2015年4月28日(火)

ご無沙汰してます……と書いて下の日記の日付を見ると24日。それほどご無沙汰してませんね。
イメージ的にはけっこう長いことここを放置していた感じだったんだけど、中3日なんて野球の先発ローテーションでもがんばりすぎなレベル。しんどいしんどいと言いながら、意外と大丈夫なんじゃないの?と己に問う朝。

でもまあ、地を這うような精神状態ななことは事実。ここ4,5日間かなりキツくてな……。体調が悪いせいもあるだろうが(足がしびれて痛いのよ)、哀しみがカナを喪った直後のものから変質してきたみたいで、ひどい虚無感がじわじわと体に染みこんでくる感じがする。

何に対しても興味が持てず、やりたいことも行きたいところも食べたいものもない。これまでの自分の人生がひどく無益で馬鹿げたものに思えてたまらない。(友人にこう話したら、「更年期障害もあるんじゃない?」と指摘された。確かにな。)

日常生活のあらゆる行為をカナの思い出に紐付けてしまって、ほんのささいな行為──たとえばスーパーでお菓子を手に取った時でも「カナはこんなものすら買えなかったんだなあ」と思うと急激に買う気が失せて、棚に戻してしまうんだわ。

でも、来る日も来る日もカナが生きてればなあ、と泣きたい気分でいるんだけど、人からどれほど「済んだことは考えるな」と言われようと、考えないことは私には無理だと分かった。だから私は「思い出しちゃダメだ」と自分に強制する辛さよりも、思い出す辛さの方を選んだ。

思い出してやることは死者を「言祝ぐ」ことにつながると霊能者に指摘されたこともあって、もうなんていうか、来る日も来る日も内臓がわしづかみにされているような辛さと格闘しながらも、カナにまつわるあらゆる思い出をトレースしようとしている。

もう、時々どうしていいか分からなくなって、渋谷のスクランブル交差点の真ん中で気が狂った真似をして転げ回ったら気持ちいいかなあ、と想像したりするんだが、そんなことしたら会社のデスクがなくなること必至なので、定年退職まであと10年、なんとか乗り切る所存である……ってやっぱ長いなあ、10年間。

2015年4月24日(金)

先日メガネをかけている上からメガネをかけようとしていた……。もうアカン。

一時はよく眠れるようになったと喜んでいたけど、そうは問屋がおろさない。……ってこの言葉、普通に使ってるけどまじまじ見るとなんか変よね。
「問屋がおろす」ってあの問屋なのか?と思ってコトバンクで検索したところ、「そんな安値では問屋が卸売りしない。そんなにぐあいよくいくものではないというたとえ」とあった。なーんだ、あの問屋そのものなんだ。

……とどうでもいいことに思考がそれたが、離別の苦悩から速やかに立ち直ろうとしても、そうは問屋がおろさない。ここしばらく「哀しみの第二波」と呼びたくなるものに襲われていて、またしても夜中に目覚めて眠れなくなるよろしくないパターンに陥っており、もう勘弁してくれよ!って感じなのだ。

総てが虚しい……。庭のある小さな家を買って、三人姉妹で静かに老後を過ごすことが今思うと私のささやかな目標だった。だからお金を得るために一生懸命働いていた。
だけど今はもう何もない……。マヤもそう長くは生きないからその後どうなってしまうのか想像すると恐ろしい。たった一つだけでいいから希望が欲しい……。

ストレスフルスロットルで頭の血管が切れそうだったものだから、エア抜きのために昨夜はそんなメールをヘボピーと友人二人に送りつけたけど、午前三時半にうつメールでたたき起こされる方はたまったもんじゃないわな。迷惑かけてごめんちゃい。

……と言いつつも、日が昇ると気を取り直してこうしてパソコンを立ち上げ文章をつづり、遅刻せずに会社に行けてるから、最悪の状態ではないんだろうなと自己分析する。

まったくもって色々としんどいけれど、自死なんてすると命がもったいないから投げちゃダメだと己に言い聞かせる毎日だ。

老い、そして人生の最終章とはこういうものだと腹をくくって、というか受容して、これ以上体調を崩さない程度にだましだまし行くしかないですなぁ。

車のフランケンシュタインだ。ガムテープなんかじゃなくてせめて木工用ボンドでくっつけてやれよ。

2015年4月21日(火)

ヘボピーと昔話をしていると、全く覚えていない話が飛び出して驚かされることが多い。
たとえば「ヘボピーと水」。ヘボが小学生で私が中学生の頃、寝ている妹に忍び寄った姉が、ぽかんと開いた口に水を注ぎ入れたらしいのだ。ヒデェ!

ヒデェと言いつつも、かすかな記憶がよみがえったわ。そういえばあの時はたしか、金魚も入れて泳がせようとしてたんだっけ……。
でも口は金魚鉢じゃないから水を注入した時点でむせて飛び起きたヘボピーが、その40年後、白髪になった姉とこうして思い出話することになるとは。ラララ〜♪時がたつのってあっというま〜♪

他にもいろいろと出た思い出話のうち、「おかあさんとウズラ」も私は覚えていなかった。これもヘボピーが小学生の頃に、大丸が先着順でウズラのひなを配っていた話。
それを知った母は「ウズラのひなみたいなすぐ死んでしまうものを誰彼なしに配るなんてひどいっ!」と怒っていたというけれど、ひょっとするとあわてて大丸に並びに行ったもののすでに配布は終わっていて、くやしまぎれにそう言ったのかもしれない。

だって母には若い頃、「アヒルに赤い蝶ネクタイをつけて一緒に散歩しようとして(当時そういう靴メーカーのCMがあったのだ)ひなを飼いはじめたものの、すぐに死なせてしまった」前科があるものだから、ウズラのひなも欲しがりそうだなあと思うのだ。
「大事に可愛がってたのにだんだん弱ってきて、最後にはぴぃ……ぴぃ……って鳴いて死んでしまった」とアヒルのひなのこと、おかあさんよく話していたっけ。

こういう話題になるといつも、「あれって本当はどうだっけ?」とすぐに親に確認ができる人がひどくうらやましくなる。
私の家族は今やヘボピーしか残っていないから、ヘボの持っていない記憶をどうしてもたぐり寄せたい時には親戚のもとを訪ねたりする。だが、離れて住んでいる親戚の記憶は同居家族のそれに比べると漠然としているから、私はいつも不完全燃焼だ。

子供の記憶はあやふやものだが、大人になった今、親と一緒に幼少時代の記憶をなぞる作業はぜったい楽しいはずで、それだけで初老期を愉快に生きられただろうに、と残念でたまらない。父も母も視点が面白くて話題の多い人だったからなおのこと。

まあ、終わってしまったことを嘆いても仕方がないわい……。このところ昼夜を問わず足が痛むせいで、どうも思考が後ろ向きですごめんちゃい。

それにしても驚くのはあの大丸デパートが客寄せに「うずらのひな」を配っていたことである。昭和、おそるべし。

そういえば地元に「センター街」というアーケード街があるのだが、その中でも市内で一番地価の高い、今では野村証券とGAPと丸井の場所に、夜になるとミニウサギとかひよこの屋台が並んでたもんな……。祭りでもあるまいし、昭和、おそるべし。

どこをどう突っ込めというのか。(ヘボピー採取)

2015年4月17日(金)

以前「耳かき専門店」のことを小耳にはさんだのだが、今でもそういう店、あるのかな。いや、娘さんがひざまくらで耳かきしてくれるマドモアゼルノンノンな店ではなくて、先っぽにライトがついたプロ用ツールとかを使って、自分では取れない耳垢もごっそり撤去。「えっ?こんなに!!!」とのけぞる成果を見せてくれる、そういう店のことだ。

もしあったら行きたいなあ。3500円までだったら出すのになあ……とか思いながら、先端にダルマがついた耳かきでぼんやりと耳をほじくる金曜の朝。
少し前まで夜はよく眠れるパターンだったのに、人の心って波がある。何があったわけでもないけど、ここしばらく凹みが激しくてな……。夜中に何度も目覚めてうつモード発動するせいか、今日も体調イマイチなんだわ。
首が痛くて偏頭痛が出てて足がしびれてて、もう、何科に行けっちゅーねん!!と誰もいない部屋でキレる真似をしたりして。

でもまあ、今日一日働いたらお休みだからがんばるか……。毎週末はマヤ感謝デーだから、犬と一緒にのんびり過ごすのだ。

犬といえばけさ、「犬と飼い主、人間の母子と同じ絆 見つめて安心ホルモン増」というニュースを目にした。(「みつめてあんしん ほるもんぞう」ってリズムが標語みたい)

犬が飼い主を見つめ、飼い主が応じてなでたりすると、お互いの体内に安心を感じるホルモン「オキシトシン」が増加すると、麻布大などのチームが17日付米科学雑誌サイエンスに発表した。
人間の赤ちゃんと母親が絆を強める仕組みと同じという。マウスの母子もオキシトシンで絆を強めることが知られるが、人と犬という異なる種間で確認されたのは初めてという。犬と近縁のオオカミでも調べたが、同様の反応はなかった。
チームの永沢美保・自治医大博士研究員(動物行動学)は「犬と人の間の特別な絆は、古くからの家畜化と通して進化したのだろう」と話している。【共同通信】

犬との絆は確実にあると愛犬家なら誰でも思っているけど、科学的に証明されると胸熱だ。それも人間が安らぎをもらうだけではなくて、犬の側も安心を感じていると知ってとても嬉しい。

このニュースを読んで思い出したのは、先日マヤと見つめ合った時のこと。
夜中に目覚めて眠れなくなって、カナのことばかり考えて辛くて辛くてたまらなかった夜。もなんかもう、全てがイヤになってきたなあ、と悲しい気持ちでトイレに座っていると、開いたドアの向こう側から、ふかふかした茶色の物体がじっとこちらを見つめている。
「おいで」と手招きすると、たたたた……と走ってきて頭をなでさせるや、「きゅー」と一声鳴いて後足で立ち上がって、くるっときびすをかえしてたたたた……と去っていった。

一体何がしたかったんだ?とあっけに取られながらも、おどけた動作がもうたまらなく可愛くて、鬱々とした気分がちょっと晴れた。
で、お陰でその夜はすぐに眠れたんだけど、夜中のトイレでマヤと見つめ合った私の体内では、オキシトシンが猛烈に分泌されてたんだろうな。

……そうこうするうちに集金、いや出勤時間。マヤの養育費をかせぎに会社行ってきます。

2015年4月15日(水)

今日はとっても いい天気。昨日の雨風 うそのよう。昨日がこんなお天気だったら、お手手にケガをしなかった。(自転車ごと風にあおられて電柱に激突、手がキズだらけです)世の中うまく いきません。……と今日も意味なく ムカつくの。きっと更年期のせいでしょう。

……じゃ、気を取り直してマヤマヤ大行進、はじまるよ!(迷惑)

マヤちゃんはこれまで「自分のものは自分のもの。人のものも自分のもの」という姿勢を一貫して保持してきました。

ものすごく力が入った後ろ姿です。肩のあたりが緊張しているのがお分かりでしょう。もちろん「うううううう」と低く唸っています。

そもそもドッグフードはマヤのものなのですから、守ったって当たり前でしょう。たとえそれがカリカリ一粒も入っていないからっぽの袋であっても!

「人のものも自分のもの」の一例です。こたつの上に置いたおねえちゃんのリュックがちょっと目を離したすきに「ぼくのもの」になってしまいました。

リュックの中には何も入っていません。ただ鶏の唐揚げの残り香がついているだけです。
でもマヤちゃんはお手手まで使ってリュックを守り抜こうとしています。馬鹿な犬!馬鹿な犬!馬鹿な犬!

ガルルルルル……と地獄の番犬そこのけのうなり声を上げながら、ヘボピーねえちゃんのバッグを守っています。
あぶない!手を出すと確実に「殺られる」(噛みつかれる)るパターンだ!

「ぼくのもの」にいうっかり手を出した結果、おっきいねえちゃんは4回、ヘボピーねえちゃんは軽く30回はガブられました。
いつもはこんなに可愛いワンちゃんだというのに!

当然のように抱っこされています。それもそのはず。敷地内ではワンちゃんは抱っこしなくてはならないという超ウザいマンション規約があるのです。

もうこんな家住みたくない!一戸建てに引っ越したいYO!(更年期うつ再発)

だっこ、いいわねえ(=´ω`=)と笑ってるあなた、だっこしてみてください。12キロをだっこして四階まで階段を上がるのはけっこうキツいものです。

きちゃない足の裏です。玄関先でこれをふくのは決まりなのに、悪いマヤちゃんは時々足をふかないまま部屋に走って入るのです。不潔です。

こんなおっきなぬいぐるみがニトリでは980円だなんて信じられますか奥さん!?さすがお値段以上ニトリだけあるわぁ!……と、まえに株の空売りでえらい目に遭ってから、ニトリには逆らわないあたくしです。

これは「抱きまくら」として売られていたものですが、我が家ではマヤちゃんのお気に入りのおともだちです。

でも、おともだちは時々こうしていぢめられています。本当は「おともだち」じゃなくて「どれい」なのではないかしら。

おねえちゃんが見ていないと思って悪いことをしています。

なにかなめています。

視線に気付いて「ハッ!」としたマヤちゃん、いたずらをやめてとぼけています。きゅるんとしたってだまされないぞ!!

おまた、ぱかーん。

マヤマヤ大行進、まだまだつづくよ!(迷惑)

2015年4月14日(火)

さっきまで家族の夢を見ていた。私にとっては非常にショッキングな夢。夢に過度の意味を求めても仕方がない気もするし、ショックといってもかなり個人的なものだ。

それでも目覚めた時に、これは忘れないうちにメモを取っておいた方がいいと感じたので、水を一杯飲んでからパジャマのままパソコンに向かっている。夢の中でおそろしく緊張していたせいか、体がこわばって節々が痛い。


夢の中で父と殺し合いをしている。よく知っている呑気な父が、ニコニコしながら凶器を手に追ってくるのだ。
追われながらも説得につとめたり、なだめようとして食べ物を渡そうとする。でも父はターミネーター並みの執拗さで追いかけてくるから、生き延びるため私も凶器を取って父と対峙した。
ナイフや鈍器は言うに及ばず、眼窩を狙ってボールペンを振り回したりもした。でも父はボールペンを奪い取るとバリバリと噛み砕いて、ひるむことなく襲ってくる。

そこからしばらく時間が経過して(その間の展開は記憶に残っていない)私は荒れ果てた道をカナと並んで歩いている。後ろからはかなり落ち着いた様子で足取りをゆるめた父がふらふらついてきている。
軒先のツバメの巣を見上げた父が「ひなが美味しそうだ」などと言うもので、「お父さん!そんな可哀想なことぜったいしちゃ駄目!」と叱りとばしながら、動物に優しい人だったからこんなこと言うはずないのに……と怒りに体を震わせている。

足元を気にしながら歩くカナと手をつないでいたような気もするし、いなかったような気もする。とにかく隣にいる妹に「カナ、あんたに会いたくて仕方がないのに夢の中でしか会えない」と言って私は泣いた。
それにカナがどう答えたかは覚えていない。「仕方ないよね」という風な返事だったろうか。

それからカナは少し口ごもっていたが、勇気を出したように私に言うのだ。「あのね、お父さんが……。」だが、私はその言葉をさえぎった。「分かってる。分かってるよ。でも言わなくていい」
そこで目が覚めた。なにかがすとんと腑に落ちた気分だった。

これまでにこの日記を通じ、私たち家族について断片的に知ってくださっている方々には、きっと不思議に思われているだろう。どうしてカナさんは親も姉もいるのに生活保護を受けながら独り暮らしをしていたのか、と。
また、カナと父との間の確執についてご存知の方なら、お父さんが亡くなったのに、なぜカナさんはうちに帰ってこなかったのかな?とお思いかもしれない。

私自身これまでなぜ?なぜ?と思い続けていたし、カナの死後も父に対する態度は許せなかったし、「家族が差し伸べた手を握り返そうとしなかった本人の責任もある」と考えていた。

しかし、カナの父に対する気持ちは「反発」や「嫌悪」といった生やさしいものではなく、むしろ「恐怖」と呼ぶべきものだったのかもしれない、と私自身が父に追いかけられる夢を見て思ったのだ。


カナと父との対立は30年以上の長きに渡り、とても根が深い。いや「対立」と言うよりも、カナ側の嫌悪によって一方的に引き起こされる軋轢。なぜなら父は娘がそこまで自分を嫌っていることが死ぬまで理解できず、ある種の無頓着さをもって父なりにカナのことを心配していたから。

親戚が皆口を揃えて言うのには、幼い頃はカナが一番父に可愛がられていた。だというのに、小学校の高学年になった頃に突然生じた(ように見える)「手を洗う」という行為で父への嫌悪がじわじわと表出し、中学校に上がる頃にはもう、家族を巻き込んでむちゃくちゃだった。

隣の部屋から父の声が聞こえただけで、それがたとえ夜中であっても近所の人たちが飛び起きるような声で絶叫し、「けがれ」を洗い流すために部屋に水をまいた。いつも近所からの苦情に平謝りだった母。

学校にも行かなくなり、迎えに来た先生の手を振り払って暴れ、父とカナの板挟みになって憔悴しきった母はアル中の一歩手前になってしまった。
私は早々に家を出たので荒れ果てた家族史の全貌は知らないが、残された高校生のヘボピーは、カナが叫び出すと部屋に閉じこもり耳をふさいで息を潜めているしかなくて、陰鬱とした青春を送った。(ストレスフルすぎてあの頃のことはなんにも覚えてないとヘボピーは言う)

精神科医の門も叩いたものの、「悪いのは本人ではなくお母さん」などととんちんかんなことを言われ、状況はますます悪化。
思春期を過ぎればおさまるだろうと母は考えたようだが改善の兆しはなく、カナのために別の家を借り、そのままカナは死に至る日まで独り暮らしを続けることになる。


客観的に見れば、カナが家族をめちゃくちゃにしたようなものだ。また、正直言うと、カナが生きている頃、私とヘボピーはしばしば「カナがいなかったら私たち、変人のお父さんと愉快なお母さん、娘二人の仲のいい家族でいられたかもしれないのにね」と話したものだ。
(また「カナの生まれてきた意味っていったいなんなんだろう?」とも話したものだが、これはカナ本人が深く悩んでいた重要な事項だし、私もこれから熟考するべき点だから、別の機会に改めて触れたいと思う)

そういう経緯を経てきたものだから、私もヘボピーもカナに対して全面的には「守ってやるべき可愛い妹」とはとらえられなかったこと、そして、「これまであんなに家族に世話かけといて、今さら何いってんのよ」という腹立たしさをぬぐい去れなかったことは、仕方のないことだと思う。
ましてや父の死後もカナは実家に帰ってこようとしなかったのだから。

日中、マヤの世話をしていた父がいなくなったこともあり、「もうお父さんはいないんだから、マヤと一緒にいてやってよ」と私は何度もカナに頼んだ。
散歩がしんどければ行かなくていい。ただ、マヤがひとりぼっちじゃないというだけで私たちは精神的にすごく助かる。うちにあるものは何でも食べてもいいしお小遣いもあげる。一日中寝てたっていいんだから、お願いだから家に帰ってきて。
そう言って私は手を合わせて頼んだ。でも、帰ってこなかったのだ。「父が存在した空間」に対する嫌悪感を、もうどうしても捨てられなかったのだろう。

姉妹で食卓を囲むとき、カナは体を斜めにして食事した。「父の部屋だった方向」が目に入るのが嫌だと分かっていたし、諦めて何も言わなかったが、目の前で体を斜めにされると腹が立つやら情けないやら。
「洗濯物ほしといて」と頼むとやってくれるのだが、裸足でベランダに出た。ベランダのサンダルは父がはいていたものだからだ。
「お母さんの写真、アルバムに整理したから見る?」と尋ねると、「うん!見る」と答えるが、念のため「お父さんの写真も混じってるよ」と付け加えると「じゃあいいわ」となる。

私は父が好きだったし、優しくしてやれなかったことに今でも後悔があるから、いなくなった人に対して憎しみを捨てられないそんな態度を見て、死者を汚されるようで腹が立ってたまらなかった。そんなに嫌ならもう、勝手にしろと思っていた。

でも、それは間違いだったとようやく気付いた。

自分がなぜ父をあれほど憎むのか、カナからこれまでに何度か聞いたことがある。小さい頃お父さんに首をしめられてそれがトラウマになっているのだ、と。

父はカッとなると手が出る人だったから、可能性としてそれはゼロではないだろうと母も私もヘボピーも思っていた。だが、自分が家族に対してしたことを、「トラウマ」のせいにされると、そりゃないだろと思ってしまうのも、家族の正直な感想だ。

しかしあの夢を見たことによって、カナの嫌悪、恐怖について、一部だけでも理解できたと感じる。
そして今だから分かる。苦しんでいる人間に理詰めで接してはならないということ。カナの苦しみに何も言わず寄り添うことが、私のなすべきことだったということを。

でも、残念なことにカナはもういない。「辛かったね」のひとことを言いたくても言ってやれないのがくやしくて寂しい。
それでも、夢から醒めた時に最初に、カナの恐怖を垣間見たことで、たとえわずかでもカナの魂を慰めることができたかもしれないな、とふと思った。
そう思いながらも声に出して付け足した。「それでもお父さんのこと大好きだからね」。

ほんとうに、父のイメージが根底から変わりかねないひどい夢だったけれども、それ(カナにとっての父)とこれ(私にとっての父)とは別物だ。
カナと父、どちらに対しても変わりない愛情を抱きながら、あとしばらく生き続ける予定の私としては、生きるための「落としどころ」をこうして探りつつ、己の人生を総括する旅を続けるんだろうな、と思っている。

2015年4月10日(金)

今日はとうとう日経が平均二万円超えますね。現在朝8時、市場はまだ開いてないけど、先物が超えてるから現物も二万円超えは確実なんです。
そして私は当然のように死にかけ人形。右肩上がりの相場は真綿で首を絞めるよう。けっこうしんどくて胃、やられてます。

でもまあ、放射能はダダ漏れ、いつ大地震が来るか分からない、国はどんどん右傾化して正常なバランスを失っているように見え、マスコミも骨抜き、国民の知らないうちに重要法案がどんどん決められ、でも国民は選挙にすら行かなくて、貧困層が増大する少子化の国に投資する気持ちには、もう、どんなに努力してもなれない。
「株は下がる」という強い信念をもってるから、これはもう、万一のための保険だと思って耐えることに決めたわ。

それにしてもいつも言ってるけど、一体どこが景気がいいんでしょう。
確かにツイッターでフォローしている人の中にはやたらと景気良さそうなグループ(東京の経営コンサルタントとか)もいるとはいえ、私の回りは「物価上昇で暮らし向きが以前より苦しくなった」という人が100%を占めてるもので、「景気は回復している」と言われてもどうしても信じられないんだよね……。

勤め先の経営統合で職を失って現在求職中の友人は、非常に高いパソコンのスキルを持ってるのに仕事がなくて、あっても時給700円台と聞いて悲しくなった。
また、英語はネイティブ並みのレベルで貿易事務や通関の経験豊富な知人は、半年間職を探した結果、もうまったく正社員の口がないから、あきらめて派遣に舞い戻ったと聞いた。

これは私が関西の地方都市に住んでいるせいだろうか?関東は私たちの想像を超えて好景気に沸いているのかな?よく分からないけど、「人手不足」がやたらとニュースになってても、求人が介護と外食産業とブラック企業ばかりじゃ意味ねえよ!とムカムカする。

……とまあ朝からぼやきまくってすみません。おかげさまでちょっと落ち着きました。これで無の境地で日経平均二万円超えのニュースに向かい合えそうです。

これも「長年囚われてきた金銭への執着を捨てる」修行の一つだと考えて乗り越えてみせるぞ!……って、ゼニへの執着を捨てたいなら、そもそも株やんなってツッコミはナシの方向で!

2015年4月8日(水)

これまでに二度、「死ぬかもしれない」と思ったことがある。
「死にたい」「死のう」でも、崖っぷちで足を滑らせて「やばっ!死ぬかと思った!」でもなくて、ある夜ベッドの中で、「自分はこのまま死ぬのか?」というものすごい恐怖にさらされた経験である。

病気ではなかったと思う。いつもと変わらない体調のまま、夜が来たからパジャマに着替えて寝ただけだ。
でも、夜中に目が覚めるや、自分が表現しがたくまずい状態にあることを本能レベルで感じさせた「あれ」。「あれ」が一体なんだったのか、今もってよく分からない。
ただ、ベッドの上で冷たい汗をかきながら、こういうのが「原因不明の突然死」で片付けられるケースなのかな、と考えていた。


ひとつめについては以前、ここで書いたことがあるから、覚えてくださっている方もおられるかもしれない。

いつもの時間にいつものベッド、いつもの枕で眠りについた日のこと。夜中にものすごい悪寒で目が覚めた。

熱や頭痛があるわけでも、心臓がおかしいわけでもない。ただ、吐きそうになるほどのものすごい悪寒。肩甲骨の真ん中のあたりが、これまでに経験したことの無い感じでゾクゾクする。
なんと表現すればいいのだろう。自分が二人に引き裂かれて、「片方の私」が背中からじわじわ遊離しつつあるような、頭がおかしくなりそうな嫌な感じ。

これは一体なんなんだろう?見当もつかない。ただ、このままだと死ぬかもしれない、と恐怖を感じたから、背中に冷たい汗をかきながら、ぶるぶる震える手を受話器に伸ばして119番に電話した。
これこれこういう状態なんですが、どうすればいいんでしょう。

だが、症状を聞いた救急隊の担当には、「自分でタクシーに乗って救急病院に行って下さい」と冷たく言い放たれ、話す気力もなくなりつつあった私は、分かりましたと電話を切った。

そうする間にも悪寒はますますひどくなり、冷たさは手足にまで広がってきた。そして、混乱しすぎて幻覚を見たのだろうか?ベッドサイドの足下に背の高いまっ黒い人影。それを見た時、「死神だ」と思った。

もう終わりかもしれない、と覚悟を決めた。それでも状況説明なしにこのまま遺体で見つかって、適当な死因で片付けられるのだけは嫌だ!
だからヘボピーと彼氏に必死になってメールを打った。

ひょっとするとこのまま死ぬかもしれないほど具合が悪いこと。死神らしきものがそばにいること。銀行と証券口座のこと。そしてこれまで世話になった礼。
最後に「けっこういい人生だったと思う」とつづろうとする指先が小刻みに震えて、なかなか文章を打てなかった。

それからどうしたのか、記憶がすっぽり抜け落ちている。ひたすらお経を唱え続けたような気もするが、よく覚えていない。
いつの間にか眠ってしまっており、目覚めると外が明るかった。背中から何かが引きずり出されるような悪寒は、嘘のように消え去っていた。

あれは一体なんだったのだろう?いまだによく分からないが、あんな体験、もう二度とご免だ。


その後も数回、生命の危機を感じるほどではなかったとはいえ、嫌な目にあった。
夜中に目覚めると、ベッドルームの入り口をふさぐような形で、大きくて黒いもやもやした塊がのぞいていたりしたのだ。(だから今では必ず寝る前には廊下へのドアを閉める)

その後しばらくしてから、友人Kさんが我が家に遊びに来た。

「これこれこういうことがあってね。このマンション自体は気持ち悪いとか思ったことないんだけど......。」とぼやいたところ、「こーんなところにアヌビスはまずいですよー」と笑いながらKさんは言った。
当時、玄関を入ってすぐ正面にある靴箱の上には、エジプトで買って来たアヌビス像が置いてあったのだ。

もともとオカルト系の世界とは縁遠い友人に、常識でしょと言わんばかりの調子でさらりと指摘されたことに驚きつつ、アヌビスはあわてて別の部屋に移した。

確かに考えが浅かったかもしれない。
玄関は色々なものが入ってくるとされる場所。そこに「いらっしゃいませ!」とばかりに「冥界の神」「死者の守護者」とされるシンボルを置くことは、呪術的なパワーを信じる信じないはひとまず置くとして、やはり避けた方が賢明だろうに。

友人の指摘でハッと気づいてアヌビスを移動させてからは、あの夜ほどには怖い目には遭っていない。

オカルト的現象に対して「信じる信じない」、どちらの立場を取るのかいまひとつあやふやな私としては、アヌビスがあの悪寒を引き起こした原因かどうかについての明言は避けたい。
何かが「直感的に死に神だと思ったあれ」を招いたのか、それとも単なる偶然だったのか。それは私が知り得ることでも、さして知りたいことでもない。ただ、あの夜は「死ぬかもしれない」と思ったこと、友人がアヌビスの位置を指摘して、それを移動させたという事実があるだけだ。

それでも昔からある有形無形の「形(容)」を扱う際には、注意が必要だということは肝に銘じた次第である。先人が畏れをもって接していたものには、先人を真似て慎重に接するのが無難なのだろう。


さて、もうひとつの「死ぬかと思った」はインド・ジャイプールにあるホテルにて。

現在では「サモード・パレス」として各国から旅行者を招き入れているそのホテルは、かつてマハラジャの別荘だったそうだ。
私とヘボピーがそこを訪ねたのは、父が他界してからはじめてのゴールデンウィーク。さすが元お城だけあって、建物のどこを取ってもゴージャスで、私たちははしゃいで写真を撮りまくった。

私たちの宿泊する部屋はというと、セミスィートでだだっ広い。そう高くもないフリーのツアーだというのに、最高レベルの部屋をあてがってくれたのは、ガイドのS氏が支配人の友人だから特別に、ということだった。
支配人の言うとおり、ちょっとのぞかせてもらった他の部屋はセミスィートに比べると比べもののならないくらい狭くて普通っぽくて、ラッキーだったねとヘボピーと喜び合った。

こんなお部屋でした。私のベッドは窓側。

その夜のこと。背中に違和感を覚えて目が覚めた。

ちょうど肩甲骨の下の真ん中あたり、直径1センチ?1・5センチ?丸い形に熱く焼けた金属を押し付けられたように肌が痛む。
イメージとしてはそう、小学生の頃、虫眼鏡で集めた光で黒い紙を焼く実験をしたが、大きな虫眼鏡を背中に向けられているのか?と思うような、焼け付くような痛みだった。

それと同時にものすごい悪寒が襲ってきた。肩甲骨の間に描かれた円を中心に、ぞわぞわする感じが全身に広がってくる。
息も苦しくなってきた。脂汗が出る。でも体はひどく冷たい。丸い形にくり貫かれたように熱い背中の一点を除いては。

なにがどうなっているのか、何が悪いのかぜんぜん分からなかった。ただ、「これはまずい。これは下手すると死ぬかもしれない」という恐怖に襲われた。
それと同時にふと浮かんだのは、ここで誰かがだまし討ちに遭って背後から刺されたか?というイメージ。そういえばこの部屋は、かつて来客用に供されていたと聞いたけど、昔何かがあったのかもしれない。

あ、そういえば荷造りした時に使ったハサミ、枕元に置いたままだった。刃物は魔を退けるというから、ハサミはいいはずなんだけどなあ......と冷や汗をかきながら考えたりもした。

そうこうするうちにも具合はますます悪くなってくる。とうとう我慢しかねて隣のベッドで寝ていたヘボピーを揺り起こした。
「ねえ起きて。ものすごく具合悪いねん。ちょっと背中見て。丸い形に腫れてない?」

驚いて起きたヘボピーは、パジャマをめくりあげた背中を調べて、「なんともなってないよ」と答える。そして、枕元のハサミを目にするや否や「これ、片付けた方がいいわ」とハサミをしまった。
それは、常識でしょ、とでも言いたげな迷いのない反応だったが、オカルト系でもなんでもなくて「刃物」の呪術的意味なんか知らないはずのヘボピーが、流れるようにそんな行動を取ったことに軽い驚きを覚え、同時に混乱した。

刃物って「魔よけ」じゃなかったの?いや、エジプトの墓壁画では恐ろしい「冥界の門番」が両手にナイフを持ってたよな……。ということは……?ええい!どう解釈すればいいか分からん!と、ものすごいスピードで頭をめぐらした割にそんなことを考えていた。


それからヘボピーの提案で私たちはベッドを交換し、「水を供えてみる?」と言われたから、もしこれが霊のしわざならそれは「慰霊」になっていいかも、とペットボトルにくんだ水を枕元に置こうとした。

するとその瞬間、私は飛び上がりそうになった。「そんなことせんでええ!」 父が怒鳴る声が聞こえたのだ。
まるで今そこに父がいるような、鮮明で大きな声だったから、度肝を抜かれた。

そうか、何がなんだかよく分からないけど、下手な情けはかけない方がいいということらしい。朦朧とした頭でそう思いながら、ペットボトルの水を洗面台に流した。
いずれにせよ父の声が響いたことがこの上なく心強くて、間もなく私は眠りに落ちたらしい。


次の日も体調は良くならず、食事ものどを通らず観光もほとんどできなかったから、あれは熱中症とか食あたりの一種だったのかもしれない。
ただ、気味が悪いことは、その部屋で眠る二夜目にも起こった。

連れが寝込んでいるせいで時間をもてあましたヘボピーは、「ちょっと散歩してくる」と言い残して部屋を出てゆき、私はうつらうつらしながら「気をつけて」と返事をした。

しばらくして、昔風の大きな鍵を差し込んで回すドアがガチャガチャと音を立てた。
ヘボが帰ってきたのかな?そう思ってドアの方に目をやると、ターバンを巻き白っぽいインドの民族衣装を着た男が、すーっと部屋に入ってくるではないか。

ええーっ?どういうこと?!と驚愕した。
ホテルの従業員が合鍵を使って部屋に押し入るという話は、安宿では時々聞くけど、こんな高級ホテルでもそんなことあるの?
それともヘボピーが退屈のあまり、男を部屋に招き入れたの?けしからん!!
色々な考えが頭を去来したが、恐ろしくて体を動かせないまま、息を殺してじっとしていた。

すると男は私には目もくれずにまっすぐバスルームに歩いてゆき、しばらくするとバスルームからヘボピーが出てきた。ヘボピーだけが。

あの男はどこへ行ってしまったのか?私の目の錯覚だったのだろうか?でも、意識ははっきりしていたから夢ではないだろう。
帰国してこれを人に話したところ、「ヘボピーさんにくっついてきたのかな」と言われたけれど、よく分からない。

ただ、ぞっとしたのはこの話を聞いた鍼灸師である友人が、「それ、膏肓だよ」と言ったことだ。

「病膏肓(こうこう)に入る」という言葉をご存知だろうか。「趣味に凝りすぎる」という意味でも使われるが、本来は「重い病気を患い、どんな名医にでも治療できないような状況や人物」を表現する故事成語である。
この「膏肓」というのは東洋医学におけるツボ(専門用語ではこう言わないのかな)でもあって、サモード・パレスの夜に、私の背中が丸く焼け付くように痛んだ、まさにその位置だそうだ。

友人に「下手したら死んでたかもね」とさらっと言われて、あれはホントにやばかったのかな、としみじみ思った次第。


こうやって「死ぬかと思った」経験や、「死のうとした」経験、それから、一度だけある殺されそうになった経験(最低の男に電話のコードで首締められたんだ(^ω^))や、車やガードレールにぶつかって、宙を飛びながら走馬燈が回るのを見た経験を振り返って、私は今、
「生きててよかったぁー!」と感謝の念に震えている。

いやもう、今こうして生きてるだけで丸もうけや……。生命は大事にせんならん!!
もうこれからは正月の時のように、自死を考えることは二度とないだろう。人生、明日終わるかもしれないものだけど、お迎えが来るまでいっしょうけんめい生きますわ。
ただ、その際のお迎えはあの夜の死に神じゃなくて、白くて羽根が生えてキラキラしたひとでお願いします。

2015年4月7日(火)

マヤを連れていつもの公園に向かって歩いていった。
父が生前、毎日のように通っていた内科と、ツバメが巣をかける元喫茶店にはさまれたきつい坂を上ってゆくと、内科の植え込みの沈丁花の香りが漂ってくる。

昔は近所の高校生がたむろしていたけれど、今は細々と営業しているのか閉めてしまったのかよく分からないお好み焼き屋の、油が染みこんだ「そばめし 350円」なんて張り紙を見ながら角を左に曲がる。すると小さな路地がある。

その路地には30数年前、駄菓子屋、貸本屋、たこ焼き屋といった商店がひしめきあっており、子供たちのお楽しみスポットだった。

ここは上品な小さなおばあさんがやっていた貸本屋。ぶ厚い手書きの「貸し出し帳」が記憶に焼きついている。
一ページをタテ二列に区切って名前の下に貸し出し日と書名を記入していき、記入欄が一杯になると、コロッケを入れるみたいな茶色い薄紙を重ねて張って、その上に書き込んでいた。○月○日 ロードショー3月号 80円 キャンディキャンディ 30円という風に。
おばあさんの手元を見つめながら、「こんなにたくさんお客さんが来るのによく間違えないものだな」と感心したものだ。

店舗だった一階を、最近やっと改築して小奇麗な住居にしたヤマザキパンの前には、よく手入れされた鉢植えの花が並んでいる。
ここには独身の娘さん二人とお母さんが住んでいて、母が「あそこの奥さんは娘さんと一緒にアフリカに行ったらしい。アフリカだなんてすごいよねえ」とよく話していたものだ。
10代の私にとってはアフリカ旅行なんて遠い世界の話で、ヤマザキパンはお金持ちなんだなあと思ったものだ。
今ならいくらでも連れて行ける。でも、母はもういない。

店の前を通ると時折、初老になった「娘さん」が花に水をやっているのを見かけるが、この家でももう「お母さん」は亡くなってしまったのだろうか。
ヤマザキパンのお姉さんは親孝行ができて良かったな。35年前の母娘三人のアフリカ旅行は、一体どんなだったろう。

そしてここはヘボピーが高校生の頃にバイトしていた大衆食堂。デミグラスソースがかかったチキンカツ定食が美味しかったけど、ずっと前に駅前に移転してしまった。
高校生の頃は男子みたいだったヘボピーは、ここでどんな顔で給仕をしてたのかな。想像するとちょっと可笑しい。

その向かいには、こんな路地にある割りに、けっこう高かったらしいクリーニング屋の跡。母が「あそこは高いけど巧いから、いい服はあそこに持っていくねん」と得々として言っていたものだが。

パン屋も貸本屋も食堂も、母と仲良しだった手芸店も、カナと一緒にマンガを買いに行った駄菓子屋もぜんぶ無くなって、今では美容院と理髪店ばかりが4軒、残っているだけ。
こんな路地に髪をやりに来るお客さんなんかいるんだろうか?常連さんだけで食べていけるのかな?と心配になりつつ、時折お客さんが入っているのを目にしてほっとしたりする。

路地を越えるとK公園の、一本だけある桜の樹が満開の花で迎えてくれた。
頭上に桜、足下にタンポポを眺めながら、カナと並んで座った植え込みにマヤと一緒に腰をおろした。

あれは去年?それとも一昨年だったろうか。時節的にはちょうど今頃、カナに「好きなのを買ってきなよ」とすぐそばにある店にコロッケを買いにやらせて、揚げたてのコロッケを並んで食べたっけ。

うららかな陽光を浴びながら、カナがつんだタンポポの花をマヤの耳に飾ってやって、似合うねえ、可愛いなあと笑いながら、何をするでもなく座っていた休日。
もう二度と逢うことのない家族との、どうということのない日常。

記憶を静かにたどりながら、無心に指の股を噛んでいるマヤの温かい背中をなでていると、路地の向こうの方からコロッケをさげたカナが、「ごめーん、遅くなったぁー」と息を切らして走ってくるような、そんな錯覚にとらわれた。

2015年4月5日(日)

これまでに何枚くらいマヤの写真を撮っただろう。一ヶ月に少なくとも200枚として一年で2400枚。それが12年で……おーっと!3万枚はいってそう。

犬のお尻とか足の裏をメモリを気にせず高速連写できる、これもSDカードが進化して、なおかつ廉価になったお陰だ。SDカードが今ほど普及してなかった10年前なんて、600メガくらいのコンパクトフラッシュが1万5千円とかしたというのに、今は8ギガのSDカードが900円。ありえん。
そしてエジプトにガンガン行ってた頃に今みたいな大容量メモリ媒体があれば、今となっては撮影不可能な貴重なも資料をもっと沢山残せたのに……とくやしくてたまらん。

話がそれた。で、これまでに撮ったマヤの写真のうち、「サイトに上げよう」と思ったものを分けているのだが、ここの更新がおそろかになったせいで、写真がどんどんたまってきた。
かといってそれらをゴミ箱に捨ててしまうのは、マヤの魂が削られそうでなんとなくイヤ……とアマゾン奥地に住む人みたいな感性なので、人の犬ばっか見せられてもあんま楽しくないかもしれないが、しばらく愛犬連発に耐えていただければ有り難い。

それではマヤマヤ大行進、どうじょ!

11才くらいの頃。一日の四分の一くらいはここに座って「なにか食べたいです」という顔をしているのです。

4,5才の頃かな?母のお気に入りのぬいぐるみと。犬も年を取ると顔が変わってくるのがよく分かりますね。

ENGLISH COCKER SPANIEL!キリッとしています。

でもよく見ると鼻水たれてます。

最高に肥えていた頃(15キロ)。あふれてます。

元気だった頃の母とお買い物。生後半年くらい。

「A」の形にふんばってます。
我が家ではこの状態を目にすると、「完全無欠のロックンローラー」のふしで♪ふーんばって(チャチャ)ふーんばって(チャチャ)♪と手拍子を入れならが歌うのが決まりです。

「これ、おもしろいっ!」と飛びついて買って帰ったのに、犬はあんまし気に入らなかったザリガニさん。

「遊べ!」と無理矢理押しつけられて、迷惑そうな顔をしています。

暑い季節のおふとぅんはタオルに限る。

頭に巻いてイスラムわんわんにもなれるし。

「わたしはマララ」。……けっこう喜んでいます。

脱糞中。マヤマヤ大行進、まだまだ続くよ!(迷惑)

2015年4月4日(日)

今年もツバメたちが帰ってきた。ピチュピチュピチュピチュ ジージージーとせわしないさえずりに頭上を仰いでみたら、燕尾服を着た紳士みたいにしゅっとした鳥が、電線にとまっているから嬉しくなった。

それと同時にプレッシャーも起動。
なぜってあいつら、今年もまた同じ軒下の、寸分たがわぬ位置に巣を作ろうとしてるんだぜ?この場所もあの場所も毎年カラスに狙われて、頃よいサイズに育ったヒナを残らず食われちゃって、去年なんか、たった一羽のヒナすら無事に巣立てなかったというのに!

ツバメの記憶の継承ってすごい。窓の外でジージー鳴いている今年のツバメと去年見たツバメは同じ個体ではない可能性が高い。だというのに海を越えて戻ってきた土地の、きっちり同じ位置に営巣するなんて。

まあ確かにすごいんだけど、その記憶を上書きするとかなんとかして、痛い目にあった経験も継承できないんか?と思う。だが、せっせと泥やワラをくわえて軒先を行ったり来たりしているツバメは、人間たちの心配なんぞ知ったこっちゃないご様子。

ああ――っ!もう!見てられねぇ――っ!

ツバメの帰還を喜ぶヘボピーも、同じことを考えていたようだ。
「ツバメが来たね」「......うん」「またあそこに巣、作ってるね」「......うん」 
(......やるか?) (......やるしかねえだろ)
我々は敵の本拠地に潜入したドルフ・ラングレンとジェイソン・ステイサムのように、無言でうなずきあった。

ネットで調べた「簡単に作れるカラスよけ」。
効果のほどは未知数ながら、せめてもの人的援助としてこれを設置しなきゃと思っていたのに、昨年はめんどくささに負けたせいで、巣立ちを目前にしたヒナ全滅!という事態を招いてしまった。

口の端をぎゅっと結んで「お空ってどんなだろう」とばかりに巣から身を乗り出していたヒナたちが、カラスに叩き落とされた土とワラの残骸には、ただの一羽も残っていない。
すごいショックだった。映画「グラディエーター」で家を焼き討ちされ、妻子を吊るされて絶望に打ちひしがれるラッセル・クロウになった気分だった。

あの時はヘボピーも私も2週間ほど落ち込んだし、もう二度と「カラスが憎いっ!」と飲み屋でクダを巻きたくない。
だから、たとえツバメが営巣しているのが人さま所有の不動産であろうとも、勇気を出してカラスよけの「黄色いテグス」を貼るつもりである。

営業中の店舗の軒先でごそごそするわけにはいかないから、手を加えられるのは空き店舗のみ。元喫茶店と元クリーニング屋と元うどん屋。
問題は空き店舗のオーナーに見とがめられる可能性だが、ヘボピーと協力の上、人目を盗んで早朝にでも設置する予定だ。

他人の不動産をさわるのは若干気がとがめるものの、一時的にガムテープを張るだけだし、ヒナが巣立てば撤去するからここは見逃していただきたい。
それでも万一誰かに文句を付けられた場合は、「えぇ――っ?ひどいっ!!!!!ツバメは益鳥なんですよぉ――tっ!キィぃーっッっっツ!」と動物愛護おばさんの芝居を打って、ヒステリーを起こす程度の覚悟は、まあ、ないでもない。


※「巣立ちを楽しみにしていたひな全滅」という、わたくしたちと同じ哀しみを二度と味わいたくないみなさんは、ぜひこのあたりのサイトさんに行ってみてください。
http://sky.geocities.jp/swallowtail0907/ooyasan/tenteki.html
......と申しましても効果のほど、そしてめんどくさレベルについては、未設営につき現時点では未評価でございます。

2015年4月3日(土)

ビアードパパ似のおっさんに女子トイレをのぞかれる夢見とった……。
「キャーッ!チカン──っ!」 悲鳴を聞いて飛んできた男たちにオッサン、ボコボコにされるのだが、すぐまたゾンビのように立ち上がり、おだやかな笑みを浮かべつつ当然の権利のごとくトイレに入ってきて、個室のドアをぐいぐい押してくる。ある意味、下手なオカルト夢より怖かったわ。


みなさんはもうレモンジーナを飲んだだろうか。オレンジーナのレモンバージョンとして満を持して発売された、SNSで「土の味がする」という噂で話題になってるアレである。

私はまだ飲んでないのだが、冷蔵庫にはしっかり入ってるぞ。
この商品、「土の味」の影響なのかどうなのか、発売後2日間で年末までの販売計画分が売れちゃったため、しばし販売休止とのこと。
しかし、近所の量販店では一本90円のディスカウント価格でずらっと並んでいたから、「ホンマに売れてんのか?」といぶかしがりながらも、あわてて確保した次第。

なお、「レモンジーナ」でググってみると、「土の味」以外にも「品薄商法か?」とか「アマゾンでボリボリの値段で売ってる店がある」などと、レモン味の割にぜんぜん爽やかじゃないニュースにこと欠かないようだ。

そんなわけで、今日にでも会社で味見するつもり。本当に土の味がするのだろうか。いや、みんな小さい頃に一度くらいは土、食べたり舐めたりことあるでしょ?


久々に体調がいい。こんな風に「自分の体が自分に制御できてる」感があるのは半年ぶりだ。

カナが他界した直後にはじまった右足のしびれは、時間が経つにつれて悪化。最近では左足や腰にまで広がってきて、歩くときも足に力が入らなくてヨロヨロしていた。

整形外科と神経内科にも行ってレントゲンもMRIも撮ってもらったけれども「異常なし」。
あー、また西洋医学では原因が見つからないやつかよ……(子供の頃から私の肉体的トラブルはほぼ全て、検査では何も出てこないのだ)とうんざりしながら、かかりつけの整骨院に通っていたが、ここでもぜんぜん良くならない。

「ミキさんのトラブルはほぼ全て、妹さんの問題から来てるものだから」と先生に言われたって、だからどうせえっちゅーねん?!という感じである。
ちょっとムカッときた。同時に「精神的問題なら己の心を制御することで自分で治せるんじゃないか?」と思って整骨院の通院もやめた。

だが、ヨガの行者でもあるまいし、精神の制御で治るほど人生、甘くないよね……。
「血液の流れを良くして血管を強くする」という、財布が死にそうな漢方サプリ(120錠1万5千円のを1日4錠)飲みはじめて、はじめ一週間ほどはむちゃくちゃ調子よくなった気がしたのだが、やっぱり「気がした」だけだった。
数日前にはまたしびれがひどくなって、下半身全体がぴりぴりするわ、すぐに転びそうになるわで憂鬱だった。

だがしかし!
一昨日ちょっとしたきっかけで鍼灸を試してもらったところ、冗談みたいにしびれが消えたのだ!足も軽くなってスタスタ歩ける。
「でもきっと次の日にはもとに戻るんろうな……」と覚悟してたが、3日目の現在でもまだしびれは戻っていない。まるで元気だった頃の自分みたいに体調がよくて、体が楽だから気分もすごく前向きだ。

そんなわけで、経過を観察しながらしばらく定期的に通おうと思っている。問題はその治療院が片道一時間以上かかる場所にあることなのだが、文句は言っていられない。

若い頃にはお金と時間はおしゃれや美食にさくものだったけど、今や「健康」が全て。これが年を取るということなのだなあとしみじみしつつ、痛まない体で今日も会社で書類をちぎっては投げ、ちぎっては投げしてきます。