2015年11月27日(金)

理想に近いが理想そのものではない「ぐいーん」。
これで足が布団で隠れておらず、おしっぽが上がっておしりの穴が丸見えで、
かつやや右寄りからのショットなら、枕元に一眼レフを置いて寝るのをやめられるのだが……。まだまだ続くよおしりキャラバン。

昨日、特に用事はないけど仕事がぽこっとヒマだったから有休を取ってマヤと一緒に過ごしたせいか、管理人けっこう元気です。いつもなら「病院で検査をするため」とか「旅行に行くため」に取る有休だけど、たまにはこういう「何もしない有給」も案外リフレッシュできていいもんだ。

それにつけても一日家にいると、会社に縛られている9時から5時までという時間がいかに長いか実感する。5時までの8時間でどんなにたくさんの用事が片づいたことか!

会社に自分の時間を売ってお金をもらうことが仕事というものだからしゃーないとはいえ、今の会社に就職した29才から嘱託の上限年齢65才、いや、ひょっとしたら将来は定年延長で70才くらいまで延々と続くこの生活サイクルを、たった一ヶ月だけでいいからぶち切りたいと夢想することもしばしば。

……と言いながら今日も会社いってきます。外は青空、気持ちいい。じゃ、ふかふかした茶色い生き物の生活費をかせぐため、がんばってお仕事してきます。

2015年11月25日(水)

久しぶりに夢でカナと会った。11月17日、朝8時前のことだ。
(数年後にあとからここを読み直したら、ひょっとすると「あの日にあの夢を見たのはこういうことだったのか」と何かと繋がるかもしれないので、備忘録として日時も記しておく)

夢を見る前、私は布団の中で起きあがれずにいた。時計の針は7時15分を指しており、そろそろ出社の準備をしなくてはならない。
だというのに頭の中は父も母も、自分よりあとまで生きる可能性が高いと思っていたカナさえもこの世にいないという喪失感ではちきれそうで、「このまま呼吸が止まって死ねないかな」などとぼんやり考えていた。

そうこうしているうちに再び眠りに落ちて、こんな夢を見た。

カナが登場するまでにも長いストーリーがあったけれど、そこはさっぱり覚えていない。ただ、その世界ではカナはまだ生きている。いや、正確に言うと私の世界のカナは確実に世を去っているけれど、「もう一人のカナ」がごく普通に生きている。
ドッペルゲンガー?平行宇宙?それとも古代エジプトで死後、魂が「バー」と「カー」に分かれるとされるその片割れだろうか?

ごく自然にカナが現れた瞬間に、去年の8月10日にぶっつりと断ち切られたままのような日常の連続性が突然取り戻されて、2014年8月10日の午前中と、2015年の11月17日の朝が糊でくっつけられたかのような感覚を覚えた。
これで人生をやり直せる!喜びで体が震えた。

このカナは死んでしまったカナではないと同時に、カナそのものだ。前にはできなかった全てをこのカナにしてやろう。飽きるまで話を聞いて、一緒にいろんなところに行って、うんと優しくしてやれる!

私とカナはチカチカとLEDが点滅する大きな世界地図を並んで見ている。
「点滅しているのは今まさにうつ病で苦しんでいる人のいる場所を示しているのだよ」と誰かが言って、私は光の数の多さに驚くと同時に納得しながらカナに言った。
ごめんね、あんたの苦しさをちっとも分かろうとしなくてごめんね。でも、もう心配ないよ。何があっても絶対に守ってあげるから。私に頼ればいいから安心していいよ。
──生きているカナに言ってやれなかった言葉だ。

それから私たちはおでかけした。これは夢で、いつ覚めるか分からないと知っているから、焦った私は生きていた頃のカナそのままにスローモーな妹を急かした。
とにかくどこかに行こう!ほらっ!早く準備して!

出発したはいいけれど、目的地を定めていないからちょっと困った。どこに行こうか……。
ひとまず路面電車を乗り継いで行ける、さして遠くない漁港を目的地に定めた。それは実際には存在しない(するかもしれないが)漁港なのだが、カナ、着いたら「(近所の)T漁港とおんなじやー!」と言うんじゃないかな、なんて思いながらカナを先導して電車に乗った。

でも、どうも電車を間違ったらしい。気付いて降車して、ちょっと機嫌が悪くなりながらベンチにリュックを置いて中をごそごそやっていると、カナは遠慮して「切符代だけでも出すわ」と言った。生きていた頃のカナそのものだ。(姉妹で出かける時はいつも、お金はぜんぶ私が出していただけれど、遠慮したカナは時々そんなことを言っていたから)

そんなんいーよいーよと答えると、ドタドタと路線図の掲示板に走っていき「○○番に乗り換えたらいいみたい!」と嬉しそうに戻ってきた。そのあわてぶり、ドタドタぶりも正にカナ。

乗り換えようとした電車はドアが閉まる直前で、駆け込み乗車した私は手を挟まれそうになった。
「駆け込み乗車はおやめください〜」 車掌のアナウンスがえらく冷笑的だったものだから、ムカっときた私は小声で毒づいて、気を遣ったカナはしきりに私をなだめた。こんなところもカナそのもので、ああ、自分は今、カナと一緒にいるんだなぁと喜びが胸からあふれそうだった。

そこで目が覚めた。水を吸った布団のように重かった身体は、夢を見る前と同じ身体だとは思えないほど軽かった。

2015年11月20日(金)

映画「アバウト・タイム」を観て死ぬほど凹んでます。「過去にタイムトラベルができる主人公が、 自分と家族の人生をよりよいものにしようとする」なーんて心温まるラブコメ映画を観て、「たった一日だけでいいから10年前に帰りたい……」と滂沱の涙を流す羽目になるとは……だいぶ相当かなりスペシャル弱ってんな。
……ってことで死にかけのねえちゃんの代わりに、今日はマヤちゃんお願いします。

人間のお布団の上に抜け毛をまきちらしてマヤちゃんがうとうとしています

ハッ?!!ねえちゃんの視線に気が付いたマヤちゃん、なんだかずるそうな顔をしています

背中を曲げてとてもおじいちゃん的なマヤちゃん

背筋を伸ばしてチュンとしたマヤちゃん

ふくらすずめのマヤちゃん

ヘボピーねえちゃんに足をもませていい気になっているマヤちゃん

へそを天に向けて地球温暖化について考えているマヤちゃん

美容室で毛を刈られて、痩せ犬になって戻ってきたマヤちゃん

同じ「ぐいーん」でも「ふかふかぐいーん」に比べて「痩せ犬ぐいーん」はあんまし可愛くないので、お姉ちゃんも滅多にカメラを向けません。
だから「痩せ犬ぐいーん」の写真はちょっとしたレアアイテムなんだよ!

ご飯を食べたばかりだけど、おねえちゃんが間違ってもう一回くれないかなあ、と思いながらおぜんの前で待っているうちに、いつの間にか眠ってしまったマヤちゃん。

マヤちゃんはいつ見ても犬ちゃわんの前にスタンばっているので、最後もおぜんの前で死んでたら可哀想だねえ、と二人のねえちゃんは想像してとても悲しくなるのです。

じゃあ今日もお仕事がんばってね!
ぼくがみんなのぶんまで寝てあげるから安心していいよ!

2015年11月13日(金)

昨日まではもうダメだ……と頭を抱えて落涙する感じだったのに、今日は打って代わって気分がおだやか。まあ、色々あるだろうけど与えられた人生が終わるまで、カナの分までがんばるか、と前向きになっている。

現金すぎて恥ずかしいけど、これは友人が素敵なレストランでディナーをご馳走してくれたお陰だろう。予約受付開始と同時に2ヶ月先の予約まで埋まる県下で唯一の三つ星レストラン。一度でいいから行ってみたくて、これまで何度か予約にトライしたけれど、何十回かけても予約電話が話し中であきらめていたのだ。

反射光を計算して選ばれた食器と、それで供される繊細な料理の数々は、ありきたりな表現ながら正に「五感を刺激する」アーティストの作品。日常とはちがった方向から視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚を刺激されて、これまではネガティブ&ペシミスティックONに固定されていた頭のスイッチが、一度ぜんぶOFFになった感じがする。

父が他界してから三年以上、美味しいものへの興味も失っていたけれど、たまには贅沢をして頭のスイッチを切り替えるのも無駄じゃないと分かった。

次はヘボピーにおごってやろう。コースの内容が変わったら今度はご馳走してくれた友人にもご馳走し返したいし。早速レストランの予約ページに飛んで、空いてる日がないか見てみるか。


友人のお陰で気分ががらっと変わった自分を眺めていると、いつも会話を交わすN川さんのことを思い出した。

駅前を第一ねぐらにして空き缶を集めているN川さんは、80才を過ぎたホームレス。
背中が曲がった小さなおばあさんということもあって、私以外にも沢山の人に気にかけられているようで、警察、ヤクザ、福祉課の職員、駅を通りかかるサラリーマン、工事現場のおにいちゃん、近隣の店員さん……けっこうな数の人が話しかけたり、食べ物やカイロや時にはガスコンロやラジオまで差し入れたりしている。

会話の中から得た情報では、N川さんは無年金で生活保護は受給していなくて、四国出身。
どういう理由で故郷を離れて缶拾いをすることになったのかまでは聞いていないが、生活保護の受給を勧めても「親戚一同が『そんな恰好の悪いことをするのは許さない』と反対する」し「元気なうちは働くねん」と話していたから、色々と入り組んだ事情がありそうだ。

N川さん曰く、この親類たちは生活保護に反対するだけではなく、空き缶拾いをすることにすら「こんな恥ずかしいことをするのは家の恥だからやめさせろ」と警察に怒鳴り込み、警官が「いや、缶を集めるのは自由だから」と追い返したというから、路上生活に至るまでには他人には想像もつかない家庭的事情があったのだろう。

ある日、私と同年輩の会社員らしい女性とN川さんの会話が耳に入ってきた。「……そんなことがあって今はこんな生活をしとる。地獄や」
やっぱりそうだろうなあ、80才も過ぎて路上生活が楽なわけない。

でも先日、弁当とお茶を差し入れた時、N川さんは私にこうも言っていた。「たくさんの人たちが親切にしてくれる。私は幸せもんや」。
そうか、やっぱり人生というものはある日は「地獄」である日は「幸せ」に見えるものなんだな。

今日はN川さんの82才?83才の誕生日。「一番好きな食べ物ってなによ?」と尋ねたら、しばらく考えて「うなぎかな」ということだったから、持ち歩きの邪魔にならないような小さなお花とうな重を持っていこうと思う。

2015年11月12日(木)

ツイッターに「気分が落ち込む」「体が重くて起きられない」「滅多にひかない風邪を引いた」「偏頭痛がひどい」といった薄暗い呻きが激増中の今日このごろ。低気圧と寒暖の差の大きさの影響だという説もあるけど、私の場合は不調の原因が「家族との離別」と4Kテレビ並みにクリアーなので、己の心と格闘中。

このところまたしても日々をやりすごすのがしんどくなっている。カナが倒れていた部屋の光景がまるで写真を見ているように頭に蘇り、「これは救急車を呼んでどうにかなる状態ではない」と確信した時の、ものすごい衝撃がリピートされる。
また、久々に親戚から電話があると、また誰かが死んでしまったのか?!と飛びあがるほど驚いて、それから数日間体調を崩してしまう。どうやら私は死のイメージに取り憑かれてしまっているようだ。

死は全ての生命の隣にあるものだけれど、直視していては日常生活にさしさわりが生じるからみんな死から目を逸らして暮らしている。
でも、私は死を直視してしまっていて、心は恐怖に覆われている。自分自身の死ではない。愛する者が次々と去ってゆく、近い将来確実に訪れる未来。そして離別の悲しみにこれ以上耐えられるのだろうか?という恐怖。

「人生においては各人のキャパシティーを超えた苦しみは与えられない。乗り越えられる試練だからこそ与えられているのだ」としばしば聞くけれど、それって違うんじゃないのと腹が立つ。苦しみに負けて自死する人だっているではないか。

そもそもこれまでの50数年間、そこそこの試練は乗り越えてきたという自負はあるけれど、その結果、自分が成長できたなんて自覚は全くない。
試練は必ずしもプラスに働くものではない。乗り越えたはいいけれど精力を使い果たして、枝葉をもがれ裸同然の木のようになってそのまま枯れてしまうことだってあるだろう。もう試練なんか要らない。頑張りたくない。

こんなことばかり考えて悶々とするのもどんよりした天候の影響なんだろうか。まあ、仕事に行けば多少は気が晴れるだろうから、がんばって着替えて出社しますわ。

ヘボピーが脱ぎちらかした服にマヤちゃんがもぐって遊んでいたよ。

2015年11月9日(月)

おはようございます、月曜朝8時です。ほんとうなら今ごろはキングスマン絶叫上映の余韻を胸に、羽田発の飛行機から降りて空港のサ店で一服しているはずが、なぜか自宅でパソコンとFACE TO FACE。ホワイ?!

……行きの飛行機、欠航してん。

いや、そこはさすがANAだけあって、振り替え便は各種取りそろえてお客様のお越しを待っていてくれた。格安航空会社ならこうはいかなかっただろう。
でも、7時発の出発が「機体トラブル」で1時間遅れになったスタート地点からすでにひざカックンだったところへ、「欠航します」で足の骨折れたわ。

それも同じ空港発の飛行機への振り替えならまだしも、自力で電車とバスを乗り継いで、一時間以上かかる別の空港へ移動してくれと言われましても、ねえ……。
空港からバス停までの電車移動だけでもしんどいのに、そこから一時間近くバスに乗り、予定よりも3時間遅れの飛行機に乗るなんて……。そもそもバスは定員制。満席なら次のバスになってしまうから、3時間遅れの便にすら乗れるかどうか怪しいもんだ。

加えて地方空港というのもあって、カウンターには振り替え作業用の端末がたったの2台、スタッフが2,3名。そこへ殺気だった乗客がどっと押し寄せ「キャンセルの場合は?」とか「空港までタクシー使っちゃダメなのか」などと口々に尋ねるせいで、振り替え便への発券作業が滞る滞る!アナウンスもろくすっぽされない上に音量が小さくて聞こえないせいで、状況が分からずイライラもつのる。

その結果、うかうかしていて列の後ろの方に並んでいた私たちの順番が来た頃には、予定よりも3時間遅れの便には間に合わず、4時間遅れの便すらもが満席。
そこまでギリギリになると「同じ空港発のスカイマーク便に振り替え」に加えて、「新幹線使ってもお金払うよ」とまでサービス拡張で、「新幹線?マジかよ!?」となったものの、そこに至るまでのゴタゴタで疲れ果て、キングスマン Ladies & Gentlemen上映は涙をのんで諦めた次第。

いや、どうしてもイベント参加したければ一人で行く手もあったのだが、イベントに参加しない同行の友人にとって、たったの5時間の東京散歩のために数万円の飛行機+ホテル代は気の毒すぎて、また、私も東京で一人5時間も時間をつぶす気力がなかったせいですっぱり諦めた。

……ってことで今日は体力にやや余裕を残した状態でこれから出社です。でもまあ、今の状態でさえ欠航のごたごた疲れで体調あんましよろしくないから、キャンセルして賢明だったよ。(自分に言い聞かせ)

2015年11月6日(金)

マヤちゃん12才9ヶ月の秋。
年相応にどっしりしたおじいちゃんワンちゃんになりました。

お口にミルクついてますよ!
いえいえ、これは年をとって毛が白くなってるんです。

これまでに飼った犬は小型犬に比べて寿命の短い大型犬ばかりだったせいもあるけど、10才を超えて生きた犬ははじめて。

毎年誕生日になると「来年はないかもしれないね」とヘボピーと話しながら三角帽子をかぶせたり、蝶ネクタイをつけてやったりして、お肉を腹一杯食べさせる。

そんな1月25日を繰り返し、まさか12回目も越せるなんて思いもしなかった。そして今のありえない元気っぷりからすると、どうやら13回目の1月25日にも、日本とイギリスの旗を立てたお肉を捧げて、ハッピーバースデーと歌うことになるのは確実みたいだ。

ツイッターの方をご覧になって下さってる方にはお分かりの通り、このところうじうじモードでけっこうしんどい。仕事のある日は気が紛れるけど、土日になるとカナのことばかり考えて凹みっぱなし。
こんな時にカナがいればなあ、もう一度カナと話したいなあ。考えても無駄だと分かっているけど、くよくよするのを止められない。

そんなダークなモードから脱出するため、今週末は東京のキングスマン上映会に行ってきます。マッドマックスとかキングスマンとか、若いファンばかりかと思いきや、意外や意外、同年輩のお知り合いがたくさんできていい気分転換になってます。