2016年1月25日(月) 山口組トップの誕生日 分裂騒動を受け例年と異なる緊張感に(Yahooニュース) 対立抗争の火種がくすぶる中、山口組トップに君臨する篠田建市組長の誕生日会合が開かれた。分裂騒動を受け、例年とは異なる緊張感に包まれていた。 ![]() 今日は山口組組長と石ノ森 章太郎先生と松本 零士先生の誕生日でもあると同時に、マヤちゃんの誕生日でもある。 10才の誕生日には11才までがんばろうねと言いながらステーキを焼いてやり、11才の誕生日には来年もまたステーキを食べようねと首にレイを巻いてやり、12才の誕生日には良く生きてくれたという感慨を覚えながら、マヤちゃんがんばったね!この調子で13才のお誕生日にもパーティーをしようねと頭を撫でた。 そしてこの一年間、大きなトラブルもなく(小さなトラブルは腐るほどあるけどな!)13才の誕生日を迎えられて感無量だ。本当によかった。 中型犬の13才は人間に換算すると70才前半だという。毎日心臓と肝臓の薬と三種類のサプリを飲み続けなくてはならないとはいえ、「マヤちゃんは年の割にすごく元気ですから、心臓と肝臓さえ悪さをしなければまだまだ頑張ってくれそうですよ」と獣医さんがおっしゃる通り、まだもうしばらく元気でいてくれそうで私は幸せだ。 とはいってももう13才。これから先は日々衰えと戦うことになるだろうと心の準備はしているけれど、今はとにかく元気いっぱい、おなかぺこぺこで13才のバースデーを迎えられたことをただ祝いたい。 大好きなマヤちゃん、13年も私たちと一緒にいてくれてありがとう。これからもせいいっぱい一緒に楽しいことをしようね! |
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2016年1月23日(土) 元気いっぱいおなかがすくから、ぬすみ食いをしてはおねえちゃんたちに叱られてるよ。 あ、でも「GWのタジキスタン旅行を決めるくらいには元気です」って伝えてくれっていってるよ。 まあいつものねがてぃぶしんきんぐのせいだから、あんまし心配することないとぼくも思うな。 じゃあまた会おうね!かぜなんかひかないように気をつけてね! |
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2016年1月19日(火) 年が開けて間がない頃は我ながら驚くほど心は静かに前向きで、一念の抱負を「日々を丁寧に生きる」としたばかりなのに、近頃またしても体調が悪い。足の痛みとしびれが少しずつ酷くなっているのに加えて精神状態がかなり悪い。 どうしてこんなにしんどいんだろう?と考えてみたら、先日、友人に易をしてもらった時の己の発言に思い至った。 いや、悩みはある。唯一「近づきつつあるマヤと親戚・友人の死」は心の大半を占める大きな憂いだ。でも、確実に来ると分かっている未来に対して質問を発するのは無意味なこと。だから「知りたいことは何もない」という言葉しか出てこなくて、そんな自分の状態に我ながら驚きを覚えた。 そういう状態でも粛々と会社に通い仕事をこなし、粛々と家事をする自分はけっこう頑張っていると思う。日々「人生に闘いを挑む」気持ちでいないと気力が途切れそうな中、寝込みもせず表面上は変わりなく日常生活をこなしている自分自身を、もうちょっと誉めてやろうと思うくらいだ。 でも状態が悪いことには変わりがなくて、3年半前に父が他界したのを皮切りに、心は常に哀しみに満たされている。それはコップのふちぎりぎりにあふれそうになっているから、ほんの一滴の哀しみや情けなさが加わると、心の表面がすべて負の感情に覆われて何も手につかなくなくなってしまう。 この土日もそうだった。本当にどうでもいい、本当につまらないちょっとした算段が上手くできなくて、「また失敗してしまった」という、父やカナの死の際に覚えたのと同じか感覚がきっかけになってうつに陥り、二日間布団から起きあがれず声も出にくくなって驚いた。思っているよりも遙かにぎりぎりの状態で日常生活を送っていたんだなと。 そんな中、昨日また訃報に接して、今日はそれについて書こうとしていたのだけれど(ツイッターでは触れています)布団から出られなくて起きたのがギリギリの時間だったせいで、今日ももう出社の時間。 |
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2016年1月15日(金) google chromeを「グーグルチョレメ」と読む程度には英語が苦手なヘボピーの、「『リス』って英語から来た言葉だと思ってた」という衝撃的な発言があった。さらにヘボ、動物の「サイ」も「サイクロップス」みたいな学名由来の名詞だと思っていたらしい。ええええええ〜?!(笑) ……でも……。こうして書いてみると、勘違いがあっても別におかしくないなって気がしてきたわ。リス、サイ、リス、サイ……。なぜリスはリスでサイはサイになったのか。 |
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2016年1月12日(火) スガシカオと結婚する夢を見ていた……。いや、正確に言えば、結婚する気マンマンで舞い上がっていたところへ、ある日唐突にシカオの薬指に出現した指輪を発見。シカオはすでに北川景子と結婚していたというガッカリ100点満点な夢を見ていた……。 その他にも友達の友達が嵐の櫻井翔で、居酒屋に現れたジャニタレに大興奮!という情けなさ満点な夢も見ていたよ……。 さて、話はぜんぜんのぜん変わるが股間、特に女性のそれを「デリケートゾーン」と最初に呼称した人はいったい誰だろう。 プレ・デリケートゾーン期には発声のボリュームをミュートぎりぎりのレベルまで絞り込んで「陰部のかゆみどめありませんか」などと発言せざるを得なかった乙女達にとって、「デリケートゾーンのかゆみにフェミニーナ!!!」と朝練中の野球少年並みに発声してもオッケーな流れを作った命名者の功績は、もっと称えられるべきだと思う。 皆さんもご存知だろうが(決めつけ)股のかゆみと肛門のかゆみは微妙に異なるものである。そして、消費者のかゆいところに手が届く商品開発を目指す製薬会社は、デリケートゾーンを前部と後部に分類した上で、「おしりの穴のためのお薬です」ということが一目で分かる商品名をつけて発売したと聞いていた。 そんな次第で、ダイレクトネーミングの肛門薬をレジ横の箱からがしっと手に取り、そのまま流れる水のようにスムーズに勘定を済ませるイメトレをしていたのだが……。 ディスプレイを工夫しても売り上げはあんまし変わらなかったのだろうか、私が薬局に行った時には肛門用のぬり薬はレジ横では視認されなかった。残念きわまりない。 そんなこんなで購入した軟膏の名前はフェミニーナならぬ「フェミノン」。 なお、本来私が購入しようとしていた銘柄は小林製薬の「オシリア」という名前らしくてちょっとがっかり。記憶では「コウモンヌリーヌ」的なもっとパンチの効いたネーミングだったような気がするのだが勘違いだったのかな……。 だが、さらに調べるとこの世には「ラナンキュラス軟膏」という肛門専用の薬もあるそうなので、デリケートゾーン後部のかゆみに悩んだ際は、オシリアではなくぜひともこちらを指名して頂きたい。
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2016年1月7日(木) みなさんはこのお正月休み、どう過ごされただろうか。私はといえば29日に東京のマッドマックス友達とご飯、大晦日は名画座にマッドマックス鑑賞に出かけただけで外出は打ち止め。 本を読んで料理をして、マヤの散歩に行ってまた本を読んで、お風呂に入って写真の整理をして、その間に両親とカナにお経を上げたり仏前の花の水を換えたり……を繰り返していると、写経をせずともどんどん心おだやかになってきて、新たなインナーワールドが開けつつある感さえある。 それにしてもなんと暖かい正月だったことか!去年は冬一番の冷え込みだったというのに、今年は公園のベンチでマヤがうとうとするくらいの暖かさ。えらい違いだ。 そういえば去年の元旦は凍り付きそうな空気の中、誰もいない町をマヤとびゅんびゅん吹いてくる風に向かって歩いている時、前世の記憶(そんなものがあるのならだけど)みたいな感覚がふっ、と降ってきて、「どうしたの?」と振り返ったマヤと顔を見合わせたものだ。 では会社行ってきます。まだ着替えてないねん。今年も変わらずギリギリガール。 |
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2016年1月6日(水) 地方都市にある大方の元・新興住宅地の例に漏れず、我が家のまわりでも住民の高齢化が猛スピードで進行中。 そんな人間の高齢化に歩調を合わせるわけでもないだろうが、近所を散歩している犬たちにもいい年をしたのが随分と多い。 だが実際には、「可愛いですねえ、いくつですか?」と相手の犬の年を尋ねると、10才、11才、時には15,6才なんて答えが返ってくる確率の方が高い。 向かいのマンションのお爺さんが連れている、ウエスティーのフクちゃんは9才。丘の上のマンションのご夫婦の、ジャックラッセルのメリーさんは12才。 そう、老犬の飼い主と話していると、この「微笑み」に、何かしら共通する印象を受ける。 人生における10年あるいはそれ以上の年月を共に暮らした、もの言わぬ小さな生き物への愛情、そして確実にやってくるそう遠くない別れに対する覚悟のようなもの。 「それではまた」と老犬の歩調に合わせ、ゆっくりと歩き去る人と犬の後姿に、私はいつも何かしら尊いものを見る。 老犬といえば印象深い犬がいた。マヤの散歩コースにある公園の裏にある家で飼われていた、サモエドに似た白い大きな犬。名前はアトラといった。 マヤの散歩時間と少しずれていたせいか、私が初めて目にした時には、アトラはすでに老境にさしかかっていた。でもその当時はまだかろうじて走ることができて、飼い主の女性が軽く投げるボールを、びっこをひきひき追いかける姿が見られたものだ。 でも、月日が経つにつれてアトラの足元はどんどんおぼつかなくなり、やがてひきずる足を保護するために、空色のくつしたをはかせてもらうようになった。 道で見かけるたびに老いてゆくアトラ。もうボールも追いかけないし、足を引きずるせいで空色のくつしたは土で汚れて真っ黒だ。 それからさらに数ヶ月が経ち、アトラの姿は公園の中でしか見かけられなくなった。もうよちよちとしか歩けないアトラは立っているだけで疲れるのだろう、すぐにお座りしてしまう。 その数週間後。マヤを連れて公園に行くと、いつもの女性とたぶん旦那さんだろう、中年の男性がアトラを抱いていた。
思い出しているうちに感極まったのだろう、「15年も飼っとったから、いなくなるとさびしゅうてさびしゅうて」と老人は涙をうかべた。そしてマヤの頭をなでると「お前は長生きしぃな」と言って歩いていった。 ふかふかの被毛をいつもまっ白に手入れしてもらっていたアトラ。びっこの後ろ足に空色のくつしたをはかせてもらっていたアトラ。 15年という年月を経て、ひとつの家族の歴史に一匹の犬もくっきりとした足跡を残したであろうことは、部外者の私にも容易に想像ができる。 |
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2016年1月1日(金) ![]() 皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます |
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