2015年7月31日(金)
鶏手羽元の香味焼きをこんなスタイルで並べる時、お総菜スタッフはこのコマーシャルを思い浮かべていたにちがいない。 1998年、私が生まれて初めて買ったパソコンは初代iMacのボンダイブルー。もともとぜんぜん電脳系(死語)ではなかったため、パソコンの初購入は30代半ば。小学校で使い方を教わるらしい今の人たちに比べると、はじめ人間ギャートルズ並みに遅い。 ヨドバシで窓機ではなく Macを選ぶことになるきっかけはまさにこの「パソコンをいじってる人が今ほど多くなかった」点。 いや、ヨドバシの人に「日本ではMacユーザーはパソコンユーザー全体の2,3%しかいませんよ?」(あんたメカオンチみたいだけど大丈夫?)と聞かれたんだけど、「友人に教えてもらいますから!」と押し切った。 「マッハのように離陸する、スピード 233MHzの高性能PowerPC G3マイクロプロセッサ」と、今振り返ると別の意味で信じられないスペックのこのシリーズは、最初はボンダイブルーと白の二色しかなかった。 だがスティーブ・ジョブズ率いるアップルは時をおかずして「キャンディカラー」と銘打つオサレな部屋(当時比)にぴったりな5色展開を打ち、同時にテレビコマーシャルもガンガン流して、「Mac?あああのデザイナーのひとが使うマイナーなやつね」という認識があればいい方だった世の人々に、リンゴマークの存在感を知らしめたのであった。 ローリング・ストーンズの"She's a rainbow"(この曲聞きたさにCD買ったよ……)をBGMにあめ玉みたいなマシンがくるくる踊るコマーシャルはたまらなくイカしてて、当時は「なんでウィンドウズにしなかったの?」と変わり者扱いされがちだったMacユーザーとしては、「見たか!」って感じで恨みを晴らしたものだ。 アップルのテレビコマーシャルは今でもまだまだカッコいい。同じような映像でもアンドロイドのCFが微妙に「クサい」のに比べると、なぜアップルがいいと思ってしまうのか、単に自分がMacユーザーだからなのか?とか色々考える。 どうでもいいけど今は"She's a rainbow"といえば、進研ゼミのコマーシャルを思い浮かべる人の方が多いだろう。それってなんか青春時代の「いい思い出」に傷がつくみたいでムカッとするから、ベネッセホールディングズはあの曲使うのやめていただきたいわっ!(#^ω^) <追記>"She's a rainbow"のiMacコマーシャルもよかったけど、私が一番好きなのはコールドプレイが"Viva
La Vida"を歌うやつ。 |
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2015年7月30日(木) ![]() しゃれで「そふとまっくす」ってかいしゃのかぶをかったら、すとっぷだかになったとかいってよろこんでるよ。 もうけたおかねでたちかわにまっどまっくすをみにいくんだって。きらくなおはなしだね。
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2015年7月28日(火)
このうすぼんやりした感じ、黄泉比良坂っぽくてある意味痴漢より怖い。背後からついてくる不審者はイザナミだろうか。 P.S.元気です、俊平もといミキ、って40才over限定ギャグですいません。(そういえば「なぜか笑助」の「ズッ!」ってのギャグももう滅亡寸前なんだろうな。寂しいよね……) 前の日記から間があいておりますが、中国の在庫放出に伴う金価格の下落にも、不適切会計に揺れる東芝の株価下落にも負けず、黒ヒゲ危機一髪をやってるようなドキドキものの世界を横目に私は元気にやってます。 ただ一つ悩みをあげるなら、今週末から「マッドマックス 怒りのデスロード」の上映館が激減すること。映画館で観られなくなった後、DVD発売までマッマッ難民と化した我々にどうしろというのですか神よ!!!! まあ8月14日までは東京・立川のシネマシティさんが極上爆音上映をしてくれるという確約があるので、ひとまず不安を抑えこみつつ、夏バテしないようゆるーくやりますわー。 そうそうこの日記、このところやたらと誤字&単語の重複が多くて、ミキさんボケはじめてるのでは?と心配をかけるレベルであることは認識してるので大丈夫です。 あとから読み直して「あちゃーっ!」って部分はできるだけ訂正していますが、そのままになってる箇所も多いので、恥ずかしいけどそのあたりソフトにスルーして頂けると嬉しいです。 じゃ、今日もマヤちゃんの養育費(月額平均6万円)かせいできます。マヤちっち!おねえちゃんがんばるよ! |
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2015年7月19日(日) <注・自分のためのノートのようなものです。だらだら長いです。> 久しぶりにカナのことを考えている。でもいざ考えようとするとちょっとした努力が必要なことに気がついた。さび付いたドアノブを力まかせに回して、のんびりテレビなんか見ているカナを記憶の部屋から連れ出す、そんな感覚さえ覚える。
生きる気力も消え失せて、ぜいぜいいいながら仕事をするのが精一杯。一日も早く人生を終えたいと来る日も来る日も思いながらも、ここで死んでしまうと父と母とカナに合わせる顔がないから踏ん張らなきゃと自分に言い聞かせていた。順当にいけばまだあと数十年も生ざるを得ないことにうんざりして、このまま細かい粒子になって空気に混じって消えられたらいいのに……とばかり夢想していた。 だというのに、今は思い出すのに努力が要るようになるなんて! 本当はもっと思い出してあげなきゃならないのに、私、自分のことばっか考えるようになってるよ、ごめんね、と謝ると、それでいいんだよ、と心の奥からカナの声が響いてくる。 妹のことを考えることがほとんど無くなって驚いている、と親しい友人に話したところ、彼女は「ああ、カナさんのソフトを取り込んだね」と言った。 今、カナは私の中にいる感覚を覚える。「思い出の中に生きている」という意味とは違う。100%ではないけれど、カナの存在と自分の存在が重なり合った部分を感じるのだ。 I see the wind, oh I see the trees Everything
clear in my eyes. 後悔が消え失せて非常に助かっているが、もうすぐ一周忌でもあることだし、思い出を整理するため、カナとの最後の日々のことを少し書き留めたい。人の家族の思い出なんていう面白くもないものを長々とお聞かせして申し訳ないけれど、どうぞお許しを。 あれはちょうど一年前の今日のこと。7月の三連休にカナをこの家に呼んで、姉妹三人そろって三連休を過ごしたんだ。 株で儲けたからごはんに行こうよ、とバスと電車を乗り継いで回転寿司を食べに行く際に、忘れっぽいカナはバスの乗車券を家に置いてきたものだから、「あんたは忘れ物ばっかり!」と叱って取りに戻らせた。 寿司屋では小さい頃から好きだった「マグロのさび抜き」ばかり食べていたカナ。他のもどんどん食べなよと言うと、あんまし食欲ないし、私はこれさえあればええねん、と笑っていたな。 食事を終えてから駅まで一時間ほどぶらぶら散歩。 ピンクと黄色が混じった変わった色の花を咲かせているオシロイバナの種を集めた。人家の玄関先に生えていたものだから、一心不乱に集める私にヘボピーがじりじりして、早く行こうよおと急かしたけれど、カナは私の真似をしてたくさん集めてくれた。 神社の境内に飾られていた、小学生が描いた灯篭の絵に寸評を加えて回った時には、カナがなんと言ったかはっきりとは覚えていない。けれどいつもみたいにちょっと毒のある発言だったから、なんとなくムカッときて聞こえないふりをしたような気がする。 砂浜に接する海辺沿いの道では、人影がないのをいいことに、ここ、ゲイビーチなんだよ。それはS海岸じゃないのお?いや、こっちが本場らしいよ!と大声でしゃべりながら防波堤を越えるとそこにはバーベキューをする海パン姿の男性グループ。全員と目が合ってあわてて逃げた。あの人たちはゲイのグループだったのかな。 熱海にある古いホテル風のマンションにこっそりおじゃまして内部構造を観察した時には、ぐんぐん進む姉たちについてくるのがやっとのことだったのだろう。カナはぜいぜい息を切らしながら、それでもあとをついてきた。 明石海峡大橋に到着した時にはとうとう暑さに負けて、もうしんどいわ……と言いながら自販機でお茶を買っていたっけ。 帰宅したから翌日の夜まで、カナはずっと横になっていた。体力が衰えていたところへ強烈な日差しを浴びて体力の限界に達したのだろう(一年後の今日は台風一過、驚くほど気温は低いが、去年は猛暑だった記憶がよみがえった) それでも翌日の夕方、寝てばかりだと駄目だよ、マヤを連れて一緒に散歩に行こうと声をかけると、弱々しい声でうーん、近所なら……と言うから徒歩10分のコープに行った。 前日にバスの乗車券を忘れたくらいで叱って急かしたという後悔があったから、あわてなくていいよ、先に下りてるけどあんたはゆっくりくればいいからね、と私には珍しく優しい言葉をかけた。 マヤと一緒に一人が外で待たなくてはならないから、交代でコープに入った。カゴに好きなものを入れさせてから、私がまとめて勘定をした。 そこらじゅうクンクン嗅ぎまわって寄り道ばかりするマヤについて、アイスを食べながらのんびり歩いた時の、なんともいえないおだやかな気持ちは死ぬまで忘れないだろう。 その夜、最終バスに乗ってカナは自分の家に戻っていった。もうちょっといればいいのに!マヤちゃんも喜ぶし、と強く引きとめたものの、もう限界……と言い残して帰っていった。 でも、大きな荷物を持って(いつも「もしかしたら必要になるかもしれないもの」でバッグをパンパンにしていたから)背中を丸めよちよちとバス停に向かう後姿を見ると急に可哀想になって、あわてて追いかけて一緒にベンチに座り、バスが来るまでバス停の向かいにある家の庭にある木の話なんかをしながら一緒に待った。 その18日後、カナは死んだ。 連休が終わってすぐに、マンションの敷地内にある浮き船(盛り土をレンガで囲って木を植えてある)が駐車場設置のために取り壊されることを知った。 それでも自分の足に合わなかった1万5千円もするウォーキングシューズを持っていたから、それを履かせてみた。けれど幅広なカナの足には合わなくて、バッグに戻した。(靴に足を突っ込む姿が、まるで今、目の前にいるように思い出される!) その一週間後、8月4日。それは最後に生きているカナに会った日で、心の一番頑丈な部分に慎重に保管してある一番大切な記憶だ。 銘柄を変えたせいで使わなくなった基礎化粧品と、会社で配られたお菓子(うちは取引先の土産がやたらと多くて、もらいものがすぐに空き缶一杯になるからたまる度にカナ宅に運んでいた)を持っていった。 汗をふきふき合鍵でドアを開けると、珍しいことにカナが起きていた。パジャマじゃなくてちゃんと着替えていて、台所に立って何かしていた。 なぜだろう、その時のカナは別人のように元気そうで、明るい感じがしたものだから、私はびっくりしてしまってこう言ったのを覚えている。 それにカナがどう答えたかは覚えていない。そうやねんと言ったのか、そうかなあと言ったのか、それとも無言で微笑んだか。ただ、不思議なほどに明るかったこと、それからなぜだろう、黄色い服を着ていたようなとても強い印象がある。 現場検証の際に警官にこう尋ねられた。「最後に会った時にはどういう服装でしたか?」 本当に黄色だったかどうかは分からない。ただ、記憶の中にあるのは、山吹色に近い黄色い服を着たカナ。別人のように元気そうなカナ。 じゃあこれはいったん持って帰るわ、と化粧品をバックに戻すと、カナに渡すものはお菓子が少しだけになったことがちょっと引っかかった。もうちょっと何かやりたいな、小遣いかクオカードでも渡そうか。 お盆にはまたみんなで楽しくやろうね。漫画のレンタルするから一気読みしたりしようよ。またお寿司も食べに行こう。そんな話をして明るく別れた。 翌日、8月5日火曜日の午前。 8月6日水曜日。 8月7日木曜日。 そして金曜日、つながらない電話に不安を覚えて自転車で向かおうとすると同時に大雨に見舞われ、翌日土曜日は台風で一歩も家を出られなかったのは以前ここに書いた通りだ。 こうして一連の流れを思い出してみると、カナが死ぬ一週間前から私はけっこうカナのことを気にしている。 ただ確実なのは死の三日前、最後に見たカナの表情が驚くほど晴れやかだったこと。そしてカナが私に言った最後の言葉が「ありがとう」だったこと。 カナの不思議な「晴れやかさ」については後に霊能者に指摘された点と妙に合致するように感じているのだが、そのあたりについては後日、霊能者との面談について書く時に改めて。 なお、台所テーブルにノートパソコンを開いてこれを打っている私に、布団から起きだしてきたヘボピーが唐突に言った。 カナ、やっぱりたまには話題にして欲しいのかな、と微笑みが漏れた。 |
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2015年7月13日(月) 立川シネマシティのマッドマックス極上爆音上映、行ってきた。 だが、摂津の田舎もんはお江戸のMADを甘く見ていた。東京とそれ以外の地方では興行収入的に雲泥の差だと耳にしてはいたけれど、これほどまでに違うとは! 一方こちら、花のお江戸でカウンターのアンちゃんに示された座席表。当日分、翌日分共に客がびっしりで、マトリックスのネオのエビそりよりものけぞった。 でもここまで来て引き返すわけにもいかないので、泣く泣く一番マシな席を取った。土曜日は最後尾列の右のはしっこ二席(この日は友人と二人だったのだ)、日曜日は前から10列目くらいに一つだけ空いていた一番はしっこの席。
でも、今回の爆音は無問題。もうちょっとでかくてもイケル!ってほど。 ただやっぱり不満だったのは席の位置。最後部だから音量が物足りない。でも明日はもっと前だから(はしっこだけど)マシだろう。明日に期待するか!泊まりで来てよかったわあ。 そして次の日。一泊4600円のわりにびっくりするほどクリーンで快適な立川ビジネスホテルの、びしっと糊がきいたシーツの上で目覚めたのは朝6時。 上映開始時刻は9時50分、15分前まで中に入れてくれないから早く行っても時間をもてあます。9時に宿を出て9時40分に現地に着くようにしよう。 だが、時計と上映時間をプリントした紙と何度もにらめっこしていたくせに、私は「9時」と「10時」を勘違いしていたのだ。
やっちまった。 ショックでめまいがして倒れそうになった。一瞬「帰ろうかな……」と思った。 そーっとドアを押して真っ暗な部屋に入ると、スクリーンではトラックに乗ったフィリオサとマックスが低い声で会話していた。アカン……半分終わっとる……。一番好きなシーン(砂嵐に突っ込む前)見逃した……。 もちろん劇場内はまっくらだから、昨日確保した前方の席に行けるはずはなし。 するとちょんちょん、とひじをつつく者がいる。暗闇に浮かび上がったのは最後尾列に座っていた人。彼は席を一つずれて空席を作って、ここに座れと身振りで示してくれたのだ。親切な若人よありがとう!!(明るくなってから見たら高校生くらいの子だったよ) そんなわけで床に頭を打ち付けたくなるようなへまをかました私は、この週末の飛行機とホテルをおさえた。目的地はいわずもがな。 |
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2015年7月9日(木)
一週間ぶりの更新がイモータン!ではテンション高すぎてかえって心配されそうなので、一番上にマヤちゃんの写真を置いてクールダウンしておきます。クマさんっぽいマヤちゃんとクリームパンっぽいマヤちゃんです。 今週末は立川シネマシティのマッドマックス爆音上映会に行ってまいります。イモータン!あ、また言っちゃった(=´ω`=) |
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2015年7月8日(水) おはようございます!イモータン!(←マッドマックスの悪のカリスマを称える時に叫ぶ台詞です) 東京から戻って9日が経過したけどまだまだ元気。6月28日を境としてその前と後の私を比べると、カナブンとマンモスくらい違いがある。 それにしても驚きのあまり繰り返し自問自答してしまうのは、「人の心は外部からの刺激によってここまで変化するものなのか?」ということだ。 これまでは心に後悔しかなかった。カナが可哀想で可哀想で、守ってやれなかったと昼夜を問わず胸をかきむしった。でも今は私の中にカナがいて、一緒に闘っているような感覚がある。 それにつけてもタイミングも良かったとしみじみ振り返る。 最も信頼する人間に「占いには偽物も多いけど、この人なら相談してもいいと思う」と紹介された、つまり私にとっても比較的信頼のおける霊能者の口から出た、カナの死に思ってもみなかった方向から光を当てる言葉。 この二つが上手い具合にかみ合って、苦悩から脱出する道──それは目を逸らしていただけで自分でも分かっていた気もするが──を指し示してくれた気がする。 そんなこんなでひとまず元気にやってます。しかし体は正直でね……。この三年間ストレスでいじめられた肉体は精神ほどには速やかに快復してくれないので、足の方はアイキャンノットストップびりびり。 それではまた!今日はレディースデーだからマッドマックス観に行くんだぜ!でもレディースデーでなくてもマッドマックス観に行くんだぜ! |
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2015年7月2日(木)
![]() あっという間にばかでわがままでいじわるな噛みつき犬になってしまうのです。 ハロー!ハロー!ハローキティー!(元気です) 正直言ってあっという間にもとの状態に戻ると思っていた。いや、一週間先には「やっぱダメだった……。」と書いている可能性もまだまだ残されている。ひょっとすると私は躁鬱病になってしまっていて、今は単に躁状態にあるにすぎないのかもしれない……といつもの悲観論者に戻ったりもする。 霊能者はカウンセリングと同時にヒーリングをすると聞くが、私は目に見えない力によって癒されたのだろうか?それとも単に私の脳がうまく働いただけなのだろうか?まあどっちだろうと構わない。ただ「精神的に信じられないくらい楽になった」のは事実だから。 自分の考え方の変化が大きすぎて、人間、ここまで手のひらを返せるのか?と驚きを覚えながら、私が今の精神状態に至ることはカナ本人がずっと願っていたことなのかな、とふと思った。いや、あくまで死の先にあるものは無ではないという前提においてだが。 カナはずっと私に語りかけようとしていたのかもしれない。ちゃあちゃ、私はしっかり生きたんだよ、可哀想に思わないでと。でも、助けてやれなかったと思うばかりで固く心を閉ざした姉には声が届かなかったのかな……。何となくだがそう考えたりする。 それでは会社、行ってきます。今日は実家に帰ってツバメプロジェクト第二弾の実行、そんでもって明日は友人をひきずってマッドマックス観に行くよ! |
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2015年7月1日(水) ようやく地獄から這い上がれた気がする。今の私はイモータン・ジョーの支配から解き放たれたフィリオサのごとく、晴れ晴れしい顔をしているに違いない。 地獄から這い上がるきっかけをくれたのは、昨年秋にカナの死亡日を確定したくて相談に行った東京の霊能者さん。 私の後ろにカナの霊が立っていたとか、降霊術で話せたとか、その手の現象を目の当たりにしたわけではない。ただ、カナの死に全く違った方向から光を当てて見せてもらったことによって、己のおごりに気付かされると同時に、「妹を救えなかった」という思いこみを捨ててようやく自分を赦すことができたようだ。 この吹っ切れぶりには自分でもただただ驚くばかりである。 今でも死後の世界とか転生とかそういうものに対して半信半疑な気持ちはある。でも、目に見えないものが存在しようとしまいと、存在を証明されようとされまいとどうでもいいと思うようになった。心の平和を保つにあたって、白い魔女の助言はこの上なくありがたいものだったことはゆるぎのない事実である。 そういうわけで、気力を取り戻すまでにはもうしばらくかかるでしょうが、ようやくトンネルを抜けた気持ちがするのでとりあえずご報告。書きたいことはたくさんあるので、近いうちにまたお会いしましょう。 |