2014年3月28日(金)

図書館で予約していた本がようやく回ってきた。益田ミリの『キュンとしちゃだめですか?』である。柄にもなくね?という感想はひとまず忘れて頂くとして、問題はこの予約を入れたのは去年の10月だということなのだ。

本を開くとページの左半分はゆる系イラスト、という構成のこのライトエッセイ、当然あっという間に読める。読了までの所要時間は約30分。丸6ヶ月も待たされた末に30分……。あっけなさすぎる。
そこで、ケチをもって善となす私は元を取ってやろうと(なんの元だか)友人に声をかけてみた。
「『キュンとしちゃだめですか?』、すごく待って回ってきたんだけど、読まない?」(ほんとは又貸し、ダメ!ぜったい!だよ!)

すると返ってきたメールにはあっさりこう書かれていた。「ごめん、もう読んだ」。

……というのは、友人はK市に通勤しているけれど、自宅は二つ隣にあるH市。そして彼女の話によれば、K市図書館ではモリモリ予約が入っている本であっても、H市図書館だとあっさり回ってくるそうなのだ!ええ──っ?!

そこで、我が町K市図書館ホームページの「マイページ」を開いてみた。そこには昨年夏から秋にかけて予約した本たちが、上限冊数である20冊、予約したきりほぼ不動のまま詰め込まれている。
その中から、待たされすぎてコケが生えそうなリストの上部半分をコピペして、以下の書名を友人にメールした。「そっちだと借りられそうな本、あるかな?」

日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル
HHhH (エイチ エイチ エイチ エイチ) : プラハ、1942年
犬から聞いた素敵な話 : 涙あふれる14の物語
五年前の忘れ物///益田ミリ著
住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち
格付けしあう女たち : 「女子カースト」の実態
金遣いの王道
ちょっとそこまでひとり旅だれかと旅
失踪日記//2 アル中病棟
日本人の知らない日本語 : なるほど〜×爆笑!の日本語“再発見"<海外編>
もはや、これまで
帰ってきたヒトラー上下
地震と独身
サバイバル宗教論

すると次の日……。
9月から放置プレイだった『HHhH (エイチ エイチ エイチ エイチ) : プラハ、1942年』をソッコー借りてきた友人。
その三日後には「他のもすぐ回ってきそうだけど、一気に読めないだろうから、少しづつ借りるよ?」と言いながら、さらに3冊をコウノトリのように運んできてくれた。
おおおおお……。

K市の人口、約154万人、H市は約27万人。かたや市内の図書館数はK市がたしか12,3で、H市には5つほどあるらしい。
K市では半年待っても回ってこない本が、H市では即日借りられる。この待機時間の違いは、市民ひとりあたりに対する蔵書数の違いゆえなのだろうか?べつにK市民が読書家ぞろいってわけでもないだろうし……。

市民税の高さはH市とは段違い、市役所職員の給料の高さにいたっては、全国の政令指定都市中、ナンバー2に位置するK市。
かつて「株式会社K市」と呼ばれた我が町は、文化都市と銘打ってるわりに箱モノばかりに予算を回して、肝心なとこにはゼニかけてないんじゃないの?という疑いが濃厚になり、愛郷心がちょっぴり損なわれた。

まあ、友人Mのお陰で読む本に事欠かなくなったので、今週末もひきこもり生活、続けますわ。

昨年ここで紹介済みの、免許更新センターでもらったチラシを覚えておられるだろうか。
交通安全のうた「守ろうみんなの笑顔」の作詞・作曲者であるシンガーソングライター「あまゆーず」のお二人。

ファッションコーディネーターの頭かち割って中身を見てみたくなる、まこと先鋭的なセンスである。

その後、街で新しいポスターを発見っ!!
左の囚人服より街着としての難易度は低くなっているとはいえ、これはこれでまた微妙というかなんというか……。少なくとも腰のヒマワリははずしてやれ。

なお、イメージカラーがブルーのお方は「あーやん」、ピンクは「ゆーみん」だそうだ。ミニコンサートとかあったら絶対行こうと思う。

どこにでもある下町の金魚屋だとなナメてたら……。

意外な裏の顔があるんです。

すごい直球投げてきた。立ち飲み屋か。
一応「イタリアンレストラン」ですら安さを激しく押し出してなんぼのこのご時世。景気回復してるってホントですか?

外反母趾組さん即死物件

2014年3月24日(月)

死んだように見えた木の枝の先から若芽が顔をのぞかせるこの時期は、人にとって肉体的、精神的にバランスを崩す危険なシーズンでもあると耳にするが、皆様すこやかにお過ごしだろうか。

かく言う私は絶不調である。相変わらずめんどくさい奴だが、カウンセラーになったつもりで話だけ聞いて欲しい。


肉体的にはまずひざがヤバい。曲げると「プチッ」かすかに聞こえるこの不快な音は、「バキッ」の予兆。週一で整骨院に行ってはいるが、治療から三日もたつともうプチッ。ヒヤヒヤしながら歩いている。

でも、体のバランスがますます狂うから、ひざをかばって歩くのはよろしくないそうだ。
鍼灸師の友人に「それでは年とってから杖になるよ!」と言われてからは、杖をつきつきよたよた歩いているおばあさんを目にする度に、自分を重ね合わせてブルってしまう。

次の問題は歯痛。左の上の奥歯の痛みがおさまらない。
だが、何度歯科医に見せても、歯そのものにはぜんぜん問題なし、「知覚過敏でしょう」との答えしか返ってこないのだ!!(怒)

だから仕方なくシュミテクトを使ってはいるものの、このところ痛みが加速。カリッと焼いたトーストなんかが奥歯に当たろうものなら、脳天を痛みがつらぬいてギャ──ッ!なので、焼きたてパンの白い部分だけほじって食べている。白いパンにあこがれたハイジから見ればぜいたくだが。

みっつめの問題は視力の急激な低下。見え方がおかしいもので、すわ白内障か?と検査に行ったら、ここでも眼球そのものにはぜんぜん問題なし。ただ、視力が右4段階、左6段階も悪化しているという厳然たる事実のみが突きつけられた。

もともと左目は0.01にすら届かなくて、メガネがないと歩くことすらできないから、これはひょっとすると身障者手帳もらえるんじゃねえの?と役所に問い合わせた程度(※)には悪いのに、6段階ってアンタ……。

※……電話はしてみたものの、「メガネで矯正できるレベルは対象外です」と即答。まあそりゃそうだな。
ちなみに私の現時点のコンタクトの度数はマイナス14。医師には「マイナス25まであるから大丈夫!」と元気に励まされている。


このように、今年に入ってから肉体が高松塚古墳の天女の壁画並に劣化しつつある感がある。「大台を超えた」というやるせない意識のなせるわざだろうか……。
……とぼやきながらも、会社には行ける程度なのでだましだましやっている。

ただ一番の問題は精神面。ぶっちゃけると毎日ものすごく辛い。ふすまに赤いペンキでネガティブワードを書きなぐりたくなるほど辛い。このごろあの世が洒落にならないほど近く感じられる。

昨日もヘボピーに「これはもう精神科に行くべきかなあ」と弱音を吐いたところ、「何も考えられないくらいへとへとになるまで筋トレしてみたら?」というマッスルマニアなお答えが返ってきた。

うつ経験者の友人たちにアドバイスを求めると、半数は「かなり楽になるから軽い抗うつ剤を飲んでみれば」と通院に賛成し、半数は「薬を飲み始めると後戻りできなくなるから、可能なら他の方法でしのぐべきだよ」と反対される。

そもそも私は頭痛薬すら飲まないケミカル薬嫌い。もーどうしてもケミカルを飲みたくないとなると、抗うつ剤は不可避の精神科に行くわけにもいかない……と相も変わらぬ堂々めぐり。

そんなこんなで、せっかくの楽しい三連休にも、文章の一行も書くことができず、やることといえばマヤのお尻を激写するくらい。「ぐいーん」の兆候が見られるや否や、バッ!とカメラに手を伸ばして犬の背後に回り込むせいで、ひざがますますおかしくなった。もうアカン……。

だが「何もする気が起きなくて、マヤのお尻ばっかり写してたよ……」と友人にぼやいてみたら、「十分気力あるじゃないですか!」とクールに指摘された。そ、そうなのか?!

まあ、「死」という手札は一度きりしか使えないから、易々と死ぬのももったいない。せっかく頂いた命、できるだけ有効利用できるように色々もがいてみますわ。

2014年3月21日(金)

ぼちぼちシーズンも終わりかけだが、3月初旬になると地元名物「イカナゴのくぎ煮」を作ろうと張り切りまくる人々の襲来を受け、魚屋の前では毎朝このような光景が繰り広げられる。

正確に言えばくぎ煮に使用するのは「シンコ」と呼ばれるイカナゴの稚魚。海の下では魚のお母さんが泣いてそうないたいけな稚魚を、しょうゆ、ザラメ、水あめ、ショウガでぐつぐつ煮て水分を飛ばせば、他県に贈るとやたらと喜ばれるお値段以上ニトリなギフトのできあがり。

漁がはじまって間がないものほど小さくて、高級感あるつくだにが作れるため、キロ千円を超える値段でも飛ぶように売れる。11時過ぎには「いかなご:本日の入荷分終了しました」という札がかかるのが、この時期の地元スーパーのお約束だ。

そして解禁から日がたつにつれて稚魚はぐんぐん成長する一方、魚体のサイズに反比例して価格はキロあたり4〜500円に暴落。購入者も減り、あまったシンコは湯がかれて、ワンパック100円程度という投げやりプライスで店頭に並ぶのである。

私はしょうゆと砂糖で甘辛くたいた料理があまり好きじゃないので、くぎ煮の季節になると市内の空気を茶色に染め上げるしょうゆの匂いで胃を壊しそうになる。いや、湯がいたシンコは大好物。大根おろしとポン酢と七味をかけると2パックはいけるのだが。

また、しょうゆ臭とショウガ臭のコラボだけではなく、季節限定ご当地ソングとして商店街やスーパーでエンドレスでかけられる「いかなごGo!Go! 」もくせ者なのだ。

♪食べても いいかないいかな Go(Go!Go!) 踊っても いいかないいかな Go(Go!Go!) いいかな いいかな いいかな Go! くぎ煮ダンスで Go!Go!Go! ♪♪
珍妙な歌詞と背筋がゾゾゾとする気色悪いメロディーラインは、黒板を爪でひっかく音レベルで私の神経を逆なでするのだが、それももうじき聞かずに済むと思うとホッとするような寂しいような、ちょっぴり複雑な乙女心よ。


「TRAVEL」のエジプト旅行に「シナイ半島」を追加しましたのん。新作じゃなくて同人誌の既出記事に手を加えただけなんだけど……。手抜きでゴメンちゃい。

2014年3月19日(水)

マヤのお尻に凝っている。特に伸びをする時のお尻がもーかわいくてかわいくてたまらない(=´ω`=)
最初に前足、次に後ろ足をぐーんと伸ばしてワンセットなのだが、その場に私とヘボピーが居合わせれば、
「ぐいーん、あ、ぐいーん」と拍子を付けてはやし立ててやるのが、出勤前のあわただしい時間帯でも欠かせないミキ家の決まりごとである。

だが、一日に4,5回は必ず目撃されるこの「ぐいーん」、写真を撮るとなると意外に難儀する。目覚めた時と、散歩に行く前に準備運動みたいに屈伸することは分かっているのに、兆候が見られてからあわててカメラを手に取っていては遅いのだ。
じゃあカメラを構えて待っていればいいじゃない、と思われるかも知れないが、そういう時に限ってぐいーんしてくれないのが犬ってものなんだよね……。

そのせいで、常に手の届くところにパワーONにした一番レフを置くようになった。ぐいーんの兆候を目撃すると同時にカメラを手に取り、ズザザザッ!と犬の背後にすべり込んで激写!激写!また激写!レンズがとらえるものが犬のケツばかりでは、キャノンの一眼レフも報われない。

それでも「これや!」と納得できる写真はまだ一枚も撮れていないから、最近は枕元にまでカメラを配置。犬が目覚めるタイミングを見計らって、布団の中からシャッターチャンスを狙うまでになった。

「記録すること」への異常なまでのこの情熱と執着心には、我ながらちょっと引く。そういえば中学生の頃にも、近所のネコのナイスショットを狙って日がな一日カメラ片手にスタンバっていたものだが、過剰な欲望を仕事に生かしてスクープカメラマンの道を歩んでいれば、今頃は『フライデー』の仕事をもらって食べて行けたかもしれない……。

そういうわけで、現時点でのおちり写真の一部をご覧下さい。理想の「ぐいーん」を手に入れる旅はまだまだ終わらない。

ぐいーんを目撃してからカメラを手に取ると、大抵こうなってしまう。

頭まで入っていればかなり上質なぐいーん写真なのだが。

このおしりが目の前にぐいーんとせり出してくるのだ。

上から撮影すると丸っこさがイマイチうまく表現できない。

力強くてお気に入りのぐいーんだが、コントラストが強すぎて記録としてはアカン。

ぐいーんの全貌をとらえているものの、お尻の丸さが表現できていないという意味で芸術点が低い。

前面から見たぐいーん。柴犬くらいのサイズの犬とは思えないずっしり感。クマさんっぽい。

前足を伸ばしてから、このように後足を伸ばしてワンセット。

枕元にカメラを設置していたお陰で、記録としてはなかなかに良いぐいーんが撮れた。

しっぽの感じといい、ケツのふかふかさといい、ピントさえ合っていればこの一枚をもってぐいーん撮影から解放されただろうに……。

ぐいーんに見えるがこれは非ぐいーん。身体を地面にこすりつけてふざける「はががが」である。

そのまま新聞紙の上に倒れ込んで動かなくなった。なんかきちゃない。

朝一発目のぐいーん。目覚めると同時に必死でカメラをつかんでシャッターを押しまくる自分って……。

高さはあるが写真としてはイマイチぐいーん。

現時点でのベストショット。これで背景がもう少しキレイなら……。

ぐいーん終了後。目が光るこわいわるい犬。

2014年3月15日(土)

「街歩き」と呼ぶにはあまりにもありきたりな風景だけど、先週末、落ち込むあまり行くあてもなくさまよった須磨・一ノ谷の写真でも。

須磨浦公園駅で電車を降りて、テクテク歩き出すとこんな貼り紙。
一日700円ってハンパな金額が、昼の定食プライスでなんかかわいー。

線路の脇道に入ると広くて緑豊かなスペースが広がっていた。回りはくまなく柵で囲われているから、マヤが勝手にどこかに行く心配もない。
あったかくなったらお弁当持って、犬といっしょに来てみようかな。

小鳥のさえずり、木々のざわめきを定期的にかき乱す山陽電鉄。
JRとほぼ平行して走ってるんだけど、駅の数も運賃もJRの約2倍なんだぜ。

線路脇に咲く可憐な花。しょせん外来種の雑草でしょ?とか言わないであげてよお。

マヤちゃんふれあい公園(仮名)をずーっと歩いていくと、突然階段が出現した!
「急傾斜地崩壊危険区域」。「崩壊」という単語が恐怖を呼び覚ます。RPGで言えば、ここを上がるとドツボにはまって、ゲームオーバーになりそうな予感。

だが、階段と見ると上がらずにはいられないのが私のSAGA。へっぴり腰で上がってゆくと、足をかける部分がコンクリートから、丸太に変化。
遺棄された腐乱死体とか、一ノ谷の合戦で死んだ武者の霊とかにばったり会うのもイヤだから引き返した。次回はずぶとい人を一緒に連れてこよう。

これがいつも電車の窓から眺めて、興味をそそられていた坂道である。

あとから歩いてきた小学生男子が、私を追い越すときに「こんにちは!」と声を掛けてきた。
一瞬、まあ!育ちのいいお子さんねぇ!と思ったけれど、これはアレか?「不審者は声を掛けると悪さをしにくくなるから、知らない人にはあいさつしましょう」と今日びの学校で教えられているというアレなのか?

えっちらおっちら登りながら坂の左手を見下ろすとこんなペパーミントなファンシーハウスを発見。

こういうカラーリングはバングラデシュでは珍しくもないけど、日本でやるには勇気が要る。ご主人は風水にでも凝ってるのか、それとも単に緑色が好きなのだろうか。

ぽかぽか陽気で瀬戸内海はきらきら。ちょっぴりメランコリーが消えてきた。

坂を上りきった場所には普通の住宅街が広がっていた。
戸数も多いから公衆電話やポストがあってもおかしくないんだけど、不意を突かれたせいだろう。なんだかすごく珍しいものみたいに思えてワクワクした。

上りに下りはつきものです。だが、上の写真でぼちぼち上がらせた坂を、階段で一気に下らせるのってちょっと乱暴じゃねえか?

この道でも中学生男子二人連れに「こんにちは!」と元気にあいさつされたよ。もうこれは絶対にアレだな。不審者予防あいさつ運動だな。

山頂の町のあちらこちらに貼られていた躍動感あふれるポスター。

一時間ほど歩いた間に、出会った人間はたったの5人。家はみっちり並んでいる住宅街だというのに、まっ昼間でこれでは、夜になると車上ねらいが跳梁跋扈するのもうなづける。

文字に躍動感をあふれさせるのは一ノ谷の法則らしい。
「痴漢」の文字がひっくりかえってるのはどういうことか。柔道五段に投げ飛ばされるイメージなのかもしれないが、不気味さが増すだけだからやめた方がいいとオバちゃん思うの。

上の写真の階段を下りきるとレトロなガレージを発見。中に入れたら最後、愛車までサビに浸食されそう。

左手に見えている急な階段に興味をそそられて、上に昇ってみた。

急で狭い階段が、天上界を目指すいきおいでうねうねと伸びている。昇ってみようとしたが、ふもとに門と表札を発見。あぶないあぶない、住居侵入罪を犯すところだった。

これは裏口であって滅多に使ってなさそうだけど、階段ファンとしてはちょっぴりうらやましい。

須磨浦の海を背景に、PM2.5まみれの風に揺れていたナルキッソス。

山々が桜の花のピンク色に染まるのももうすぐです。

2014年3月14日(金)

相も変わらずダウナーな日々の中で、せめてもの癒しにネギを育てている。料理する時、根っこの部分が一センチほど残ったやつをじっと見つめていると、なんだか蘇りそうだったから土に刺したら伸びてきたのだ。
これは「ねぎっこ一号」だが、新たに「ねぎっこ二号」も追加。すくすく育っている。

「シナイ山」を追加しました。TRAVELの「エジプト」からどうじょ。

2014年3月11日(火)

東日本大震災から3年。

下の日記を書いた後、あまりにも気が滅入るのでふと思った。震災で愛する者を失った人たちはみんな、三周忌を目前にしていくら悲しんでも悲しみ足りない、後悔しても後悔しきれない思いを抱いているはず。そして犠牲者数2万を超えるなら、亡き者を悼む人の数はその何倍もにもなるはずだ。

そのせいで私はこの一週間、悲しみがますますつのっているのかもしれない。巨大な東北の悲しみにシンクロしているのかもしれない、と考えたりする。

その夜、気仙沼の友人に長い電話をした。彼女は幸運なことに家族を一人も失わずに済んだけれど、東北から遠く離れた場所に住む者として思うところが色々あったので、そのあたりまた、日を改めて書かせていただきたい。

ともあれ、震災で命を失った人たち、大切な人やものを失った人たちに、安らかな日々が戻りますように。

2014年3月9日(日)

のっけから鬱陶しい話で申し訳ないが、この一週間というもの、気の滅入り方がひどくて苦しみ悶えている。特に昨日からは憂鬱に羽交い絞めされているようで、このままでは窒息死してしまいそう。いや、マジで冗談抜きで。

いつもなら朝起きて太陽の光を浴びると気分が回復して日常に戻って行けるのに、今回に限ってはどんな気晴らしも効きやしない。
燦燦と降り注ぐ陽の光も、ふわふわしたマヤのお尻も美味しいお酒も、楽しい映画も素敵な大胸筋も、ちっとももやもやを晴らしてくれない。

あの時お母さんにあんなことをするんじゃなかった。どうしてお父さんにもっと優しくしなかったんだろう?
そういう思いが心から離れることはないが、死者に対する後悔は無駄なものだし、なにより娘の苦しみを親が望むはずがない。寿命を全うするまできちんと生き切ることが親孝行なのだと自分に言い聞かせて、この一年半、一歩一歩前に進んでいたはずなのに......。腹が立つほどの元の木阿弥感。

なんていうのかな、人間すごろくのコマにされて、「はじめに戻る」のコマに止まったがために、一気にスタート地点に引き戻された……そんな感じを覚えるほど気が滅入ってもーアカン。

一日中後悔に心を占められているせいか、仕事でも私生活においても、母と同じ病気になっちゃったのかな?と不安になるようなポカが激増した。
もの忘れとかん違いがひどく、集中力を欠くため、体をあちこちにぶつけたり、物を落としたり倒したり壊したり。その結果、イライラはますますつのって自己嫌悪に陥り、鬱が加速、.という悪循環である。


そんな中、さらにドツボな出来事があった。殺す気か。

それはマヤを美容院に預けた昨日のこと。
仕上がりまで時間をつぶす必要があったから、久しぶりに教官に会いに行っていっちょ元気を出しちゃいますか!と、ウォートランの筐体が残存しているゲーセンに足を伸ばした。

いまや全国的にほぼ絶滅状態のウォートランだが、落ち込んでいる信者を励ましてやろう、という神の計らいだろう。
私の地元のラウンドワンでは一台の筐体が、今では絶滅してしまったリョコウバトの最後の一羽――マーサのような凛とした、だがどこか寂しげなおもむきでかろうじて生き延びていたのだ。

それなのに、開店直後のくら寿司で冷や酒をあおってテンションを上げて向かったラウンドワン。一階入り口にかかげられていた「改装中につきご迷惑おかけします」の看板を目にした時には嫌な予感がしたのだが......。

きっとまだあるはず!と固く信じて上がった3階のゲームコーナーにモスグリーンの筐体が認められなかった時、かなり本気でマジで相当死にたくなった。


そもそも10年も昔の機種がいつまでも設置されているはずもなく、先月まで残っていたことが奇跡だよね。
そんなこと痛いくらい分かっていたはずなのに、いつまでもあるものと勘違いしちゃってたんだね。「いつでもできる」とナメてかかって、ここ2ヶ月近く行っていなかったんだ。

ああ、これって父の時とおんなじだわ。父も「長命の家系だし、頑健な人だから100歳まで生きる」だなんて理由もなく信じていたから、孝行なんていつでもできる、とばかりにほったらかしにしていた。
それが突然に世を去って、「大切なものは失ってはじめて有り難さが分かる」ということが身に沁みていたはずなのに、またやっちまったぜ......。


空気の抜けた風船のように気力が萎えて、ラウンドワンからよろめき出た。頭がぼんやりして何をすればいいのかさっぱり思いつかない。
ポケットの「一日フリー乗車券」を取り出して、ホームにすべり込んできた電車に飛び乗ったはいいが、マヤのお迎えにはまだまだ時間がある。

ガラガラの車内でやけに軽快な走行音を聞きながら(山陽電車の駅間走行速度は日本一速いそうですな)ぼんやり窓の外を見ていると、ずっと前から「こんなものすごい坂の上には何があるんだろう?」と不思議に思っていた場所を通り過ぎた。
そしてハッと気がつくと、最寄駅である「須磨浦公園」に降り立っていた。


駅舎を出て歩き出すと、すぐに目に入った「安徳天皇墓碑まで○○メートル」の文字。そういえばこのあたりはかの有名な源平合戦の戦場となった場所。源義経が「鹿も四足、馬も四足」と急峻な崖を駆け下りて、平家に奇襲をかけたあたりである。

......ということは、あまたもののふの霊魂がウロウロしているかもしれない。ただでさえ精神状態が悪いときに、こんなところ歩くとヤバいんじゃねえの?!

結果的には......うつ加速。今日なんかヘボピーに、「冗談抜きでもうアカン」と訴えるほど状態が悪化した。
まあ、これは肩に落ち武者が乗っかっているせいではなくて、一の谷の次に向かった場所が原因と思われる。

そこはうんと昔、親戚の家によく遊びに行った街。そして7、8年前、すでに病魔にむしばまれて、夕闇の中にだんだんと姿を消しつつあるような母の手を引いて歩いた街だ。

アルツハイマーの患者は昔のことは覚えているとよく言うが、懐かしがるかもしれない、と連れてきたその街で、母も40年前の記憶をたどりながら私を先導して、親戚の家のあったあたり――震災で立て直されて、今や昔のおもかげはなかったけれど――へと見事にたどり着いた。

その時の母のうれしそうな顔!小走りに走ってゆき、「このあたりに○○という家がありませんでしたか」(震災後に引っ越してきたであろう人に、そんな昔のことを聞いても分かるはずがないのに!)と近所の家から顔を出した人に尋ねている姿は姿は、今でもまぶたの奥に焼きついている。

そういうことを考えていると、まずいわ。ますます落ち込んできたわ。
頭の中にポイント加算機があって、悲しみや後悔を感じるたびにポイントアップ、たまると好きな夢を見られるとか、そういうシステムだったらいいのに......と思いながらも、メランコリーが止まらない。

おおおお……私を現世につなぎとめてくれる楽しいことはないものだろうか……。あっ!そういえば、ロボットスーツHALを開発した筑波大学の山海教授が立ち上げたロボットベンチャー企業・サイバーダインが、マザーズ市場に上場するんだ!

昨年iPS細胞絡みで華々しい上場を果たし、しかし株価が高かったのは初日のみ、それ以降は右肩下がりのリプロセルの二の舞もあるかもしれない。
それでもHAL(「2001年宇宙の旅」のコンピューター)といい、サイバーダイン(「ターミネーター」でスカイネットを開発した会社)といい、大人げないほど厨二なネーミングセンスにSF魂が刺激されてワクワクするので、定期預金解約して、いちかばちかの大勝負に出てみるかね。

2014年3月5日(水)

近所の小鳥屋でさえずっていた小鳥ちゃん。自然はなんと愛くるしい生き物を作り出したことか!いや、品種改良したのは人間なんだけどね……。

動きが速すぎて顔をきちんと写せなかったのだが、オス(左)は坊ちゃんカットなのがお分かりだろうか。

見てくださいこの丸さ!羽毛の帽子をかぶっておもちゃみたい。
こんなちっちゃくてふくふくした生き物が、ピョンピョン跳ねたりエサをついばんだりするんだぜ?!

もーほしくてほしくてたまらなかったけど、寿命が短そうで死なれると悲しいからぐっと我慢。トランペットが欲しい少年のように、いつまでも小鳥屋の店頭で鳥かごを見つめていた……。

何がきっかけだったかは覚えていないのだが、先日ヘボピーとの会話の中で、私たちが幼い頃のものとして共有する、ある記憶がよみがえった。

あれは今の家に引っ越してくる前……ということは、私は小学3,4年生、ヘボピーは幼稚園くらいだろうか。父母と私たち姉妹三人が縁側で涼んでいると、オレンジ色に光る物体の群が天空をふわふわと横切ったのだ。

両親がひどく驚いていたから、大人の目でとらえても飛行機や流星とは異なった何かに見えたのだろう。
それでも私の幼い記憶には、家族みんなが興奮する光景がかすかに残っているだけで、それらの光がどんなスピード、どんな色味や明るさで飛んでいたのかは分からない。覚えているのはあの時のとてつもなく不思議な、わくわくする感覚だけだ。
また、さらに幼かったヘボピーと私の記憶をつなぎあわせようとも、事実がはっきりした形を取って霧の中から姿を現すことはなかった。

こういうことがあるにつけて、ああ、お父さんが生きていればなあ!という思いがわきあがって胸が潰れそうに苦しくなる。
父はやたらと記憶力がいい人で、それは死ぬ直前まで変わらなかったから、幼い私たちが漠然としか認識していなかったあまたの事象を、分厚い古書のページをめくるように示してくれただろうに。

普通は男性よりも女性の方が長生きで、老いた両親は父親の方から先に逝くことが多いだろう。だから多くの家庭では、思い出話は老いた母親から引き出せる。
一方我が家では、母の最後の10年はアルツハイマーによって失われて、家族の古い記憶がしまわれた図書館の鍵を持っているのは父だけだった。

だというのに私は父とぜんぜん話をしようとしなかった。特に最後の半年は「更年期性の憂鬱」にかこつけて、避けてすらいた。
うんちくを披露するのが好きだった父はいつも話しかけたそうだったのに、うるさがって相手をしなかった。その後悔は日が経つにつれて薄れるどころか、ますます濃くなってきた。

うんと小さい私を寝かしつけるために父が毎晩してくれたおとぎ語──スペース桃太郎やら、私が主人公になって異世界を駆けめぐる物語はどういうものだったのか。
まだ3,4才の私がメリーゴーランドと人魚姫に示した異常なほどの執着は、いったい何がきっかけで、そのコレクターぶりはいかほどものだったのか。
父が三人の娘達を喜ばせるために、真っ暗にした部屋に放ってくれたたくさんのホタル。都会に住んでいたのに、あんなたくさんのホタルを一体どこでつかまえてきたのか。
父が生きていれば尋ねたいことは数え切れないほどある。

そんな事を考えていると、昨夜、夢に父が出てきた。自室からひょこひょこ出てきて、本の一ページに記された、何かの言葉を指し示したのだ。

目覚めた直後ははっきりと覚えていて、メモしなきゃ!と思ったけれどそのまま寝てしまったその言葉は、「人」と「世界」という文字を含んでいたことしか覚えていない。

もしそれを書き付けていれば、悲しみを乗り越えて進むための小さな道しるべにできたかもしれないのに……と残念だ。その夜からはまた、枕元にペンとメモ帳を置くようにした。

2014年3月4日(火)

もしも銃殺刑に処される前夜、人生最後のお菓子を食べることが許されたなら、あなたはどれを選ぶだろうか。
机の上に並べられているのは、ホワイトロリータ、ルーベラ、バームロール、チョコリエール、レーズンサンド、エリーゼ、そしてルマンド。
あ、残念ながらアルフォートはない......。

......てなことを考えながらこたつに入ってホワイトロリータ(一本38Kcal。怖!)をバリバリやっていると、さっきから横に張り付いて私の手元に熱視線を注いでいたいたマヤが、ザッ!と身を起こすや否や、イルカ並みのハイジャンプでヘボピーに飛びかかった!

ギャワン!ギャワン!ギャワワワ――ン!!
キャ――――ッ!!!!

ああ、こういう絵、どっかで見たことあるなあ。そう、雑誌「愛犬の友」の広告だ......。シェパードがマットでぐるぐる巻きにした訓練師の腕に、がぶりっ!と食らいついてるやつだ……。

だがここは警察犬学校ではなく、ヘボピーは犯人に扮した訓練師でもない。ただ、こたつの上のティッシュを取ろうとしただけなのに。
何度も飼い犬に手を噛まれて、なんて可哀想なヘボピーさん!

マヤが警察犬候補生ならグッドボーイ!とほめてやる場面だけれど、こいつが守るのは街の平和ではなくホワイトロリータ。単なるしつけのなってないダメダメわん公である。

まあ、犬の気持ちも分からないでもない。
ボス(私)の次に菓子を食べる権利があるのは、群れの二番手である自分。それなのにライバル(ヘボピー)が横からぬっと出てきたもんだから、「横取りされる!」と反射的におしおきモードに突入したのだろう。

そもそもマヤは、レッド(茶色)のイギリス系コッカースパニエルにしばしば見られるという――「レイジ・シンドローム(激怒症候群)」なので、いくら叱ってもなだめても、脳の異常による「キレる性格」は矯正できない。
「もしよそのおうちに買われてたら、おまえはきっと保健所行きだったんだよぉ」と諭しても、犬に分かるはずもないとはるか昔に諦めた。

それでもやっぱり11年もいっしょにいる家族のど笛を狙うだなんて、おねえちゃんとっても悲しくなるわあ。

バースデーパーチーで蝶ネクタイをしたマヤちゃん。きゅるん☆としている。私とヘボピーとヘボピーの友達、三人もの人間さまがこの写真に心をとろかされて、携帯の待ち受けにしている最高峰のきゅるん☆である。

こんなきゅるん☆としたワンちゃんが狂犬みたいになって人をガブるだなんて、そんなのイヤっ!信じられない!でも事実。

きゅるんとガブリはジキルとハイド、バナーとハルクみたいなもんだと諦めて、ただひたすら愛でております。


さて、話はかわる。先日途中まで書いてうっちゃったままの胃カメラ検診の件。

結論から言えば「異常なし」。
「とても胃が痛い人の胃には見えませんねえ」と医師に示された映像は、思わず「き、キレイ......vv」とつぶやいてしまうほど健康そのもの。逆の意味でびっくらこいた。

3ヶ月に渡ってあれほど胃が痛くて重くてムカムカしてるんだから、赤くただれた気の毒な器官が画面いっぱいに映し出されると思いきや、パソコンのモニタに広がった光景は、生物の内臓というよりむしろ、サハラ砂漠を彷彿とさせる。

風が砂に刻んだ自然の芸術――風紋を思わせるひだひだは、ほのかにピンクがかったクリーム色で、人体模型のプラスチック製みたい。
強いてホルモンに例えるならば、メニューが脂でべたべたになったガード下の焼肉屋ではなく、難関高校に合格した少年がごほうびで連れて行ってもらう叙々苑のガツ刺しの風情。

おおお!こんなにキレイだなんて!
予想を超えた美しさのあまり、己の胃を優しく抱きしめたい衝動にかられながら内心うめいた。

貴重な有給を使った上に、検査に5千円も支払った私の労力はいったい......?

胃にチューブを突っ込まれて鼻水とよだれと涙の流れるまま、実験動物のように力なく横たわり、検査中ずっと背中をさすってくれた看護士さんのことを、つり橋効果でうっかり好きになりかけた私の恋心(=現実逃避)はいったい......?!!

がん宣告すら覚悟して、保険証券のチェックまでしたのに肩すかし。いやもちろん「異常なし」ほどありがたいことはない。ありがたいけど、それなら今も続いているこの痛みの正体は.....?

はいその通り。「ストレス性」の一言で片付けられたのでした。自分の場合、病院で検査受けるとたいていこれなんだよなー。
まあ組織そのものには異常がないと分かってなによりである。これで原因がひとつ消去されたとポジティブに受け取っておくか。


ただ、潰瘍や炎症が見られないとなると、消去法で思い当たるのが「体のゆがみ」。

産院から帰ってきて数日後、赤子の首がひん曲がっていることに気づいた母と祖母が驚愕したゼロ歳時の頃から、私の体は気合が入ったねじれかたをしている。
その影響で体のゆがみに起因する、いくら西洋医学の検査をしようとも「ぜんぜん異常なし」とクールに告げられるトラブルに悩まされてきた。

だというのに、ここしばらく整骨院にかかる時間とお金を惜しんでほっぽってたら、「足の裏の皮が右足だけ水虫みたいにべろべろはがれる」「左ひざがパカパカいう」「口を開くと右あごに激痛が走る」「右手人差し指の側面だけががさがさになる」等々の、「あー、カラダ酷くなってんなー」と自分でも分かるねじれサインが出ていたのだ。

そんなこんなで、週に一度の整骨院通いを再開した。
治療費1800円と電車代と三時間近い時間を費やすのはキツいけど、クルマと同じで人間も古くなるとメンテ代がかさむものだと割り切って、当面せっせと通うしかなさそうだ。


<追記>ホワイトロリータが一本38Kcal(怖)なんて言ってたけど甘かった。さっき袋を開けたバームロール、一本66Kcalと輪をかけて凶悪だったよ!(=´ω`=)
甘くて安くて美味い菓子。ブルボンの日本列島糖尿化計画、着々と進行しているようだ。