2015年7月31日(金)

鶏手羽元の香味焼きをこんなスタイルで並べる時、お総菜スタッフはこのコマーシャルを思い浮かべていたにちがいない。

1998年、私が生まれて初めて買ったパソコンは初代iMacのボンダイブルー。もともとぜんぜん電脳系(死語)ではなかったため、パソコンの初購入は30代半ば。小学校で使い方を教わるらしい今の人たちに比べると、はじめ人間ギャートルズ並みに遅い。
でも、当時は家庭用パソコンもインターネットもそれほど普及していなくて、持っていなくてもそう不自由はなかったのだ。

ヨドバシで窓機ではなく Macを選ぶことになるきっかけはまさにこの「パソコンをいじってる人が今ほど多くなかった」点。
私よりも早くからパソコンになじんでいた友人Kに「Macなら教えられますけど、ウィンドウズはぜんぜん分かりませんからね」と釘をさされたことが、発売されたばかりのiMacを買う決め手となった。

いや、ヨドバシの人に「日本ではMacユーザーはパソコンユーザー全体の2,3%しかいませんよ?」(あんたメカオンチみたいだけど大丈夫?)と聞かれたんだけど、「友人に教えてもらいますから!」と押し切った。
それに、iMacはなんかSF映画に出てくるさわっちゃいけないパネルみたいで、窓機に比べるともう段違いにカッコよかったんだ。

「マッハのように離陸する、スピード 233MHzの高性能PowerPC G3マイクロプロセッサ」と、今振り返ると別の意味で信じられないスペックのこのシリーズは、最初はボンダイブルーと白の二色しかなかった。

だがスティーブ・ジョブズ率いるアップルは時をおかずして「キャンディカラー」と銘打つオサレな部屋(当時比)にぴったりな5色展開を打ち、同時にテレビコマーシャルもガンガン流して、「Mac?あああのデザイナーのひとが使うマイナーなやつね」という認識があればいい方だった世の人々に、リンゴマークの存在感を知らしめたのであった。

ローリング・ストーンズの"She's a rainbow"(この曲聞きたさにCD買ったよ……)をBGMにあめ玉みたいなマシンがくるくる踊るコマーシャルはたまらなくイカしてて、当時は「なんでウィンドウズにしなかったの?」と変わり者扱いされがちだったMacユーザーとしては、「見たか!」って感じで恨みを晴らしたものだ。

アップルのテレビコマーシャルは今でもまだまだカッコいい。同じような映像でもアンドロイドのCFが微妙に「クサい」のに比べると、なぜアップルがいいと思ってしまうのか、単に自分がMacユーザーだからなのか?とか色々考える。
とはいっても世紀末のMacのコマーシャルに比べると、今の作品はパンチが弱いと感じるのは、単にMacという存在に慣れたからだろうか。それともスマホの普及を通して大衆的な存在と化したリンゴマークが、マイナーなことに価値を見出すひねくれ者にとって、昔ほど魅力的な存在じゃなくなったせいだろうか。

どうでもいいけど今は"She's a rainbow"といえば、進研ゼミのコマーシャルを思い浮かべる人の方が多いだろう。それってなんか青春時代の「いい思い出」に傷がつくみたいでムカッとするから、ベネッセホールディングズはあの曲使うのやめていただきたいわっ!(#^ω^)

<追記>"She's a rainbow"のiMacコマーシャルもよかったけど、私が一番好きなのはコールドプレイが"Viva La Vida"を歌うやつ。
コマーシャルに感銘を受けるあまりコールドプレイのコンサート行っちゃったよ。(そして"Viva La Vida"演奏まで知らない曲ばかりでイマイチ盛り上がらなかったミーハーな観客たち)

2015年7月30日(木)

みんな、ひさしぶり!まいにちあついね!いちにちじゅうエアコンを24どにしてもらってるぼくはあつくないけどね!

おねえちゃんもげんきだよ。きょうはあと20ぷんでかいしゃだから、ぼくのしゃしんでおちゃをにごすんだって。
しゃれで「そふとまっくす」ってかいしゃのかぶをかったら、すとっぷだかになったとかいってよろこんでるよ。
もうけたおかねでたちかわにまっどまっくすをみにいくんだって。きらくなおはなしだね。

散歩で出会ったハスキーがマヤちゃんに興味しんしん!

ねえ、きみどこからきたの?なんてなまえ?あそぼうよ!

だというのに、びびったマヤちゃんは動かざるごと山のごとし。
ハスキーもすっかり困り顔。マヤちゃんってほんとに内弁慶!

マヤちゃんのライバルはマンションの向かいにある肉屋のパピヨン。
お肉食べ放題なのが憎くて仕方ないんでしょうか?
パピヨンの声が聞こえるとベランダにすっとんで行ってにらむのです。

うららかな陽気の頃には、いつも日だまりで居眠りしてました

バックに回るとこんななの

ヘボピーねえちゃんに仁義なき戦いをいどむ時のマヤちゃんの顔。もふもふしてても中身は猟犬。素手で倒すのはむつかしい。

子犬の頃、床に置いたフライパンにこっそり乗っているのをお母さんに目撃されたマヤちゃん。おじいちゃんになった今はたらいに入っていました。

頭の側が重くてぐらぐらしています

いったい何が楽しいのでしょう

大掃除中にも我が道をゆくマヤちゃん

本棚の整理をするヘボピーねえちゃんに嫌がらせ

長い時間歩くと疲れるようになったおじいちゃんワンちゃん。
公園のベンチに座っておねえちゃんの横でうとうとするのがブームです。

名前を呼ぶとこうやって振り返るマヤちゃん。
すると胸がきゅうんときて、お前だけは何があっても守ってやる!とワンピースのキャラみたいなことをついつい思ってしまうのです。

♪かなしいことがーあるーとーなでーるーまるーいーおちーりー♪
(卒業写真@松任谷由美のふしで)

会社に行く時にはいつもの3割り増しのきゅるんでお見送り。
あまりに可愛くていったん閉めた玄関をまた開けてきゅるん再確認するせいで、私もヘボピーもいつも遅刻しそうになります。

2015年7月28日(火)

駅のトイレに貼られていたぬり絵。「これ、適当でいいから色塗っといてね〜」と輪郭線だけ入ったポスターを渡された駅員さんが、夜の暗さを表現しようと黒の色鉛筆をがしっと手に取ったはいいけれど、思ったより面積広くてイメージ通りの完成を見なかったと見える。

このうすぼんやりした感じ、黄泉比良坂っぽくてある意味痴漢より怖い。背後からついてくる不審者はイザナミだろうか。


P.S.元気です、俊平もといミキ、って40才over限定ギャグですいません。(そういえば「なぜか笑助」の「ズッ!」ってのギャグももう滅亡寸前なんだろうな。寂しいよね……)

前の日記から間があいておりますが、中国の在庫放出に伴う金価格の下落にも、不適切会計に揺れる東芝の株価下落にも負けず、黒ヒゲ危機一髪をやってるようなドキドキものの世界を横目に私は元気にやってます。

ただ一つ悩みをあげるなら、今週末から「マッドマックス 怒りのデスロード」の上映館が激減すること。映画館で観られなくなった後、DVD発売までマッマッ難民と化した我々にどうしろというのですか神よ!!!!

まあ8月14日までは東京・立川のシネマシティさんが極上爆音上映をしてくれるという確約があるので、ひとまず不安を抑えこみつつ、夏バテしないようゆるーくやりますわー。

そうそうこの日記、このところやたらと誤字&単語の重複が多くて、ミキさんボケはじめてるのでは?と心配をかけるレベルであることは認識してるので大丈夫です。
ただ、出勤前に泡くって更新してること、そして老眼が軍事パレードの北朝鮮兵士のごとく勇壮に前進してるせいで、入力ミスしても気付かないままアップしちゃってねえ……。

あとから読み直して「あちゃーっ!」って部分はできるだけ訂正していますが、そのままになってる箇所も多いので、恥ずかしいけどそのあたりソフトにスルーして頂けると嬉しいです。

じゃ、今日もマヤちゃんの養育費(月額平均6万円)かせいできます。マヤちっち!おねえちゃんがんばるよ!

2015年7月19日(日)

<注・自分のためのノートのようなものです。だらだら長いです。>

久しぶりにカナのことを考えている。でもいざ考えようとするとちょっとした努力が必要なことに気がついた。さび付いたドアノブを力まかせに回して、のんびりテレビなんか見ているカナを記憶の部屋から連れ出す、そんな感覚さえ覚える。
それでも今書き留めておかないと、細かい記憶はやがて砂漠の砂のように風に乗って消えてしまいそうだから、今のうちに覚えていることを記しておきたい。


6月28日を境として、カナのことをほとんど考えなくなった。不思議でたまらない。
正確に言うなら6月27日の午後3時頃までは、目覚めている間中ずっとカナのことが頭の片隅にあって、ナイフと化した喪失感と後悔と絶望に心をざくざくと切り裂かれているようだった。
どんなに楽しいことをしていても、美味しいものを食べていても、ここにカナがいれば喜んだだろうなという思いが頭をもたげたとたん、楽しくも美味しくもなくなってしまう。

生きる気力も消え失せて、ぜいぜいいいながら仕事をするのが精一杯。一日も早く人生を終えたいと来る日も来る日も思いながらも、ここで死んでしまうと父と母とカナに合わせる顔がないから踏ん張らなきゃと自分に言い聞かせていた。順当にいけばまだあと数十年も生ざるを得ないことにうんざりして、このまま細かい粒子になって空気に混じって消えられたらいいのに……とばかり夢想していた。

だというのに、今は思い出すのに努力が要るようになるなんて!
人はたった一日でこれほどまでに変わることができるものなのだろうか?自分の心は自分が一番良く知っているはずなのに、わけが分からなくてただただ驚いている。まるで崩壊の危機に瀕した精神を守るために脳のサーキットブレーカーが作動して、カナにまつわる記憶につながる神経の束を焼き切ったみたいだ。

本当はもっと思い出してあげなきゃならないのに、私、自分のことばっか考えるようになってるよ、ごめんね、と謝ると、それでいいんだよ、と心の奥からカナの声が響いてくる。

妹のことを考えることがほとんど無くなって驚いている、と親しい友人に話したところ、彼女は「ああ、カナさんのソフトを取り込んだね」と言った。
彼女が何を言わんとしたのか、私にもうっすら分かったけれど言葉で上手く説明はできない。けれど、すっと心に入ってきた。今の心情を説明するのに一番しっくりする言葉だった。

今、カナは私の中にいる感覚を覚える。「思い出の中に生きている」という意味とは違う。100%ではないけれど、カナの存在と自分の存在が重なり合った部分を感じるのだ。
そして、カナのことを考えなくなった日から、自分と自分以外のもの――人や木々や鳥たちや空との境界線が、ふとした瞬間に曖昧になる感覚を覚えることが多くなった。それは幼い頃からしばしば抱いていたものだけれど、長い間忘れていた感覚である。
もちろん「開眼」とか「精神の解放」と呼べるような立派なものではない。けれど心はとても穏やかだ。

I see the wind, oh I see the trees Everything clear in my eyes.
I see the clouds, oh I see the sky Everything is clear in our world. ジョン・レノンのOH MY LOVEのフレーズを思い出す。

後悔が消え失せて非常に助かっているが、もうすぐ一周忌でもあることだし、思い出を整理するため、カナとの最後の日々のことを少し書き留めたい。人の家族の思い出なんていう面白くもないものを長々とお聞かせして申し訳ないけれど、どうぞお許しを。

あれはちょうど一年前の今日のこと。7月の三連休にカナをこの家に呼んで、姉妹三人そろって三連休を過ごしたんだ。

株で儲けたからごはんに行こうよ、とバスと電車を乗り継いで回転寿司を食べに行く際に、忘れっぽいカナはバスの乗車券を家に置いてきたものだから、「あんたは忘れ物ばっかり!」と叱って取りに戻らせた。
マミ姉ちゃん(ヘボピー)と先に駅に行っとくよと言ったものの、かわいそうになってきてバス停で待った。息を切らせてドタドタ走ってくるカナはとてもしんどそうで、急に太ったせい?それともどこか悪いんだろうか?と心に引っかかった。

寿司屋では小さい頃から好きだった「マグロのさび抜き」ばかり食べていたカナ。他のもどんどん食べなよと言うと、あんまし食欲ないし、私はこれさえあればええねん、と笑っていたな。
でも、茶碗蒸しならあっさりしてるから食べられるでしょ?と言うと、そうやなあと答えて注文していた。思い起こせばこの頃からもう内臓が機能不全を起こしつつあったんだろうな、と振り返る。

食事を終えてから駅まで一時間ほどぶらぶら散歩。

ピンクと黄色が混じった変わった色の花を咲かせているオシロイバナの種を集めた。人家の玄関先に生えていたものだから、一心不乱に集める私にヘボピーがじりじりして、早く行こうよおと急かしたけれど、カナは私の真似をしてたくさん集めてくれた。
その花の種は今ベランダで芽を出したばかりだ。

神社の境内に飾られていた、小学生が描いた灯篭の絵に寸評を加えて回った時には、カナがなんと言ったかはっきりとは覚えていない。けれどいつもみたいにちょっと毒のある発言だったから、なんとなくムカッときて聞こえないふりをしたような気がする。

砂浜に接する海辺沿いの道では、人影がないのをいいことに、ここ、ゲイビーチなんだよ。それはS海岸じゃないのお?いや、こっちが本場らしいよ!と大声でしゃべりながら防波堤を越えるとそこにはバーベキューをする海パン姿の男性グループ。全員と目が合ってあわてて逃げた。あの人たちはゲイのグループだったのかな。

熱海にある古いホテル風のマンションにこっそりおじゃまして内部構造を観察した時には、ぐんぐん進む姉たちについてくるのがやっとのことだったのだろう。カナはぜいぜい息を切らしながら、それでもあとをついてきた。

明石海峡大橋に到着した時にはとうとう暑さに負けて、もうしんどいわ……と言いながら自販機でお茶を買っていたっけ。
そして橋脚のふもとまで歩いて橋の写真を撮ったのだけれど、あの時、どうして妹たちの写真を撮らなかったんだろう?最後にみんなそろって撮れたチャンスだったのに、という後悔はまだある。

帰宅したから翌日の夜まで、カナはずっと横になっていた。体力が衰えていたところへ強烈な日差しを浴びて体力の限界に達したのだろう(一年後の今日は台風一過、驚くほど気温は低いが、去年は猛暑だった記憶がよみがえった)

それでも翌日の夕方、寝てばかりだと駄目だよ、マヤを連れて一緒に散歩に行こうと声をかけると、弱々しい声でうーん、近所なら……と言うから徒歩10分のコープに行った。

前日にバスの乗車券を忘れたくらいで叱って急かしたという後悔があったから、あわてなくていいよ、先に下りてるけどあんたはゆっくりくればいいからね、と私には珍しく優しい言葉をかけた。
あの時、そう言ってやれてよかった。

マヤと一緒に一人が外で待たなくてはならないから、交代でコープに入った。カゴに好きなものを入れさせてから、私がまとめて勘定をした。
何でも好きなもの買っていいよと言ったのに、カナは一番安いアイスを選んだ。もっと高いの買えばよかったのに!と言うとこれでええねん、と笑っていた。

そこらじゅうクンクン嗅ぎまわって寄り道ばかりするマヤについて、アイスを食べながらのんびり歩いた時の、なんともいえないおだやかな気持ちは死ぬまで忘れないだろう。
40年も住んだ町の、ほとんど変わらない風景。小学生の頃はあの神社が怖かったんだとか、あの市営住宅の部屋を見たことあるけどすごく狭いんだよとか、他愛無い話をしながら、あれ、この子とこうしてのんびり歩くのって思ってたよりいいじゃんと思った。
子供っぽくて話をしてもあんまし楽しくないと思っていたけれど、二人とも年を重ねにつれてそれなりに話が合うようになってくるものだな。これがきょうだいというものなのかな、と。

その夜、最終バスに乗ってカナは自分の家に戻っていった。もうちょっといればいいのに!マヤちゃんも喜ぶし、と強く引きとめたものの、もう限界……と言い残して帰っていった。
なにが「限界」かは尋ねなかった。きっと「父がいた空間にいることが限界」なんだろうと思ったから、それ以上聞きたくなかったからだ。もうこの世にいない人をかたくなに嫌い続けるカナのことが情けなかった。

でも、大きな荷物を持って(いつも「もしかしたら必要になるかもしれないもの」でバッグをパンパンにしていたから)背中を丸めよちよちとバス停に向かう後姿を見ると急に可哀想になって、あわてて追いかけて一緒にベンチに座り、バスが来るまでバス停の向かいにある家の庭にある木の話なんかをしながら一緒に待った。
そうできて良かった。

その18日後、カナは死んだ。

連休が終わってすぐに、マンションの敷地内にある浮き船(盛り土をレンガで囲って木を植えてある)が駐車場設置のために取り壊されることを知った。
小さい頃から馴染んだ場所だから、最後に浮き船の前で三人そろって写真を撮らない?とヘボピーが提案した時には、いつもはそんなこと言わない子なのに珍しいことを……と少し驚いた。
でも、カナに「浮き船がなくなるから、日曜日にまた帰っておいてよ」声をかけたものの何の連絡もなくて、期待はしていなかったとはいえ、ダラダラ寝てばかりいて!と腹が立った。
だから休み明けに家までお菓子を持っていった時に、強い口調でどうして帰ってこなかったんだと言ってしまった。カナはまた泣きべそをかいて、ますます「いい年して……。」と情けなくなった。

それでも自分の足に合わなかった1万5千円もするウォーキングシューズを持っていたから、それを履かせてみた。けれど幅広なカナの足には合わなくて、バッグに戻した。(靴に足を突っ込む姿が、まるで今、目の前にいるように思い出される!)
そして部屋が異常に暑かったので、あんた、こんな部屋にいたら死ぬよ!?マクドででも涼んできなよ!と千円札を手渡した。
あの時、千円札ではなくてせめて5千円渡していれば……。マクドよりはましなものを食べられただろうに。いや、またパチンコに使ってしまっただろうか。

その一週間後、8月4日。それは最後に生きているカナに会った日で、心の一番頑丈な部分に慎重に保管してある一番大切な記憶だ。

銘柄を変えたせいで使わなくなった基礎化粧品と、会社で配られたお菓子(うちは取引先の土産がやたらと多くて、もらいものがすぐに空き缶一杯になるからたまる度にカナ宅に運んでいた)を持っていった。
カナの部屋はエレベーターのないアパートの四階。繁華街のど真ん中のベランダのない部屋で、ヒートアイランド現象のせいか異常なほど暑い。階段を上るだけで汗が滝のように流れ落ちる。

汗をふきふき合鍵でドアを開けると、珍しいことにカナが起きていた。パジャマじゃなくてちゃんと着替えていて、台所に立って何かしていた。

なぜだろう、その時のカナは別人のように元気そうで、明るい感じがしたものだから、私はびっくりしてしまってこう言ったのを覚えている。
「あんたどうしたん?!元気そうやん!」

それにカナがどう答えたかは覚えていない。そうやねんと言ったのか、そうかなあと言ったのか、それとも無言で微笑んだか。ただ、不思議なほどに明るかったこと、それからなぜだろう、黄色い服を着ていたようなとても強い印象がある。

現場検証の際に警官にこう尋ねられた。「最後に会った時にはどういう服装でしたか?」
それにこう答えた。「はっきり覚えていないのですが、黄色い服だった気がします」

本当に黄色だったかどうかは分からない。ただ、記憶の中にあるのは、山吹色に近い黄色い服を着たカナ。別人のように元気そうなカナ。
そして「これ、私はもう使わないからあんた使いなよ。けっこういいやつだよ」と化粧品を渡すと、前にもらったドクターシーラボがまだ残ってるから……と答えたカナ。
「えーっ?あんな前のがまだ残ってるの?」と驚くと、「大事にちょっとずつ、ちょっとずつ使ってるねん」と言った声は今でも鮮明によみがえる。

じゃあこれはいったん持って帰るわ、と化粧品をバックに戻すと、カナに渡すものはお菓子が少しだけになったことがちょっと引っかかった。もうちょっと何かやりたいな、小遣いかクオカードでも渡そうか。
しかしその翌週はお盆で、また姉妹三人で過ごす予定だったから、お金はそのときに取っておこうと考えてしまったのだ。
あの時、いくばくかの金銭を渡していれば、カナは栄養失調の末に死ぬことはなかったかもしれない、という後悔は飽きるほど繰り返した。もう後悔はいい。

お盆にはまたみんなで楽しくやろうね。漫画のレンタルするから一気読みしたりしようよ。またお寿司も食べに行こう。そんな話をして明るく別れた。
じゃあまた来るね、と言う私に、カナはいつものみたいに「ありがとう」と言った。
それが私が聞いた最後のカナの声だ。

翌日、8月5日火曜日の午前。
会社のOBが一人前4千円もするうな重を差し入れしてくれて、うなぎが苦手な同僚が「ミキさん食べてよ」とくれたものだから、昼休みに自転車を飛ばしてカナの家に行った。
でもカナは留守で(あとから分かったのだが神経内科に行っていたらしい。そしてこの時薬を変えたことが間接的な原因となって死んでしまった)高価なうなぎを冷蔵庫に入れるわけにもいかず、かといって暑い部屋に置いておくわけにもいかないから持って帰って、いつも話をするホームレスのおばさんに上げた。
その日の夜も整骨院の帰りにカナの家に寄ってご飯に誘おうかと思ったけれど、なんとなくだるくてそのまま自宅に戻った。

8月6日水曜日。
チェーンのうどん店がプリペイドカードを始めたというので、カナの分も買って持っていってやろうかと思ったけれど、家から10分以上離れたうどん店まで行くかどうか疑問だったからやめておいた。代わりに自分がもう使わないファックスをカナの家につけてやろう、とインクリボンを買った。

8月7日木曜日。
会社のお使いでカナの家から自転車で5分の場所まで行った時に、家をのぞこうかなと考えた。でもあの暑い階段を上るのがしんどくて、週末に会えばいいやと考え行くのは止めた。

そして金曜日、つながらない電話に不安を覚えて自転車で向かおうとすると同時に大雨に見舞われ、翌日土曜日は台風で一歩も家を出られなかったのは以前ここに書いた通りだ。
そして日曜日。倒れているカナを発見した。

こうして一連の流れを思い出してみると、カナが死ぬ一週間前から私はけっこうカナのことを気にしている。
そこには予感めいたものがあったのだろうか?あったとしても「死」という結果が確定してしまった今となってはどうでもいいことだけど。

ただ確実なのは死の三日前、最後に見たカナの表情が驚くほど晴れやかだったこと。そしてカナが私に言った最後の言葉が「ありがとう」だったこと。
それらの記憶はきっとこの先も私を力づけ、支えてくれることだろう。

カナの不思議な「晴れやかさ」については後に霊能者に指摘された点と妙に合致するように感じているのだが、そのあたりについては後日、霊能者との面談について書く時に改めて。

なお、台所テーブルにノートパソコンを開いてこれを打っている私に、布団から起きだしてきたヘボピーが唐突に言った。
「去年のこの三連休にカナとお寿司食べに行ったんじゃなかったっけ?」

カナ、やっぱりたまには話題にして欲しいのかな、と微笑みが漏れた。

2015年7月13日(月)

立川シネマシティのマッドマックス極上爆音上映、行ってきた。
土曜日の午前中は久しぶりに会う友人とお茶をして、昼過ぎに立川に向かい映画館に直行。上映開始時刻は6時半で、まだあと5時間もあるから席は選び放題のはず。
ククク……。こんな早くから劇場まで来た私えらい!!ファンの鑑じゃね?

だが、摂津の田舎もんはお江戸のMADを甘く見ていた。東京とそれ以外の地方では興行収入的に雲泥の差だと耳にしてはいたけれど、これほどまでに違うとは!
地元では土曜日でも観客10人以下とかで、映画興行業界の右肩下がりの未来に思いをはせつつ、東宝や松竹の株を空売りしたくなる事態だというのに。

一方こちら、花のお江戸でカウンターのアンちゃんに示された座席表。当日分、翌日分共に客がびっしりで、マトリックスのネオのエビそりよりものけぞった。
普通ならたとえ真ん中のブロックでも一つや二つくらいなら空いてそうなものだけど、几帳面な幼稚園児が塗りつぶしたぬりえみたいに空きがなく、色が変わっていない、すなわち空があるのは壁ぎわのみ。思わず「ぐうううぅ……」と声が漏れた。飛行機代3万もかけて飛んできたのにひどいっ!「地方枠」を設けてくれ!

でもここまで来て引き返すわけにもいかないので、泣く泣く一番マシな席を取った。土曜日は最後尾列の右のはしっこ二席(この日は友人と二人だったのだ)、日曜日は前から10列目くらいに一つだけ空いていた一番はしっこの席。
あーあ、映画は前から7列目くらいのど真ん中で観る主義なのに……。でもここしかないんだから仕方がない。最近「あきらめ」というものを覚えた私。


爆音上映は想像以上の熱量だった。はるばる東京まで来たことに
一片の悔いなしーっ!って拳を天に突き上げるほど素晴らしかった。
昔ニック・ケイヴのコンサートで鼓膜が破れそうな爆音に気分が悪くなって、耳にティッシュを詰めてホールの隅にうずくまった経験があるせいで、以前は「爆音上映」という言葉に警戒心があった。

でも、今回の爆音は無問題。もうちょっとでかくてもイケル!ってほど。
これがわざわざマッドマックス上映のために購入された上等なスピーカーを、音響のプロが慎重に調整した成果なのか!と感動した。
音響については無知だけど、椅子が震える重低音と登場人物のブツブツ声(特に主人公!(=´ω`=))が音割れもせずに共存してクリアに耳に届くって、多分すごいことなんだよね?

ただやっぱり不満だったのは席の位置。最後部だから音量が物足りない。でも明日はもっと前だから(はしっこだけど)マシだろう。明日に期待するか!泊まりで来てよかったわあ。

そして次の日。一泊4600円のわりにびっくりするほどクリーンで快適な立川ビジネスホテルの、びしっと糊がきいたシーツの上で目覚めたのは朝6時。

上映開始時刻は9時50分、15分前まで中に入れてくれないから早く行っても時間をもてあます。9時に宿を出て9時40分に現地に着くようにしよう。
時間はまだまだあると、コンビニでサンドイッチとホットコーヒーを買ってきて、ツイッターでマッドマックス関連のツィートを読んだり、関東地方の予報がまっさきに来る天気予報を見て旅気分を盛り上げたり、熱い風呂に入ったりとまったり過ごした。小旅行って案外いいものだなと楽しかった。

だが、時計と上映時間をプリントした紙と何度もにらめっこしていたくせに、私は「9時」と「10時」を勘違いしていたのだ。


10時ちょうどに部屋を出て、「すごく快適でした!帰ったらレビュー入れさせて頂きますねー」とフロントのおばちゃん(多分経営者)とにこやかに会話したりして、意気揚々と向かった映画館。
ドアの前には観客はおろか、チケット切りの映画館スタッフも、猫の子一匹すらおらず、ドアは死んだハマグリよりも固く閉ざされていた……。

やっちまった。

ショックでめまいがして倒れそうになった。一瞬「帰ろうかな……」と思った。
だが、こういう時マッドマックスの登場人物ならどうする?(すでに発想がアカン)
大切なのはあきらめないことだ!!

そーっとドアを押して真っ暗な部屋に入ると、スクリーンではトラックに乗ったフィリオサとマックスが低い声で会話していた。アカン……半分終わっとる……。一番好きなシーン(砂嵐に突っ込む前)見逃した……。

もちろん劇場内はまっくらだから、昨日確保した前方の席に行けるはずはなし。
せっかくマシな席を抑えたのになあ、また観に来ようかなあ、でもお金、キツいなあ……。いろんな思いをぐるぐるさせながら、他の人の迷惑にならないように最後部の壁にもたれて立っていた。

するとちょんちょん、とひじをつつく者がいる。暗闇に浮かび上がったのは最後尾列に座っていた人。彼は席を一つずれて空席を作って、ここに座れと身振りで示してくれたのだ。親切な若人よありがとう!!(明るくなってから見たら高校生くらいの子だったよ)

そんなわけで床に頭を打ち付けたくなるようなへまをかました私は、この週末の飛行機とホテルをおさえた。目的地はいわずもがな。
別に悪いことしてるわけじゃないけど……。なんかゴメン。

2015年7月9日(木)

一週間ぶりの更新がイモータン!ではテンション高すぎてかえって心配されそうなので、一番上にマヤちゃんの写真を置いてクールダウンしておきます。クマさんっぽいマヤちゃんとクリームパンっぽいマヤちゃんです。

今週末は立川シネマシティのマッドマックス爆音上映会に行ってまいります。イモータン!あ、また言っちゃった(=´ω`=)

2015年7月8日(水)

おはようございます!イモータン!(←マッドマックスの悪のカリスマを称える時に叫ぶ台詞です)

東京から戻って9日が経過したけどまだまだ元気。6月28日を境としてその前と後の私を比べると、カナブンとマンモスくらい違いがある。
と言いつつもダウナー期間が長かったせいで、元気な自分に半信半疑、しばらく経ったら元の黙阿弥だったらどないしよう……とヘボピーに漏らしては、ちゃーちゃは心配性すぎる!と叱られている。

それにしても驚きのあまり繰り返し自問自答してしまうのは、「人の心は外部からの刺激によってここまで変化するものなのか?」ということだ。
カナが死んでから6月27日までの約11ヶ月の苦しみの、本当のところは自分にしか分からない。そして今どれほど楽になったかも自分が一番知っている。

これまでは心に後悔しかなかった。カナが可哀想で可哀想で、守ってやれなかったと昼夜を問わず胸をかきむしった。でも今は私の中にカナがいて、一緒に闘っているような感覚がある。
記憶の中のカナは暗い顔をしてうつむいてなんかいない。最期に会った日の記憶のままに、驚くほどに晴れやかでどこか神々しくすらある。

それにつけてもタイミングも良かったとしみじみ振り返る。
霊能者に相談する前日にマッドマックスを観ていなければ、ここまで考えを改めることが出来たかどうかちょっぴりあやしい。また、映画だけでも立ち直るためのエネルギー量が足りなかっただろう。

最も信頼する人間に「占いには偽物も多いけど、この人なら相談してもいいと思う」と紹介された、つまり私にとっても比較的信頼のおける霊能者の口から出た、カナの死に思ってもみなかった方向から光を当てる言葉。
そして馬鹿馬鹿しいアクション映画でもあると同時に、「人間の尊厳」に思いをいたせと誘う作品。

この二つが上手い具合にかみ合って、苦悩から脱出する道──それは目を逸らしていただけで自分でも分かっていた気もするが──を指し示してくれた気がする。
いや、「マッドマックスに救われたあ!」と言うたびに、「そんな大層なこと言っててえーんか?モノはマッドマックスやで?!」と自分にツッこんじゃうんですけどね……。だって、胸のところだけ丸くくりぬいた穴あきスーツからむき出しになった乳首を四六時中いじっている、「人喰い男爵」なんて通り名のデブの紳士とか登場するようなBAKA映画なんですもの!

そんなこんなでひとまず元気にやってます。しかし体は正直でね……。この三年間ストレスでいじめられた肉体は精神ほどには速やかに快復してくれないので、足の方はアイキャンノットストップびりびり。
でもまあ、MRI診断の結果、脳の血管はとても綺麗だと脳神経外科医のお墨付きをもらえたので心配はひとつ減った。ジム通いを再開したいなとか、バイクの免許を取ろうかとか前向きな気持ちも出てきたので、そのうち快方に向かうと信じている。

それではまた!今日はレディースデーだからマッドマックス観に行くんだぜ!でもレディースデーでなくてもマッドマックス観に行くんだぜ!

2015年7月2日(木)

誇り高いマヤちゃん

とってもお利口そうですね!でも……。

食べ物の匂いのついたリュックなんかを見つけるや否や
あっという間にばかでわがままでいじわるな噛みつき犬になってしまうのです。

ハロー!ハロー!ハローキティー!(元気です)
スピリチュアルカウンセリング(もっと他の表現ないんか?)から四日が経過したけれど、今もカナのことを考えない状態は続いている。すごい快挙だ!
昨年8月11日からこちら、一日たりとも休むことがなかった心が「あー、仕事もやっとヤマ超えたから有給休暇を取ったろ」と、バリ島でエステシャンのぬるぬるマッサージを受けてる感じ。

正直言ってあっという間にもとの状態に戻ると思っていた。いや、一週間先には「やっぱダメだった……。」と書いている可能性もまだまだ残されている。ひょっとすると私は躁鬱病になってしまっていて、今は単に躁状態にあるにすぎないのかもしれない……といつもの悲観論者に戻ったりもする。
それでもこの心の軽さは父が他界するかなり前──片思いに浮かれまくっていた頃の状態に近い。とにかく楽で楽で、マッターホルンでヤッホー!と叫びたい気分なのだ。

霊能者はカウンセリングと同時にヒーリングをすると聞くが、私は目に見えない力によって癒されたのだろうか?それとも単に私の脳がうまく働いただけなのだろうか?まあどっちだろうと構わない。ただ「精神的に信じられないくらい楽になった」のは事実だから。

自分の考え方の変化が大きすぎて、人間、ここまで手のひらを返せるのか?と驚きを覚えながら、私が今の精神状態に至ることはカナ本人がずっと願っていたことなのかな、とふと思った。いや、あくまで死の先にあるものは無ではないという前提においてだが。

カナはずっと私に語りかけようとしていたのかもしれない。ちゃあちゃ、私はしっかり生きたんだよ、可哀想に思わないでと。でも、助けてやれなかったと思うばかりで固く心を閉ざした姉には声が届かなかったのかな……。何となくだがそう考えたりする。

それでは会社、行ってきます。今日は実家に帰ってツバメプロジェクト第二弾の実行、そんでもって明日は友人をひきずってマッドマックス観に行くよ!

2015年7月1日(水)

ようやく地獄から這い上がれた気がする。今の私はイモータン・ジョーの支配から解き放たれたフィリオサのごとく、晴れ晴れしい顔をしているに違いない。
(「マッドマックス 怒りのデスロード」、四の五の言わんとひとまず観れ!私は土曜日に初めて観たその足ですたすたとチケットショップに向かい、前売り券をとりあえず5枚ゲットしたぞ。)

地獄から這い上がるきっかけをくれたのは、昨年秋にカナの死亡日を確定したくて相談に行った東京の霊能者さん。
話すと長くなるので詳細は後日書くとして、マッドマックスに興奮しすぎて崖をよじ登る気力がほんのちょっぴりながら芽生えていた私に、「あとちょっとがんばれ!これにつかまって!」とロープを投げてくれたみたいな感じがすると言っておこう。

私の後ろにカナの霊が立っていたとか、降霊術で話せたとか、その手の現象を目の当たりにしたわけではない。ただ、カナの死に全く違った方向から光を当てて見せてもらったことによって、己のおごりに気付かされると同時に、「妹を救えなかった」という思いこみを捨ててようやく自分を赦すことができたようだ。

この吹っ切れぶりには自分でもただただ驚くばかりである。
霊能者に会うまでは、起きている間ずっとカナのことを考えていた。何をしていても思考に後悔がもぐり込んできて発狂しそうだった。それほどまでに酷い精神状態だったのが、カウンセリングだけでこれほど変わるってどういうこと?と信じがたい気分だ。
それでも霊能者のオフィスを出た瞬間から今に至るまで、カナのことはほとんど考えていない自分がいるのは事実で、たまに思い出しても「いい子やったなあ」と懐かしさに微笑みが漏れるだけだ。

今でも死後の世界とか転生とかそういうものに対して半信半疑な気持ちはある。でも、目に見えないものが存在しようとしまいと、存在を証明されようとされまいとどうでもいいと思うようになった。心の平和を保つにあたって、白い魔女の助言はこの上なくありがたいものだったことはゆるぎのない事実である。

そういうわけで、気力を取り戻すまでにはもうしばらくかかるでしょうが、ようやくトンネルを抜けた気持ちがするのでとりあえずご報告。書きたいことはたくさんあるので、近いうちにまたお会いしましょう。