2014年5月27日(火)

友人と明石焼き(玉子焼き)を食べに、隣町にある行列のできる店に行った時の写真をあげていくよ。

食べログの明石焼き部門で常に上位に食い込んでいるのだが、正直言ってどうしてこれで並ぶのか首をひねるお味だった。20個で500円という安さがポイントなのだろうか。

待って1時間、食べて15分。私たちが店を出た後にも列はつづくよどこまでも。期待はずれですよ、とささやくのは営業妨害だからよしておこう。

待ちあぐねてつい手が伸びる人もいるのだろう。店頭に設置されたガチャガチャの売れ行きは良好な模様。

小学生男子の「なりたいもの」といえば特殊部隊、ポケモンマスター、そして警察官。

デジタル時計!マーキング弾銃!!ナイフにヌンチャク!!!

アナログ測位計!BB弾拳銃!金属製耐火金庫!!荒ぶる小5心をゆさぶるラインナップがまぶしいっ!

……だが「あたり」のヌンチャクやデジタル時計に惹かれて安易に100円玉を投入するのは考えもの。

派手なグッズにひっそりと紛れ込んだ「アルミ製カラビナ」……。んなもんママに頼んでダイソーで買ってきてもらいなさい。

漁師町のA市は港の方角に行けば行くほど昭和な住居が生き残っている。

まあこれはちょっと生き残りすぎですが。

アロエに浸食されつつある家。やけどの治療に使うにしてもちょっと多すぎないか。

三丁目の夕日。右手に見えるのは恵比寿神社。漁師の守護神だけあってこの近隣にはやたらと多いんだ。

若い頃、松本零士のマンガ『セクサロイド』という語感にものごっついエロを感じて、もー読みたくて読みたくてたまらなかった記憶がよみがえった。

レンタルDVDの普及によって、今や絶滅の危機に瀕しているポルノ映画上映館。守ろう日本の美しい文化。

「尼寺の痴漢・便所を覗け!」……ものすごいえげつないスケベさに、さしもの私も思わず目を伏せた。

エクセス・ポルノ封切館のすぐそばの、江戸時代から続くせんべい屋の店頭でたゆたっていたアイドル犬。

顔でかいだなんて失礼ねっ!こう見えてもうら若い乙女だそうです。

商店街にある明石焼き屋の店頭で、10年前から寝ているワンちゃん。10年前に比べると、客になでられて毛が薄くなったような……。

足が立たないから乳母車で散歩に連れてきてもらった12才のお年寄りワンちゃん。マヤちゃんももうすぐこうなるのかな。

バッグに見えるが素材は陶器。「わーっ!これステキ!」とこいつに飛びつく感性は理解できないけれど、飛びつくタイプはキライじゃない。

魚屋の店頭がぎちぎちに詰められたナマコに乗っ取られていた。

こんなに並べるほど需要があるのだろうか?と不思議だったが、ひょっとすると中国人観光客が買ってホテルで干して土産にするのかも。

まんまやんけ!なネーミングの「なまこ餅」。和菓子屋で時々見かけるものの、あんまし食指は動かないなあ。

ぴしーっ!とお行儀のいい感じに購買欲をそそられる。

2014年5月22日(木)

今日は愛犬イリの命日。インドのマハラジャにタージ・マハルを捧げられた王妃の名前と、「月光」を指す単語を組み合わせたロマンチックな本名を持つ、白いサルーキ犬、イリのことをすこし書かせて頂きたい。

11年前の今日、イリが私の元を去った。死因は全身に転移したガン。それが分かった時にはすでに手遅れで、余命一ヶ月を宣告されてからたったの一週間で逝ってしまった。とても利口できちんとした性格の犬らしく、ほとんど迷惑をかけない綺麗な最期だった。

それでもこの世で一番大切な存在をあっという間に失うことは耐え難い苦痛である。死の淵にある犬をなすすべもなく見つめることしかできなかった時の絶望は、今でも鮮明に胸に蘇る。

死の三日前、散歩中に突然立ち止まると狂ったように穴を掘り始め、無心に土を食べ始めたイリ。そんなもの食べちゃだめ!と止める私を無視してぼりぼり小石をかじっている。とうとう頭までおかしくなりはじめたのか!
恐怖のあまり身体が震えて止まらなくなることは本当にあるんだと身をもって知った。

また、死の前日、ベランダに座り並んで朝日を眺めている時に、イリの鼻からツーッと血が流れ出した時の絶望感。今まさにこの瞬間にも、犬の体内では細胞がものすごい勢いで崩壊しているのだろう。
「もう終わりだ、もう終わりだ」とぶつぶつつぶやきながら鼻血をふいてやった時、犬の瞳に映っていた真っ赤な朝焼けの色はけして忘れない。

そんなとても悲しい最後の数日間のことを記憶にとどめておかなくては、と直後にメモを取ったけれど、それを見直すことはなかった。というのはイリが去った後しばらく私は狂人みたいになっていたし、さらにその後は母がアルツハイマーで狂人みたいなったものだから、介護に追われて愛犬を悼むことも忘れていたからだ。


あれから11年が過ぎた。たったの11年なのにとても遠い昔に思える。
長い歳月を経て、ようやく純粋で愛しい記憶となったイリのことを思い出したくて、命日の今日、11年ぶりに当時のメモを読み返した。


4月13日(日)
下痢して全く元気ない

5月2日(金)
会社早退して予防接種のため病院へ行こうとするが、歩けない。

5月4日(日)
スパコミ終了後帰宅するが歩けない

5月5日(月・祝)
とても具合悪そう

5月6日(火)
両親にドッグキャブにて病院へ連れて行ってもらう。腸炎?

5月8日(木)
薬のませるため帰宅 具合悪そう

5月10日(土)
滋賀の美術館から直帰してドッグキャブにて病院へ

5月12日(月)
夕帰宅 投薬 イリじろじろ
少し元気出て目がキョロキョロしているがやっぱり元気ない
ちょうだいちょうだいはする

5月13日(火)
投薬のため帰宅 目はクリクリして元気そう

5月14日(水)
ちょうだいちょうだいはする

5月16日(金)
夜11時、朝夕の散歩で座り込んだと電話受けて12時前に帰宅。夜、下へ行ったまま立てなくなる

5月17日(土)
肺ガンと判明 
食べる?と聞くと目くりくり

5月18日(日)
朝帰宅 ベランダで椅子に座りPC
ステーキとおやつジャーキーいくらでも食べる
息が辛そう もう長くないかもしれない
夕、父母と三人でラッキーちゃんの公園へ 腹見せて転がりかける (ラッキーちゃんとはイリが片思いしていたミックス犬だ。背中にみたらし団子みたいな柄がある、コロコロして足の短いブサ可愛い女の子)

5月19日(月)
目はまだじろじろ
早朝 死んでいるかと思いあわてて起きるが息をしてる
早朝 初めて横になる
朝ステーキをもりもり でも食後の焼き豚は食べない
ショコランへ電話 (ショコランとはペット葬儀会社)
11時 ハルを連れて帰宅 ハルを見ると玄関でお座りして尾を振る 元気な顔 
夕 母とカナと3人で公園へ (ハルとは私の友人、カナとマミは妹のこと)
カナの名を呼ぶとキョロキョロ
カナ四つ葉のクローバー見つける
血便
マミが来ると大喜びで尻尾振って「ワウ!」
よその犬みて走って飛びつこうとする
自分でトコトコ歩いて水道に水飲みに
穴掘りして土食べようとする
夜 かなり息苦しそう 
12時前 ベランダからトコトコ来ておわんの前に立つので肉入れるとペロリ

5月20日(火)
早朝 辛そうなので起きて見ている
朝 肉と私の食べていたソーセージ5本も食べる
会社へ行く時立ち上がり上からお見送り
夜 座って水を飲む 息苦しそう

5月21日(水)
深夜おしっこ立つのが辛そう 出にくい
息は荒くなったり落ち着いたり
1時過ぎ ステーキ一枚分食べる
5時半 ステーキもちくわも食べない
    息静かだが力無い
    手枕をして朝日を眺めてる     
    体の毛はぼさぼさだが頭だけはツルツル
6時  鼻血少し出す
8時  ちくわ4本食べる
    お見送りはしてくれない
9時すぎ クーラーの部屋へ移動
9時半 卵一つなめる
11時 排尿
12時前 目つぶってる

5月22日(木)
午前3時10分 イリ亡くなる

午前12時半頃 ベランダの父の部屋の側でイリが今まで聞いたことがないような声で二度啼いた。
必死で振り絞ったような妙な声だったので、慌てて飛び出すとよろよろと歩いて母と私の布団の枕元に座り、そこに2時間位だろうか、苦しそうに息をしながら伏せていた。

母も私もここ数日間ほとんど寝ていなかったので、私は母を無理に起こすことをせず枕元のイリの足を撫でながらうつらうつらしていた。
うとうとしているとイリが急にふらつきながら立ちあがると妹の枕元に歩いていき、そこでしばらく立っていたが、やがてリビングに行き、そこでまた座り込んだ。

息は今までよりもずっと苦しそうで呼吸自体が浅く、動かない肺で必死に呼吸しているという感じで横で見ているのが辛い。必死で息を吸おうとするのだが肺の細胞がほとんど死んでいるので酸素が入ってこないんだろう。溺れかけの人があっぷあっぷしている感じ。

そういえば祖母が入院していた時、呼吸が苦しくなるとベッドサイドに置かれた酸素ボンベから酸素を吸っていた。あれがあればもっと楽にしてやれただろうに、酸素ボンベまで頭が回らなかった自分を恨んだ。

余りに苦しそうで見ていられないけど何もしてやれない。冷や汗が出てきた。酷い絶望感でこの数時間のことはほとんど覚えていないが、わらにもすがる思いだった。

神様、どうぞこの苦しみを和らげてやって下さい。何でもします、と祈りながら犬の頭をひざにのせて子守歌を歌いながらつやつやした頭を撫でた。
ずっと同じ姿勢をしていると苦しいのか、時々頭を膝から起こしてハァハァ言っていたが、ひざに乗せるとまたじっとしていた。

少しでも効くのなら、と5時間前にやったばかりの鎮痛剤をもう一度やろうかと思ったが、かえってショック反応でも起こされるのが怖かったので獣医に電話した。
その時午前3時前。誰も出ないだろうな、と思いながら10度くらいベルを鳴らすと奥さんが出てそして先生に代わってくれた。

「すごく苦しそうなんですけど、昨日の鎮痛剤をもう一回飲ませてもいいでしょうか。劇薬だからショック起こしたりするのが怖くて」
「いや、肺組織自体が死んでしまって呼吸が苦しいんだから、鎮痛剤を飲ませても変わりはありません。余り苦しそうなら明日連れてきてもらうしか仕方ないですね」
「そうですか。それなら納得できました。もし明日の朝までこのままの状態なら明日の朝一番で安楽死お願いします」

腹水がたまっておなかが急激にだぶだぶだったし、おしっこをしたくなるだろうからちょっと迷ったのだが、やはり水を飲ませようと冷蔵庫から冷たい水を出してお椀に注ぎ顔の前に差し出すと沢山飲んだ。今から思うとそれが末期の水になった。

3時少し前 また立ちあがって今度は廊下へ行った。フローリングがひんやりして気持ちいいのか、暑い日はいつも座っていたお気に入りの場所。呼吸はもっと速く、浅くなっている。

廊下でまたひざに首を乗せさせて子守歌を歌う。呼吸はヒューヒューいうかんじ。
すると急に横になったまま初めてのおもらしをした。我慢してたんだろう、すごい沢山の量だった。それを見ていよいよ最終的な段階に入ったんだなと思った。
「イリちゃんえらいねぇ、おしっこ出たねぇ」と話しかけながら回りを拭いてやる。動かせないので床についた部分はおしっこが染みて気持ち悪いだろうと思ったが、持ち上げられないので回りだけ拭いた。


……と当時のメモ書きはここで切れている。

この数分後、ひゅーひゅーという呼吸音が突然大きくなり、音が最高潮に達した次の瞬間、停止した。それがイリの最後。
大好きな大好きなわたしのイリ!また会おうね!と叫びながら抱きしめた身体からは、すーっと体温が失われていって、ああ、魂が飛んで行ってしまった……と思った。
それは何となく翼を広げた大きな鳥のイメージで、古代エジプト絵画で死者の身体から鳥の姿になった魂が飛び去る姿とだぶったものだ。


まるで昨日のことのように思い出せる。
死の数分前、こらえ切れなくておもらしをした時の申し訳なさそうな顔、(その前のおしっこはよろめきながらも立ち上がって、ちゃんとトイレでしたのが驚きだ)

また、眠っている家族みんなの枕元を回って最後の挨拶をしたように見えたことも、まじめな性格のイリらしかった。
(窓の外で吠えたイリの挨拶で目覚めなかった父は、その後10年が過ぎても、睡眠薬を飲んでいたせいで起きられなかったことを繰り返し悔やんでいた。そしてその後悔をなぜもっときちんと受け止めなかったのだろう、なぜもっと慰めてやらなかったのだろう、という思いは私を苦しめる)


当然の事ながら、これまで一緒に暮らした犬たちのどれを取ってもみな可愛い。それでもイリだけは別格だと感じるのはなぜだろう。

魂がつながっている自分のパートナーを「ソウルメイト」と呼ぶそうで、もし本当にそんなものがいるとしたら、私のソウルメイトはイリかもしれない、と常々思っていた。
犬がソウルメイトだなんて人に言うと一笑に伏されそうだから口にしたことはなかったけれど、神秘主義や精神世界に詳しい友人に、「犬がソウルメイトだなんて、そんなのないよねー」と冗談めかして話したところ、いや、そんなことはないよ、ソウルメイトは人間に限らないものだという言葉が返ってたから嬉しかった。

犬であって犬ではない、他者であって他者ではない。イリは今でも私の心の奥底にある不変の部分のまんなかで、まじめくさった顔で「おすわり」をしているような気がしてならない。

2014年5月21日(水)

消費税アップからこちら、テレビ(特にNHK)や新聞(特に日経)で、口を開けば「景気回復」と言われているのを耳にする。
どうやら「増税の影響は予想よりも軽微」で「消費の落ち込みは見られない」そうだが、みなさんの景気体感温度はいかがだろうか?私なんか「景気回復」と聞くたびに「ウソこくな!!」とテレビのリモコンをぶん投げたいほどイラッとくるのだが。

消費税が上がった以上に物価が上昇していることを肌で感じる毎日では、財布のひもをゆるめようという気にはどうしてもなれない。
たとえば、年初には100g68円だったトリもも肉が118円。100円だった近所のコロッケ屋のアメリカンドッグが150円。各種98円の野菜が150円〜200円だなんて、家畜の病気や野菜の不作、原材料費の高騰があるにしてもちょっとひどくない?

政府マスコミ日銀は一丸となって、ひとまず消費税10%に上げるまでは頑として「目標インフレ率2%は達成可能」「景気は順調に回復している」と喧伝し続けるんだろうな。
しかし多くの人たちが生活防衛に走っているせいだろう、夕方4時には空っぽになるもやしの棚を目にする度に、これから私たちの生活はどうなっちゃうんだろ?と漠然とした不安に襲われてたまらない。

さて、朝イチから軽く憤ってみたけれど、今日の私はたいそう体調がいい。それはおととい送ったはぴばメールが原因かもしれない。
……というのは、返信がその日には来なかったものだから、アドレス変更したけど私には教えてくれなかったのかなあ、とちょっぴり傷ついていたところ、一日遅れでちゃんと返事が来たからである。

おととい誕生日だったS君は一時いろいろ苦労したけれど、今は漫画やアニメを見る層の大多数がタイトルくらいは知っている作品の作者となって、モーレツに忙しい毎日を送っているようだ。
だから15年以上昔の知り合いのことなんか、めんどくさいからスルーしちゃおうと思われても仕方ないなと思っていた。でも、ちゃんと返事をくれるとは義理堅い。

ぜひ今度のみに行きましょうという話は、双方のスケジュールが上手く合う確率が低くて実現はなかなかむつかしそうだけれど、文面からは以前と変わらない彼のスーダラで暖かい人柄が見て取れて、気分が一気に晴れるくらい嬉しかった。

まやちゃんも元気です。わんわんドッグで「血中コレステロールが高すぎるのでお肉はやめましょう」と言われましたがひとまず元気です。

自分的にはジャンプのつもりでしょうが、ちっとも宙に浮いていません。これでは「立ち犬」です。

2014年5月14日(水)

先日、友人と隣町へ散策に出かけた。タコと明石焼き(正しくは「玉子焼き」だそうだ)で有名な隣町は電車で10分だ。
行列の出来る店でゆず塩でいただく明石焼きをアテに焼酎のロックを飲み、築50年とおぼしきおんぼろアパートをカメラにおさめ、江戸時代から続くせんべい屋の店頭でヒマをもてあましていたアイドル犬(巨大なバーニーズマウンテンドッグ)とカメラにおさまる。こういうお金を使わない遊び方って楽しいよね。

さて、ああ面白かったねと話しながら駅に向かう道の途中に、西洋アンティークショップがあった。真っ暗な店の中では店主とおぼしき女性がごそごそやっている。

どうしてこんなに暗くしてるんだろう?とひそひそ話しながら(閉店間際だったと後に判明)ショーウインドウをのぞき込むと同時に、小さな白い皿が目に飛び込んだ。まったりした白に野ウサギが浮き出している。

ごてごてした柄物や色物を好む私は、シンプルな白い陶磁器を選ぶことは滅多にない。たまに買うとしても100円ショップの商品くらいである。

だというのにその白い皿には妙に心惹かれる。「この皿に塩を盛ったら魔よけになりそうだな」とふと思ったのだ。それにウサギは自分の干支、つまりラッキーアニマルだし。

薄暗い店に入り、いかにもアンティークショップのオーナーらしい風貌のおかっぱの女性に話を聞くと、彼女はあわてて店の照明をつけながら、それはKPMなんですよと言った。パリで仕入れた約100年前の皿で、KPMとはドイツの窯らしい。

値段を聞くとちょっと考えた店主の答えは5千円。100円ショップでもありそうな直径8センチの皿が5千円。でも、買うと決めていたから高いとか安いとかは考えなかった。

他にもアメジストで作った6客のグラス(一客8千円)もとても美しくて、一客売りでもいいですよと言われたものの、異国から一緒にやってきた兄弟みたいなモノをばらばらにするのは気が引けるからそちらはあきらめた。

家に帰って包みを開けると、ウサギがいなければ100円ショップで買えるようなこんな皿に5千円は高かったかなあ、とちょっぴり後悔が頭をもたげてきた。毎日節約してるのに、衝動買いしちゃ駄目じゃない。

それでもこういうものを手に入れる時には「ものに呼ばれた」タイミングが重要なのだ、と自分に言い聞かせて早速塩を盛ってみたものの、何となくしっくりこない。それにふだんしていない盛り塩をするようになることは、毎日塩を替えなきゃならないとか、皿の回りを常に掃除しなきゃならないとかで、日々の余計な作業が増えることになる。余計なストレスは増やさない方が良さそうだ。

そんなわけでしばらくほっぽり出していた皿に、ふといつも身につけている水晶のペンダントトップを入れてみた。

これまでは寝る時にははずして、そこらへんにぽいっと置いていた勾玉だけれど、ウサギの皿に入れるととてもしっくりきた。

この手の「しっくり感」を言葉で表現することはできない。強いて言えば、100年も割れずに生き残ってきた皿が抵抗してない感じがする。

こんな風に「なんとなく呼ばれて」手に入れたモノをどんどん増やすのは、「断捨離」がブームのご時世にあってどうなのかねーと思いながらも、まあ、うちに来たかったんだよねと皿に話しかけている。

2014年5月13日(火)

朝起きて隣の部屋に行くと犬がへそ天でフリーズしていた。

かなり無理のある体勢だ。

「みて!ぼく、おもしろいでしょう?」と言いたげな顔。こんな時には「うわーっ!おもしろだーっ!おもしろしてるよーっ!」と大げさにはやし立ててやるのがミキ家のルールである。


先週水曜日の昼には帰っていたというのに、週が明けても調子が出ない……というか今になってじわじわ疲れが来てるかんじである。

エコノミークラスのシートにブロイラーのように詰め込まれたことによる筋肉痛も、帰国してから4日目になって発生。若者よ!これが老化だ!!

そんなこんなでここをちゃんといじるのはもう少し先になりそうであす。まあ、今回の旅は3泊5日と短かったせいもあって、取り立てて書くようなこともなかったんだけど、買い物はいっぱいしたもんで、また戦利品を見てやってちょうだいね。

それにしてもすこし前までは「退職まで残すところ10年なら、元気なうちに会社をスパッと辞めてしばらく海外をぶらぶらしようかな」と本気で思っていたのだが、己にはぶらぶらするだけの体力はもう無いんだと痛感したわ。

今回の旅の最大の収穫は、海外に行って好きな物をある程度は買えるだけのお金をかせげる仕事がある、その有り難みをしみじみ感じたことかな。こうやって人は年を取るにつれて徐々に内向きになってゆくのかしら。

それじゃ今日もがんばってお仕事します。お仕事大好き!(やけっぱち)

2014年5月9日(金)

ボートハウスからのぞむナギン湖の夕暮れ。
向こう岸のモスクからはアッラーフ・アクバルと朗唱する声が響いてくる。

インド・カシミールのスリナガル(現地ではこっちの発音だったよ)から無事に帰国しました。これまでにした海外旅行でベスト3に入る良い旅でした。
インドだからヒンドゥー教徒が多いんだろうと思いきや、ムスリムの方が多かったり、言語はヒンディー語ではなくカシミール語だったりと、行って初めて分かったことも色々。写真その他はおいおい上げてゆきますのでよろしくです。

あ、ぱんだ動物病院に預けられたマヤちゃんは元気いっぱいでご飯をモリモリ食べていたそうです。(帰国してからまだ会ってませんが)週末は実家に帰ってマヤをもふりながらカシミール問題の本を読むつもりです。

もちろんストールも買ったよ。予算の5倍も支払うのはさすがに体が震えて夜、眠れなくなったよ。
でもこれが世界最高レベルのカシミール刺繍なんだと、自分の目で見てよ──く分かったよ。

2014年5月1日(金)

宇宙からやってきた生き物みたいだ。

テンぱってます。明日からシュリーナガル(スリナガル)行きなんだけど、今年のGWはカレンダーの並びが悪いせいで現地ではたったの3泊のみ。短い日程だとなめ切って準備にも手を付けずにダラダラしてたら、まずい!うっかり飛行機のオンラインチェックを忘れとった!

あわててANAのサイトにログインしたものの、行きの成田ーデリー便の事前登録はすでに締め切られており、帰りの飛行機は真ん中の参列席は空いていたものの、窓際の席はすべて埋まっていた。いつもならこんなポカミスはしないのに……と相当へこんでいる。

それでもポリアンナのよかったさがしをするながら、つい先ほど、ほっとしたことが一つ。
魔よけ的な意味あいでいつも身につけている水晶の勾玉が、おとといからどこかへ行ってしまっていたのだ。特に海外旅行には絶対に持って行くものだから、出てこなかったらイヤだなぁと憂鬱だったのだが、ぽろっと出てきて胸をなで下ろしたよ。

そんなこんなでバタバタしてます。まあ、出発は明日の昼と準備に費やせる余裕はまだある。それでも今夜はマに会いたいから実家に戻るという、自分の首を絞めるような時間配分。自分、こんなにマヤちゃんのこと大好きでどうするのよ……。

(あとから見たらこのテキスト、誤字脱字だらけだけどこのままにしときます。どんなにテンぱってたんだよ……。)