2014年8月28日(木)

8月10日深夜、実家の窓から見たスーパームーン。(スーパームーン:月が地球に最も近づく現象)

父が亡くなった夜は一月に二度満月がある珍しい現象、ブルームーンで、
母が亡くなった夜にもまた、空にはスーパームーンがかかっていた。

8月10日は私がカナを発見した日であって、正確に言うなら死亡日は10日の前日か前々日。
だからスーパームーンより少しだけ早いわけけれども故人が喜びそうだから、
「カナが死んだ夜はスーパームーンだった。両親と同じく、レアな月の日に旅立った」ということにしといてやろう。


道路を叩く激しい雨の音で目が覚めた。窓を開けたまま寝ていると昨夜までの蒸し暑さがうそみたいに肌寒くて、うっかり風邪をひきそうだ。
ベッドの中でしばらく末妹のことをぐるぐる考えていると、脳味噌にものすごい負荷がかかっているのが感じられて、このままでは何かの線が切れてしまうのではと怖くなったから、ヘボピーに「もう二度とカナに会えない事実がじわじわきて日を追って辛くなってる。何をしてても虚しくてやりきれんわ」とメールした。
すると「私も。でも今日は誕生日だし明るく過ごしてやろうよ」と返信があったので、それもそうだなと思って起きあがりパソコンの電源を入れ、雨がやむのを待っている。

今日は燃えないゴミの日だから出社前に自転車を飛ばして妹の家まで行き、ゴミを捨てる予定だったのに、この雨足ではむつかしい。早く不動産屋にアパートを明け渡したいが、雨が邪魔して作業が進まない。
広島の被災地の人たちは、いつまでも降り続く雨の中、いったいどんな気持ちでいるんだろう。日本はこんな気候じゃなかったのに、いつから何がおかしくなってしまったのか。


あれから18日が経過した。しかし私の中ではうつぶせになった妹が救いがたく死んでいることを目にした時を境に、時間が止まったようだ。気持ちはヘボピーも同じで、カナの死をきっかけとして世界が完全に、容赦なく変わってしまったみたいだねと言い合っている。

こんなストレスを抱えながら毎日会社に行ってきちんと仕事をしているのが不思議にも思えるけれど、緊張が続いている時にはミスをしないものかもしれない。使い古された陳腐な表現だが、胸にぽっかり開いた穴を風が寒々しい音を立てながら通り抜けてゆくような、そんな気持ちとは分離したもののように、これまで20年間繰り返してきた仕事を機械的に片づけてゆく身体に驚きを感じる。

それにしても……。働いて金を稼いでどうなるというのか。老後を不安がり、あわよくば自分だけではなく妹たちと一緒に暮らしてゆけるだけの蓄財したいものだと貯蓄や投資にあけくれてきた自分が阿呆に思える。全てが馬鹿馬鹿しい。見えない将来を不安視して両手いっぱいに貯めこむことは害毒でしかなかったと痛感する。

妹の死を経て、どうも私はお金が嫌いになってしまったようだ。金銭にこだわり続けた数十年間を経て、ようやくその嫌らしい執着を捨てられたのはこんなことがきっかけだとは!
カナの死をきっかけとしてヘボピーは己の利己主義を深く反省し、私は金銭なんてくだらないもの、と思いながらもどうしても捨てきれなかった執着をやっと断ち切れそうである。同時に「死」によって教訓を与えられても仕方ないよな、とやるせない思いもある。


妹の死因。解剖直後には「心臓疾患の疑い」とされていたけれど、あれから監察室から電話があり、尿を詳細に分析したところ、まごうことなき「熱中症」だと告げられた。

発見時には窓が5センチほどしか開いておらず、エアコンも扇風機も止まった状態だった。8月8日と9日、関西地方は台風に襲われて気温は低かったはずなのだが、それでもヒートアイランド現象の起きる都心の古いアパートの部屋は、思うよりも温度が上がったのかもしれない。
また、東洋医学に詳しい友人の言う通り、台風に伴う気圧の変化が妹のような人間にはことのほかストレスフルなものだったのかもしれない。

いずれにせよ、その数日前に精神科医に相談して睡眠薬の種類を変えてもらったばかりの妹は、電気代を節約してエアコンはおろか扇風機まで止めた部屋で、服薬して深い眠りに落ち、眠っている間に熱中症で死亡したのだろう。44才の健常者なら命を落とすことは考えられないパターンだが、「台風で涼しいから扇風機はつけなくて大丈夫だろう」と思ったのかもしれない。
ぼんやりした子だったけど、こんなうっかりさんな理由で死んでしまうなんて……。本人には死ぬ気なんてなかったろうに!とヘボピーと二人、くやしくてたまらない。

それにしても私にとって救いがたくショックなことは、妹の財布に数十円しかなかったことである。光熱費も6月から滞納していたようで、葬儀の翌日が電気代の最終支払日。それを超えると電気を止められると分かって、あわてて支払った。
冷蔵庫は空だったが部屋に食パン(100均の!)が残っていたから餓死ではないとはいえ、栄養状態が悪くて体力が低下したところへ熱中症に見舞われて、身体が耐えられなかったのだろう。

なぜ、そんなにお金がなかったのか?これまでにも数回、「ぼんやりしていて生活保護事務所から振り込まれたばかりの保護費を落としてしまった」と言われてはお金を与えたことが数回あったけれども、今回も紛失してしまったのだろうか?もう何度目にもなるからそれを私に言えなかったのか?

本人が死んでしまった今、すべては分からずじまいであるものの、お金さえあれば妹は死ぬことがなかったのではなかろうかという思いが止められない。それもたったの10万もあれば目先の問題は解決してやれただろうに。
それでも、どうして?と推測をめぐらせると脳の血管が切れそうになるので、懸命に意識を他に向けるようにしている。それはかなりむつかしいことなのだが。

いけない、カナが生きていれば45才の誕生日を祝って楽しく過ごすはずだった日に、こんなに暗くなっていては。さて、今日は午前中だけ仕事をして、午後からはヘボピーと合流して妹の部屋の片づけだ。
それが終われば二人で(三人で)ファミレスとカラオケでも行って、そろって楽しくやる予定である。

今日は悲しいおしらせがありますので、少し行間をあけさせて頂きます。
文章は推敲していません。思いつくままに書きました。また、できるだけ感情的にならないようにしたつもりですが、やはり感情的にならざるを得ませんでした。ごめんなさい。

まだ10日しか経っていないので、お見苦しいところがあってもご容赦いただけると幸いです。




2014年8月19日(火)

ウミツバメは、手すりから軽く飛び立って、あの美しい長い翼を空中に広げました。翼は、ちっとも羽ばたきさせず、思いのままに風に乗って、その鳥は船をまわって高く飛びあがり、メイン・マストの先をかすめました。それから、一息に北を指して飛んで行きました。

「ジョン・ドリトル先生、さようなら。」とウミツバメは、空から叫びました。「さようなら、御幸運を祈ります。」
「古馴染みよ、さようなら。」と、先生も答えました。「おまえも、達者でな!」

私の傍に、先生は身動きもせずに立っていました。その目は、鳥が白い波頭の上をかすめて、見えなくなっていくのを見送っていました。

「わしはな、スタビンス君。」最後に、先生はつぶやきました。「この自分自身、つまり医師以外のものになりたいと思ったことはない。だが、もし、何かの機会で、わしが何かになれるとしたら、わしは、あれになりたいと思うよ。世界じゅうのどの生き物よりも、あの嵐をつげるウミツバメになりたいよ。」

<ドリトル先生と秘密の湖より 訳・井伏鱒二>


──ドリトル先生一行を乗せた船が誤って嵐に向かって進路をとっていた時に、危険を知らせに飛んできたウミツバメと先生との別れの場面。
昨夜、たまたま開いた本の中にこの一節を認めたとき、涙があふれて止まらなくなった。

その時、私はウミツバメに何を見ていたのだろう。
ひなを育てるツバメのように、末妹にせっせとお菓子や衣服を運んでいた自分の姿だろうか。それとも、古代エジプトの「死者の書」などに見られるツバメ──薄暗い墓から光あふれる日常へと、喜々として飛び出してゆく死者の魂の変化した形か。

それとも、さようなら、さようならと叫びながら広々とした世界に飛び去ってゆくツバメと、小さな姿が見えなくなるまでそれを見送る先生に、妹と、自分の姿を重ね合わせたのだろうか。


末の妹が死んだ。死因も死亡時間も、死亡日すらもはっきりとは分からないままに、あっさりと44年の人生を閉じてしまった。


ご存じの通り我が家では、一昨年の8月に父が、昨年6月、あとを追うように母も世を去った。最も近しい肉親の死が3年続くと、さすがにこたえる。今は私もヘボピーも茫然自失の状態である。


私はまず人をねたんだり憎んだりすることがない。すこぶるおだやかな人間だと思う。
だが、今回はどうも勝手がちがう。突然に怒りと憎しみがわいてきて、人に食ってかかったり、やたらと攻撃的になっている。街を歩いていて人にぶつかられ舌打ちでもされようものなら、バール片手に追いかけて殴り倒したい衝動に駆られたりする。

このままでは悪しきものにつけ込まれ、「もののけ姫」に登場するイノシシの族長、乙事主のようにタタリ神と化しそうなので、必死で己をいましめてはいるものの、妹の遺体を発見した時に腹の底からわきあがった気持ち──怒りが唐突によみがえるのだ。


幼い頃から要領が悪い、なんかイラつくといじめられ続けて、いくらがんばっても報われなくて、ついには心を病んでしまったカナ。
楽しいこともなく、貧乏で、一人では電車にも乗れないから旅行にも行かず、自分が生きる意味を見失って悩み苦しみ抜いたあげく、こんなゴミためみたいな部屋の中で、死んで半分腐りかけている。

ひょっとするとまだ息があるんじゃないか?寝てるだけじゃないか?
祈る思いでうつぶせのままの妹をのぞき込んだ時、黒い死斑が浮き出した腕と、形が崩れはじめた指先が目に入った。その時、口をついて出たのは「糞!糞!糞!」という叫びだった。最後がこれかよ!!と怒鳴りながらバカみたいに部屋を歩き回った。

金持ちの家に生まれて面白おかしく生きている人々もいるというのに、生活保護で行きたい病院にも簡単に行けない貧乏人のまま、電気代を節約して扇風機を止めたままのクソ暑い部屋で、最後は腐って終わりかよ!
自分を含めたこの世の全てが憎くなった。



我が家には娘も息子も、甥も、姪も、一人もいない。旦那も姑も、他人さんは一人も家族に入らない。
両親と三人の姉妹、それから縁あって保健所行きを逃れた一匹の犬。5人と一匹で構成される小さな家族。

だからこそ私は家族に執着して、父母の死を悼みつづけ、次に遠いところへ行ってしまうであろう老犬マヤに、ありったけの愛情と体力と時間をさいていた。
朝5時に起きて出勤前に2時間の散歩に行くのはつらいものだが、父母を失った時のような後悔は二度とごめんだという一心から、一日でも長くマヤが楽しく生きられるようにと、心をくだいていた。

だというのに、なぜ平均寿命が90年に近い生き物が、それも自分より6才も若い人間がこんなに唐突に逝ってしまうのだ?


三回忌を目前にした今、父に対する後悔は徐々に薄れて、私はようやく前向きな気持ちになっていた。
自分の心の平安が取り戻せたから、次は心を病んで苦しみもだえている妹のことをなんとかできないだろうか、と考えるゆとりも出てきていた。

問題が大きすぎてこれまで妹の心の病と本気で向き合うことはしなかったけれど、私にとって守るべき存在は、もうマヤとカナしか残っていない。

ならばここは腹をくくって、じっくり妹に付き合ってやろう。そう心を決めた矢先だった。ただ、寿命の短い犬に比べると、人間にはまだまだ時間はある。急ぐことはないと思っていたのだ。

けれど、急ぎすぎるくらいでちょうど良かったらしい。私はまたやってしまった!
後悔を延々とひきずる性格だから、常に「後悔しないために」必死で走り回っているくせに、またしてもなすべき時になすべきことができなかった……。

そう、今回もちょっとした面倒くささを我慢して、銀行回りのついでにあと5分余分に自転車にまたがり妹の家をのぞいておけば、ひょっとすると妹はまだ元気にしていたかもしれない。そうでなくとも、最後にもう1,2回言葉を交わすことくらいできたはずだ。
でも、もう遅い。全て終わってしまった。


カナ(香苗)は、幼い頃からいじめられっこで要領が悪くて、いつもおどおどして人に気ばかり遣って、体が弱くてすぐに疲れて一日中寝てばかりで、おまけに心も弱くてちょっときついことを言うとすぐ半泣きになるものだから、「いい年をしてこれでは……」と、私とヘボピーはしょっちゅうため息をついていた。

それでも自分なりに一生懸命だったのは疑いようがない。
まじめですごいがんばりやさんで、思いやりがあって優しくて、とても、とてもいい子だった。

まるで小学生がそのまま大人になったみたいなところがあって、姉たちは「これでは先が思いやられるなあ」と眉間にしわを寄せたものだけれど、世間ではよく言うではないか。頭や肉体の発達が遅れたりなにかが足りずに生まれてきた者は、普通の人よりも神さまに愛される存在だと。

今になって振り返ると、カナは私たちよりずっと神さまに近かったように思える。



関西地方を襲った強力な台風が通り過ぎた8月10日の午後3時前。電話を文書で連絡が取れるファックス付きに変えてやろうと(妹は電話に出なかったので)、雨があがってすぐに妹の家に向かった。

ファックスの設定が終わったらファミレスにでも行って、それからカラオケで私が覚えたばかりのアニソンを教えてやろう。
妹はカラオケが大好きだったし、「すぐじゃ無理と思うのならば 少しづつでいい」と歌う「夏目友人帖」の主題歌は、要領が悪くて生きることがひどく辛そうな妹なら、きっと好きになるだろうと思ったのだ。

ただ、その数日前から、電話をかけてもずっと話し中なのが少し気にかかっていた。
だが、また受話器がはずれてるのに気が付いてないんだろう(よくあることだったのだ)と自分に言い聞かせ、私は台風に襲われた週末の二日間、家から一歩も出ずに過ごしていた。


妹は長年精神を病み、睡眠薬と向精神薬を常用していたせいで、常に頭がぼんやりしていたようだ。
また、一度眠ると耳元でどれほど電話の呼び出し音が鳴ろうとも、まず目覚めることがない。だから電話はほぼ用をなさなかった。また、携帯電話もすぐに落としてしまうだろうと持たせていなかったのだ。

スマホかパソコンを買ってやれば多少は世界が広がるだろうかとも考えたものの、月7千円近い料金を肩代わりしてやることは、手取り月収20万にすぎない私には厳しくて、与えられないままだった。

そんなわけで妹に連絡を取ろうとすれば、家まで行くしかなかったのだ。(父が急死した時などは葬儀の準備もあって忙しいのにこの子は……と情けなくて涙が出たものだが)
だから日曜日、雨の合間を見計らって部屋を訪れた。


エレベーターのない薄暗いアパートの、急な階段を四階まで上がって、踊り場に立ったとき、ほのかに昨日嗅いだのと同じ臭い──冷蔵庫に入れるのを忘れてうっかり腐らせてしまった豚肉に似た匂いがした。

だが、誰かがゴミでも腐らせたんだろうとあまり深くは考えないままに、ドアを開けて布団の上にうつ伏せで寝ている妹を目にした時も思ったのだ。どうせまた眠り込んでるんだろう、と。
ただ、身体が布団から半分ほど身体がずれた状態にある上に、部屋の雰囲気はいつもとはどこかしら違っており、なにか嫌な感じがした。

おそるおそる近づいて背中に目をやると、もともとひどいアトピーでまだらになっていた背中の色が、いつもより黒い気がした。ひざをついてカナ、カナ、と呼びかけながらのぞき込むと、腕と指先が目に入った。
それと同時に、ああ、この子の人生はこんな形で終わってしまった!と絶望に襲われて身体が震えた。

ただ、今思えば髪の毛がかぶさっており顔は見ることがなかったのが救いだ。私はとても怖がりなので、ちゃあちゃ(妹たちは私をこう呼ぶ)には見せないでおこう、と気遣ってくれたのだと信じている。

本人確認は、警察が現場で撮ったデジカメ写真の顔を見て、ヘボピーが済ませてくれた。
「ああ、妹に間違いありません」「どうして妹さんだと分かるんですか?」「この目の細いところとか、白髪の感じとか、輪郭とか」。ヘボピーが警官にそう答えるのを聞きながら、頭が割れるほどの頭痛に襲われていた。

それからは数時間に渡る現場検証、検死官の調査の後、遺体は医大に送られて翌日の解剖結果待ちとなった。
小雨がそぼ降る中、担架に乗せられてアパートから出てきたカナは、映画でよく見る黒い死体袋に入っていて、物珍しげに目をやる人々の合間を縫って、あっという間に葬儀会社のバンに積み込まれて行った。


葬儀はしなかった。幸いなことに腐敗はさして進行していなかったとはいえ、顔の変色がはじまっており、「最後のお別れ」ができないところへ、遠方から年老いた親戚たちに来てもらうまでもないと判断したのだ。

棺には母と一緒に写った写真、よく使っていた身の回りの小物や財布、CDなどを入れてやり、手当たり次第に花屋で選んだ花を思い切りたくさん入れてやった。
目に入ったのをぜんぶ買ったせいか花の色のバランスがむちゃくちゃで、イメージでは「花の中のお姫様」にしてやる予定が、なんだか雑草の山に埋もれたアルプスの少女みたいになった妹を見て、ヘボピーと二人、つい笑ってしまった。

また、「もうすぐお誕生日だったんですから」と葬儀社も花束をプレゼントしてくれたのも嬉しかった。私の手当たり次第とは違い、大きくて素敵な花束だった。
(偶然にもこのK社──今年の警察担当である葬儀会社は、父と母もお世話になったところで、担当は昨年の葬儀でカナと話したことを覚えていたのだ!そして、カナは2週間後に誕生日を迎えるはずだった)

焼き場では私とヘボピー二人だけで見送ることになると思っていたけれど、カナを知る私の友人I氏が駆けつけてくれて、三人でお骨あげをした。
三人で添え箸をして取りあげたのど仏は、まだ若かったせいだろう、本当に仏さまが座禅を組んでいるようで、うっすらと顔まで見えるようで、のど仏ってこんなに綺麗なものなのか!と驚いた。


そして今、妹は骨となって、父と、母と、イリと並んで座っている。
たった2週間前には、同じ場所で寂しそうに母の遺影に手を合わせていたというのに!人生とはいつ、何が起きるか分からないものだ。

私たち二人の姉は、駄目な末妹が予想外に手間をかけずに去ってしまったことにすっかり脱力して、すべてが虚しく馬鹿馬鹿しく思えてたまらない。
ただ、カナの側からすれば、これで良かったのかもしれないね、とも話し合っている。あの子にとって、この世は生きるには辛すぎた。

だから今はただ、声を掛けてやりたい。

カナ、よくがんばったね!あんたは本当にがんばりやさんだった。
あんたには誰にも代え難い価値があるよ、と生きている間にもっと繰り返し言えばよかった。ちゃーちゃもマミねえちゃんも、自分のことだけで必死になって、あんたのこと、ぜんぜん構ってやらなかった。ごめんね。
せっかくパスポートも取ったんだから、涼しくなったら……なんて言わずにもっとさっさと旅行に連れていってあげればよかったね。美味しいものも色々食べて、カラオケも好きなだけ行けばよかった。お小遣いもたくさんあげて、お金の心配なんかさせなければよかった。

でも、やっと楽になったんだから、もういいよね。終わったことだ。

天国ではお父さんと和解しなきゃだめだよ。イリも、ハルも、キナも、おばあちゃんも、あんたの好きな人や犬がみんないて楽しいでしょ?もちろんお母さんもね。

時が過ぎるのはあっという間。人生は長そうで意外と長くないものだから、私がそっちに行くのもそう先のことではないよ。
ただ、ツバメみたいに食べ物を運ばなきゃならない子がいなくなったのは辛いけどね、まあ、あまり悲しまないように努力するわ。

じゃ、また会おうぜ!


さて、長々とお読みくださってありがとうございました。
カナも自分がこの世に存在したことを、ほんのちょっぴりでも人に知って頂けて喜んでいることと思います。ぷくぷくした丸顔に照れ笑いを浮かべているのが目に見えるようです。

私とヘボピーは明日からもあとしばらく生きて行かざるを得ないなら、人生の無駄遣いをしないように、カナの分までびっしり生きてやるつもりです。
そう長い間はしょぼくれない予定ですので、皆様、今度ともどうぞよろしくお願いいたします。

追伸・メールの返信はしばらくできませんのでどうぞご容赦を……。

2014年8月9日(土)

ヘボピーから「イスラムわんわん。ワオ!」というコメントと一緒に送られてきた。すごくニヤニヤしている。

聞くところによれば、巻かれながらうっとりしていたそうだ。

アドテクノロジー(広告関連技術)の進歩はめざましい。ちょっと前までなら私の人生パターンには縁もゆかりもない、ゼクシィとか進研ゼミからの誤爆があってイラッときたものだ。

しかし最近はポータルサイトを開くと「このごろ朝がつらい……」「加齢臭、気になりませんか?」「墓のない人生ははかない人生」みたいな中年世代にジャストフィットな広告がとっかえひっかえ展開されるもので、おおきなお世話じゃ!と別の意味でイラッとくる毎日。

そんなある日、下の日記に書いた本のタイトルを特定するために、たて続けにグーグルで「いきもの」「物語」「野生動物」「シートン動物記」「忠犬」といった単語を入力したせいだろう。ついにターゲティング広告が「注目のヤフーオークション、良品です!」と牙をむきだしたオオカミの剥製をぶつけてきた。リターゲティング機能、いい仕事してますねぇ〜〜〜(#^ω^)


さて、ドアの陰から行動を監視しているかのようなネット広告の進化に、チェキを初めて見たアマゾンの住民のように驚嘆していたところへ、世界の証券会社で一番給料が高い天下のGS(ガソリンスタンドじゃないよ、ゴールドマンサックスだよ)からのおすすめ情報が披露された。

なになに、「アドテクノロジーは徐々に広告全体を浸食する」
なかなか自信たっぷりなコメントだけど、確かにそれはありそうだな!と私を唐突にびびらせた剥製オオカミのガラスの瞳を思い出しながらうなずいた。同時に脳内ではマトリックスの映像が再生されている……。
(テクノロジーと聞くと理数系苦手人間の頭には、「マトリックス」や「トロン」的な、なんやよー分からんけどカッチョいいなにか──「緑色のデジタルで0と1が流れていく映像」が浮かびがちなんです)

そんな力強い推奨コメントと共にGS様が強力プッシュするのは、アドテク関連銘柄のファンコミュニケーションとフリークアウト。
目標株価はファンコミ2200円!フリークアウトは9700えぇーん!!!その時、前者はたしか1400円台、後者は6000円弱。えらく大きく出たもんだ。


結果から言うと、ダメもとでいっちょ乗っかってみっか!とまとめ買いしたフリークアウトは、ほんの一瞬だけ美しい夢を見せてくれものの、その後は何の断りもなくダダ下がり。
やがて……。ストレスそして哀しみを置きみやげに、たったの一週間で私の保有銘柄リストから姿を消した、つまり損切りされたのでした。その損失、給料一ヶ月分。でへへー。(=´ω`=)

まあよく考えると名前(フリーク)からしてリスキーだよな。それに仮にも上場会社なら、落ち着きに欠けるにもほどがあるホームページ(☆)をなんとかせえ!……と逆ギレしてもあとのまつり。アフターリオのカーニバル。

そんなこんなで、空売りしかやらないというマイルールを破り、証券会社のハメ込みにつかまったバカな自分を恨みつつ、アドテクの進歩によって的確に表示される投資信託やらFXやら不動産経営やらの広告を、今日も涙で曇った目で眺めてます。

投資はすべて自己責任。ご利用は計画的に!


・・・フリークアウトのアドレスを貼ろうとしたんだけど、古いバージョンのIEからアクセスしようとしたら、「エラー:証明は不明な署名アルゴリズムを使用しています」とパソ音痴をびびらせるアナウンスが出て貼れなかったん。

さすがアドテク世界の異端児。フリークでアウト!と変に感心したのは置いといて、よければご自分でググってみてください。厨二なホームページデザインもさることながら、トップページで社長がきっちり腕組んじゃってるから。「経営者腕組みの法則」が発動してるから!

なお<腕組みの法則>とは会社のホームページやインタビュー記事などで、経営者がドヤ顔で腕を組んだ写真を載せている会社には気をつけろ!という意味の、投資の世界のことばだよ。

2014年8月6日(水)

幼い頃に親しく触れあった本を読み直している。
ナルニア国物語、冒険者たち(「ガンバの冒険」の原作ね)、ドリトル先生、ぽっぺん先生、シートン動物記、銀色ラッコのなみだ、ながいながいペンギンのはなし、モモちゃんとあかね、名犬ラッド、椋 鳩十の動物文学、千葉省三のわんわんものがたり……。

好きだったのは実在の、または空想上の生き物が活躍する物語。小学校の図書館では動物が登場すると見るや片っ端から借りてきて、ついには読みたい本がなくなったのを覚えている。

残念なことに当時好きだった本の多くはタイトルも、おおまかなストーリーすらも忘れてしまって、記憶に残っているのは当時、ひどく心打たれた断片的な場面のみ。今はネットで「あの本のタイトル教えてください」と書き込むと親切な人が答えてくれるようだけれど、記憶の断片があまりにも小さくて聞くに聞けないのだ。

中でも今、必死で記憶の糸をたぐりつつ、ネットを駆使して調べているのが「どうぶつのはなし」という感じのタイトルの、ハードカバーの本である。
そこには動物にまつわるノンフィクションの短編が30話?ほど集められており、動物文学というよりも「動物事件簿」という体裁。正直なところ文章は子供心ながらに面白くなくて、自分の本棚ヒエラルキーの中では一番低いところに位置していた。

しかし振り返ってみると、どうもその本の中のエピソードが大人になった今なお、心の奥のどこかに深く根を張っているような気がしてたまらない。
本としては取るに足らない印象で、ドリトル先生やシートン動物記に比べればすっとこどっこい呼ばわりだったのだが、一体なにが引っかかっているんだろう?

そのあたりを確かめたくてたまらないのに、運の悪いことに、40年近く我が家にあったその本はつい最近捨ててしまった。
父の部屋を片づけて、真っ茶色にすすけた古本を縛ったヘボピーに、捨ててもいいね?と尋ねられた時、一瞬、ひもをほどいて抜き出そうかなと思いながら、なんとなく面倒くさくて「いいよ」と答えてしまったのだ。

本の中で一番印象に残っているのはボンベイの遺跡から発掘された一頭の犬の遺骸(正確には石膏像)。犬はなにかを守るような姿勢をとっており、その足元に幼い主人を認めた時、発掘隊の人々は感動の涙を流したのでした……という話だった。

ボンベイのこの話はネットでも確認できたが、他にはどんな話がおさめられたいたのだろう?知りたくてたまらないのに、アマゾンや古本屋、児童書のサイトを見てもどうしても分からない。子供ですら「この本イマイチだなぁ」と感じた取るに足らない本だったから、時の流れに押し流されてしまったのだろうか。

ああ、ひもで束ねられた状態で何ヶ月もの間、台所に隅に積み重ねられていたというのに!あの時ちょっとひもをほどいて引き抜いていれば、こんな苦労をすることもなかったのに……と後悔してももう遅い。古本屋の前を通りかかると、児童書のコーナーをのぞく日々である。

厚さ約3センチ、ハードカバー外箱付き。タイトルには「どうぶつ」か「動物」が入っており、背表紙には銀色が使われ皇帝ペンギンの親子が描かれている。(それが、他の本と束ねられた状態でしか見てないので、表紙は全く覚えていないのだ!)中身は動物にまつわる短編集。
ヒントはこれだけだが、もしも古書店で見つけたらぜひ私の代わりに購入して頂けないだろうか。予算は2千円でお願いします。

2014年8月5日(火)

はっ?!ぐずぐずしてるともう8月5日?!!
格別忙しいわけでもないしダラけているわけでもないのに、なんもできてない。毎日5時から10時まで起きてちゃんと動いてるのに、ここの更新はおろか、友人へのメールの返信も、旅先で出会った人たちに送ってあげる写真のプリントも、部屋の掃除もなーんもできてないんだ……。

これって一体どういうこと?と考えたら、加齢と共に情報処理能力が猛烈な勢いで衰えつつあるため、という結論に達した。
いやもう、みっともない泣き言は言いたくないけど、50の坂を越えてからこちら、猛烈な勢いで自分が劣化しているのが手に取るように分かって、ただただ驚くばかり。生き物ってこういう風にして老い、まっしぐらに死に向かって進んでゆくんだなーと、我が身をもって痛感している。

それにしても自分が30代40代の頃は、50代の人はみな元気そうで、40代とはあまり変わらない知力、体力を保っているように見えていた。けれど、みんなこんな風に己の老化におののいていたのだろうか。
それとも私のこのアカン化はなにか病的なもので、アルツハイマーの萌芽を疑って病院に走った方がいいレベルなのだろうか?判断に迷うところだ。

こう人に話すとみんな「考えすぎだよー、ミキさんは疲れてるんだよ」と言われるのだが、今のところとりたてて疲れる理由はないのだよね。
会社はひねもすのたりのたりだし、父母の死については時々うつになるけれど、少しづつ納得がいくようになってるし、未来に対しても格別不安があるわけでもない……っていうか、心配しても無駄だと諦観しているのに、この衰えはどうしたことか。

もの忘れがひどい、言葉がスムーズに出てこない、知っていたはずの情報を頭から引っぱり出せない。このあたりまでは誰にでもある老化、しゃーないな、と思っていたけど、近頃は認知能力がものすごい勢いで低下しているのはイヤな感じがする。
きのうも錠剤を一錠だけシートから外し、あとにまだ残っているのに捨てちゃったり、会社で書類にサインをもらおうと数枚を重ねて準備していたら、一番上だけプリントしてあって、その下はぜんぶ白紙だったりとか……。

ぎりぎりセーフで錠剤はゴミ箱の中から拾い上げ、会社の書類は上司に回す前にたまたま気が付いたからよかったようなものの、お高い薬や仕事のミスが絡んでくると、さすがに「これが老化、しゃーないな」なんてヘラヘラしてられない気分だ。

悪いことに2,3日前から足の静脈瘤が悪化、歩くのが辛いレベルになってきて、ますます憂鬱。
近々専門医にかかる予定なんだけど、かなり先まで予約が一杯。静脈瘤に悩む女性の多さに驚いた。まあ、私みたいに「歩きづらい」という悩みに達する前に、美勘定の問題が出てくるものね。青い血管が浮き出て足に醜いこぶができ、スカートがはけなくなる静脈瘤、若い女性はそりゃ悩むわ。

……と相変わらずぼやいてばかりの毎日だけど、なんとかかんとかやってます。最近はドリトル先生とキルラキル(アニメな)に興味がわきつつあるので、そのあたりの話もまた折を見て。
さ、今日も家族のためにがんばってゼニ、かせいでくるかー!

2014年8月1日(金)

一斤230円の山食がびっくりするほど美味しいパン屋さんの前で待っている。
いつもこうして一緒に買い物に来ては、店から出てきたおねえちゃんにパンのかけらを口に入れてもらうのが楽しみなんだ。

先日、久しぶりに犬──アフガンハウンドのことを調べていた。というのはアフガニスタン大使館のスタッフが、ツイッターで「大使館のアルバムで1970年代のこんな写真を見つけたよ」とアップなさっていた写真に、遠い記憶がものすごい勢いで蘇ったからである。

そこに写っていたのはクリーム色のアフガンとハンドラーと審査員。アフガニスタン大使館協賛という背景や、審査員の持っているリボンから推察するに、アフガンハウンドの単独展(一犬種だけで行われるドッグショー)だと思われる。
70年代にはまだアフガンの単独展はまだまだ珍しくて、アフガンマニアだった私はそれらショーの主な結果を、ほぼ全て把握していたはずだ。

この写真には確かに見覚えがある。アフガンもハンドラーも審査員も、名前が喉元まで出てくるけれど、あと一息で思い出せないのがはがゆい。
フレデリックヘーゲル・エス・シピオネ?いや、フレデリックはクリーム色じゃなかった。当時はクリーム単色のアフガンは珍しかったから、繁殖犬舎を絞り込めそう。それにジャッジは本田さんかな?ならジャッジとショーの開催年から、このショーのベストインショー犬が特定できないかな。

……我ながらものすごい推理力である。そしてものすごく無駄な作業である。それでも喉にひっかかった小骨を取りたくて、一生懸命ネットをさまよった。
だが、近年のショーならいざ知らず、当時はインターネットのイの字どころか、ようやくパーソナルコンピューターがオギャーと生まれ出た時代。そんな大昔のドッグショーの結果がネットで検索できるはずもなく、写真に写ったアフガンハウンドの特定はできなかったわ……。

きっと当時の「愛犬ジャーナル」(商業誌としてはありえんほどマニアックな雑誌。当然ながら廃刊)の古い号を開けば載っているのだろうが、押入の奥の奥まで探す時間はない。
私の喉に小骨をひっかけたまま、自パソコンに保存するのをうっかり忘れていたアフガニスタン大使館のツイートは流れてしまい、クリーム色のアフガンの正体は分からずじまいだった。

それにしても、とおの昔にこの世から去った一匹の犬のことを、35年を隔てた今、飼い主でもない、ハンドラーでもない、それどころか実物はおろか、写真でしか見たことがない人間が必死になって思い出そうとしているなんて、なんだかちょっと不思議な感じがする。

そういえば、誰が作ったかも分からない古代エジプトの小さな遺物に触れた時にも、これと同じ感じを抱くことがある。
時間の流れのある地点では確かにそこにあった命との邂逅、とまで言うとおおげさだけれど、自分が生きて今ここにいることに対してまで、なぜか軽いめまいを覚えたのだった。