2015年4月28日(火) ご無沙汰してます……と書いて下の日記の日付を見ると24日。それほどご無沙汰してませんね。 でもまあ、地を這うような精神状態ななことは事実。ここ4,5日間かなりキツくてな……。体調が悪いせいもあるだろうが(足がしびれて痛いのよ)、哀しみがカナを喪った直後のものから変質してきたみたいで、ひどい虚無感がじわじわと体に染みこんでくる感じがする。 何に対しても興味が持てず、やりたいことも行きたいところも食べたいものもない。これまでの自分の人生がひどく無益で馬鹿げたものに思えてたまらない。(友人にこう話したら、「更年期障害もあるんじゃない?」と指摘された。確かにな。) 日常生活のあらゆる行為をカナの思い出に紐付けてしまって、ほんのささいな行為──たとえばスーパーでお菓子を手に取った時でも「カナはこんなものすら買えなかったんだなあ」と思うと急激に買う気が失せて、棚に戻してしまうんだわ。 でも、来る日も来る日もカナが生きてればなあ、と泣きたい気分でいるんだけど、人からどれほど「済んだことは考えるな」と言われようと、考えないことは私には無理だと分かった。だから私は「思い出しちゃダメだ」と自分に強制する辛さよりも、思い出す辛さの方を選んだ。 思い出してやることは死者を「言祝ぐ」ことにつながると霊能者に指摘されたこともあって、もうなんていうか、来る日も来る日も内臓がわしづかみにされているような辛さと格闘しながらも、カナにまつわるあらゆる思い出をトレースしようとしている。 もう、時々どうしていいか分からなくなって、渋谷のスクランブル交差点の真ん中で気が狂った真似をして転げ回ったら気持ちいいかなあ、と想像したりするんだが、そんなことしたら会社のデスクがなくなること必至なので、定年退職まであと10年、なんとか乗り切る所存である……ってやっぱ長いなあ、10年間。 |
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2015年4月24日(金) 先日メガネをかけている上からメガネをかけようとしていた……。もうアカン。 一時はよく眠れるようになったと喜んでいたけど、そうは問屋がおろさない。……ってこの言葉、普通に使ってるけどまじまじ見るとなんか変よね。 ……とどうでもいいことに思考がそれたが、離別の苦悩から速やかに立ち直ろうとしても、そうは問屋がおろさない。ここしばらく「哀しみの第二波」と呼びたくなるものに襲われていて、またしても夜中に目覚めて眠れなくなるよろしくないパターンに陥っており、もう勘弁してくれよ!って感じなのだ。 総てが虚しい……。庭のある小さな家を買って、三人姉妹で静かに老後を過ごすことが今思うと私のささやかな目標だった。だからお金を得るために一生懸命働いていた。
……と言いつつも、日が昇ると気を取り直してこうしてパソコンを立ち上げ文章をつづり、遅刻せずに会社に行けてるから、最悪の状態ではないんだろうなと自己分析する。 まったくもって色々としんどいけれど、自死なんてすると命がもったいないから投げちゃダメだと己に言い聞かせる毎日だ。 老い、そして人生の最終章とはこういうものだと腹をくくって、というか受容して、これ以上体調を崩さない程度にだましだまし行くしかないですなぁ。 車のフランケンシュタインだ。ガムテープなんかじゃなくてせめて木工用ボンドでくっつけてやれよ。 |
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2015年4月21日(火) ヘボピーと昔話をしていると、全く覚えていない話が飛び出して驚かされることが多い。 ヒデェと言いつつも、かすかな記憶がよみがえったわ。そういえばあの時はたしか、金魚も入れて泳がせようとしてたんだっけ……。 他にもいろいろと出た思い出話のうち、「おかあさんとウズラ」も私は覚えていなかった。これもヘボピーが小学生の頃に、大丸が先着順でウズラのひなを配っていた話。 だって母には若い頃、「アヒルに赤い蝶ネクタイをつけて一緒に散歩しようとして(当時そういう靴メーカーのCMがあったのだ)ひなを飼いはじめたものの、すぐに死なせてしまった」前科があるものだから、ウズラのひなも欲しがりそうだなあと思うのだ。 こういう話題になるといつも、「あれって本当はどうだっけ?」とすぐに親に確認ができる人がひどくうらやましくなる。
まあ、終わってしまったことを嘆いても仕方がないわい……。このところ昼夜を問わず足が痛むせいで、どうも思考が後ろ向きですごめんちゃい。 それにしても驚くのはあの大丸デパートが客寄せに「うずらのひな」を配っていたことである。昭和、おそるべし。 そういえば地元に「センター街」というアーケード街があるのだが、その中でも市内で一番地価の高い、今では野村証券とGAPと丸井の場所に、夜になるとミニウサギとかひよこの屋台が並んでたもんな……。祭りでもあるまいし、昭和、おそるべし。 どこをどう突っ込めというのか。(ヘボピー採取) |
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2015年4月17日(金) 以前「耳かき専門店」のことを小耳にはさんだのだが、今でもそういう店、あるのかな。いや、娘さんがひざまくらで耳かきしてくれるマドモアゼルノンノンな店ではなくて、先っぽにライトがついたプロ用ツールとかを使って、自分では取れない耳垢もごっそり撤去。「えっ?こんなに!!!」とのけぞる成果を見せてくれる、そういう店のことだ。 もしあったら行きたいなあ。3500円までだったら出すのになあ……とか思いながら、先端にダルマがついた耳かきでぼんやりと耳をほじくる金曜の朝。 でもまあ、今日一日働いたらお休みだからがんばるか……。毎週末はマヤ感謝デーだから、犬と一緒にのんびり過ごすのだ。 犬といえばけさ、「犬と飼い主、人間の母子と同じ絆 見つめて安心ホルモン増」というニュースを目にした。(「みつめてあんしん ほるもんぞう」ってリズムが標語みたい) 犬が飼い主を見つめ、飼い主が応じてなでたりすると、お互いの体内に安心を感じるホルモン「オキシトシン」が増加すると、麻布大などのチームが17日付米科学雑誌サイエンスに発表した。 犬との絆は確実にあると愛犬家なら誰でも思っているけど、科学的に証明されると胸熱だ。それも人間が安らぎをもらうだけではなくて、犬の側も安心を感じていると知ってとても嬉しい。 このニュースを読んで思い出したのは、先日マヤと見つめ合った時のこと。 一体何がしたかったんだ?とあっけに取られながらも、おどけた動作がもうたまらなく可愛くて、鬱々とした気分がちょっと晴れた。 ……そうこうするうちに集金、いや出勤時間。マヤの養育費をかせぎに会社行ってきます。 |
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2015年4月15日(水) 今日はとっても いい天気。昨日の雨風 うそのよう。昨日がこんなお天気だったら、お手手にケガをしなかった。(自転車ごと風にあおられて電柱に激突、手がキズだらけです)世の中うまく いきません。……と今日も意味なく ムカつくの。きっと更年期のせいでしょう。 ……じゃ、気を取り直してマヤマヤ大行進、はじまるよ!(迷惑)
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2015年4月14日(火) さっきまで家族の夢を見ていた。私にとっては非常にショッキングな夢。夢に過度の意味を求めても仕方がない気もするし、ショックといってもかなり個人的なものだ。 それでも目覚めた時に、これは忘れないうちにメモを取っておいた方がいいと感じたので、水を一杯飲んでからパジャマのままパソコンに向かっている。夢の中でおそろしく緊張していたせいか、体がこわばって節々が痛い。
そこからしばらく時間が経過して(その間の展開は記憶に残っていない)私は荒れ果てた道をカナと並んで歩いている。後ろからはかなり落ち着いた様子で足取りをゆるめた父がふらふらついてきている。 足元を気にしながら歩くカナと手をつないでいたような気もするし、いなかったような気もする。とにかく隣にいる妹に「カナ、あんたに会いたくて仕方がないのに夢の中でしか会えない」と言って私は泣いた。 それからカナは少し口ごもっていたが、勇気を出したように私に言うのだ。「あのね、お父さんが……。」だが、私はその言葉をさえぎった。「分かってる。分かってるよ。でも言わなくていい」 これまでにこの日記を通じ、私たち家族について断片的に知ってくださっている方々には、きっと不思議に思われているだろう。どうしてカナさんは親も姉もいるのに生活保護を受けながら独り暮らしをしていたのか、と。 私自身これまでなぜ?なぜ?と思い続けていたし、カナの死後も父に対する態度は許せなかったし、「家族が差し伸べた手を握り返そうとしなかった本人の責任もある」と考えていた。 しかし、カナの父に対する気持ちは「反発」や「嫌悪」といった生やさしいものではなく、むしろ「恐怖」と呼ぶべきものだったのかもしれない、と私自身が父に追いかけられる夢を見て思ったのだ。
親戚が皆口を揃えて言うのには、幼い頃はカナが一番父に可愛がられていた。だというのに、小学校の高学年になった頃に突然生じた(ように見える)「手を洗う」という行為で父への嫌悪がじわじわと表出し、中学校に上がる頃にはもう、家族を巻き込んでむちゃくちゃだった。 隣の部屋から父の声が聞こえただけで、それがたとえ夜中であっても近所の人たちが飛び起きるような声で絶叫し、「けがれ」を洗い流すために部屋に水をまいた。いつも近所からの苦情に平謝りだった母。 学校にも行かなくなり、迎えに来た先生の手を振り払って暴れ、父とカナの板挟みになって憔悴しきった母はアル中の一歩手前になってしまった。 精神科医の門も叩いたものの、「悪いのは本人ではなくお母さん」などととんちんかんなことを言われ、状況はますます悪化。
そういう経緯を経てきたものだから、私もヘボピーもカナに対して全面的には「守ってやるべき可愛い妹」とはとらえられなかったこと、そして、「これまであんなに家族に世話かけといて、今さら何いってんのよ」という腹立たしさをぬぐい去れなかったことは、仕方のないことだと思う。 日中、マヤの世話をしていた父がいなくなったこともあり、「もうお父さんはいないんだから、マヤと一緒にいてやってよ」と私は何度もカナに頼んだ。 姉妹で食卓を囲むとき、カナは体を斜めにして食事した。「父の部屋だった方向」が目に入るのが嫌だと分かっていたし、諦めて何も言わなかったが、目の前で体を斜めにされると腹が立つやら情けないやら。 私は父が好きだったし、優しくしてやれなかったことに今でも後悔があるから、いなくなった人に対して憎しみを捨てられないそんな態度を見て、死者を汚されるようで腹が立ってたまらなかった。そんなに嫌ならもう、勝手にしろと思っていた。 でも、それは間違いだったとようやく気付いた。 自分がなぜ父をあれほど憎むのか、カナからこれまでに何度か聞いたことがある。小さい頃お父さんに首をしめられてそれがトラウマになっているのだ、と。 父はカッとなると手が出る人だったから、可能性としてそれはゼロではないだろうと母も私もヘボピーも思っていた。だが、自分が家族に対してしたことを、「トラウマ」のせいにされると、そりゃないだろと思ってしまうのも、家族の正直な感想だ。 しかしあの夢を見たことによって、カナの嫌悪、恐怖について、一部だけでも理解できたと感じる。 でも、残念なことにカナはもういない。「辛かったね」のひとことを言いたくても言ってやれないのがくやしくて寂しい。 ほんとうに、父のイメージが根底から変わりかねないひどい夢だったけれども、それ(カナにとっての父)とこれ(私にとっての父)とは別物だ。 |
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2015年4月10日(金) 今日はとうとう日経が平均二万円超えますね。現在朝8時、市場はまだ開いてないけど、先物が超えてるから現物も二万円超えは確実なんです。 でもまあ、放射能はダダ漏れ、いつ大地震が来るか分からない、国はどんどん右傾化して正常なバランスを失っているように見え、マスコミも骨抜き、国民の知らないうちに重要法案がどんどん決められ、でも国民は選挙にすら行かなくて、貧困層が増大する少子化の国に投資する気持ちには、もう、どんなに努力してもなれない。 それにしてもいつも言ってるけど、一体どこが景気がいいんでしょう。 勤め先の経営統合で職を失って現在求職中の友人は、非常に高いパソコンのスキルを持ってるのに仕事がなくて、あっても時給700円台と聞いて悲しくなった。 これは私が関西の地方都市に住んでいるせいだろうか?関東は私たちの想像を超えて好景気に沸いているのかな?よく分からないけど、「人手不足」がやたらとニュースになってても、求人が介護と外食産業とブラック企業ばかりじゃ意味ねえよ!とムカムカする。 ……とまあ朝からぼやきまくってすみません。おかげさまでちょっと落ち着きました。これで無の境地で日経平均二万円超えのニュースに向かい合えそうです。 これも「長年囚われてきた金銭への執着を捨てる」修行の一つだと考えて乗り越えてみせるぞ!……って、ゼニへの執着を捨てたいなら、そもそも株やんなってツッコミはナシの方向で! |
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2015年4月8日(水) これまでに二度、「死ぬかもしれない」と思ったことがある。 病気ではなかったと思う。いつもと変わらない体調のまま、夜が来たからパジャマに着替えて寝ただけだ。
いつもの時間にいつものベッド、いつもの枕で眠りについた日のこと。夜中にものすごい悪寒で目が覚めた。 熱や頭痛があるわけでも、心臓がおかしいわけでもない。ただ、吐きそうになるほどのものすごい悪寒。肩甲骨の真ん中のあたりが、これまでに経験したことの無い感じでゾクゾクする。 これは一体なんなんだろう?見当もつかない。ただ、このままだと死ぬかもしれない、と恐怖を感じたから、背中に冷たい汗をかきながら、ぶるぶる震える手を受話器に伸ばして119番に電話した。 だが、症状を聞いた救急隊の担当には、「自分でタクシーに乗って救急病院に行って下さい」と冷たく言い放たれ、話す気力もなくなりつつあった私は、分かりましたと電話を切った。 そうする間にも悪寒はますますひどくなり、冷たさは手足にまで広がってきた。そして、混乱しすぎて幻覚を見たのだろうか?ベッドサイドの足下に背の高いまっ黒い人影。それを見た時、「死神だ」と思った。 もう終わりかもしれない、と覚悟を決めた。それでも状況説明なしにこのまま遺体で見つかって、適当な死因で片付けられるのだけは嫌だ! ひょっとするとこのまま死ぬかもしれないほど具合が悪いこと。死神らしきものがそばにいること。銀行と証券口座のこと。そしてこれまで世話になった礼。 それからどうしたのか、記憶がすっぽり抜け落ちている。ひたすらお経を唱え続けたような気もするが、よく覚えていない。 あれは一体なんだったのだろう?いまだによく分からないが、あんな体験、もう二度とご免だ。
その後しばらくしてから、友人Kさんが我が家に遊びに来た。 「これこれこういうことがあってね。このマンション自体は気持ち悪いとか思ったことないんだけど......。」とぼやいたところ、「こーんなところにアヌビスはまずいですよー」と笑いながらKさんは言った。 もともとオカルト系の世界とは縁遠い友人に、常識でしょと言わんばかりの調子でさらりと指摘されたことに驚きつつ、アヌビスはあわてて別の部屋に移した。 確かに考えが浅かったかもしれない。 友人の指摘でハッと気づいてアヌビスを移動させてからは、あの夜ほどには怖い目には遭っていない。 オカルト的現象に対して「信じる信じない」、どちらの立場を取るのかいまひとつあやふやな私としては、アヌビスがあの悪寒を引き起こした原因かどうかについての明言は避けたい。 それでも昔からある有形無形の「形(容)」を扱う際には、注意が必要だということは肝に銘じた次第である。先人が畏れをもって接していたものには、先人を真似て慎重に接するのが無難なのだろう。 さて、もうひとつの「死ぬかと思った」はインド・ジャイプールにあるホテルにて。 現在では「サモード・パレス」として各国から旅行者を招き入れているそのホテルは、かつてマハラジャの別荘だったそうだ。 私たちの宿泊する部屋はというと、セミスィートでだだっ広い。そう高くもないフリーのツアーだというのに、最高レベルの部屋をあてがってくれたのは、ガイドのS氏が支配人の友人だから特別に、ということだった。 ![]() その夜のこと。背中に違和感を覚えて目が覚めた。 ちょうど肩甲骨の下の真ん中あたり、直径1センチ?1・5センチ?丸い形に熱く焼けた金属を押し付けられたように肌が痛む。 それと同時にものすごい悪寒が襲ってきた。肩甲骨の間に描かれた円を中心に、ぞわぞわする感じが全身に広がってくる。 なにがどうなっているのか、何が悪いのかぜんぜん分からなかった。ただ、「これはまずい。これは下手すると死ぬかもしれない」という恐怖に襲われた。 あ、そういえば荷造りした時に使ったハサミ、枕元に置いたままだった。刃物は魔を退けるというから、ハサミはいいはずなんだけどなあ......と冷や汗をかきながら考えたりもした。 そうこうするうちにも具合はますます悪くなってくる。とうとう我慢しかねて隣のベッドで寝ていたヘボピーを揺り起こした。 驚いて起きたヘボピーは、パジャマをめくりあげた背中を調べて、「なんともなってないよ」と答える。そして、枕元のハサミを目にするや否や「これ、片付けた方がいいわ」とハサミをしまった。 刃物って「魔よけ」じゃなかったの?いや、エジプトの墓壁画では恐ろしい「冥界の門番」が両手にナイフを持ってたよな……。ということは……?ええい!どう解釈すればいいか分からん!と、ものすごいスピードで頭をめぐらした割にそんなことを考えていた。
するとその瞬間、私は飛び上がりそうになった。「そんなことせんでええ!」 父が怒鳴る声が聞こえたのだ。 そうか、何がなんだかよく分からないけど、下手な情けはかけない方がいいということらしい。朦朧とした頭でそう思いながら、ペットボトルの水を洗面台に流した。
連れが寝込んでいるせいで時間をもてあましたヘボピーは、「ちょっと散歩してくる」と言い残して部屋を出てゆき、私はうつらうつらしながら「気をつけて」と返事をした。 しばらくして、昔風の大きな鍵を差し込んで回すドアがガチャガチャと音を立てた。 ええーっ?どういうこと?!と驚愕した。 すると男は私には目もくれずにまっすぐバスルームに歩いてゆき、しばらくするとバスルームからヘボピーが出てきた。ヘボピーだけが。 あの男はどこへ行ってしまったのか?私の目の錯覚だったのだろうか?でも、意識ははっきりしていたから夢ではないだろう。 ただ、ぞっとしたのはこの話を聞いた鍼灸師である友人が、「それ、膏肓だよ」と言ったことだ。 「病膏肓(こうこう)に入る」という言葉をご存知だろうか。「趣味に凝りすぎる」という意味でも使われるが、本来は「重い病気を患い、どんな名医にでも治療できないような状況や人物」を表現する故事成語である。 友人に「下手したら死んでたかもね」とさらっと言われて、あれはホントにやばかったのかな、としみじみ思った次第。
いやもう、今こうして生きてるだけで丸もうけや……。生命は大事にせんならん!! |
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2015年4月7日(火) マヤを連れていつもの公園に向かって歩いていった。 昔は近所の高校生がたむろしていたけれど、今は細々と営業しているのか閉めてしまったのかよく分からないお好み焼き屋の、油が染みこんだ「そばめし 350円」なんて張り紙を見ながら角を左に曲がる。すると小さな路地がある。 その路地には30数年前、駄菓子屋、貸本屋、たこ焼き屋といった商店がひしめきあっており、子供たちのお楽しみスポットだった。 ここは上品な小さなおばあさんがやっていた貸本屋。ぶ厚い手書きの「貸し出し帳」が記憶に焼きついている。 店舗だった一階を、最近やっと改築して小奇麗な住居にしたヤマザキパンの前には、よく手入れされた鉢植えの花が並んでいる。 店の前を通ると時折、初老になった「娘さん」が花に水をやっているのを見かけるが、この家でももう「お母さん」は亡くなってしまったのだろうか。 そしてここはヘボピーが高校生の頃にバイトしていた大衆食堂。デミグラスソースがかかったチキンカツ定食が美味しかったけど、ずっと前に駅前に移転してしまった。 その向かいには、こんな路地にある割りに、けっこう高かったらしいクリーニング屋の跡。母が「あそこは高いけど巧いから、いい服はあそこに持っていくねん」と得々として言っていたものだが。 パン屋も貸本屋も食堂も、母と仲良しだった手芸店も、カナと一緒にマンガを買いに行った駄菓子屋もぜんぶ無くなって、今では美容院と理髪店ばかりが4軒、残っているだけ。 路地を越えるとK公園の、一本だけある桜の樹が満開の花で迎えてくれた。 あれは去年?それとも一昨年だったろうか。時節的にはちょうど今頃、カナに「好きなのを買ってきなよ」とすぐそばにある店にコロッケを買いにやらせて、揚げたてのコロッケを並んで食べたっけ。 うららかな陽光を浴びながら、カナがつんだタンポポの花をマヤの耳に飾ってやって、似合うねえ、可愛いなあと笑いながら、何をするでもなく座っていた休日。 記憶を静かにたどりながら、無心に指の股を噛んでいるマヤの温かい背中をなでていると、路地の向こうの方からコロッケをさげたカナが、「ごめーん、遅くなったぁー」と息を切らして走ってくるような、そんな錯覚にとらわれた。 |
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2015年4月5日(日) これまでに何枚くらいマヤの写真を撮っただろう。一ヶ月に少なくとも200枚として一年で2400枚。それが12年で……おーっと!3万枚はいってそう。 犬のお尻とか足の裏をメモリを気にせず高速連写できる、これもSDカードが進化して、なおかつ廉価になったお陰だ。SDカードが今ほど普及してなかった10年前なんて、600メガくらいのコンパクトフラッシュが1万5千円とかしたというのに、今は8ギガのSDカードが900円。ありえん。 話がそれた。で、これまでに撮ったマヤの写真のうち、「サイトに上げよう」と思ったものを分けているのだが、ここの更新がおそろかになったせいで、写真がどんどんたまってきた。 それではマヤマヤ大行進、どうじょ!
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2015年4月4日(日) 今年もツバメたちが帰ってきた。ピチュピチュピチュピチュ ジージージーとせわしないさえずりに頭上を仰いでみたら、燕尾服を着た紳士みたいにしゅっとした鳥が、電線にとまっているから嬉しくなった。 それと同時にプレッシャーも起動。 ツバメの記憶の継承ってすごい。窓の外でジージー鳴いている今年のツバメと去年見たツバメは同じ個体ではない可能性が高い。だというのに海を越えて戻ってきた土地の、きっちり同じ位置に営巣するなんて。 まあ確かにすごいんだけど、その記憶を上書きするとかなんとかして、痛い目にあった経験も継承できないんか?と思う。だが、せっせと泥やワラをくわえて軒先を行ったり来たりしているツバメは、人間たちの心配なんぞ知ったこっちゃないご様子。 ああ――っ!もう!見てられねぇ――っ! ツバメの帰還を喜ぶヘボピーも、同じことを考えていたようだ。 ネットで調べた「簡単に作れるカラスよけ」。 口の端をぎゅっと結んで「お空ってどんなだろう」とばかりに巣から身を乗り出していたヒナたちが、カラスに叩き落とされた土とワラの残骸には、ただの一羽も残っていない。 あの時はヘボピーも私も2週間ほど落ち込んだし、もう二度と「カラスが憎いっ!」と飲み屋でクダを巻きたくない。 営業中の店舗の軒先でごそごそするわけにはいかないから、手を加えられるのは空き店舗のみ。元喫茶店と元クリーニング屋と元うどん屋。 他人の不動産をさわるのは若干気がとがめるものの、一時的にガムテープを張るだけだし、ヒナが巣立てば撤去するからここは見逃していただきたい。 ※「巣立ちを楽しみにしていたひな全滅」という、わたくしたちと同じ哀しみを二度と味わいたくないみなさんは、ぜひこのあたりのサイトさんに行ってみてください。 |
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2015年4月3日(土) ビアードパパ似のおっさんに女子トイレをのぞかれる夢見とった……。 私はまだ飲んでないのだが、冷蔵庫にはしっかり入ってるぞ。 なお、「レモンジーナ」でググってみると、「土の味」以外にも「品薄商法か?」とか「アマゾンでボリボリの値段で売ってる店がある」などと、レモン味の割にぜんぜん爽やかじゃないニュースにこと欠かないようだ。 そんなわけで、今日にでも会社で味見するつもり。本当に土の味がするのだろうか。いや、みんな小さい頃に一度くらいは土、食べたり舐めたりことあるでしょ? 久々に体調がいい。こんな風に「自分の体が自分に制御できてる」感があるのは半年ぶりだ。 カナが他界した直後にはじまった右足のしびれは、時間が経つにつれて悪化。最近では左足や腰にまで広がってきて、歩くときも足に力が入らなくてヨロヨロしていた。 整形外科と神経内科にも行ってレントゲンもMRIも撮ってもらったけれども「異常なし」。 「ミキさんのトラブルはほぼ全て、妹さんの問題から来てるものだから」と先生に言われたって、だからどうせえっちゅーねん?!という感じである。 だが、ヨガの行者でもあるまいし、精神の制御で治るほど人生、甘くないよね……。 だがしかし! そんなわけで、経過を観察しながらしばらく定期的に通おうと思っている。問題はその治療院が片道一時間以上かかる場所にあることなのだが、文句は言っていられない。 若い頃にはお金と時間はおしゃれや美食にさくものだったけど、今や「健康」が全て。これが年を取るということなのだなあとしみじみしつつ、痛まない体で今日も会社で書類をちぎっては投げ、ちぎっては投げしてきます。 |