくれたものだ。

今でも下からうちを見上げると、犬と並んでこちらを見おろし、いってらっしゃい!と手を振る父母の姿がつい昨日のことのように蘇って、なんともいえず懐かしい気持ちになる。


先週一週間は精神的に辛かったわ。カナを水族館に連れて行きたかったとか、父に牡蠣フライを揚げて食べさせたかったとかいう些細な後悔が、池の底で水草が作る小さな気泡のようにぷつ、ぷつ……と心の表面に上がってきて、浮かない気分を引きずっていた。

ダウナーモード入りのきっかけははっきり分かってるんだ。ニュースでも取りあげられていたから皆さんご存知だろうし、文字化するとまた辛くなるから詳細には触れないが、塩屋で警察の制止を振り切って暴走したバイクが起こした凄惨な交通事故と、六本木の解体現場のパイプ落下事故。あれで一気にネガティブシンキングのスイッチが入ってしまった。

その上、なぜか家にあったプロ用の検死資料本、見ちゃダメだ!と思いながらも好奇心にそそのかされて細く開いたページの隙間からのぞいた「犬神家の一族」のスケキヨ状態のお方の写真……。
加えて「ダムダム弾」の情報を得たくてグーグルで検索中、うっかり「画像」をクリックした時に目にした、「遊星からの物体X」の犬状態(お顔、ぱかあっ)と化したお方の写真。(凄惨な写真は上段に出てこないようにして頂きたいもんだ)。これらの写真でカナを発見した時の衝撃がよみがえってPTSDみたいになっていた。

でも日曜日にヨガに行って瞑想すると、かなり精神状態が整ったから多分もう大丈夫。今日はすごく楽しみにしていた「スタートレック・ビヨンド」を見てくるよ。

2016年10月19日(水)

先週の満月の前後からバイオリズムが急降下中。やっと克服できたと思っていたカナのことがまたしても頭の中でぐるぐるしていたところへ、土曜日には何もない平地で足がもつれて派手に転んでひざを強打。かなり深いすり傷と打撲を負って、交通事故の古傷まで痛みはじめて心も体もしんどいです。

こういう時は無理をせずに家と会社の往復だけで体を小さくして過ごすのが吉。あとどのくらいで浮上できるか分からないけど、「自分に優しく」を心がけて乗り切りたいと思います。みなさんもコンディションを崩しやすい季節の変わり目、どうぞご自愛下さい。

時々お宅をのぞきに行っている独り暮らしのお爺さんAさん(81才)の愛犬、ポメラニアンのマコちゃんの水をがぶ飲みする図々しいコッカースパニエル。

ジャーキーを取りに部屋を出たAさんが戻ってくるのを待っている。まるでこのうちの犬みたいだ。

ジャーキーをもらえると知っているから「マコちゃんとこ行こか!」と声をかけると脇目もふらずにAさん宅にまっしぐら。どの方角から向かっても迷うことがないから犬の能力ってすごいなあと感心する。

いびきをかいて熟睡中。

白目をむいてきもちわるいマヤちゃん。

2016年10月12日(火)

自宅とマヤハウスとを並行して、髪を振り乱して断捨離に邁進中。家族そろってモノを集めるタイプだったから、メンバー5人のうち3人が去って後に遺されたミキ家の物量はものすごく、いくら捨てて離れてもモノを断つに至らなくて、いつになったら「断捨離」できるのか想像するとふぅーっと気が遠くなって、そのまま記憶喪失になりたくなる。

土日になる度に押入を整理して、週明けには洋服や布地やバッグが90Lのポリ袋4,5個にパンパンに詰められて部屋を占拠。
再利用できそうにないものは「ごめんね」と謝りながらゴミに出して、オバサンになって似合わなくなったけれども若い人にはまだまだ着られそうなブランド服や、頂いたはいいけれど好みじゃなくてタグが付いたままのブラウス類なんかは、小学校の廃品回収に持っていく。

90Lのポリ袋いっぱいに詰めた洋服は腕が折れそうに重いから、片道10分の坂道を上って回収所に持っていくより燃えるゴミに出した方がはるかに楽だ。
でも、回収した服を分別する時に、若いお母さんとかが「あ、これえーやん!私着るわ!」なーんて言ってくれて服の命が延びたらいいなあと思うから、自分の何倍もあるイモムシの死骸を運ぶアリさんになった気持ちで息を切らして回収所まで何往復もする。おかげでこのところ常に筋肉痛である。

謡をたしなんでいた父のテキスト本に、カナが一生懸命集めていた尾崎豊グッズ、母の着物や差しかけのままで止まっている刺繍作品。ひとつひとつを手に取ると遠いところへ行ってしまった人たちの姿が蘇る。
私が死んだあとにやりかけの刺繍を遺されては困るだろうから、ちゃんと整理しなきゃねえと言っていた母が、刺繍を始めたばかりの頃に刺したであろう、つたない運針の子供用エプロン。父が押入にしまい込んでいた碁盤はもし甥が我が家に遊びに来たならば、また打つこともあるだろうと捨てずにおいたものだろう。

母が病に倒れてから開くことのなかったタンス一杯の着物はどれもカビてしまっていたけれど、私たち三人姉妹が成人式に着た赤い着物だけはひときわ丁寧に包まれていたから綺麗で、添えられた匂い袋に顔を寄せるとまだいい香りがした。

母はこれをしまう時、一体何を思ったのだろうと想像する。三人の娘を育て上げる数十年間の楽しかったこと辛かったことをなぞってみて、色々あったけど三人も娘が持てて、まあ良かったかなと思いながら匂い袋を入れたような、そんな気がする。

つい最近までどうしても捨てられなかった母のやりかけの刺繍は、先週末にぜんぶ燃えるゴミに出すことができた。私はようやく数段階ある離別にまつわる苦しみのハードルを、また一つ乗り越えられたようだ。

モノに故人の思い出が宿ることは確かだし、モノは大切にするうちに魂みたいなものが芽生えるのだとも信じてはいる。けれども、一番大切なものはモノではない。
遺物に染みついているかのように錯覚していた家族の記憶と愛情とを、己の心の内奥に移し替えるすべを、ようやく体得した気がする。

2016年10月7日(金)

マヤの夢を見ていた。新しいおもちゃで夢中になって遊ぶ犬を「なんて可愛いんだろう!」と、こみあげる愛しさに胸をわしづかみにされながら見つめている夢……って、そんな日常的な夢、わざわざ見るなよ……って感じだが。

先日13才8ヶ月になったマヤ。コッカースパニエルの平均寿命を過ぎて、いよいよファイナルカウントダウンに入った感のある年だから、いつ何があってもおかしくないと覚悟を新たにする日々である。

お耳は完全に聞こえなくなったようで、家の向かいの肉屋で飼われているムカつくパピヨンの吠え声がしても、喜んで飛びついていた宅急便のお兄さんが玄関に来ても気付かずぐーぐー寝たままだ。
朝だって私が布団から立ち上がるや否や気配を察知して、すべるように犬ちゃわんの前に移動すると「あさごはんください」とお座り完了しているのが日課だったけれど、今では「マヤちゃん、起きなさいよ」と肩をぽんぽん……と叩いてやってようやく眠そうな顔を上げるようになった。

玄関に人の気配を察知しても吠えなくなったのは助かると同時に、なんとなく寂しさを感じてしまう。
それでも、自分の声が聞こえなくなったせいだろうか、散歩に行く前に気持ちが高ぶってきた時の「うぉん、うぉん」という声は耳が聞こえなくなる前よりもはるかに大きく張りがあって、胸に響く振動を通じて音を確認しているようだ。私はその声を聞くたびに、イギリスの猟場でハンターを手伝っていたマヤの先祖の姿を思い浮かべて、もうしばらく元気でいてくれそうだ、とほっとする。

みんみが駄目になった一方、めんめはまだまだ見えてくれている。パソコンをさわっている時とかに、ふと廊下を見るととことこ歩いているマヤとバチッと目が合うことがあるのだが、そういう時にはぴこ……ぴこ……と尻尾を振ってみせて、ああ、よく見えてるんだなあ、とまたしても愛しさで窒息しそうになる。またそれと同時に、近い将来、ぴこ、ぴこ……もできなくなるのかなあ、と想像しては悲しくなるのが常である。

「いつ何が起きてもおかしくない」という覚悟を備えるあまり、私もヘボピーも朝起きた時、帰宅した時、寝ているマヤを見るとドキドキしながら呼吸を確かめるようになった。そして柔らかいお腹が静かに上下していると、よかった生きてた……と胸をなでおろすのだ。

とは言ってもマヤは劣化する一方というわけでもなくて、一時しなくなっていた癖が復活して私を喜ばせることもある。
例えば夜中に私がトイレに立つと、あとからタタタタとついてきて、便座に座る私を物陰からのぞくと満足したようにタタタタと去ってゆく「妖怪厠のぞき」とか、新しいものを買ったり部屋の配置換えをすると、詳細にチェックして回る「ゲシュタポ」とか。

それでも振り子の振幅は徐々に小さくなって、やがて止まってしまうことを私たち人間は知っているから、前にも増して長い年月を共に暮らした小さな家族が愛しくてたまらなくて、毎日毎日「てんちのワンちゃん!」と呼びかけながら、姉妹で声を揃えてマヤソングを歌ってやる。

犬と飼うということは、生きることにまつわる一抹の寂しさを飲み込みながら生活することなのだと痛感しながら、今日もマヤが元気であることを天をあおいで感謝する。

2016年10月4日(火)

我が家のベランダには四つの植木鉢がある。一つには名前を忘れたけれど、長く伸びた茎の先に大きな花を咲かせる外来の植物。母もカナも生きていた頃、姉妹三人で車椅子を押して散歩に行った公園で、子供がいたずらして引っこ抜いたままうち捨てられていた球根を、拾って植えたら生き返った。
きっと駄目だろうなと思っていたから土の中から緑の葉が顔を出した時には嬉しくて、奇跡が起きて母の病まで良くなるような妄想を抱いたものだ。

その後6,7年が過ぎたけれど、たった一度だけ鮮やかなピンクの花を咲かせて私を驚かせてからは、枯れたと思ったらまた芽を出すことを繰り返しながら花を付けることなく細々と生き延びているその植物は、まるで私が母に向ける想いのようだ。

残りの三つの鉢に植えられているのはオシロイバナ。実家の向かいにある駐車場のわきに生えている親株から種をもらって植えたらぐんぐん育った。
母の病が徐々に進行していた当時、この親株から二人で「面白いねえ」と笑いながら種を取って、もう早くは歩けなくなった母の歩調に合わせてぽつり、ぽつりと散歩した道すがら、空き地に向かって豆まきのように種を放り投げたら翌年には満開の花を咲かせていた──そんな思い出がまつわる私にとっては特別な株。
でも、公団住宅の雑草除去で、伸びては丸裸にされ、また伸びては丸裸にされ……を繰り返している。

でも以前は「こんな風に丸裸にしてしまうなんて、人間はなんて酷いんだろう!」と憤りつつ、「お前の子孫はちゃんと別の場所で生きてるから安心してね」と伐採後のみじめな茎のあとに話しかけていたものだが、すぐまた伸びることが分かっている今では、安心感をもって伐採作業中のオッサンの背中を眺めている。

そしてベランダにこのオシロイバナから採取した種を植える行為も、「かわいそうな植物をレスキューしてあげた」というよりむしろ「不屈のオシロイバナの生命力を我が家にも分けて頂きたい!」としごく前向きな感じに変化したように思う。

最初は一鉢だったんだけど……。

花をつけると嬉しくて

新しく種を埋めるとまた生えて

今では三鉢に増えたのでした。

同じ水をやるなら雑草じゃなくてもっと綺麗な花の方がいいかなあと思うこともないでもないけれど、そう言いながらも五つ目の鉢でもオシロイバナが芽を出してそうだ。

駐車場の空き地の親株。地上に出ている部分は全て刈り取られたのに、10日後にはすでにこの伸びっぷり。ちょっとは遠慮しろ。

最盛期にはこのくらいまで繁茂するから、ついつい夢中になって種取りしてしまう。

その後また刈られたけれど、すぐまた伸びて花を付けていた。雑草と雑草に生命力を与える土ってすごいなあ、と感服する。