2016年1月25日(月)

山口組トップの誕生日 分裂騒動を受け例年と異なる緊張感に(Yahooニュース)

対立抗争の火種がくすぶる中、山口組トップに君臨する篠田建市組長の誕生日会合が開かれた。分裂騒動を受け、例年とは異なる緊張感に包まれていた。
赤いタートルネックに白いマフラーを身に着け、黒いコートを着た、日本最大の指定暴力団・山口組のトップ、司 忍こと篠田建市組長。
1月25日は、篠田組長74歳の誕生日。
篠田組長の誕生会を行うため、兵庫・神戸市灘区にある山口組総本部には、全国各地から直系組長たちが集結した……
じゃなくて。

みき まやちゃん、13さいのおたんじょうびおめでとう!

今日は山口組組長と石ノ森 章太郎先生と松本 零士先生の誕生日でもあると同時に、マヤちゃんの誕生日でもある。
これまでに生活を共にしたのは小型犬に比べて寿命の短い大型犬ばかりだったせいで、10才を超えた犬を飼うのは初めての体験。12年半前、ペットショップのガラスケースの中でふてくされて、呼んでも寄ってこなかった子犬がこんなに長く──家族の誰よりも後まで生きてくれるなんて、当時は想像だにしなかった。

10才の誕生日には11才までがんばろうねと言いながらステーキを焼いてやり、11才の誕生日には来年もまたステーキを食べようねと首にレイを巻いてやり、12才の誕生日には良く生きてくれたという感慨を覚えながら、マヤちゃんがんばったね!この調子で13才のお誕生日にもパーティーをしようねと頭を撫でた。

そしてこの一年間、大きなトラブルもなく(小さなトラブルは腐るほどあるけどな!)13才の誕生日を迎えられて感無量だ。本当によかった。

中型犬の13才は人間に換算すると70才前半だという。毎日心臓と肝臓の薬と三種類のサプリを飲み続けなくてはならないとはいえ、「マヤちゃんは年の割にすごく元気ですから、心臓と肝臓さえ悪さをしなければまだまだ頑張ってくれそうですよ」と獣医さんがおっしゃる通り、まだもうしばらく元気でいてくれそうで私は幸せだ。

とはいってももう13才。これから先は日々衰えと戦うことになるだろうと心の準備はしているけれど、今はとにかく元気いっぱい、おなかぺこぺこで13才のバースデーを迎えられたことをただ祝いたい。

大好きなマヤちゃん、13年も私たちと一緒にいてくれてありがとう。これからもせいいっぱい一緒に楽しいことをしようね!

2016年1月23日(土)

 みんな元気?毎日寒いね!ぼくは寒い国の犬だから冬はだいすきさ!
元気いっぱいおなかがすくから、ぬすみ食いをしてはおねえちゃんたちに叱られてるよ。

おねえちゃんはまだ凹んでて文章を書くのがしんどいんだって。
あ、でも「GWのタジキスタン旅行を決めるくらいには元気です」って伝えてくれっていってるよ。
まあいつものねがてぃぶしんきんぐのせいだから、あんまし心配することないとぼくも思うな。
じゃあまた会おうね!かぜなんかひかないように気をつけてね!

2016年1月19日(火)

年が開けて間がない頃は我ながら驚くほど心は静かに前向きで、一念の抱負を「日々を丁寧に生きる」としたばかりなのに、近頃またしても体調が悪い。足の痛みとしびれが少しずつ酷くなっているのに加えて精神状態がかなり悪い。

どうしてこんなにしんどいんだろう?と考えてみたら、先日、友人に易をしてもらった時の己の発言に思い至った。
「何を知りたい?今の悩みとか?」と問われて思いを巡らしたけれども、「特にやりたいこともないし悩みもない。知りたいことも特にないなあ」という答えしか出てこなかったのだ。

いや、悩みはある。唯一「近づきつつあるマヤと親戚・友人の死」は心の大半を占める大きな憂いだ。でも、確実に来ると分かっている未来に対して質問を発するのは無意味なこと。だから「知りたいことは何もない」という言葉しか出てこなくて、そんな自分の状態に我ながら驚きを覚えた。
そして、今の苦しみの根はこの「未来に対してなんの希望も抱けない」という一点に尽きるのだと知った。

そういう状態でも粛々と会社に通い仕事をこなし、粛々と家事をする自分はけっこう頑張っていると思う。日々「人生に闘いを挑む」気持ちでいないと気力が途切れそうな中、寝込みもせず表面上は変わりなく日常生活をこなしている自分自身を、もうちょっと誉めてやろうと思うくらいだ。

でも状態が悪いことには変わりがなくて、3年半前に父が他界したのを皮切りに、心は常に哀しみに満たされている。それはコップのふちぎりぎりにあふれそうになっているから、ほんの一滴の哀しみや情けなさが加わると、心の表面がすべて負の感情に覆われて何も手につかなくなくなってしまう。

この土日もそうだった。本当にどうでもいい、本当につまらないちょっとした算段が上手くできなくて、「また失敗してしまった」という、父やカナの死の際に覚えたのと同じか感覚がきっかけになってうつに陥り、二日間布団から起きあがれず声も出にくくなって驚いた。思っているよりも遙かにぎりぎりの状態で日常生活を送っていたんだなと。

そんな中、昨日また訃報に接して、今日はそれについて書こうとしていたのだけれど(ツイッターでは触れています)布団から出られなくて起きたのがギリギリの時間だったせいで、今日ももう出社の時間。
いつも中途半端ですみません。また帰ったら続きを書かせてください。

2016年1月15日(金)

まやちゃんは、げんきです。もうすぐ13さいのおたんじょうび。なにをたべさせてもらえるかな?

google chromeを「グーグルチョレメ」と読む程度には英語が苦手なヘボピーの、「『リス』って英語から来た言葉だと思ってた」という衝撃的な発言があった。さらにヘボ、動物の「サイ」も「サイクロップス」みたいな学名由来の名詞だと思っていたらしい。ええええええ〜?!(笑)

……でも……。こうして書いてみると、勘違いがあっても別におかしくないなって気がしてきたわ。リス、サイ、リス、サイ……。なぜリスはリスでサイはサイになったのか。
そんな限りなくどうでもいいことを考えながら、あと3分で出社しなきゃ遅刻しそうな相変わらずギリギリガールな金曜日。今日一日がんばったら土日はマヤとのんびりできるぞ!
がんばろー。(弱り気味)

2016年1月12日(火)

スガシカオと結婚する夢を見ていた……。いや、正確に言えば、結婚する気マンマンで舞い上がっていたところへ、ある日唐突にシカオの薬指に出現した指輪を発見。シカオはすでに北川景子と結婚していたというガッカリ100点満点な夢を見ていた……。

その他にも友達の友達が嵐の櫻井翔で、居酒屋に現れたジャニタレに大興奮!という情けなさ満点な夢も見ていたよ……。
櫻井翔と言われても嵐のどの人かよく分かってないし、スガシカオに至っては顔を見たことも曲を聴いたこともないのだが、このところベッキーの不倫やらスマップの解散とか、見る気が無くても芸能ニュースが目に入ってくる影響をモロに受けてるな。
まあ、シメに見たのは「間接的に殺してしまったごろつきの死体処理をその筋のプロの爺さんに依頼したところ、廃車と一緒にプレスして処分してくれた」という、そこそこ平常運転な夢だったから安心だ。

さて、話はぜんぜんのぜん変わるが股間、特に女性のそれを「デリケートゾーン」と最初に呼称した人はいったい誰だろう。
このデリケートな単語を初めて耳にしたのはテレビCMで、いつのことだったかはちょっと調べただけでは分からなかったけど、母が「なんかかえってやらしいなぁ(=´ω`=)」と嬉しそうに言っていたから少なくとも10年以上前だろう。

プレ・デリケートゾーン期には発声のボリュームをミュートぎりぎりのレベルまで絞り込んで「陰部のかゆみどめありませんか」などと発言せざるを得なかった乙女達にとって、「デリケートゾーンのかゆみにフェミニーナ!!!」と朝練中の野球少年並みに発声してもオッケーな流れを作った命名者の功績は、もっと称えられるべきだと思う。
そんなことを考えながら薬局にフェミニーナを買いに行った。なぜならこのところケツ寄りデリケートゾーンのかゆみに悩まされていたからだ!

皆さんもご存知だろうが(決めつけ)股のかゆみと肛門のかゆみは微妙に異なるものである。そして、消費者のかゆいところに手が届く商品開発を目指す製薬会社は、デリケートゾーンを前部と後部に分類した上で、「おしりの穴のためのお薬です」ということが一目で分かる商品名をつけて発売したと聞いていた。
そして「コウモンヌリーヌ」みたいなダイレクトな名称のそれは、発音せずに済むようにとの配慮から、薬局のレジの横に置かれていたとヘボピーからの報告を受けていた。

そんな次第で、ダイレクトネーミングの肛門薬をレジ横の箱からがしっと手に取り、そのまま流れる水のようにスムーズに勘定を済ませるイメトレをしていたのだが……。

ディスプレイを工夫しても売り上げはあんまし変わらなかったのだろうか、私が薬局に行った時には肛門用のぬり薬はレジ横では視認されなかった。残念きわまりない。
しかし私の中に住む乙女が「肛門のかゆみどけください」とオーダーすることを拒んだので、仕方なく「フェミニーナ……」とあたりさわりのない発言に及んだ次第である。「……と同じ効果でもっと安いのがあればそっちをください」と言い添えることも忘れなかったけどね。

そんなこんなで購入した軟膏の名前はフェミニーナならぬ「フェミノン」。
「フェミニーナ」が女性を意味する「フィメール」「フェミニン」をもじって命名されたとすぐ分かるのに比べると、「フェミノン」と聞いても映画「フェノミナン」しか思い浮かばなくて、ジョン・トラボルタかよ!って感じだが、有名な方に比べて2割ほど安いわりに良く効いた。

なお、本来私が購入しようとしていた銘柄は小林製薬の「オシリア」という名前らしくてちょっとがっかり。記憶では「コウモンヌリーヌ」的なもっとパンチの効いたネーミングだったような気がするのだが勘違いだったのかな……。

だが、さらに調べるとこの世には「ラナンキュラス軟膏」という肛門専用の薬もあるそうなので、デリケートゾーン後部のかゆみに悩んだ際は、オシリアではなくぜひともこちらを指名して頂きたい。

ラナンキュラスってこんな花なのだが、ここまでいくと市販薬では間に合わんレベルやろ。

ゲイ雑誌のゲイビグラビアでこんなん見たことある……。

「ラナンキュラス」でググるとこんなお幸せな画像がヒットした。パンツを脱いだら花吹雪!

2016年1月7日(木)

みなさんはこのお正月休み、どう過ごされただろうか。私はといえば29日に東京のマッドマックス友達とご飯、大晦日は名画座にマッドマックス鑑賞に出かけただけで外出は打ち止め。
カナの代わりに紅白歌合戦のマッチを見てから(カナが荒れてた頃、子供部屋からエンドレスで聞こえてきて発狂しそうだった「ギンギラギンにさりげなく」だったから感慨もひとしお……。)年明けを迎え、そして会社の初出に至るまで、マヤの散歩を除けば一歩も外に出ず、買い貯めた食料を食いつなぎながらにフルタイム隠遁者生活を満喫したよ。

本を読んで料理をして、マヤの散歩に行ってまた本を読んで、お風呂に入って写真の整理をして、その間に両親とカナにお経を上げたり仏前の花の水を換えたり……を繰り返していると、写経をせずともどんどん心おだやかになってきて、新たなインナーワールドが開けつつある感さえある。
今年の目標は「今日が人生最後の日だと思って一日一日をていねいに生きる」なんだけど、より己の内面に目を向けて思考を練る生活を心がけたいと思っちょります。

それにしてもなんと暖かい正月だったことか!去年は冬一番の冷え込みだったというのに、今年は公園のベンチでマヤがうとうとするくらいの暖かさ。えらい違いだ。

そういえば去年の元旦は凍り付きそうな空気の中、誰もいない町をマヤとびゅんびゅん吹いてくる風に向かって歩いている時、前世の記憶(そんなものがあるのならだけど)みたいな感覚がふっ、と降ってきて、「どうしたの?」と振り返ったマヤと顔を見合わせたものだ。
それはイギリスで猟をしているような感覚で、そのあたり以前霊能者に尋ねた「私の前世は?」に対する答えとリンクしているけど、今日はタイムアウトなのでまた折を見て書かせていただきたい。

では会社行ってきます。まだ着替えてないねん。今年も変わらずギリギリガール。

2016年1月6日(水)

地方都市にある大方の元・新興住宅地の例に漏れず、我が家のまわりでも住民の高齢化が猛スピードで進行中。
40年前から見知ったお店の人たちも、月日の経過と共に白髪になり腰は曲がり、やがておろしたままのシャッターに「高齢のため廃業します。長年ありがとうございました」と張り紙がされていたり、店舗兼住宅の前にたむろする喪服の人たちを見て、ああ、あのおじさん、亡くなったんだと気付いたり……と、慣れ親しんだ日常の風景が少しづつ変容するのは寂しい限りである。

そんな人間の高齢化に歩調を合わせるわけでもないだろうが、近所を散歩している犬たちにもいい年をしたのが随分と多い。
13才になるマヤが年の割りには若々しいのが密かな自慢なせいで、私はつい人の犬の年を尋ねてしまう。相手の愛犬がまだ若ければ、「うちはもう13才のおじいちゃんなんですよ」「えーっ!歩き方がしっかりしてるからそうは見えない!」「毛がつやつやして若いですねえ!」と例外なく驚いてもらえるのがちょっと嬉しいのだ。

だが実際には、「可愛いですねえ、いくつですか?」と相手の犬の年を尋ねると、10才、11才、時には15,6才なんて答えが返ってくる確率の方が高い。
そうなるとお互いに、病院代が高くついて大変だとか、足元がおぼつかないから抱っこすると人間が腰をいわしそうだとかひとしきり愚痴ったあとは、「がんばって長生きして欲しいですねえ」と会釈を交わして別れることになって、まあ、それはそれで心がほのかに温かくなっていい感じだ。

向かいのマンションのお爺さんが連れている、ウエスティーのフクちゃんは9才。丘の上のマンションのご夫婦の、ジャックラッセルのメリーさんは12才。
散歩で時々すれ違うおじさんのコーギーは13才で、家をのぞいている独り暮らしのご老人のポメラニアンのマコちゃんは11才。
今日ひさしぶりに会った白い雑種の女の子に至ってはこのあたりで一番長生きで、いくつでしたっけ?と尋ねると、無事に16回目のお正月を迎えられたんですよと、飼い主の初老の女性がいとおしそうに微笑んだ。

そう、老犬の飼い主と話していると、この「微笑み」に、何かしら共通する印象を受ける。
年齢にかかわりなく犬飼いなら誰でも自分の犬を愛しく思うのは当然だが、老犬に向ける飼い主のまなざしは、若犬に対するそれに輪をかけて優しく、同時に一抹の寂しさを含んでいるように感じてしまう。

人生における10年あるいはそれ以上の年月を共に暮らした、もの言わぬ小さな生き物への愛情、そして確実にやってくるそう遠くない別れに対する覚悟のようなもの。
相手が人ではないからこそ、人は飾らない愛情を注ぎ、短い一生を通して生まれて死んでゆくことの重みを、素直な感慨をもって受け取れるのではないだろうか。

「それではまた」と老犬の歩調に合わせ、ゆっくりと歩き去る人と犬の後姿に、私はいつも何かしら尊いものを見る。
人と犬という形の違う容器から流れ出したたましいが、ゆるやかに溶け合っているように感じられて、胸がしめつけられる思いがするのだ。


老犬といえば印象深い犬がいた。マヤの散歩コースにある公園の裏にある家で飼われていた、サモエドに似た白い大きな犬。名前はアトラといった。

マヤの散歩時間と少しずれていたせいか、私が初めて目にした時には、アトラはすでに老境にさしかかっていた。でもその当時はまだかろうじて走ることができて、飼い主の女性が軽く投げるボールを、びっこをひきひき追いかける姿が見られたものだ。

でも、月日が経つにつれてアトラの足元はどんどんおぼつかなくなり、やがてひきずる足を保護するために、空色のくつしたをはかせてもらうようになった。
そして、始めはマヤを見ると喜んで挨拶していたものが、目も耳も悪くなったせいだろう、だんだん反応が少なくなって、やがてすぐそばまで近づいて初めてマヤだと気づいて弱々しく尻尾を振るまでになってしまった。

道で見かけるたびに老いてゆくアトラ。もうボールも追いかけないし、足を引きずるせいで空色のくつしたは土で汚れて真っ黒だ。
飼い主の女性は無口な人だったから、言葉を交わすことはほとんどなかったけれど、年を尋ねたら「14才なんです」という答えがかえってきた。大型犬で14才はかなりの高齢、空色のくつしたをはいて散歩する姿をあとどれだけの間見られるだろうと私は思った。

それからさらに数ヶ月が経ち、アトラの姿は公園の中でしか見かけられなくなった。もうよちよちとしか歩けないアトラは立っているだけで疲れるのだろう、すぐにお座りしてしまう。
晩秋の公園の片隅で、お座りしている白いむく犬と、犬の肩を抱く飼い主。静かに並んで座る二人の姿を、私は忘れることはないだろう。

その数週間後。マヤを連れて公園に行くと、いつもの女性とたぶん旦那さんだろう、中年の男性がアトラを抱いていた。
もう足腰の立たない犬に草の匂いをかがせてやろうとしたのか、二人はアトラを抱き上げては場所を変えて草の上におろし、しばらくたつとまた抱き上げて……を繰り返していた。
きっと二人とも犬の命がそう長くないことは分かっている。ものすごい勢いで近づいてくる別れの瞬間を見据えながらも、ありったけの愛を注ぐ姿は切なく胸を打った。


そして新たな年。
肌が切れそうな寒空の下、いつもの公園にマヤと散歩に行くと、見知らぬ老人が声をかけてきた。「可愛い犬やなあ。いくつ?」
12才ですと答えると、老人は言った。「うちはあの家なんやけど、うちのは12月25日に死んでもてなあ」
アトラのことだ!足が立たなくなってから間をおかずして、アトラは天へと駆け上ってしまったんだ! 冷たい朝の空気の中、無言のまま犬を抱っこして歩いていた夫婦の姿が脳裏によみがえった。

思い出しているうちに感極まったのだろう、「15年も飼っとったから、いなくなるとさびしゅうてさびしゅうて」と老人は涙をうかべた。そしてマヤの頭をなでると「お前は長生きしぃな」と言って歩いていった。

ふかふかの被毛をいつもまっ白に手入れしてもらっていたアトラ。びっこの後ろ足に空色のくつしたをはかせてもらっていたアトラ。
きっと貰われてきた頃は白いマリみたいにころころ可愛くて、家の人たちは小さなアトラを見てどんなに笑ったことだろう。

15年という年月を経て、ひとつの家族の歴史に一匹の犬もくっきりとした足跡を残したであろうことは、部外者の私にも容易に想像ができる。
そしてあの晩秋、静かに並んで座っていた老犬と人間の背中を思い起こして、言葉を介さない愛の美しさに思いを馳せる。

2016年1月1日(金)

新年あけましておめでとうございます
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます

 ミキ ナチ  ヘボピー  マヤ