2015年3月31日(火)

かわいそうな捨て犬です。誰か拾ってください。

週に一度はお肉メガ盛りを食べさせてください。

本日3月31日。期末だから超繁忙が確約された一日。
窓からは陽光が燦々と差し込み、窓の外の山々はところどころ桜色に染まっている。

かく言う私の心は、ついさっきまでは晴れやかな気候に浮かれ気味。爽やかモードで山を眺めながらラジオ体操などしていたが、証券会社のサイトを開いて昨夜のNYダウを見たとたん、一気に暗黒世界に突き落とされた。

……ダウ、えらい上がっとる……。

ダウが二百数十ドル上昇したということは、本日の日経平均もぐわんぐわんと上がることだろう。
あらどうして?株をやってるなら株価が上がるのはいいことなんじゃないの?と不思議がられそうだが、畜生!オイラはバリバリの売り方(上がると死ぬ側)なんだよっ!!

ホンマにもう、回りには「いったい日本のどこが景気がいいんだろう?」という、いつも変わらず不景気な人間しかいないせいで、ついつい相場の読みを誤ってしまう。

先日も美容院でカットしてもらいながら「景気、どうですか?」と聞いたら、美容師が「駄目ですねー。景気のいい話なんかぜんぜん聞きませんよー」と言ってたし、正社員はおろか派遣の求人だって少ないから、うちみたいなちっこい会社にすら「派遣社員募集しませんか」と派遣会社のセールスがうるさいくらいにかかってくるのにな。

きっと貧富の差の開き方は、想像よりもはるかに早いスピードで進行しているんだろう。
そう考えると、地方都市の零細企業の従業員としては株の下落に賭けたくなるのも仕方ないとはいえ、勝とうとするならトヨタの部長にでもなったイメージを抱かなきゃならんということらしい。

そんなわけで一気に落ち込んだ自分を、心の中に飼っている小さなリスになぐさめてもらいつつ、期末の書類をちぎっては投げ、ちぎっては投げしに会社行ってきます。株価は忘れて今日一日くらいはがんばるどー!

2015年3月30日(月)

ずっと前から気になっている一節がある。ずいぶん昔に読んだ物語、一匹の犬の命の火が今まさに消えようとしている場面だ。
たしかこういう文章だった。
「○○はしばらく悲しげにくんくん鼻を鳴らしていたが、やがて、静かに、静かになってしまった」

静かに、静かになってしまった。
このフレーズを思い出すたび、生きものの呼吸が止まる瞬間と、温かかった体からあっという間に熱が失われてゆく様子――魂が飛び去ってゆくありさまが、まるで目の前で起きているできごとのように頭に浮かんで、悲しくて寂しくてたまらなくなる。
そして、自分の思うところの「生きることにまつわる哀しみ」がこの一節に詰まっているようにすら思えてくるのだ。

でも、それは思い込みがすぎるのかもしれない。動物が死ぬ場面は涙なしでは読めないものだけれど、大人になった今、全編を通してこの物語を読み直す機会が得られれば、えっ?こんなにあっさりした話だった?と拍子抜けする可能性もある。

そんなわけで、この一節が何というお話のものだったか突き止めたいのだ。
シートン動物記の「名犬ビンゴ」か、岩波少年文庫の「名犬ラッド」かな?とあたりはつけているものの、確認には至っていない。

そもそも、「静かになってしまった」のは犬ではなくて、ひょっとすると熊やライオンだったかも.....。ならば「野生のエルザ」あたりも押さえなきゃアカンか?.と思えてくるけれど、「死ぬ前に主人に甘えるようにくんくん鳴いていた」ような記憶があるから、まずは犬周りから攻めた方がよさそうだ。

物語のタイトルが分かれば、長年の胸のつかえが取れるだろう。もしもどなたか「それ知ってる!」という方がいらっしゃいましたら、ぜひともお知らせくださいませ。


もう1つもやもやしているのは、「タイトルが不明」ではなくて、「オチが記憶と違う」パターン。手塚治虫が小学館の児童向け雑誌に連載していた、「冒険ルビ」という作品の件。

「冒険ルビ」は主人公である少年少女が「善き宇宙人」から強力なパワーを発揮できる帽子とスーツを与えられて、悪い宇宙人と戦うという、まあよくある感じの幼年向きSF漫画。
うちでは「小学○年生」は買ってもらえなかったから、この連載読みたさに友達の家に遊びに行ったものだ。

源氏パイみたいな形の帽子と、スクール水着的なパワードスーツを身に着けて、銀河を駆け巡る少年たち。手塚のSFガジェットは今見るとものすごくダサいが、1970年代初頭の作品だからしよーがない。

やがてストーリーは最終回に向かって驀進し、エイにしか見えない宇宙人との激しい戦いの末に、ようやく冒険の終わりを迎える。

だが、ワクワクしながらページを開いた私を待ち受けていたのは、度肝を抜くようなエンディング。
1ミクロンたりとも予想しなかった展開に驚くあまり、ひっくり返ってこたつの角で頭を打って、ルビの代わりに宇宙に旅立つとこだった......。

ストーリー展開的に、主人公のルビオは人類を救ったヒーローとして、意気揚々と凱旋帰還すると思うだろう。
だというのに、それまでエイ怪人と派手にスペースバトルを繰り広げていたルビオは、ラスト1、2ページで、なっ、なんと!
猫になっちゃうのだ!
えええええええ――――っ????!

それも「猫に変身した」のではない。ルビオは「元から猫」で、華々しい活躍はぜんぶ「うたた寝した猫の夢」だったのだ!
えええええええ――――っ????!


この手のまとめ方は幻想文学ではちょく見られる展開だし、夢の中で蝶と化してひらひらと舞っていた人が、目覚めて「自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも自分が蝶の夢の中にいるのか」と考えるのは荘子の説話で有名だ。
だが、「胡蝶の夢」を児童誌でやられても、ねえ......。

さすが手塚先生、相手が幼児でも情け容赦ありませんねと言うべきか、オチに困ったのは分かりますが無茶しすぎですと言うべきか。
事実は多分後者だろうが、少なくとも小学校2,3年生の私にとってはものすごいショックだった......というか、漠然ながらも形を成しつつある世界観の根幹に、けっこうな影響を及ぼしたのではないかと思っている。

だって、さっきまで宇宙を股にかけていた人間が、メス猫(夢の中でいっしょに戦っていた少女!)に、「アンタったらまーた変な夢見たのね(笑)そんなことより早くごはん食べなさいよ」なんて言われて、「なんだ、夢だったのかあ......。」とちょっと憮然としながらも、あっさり「飼い猫としての平凡な日常」に戻ってアジの開きなんかくわえてるんだぜ?

主人公たちと一緒に冒険してきたつもりの読者としては、「ルビオ=縁側でうたた寝していたどこにでもいる猫」だなんて、どえらいびっくり展開だ。
今ここにいる自分は本当は何者なんだろう?夢を見ているだけの何か別の存在なんじゃないか?という、子供にはまだうまく表現できない「居心地の悪さ」を強烈に感じたのを覚えている。
また、自分が猫の夢に胸躍らせていたと知ってショックを受ける、そんな想像力が豊かすぎる幼子は、私以外にも少なからずいたのではと思う。


話が長くなったがそういう経緯があったせいで、あの変てこなラストシーンを確認したくて、手塚の全作品を網羅した講談社の手塚治虫全集から「冒険ルビ」を買ってみた。

だがしかし!
収録されているエンディングはぜんぜん猫じゃない!小学2,3年生の頃の記憶では、確かにラストのコマで猫のルビが「夢だったのかあ」とエサ食うっとったのに!

この「オチが記憶と違う」理由については、おおよそ推測がついている。
手塚先生は気に入らないオチを描きなおすことがよくあったせいで、同じ作品でもエンディングが何種類か存在するのは珍しくないそうだ。私が買った手塚全集の「冒険ルビ」は、先生が一番最後に描いた作品を収録したのだろう。

ということは、「胡蝶の夢」パターンのエンディングは、手塚先生の本意には沿わなかったということだろうか。
でも、その理由は単に「締め切りに追われて無茶なオチにしすぎたわー」という反省からか、それとも「胡蝶の夢」は子供には分かりにくい、と考え直したせいなのか。
そのあたり詳しく知りたいが、残念ながら先生はすでにこの世の人ではない。

......とここまで書いたところで、意を決してグーグル先生を開いて、「冒険ルビ」と入力してみた。

いや、wikiなら私の疑問に答えてくれるかもしれないとは思っていたけれど、万が一にでも「猫エンディングなんか存在しない」なんてことになろうものなら、この年になってから「私はだれ?」と悩みかねない。それがちょっぴり怖くて、これまで確認していなかったのだ。

けどご安心を。wikiにはこう書かれていただけだった。
「二誌の連載はプロットは共通ながら、ゾンダの正体が異なるなど細部が微妙に異なった展開となっている」
さすがwiki先生。本当に知りたい情報はいつも手に入らんな。(苦笑)

それでもまあ、収穫もあった。
「コレジャナイ!」と怒った手塚治虫全集の「冒険ルビ」のパターンは「小学2年生開始版」であって、他にも同全集の「ふしぎなメルモ」に「小学1年生開始版」が収録とあるではないか。
まさかメルモちゃんに隠れてるなんて......。フェイントがすぎる。ルビならルビで一冊にしろよ!と怒りを覚えつつ、「すぐ買ってみよう」とあせりを覚えるあたくし。

またその他に、秋田文庫版にも「冒険ルビ」が存在することや、手塚文庫全集の「ガムガムパンチ」にもルビが収録されていることが判明。さすがwiki先生。頼りになるわあ。(手のひら返し)

そんなこんなで、これから幼き日々の記憶を掘り返す旅に出ます。記憶にある通り、まだら猫のルビが、縁側でアジの開きをくわえてるラストシーンに出会えることを願いつつ。

2015年3月20日(金)

夢の話が続いて恐縮ですがまた夢でお許しを。

これまでに見たことがないほど恐ろしくて、ひどく疲れる夢を見た。目覚めて時計を見ると5時半。そろそろ起きてもいい時間だし頭も冴えていたから、忘れないうちに書き留めておこうと思った。

けれど緊張のあまり全身の筋肉が硬直していたから、もうすこし横になっておいた方がよさそうだと思い直してもう一度寝て、7時すぎに起き出した。そのくらい疲れる夢だった。今でもこわばった節々が痛い。

場面はめまぐるしく変化するから細かいところは省略するとして、記憶に焼き付けられたのは二つの場面。


一つ目の夢。私はマヤを散歩させている。夢の中でマヤはイングリッシュコッカーではなくて、ベアデッドコリーという、ハスキーに近い大きさの犬になっている。それでも、この犬がマヤであることは分かっている。

白とグレーの長毛を風になびかせて、快活に歩くきれいな犬との散歩はとても楽しくて、マヤと私は小走りで知らない街をどんどん行った。

やがて行き着いたのは、切り立った崖の下。崖の上にはずっと東の方まで続く遊歩道があり、右手に瀬戸内海を眺めながら歩いてゆけることが直感的に分かった。
(そういえばこの道は、これまでに2,3回夢に出てきたことがある。現実には存在しない道なのだが。)

海を見ながら散歩したら気持ちいいだろうなあ。でも、崖の上にある遊歩道に至るには、ごろごろと積み重なっている巨大な岩をよじ登らなきゃならない。
どうしよう……と迷っていたら、マヤが先導するように、ひょい、ひょいと登りはじめた。

私も意を決して、犬のあとについて行く。岩に登ったり冷蔵庫に登ったり、このところ夢の中でよく登る。
なんとかよじ登り、息を切らしてたどり着いたがけの上には、直感で分かっていた通り、人と犬が並んでやっと通れるくらいの幅の道が、東に向かってまっすぐに伸びていた。
ただ、下から見た時には分からなかった。道の左側には古びた墓地が続いていたのだ。

わあっ!嫌だなあ!と進むのをためらっていると、頭上から降ってきた人の話し声。見上げると、崖のもう一段上をサイクリングしている人たちがいた。

その時、彼らが不注意に蹴り落とした石が他のもっと大きな石を巻き込んで、巨岩の群となって頭上から降り注いでくるではないか。

右も左も後ろも崖。進むことができるのは墓の間の道のみ。だが、そこを走り抜けおうとすると、次々に落下してくる巨岩につぶされる。

飛び降りるしかない!ととっさに思った。だが、見下ろすと地面に至るまでにはビルの三階分くらいの高さがあって、頭がくらくらした。
この高さだと下手をすると死ぬかも知れない。それにマヤはどうする?犬を振り返ると、足をがくがくさせて凍り付いたまま。

ええい!ままよ!
意を決して犬を抱きしめると、地面を蹴って崖から飛び降りた。

すると、岩と同じようにまっすぐに落下して地表に叩きつけられることを覚悟した体は、まるで粘度の高い液体を泳ぐように、スローモーションで落ちてゆくではないか。

神さま!ありがとうございます!信仰心などない私なのに、何者かに対する感謝の念が全身を貫いた。
そして、犬をしっかりと抱きしめながらふわふわ浮いている私の目に映ったのは、水面が切り紙細工と化した瀬戸内海。
そこには数え切れないほどの軍用艦が浮かんでおり、ああ、とうとう戦争に突入するんだ……と思いながら私は犬と共にゆっくりと地上に降りていった。


もう一つの夢では身を震わせて怒っていた。

私は人に対して怒ることはほとんどない。それはおだやかな性格だからではなくて、人と言い争ったり事をこじらせるのが面倒だから。代わりに怒りのエネルギーを内向きに放出してしまうせいで、私はいつも自責の念に囚われている。

それなのに夢ではありえないほど怒っていた。皆に向かって大声でまくしたて、激怒に身を震わせていた。怒りを言葉では100%表現できなくて、もどかしさにますます怒り狂った。
目覚めた時に、これまでの人生で貯めこんだ怒りをあらいざらい吐き出したみたいだ、と思ったほどの激しい怒りだった。


その夢の舞台は実家。寝る前にドルチェ&ガッバーナの人口受精児に対する発言をめぐる、一連の騒動のニュースを読んでいたせいだろう。狭いマンションに10名近いLGBTのお客さんを迎えて、わいわい楽しくやっている。

そのうちベランダに座っておしゃべりしていた2,3人が、下を通るパレードを認めてみんなを呼んだ。「早くおいでよ!面白いものがきたよ!」

がやがやと集まってきた人々が身を乗り出す。古いマンションの外付けベランダに鈴なりになった体格のいい人たち。
それを見た私は、ベランダが重量に耐えられずに崩壊して、人間もろとも落ちてしまうんじゃないか?そう思って怖くて怖くて、あまり負荷をかけたら危ないよ!順番に見た方がいいよ!と部屋に戻るよううながそうとした。

だが、たったそれだけの言葉がスムーズに出なくて、私はヒステリーを起こしたみたいにわめき散らした。「ダメ!」「みるな!」「あんたはダメ!」「あんたもダメっ!」

さっきまで楽しそうだった人々は口を閉ざして、しらーっとこちらを見つめている。私は「楽しい光景をひとりじめしたいケチな人」「いきなり怒り出して楽しいところへ水を差す無粋な人」になってしまったらしい。

そんな私にヘボピーが噛みついてきた。妹からすれば、パーティーの主催者としてせっかくいい雰囲気だったのに、ぶちこわされたと思って当然だ。
ちゃーちゃは楽しそうな人たちに妬いているの?カナがいなくなったせいで、そこまで心がねじくれてしまったの?

そこからは激しい応酬。ヘボピーに対して抱いている不満だけではなく、世界のありとあらゆるものに対して抱いている怒りを一気にぶつけた。
そのうちヘボピーの肩を持つ友人までもが一緒になって攻撃してきたことが、ますます怒りに油を注ぐ形になって、私は爪が手のひらに食い込むほど固く拳を握りしめ、体を震わせながら大声でまくしたてた。

やがて人々の攻撃は私の過去や失敗や、性格の弱さや卑怯さを暴き立てるものへと変化してきて、私は言葉に詰まってしまった。詰まりながら、白日の下にさらされた己のコンプレックスを眺めていた。ああ、自分のもやもやの源はここにあるのか、と思いながら。

口を閉ざした私を見た人々は肩をすくめると、「もう行きましょうよ」「こんな人を相手にしてたって無駄だよ」とヘボピーをうながした。
「あーあ、せっかく楽しかったのにねえ」「台無しだな」とばらばらと去ってゆく人たち。「やっぱりミキさんが心配だから」と言う2,3人を残して、他は呆然とする私を残して去ってしまった。寂しくてみじめで、ただ呆然としていた。

その時。
「あああああああああああああああああああああ」

驚きのあまり「ああ」としか言葉が出せないヘボピーが、目を見開き口をあんぐり開けたまま、私の肩の後ろを指さした。最初に目に入ったものは、私の背後からまっすぐに差し込んだ光の束。そして首を右に曲げて背後を見ると、信じがたいものが視界に入った。

それは血のしたたるような肉塊。光の束の中をふわふわと漂っている。
目にした瞬間、私はそれが牛やブタではなくて、人間の肉体の一部であること。そして、それは生者が決して目にしてはならないものであることが直感的に分かった。

全身を貫くものすごい恐怖。肉塊はこちらに向かって漂ってくる。必死で両手でふりはらおうとしたが、それはますます近づいてきて、ついに私の胸の上に乗った。

もう終わりだ。倒れた私は真っ赤な肉塊を胸の上に乗せて観念した。
これが死というものなのか?よく分からない。ただ、これまでにいた世界に別れを告げなくてはならないことだけは確実みたいだ。

恐怖よりもあきらめが勝った私は、肉塊の重みを感じながら目を閉じて全身全霊で祈った。
カナ、どうか私を守って。私が全てを静かに受け入れられるように守って。

そこで目が覚めた。私はなぜ神さまではなくてカナに祈ったのか。それがちょっと不思議だったけれど、いつか本当にこの世を去るときにも、私はカナや父母や犬たちに導いてねと話しかけるんだろうな、と想像して心が温かくなった。

時間にすればたった数分?数秒の脳の働きが見せた映像なのに、コンプレックスがつまびらかにされることで、ある意味、これまでの人生を総括した上に、擬似死体験までこなすという、てんこ盛りすぎて実に疲れる夢だった。

2015年3月18日(水)

夢にカナが出てきた。
どしゃ降りの雨の中、私は家路を急いでいる。マンションの向かいにある文具店の軒下、人待ち顔で佇んでいる黒いスーツの男が、私の姿を認めて穴があくほど見つめてきた。会ったこともない人なのに、背中に感じる視線はぞくぞくするほど不愉快だった。

嫌だなあと思いながらマンションにたどり着くと、雨水が一階の廊下にまで流れ込み、あたりは水浸しになっている。
水に追われるように階段を上っていると、後ろから誰かが来るのに気が付いた。振り返ってみると、カナだ。

他界する半年前からこちらの不健康に肥えたカナではなくて、比較的元気だった頃のカナ。「あんた、スリムになったねえ」と言うと、「チラシくばりが運動になってるから」と照れたように答えた頃のカナだ。
それも、引きこもりが長くなってからのぼろぼろの格好じゃなくて、黄色のカーディガンとロングスカートなんかはいて、普通のOLさんみたいにきれいにしているから、あらっと思った。

カナは生きてたんだ、死んだと思ってたけどあれは夢だったんだ!と喜びが心の奥からわきあがってきた。また同時にこれは夢だと分かっていて、それでも久しぶりにカナの声が聞けて幸せだった。
だんだん記憶が薄れつつあるけど、そうだ、カナはこんな声をしてたんだ。

「お母さんは?」「雨がひどいからあっちの家にいるって」「あんた最近体調どうなんよ」「うーん、胃の具合が良くないねん」。
カナが生きていた頃にはいつだって、好きなだけできたありきたりの話題。しかし今では貴重になってしまった一言一句を、噛みしめるように会話した。聞けばこの夢では、お母さんはアルツハイマーになってはいなくて、カナと一緒に住んでいるのだと分かって安心した。

でも、もっと話したいなと思いながらも、じきに私は「続きはあとから聞くわ。いくらでも聞いてあげるからね」と会話を打ち切り、カナと別れてしまった。
もっと話せばよかったと目覚めてから思ったけれど、あとのまつり。

目覚めた直後は会話の内容も一言一句もらさず覚えていて、ああ、メモしなきゃ忘れそうだと思っていた。けれども寝ぼけまなこでトイレに立って、また眠ってしまったから今は漠然としか覚えていない。たしかカナに頼み事をしたか、されたかした気がするのに忘れてしまったのは残念だ。

こうしてカナの声を思い出すと、もう二度と会って話ができないという現実が心に突き刺さる。内臓をわしづかみにされたみたいで、息が苦しくなる。
それでも、死ぬことばかり考えていた頃の発狂しそうな辛さに比べると、最近は夜中に目覚めて「カナはもういない」ことを思い出しても、じきに眠れるようになったからずいぶん楽だ。

これは離別を受容しつつある徴なのだろうか。それともたまたま躁のサイクルにあるだけであって、間もなくまたうつに飲み込まれるのだろうか。まあ、もう自死を考えることだけはなさそうだから、多少のアップダウンは甘受するしかない。
当面はカナの死をきっかけとして根底から変わりつつある人生観を、じっくり整理してゆく時期だと考えている。

2015年3月17日(火)

バッカでぇ〜〜!!

ちょっと昼寝した間に、インド政府の要人に渡すワイロを取りに行かされる夢見とった......。

ある日上司が私に命じるのだ。
「ミキさん、A港のBバースのC倉庫に保管されている『ワイロ』を引き取りに行ってくれ」
「は、はあ......。」
「あくまで秘密裏にだ。慎重に行動してくれたまえよ」
「しかし......。一体なにを?」

「............。」上司は無言で渋面を作る。
「ひょっとして......違法薬物......ですか?(小声)」 
「違うっ!」
上司は両のまなこをくわっと見開いた。
「ロボットだ!!」
「ええ――っ?ロボットぉおぉ?!!」

目の前にぱぁぁあっと浮かんだのは、そそり立つガンダムの勇姿。

うちの会社、たべっこどうぶつとかバラン(弁当のしきりにする緑のアレです)とかを売ってるセコい会社だと思っていたら、兵器だなんて意外とやりおる。
しかし、食品問屋がいきなり黒い商人の真似事とは、ふんどし一丁でピラニア池に飛び込むようなもんじゃないか?

内心そう思いながらも、ノーと言えない部下は「了解しました」とうなずいた。なぜならこの年になってハローワーク通いは厳しいからだ。


やがて、夜のとばりが降りる頃、A港埠頭にうごめく影ひとつ。
ニワトリを狙うイタチのように人目を盗んで倉庫にすべり込んだ私を待ち構えていたのは、暗黒街からわいて出たような男たちだった。
「お疲れ──っス!!」
100回生まれ変わってもカタギにはなれなさそうな奴らに頭を下げられて、いけない世界に足を踏み入れたことを実感した。

......ガシュン!ガシュン!ガシュン!......ぶぅううぅうう――ん......。
(ブレーカーをおろして端から電気がついていく、映画でよくあるアレですわ)

上司から「それ」は身長20メーターあると聞いている。見上げんばかりのロボットとの対面は、きっと魂を根底からゆさぶることだろう。
違法な商いに加担しているという罪悪感も忘れて、ごくりとつばを呑み込んだ。アムロの、シャアの、タムラ料理長(違)の胸の震えを思い浮かべつつ、振り仰いだ視線の先にあったのは......。

「なっ、なんじゃこりゃ――!!」

「どや!カッコええやろ!」と言いたげに直立していたものは、ガンダムはおろか、グレンダイザーでもザンボットVでもない、むっちゃ安もんくさい鉄のかたまり。
白と青のペンキで夏休みの工作並みにおおざっぱに塗り分けられて、エジプト・ファラオ村の「こどもゆうえんち」にひとり寂しく佇んでいそうな、365度どこから見てもMade in China のMr.ロボットであった。

まあ、うちの会社の財力ではこの程度だよな、と妙な安堵感を覚えながらも、こんなものをワイロにしたら、かえってインド高官の怒りを買うんじゃないか?という不安がモリモリわいてくる。

エクスペンダブルズな野郎どもとしょっぱいロボットを前にして、ただひたすら困惑する、課長三木那智であった。


場面は変わり、私は空港にいる。
利用エアラインは大韓航空。(ナッツ姫報道の影響ですな)

初めて使う大韓航空。キムチくさいと聞いたことあるけどホントかな?機内食はビピンバかな?
そう思いながら機内に足を踏み入れた私は絶句した。

座席が、冷蔵庫!
正しく言うなら、
上にベッドが 乗っかった、冷蔵庫!!

なんでもこれ、スマホのシェア低下で青息吐息のサムスンが、起死回生の新商品として押し出した商品。
韓国を代表する財閥系企業として、ハンジンとサムスンの両企業が互いを思いやり、チャレンジ精神がすぎる新製品を世界市場に投入する前に、大韓航空機の客席として試験的に採用したものらしい。

試験はいいけど客にさせんなよ!と軽い怒りを覚えつつ、キャビンアテンダントに「どうやって座ればいいんですか?」と尋ねたところ、完璧なフォルムの顔に職業的な微笑を貼りつけた彼女は、しれっと言った。「どうぞお登りください(にっこり)」

よいしょっ、よいしょっ。脚立もなしに冷蔵庫によじ登るってけっこう大変。サル山のサルになった気分だ......。
そもそも冷蔵庫とベッドを合体させるとは、サムスン、迷走しすぎ。スマホでぶいぶい言わせてた栄光は今いずこ。マジで潰れるんちゃうか?株、空売りしとこうかな……。

そんなことを考えながらも脱臼しそうな股関節をかばいつつ、グラグラする冷蔵庫に登る、課長三木那智であった。

目覚めた後、ヘボピーに「こんな夢見た」と話したところ、「悩んでグリーフケアの本ばっかり読んでる人の夢とは思われへんな」と一言。
ホンマにな!

親が子のために描いてやった作品が砂の上に残されていた。テーマは分かるがこれでは幼児すら満足させられまい。

一方こちらは完璧だ!児童にもおかあさまにもやさしいアンパンマン。

♪アンアン アンパンマン やーさしいきみよ。いけ!みんなのゆーめ まーもるため♪
でも、みんなのゆめを守ろうとしたら、ケツがかゆい犬に阻止されました。

顔の上のすじは、犬がお尻を地面につけて、ずりずりこすってつけた跡です。ママ上の作品になんちゅーことを!

話変わりすぎますが、ラドリーの2014クリスマス限定品です。
でも、売り場に突進した私を待ち構えていたのは「4万6千円」の値札。バッグひとつに無理無理無理─っ!

仕方がないから同じシリーズの財布をヘボピーにプレゼント。
そしてもうすぐ4月というのに、まだクリスマス模様のお財布を使ってるヘボピーさん(哀)

2015年3月13日(金)

いくら中古車価格の中古一戸建てといっても、大根の値札じゃないんだから……。クリップでざっくり留めるのもやめてやれ。

スーパーのおそうざいでも「10%引き」「20%引き」を経て「半額」のシールが貼られるというのに、家がいきなり40%OFF。売り主にここまでの値引きを決意させるとは、この家屋に一体なにがあったのか。

手書きでちっちゃく「築年不詳」。おいおい〜!登記簿にはなんも書いてないんか?!490万という中古車価格(ベンツEクラス)とあいまって疑念は深まる。いくらアグロガーデンまで600mでもだまされないぞ!

地下鉄駅の連絡通路にて。あたくし、さびれた地下通路は絵手紙ギャラリーになりやすい法則を発見しました。

「誰だっ?名を名乗れ!!」「ぼくはカレイです」うっぴょろ〜ん(笑)

「踊らないピエロ」(笑)なぜこのテーマ?!なぜこの余白の取り方?
母の老人ホームでもよく思ったんだけど、お年寄りの視点って独特で、けっこう笑わせてくれるんだよね(笑)

あじさいの咲く頃となりました(笑)

……とウヒャウヒャ笑っていた私は、ギャラリーの隅に掲示されていた一枚の紙を目にした時、ちょっと己を恥じた。ああ、そうなんだー……。

「山下節子展」山下さんは絵手紙サークルハレルヤシルバーの生みの親です。山下さんが「地域の皆さんと一緒に活動できることをはじめたい」とおっしゃってくださったことをきっかけに、このサークルは始まりました。いつも静かに私たちを見守ってくださり、陰で祈り支えて下さったお方でした。2014年3月19日に天国にお帰りになりました。88歳でいらっしゃいました。そんな山下節子さんの素朴で素直な作品の数々をご覧ください。

献身的に地域に尽くした今は亡き人の作品だと思うと、どれも味わい深く見えてくる。そんな私は都合のいい女。

明石の墓石屋さん前にてプチカオス発見!
ワンちゃんたちはペット墓園に設置するものだと思うけど、なぜイルカ。
「オクトパスシティー」の二つ名(公式だそうです)を持つタコの名産地・明石なだけあって、タコさんレリーフは漁師が玄関前にでも飾るんだろうが。

ぼくたちの家にようこそ!(柵からそっち側は霊界ですか?)陽気な三匹の名前はボビー、田吾作、ミュンヒヘンハウゼンと勝手に決めました。

とぼけたお顔してるけど、こう見えても造りは凝ってるし、素材は意外とお高い石なんだと思うんだぜ。

きゅるーん。きゃん、きゃん。犬がお尻を高く上げるのは「あそぼうよ!」ってサインなんだよ。

それにしても背後のワンちゃん、まるきりオッサンやんけ。犬用?のミニ墓石も、メルヘンと現実が入り混じってなんだか怖いっ!!

2015年3月13日(金)

「猫フェイスバッグ」の存在は、数年前に初めて知った。通勤時にOLさんが、白いペルシャ猫の顔をドカーンとあしらったブツを持ってたのだ。

「きっと『わー可愛いっ!これしかないっ!』って飛びついたんだろうなあ……。」
こいつを買った時の彼女の「いい笑顔」を想像してほっこりしつつも、こんなキテレツなデザインに手を出す人の存在におののいた。

だがそれ以降、街で猫フェイスホルダーはますます増加。どうやら世間は私が想像するよりも、はるかにキテレツに対して寛容みたいだ。

でも、初期タイプの猫フェイスバッグはもっとマンガチックだったのに、最新タイプはこのリアリティー。ぶっちゃけキモい。これを可愛いと言う人の顔が見てみたい。

……と言いつつも、ジバニャン並みに瞳孔が開いた子猫と見つめ合ううちに、ハッ?としてキャット!どんどん買いたくなってきた!

これを発見したヘボピーも思わずゲットしそうになったものの、意外に高かったおかげで思いとどまったらしい。

もしこれが1980円だったら、今ごろミキ家には二つの猫フェイスバッグがあったに違いない。


あのさー、ネットでたまたま目にしたんだけどさー、下の日記で私が大感動している「追悼式典の母への手紙」。どうやら背後に小保方さん並みの闇があるみたいでびっくりしたわ……。

まあ、「大好きだよ」って台詞については、なんだかマイルドヤンキーのツイートみたいだなぁと思ったものの、人は「もう二度と会えないかもしれない」という状況下では、どんなにクサかろうとダイレクトに愛を告げるものだと思う。常日頃クサい発言は慎重に避けているつもりの私でも、父の葬儀の際には「おとうさぁ〜ん!だいすきぃーっ!」と棺にすがって泣き崩れたもんな。

ネット上の噂にざっくり目を通すと、菅原さんにまつわる数々の噂が書き立てられており、正直なところ私も「感動した自分が馬鹿みたい」と思った。もし噂が本当なら、けっこうがんばって義捐金を送った私も、配分に不公平がありすぎやろ!とやるせない気持ちになる。
しかしそれと同時に、「うまくやってる奴」をネットで暴き立てる様子にも、何かとても胸がムカムカしたからそっと画面を閉じた。

火のないところに煙は立たない。けれども、まだ子供だった彼女が母親と生き別れたことは事実なわけだから、「感動を返せ」とまでは私は言わない。いや、確かに「一部が作り話だった」と聞いて、がっかりしなかったと言えば嘘になるけれども。
ただ、もしも本当に彼女が利を得るために亡き者を材料にしているのなら、なんとも業の深いことだなあ、と悲しい気持ちになった。

2015年3月12日(木)

この一週間、震災関連ニュースが増えた影響で、家族を喪ったあまたの人たちをいつもより身近に感じている。中でも五十嵐さんという方と、追悼式典で遺族代表として手紙を読んだ菅原さんの言葉は強烈な印象を残した。

五十嵐さんは岩手で漁業をいとなんでいる方。地震が起きた直後、船を守るために自宅に家族を残して船を沖に出した。だが、二日後に陸に戻ってみると、家は津波で5人の家族──両親と妻、二人の子供もろとも流されて跡形もなく、妻と子供たちは今も行方不明のままだそうだ。

五十嵐さんは「家族のことを忘れようとも忘れられません。あの時、自分が『逃げろ』と言わなくてごめん。妻と子供には遺体を見つけてあげられなくてごめん、という気持ちです。4年たって、町は少しずつ変わっているが、自分の心の中は何も変わりません」と話されていた。「心の中は何も変わりません」という箇所に、深く共感し、胸が痛んだ。

菅原さんはあちこちのマスコミが取りあげていたから、ご存知の方も多いだろう。
津波で家が瓦解して、当時中学生だった彼女は運良く瓦礫の上に登ることができたけれど、母親は木材の下敷きになってしまった。救い出そうとしたが子供の力では瓦礫はびくともしない。
このままでは二人とも死んでしまう!そう思った菅原さんは、「行かないで」と言う母に「ありがとう、大好きだよ」と伝えて近くにあった小学校に泳ぎ渡り一命を取りとめた。

まだほんの子供だった彼女がなした究極の選択、「生き延びよう」という強さにも驚きを覚えたが、母親の言葉が「お前は行きなさい」ではなく「行かないで」だったことに、私はものすごいショックを受けた。

母親として「お前は行け」と言わなかったこと、後を引くであろう言葉を残したこと、それらがいいとか悪いとかいう話ではない。
ただ、「行かないで」であることは、今もまだ尾を引いているくらいのショックだった。死に瀕して恐怖に押しつぶされ、蜘蛛の糸のように細い生への可能性にすがろうとする母親の、極限の心情をつい思い描いてしまうのだ。

それにしても人間はこれほどまでに壮絶な体験を経ても、なお生き続けられるものなのか!とただただ驚愕する。
彼らに比べると自分はまだましだとか、もっと悲惨な喪失をした人でも前向きに生きているんだから、自分もがんばらなきゃ!とかそういうことではない。
(以前はより辛い状況に置かれた人と比べて自分を慰めることもしたけれど、苦しみの多寡は他と比べられるものでも、比べるべきものでもない、と今では思っている)

ただ、人はそれほどの状況下にあっても、粛々と生きてゆくものだということに対して、表現は不謹慎かもしれないけれど、なにか新鮮な感じを覚えた。


菅原さんのお母様のことを考えていたからだろうか。昨夜、アルツイハイマーに冒される前の「私のお母さん」の感覚が久しぶりによみがえった。
それは夜、ベッドに入って布団を首まで引き上げた時のことだ。

母はよくふざけて、もう40も過ぎた娘のあごが隠れるくらいまでふかふかの布団をかけてくれて、赤ちゃんをあやすみたいにぽんぽんと叩いてくれたのだ。
「赤ちゃんや!」「おっきな赤ちゃんや!」と二人で大笑いした懐かしい記憶。

いつくしみに満ちた母親の子供でいられて本当に良かった!という思いがしみじみとわき上がってきて、それと同時に、もしも「あの世」があるなら、カナは今頃お母さんと一緒にいて二人でゲラゲラ笑ってるんだろうな、と何となく安心できたものだから、その夜はいつもよりもよく眠れた。

2015年3月11日(水)

今日は東日本大震災から4年目の日。
先日、気仙沼の友人と電話していると、彼女の口から「生きのびた人」という言葉がさらっと出たからドキッとした。
今の日本で「生きのびる」なんて言葉、まず使うことはないだろう。それなのに被災地では死と生のボーダーが私たちには想像もつかない強烈な形で突きつけられたことを垣間見て、同じ日本に住んでいるのに……と強いショックを覚えた。

幸いなことに友人は家も家族も失わずに済んだけれど、周辺の被害は甚大で、津波から数年間は「あそこからまたご遺体が出てきたんだってさぁ。気の毒だけど見つかってよかったなぁ」と近所の人たちと言い合う状況だったそうだ。

私も阪神大震災の被災者だけれど、阪神と東北は被害のタイプが違うと感じる。主な被害をもたらしたものが「家屋の倒壊」だった阪神に対して、東北は「津波」。人命も住居も思い出の品々も、勤め先も故郷の風景も、全てが一瞬で流されてしまったという状況が、復興を困難にしている理由であることは容易に想像がつく。

失われたものは余りにも大きく「復興」という言葉が空疎に聞こえることは実に多い。
また、愛する者を失った胸の痛みは4年やそこらで消え去るものではない。いや、いくら年月が経とうとも、突然の死別の哀しみはけして「癒える」のではなくて、自身の中で死者と共存してゆくしかないものだと感じる。

そう思いながらも、命を落とした人たちと、生きのびた人たちに一日でも早く平安が訪れることを祈りつつ、今日は静かに黙祷を捧げたい。


ベランダでうとうとしています。それにしても太いですね。

「お尻ちゃん!」と呼ぶとハッ!とした顔で振り返りました。

2015年3月10日(火)

先日、電車の待ち時間に、「道楽」の中で一番大変なのはなんじゃろか?とふと考えてみた。

携帯の辞書で「道楽」と入力したら、「本業以外の趣味にふけること」とある。
江戸時代には「園芸」「釣り」「文芸」が三大道楽として数えられていたそうだが、時代を下るにともなって種類は激増。今では古貨幣、古書、錦鯉、着物にマイセン、歌舞伎、アイドル、ラブライブ......と百花繚乱。
それでもひとつ、古今東西すべての道楽に共通する点をあげるならば、「惜しみなくゼニを奪う」、これに尽きるだろう。

ドバイの港湾王とかイタリア貴族の知り合いはいないもので、私が判断材料にできるレベルの「道楽」はたかが知れている。
とはいえ、十代の頃から勉強もろくすっぽせずに趣味どっぷりで過ごした影響で、「本業以外の趣味にふけり」すぎな、「道(を)楽(しむ)者」にお目にかかる機会は、そこそこ多かったように思うんだわ。


さて、これまでに見聞きした道楽者たちの生きざまを思い起こせば、「趣味にふけることの喜びと哀しみ」を私にいちばん見せつけてくれたベスト道楽(ワースト?)は、「生き物道楽」。
中でも「犬道楽」は、金・時間・気力・体力、と全方位的にエネルギーを惜しみなく奪う、かなり大変な道だった。

いや、犬より「馬道楽」の方が大変だろうかとも思ったけれど、あれはもともとありあまる資金がなければ指一本触れられない、勝ち組にのみ許されるお道楽。
そもそも日々の管理は厩舎のプロに任せるのが普通だから、大変なのは主に金銭面。自己犠牲レベルではグッピー道楽なんかの方がはるかに勝ってるやろ?と思うのは、単にリッチメンに対するひがみのせいかな。

ほっといて旅行に行っても大丈夫な鉱物やクルマとは違って、ちょっとエサやりや温度管理をサボると対象がお逝きになってしまうため、生き物道楽にふける者は、片時も気を抜くことが許されない。

耳を済ませば聞こえてくる、生き物道楽たちのうめき声......。

久々の関西出張、仕事が終わったらみんなで遊ぼうぜ!と喜んでいたと思ったら、突然顔をくもらせて、「オレ、らんちゅうの池にカバーをかけるん忘れちょった......。今夜は寒いからまずい。」と、泣く泣く最終の新幹線に飛び乗って、博多に帰ったらんちゅう野郎。

「愛らしい小鳥のさえずりを独り占めしたい!」というパッションを抑えきれず、違法と知りつつも、自宅とは別の場所に立てた小屋にメジロを多数隠蔽。エサやりのために出たり入ったりするところを目撃した近所のおばはんにチクられて、警察のやっかいになったメジロおじさん。(メジロの飼育は違法です)

イヤミたらたらの嫁より無口なヘビの方が愛しくなって、ヘビさんがのびのび生活できる水槽を部屋にぎっしり並べた結果、嫁もゼニ(慰謝料)も失ったは虫類センセイ......。
みんなそれぞれ楽しくて、それと同時に大変そう。

......とはいっても、らんちゅうよりも広い飼育スペースを要し、メジロよりも病院代が高く、コーンスネークよりも寂しがりな生き物をいじくる道楽――犬道楽は、自分自身が属していた世界なせいもあって、「趣味にふけることの大変さ」に対してけた違いの実感がある。


中学生の頃から30代前半まで私がどっぷりつかっていたドッグワールドには、二派――訓練の成果を競う「アジリティー道楽」と、ルックスのよさを競う「ショー道楽」がある。
より正確に言えば、立派な「嘱託警察犬」を育て上げ、社会貢献の喜びも味わえる「警察犬道楽」も入れて三派なんだが、私が属していた派閥は「ショードッグ道楽」だった。

飼い主との絆の強さ、犬の身体能力がストレートに評価されるアジリティーに対して、、ドッグショーはいわゆるひとつの「大人の事情」でどうとでもなる美人コンテストである。

AKB総選挙でも「なぜぱるるが?」「なぜ指原が!」と意見がばらけるように、絶対的な「美」のスタンダードが存在しないコンテストには、常にあいまいさがつきまとうもの。
ましてや舞台に立つ主人公が、ワンとかキャンとしか言わない四足獣ときては、事はほぼ「大人の事情」のみで進行すると言っても過言ではないだろう。

そこでは客観性ゼロの「うちの子が一番かわいい!」が幅をきかせ、お金持ちの見栄と欲とが入り乱れる中、農水省の天下りやらペット産業やら、「その筋」のややこしい人々の諸事情までもが注入されて、ミステリアスなマーブル模様を描いていた。

なんせ、自分の犬すら持ってないビンボーなガキの私ですら、「○○さんのグループだから」という理由でこきおろされる世界......。
若い私は大人たちの奏でる狂想曲を通じて、社会に出る前から「趣味に生きることの闇」を垣間見た気がする。

それでも、「犬が好きで好きでたまらない!」というのは、すべての犬道楽がよって立つところである。心血そそいで愛犬たちを磨き上げる根底には、「金と名誉」よりもまず「愛」ありきだと思い......たい。

暑さに弱いボルゾイのため、エアコンは23度設定で24時間稼動。スタンダードプードルのトリミングを美容院に頼んだならば、2人がかりで7時間。代金平均3、4万。ラッパーのドレッドヘアかよって感じである。
アフガンハウンドを風呂に入れれば、業務用ドライヤーが火を噴く勢いで、乾燥作業に3、4時間。一頭ならまだいいけれど、5,6頭飼ってる人なんか片手だけムキムキになりそうだ。

とは言っても、この程度はまだまだ犬道楽の「はじめの一歩」である。

もっと前のめりになってくると、「犬にいい筋肉をつけるため」に広い運動場が手に入るド田舎に家族そろって引っ越したり、「輸入したアフガンが検疫所に入ってる間に毛玉ができるから」と、1ヶ月近くにわたってブラッシングのためだけに毎日、名古屋から関空までドライブしたり。

その筋の親分は紀州犬の小屋に監視カメラを設置。お犬さまに異常がないか若いもんに監視させるという、生類憐れみの令かよって感じの手厚いケア。
また、某寺の坊さんは、西陣織をおろしている業者から袈裟に使う高価な布地を入手。それで愛犬たちの首輪を製作。「サルーキにはオリエンタル柄が似合うなあ、ふふふ......。」と悦に入っていたものだが、仏陀にメリケンサックでしばかれても知らんからな。

一方、海のむこうの道楽者も黙ってはいない。

ヨーロッパから犬を輸入する際に、子犬の飼育環境にチェック入れるためにブリーダーが犬にくっついてきた、なんてことは「ふーん」のレベル。
あるアフガンを日本に出すことになったノルウェー人なんか、くっついてきたのみならず、犬を貨物室に入れるのがしのびなくて、航空会社に頼み込んでゲージを客室に入れてもらったとか。まったく、無茶しやがって......。
まあ、欧米の場合は「道楽」というよりも、「動物愛護精神のなせるわざ」と解釈した方がいいのかもしれないが。

......とこうして振り返ってみると、犬ってほんとに、お金と時間がたっぷりある人の趣味だなあ、としみじみ思う。じっさい、会社経営者とか百万石の大名の末裔とか、ビルいっぱい持ってるぜ!みたいな人が多かったっけ。

そういう大人の道楽ワールドで学生の私が遊んでいられたのは、あの頃はまだ10代のマニアが少なかったせいで、年上の人たちが面白がってくれたことが大きいだろう。濃ゆい世界を見せてくれた大人のひとたちには、軽く感謝をささげたい。

そんな私も自分でお金をかせぐようになってからは、海外からサルーキを輸入したり、プロをやとってショーに出したりと、それなりに犬道楽したもの。
でも、いくらバブルで今よりも金回りが良かったとはいえ、その実体はしがないサラリーマン。調子のりすぎてた......と冷や汗が出る。若さのパワーってすごい、そして盲目だ。


あれから数十年が過ぎ、当時ショーリングで輝いていたトップドッグたちもとっくに世を去った。

キニガース・ダルガース、ハドレー・シャイニングスター、サキャヴェラル・ズカーラ、チェンサラ・サンダーレイション、ローガンズ・キスミーケイトetc, etc。
今でも犬の名前や血統だけはしっかり覚えていることに、「このエネルギーを勉強に向けていれば……。」と後悔しつつ、脳みそに名前を焼きつけた名犬たちの、数世代あとの世代が今でもリンクを走っていることを想像すると、命は脈々とつづいてゆくんだなあ、とセンチメンタルになったりする。

犬道楽から完全に足を洗った私は、ドッグワールドの動向は今ではまったくもって分からない。
それでも、たまに"伝統の米ドッグショー、4歳のビーグル「ミス・P」に最高賞”なんてニュースを目にすれば、「あー、アメリカならウエストミンスターだな。ビーグルのベストインショーは初めてだっけ。アメリカンビーグルらしいタイプだな。」、なんて分かるあたりに往年のはまりっぷりを思い出して懐かしい。

犬の世界では人を恨むような嫌なこともあったし、ずいぶん馬鹿もしたけれど、振り返ってみればあれはあれでけっこう面白かった。確かに「時間と金と体力の無駄」でもあったが、人生には無駄も必要なんだ!(無駄多すぎです)

こう考えてみると、こんな自分にも「道楽」の真似事をすることを許してくれた人々と犬たちに向かって、「楽しみをありがとう」の一言くらいいっておきたい気分になる。
まあ、もう二度とやりたくないがな!犬道楽。

2015年3月6日(金)

ここ数日間はわりかし気分がいいから昨夜は焼き肉を食べに行ったよ。
いつもは人がたくさんいる場所がしんどくて、外食なんかしないけれど、調子がいいと「お肉、食べてあげてもいいかな(=´ω`=)」って気分になるんだ。食欲って精神ステータスのバロメーターだよね。

だがその夜はきっちり鬱。何度も目覚めて「カナはもういないんだ」と絶望感にうちひしがれた。そういえば前も焼き肉食べた次の日に、ここで同じこと書いてたよな……。

体調がいい→焼き肉→胃、がんばりすぎる→うつモード、のパターンは確実にあるみたい。
まあ、寝ている時は辛くてたまらなかったけれど、カーテンをあけて燦々と差し込む太陽の光を浴びていると、しゃーない、会社行くかーっ!って気分になったから、今日も生きてゆくためのゼニをかせぎに書類と格闘してくるわ。

ところで、このところ「グリーフケア」の関連書を読みあさっている。
関連書には必ずといっていいほど取りあげられる、阪神大震災や日航機事故、JR福知山線脱線事故で愛する家族を突然失った人々の手記によれば、たとえ悲しい別れから5年経とうとも「死別前の精神状態」には戻れるものではないんだと知った。皆さん癒えない心の痛みを抱えたままなんだと。

それならカナの死からわずか7ヶ月しか経っていない私は、まだまだ頑張らなくていいんだ、立ち直る必要なんてないんだ!と思うとちょっと気が楽になった。

さて、そろそろ家を出ます。会社に行く前にTSUTAYAに寄って返却ボックスにDVDを放りこむから、いつもより早く出なきゃならないんだ。

借りていたのは洋ドラの「ブレイキング・バッド」。ご存知の方も多いと思うが、こんなに面白いドラマがあるんだ!と感動したくらい完成度の高いこれに、近頃ちょっとはまりかけ。
このままBrBa沼(ブレイキングバッドのマニアになるって感じの意味)にずぶずぶ行くかどうかは分からないけど、これからシリーズを通しで二周目の鑑賞をするつもり。

あさってには東京で「ブレイキングバッドナイト」なるイベントが開催されるとの情報をゲットしたものだから、がんばって行ちゃおっかな……と思ったけれど、全シリーズ通しでまだ一回しか見てないから、マニアぞろいのイベントでクイズとかに答える自信がない。後ろ髪を引かれつつ、今回は見送ることにした。

このままさらにはまるようなら、近々レイキングバッドについてもここで触れられればなーと思ってます。

2015年3月1日(日)

すこし前のできごとになるが、もうアカンと思うほど辛かったお正月のこと、そしてカナが出てきた夢の話をさせて欲しい。

ここで何度か書いたように、突然の別れの後、カナが出てくる夢を何度か見た。夢の中のカナはいつも楽しそうで、ああ、生きている時は苦しみが多かったけど、今は楽になれたのかもしれない、と心がすこし安らいだ。

しかし安らぎは長くは続かない。すぐに後悔で胸がいっぱいになる。
あの時家をのぞいていれば、あの時「どうしたの?」とひとこと尋ねていれば、カナは夢の中なんかじゃなくて、現実世界で笑っているだろうに!

来る日も来る日も悶々とするうちに、心と体の双方に疲労が澱のように溜まってきた。
溜まって当然だ。一昨年の夏に父が、昨年の夏に母が去り、これで終わりだと思ったら、三年目の夏に自分より6才も若い妹が、ある日突然に逝ったんだから。

立ち上がろうとするたびにパンチを食らわされるとか、ふさがり始めた傷に指を突っ込まれるような経験が続くとさすがにこたえる。五人と一匹しかいない家族のうち、毎年一人づつ三年連続で死ぬって、アカンやろそれは。
「疲れた」なんて人生の最終ステージで言えよ自分と思いながらも、正直なところ、「マヤラッシュ、ぼくもうつかれたよ......」と、老犬と共に天に駆けたくなるほど疲れていた。


そんな日々が続くこと四ヶ月。
いや、カナの死後二ヶ月間はゴミ屋敷の明け渡しと、借金の清算手続き(相続放棄)で走り回り、悲しむ暇もなかったから、正確には後始末を終えた11月から12月か。二ヶ月の間に坂道を転がり落ちるように精神状態が悪化した。

疲労が頂点に達したのは、正月休みの六日間だったと振り返って思う。
いつもならこの時期は海外に行っているのだが、今年は久しぶりに日本の正月を味わおうよ、と予定を入れなかったのが失敗だった。

スリや詐欺師が手ぐすね引いて待ち構えている旅行先では、緊張の連続。無事に一日を終えるだけで精一杯。しかし日本にいる限り、カナのいないあとに開いた穴が嫌でも目に入る。
こんなことなら無理に旅程を突っ込めばよかった......。
後悔しながら紅白を見れば、歌謡曲が好きだったカナのことを思い出し、年が明けてヘボピーと「あけましておめでとう」と酒盃を掲げては、本当ならもう一人の妹がここにいて、馬鹿話をしながら笑っているはずだったのに......と苦しくて悶絶した。


一番辛かったのは元日と二日で、今だから言えるが死を決意した。
自らの命を絶つことを考えたのは初めてではない。中学生の頃から今に至るまで、数えてみると十回以上ある。だが、この度ほど冷静に、死に至る段階を熟考した経験は初めてだったから、これはマジだな!と自分でおかしくなった。
それは、ガソリンがもうすぐ空になるなあ、と燃料計を冷静に見つめながら、ガソリンスタンドなどない荒野で目的地もなしに、ひたすらアクセルを踏み込んでいる、そんな感じ。

「ダメだ......もう死にたい......。」とフラフラするのではなくて、ぐっと地面を踏みしめて、「このあたりが限界だな。仕方がないな、じゃあ死ぬか!」という、妙に明朗な決意。人は死を選択する直前、案外とこういう風にさっぱりした心持になるものなんだろうか、と考えたりした。

私にとって唯一の「守るべき存在」であるマヤのことは気にかかったものの、犬の寿命からして余命はせいぜいあと三年。そのくらいならヘボピーが面倒を見てくれるだろう。
死に方も死ぬ場所も、警察と近隣住民への迷惑を最小限にとどめることを最優先に考慮すると、あっさり決まった。


だが今、私はこうして生きている。それは後に述べるカナが出てきた夢の影響に加えて、「身内に損をさせたくない」という貧乏根性のなせるわざもあった。
本やアクセサリー類は、ブックオフやコメ兵に持ち込めば誰にだって売れる。でも、マンションと20枚を越えるペルシャ絨毯の存在が引っかかったのだ。

もちろん、幾らでもいいと言うならどうにだってなるだろう。だが、いいお値段で売却するためには適正な手順が必要で、それはけっこうめんどくさくて、交渉ごとが苦手なヘボピーに任せるのは酷だと思ったのだ。

苦労して手に入れたモノたち。それらの対価として少しでもたくさんお金をもらって、ヘボピーとマヤの老後を安楽にしてやりたい。
そういう欲が出てくると、マンションと絨毯以外のことまで気になってきた。

一生懸命集めたメールヌード写真集は、友人たちの好み(キレイ系、野獣系、フェチ系etc)を考慮した上できちんと割り振りたいし、このサイトも主亡きあと、いつまでも放置されるのはしのびない。

細かい後片付けのことまで遺書に記して、ヘボピーと友人達に丸投げしてもいいけれど、ゲイ本の割り振りまで考えなきゃならない遺書作成が面倒。自分でやる方が確実だ。
その気にさえなれば死はいつでも選択できるもの。1,2ヶ月かけて全てを片付けてからでも遅くない、と考え直した。


それでも、考え直したからといって生きる気力を取り戻したわけではなかった。この世界にカナはいないし、やりたいこともない元日は辛くてたまらず、気力が萎え切って、布団から起き上がることすらできずにいた。
思い出したくないことばかりが頭に張り付いて発狂しそうだ。脳みそを取り出して冷水で洗い清めたい!そうしたらこの苦しみから逃れられるかな。

そんな時、ツイッターでタイムラインに並んでいた文字が目に入った。
「初夢」。

そういえば、これから見る夢は初夢だった。もし、そこに救いめいたものを見出せたなら、この苦しみが和らぐかもしれない。
カナ!お願いだから初夢に出てきて私を励まして!そして、ちゃあちゃ、私の代わりに人生を楽しんでね、なんてことを言ってくれればいいのに。

だが、2日の夜に見たのは、世界経済がクラッシュする夢だった......。去年の初夢とおんなじや!(怒)

夢なんてそう簡単にコントロールできるもんじゃないな。よりによってハイパーインフレと預金封鎖かよ......と諦めて眠りに付いた次の夜、本当にカナが夢に出てきた。

夢の中で私とヘボピーとカナ、三人揃って知らないどこかの、でもずっと前に見たことがあるような街を歩いている。
なだらかな坂が続く道の両側にはカフェ、銀行、整骨院、ファストフードショップといった店舗が並ぶ、どこにでもある商店街だ。
「そろそろご飯を食べようよ」。そう言いながら店先を覗き込む私とカナに、ヘボピーが「カフェは飛び込みで入ると失敗が多いからなあ」と言って、「あるある!」と皆で笑った。

いつでもそばにあったありきたりの、今では遠く懐かしい日常。笑いながらも私には、これは夢で、カナはもういないことは分かっていた。
でも、望みどおりカナの夢を見ていることが嬉しくて、生きていた時にはしなかったこと――カナの手をぎゅっと握り、仲良く手をつないで歩いた。

「ナスのパスタだったら食べたいなあ」ファストフード店の前を通り過ぎた時、壁に並んだ写真メニューに目をやりながらカナが言って、「ナスのパスタぁ?そんなのないでしょ!」とすかさず私が答える。
つないだカナの手は暖かくて、でもちょっとぬるっとしてきていたから、「ああ、腐敗が始まっている......。」と悲しくなりながら、もっと強く握った。

その時、眠っている私のすぐ耳元で、話しかけてくるカナの声が聞こえたのだ。

「私、生と死の間の分子のめぐり合いについて考えてる」

まるで今そこにいるような、リアリティーのある大きくはっきりした声。度肝を抜かれて飛び起きた。


そういえば......と、霊能者のRさんにこう言われたことを思い出した。
「これから先、きっと不思議な経験が増えますよ。でも、それらすべてが『思い違い』とか『ただの夢』だとは思わないでくださいね」

霊能者に告げられたことを鵜呑みにするわけではないし、なんでもかんでもオカルトの側面から分析することもしたくない。
それでもあれは一体どういう意味だったんだろう?と時々考える。

異なる世界に行ったカナが何かを伝えようとしたのか。私の深層心理が、カナの姿を通じて自分自身が見出すべき事柄のヒントを与えようとしたのだろうか。
「生と死の間の分子のめぐり合い」とはいったい何を指すのだろう?答えの尻尾に手が届きそうで、届かないのがひどくもどかしい。

それでも、この夢を見てからずいぶんと気持ちが楽になった。「視界が開けた」とまでは言えないものの、自分を取り巻く時間と空間が、ほんのわずかながら広がりを見せたような感触がある。

あの夢は、自身の脳が自己保存のために見せたイメージなのか、それとも外から何らかの力が働いたのかは分からない。きっとこれから先も、死ぬまで解答に到達することはないだろう。

ただ、「死ぬため」に家や絨毯を手放そうとすることはもうないと思える。
それらを手放すのは人生を閉じるときではなくて、人生の新たな局面を迎えて、次に駒を進める時だと考えるようになった。