2014年11月29日(土)

イングリッシュコッカースパニエルはイギリスで、沼沢地に住む鳥の猟を手伝っていた犬種です。
ハンターが撃ち落とした鳥が落ちる場所に走っていき、獲物をくわえて運んで戻るのです。

マヤちゃんはイギリスから遠く離れた日本に住む、甘えたでぶのコッカースパニエルです。
でも先祖の血は甘えたでぶのマヤちゃんの中にも残っているのでしょう。ものをくわえて運ぶのがとても好きなのです。
このマヤちゃんはいつもよりほんの少しお利口に見えます。たとえくわえているのが鴨ではなくて、メロンパンのおもちゃであっても!

「さあマヤちゃん、メロンパンをちょうだい」。ヘボピーねえちゃんが手を差し出しました。
すると、あれれれ?!どうしたことでしょう!マヤちゃん、「うーうー」とうなり始めたではありませんか。(見てください。とてもこわい顔をしています!)

「ちょうだい」「うーうー」「ちょうだいよ!」「うーうーうー」
これではとても英国紳士のお手伝いはできません。

マヤちゃんったら日本のお父さんやお母さんに甘やかされるあまり、すっかりご先祖さまの仕事を忘れてしまったようですね。

11月下旬とは到底思えないような暖かい土曜日。日本が一年中こんな気候だったらいいのに!……と人に会うたびに呆け老人のように繰り返している私は、11月生まれのせいかこの季節が一番好きだ。
まあどんなに気持ちいいとはいっても365日こうだと飽きるかもしれないから、春と冬はちょっとだけあっていいかもしれない。でも夏は要らない。暑い時期の葬儀が続いた自分にとって、いまや夏とはあの日の気温と湿気を思い出すだけで憂鬱になる、呪わしいものでしかなくなった。


長らく気力に欠ける日々を送っていたけれど、ここ数日間というものびっくりするほど体調がいい。
発声する気力すらなくて会社でも「
しょるい……おねがいします……。」と蚊の鳴くような声しか出せなかったのに、「書類、お願いしますねーっ!」と以前のように良く通る声が出るのには我ながら驚く。

これはポーラ化粧品の担当者に「うつに効くので人気があるから!」と強力プッシュされて、渋々購入したお高い漢方サプリ(一箱5万円OVER、一日あたり800円。キツい……。)のお陰だろうか。それとも「高いサプリを飲んでるんだから効かなきゃもったいねえ!」という貧乏根性のなせるわざだろうか。

理由は謎だが、今日も目覚めた時にはやたらと爽やか。ウォートランのフルステージもできそうな前向きな気分!霊魂となったカナがすぐそばにいるような感じにすらなってきて、中空に話しかけるのは別の意味でどうかと思わないでもないが。

そこで、ここぞとばかりに2カ月ぶりの自宅の掃除をしたものの、放置しすぎて汚部屋と化したスペースの片づけは数時間では終るはずもなく、マヤの待つ実家へ向かう時間が刻一刻と迫っている、現在そんな場面である。

気力の低下のせいか老化とはこういうものなのか分からないが、体が思うように動かなくて、何をするにも以前の2,3倍の時間がかかるようになった今、いっしょうけんめいやっているつもりでもほとんど何も進行しないことにいらだちを感じてばかり。それでも今日のように気分が明るいとすごく楽だ。


この日記は今や単なる生存報告の場になってしまい、わざわざ覗いてくださる皆様には申し訳ないけれど、今はまだ文章を作る十分な集中力に欠ける状態なのでお許し願いたい。
それでもこのように気分のいい日が一日また一日と増えて、やがてカナがいた頃と似たような日常に戻るのかもしれない。それを想像すると死者に対して冷たいようで心情は複雑だが、忘却は残された者が生きていく上で必須のことなのだろう。

ちゃーちゃは強い!と確信していたカナも私がそうあることを望んでいるだろうから、記憶の貯水池に新たな水を導き入れるべく、少し気持ちを変えなくてはと考えているところだ。


今けっこう興味があるのは、以前ここで紹介した映画「ラストミッション」でサブキャラを演じた、トマス・レマルキスというアイスランド出身の俳優さん。ハーネマンを可愛くした顔立ちでもータマランチ!! http://www.imdb.com/name/nm1319365
肌の白いひとたちの国への旅行はリタイヤしてからでいいやと思っていたが、来年はパキスタンじゃなくてアイスランドに行こうかな……と自分らしくないことを思ったりして。

三次元でこれほどまでに我々の理想を体現したスキンヘッドはいなかった!これぞスキンヘッドフェチのイコン!とごく一部で旋風を巻き起こしている彼の出演DVD(日本未公開作品多し)をゲットすべく、イギリスやおフランスのAmazonにアカウントを作る日々は、同じDVDでも英国はフランスの倍の価格だったりと勝手が分からなくてイラッとさせられつつも、そこそこ忙しくて気が紛れているよ。


とても気持ちいい天気なので、ヘボピーと一緒にマヤを電車に乗せて、隣町の公園に遊びに行きました。

ヘボピーねえちゃんにメロンパンを投げてもらう。

「ちょうだい」「うーうー」

「ちょうだいよ!」「うーうーうーうーうー!」

「ぼくのメロンパンだ!」 こうなると絶対渡してくれません。

スッポンのように食いつきます。

2014年11月21日(金)

喪中はがきを作った。「八月に妹香苗が永眠いたしました」。
まさかこんな文章を打つことになろうとは、それこそ夢にも思わなかった。

父と母の喪中欠礼の挨拶は100円ショップの白いはがきに印刷したけれど、妹の喪中はがきは奮発して、きれいな百合の花が印刷されたサンリオのはがきで作ってやった。
宛先を印刷して、そろそろ投函しなくてはと思いながらも、まだ会社のデスクに入れたままだ。
引き出しを開けて「妹香苗が永眠いたしました」という文字が目に入るたびに、カナの死がじわじわと肉体に沁みいってまた辛くなる。

そんな中、カナが夢に出てきた。私とヘボピーとカナ、三人そろって出歩いているいる夢だ。現実には心の病がどうしようもなくなって仕事を辞めて、生活保護を受けざるを得ないようになってからは、外食すらままならなかったであろう妹。
でも夢の中では陽気なマスターのいる行きつけのバーなんてものがあって、私たちをその店に案内して、「前、ミュージシャンのだれそれが来てたよ」「えーっ!会いたかったなあ!」なんて気安く話している。

また、天ぷらそばが2千円くらいするような高級なそば屋にも行って、「そばがきを頼んだら?」なんて言うもんだから、この子、そばがきなんか知ってるんだ、と嬉しくなった。
現実世界では「そばがき」は食べたことがあるかもしれないし、ないかもしれない。姉たちがおごってくれない限り高めの店には行くことはなくて、カナにとってはマクドナルドがせめてものぜいたくだったから。

それからアニメの話なんかをしながら(マクロスが好きだった)ベンチに腰かけた時、私はカナに尋ねた。
「あんた、なにか欲しいものないん?50万までだったら何でも好きなもの買ってあげるよ?」
生前にもっとあれこれ買ってやったりお小遣いをやったりすればよかった、という常に心にある後悔、それがそのまま夢に出たようだ。

でも妹は、うつむきながらもごもご言うばかり。いつも遠慮してばかりで言いたいことをはっきり言わない子だったけど、夢の中でもカナはカナのままだ。
そこで「まずはスマホとかどうよ?」と問うとまんざらでもなさそうだ。

他界する少し前から私はスマホを買ってやるかどうか迷っていた。でも自分ですらガラケーだし、本体の代金にくわえて月々の利用料まで負担してやるのはけっこう重荷だ。
そんなこんなで迷っているうちにカナは死んでしまったのだけれど、やっぱりやっぱりスマホ、欲しかったのかな、と胸が痛んだ。

それから三人そろって 笑いながら古い町並みの下町を歩いていると、カナがふと足を止めて、自分の財布から100円玉を三枚出し、道ばたに並んだガチャガチャをし始めた。
300円のガチャガチャ。そんなどうでもいいものに迷うことなく300円使える夢の中のカナは、けしてお金に困ってはいない。
この世界ではカナは働いていて、多少なりとも自分の好きなように使えるだけのかせぎがあるのだろう。それがとても嬉しくて安堵した。

「せっかくだから一緒に写真を撮ろうよ」と私は言った。「ほら、そこに並んで」とヘボピーとカナをどこかの家の塀の前に並ばせた。
えーっ、こんなところで?と文句を言いながらも並ぶ妹たちにカメラを向けながら、カナはきっとこの写真には写らないんだろうな、と思っていて、そしてカメラを向けようとしているうちにカナの姿はどんどん薄れていって、やがてすーっと消えていき、そして私の目は覚めた。

「カナ!ありがとう!懐かしかったわ!」
目覚めると同時に出た声は自分でも驚くほど大きくて、隣で寝ていたヘボピーもそれにつられて、夢の中でカナに会っているような寝言を言い出した。

辛くてたまらなくて心が折れそうでもう駄目だ、と思うたびにこうして水面に引き上げられる。この夢は追いつめられた自分の自己保存本能のなせるわざではなくて、きっとカナが見せてくれたものだと信じたい。

2014年11月19日(水)

今気付いたのだが我が家のカレンダー、8月からめくられてなかったわ……。一体どんだけ時が止まったままなんだよ。

……とあの日を境に日記の書き出しが喪中はがきのテンプレートのように寂しい感じであるが、そうはいっても24時間うすら寂しいわけでもなくて、たまには楽しいこともある。

たとえば先日、マヤを散歩に連れて行った時のこと。お気に入りのネズミさんのおもちゃを「うーうー」と唸って離さなかったものだから、くわえたまま外に連れて行った。
コッカースパニエルは英国の沼沢地でハンターの撃ち落とした鳥を運んでいた犬種。遠い昔にイギリス紳士の手伝いをしていた先祖の血がさわぐのだろう、コッカーはものをくわえて運ぶのが大好きなのだ。

ピンク色のぬいぐるみをくわえたままトコトコ歩く犬。すると、それを目にした通りがかりのおじさんが、「ええもんもっとうなあ!」とニコニコ笑いながら声をかけてきて、私も急に楽しくなった。人生、こうやって何の気なしにかけた声が、思わぬところで人を励ましたりしてるものなんでしょうな。

さて、今日はいよいよ運命の日。「ラスト・ミッション」DVDのリリースだ。
トマス・ルマスキス(ハーネマンっぽいスキンヘッドな)は他作品ですでにチェック済みだから、ファーストコンタクトのショックは和らげられてはいるだろうが、アルビノが期待したようなキャラじゃなかった場合(女好きとか女好きとか女好きとか!)の衝撃に備えて、すでに準備は万端である。

アンティークショップの常でやたらとごちゃごちゃした店を見つけたよ。
普通、アンティークショップはもっと薄暗いイメージだけど、ここはシャンデリアに力を入れすぎて、「照明のヤマギワ」のショールームみたくなっている。

誰が買うんやこんなキモいもん?自分の仕事が好きでたまらなくて、自宅でくつろぐ時にも歯を眺めてうっとりしたい歯医者だろうか……。

ドヤ顔の犬と、くれると言われてもまったく欲しくないつぼ。

「現役合格を目指してます!」という意味なのだろうが、「ここは現役高校生用だよ。浪人は神戸三宮浪人館に行ってください」とも受け取れて微妙にひどい。

2014年11月14日(金)

ぱんみたいにみえるけどぱんじゃないんだ。おねえちゃんがかってくれたおもちゃだよ。
めいどいんちゃいなとかいてあるからこわかったけど、100えんというねだんにまけたんだってさ。

おねえちゃんはげんきじゃないけどいきてるからしんぱいしないでね!
ひとりでいるとすとれすぞうだいだから、このごろずっとぼくといっしょにいるんだ。
じっかにはぱそこんがなくてほーむぺーじのこうしんできないから、
まやちゃん、みんなにそういっておいてね、というのがおねえちゃんからのでんごんだよ。

ぼくはおねえちゃんといっしょにいられてたのしいけど、はやくげんきになったほうがいいとおもうんだ。

2014年11月11日(火)

ひさしぶりに自分の心臓の音に耳を澄ました。ベッドに胸を押し当てて枕に耳をつけると、血液を送り出し全身にまんべんなく行き渡らせる力強い音が響いてくる。
同時によみがえるイメージは、理科の実験で解剖したカエルの胸で規則的なリズムを刻んでいた小さな固まりと、視聴覚室のスクリーンに映し出された科学映画の、大動脈を流れる血液の映像だ。

布団の中で自分の心臓の音を聞くとき、この音が止まるときすなわち己の死で、それは遠い先のことだろうけどぜったいに避けられない唯一確実な未来なんだという認識は、幼い私にもあった。
耳を枕に押し当てるたび、「生と死の境界線」のイメージがぼんやりとした像を結んで立ち上がり、ちょっと時間の感覚がずれたような、頭がおかしくなりそうな不安を覚えたものだ。

あれから幾度か、心臓の鼓動が今まさに止まる場面、止まってしまった後の場面に立ち会った。どんな経験にもある程度の慣れは生じてくるものだと思っていたが、死にはちっとも慣れられない。
それどころか一人、また一人と自分のそばから去ってゆくたびに死はより重く、心をえぐり日常にのしかかるものとなってきたように感じてたまらない。

舞台に立った人や犬たちが、最後のスポットライトを浴びながら微笑みを浮かべて深々とおじぎをし、ある者は名残惜しそうに手を振りながら、またある者は振り返りもせずに舞台のそでに消えてゆく。彼らが次々と舞台から降りて暗闇の中へと去ってゆくのを、私は緞帳の陰からなすすべもなく見つめるばかりだ。

さまざまなことが何だかとても面倒になってきて、ただ流れるように生きているだけの今、私もそろそろ舞台から降りても許されるんじゃなかろうか、と思うことの多い今日このごろ。毎日があまりにも希望に欠けていると、前に踏み出さざるを得ない足も鉛のように重い。

生命は何よりも尊くてどんなものよりも高価だと分かっているから、生きている限りはこの貴重な、たったひとつしか持ってない命を何かの役に立てなければならないということは分かっている。
でも同時に、もう十分役割は果たしたんじゃないかなという気もするし、自分の命は自分の勝手にさせやがれという気持ちもないでもない。
生まれた瞬間から今に至るまで止まることなく動き続けている臓器の音を聞きながら、自分が今、ここで生きていることをややもて余し気味である。

2014年11月7日(金)

今日はカナの月命日。死亡診断書には「死亡日 8月9日(推定)」とあるが私の心の中では7日が命日だ。何故か。それは霊能者の答えをよりどころとしているからである。

霊視までしてもらっておいて言い訳じみてみっともないけれど、私は霊魂の存在や死後の世界や転生の存在を、全面的に信じているわけではない。いや、心の底から信じられたらどんなに楽になれるだろうとは思う。思いながらも、半分は信じて、半分は懐疑的──死の先にあるのは無でしかない、死と共にその人間は終わりを迎えるという考えがどうしても捨てきれない。
それは霊視を経験した今でもなお、死後行き着く先のかたちとして、まだ心の中の三割くらいを占めている。

それでも東京まで行って霊能者に会ったのは、自分が全面的な信頼を置いている友人の「占い師には偽物も多いけれど、あの人になら視てもらってもいいかも」という言葉に背中を押されたこと。
そして何よりも自分自身が、「8月9日」という推定死亡日に何とも言いしれない居心地の悪さを覚えていたからだ。


カウンセリングルームに通されて間もなく、私は一番聞きたい問いを発した。「妹はいったい何日に死んだんでしょう?」
すると霊能者は1,2秒間虚空を見つめた後、きっぱりとした答えを返した。「8月7日の夕刻です」

「7日ですか!」驚きのあまり思わずすっとんきょうな声が上がった。全く予想していなかった答えだった。

妹の遺体は解剖の結果、内臓の軟化がかなり進行しており死亡日の確定はむつかしかったらしい。ただ、夏の暑い盛りであったことを鑑みて、死亡後5日や6日というほどの日数を経ているとは考えにくいこと。

そして警察が「8月9日(推定)」とした最大の根拠は、8月5日に私が最後に会ってから(正確には外出していることを確認してから)、死亡しているのを発見した8月10日に至るまでの間に妹が生きていた唯一のしるしとされる「8月8日の日付印のある電力会社の請求書」が「部屋の中にあった」ことだった。

3日以内に料金を支払わなければ電気を止めるという最後通告。封も切られていない請求書。それを受け取った時、封を切らなくても妹には中に何が書かれているか分かっていたに違いない。だから開けなかったのだろう、と私は推測した。
光熱費すべてを滞納するほど金銭に困っていたなんて、姉は夢にも思わなかった。どうしようと悩みながら死んでしまったのだろう。可哀想に!可哀想に!と胸が張り裂けそうだった。

だが、霊視を経て、どうしても心からぬぐい去れなかったこのあたりの経緯、そして「死亡日:8月9日」に対する違和感が消え去った。
「8月7日の夕刻です」という断言に対して、直感的に「そうだ、これが正解だ」と腑に落ちたのだ。

(これから出社ですのでここまでで……。月命日ということがあるので、中途半端だけどひとまず上げていきます)

2014年11月5日(水)

末妹が世を去ってからほぼ三ヶ月がたった。大枚はたいて有名霊能者に視てもらったおかげで、一時は「カナの死は運命だったんだ」と納得できた気分になって、このまま徐々に安らかな気持ちになれるかな?なんて思っていた。けれど最近は、まだ44才の妹が突然死したっていうのにそう簡単に忘れられるかあー!ってちゃぶ台ひっくり返したい気分になりがちである。

空が青ければ、ああ、カナとマヤを連れて散歩に行きたかったなあと思い、アナ雪の主題歌を聞くにつけ、映画を観に連れて行ってやるつもりだったのに行かなかったと後悔し、美味しいものを食べていても、妹が倒れていた部屋に残されていた100均のカスカスな食パンがふとよみがえり、高い料理も砂を噛むような味になる。

しかし!そんな死にかけ人形の私の前に、天使が舞い降りた!

昨夜借りてきたDVDに入っていた予告編、11月19日リリースの『ラスト・ミッション』に、ありえないスキンヘッドが登場したのだ!2秒ほどだが!!

萌え──っ!!(この言葉、二年ぶりくらいに発しました)
実写版ハーネマン?!!!!なんというクールビューティー!!

なお、手に持っているのはナイフじゃん?!ハーネマンすぐる!とエキサイトしたものの、
10回ほど再生した結果、爆発物の起爆装置だと判明。あせるな自分。押さえろ自分。

うおおおおおおお!!!ガタイのいい野郎どもで脇を固めたちっちゃい男!!
ハーネマンも身長170センチほどだから、これは神からの贈り物としか思えねえ!

欲を言えば手下のルックス。イランのレスラーみたいなんばっかじゃなくて、
一人くらいキレイ系を混ぜていただければもっと良かったのだが。

ひょっとしてキャハハハ発狂系キャラ?ならばとんでもなくハーネマンや。

DVDがリリースされる11月19日までは、『ラストミッション』を心の支えに生きて行けそうだ。
まあ、こいつが期待したようなキャラじゃなかった場合(女好きとか)の反動が怖いけどな!