2015年3月31日(火)
本日3月31日。期末だから超繁忙が確約された一日。 かく言う私の心は、ついさっきまでは晴れやかな気候に浮かれ気味。爽やかモードで山を眺めながらラジオ体操などしていたが、証券会社のサイトを開いて昨夜のNYダウを見たとたん、一気に暗黒世界に突き落とされた。 ……ダウ、えらい上がっとる……。 ダウが二百数十ドル上昇したということは、本日の日経平均もぐわんぐわんと上がることだろう。 ホンマにもう、回りには「いったい日本のどこが景気がいいんだろう?」という、いつも変わらず不景気な人間しかいないせいで、ついつい相場の読みを誤ってしまう。 先日も美容院でカットしてもらいながら「景気、どうですか?」と聞いたら、美容師が「駄目ですねー。景気のいい話なんかぜんぜん聞きませんよー」と言ってたし、正社員はおろか派遣の求人だって少ないから、うちみたいなちっこい会社にすら「派遣社員募集しませんか」と派遣会社のセールスがうるさいくらいにかかってくるのにな。 きっと貧富の差の開き方は、想像よりもはるかに早いスピードで進行しているんだろう。 そんなわけで一気に落ち込んだ自分を、心の中に飼っている小さなリスになぐさめてもらいつつ、期末の書類をちぎっては投げ、ちぎっては投げしに会社行ってきます。株価は忘れて今日一日くらいはがんばるどー! |
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2015年3月30日(月) ずっと前から気になっている一節がある。ずいぶん昔に読んだ物語、一匹の犬の命の火が今まさに消えようとしている場面だ。 静かに、静かになってしまった。 でも、それは思い込みがすぎるのかもしれない。動物が死ぬ場面は涙なしでは読めないものだけれど、大人になった今、全編を通してこの物語を読み直す機会が得られれば、えっ?こんなにあっさりした話だった?と拍子抜けする可能性もある。 そんなわけで、この一節が何というお話のものだったか突き止めたいのだ。 そもそも、「静かになってしまった」のは犬ではなくて、ひょっとすると熊やライオンだったかも.....。ならば「野生のエルザ」あたりも押さえなきゃアカンか?.と思えてくるけれど、「死ぬ前に主人に甘えるようにくんくん鳴いていた」ような記憶があるから、まずは犬周りから攻めた方がよさそうだ。 物語のタイトルが分かれば、長年の胸のつかえが取れるだろう。もしもどなたか「それ知ってる!」という方がいらっしゃいましたら、ぜひともお知らせくださいませ。
「冒険ルビ」は主人公である少年少女が「善き宇宙人」から強力なパワーを発揮できる帽子とスーツを与えられて、悪い宇宙人と戦うという、まあよくある感じの幼年向きSF漫画。 源氏パイみたいな形の帽子と、スクール水着的なパワードスーツを身に着けて、銀河を駆け巡る少年たち。手塚のSFガジェットは今見るとものすごくダサいが、1970年代初頭の作品だからしよーがない。 やがてストーリーは最終回に向かって驀進し、エイにしか見えない宇宙人との激しい戦いの末に、ようやく冒険の終わりを迎える。 だが、ワクワクしながらページを開いた私を待ち受けていたのは、度肝を抜くようなエンディング。 ストーリー展開的に、主人公のルビオは人類を救ったヒーローとして、意気揚々と凱旋帰還すると思うだろう。 それも「猫に変身した」のではない。ルビオは「元から猫」で、華々しい活躍はぜんぶ「うたた寝した猫の夢」だったのだ!
さすが手塚先生、相手が幼児でも情け容赦ありませんねと言うべきか、オチに困ったのは分かりますが無茶しすぎですと言うべきか。 だって、さっきまで宇宙を股にかけていた人間が、メス猫(夢の中でいっしょに戦っていた少女!)に、「アンタったらまーた変な夢見たのね(笑)そんなことより早くごはん食べなさいよ」なんて言われて、「なんだ、夢だったのかあ......。」とちょっと憮然としながらも、あっさり「飼い猫としての平凡な日常」に戻ってアジの開きなんかくわえてるんだぜ? 主人公たちと一緒に冒険してきたつもりの読者としては、「ルビオ=縁側でうたた寝していたどこにでもいる猫」だなんて、どえらいびっくり展開だ。
だがしかし! この「オチが記憶と違う」理由については、おおよそ推測がついている。 ということは、「胡蝶の夢」パターンのエンディングは、手塚先生の本意には沿わなかったということだろうか。 ......とここまで書いたところで、意を決してグーグル先生を開いて、「冒険ルビ」と入力してみた。 いや、wikiなら私の疑問に答えてくれるかもしれないとは思っていたけれど、万が一にでも「猫エンディングなんか存在しない」なんてことになろうものなら、この年になってから「私はだれ?」と悩みかねない。それがちょっぴり怖くて、これまで確認していなかったのだ。 けどご安心を。wikiにはこう書かれていただけだった。 それでもまあ、収穫もあった。 またその他に、秋田文庫版にも「冒険ルビ」が存在することや、手塚文庫全集の「ガムガムパンチ」にもルビが収録されていることが判明。さすがwiki先生。頼りになるわあ。(手のひら返し) そんなこんなで、これから幼き日々の記憶を掘り返す旅に出ます。記憶にある通り、まだら猫のルビが、縁側でアジの開きをくわえてるラストシーンに出会えることを願いつつ。 |
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2015年3月20日(金) 夢の話が続いて恐縮ですがまた夢でお許しを。 これまでに見たことがないほど恐ろしくて、ひどく疲れる夢を見た。目覚めて時計を見ると5時半。そろそろ起きてもいい時間だし頭も冴えていたから、忘れないうちに書き留めておこうと思った。 けれど緊張のあまり全身の筋肉が硬直していたから、もうすこし横になっておいた方がよさそうだと思い直してもう一度寝て、7時すぎに起き出した。そのくらい疲れる夢だった。今でもこわばった節々が痛い。 場面はめまぐるしく変化するから細かいところは省略するとして、記憶に焼き付けられたのは二つの場面。
白とグレーの長毛を風になびかせて、快活に歩くきれいな犬との散歩はとても楽しくて、マヤと私は小走りで知らない街をどんどん行った。 やがて行き着いたのは、切り立った崖の下。崖の上にはずっと東の方まで続く遊歩道があり、右手に瀬戸内海を眺めながら歩いてゆけることが直感的に分かった。 海を見ながら散歩したら気持ちいいだろうなあ。でも、崖の上にある遊歩道に至るには、ごろごろと積み重なっている巨大な岩をよじ登らなきゃならない。 私も意を決して、犬のあとについて行く。岩に登ったり冷蔵庫に登ったり、このところ夢の中でよく登る。 わあっ!嫌だなあ!と進むのをためらっていると、頭上から降ってきた人の話し声。見上げると、崖のもう一段上をサイクリングしている人たちがいた。 その時、彼らが不注意に蹴り落とした石が他のもっと大きな石を巻き込んで、巨岩の群となって頭上から降り注いでくるではないか。 右も左も後ろも崖。進むことができるのは墓の間の道のみ。だが、そこを走り抜けおうとすると、次々に落下してくる巨岩につぶされる。 飛び降りるしかない!ととっさに思った。だが、見下ろすと地面に至るまでにはビルの三階分くらいの高さがあって、頭がくらくらした。 ええい!ままよ! すると、岩と同じようにまっすぐに落下して地表に叩きつけられることを覚悟した体は、まるで粘度の高い液体を泳ぐように、スローモーションで落ちてゆくではないか。 神さま!ありがとうございます!信仰心などない私なのに、何者かに対する感謝の念が全身を貫いた。 もう一つの夢では身を震わせて怒っていた。 私は人に対して怒ることはほとんどない。それはおだやかな性格だからではなくて、人と言い争ったり事をこじらせるのが面倒だから。代わりに怒りのエネルギーを内向きに放出してしまうせいで、私はいつも自責の念に囚われている。 それなのに夢ではありえないほど怒っていた。皆に向かって大声でまくしたて、激怒に身を震わせていた。怒りを言葉では100%表現できなくて、もどかしさにますます怒り狂った。
そのうちベランダに座っておしゃべりしていた2,3人が、下を通るパレードを認めてみんなを呼んだ。「早くおいでよ!面白いものがきたよ!」 がやがやと集まってきた人々が身を乗り出す。古いマンションの外付けベランダに鈴なりになった体格のいい人たち。 だが、たったそれだけの言葉がスムーズに出なくて、私はヒステリーを起こしたみたいにわめき散らした。「ダメ!」「みるな!」「あんたはダメ!」「あんたもダメっ!」 さっきまで楽しそうだった人々は口を閉ざして、しらーっとこちらを見つめている。私は「楽しい光景をひとりじめしたいケチな人」「いきなり怒り出して楽しいところへ水を差す無粋な人」になってしまったらしい。 そんな私にヘボピーが噛みついてきた。妹からすれば、パーティーの主催者としてせっかくいい雰囲気だったのに、ぶちこわされたと思って当然だ。 そこからは激しい応酬。ヘボピーに対して抱いている不満だけではなく、世界のありとあらゆるものに対して抱いている怒りを一気にぶつけた。 やがて人々の攻撃は私の過去や失敗や、性格の弱さや卑怯さを暴き立てるものへと変化してきて、私は言葉に詰まってしまった。詰まりながら、白日の下にさらされた己のコンプレックスを眺めていた。ああ、自分のもやもやの源はここにあるのか、と思いながら。 口を閉ざした私を見た人々は肩をすくめると、「もう行きましょうよ」「こんな人を相手にしてたって無駄だよ」とヘボピーをうながした。 その時。 驚きのあまり「ああ」としか言葉が出せないヘボピーが、目を見開き口をあんぐり開けたまま、私の肩の後ろを指さした。最初に目に入ったものは、私の背後からまっすぐに差し込んだ光の束。そして首を右に曲げて背後を見ると、信じがたいものが視界に入った。 それは血のしたたるような肉塊。光の束の中をふわふわと漂っている。 全身を貫くものすごい恐怖。肉塊はこちらに向かって漂ってくる。必死で両手でふりはらおうとしたが、それはますます近づいてきて、ついに私の胸の上に乗った。 もう終わりだ。倒れた私は真っ赤な肉塊を胸の上に乗せて観念した。 恐怖よりもあきらめが勝った私は、肉塊の重みを感じながら目を閉じて全身全霊で祈った。 そこで目が覚めた。私はなぜ神さまではなくてカナに祈ったのか。それがちょっと不思議だったけれど、いつか本当にこの世を去るときにも、私はカナや父母や犬たちに導いてねと話しかけるんだろうな、と想像して心が温かくなった。 時間にすればたった数分?数秒の脳の働きが見せた映像なのに、コンプレックスがつまびらかにされることで、ある意味、これまでの人生を総括した上に、擬似死体験までこなすという、てんこ盛りすぎて実に疲れる夢だった。 |
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2015年3月18日(水) 夢にカナが出てきた。 嫌だなあと思いながらマンションにたどり着くと、雨水が一階の廊下にまで流れ込み、あたりは水浸しになっている。 他界する半年前からこちらの不健康に肥えたカナではなくて、比較的元気だった頃のカナ。「あんた、スリムになったねえ」と言うと、「チラシくばりが運動になってるから」と照れたように答えた頃のカナだ。 カナは生きてたんだ、死んだと思ってたけどあれは夢だったんだ!と喜びが心の奥からわきあがってきた。また同時にこれは夢だと分かっていて、それでも久しぶりにカナの声が聞けて幸せだった。 「お母さんは?」「雨がひどいからあっちの家にいるって」「あんた最近体調どうなんよ」「うーん、胃の具合が良くないねん」。 でも、もっと話したいなと思いながらも、じきに私は「続きはあとから聞くわ。いくらでも聞いてあげるからね」と会話を打ち切り、カナと別れてしまった。 目覚めた直後は会話の内容も一言一句もらさず覚えていて、ああ、メモしなきゃ忘れそうだと思っていた。けれども寝ぼけまなこでトイレに立って、また眠ってしまったから今は漠然としか覚えていない。たしかカナに頼み事をしたか、されたかした気がするのに忘れてしまったのは残念だ。 こうしてカナの声を思い出すと、もう二度と会って話ができないという現実が心に突き刺さる。内臓をわしづかみにされたみたいで、息が苦しくなる。 これは離別を受容しつつある徴なのだろうか。それともたまたま躁のサイクルにあるだけであって、間もなくまたうつに飲み込まれるのだろうか。まあ、もう自死を考えることだけはなさそうだから、多少のアップダウンは甘受するしかない。 |
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2015年3月17日(火) ![]() ちょっと昼寝した間に、インド政府の要人に渡すワイロを取りに行かされる夢見とった......。 ある日上司が私に命じるのだ。 「............。」上司は無言で渋面を作る。 うちの会社、たべっこどうぶつとかバラン(弁当のしきりにする緑のアレです)とかを売ってるセコい会社だと思っていたら、兵器だなんて意外とやりおる。 内心そう思いながらも、ノーと言えない部下は「了解しました」とうなずいた。なぜならこの年になってハローワーク通いは厳しいからだ。
......ガシュン!ガシュン!ガシュン!......ぶぅううぅうう――ん......。 上司から「それ」は身長20メーターあると聞いている。見上げんばかりのロボットとの対面は、きっと魂を根底からゆさぶることだろう。 「なっ、なんじゃこりゃ――!!」 「どや!カッコええやろ!」と言いたげに直立していたものは、ガンダムはおろか、グレンダイザーでもザンボットVでもない、むっちゃ安もんくさい鉄のかたまり。 まあ、うちの会社の財力ではこの程度だよな、と妙な安堵感を覚えながらも、こんなものをワイロにしたら、かえってインド高官の怒りを買うんじゃないか?という不安がモリモリわいてくる。 エクスペンダブルズな野郎どもとしょっぱいロボットを前にして、ただひたすら困惑する、課長三木那智であった。 初めて使う大韓航空。キムチくさいと聞いたことあるけどホントかな?機内食はビピンバかな? 座席が、冷蔵庫! なんでもこれ、スマホのシェア低下で青息吐息のサムスンが、起死回生の新商品として押し出した商品。 試験はいいけど客にさせんなよ!と軽い怒りを覚えつつ、キャビンアテンダントに「どうやって座ればいいんですか?」と尋ねたところ、完璧なフォルムの顔に職業的な微笑を貼りつけた彼女は、しれっと言った。「どうぞお登りください(にっこり)」 よいしょっ、よいしょっ。脚立もなしに冷蔵庫によじ登るってけっこう大変。サル山のサルになった気分だ......。 そんなことを考えながらも脱臼しそうな股関節をかばいつつ、グラグラする冷蔵庫に登る、課長三木那智であった。 目覚めた後、ヘボピーに「こんな夢見た」と話したところ、「悩んでグリーフケアの本ばっかり読んでる人の夢とは思われへんな」と一言。
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2015年3月13日(金)
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2015年3月13日(金)
まあ、「大好きだよ」って台詞については、なんだかマイルドヤンキーのツイートみたいだなぁと思ったものの、人は「もう二度と会えないかもしれない」という状況下では、どんなにクサかろうとダイレクトに愛を告げるものだと思う。常日頃クサい発言は慎重に避けているつもりの私でも、父の葬儀の際には「おとうさぁ〜ん!だいすきぃーっ!」と棺にすがって泣き崩れたもんな。 ネット上の噂にざっくり目を通すと、菅原さんにまつわる数々の噂が書き立てられており、正直なところ私も「感動した自分が馬鹿みたい」と思った。もし噂が本当なら、けっこうがんばって義捐金を送った私も、配分に不公平がありすぎやろ!とやるせない気持ちになる。 火のないところに煙は立たない。けれども、まだ子供だった彼女が母親と生き別れたことは事実なわけだから、「感動を返せ」とまでは私は言わない。いや、確かに「一部が作り話だった」と聞いて、がっかりしなかったと言えば嘘になるけれども。 |
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2015年3月12日(木) この一週間、震災関連ニュースが増えた影響で、家族を喪ったあまたの人たちをいつもより身近に感じている。中でも五十嵐さんという方と、追悼式典で遺族代表として手紙を読んだ菅原さんの言葉は強烈な印象を残した。 五十嵐さんは岩手で漁業をいとなんでいる方。地震が起きた直後、船を守るために自宅に家族を残して船を沖に出した。だが、二日後に陸に戻ってみると、家は津波で5人の家族──両親と妻、二人の子供もろとも流されて跡形もなく、妻と子供たちは今も行方不明のままだそうだ。 五十嵐さんは「家族のことを忘れようとも忘れられません。あの時、自分が『逃げろ』と言わなくてごめん。妻と子供には遺体を見つけてあげられなくてごめん、という気持ちです。4年たって、町は少しずつ変わっているが、自分の心の中は何も変わりません」と話されていた。「心の中は何も変わりません」という箇所に、深く共感し、胸が痛んだ。 菅原さんはあちこちのマスコミが取りあげていたから、ご存知の方も多いだろう。 まだほんの子供だった彼女がなした究極の選択、「生き延びよう」という強さにも驚きを覚えたが、母親の言葉が「お前は行きなさい」ではなく「行かないで」だったことに、私はものすごいショックを受けた。 母親として「お前は行け」と言わなかったこと、後を引くであろう言葉を残したこと、それらがいいとか悪いとかいう話ではない。 それにしても人間はこれほどまでに壮絶な体験を経ても、なお生き続けられるものなのか!とただただ驚愕する。 ただ、人はそれほどの状況下にあっても、粛々と生きてゆくものだということに対して、表現は不謹慎かもしれないけれど、なにか新鮮な感じを覚えた。 菅原さんのお母様のことを考えていたからだろうか。昨夜、アルツイハイマーに冒される前の「私のお母さん」の感覚が久しぶりによみがえった。 母はよくふざけて、もう40も過ぎた娘のあごが隠れるくらいまでふかふかの布団をかけてくれて、赤ちゃんをあやすみたいにぽんぽんと叩いてくれたのだ。 いつくしみに満ちた母親の子供でいられて本当に良かった!という思いがしみじみとわき上がってきて、それと同時に、もしも「あの世」があるなら、カナは今頃お母さんと一緒にいて二人でゲラゲラ笑ってるんだろうな、と何となく安心できたものだから、その夜はいつもよりもよく眠れた。 |
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2015年3月11日(水) 今日は東日本大震災から4年目の日。 幸いなことに友人は家も家族も失わずに済んだけれど、周辺の被害は甚大で、津波から数年間は「あそこからまたご遺体が出てきたんだってさぁ。気の毒だけど見つかってよかったなぁ」と近所の人たちと言い合う状況だったそうだ。 私も阪神大震災の被災者だけれど、阪神と東北は被害のタイプが違うと感じる。主な被害をもたらしたものが「家屋の倒壊」だった阪神に対して、東北は「津波」。人命も住居も思い出の品々も、勤め先も故郷の風景も、全てが一瞬で流されてしまったという状況が、復興を困難にしている理由であることは容易に想像がつく。 失われたものは余りにも大きく「復興」という言葉が空疎に聞こえることは実に多い。 そう思いながらも、命を落とした人たちと、生きのびた人たちに一日でも早く平安が訪れることを祈りつつ、今日は静かに黙祷を捧げたい。
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2015年3月10日(火) 先日、電車の待ち時間に、「道楽」の中で一番大変なのはなんじゃろか?とふと考えてみた。 携帯の辞書で「道楽」と入力したら、「本業以外の趣味にふけること」とある。 ドバイの港湾王とかイタリア貴族の知り合いはいないもので、私が判断材料にできるレベルの「道楽」はたかが知れている。 いや、犬より「馬道楽」の方が大変だろうかとも思ったけれど、あれはもともとありあまる資金がなければ指一本触れられない、勝ち組にのみ許されるお道楽。 ほっといて旅行に行っても大丈夫な鉱物やクルマとは違って、ちょっとエサやりや温度管理をサボると対象がお逝きになってしまうため、生き物道楽にふける者は、片時も気を抜くことが許されない。 耳を済ませば聞こえてくる、生き物道楽たちのうめき声......。 久々の関西出張、仕事が終わったらみんなで遊ぼうぜ!と喜んでいたと思ったら、突然顔をくもらせて、「オレ、らんちゅうの池にカバーをかけるん忘れちょった......。今夜は寒いからまずい。」と、泣く泣く最終の新幹線に飛び乗って、博多に帰ったらんちゅう野郎。 「愛らしい小鳥のさえずりを独り占めしたい!」というパッションを抑えきれず、違法と知りつつも、自宅とは別の場所に立てた小屋にメジロを多数隠蔽。エサやりのために出たり入ったりするところを目撃した近所のおばはんにチクられて、警察のやっかいになったメジロおじさん。(メジロの飼育は違法です) イヤミたらたらの嫁より無口なヘビの方が愛しくなって、ヘビさんがのびのび生活できる水槽を部屋にぎっしり並べた結果、嫁もゼニ(慰謝料)も失ったは虫類センセイ......。 ......とはいっても、らんちゅうよりも広い飼育スペースを要し、メジロよりも病院代が高く、コーンスネークよりも寂しがりな生き物をいじくる道楽――犬道楽は、自分自身が属していた世界なせいもあって、「趣味にふけることの大変さ」に対してけた違いの実感がある。 中学生の頃から30代前半まで私がどっぷりつかっていたドッグワールドには、二派――訓練の成果を競う「アジリティー道楽」と、ルックスのよさを競う「ショー道楽」がある。 飼い主との絆の強さ、犬の身体能力がストレートに評価されるアジリティーに対して、、ドッグショーはいわゆるひとつの「大人の事情」でどうとでもなる美人コンテストである。 AKB総選挙でも「なぜぱるるが?」「なぜ指原が!」と意見がばらけるように、絶対的な「美」のスタンダードが存在しないコンテストには、常にあいまいさがつきまとうもの。 そこでは客観性ゼロの「うちの子が一番かわいい!」が幅をきかせ、お金持ちの見栄と欲とが入り乱れる中、農水省の天下りやらペット産業やら、「その筋」のややこしい人々の諸事情までもが注入されて、ミステリアスなマーブル模様を描いていた。 なんせ、自分の犬すら持ってないビンボーなガキの私ですら、「○○さんのグループだから」という理由でこきおろされる世界......。 それでも、「犬が好きで好きでたまらない!」というのは、すべての犬道楽がよって立つところである。心血そそいで愛犬たちを磨き上げる根底には、「金と名誉」よりもまず「愛」ありきだと思い......たい。 暑さに弱いボルゾイのため、エアコンは23度設定で24時間稼動。スタンダードプードルのトリミングを美容院に頼んだならば、2人がかりで7時間。代金平均3、4万。ラッパーのドレッドヘアかよって感じである。 とは言っても、この程度はまだまだ犬道楽の「はじめの一歩」である。 もっと前のめりになってくると、「犬にいい筋肉をつけるため」に広い運動場が手に入るド田舎に家族そろって引っ越したり、「輸入したアフガンが検疫所に入ってる間に毛玉ができるから」と、1ヶ月近くにわたってブラッシングのためだけに毎日、名古屋から関空までドライブしたり。 その筋の親分は紀州犬の小屋に監視カメラを設置。お犬さまに異常がないか若いもんに監視させるという、生類憐れみの令かよって感じの手厚いケア。 一方、海のむこうの道楽者も黙ってはいない。 ヨーロッパから犬を輸入する際に、子犬の飼育環境にチェック入れるためにブリーダーが犬にくっついてきた、なんてことは「ふーん」のレベル。 ......とこうして振り返ってみると、犬ってほんとに、お金と時間がたっぷりある人の趣味だなあ、としみじみ思う。じっさい、会社経営者とか百万石の大名の末裔とか、ビルいっぱい持ってるぜ!みたいな人が多かったっけ。 そういう大人の道楽ワールドで学生の私が遊んでいられたのは、あの頃はまだ10代のマニアが少なかったせいで、年上の人たちが面白がってくれたことが大きいだろう。濃ゆい世界を見せてくれた大人のひとたちには、軽く感謝をささげたい。 そんな私も自分でお金をかせぐようになってからは、海外からサルーキを輸入したり、プロをやとってショーに出したりと、それなりに犬道楽したもの。 キニガース・ダルガース、ハドレー・シャイニングスター、サキャヴェラル・ズカーラ、チェンサラ・サンダーレイション、ローガンズ・キスミーケイトetc,
etc。 犬道楽から完全に足を洗った私は、ドッグワールドの動向は今ではまったくもって分からない。 犬の世界では人を恨むような嫌なこともあったし、ずいぶん馬鹿もしたけれど、振り返ってみればあれはあれでけっこう面白かった。確かに「時間と金と体力の無駄」でもあったが、人生には無駄も必要なんだ!(無駄多すぎです) こう考えてみると、こんな自分にも「道楽」の真似事をすることを許してくれた人々と犬たちに向かって、「楽しみをありがとう」の一言くらいいっておきたい気分になる。 |
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2015年3月6日(金) ここ数日間はわりかし気分がいいから昨夜は焼き肉を食べに行ったよ。 だがその夜はきっちり鬱。何度も目覚めて「カナはもういないんだ」と絶望感にうちひしがれた。そういえば前も焼き肉食べた次の日に、ここで同じこと書いてたよな……。 体調がいい→焼き肉→胃、がんばりすぎる→うつモード、のパターンは確実にあるみたい。 ところで、このところ「グリーフケア」の関連書を読みあさっている。 それならカナの死からわずか7ヶ月しか経っていない私は、まだまだ頑張らなくていいんだ、立ち直る必要なんてないんだ!と思うとちょっと気が楽になった。 さて、そろそろ家を出ます。会社に行く前にTSUTAYAに寄って返却ボックスにDVDを放りこむから、いつもより早く出なきゃならないんだ。 借りていたのは洋ドラの「ブレイキング・バッド」。ご存知の方も多いと思うが、こんなに面白いドラマがあるんだ!と感動したくらい完成度の高いこれに、近頃ちょっとはまりかけ。 あさってには東京で「ブレイキングバッドナイト」なるイベントが開催されるとの情報をゲットしたものだから、がんばって行ちゃおっかな……と思ったけれど、全シリーズ通しでまだ一回しか見てないから、マニアぞろいのイベントでクイズとかに答える自信がない。後ろ髪を引かれつつ、今回は見送ることにした。 このままさらにはまるようなら、近々レイキングバッドについてもここで触れられればなーと思ってます。 |
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2015年3月1日(日) すこし前のできごとになるが、もうアカンと思うほど辛かったお正月のこと、そしてカナが出てきた夢の話をさせて欲しい。 ここで何度か書いたように、突然の別れの後、カナが出てくる夢を何度か見た。夢の中のカナはいつも楽しそうで、ああ、生きている時は苦しみが多かったけど、今は楽になれたのかもしれない、と心がすこし安らいだ。 しかし安らぎは長くは続かない。すぐに後悔で胸がいっぱいになる。 来る日も来る日も悶々とするうちに、心と体の双方に疲労が澱のように溜まってきた。 立ち上がろうとするたびにパンチを食らわされるとか、ふさがり始めた傷に指を突っ込まれるような経験が続くとさすがにこたえる。五人と一匹しかいない家族のうち、毎年一人づつ三年連続で死ぬって、アカンやろそれは。
疲労が頂点に達したのは、正月休みの六日間だったと振り返って思う。 スリや詐欺師が手ぐすね引いて待ち構えている旅行先では、緊張の連続。無事に一日を終えるだけで精一杯。しかし日本にいる限り、カナのいないあとに開いた穴が嫌でも目に入る。
「ダメだ......もう死にたい......。」とフラフラするのではなくて、ぐっと地面を踏みしめて、「このあたりが限界だな。仕方がないな、じゃあ死ぬか!」という、妙に明朗な決意。人は死を選択する直前、案外とこういう風にさっぱりした心持になるものなんだろうか、と考えたりした。 私にとって唯一の「守るべき存在」であるマヤのことは気にかかったものの、犬の寿命からして余命はせいぜいあと三年。そのくらいならヘボピーが面倒を見てくれるだろう。
もちろん、幾らでもいいと言うならどうにだってなるだろう。だが、いいお値段で売却するためには適正な手順が必要で、それはけっこうめんどくさくて、交渉ごとが苦手なヘボピーに任せるのは酷だと思ったのだ。 苦労して手に入れたモノたち。それらの対価として少しでもたくさんお金をもらって、ヘボピーとマヤの老後を安楽にしてやりたい。 一生懸命集めたメールヌード写真集は、友人たちの好み(キレイ系、野獣系、フェチ系etc)を考慮した上できちんと割り振りたいし、このサイトも主亡きあと、いつまでも放置されるのはしのびない。 細かい後片付けのことまで遺書に記して、ヘボピーと友人達に丸投げしてもいいけれど、ゲイ本の割り振りまで考えなきゃならない遺書作成が面倒。自分でやる方が確実だ。 それでも、考え直したからといって生きる気力を取り戻したわけではなかった。この世界にカナはいないし、やりたいこともない元日は辛くてたまらず、気力が萎え切って、布団から起き上がることすらできずにいた。 そんな時、ツイッターでタイムラインに並んでいた文字が目に入った。 そういえば、これから見る夢は初夢だった。もし、そこに救いめいたものを見出せたなら、この苦しみが和らぐかもしれない。 だが、2日の夜に見たのは、世界経済がクラッシュする夢だった......。去年の初夢とおんなじや!(怒) 夢なんてそう簡単にコントロールできるもんじゃないな。よりによってハイパーインフレと預金封鎖かよ......と諦めて眠りに付いた次の夜、本当にカナが夢に出てきた。 夢の中で私とヘボピーとカナ、三人揃って知らないどこかの、でもずっと前に見たことがあるような街を歩いている。 いつでもそばにあったありきたりの、今では遠く懐かしい日常。笑いながらも私には、これは夢で、カナはもういないことは分かっていた。 「ナスのパスタだったら食べたいなあ」ファストフード店の前を通り過ぎた時、壁に並んだ写真メニューに目をやりながらカナが言って、「ナスのパスタぁ?そんなのないでしょ!」とすかさず私が答える。 その時、眠っている私のすぐ耳元で、話しかけてくるカナの声が聞こえたのだ。 「私、生と死の間の分子のめぐり合いについて考えてる」 まるで今そこにいるような、リアリティーのある大きくはっきりした声。度肝を抜かれて飛び起きた。 そういえば......と、霊能者のRさんにこう言われたことを思い出した。 霊能者に告げられたことを鵜呑みにするわけではないし、なんでもかんでもオカルトの側面から分析することもしたくない。 異なる世界に行ったカナが何かを伝えようとしたのか。私の深層心理が、カナの姿を通じて自分自身が見出すべき事柄のヒントを与えようとしたのだろうか。 それでも、この夢を見てからずいぶんと気持ちが楽になった。「視界が開けた」とまでは言えないものの、自分を取り巻く時間と空間が、ほんのわずかながら広がりを見せたような感触がある。 あの夢は、自身の脳が自己保存のために見せたイメージなのか、それとも外から何らかの力が働いたのかは分からない。きっとこれから先も、死ぬまで解答に到達することはないだろう。 ただ、「死ぬため」に家や絨毯を手放そうとすることはもうないと思える。 |