2013年8月30日(金)

ポータルサイトやフリーメールのフォルダを開くと右上の方に表示されるWeb広告は、過去の閲覧履歴や検索ワード情報の累積から、ユーザーの性別、年齢層、嗜好などと分析の上、ターゲットが興味を持ちそうな情報が掲示されるというのはご存じの通り。

新しいパソコンを使い始めたばかりの頃は可もなく不可もなかった広告が、日を追って「中高年のための結婚相談所」とか「40代、このごろ体が重い……」「えっ?4LDKで2千万台?」なーんてターゲットに狙いすましたそのものズバリなものに変化してくるありさまを眺めていると、リタゲーティングすげぇと感心する。
まぁ「30年間の肌サボりに」って化粧品の広告だけは、それはちょっと手遅れすぎやろ!って見るたびに突っ込んじゃうんだけどね。

気分が晴れないので、母とよく行った下町の市場でこんなTシャツを衝動買いしちゃったよ。正月に行くバングラデシュで着るつもり。
日本人の反応は予想できるけど、バングラの人々はこのケダモノどもに対して、一体どんな反応を示してくれるだろう?楽しみだ。

2013年8月28日(水)

のっけからおだやかではないが、いつもより4割り増しで死にたい気分。説明するまでもなく原因は、いつもと同じく両親が世を去った哀しみ──特に、父に優しくしなかったことへの後悔だ。

父が世を去ってあと3日で一年になるけれど、苦しみはぜんぜん変わらない。むしろ日を追って激しくなってきて、いつまでもしつこく引きずる自分に嫌気がさしている。でも、どんなに努力しても気持を切り替えられない。
母と遠く離れて住まざるを得なくて、話相手はマヤだけで寂しかったろうに、どうしてもっと話を聞いてやらなかったんだろう!と思い始めると、もう父が可哀想で可哀想で、ないがしろにしたという後悔に一日中首を絞めらる。

これは、母の四十九日が終わって親類に香典返しを送る際に、元気だった頃の父母の写真を同封したせいもあるだろう。
大量の写真を整理していると、呆けはかなり進行したものの、まだまだ元気だった頃の母が笑っている写真だとか、世を去る一ヶ月ほど前の老いぼれた父がディズニーのDVDを見る前に、「マヤ、パパこれからお楽しみや。マヤ!マヤ!」と楽しそうに犬のお尻をバシバシ叩いている動画だとか、そういう懐かしい絵を目にせざるを得なくて、胸がつぶれそうになった。

おだやかだった過去に引き戻されることが多いせいだろう。昨夜は父母の夢を見た。

母が出てきたのはディザスタームービー仕様。
ある日突然、日本全国の上空に無数のUFOが出現(ありがちですね)「最後は家族といっしょにいたい!」と必死で帰り着いた家には母はおらず、末妹のみ。
お母さんどこにいるんだろう?と不安いっぱいで緊急ニュースを見ているところへ、母が帰ってきてもう嬉しくてたまらなくて、「間に合ってよかった!これでもう、いつ世界が滅んでもいいや」と抱き合って喜んだ。

父が出てきたのはどこかずっと昔に見たことがあるような緑の丘。
これは夢なんだと夢の中で分かっている私は、「泳ぎに行く」という父と夢でもいいから一分一秒でも長く一緒にいたくて、「私もいっしょに行くわ」。
そして生前できなかった時間を取り戻すように色々な話をしながら歩いていると、突然右手に出現した丘陵地帯。そこから、古代の巫女のような白い衣装をまとった美しい女性たちが父と私を見おろしていた。

どちらの夢でも「親がそばにいる」というとてつもない幸福感でいっぱいになったものだから、夢から醒めた時、もう二人ともこの世にはいないんだと気付いた時の絶望感が、なんと大きかったことか!これが「胸をえぐられる悲しみ」なのか。なんだかもう、生きるのがしんどいなぁと心底思った。

「時が経つにつれてだんだん忘れるものだよ」とか、「悲しんでいるとお父さんがいつまでもこの世にとどまらなきゃならないよ?」と友人や親戚や妹に諭される。
そりゃあ頭では分かっている。いくら嘆いてもどうしようもなくて、老いた親に先立たれることは自然のなりゆきであると。

でもどうしても気持を変えられない。考えることにもう疲れた。未来に希望がなさすぎて、全てを放り出したい気分だ。

それでもあとたったひとつだけ、守らなくてはならないもの──マヤがいる。長くてもあと3,4年でお別れする老犬を出来るだけ楽しく過ごさせてやるために、私は持てる時間と愛情の全てを注ぐつもりだ。

とても好きだからデスクに飾っている写真。

アルツハイマー宣告を受けてから2年ほど経った当時の母。
病魔にむしばまれ呆けが徐々に進行しつつある母を、私たちは出来る限り外に連れ出した。

この写真の母はなんだか童女のようだ。眺めていると『千鳥と遊ぶ智恵子』の
「人間商売さらりとやめて 天然の向こうへ行ってしまった智恵子 の うしろ姿がぽつんと見える」
という一節を思い出す。

2013年8月27日(火)

居酒屋の前で心細そうに待っていたよ。 ご主人さま、いつまでも飲んだくれてないで早く出てきてあげて!(´・ω・`)


このところ携帯に届くスパムメールに悩まされている。いったいどこからアドレスが漏れているのだろう。楽天?イオン?ダイエー?証券会社?それとおまけのジェラートにつられて会員登録した、近所のパスタ屋が主犯だろうか?

迷惑メールフィルターが一日あたり5、60件は退治してくれるのだが、フィルターをくぐり抜けたエロメールが一日数回届いては、着信音で私を驚かせる。

夜中の3時のピロピロ音に「誰か死んだんか!?」とあわてて携帯を開いたら、縁もゆかりもない「ゆかり18才」から、「どうして返事くれないんですかぁ?」って知るかボケ。イラッときて携帯ブチ折りそうになるからやめてくれ……。

そういえば友人たちから「メアド変更しました」というメッセージと共に、やたらと長ったらしい新メアドが届いたことがあって、「なんちゅーややこしいメアドや!」と苦笑したものだけど、あれはスパム対策だったのかもなあ。

だが、そんなムカッ腹の立つスパム野郎に助けられることもある。先日、6時と6時半にかけているアラームを無視して眠り続けていた私を起こしてくれたのだ。

♪ピロピロピロ♪という音に寝ぼけまなこで枕元の携帯を開いたら、「お○んこ4つです」。そして時間は7時10分?ヤベェ!!

メールの内容はなんてこたあない、「只今、近くに住んでいて、貴方との相性があいそうな女性が4名待機しております。みぃな(18)  伊藤あや(21) 泉川遙(32) ちな(未)」と、泉川さんだけ微妙に浮いてる援交広告なのだが、こいつが起こしてくれなければ会社に遅刻するところだった。

そんな次第で褒美として、このスパムメールだけには鍵をかけて保護メール指定。飽きるまで置いとくつもりだ。

それでもやっぱりスパム──特に、心が沈んでいる時に届くとダメージでかいエロメールはなんとかしたい。
スパム攻撃から身を守るためには、メアドを「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・ マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ・なんちゃって
みたいな複雑怪奇なやつに変えるしかないのだろうか。

古代エジプト語で「かわいいイリ」という親バカ丸出しな今のメアドはできれば使い続けたいので、変更以外にいい方法をご存じの方いらっしゃれば教えてください。


ポケモンはゲームはやったことなくて、松本梨香おねえさんが♪あ〜憧れの ポケモンマスターに なりたいな なれるかな? 絶対なってやるーッ!!」と絶唱していた初代アニメ版しか知らないんだけどさ、最新のポケモンって新たな次元に進化しすぎでちょっとびっくり。

パッと見にはカッチョいいんだけど、よく見ると足がゴムべらみたいでかなりの異形。「ポケモンいえるかな」当時は151種だったポケモンも、いまや700種OVER。そりゃあデザインする方もいい加減力尽きてくるわなぁ……。

なお、「X」のこの鹿の名はゼルネアス。「Y」の方は鳥タイプのポケモン「イベルタル」だそうだ。敵同士のローマ人みたいで、ガキんちょでなくてもあこがれそうだ。

2013年8月24日(土)

今日は女性ロッカー室で交わされるような生々しい話です。紳士のみなさんごめんなさい。

更年期障害を軽減するためにはじめたホルモン治療──メノエイドコンビパッチの貼付をはじめて一週間。なんだかとっても……具合悪い。

うつは更年期ばかりが原因じゃないと明らかだったから、はなっから期待はしていなかった。また、予想通りにエヴリディうつなことには変わりなし。

一方、突然上半身がカーッとほてって汗が滝のように流れる「ホットフラッシュ」と、体の中を虫がはい回るみたいな皮膚感覚に悩まされる「ムズムズ足」については収まってはいるものの……自然の流れに逆らってエストロゲンを補充することによって、新たなトラブルに悩まされている。
それは足のむくみがハンパないことと、ほぼ生理に近い出血がダラダラ続いていることである。

前者は整骨院で体のゆがみを取ってもらうとなんとかなるものの、出血は非常にうっとうしい。
ネットで調べたところ、副作用として「不正出血」も挙げられており、たいていは数週間したら収まるそうだから経過観察してるんだけど、この2,3日のこれはもう「不正」なんて呼べない。「正式」な生理レベルでびびりまくっている。

せっかく閉経して、健康診断の血液検査の結果、「赤血球数」「ヘモグロビン」「ヘマトクリット」あたりも正常値に戻ったというのに、私これからまた毎月の大量出血と貧血に悩まされることになるの?と思うとうつが悪化しそうだ。

汗がダラダラ出るとか、足がムズムズする程度の、老化に伴うある意味自然なホルモンバランスの変化を、むりやり薬でねじ曲げたことによって、なんだかもう、取り返しのつかないことをしちゃったのでは?と、西洋医学の薬が苦手で、風邪薬や鎮痛剤ですら極力避ける薬嫌いの私は、ものすごい不安に襲われている……。

……とここまで書いて、やっぱりアカ────ン!

人気がありすぎて極悪に混んでるクリニックに出向くことなく、電話一本で済ませていいのか?という思いもあったものだから、あと一日様子を見よう、もう一日我慢したら出血は少なくなるかもしれない……と様子を見てたけど、ますます増える出血量に恐れをなして、さっき電話して先生につないでもらったところ、「それは合ってないのかもしれないから、はがして様子を見てください」とのあっけないお答え。

なーんだ。悩んで損した!!突然はがしてもいいのか?という不安があったんだけど、すぐさまはがしても大丈夫と聞いて安心した。

へその横に貼られた半透明の丸いパッチをびりっとはがし、あーあ、これ一枚でいくらなんだろ。もったいないことしたなあ、くそ!私の日常を変えやがって!とぐちゃぐちゃにしてゴミ箱に放り込みたいところを思いとどまり、きちんと半分に折ってポイ。
短い間でしたが働いてくれてありがとう。そう、万物に感謝の気持ちを忘れずにね!(=´ω`=)

そんな次第ではじめてのホルモン治療はたった1週間でジ・エンド。パッチはまだ三週間分残ってるので、生体実験したい方、抽選で5名様に差し上げます(ウソよ)

2013年8月23日(金)

宇多田ヒカルさんの母で『夢は夜ひらく』の歌手ってくらいしか知らないけれど、藤圭子さんのニュースを耳にして、ふだん芸能情報にほとんど興味ない私もびっくりしたよ。
普通のサラリーマンの住む世界からは遠く離れたところで生きた人だけど、自分と年がそう離れていないせいなのかな、14階から地上へ向かって身を躍らせた気持がなんとなく分かる気がする……ってアカンやん。今日もまた、メランコリックな一日の幕が開く。

それにしても美しい人なのに残念なことを。ニュースサイトに「頭を強く打って」とあるのを見て、あちゃーって感じだよ……。
私、つい最近までニュースの「頭を強く打って……」や「全身を強く打って……」の意味するところを知らなかったんだけど、隠語だと知った時にはゾッとした。

そういえば前からおかしいと思ってたんだ、「全身を強く打って」だなんて、コンクリート粉砕器に巻き込まれたり10トンの鉄柱の下敷きになったりしてるのに、「強く打つ」程度で済むはずないだろ?って。(知らない人はググってください。クリック一発でろくでもない知識をゲットできます)

あと驚いたのは、電車が遅れた際に時折耳にする「線路内に人が立ち入ったため」ってアナウンス。あれは線路内に立ち入った人すなわち痴漢だとは。
いつもあのアナウンスが流れるたびに「えーっ?またぁ?ちゃんと踏切わたれよ!バーカ!」と怒りを覚えていたものだが、隠語の意味を知った時には、痴漢ってけっこう頻繁に出没するものなんだなあと、別の意味でも驚いたもんだ。

さて、今週の出社も今日で終わり。FXでコツコツかせいだマネーをドカンといかれて意気消沈だけど、ゼニ問題ごときで心を痛めるのは時間の無駄なので、気を取り直してさあ!会社行くかぁ──!(空元気)

あ、おしまいに「頭を強く打って」の薄暗さをうち消すために、中学1年生の時の日記でも……。

12/7 火 はれ

きょうは期末テストの国・社だ。テストは両方ともわりとよくできた。いっこと石井さんといぼじの話をしていて、くしゃみをしたり歩いたりするといぼじが出るといってわらっていた。3時間で学校が終わったので、帰ってからカップヌードルを食べた。

ママと300円のけいやくでかなをオルガン教室につれて行った。かなはわりとはきはきしていた。
ママはししゅうに行くといって行ったが、ちさはブタ肉を焼いて食べた。パパが「ブタ肉にはきせいちゅうがいて、手術してもとれないし、虫下しをのんでもだめなんだぞ」といったので、ちさの一生もこれで終わりだなァと思った。それを聞いて、マミがとてもやさしくしてくれた。

エレクトーンへ行った。雨がふっていた。ネムの写真を5枚とった。1枚はあと足で立っているところだ。夜は勉強をした。

子供ってバカ。(´・ω・`) でも当時は幸せだったんだなぁと遠い目になりました。

なお日記中の「マミ」とは妹ヘボピー。「かな」とは末妹、「ネム」とは当時飼っていたペルシャ猫のことです。

2013年8月21日(水)

冷房と水の飲み過ぎのせいなのか、それとも更年期障害の改善のために始めたばかりのホルモン治療が体に合ってないのだろうか……。全身のむくみがハンパない。
鏡を見るとそこにはアンパンマンが映っている。あなた、いったい、誰?(ハナテン中古車センター♪)

足もパンパンにむくんでるから、ふくらはぎを締め付けるタイプのソックスを履いて一日過ごしたところ、脱いだあとのひどいかゆみに襲われている。もーかゆくてかゆくてバリバリいきたいけど、あまり掻くと組織が壊れそうだから必死で辛抱しもって仕事なんかできるのかなオレ……。

下の日記の写真の「精霊馬」を見てると想い出したものがあるので、写真貼って会社行きます。

エジプト・アビドスにあるセティ一世葬祭殿。

パパ大好きっ子だったラムセス二世が作ったこの建物の……。

パパとラムちゃんがキャッキャいいながら雄牛を狩ってる、有名な仲良しレリーフの向かいあたりに……。

こんなド下手な落書きが。

この葬祭殿に身を隠していたコプト教徒がヒマにまかせて描いたものとされるが、なんやもー下手である。
描いた人も千年後の人間に笑われるとは夢にも思わなかったことだろう。

2013年8月18日(日)

父の初盆。生まれて初めて精霊馬というやつを作ってみた。
あの世から家族に会いに来る霊魂は、やって来る時は足の速い馬(キュウリ)、盆が終わるとのんびり牛(ナスビ)に乗って帰るとされる。

でも、のんびり屋だった父は行きも帰りもナスビで、せっかちだった母は往復キュウリに乗りそうだ。

足をふんばってるみたいな野菜は眺めているとだんだん愛しくなってきて、盆明けに海に流せるか自信ない。

この一週間ほど、またしても精神状態は最悪。
理由は明白。去年の12日、娘たちが母を私の家に一時帰宅させている時に、父は自分で救急車を呼んで入院。そのままベッドから起きあがることなく、2週間後に帰らぬ人となったからだ。

個人ブログとはいえ、繰り言をいつまでも人様に聞かせるのはみっともないようで気がひけるのだけれど、書くことによって少しでもこの、生きる意欲を奪われつつある苦痛から逃れられるなら非常に助かるので、ここはひとつ、愚痴も大目に見て頂きたい。
(ぐちぐち後悔してるだけですので、適当に読み流してください)


ここで何度も書いたので、覚えておられる方もいらっしゃるかもしれない。父の死にあたっては「自分が適切に対処することによって、ひょっとすると死期を延ばせたのでは?」と今なお、心にひっかかっている点がいくつもある。

そのいくつかはオカルト的な話なのでわきに置いておくとして、私を最も苦しめているのは、去年の8月11日、盆休みを使って母を一時帰宅させた時の記憶。

どうしてあの時、父を一緒に我が家に連れてこなかったのか?

これに尽きる。

それまでなら母を一時帰宅させる際には、父も必ず自分の足でえっちらおっちら歩いてうちに来て、一日中母の横にいた。だが、去年の盆には歩くのがしんどいと言うので、友人に出してもらった車で母をホームに迎えに行き、その帰りに実家に寄って、父をピックアップする手はずを整えていた。


体が固く萎縮した寝たきりの人を普通車に乗せて、片道一時間以上かかるホームから連れ帰るのは想像以上に大変なことだ。乗せるのは人間だけではない。車椅子、オムツ、専用のマットといった必需品も積み込まなくてはならないから、猛暑の中、私も友人も汗まみれで疲れていた。

だから、ようやく実家に着いてマンションの階段(エレベーターは無い4階だ)を上がり、「お父さん!迎えに来たよ!」と父の部屋のふすまを開けた時、布団の上で父が病院帰りの外出着のままうずくまっていた時の、あちゃーっ!と思った己の反応については、まぁ仕方がないと思わないでもない。

でもそのあとがいけない。
「お父さん、車が来てるから早く準備して!」とせかしても、うずくまったまま、「俺、しんどいから行かんわ」と言う父に、よりによってこんな時に!わざわざ実家に寄るだけでも大変だったのに!とイラッときた私は、「それなら別にいいよ。勝手にすれば!」と言い放った。

それだけではない。「なんかエサ、買ってきてくれたんか」と弱々しくいう父の、「エサ」という表現に、こっちは大変な思いをしてるのに!そこまでしんどいならそんな変な言い方すんなよ!とまたしてもキーッときて、「そんなん買ってへんわ!適当にしてよっ!」と怒りまくって荒っぽくふすまを閉めた。
(父は人間の食事のことを時折「エサ」と皮肉っぽく表現するような、クセのある人だった)

それが実家で見た父の最後の姿だった。
私がプレゼントしたアダバット(サルーキのマークのゴルフメーカー)の上着に、はき古して自分でつぎをあてたズボン、という病院帰りの服装のまま、布団の上にうずくまる父の丸い背中の映像は、今でも写真のように鮮明に蘇って私を苦しめる。
なぜ、あの時にちょっとした想像力を働かせなかったのか?と。


直前に私がひどいねんざをしたせいで、9月に延期しようとも思った母の一時帰宅。それを暑いさなかの8月に無理をおして決行したのは、「母はいつまでもつか分からない」という危機感ゆえだった。

ならばこそ、「もし父を一緒に来させなければ、二度と母に会えないかもしれない」と、どうして思わなかったのか?
しかし現実には、そんな思いやりはみじんもなかった。「暑くて疲れてイライラしていたから」というのは言い訳にならない。私は単に冷酷だったのだ。


死ぬほどの病状ではなかった父が、予想に反してあっけない最後を迎えた原因は、救急搬送された病院が悪かったからだと思っている。

以前から前を通るたびに、カンカン照りの日でもなんとなく薄暗く見えるその救急病院(名前を書こう。徳洲会病院だ)は薄気味が悪くて、建物の前すらあまり通りたくなかった。
私は特に霊感系ではないけれど、「この道は行かない方がいい」とか「この部屋にはいたくない」となんとなく感じることが時折あって、その際には素直に勘に従うことにしている。

ましてや「ここに入れたら死なない人でも死ぬ」といううわさを耳にしたこともあって、絶対に家族を入院させたくない病院だった。
それでも、救急搬送を拒否する病院が増加の一途をたどる昨今、お盆のさなかに救急車を受け入れてくれる病院は、実家周辺ではここしかなかったなら仕方がない。

この点で私の後悔は、どうしてもおさまらないのだ。
あの時、「俺、しんどいから行かんわ」と言われた時、なぜ「どうせなら一緒に行こうよ。30分くらい我慢すればいいんだから」と言わなかったのだろう?と。

父はその少し前からやや体調を崩していたため、母の一時帰宅が終わればかかりつけ医に紹介状を書いてもらって、市内ベストとされる中央病院に検査入院させるつもりだった。

あの時、母と一緒に父を我が家に連れてきていれば、たとえ救急車を呼ぶことになっていても、搬送先は自宅から最も近い中央病院になる。
そして、ナースコールをいくら鳴らしても看護士がすぐには来てくれない徳洲会病院に比べると、看護士が多くてある程度目のゆき届く中央病院なら、父は「夜中に痰がのどに詰まった」なんてバカげたきっかけで死ぬようなことはなかったのでは?

「寿命だったんだから仕方ないよ」と妹は言う。「ひとりぼっちで死ぬ老人も多いのに、娘たちがしょっちゅう来てくれる上に86才まで生きて、お父さんは幸せですよ」と友人たちも言う。

それでも、父の死去から一年が経った今なお、私はもうどうしても、どんなに努力しても自分を納得させられないのだ。
あの時、「それなら勝手にすれば!」といい放った思いやりのなさゆえに、父を殺してしまったのでは?
もし中央病院に入っていれば頑健で長寿の家系の父のこと、あと数年なら生きながらえたのでは?という疑いは、誰にいかなるなぐさめの言葉をかけられようと、日を追うごとに心の中でふくらんできた。

最近では父のことを考えない日はない。喪失感と思慕の念と、数々の間違いを犯した自分に対する糾弾で頭がおかしくなりそうだ。
自分にとって最も守るべき人間だった父の価値を、ちっとも分かろうとしなかったことへの後悔は毎日少しづつ、これから生きてゆくための気力を私の中から奪いつつある。

これは去年の末の辛さとは異なる感じがする。
去年末は精神科にかかろらなきゃアタシ死ぬかも……と思うほどの、苦しくて胸をかきむしり転げ回るような激しい辛さだったけれども、今の心情は、深く静かに絶望しているとでもいったところだろうか。
守るべきものを欠いた虚しさ、これは母までもが世を去ったせいかもしれない。(だからかろうじて唯一残っている守るべき存在──マヤまでが死んでしまった時がひどく怖い)

そう簡単に人生を終わらせることができない以上、これから先も生きていくしかないだろう。それならしっかり生きるのがせめてもの親孝行だと分かっている。

だが、この苦悩がぬぐい去られないままなら、365日の日常をあと数十回は繰り返さざるを得ない未来は、何度押し上げてもすぐまた山頂から転げ落ちてくる大岩と格闘する悲惨なイメージとしか結びつけられなくて、毎朝、昇る太陽を目にするのが、もう本当にしんどくなってきた。

2013年8月17日(土)

うまい棒(たこやき味)をモグモグしながら更新中。うまい棒って駄菓子の代表選手らしいけど、私が小さい頃にはまだなかったんだよねー。初めて食べたんだけど、この味の濃ゆさ、けっこうアテになるやん。モグモグ。

香港空港にて。ニッポンへいらっしゃ〜い!って観光誘致広告らしいが、なにかがちょっと違うような。

長いベントレーってだけでもクドいのに、アップにするとさらにクドいんだぜ。

華人といえば金ぴか好きってイメージがあるけど、日本人の想像力をはるかに凌駕するギラギラっぷりを目のあたりにして、異文化間の価値観相違に震えた。

母のホームに行く道すがら、用水路わきに捨てられていた淡路タマネギ。居酒屋メニューの「オニオンフラワー」が10皿取れる、実に立派なタマネギである。

だが、タマネギ産地の淡路島ではこのレベルですら規格外なのだろうか……。同様の風景をあちこちで目にした。ダメタマの烙印を押されて捨てられようと、元気にネギを伸ばしているのがなんともいたいけ。

母のホームに通った農道わきに、ぽつんと置かれていた空の犬小屋。
この場所から人間の住居はかなり離れており、農道は人と出会うことが滅多にない寂しい場所である。

今ではもういない小屋の主は、主人が来てくれないかといつも耳を澄ましていたことだろう。この木陰でひとりぼっちでつながれた犬の姿を思い浮かべて、目にするたびに悲しくなる風景だった。

百花繚乱のメールヌード写真集の中でも、ひときわ異彩を放つ、ANTHONY GAYTON氏の作品集"SINNERS AND SAINTS"より、水面に映る己の美貌に見とれるナルキッソス。

「聖人と罪人」というタイトルからしていかにもなこの本、あまりにものクドさに一度は手放したものの、やっぱり欲しくなった時には絶版で、古本屋でプレミア価格にてゲット。

『スーパーマン・リターンズ』のブライアン・シンガー監督もこういうテイスト、けっこう好きじゃないかしら?ってオバちゃん思うの。

同じく"SINNERS AND SAINTS"より、ダイダロスとイカロス。

この写真集、こういうのんとか、「絶壁の上に立つ修道院を訪れた罪人と、彼を救う若い修道士」とかのお嘆美設定であふれており、「ごめんなさいよく分かりましたのでもうゆるしてください」と謝りそうになる。

タ・イ・プ (*´ω`*)
管理人、メールヌードではこういうのが一番好きである。タイトルに「スポーツ」とか「フットボール」とついた写真集はだいたい持ってるぞ!別に自慢してるわけじゃないけどな!

心優しい友人M君(短髪乙女)が、管理人の傷ついた心を癒そうと、わざわざネットで探して送りつけてきてくれた画像。

『デットライジング』というゲームでは、こんな風にキャラをいろんなファッションに着替えさせられるらしい。楽しそうだ。

マンキニともムタンガとも呼ばれるこのエロスファッション、ゲーム中では「バナナハンモック」という名称が付いている。実に分かりやすい。

ダサい革靴、首からさげたカメラという観光客風いでたちで、雑踏にまぎれ込んだテロリストの目をあざむけ!!

2013年8月17日(土)

「女子会」(「女史界」と一発変換された。イヤ。)が開催されてそうな、ちょっとこじゃれた居酒屋で出てきた「オニオンフラワー」。タルタルソースの上にちょこんとプチトマトをのせちゃったりして、なーんか女子っぽい。

だが、その正体はタテに切れ目を入れて丸ごと揚げた、でっかいタマネギ。使い回された揚げ油を全身で力いっぱい吸い上げており、胃の弱ったババァがうっかり平らげようものなら2,3日ほどムカムカに悩まされること必至な、男子中学生向けメニューなのだ。


今日からお腹に直径34mm、丸くて透明なセロファンを貼りはじめた。メノエイドコンビパッチ──更年期の辛さを軽減するために投薬された。

しかし何につけても考えすぎな私は、薬品を体に入れるというイメージだけでかえって具合が悪くなる方なので、風邪薬や頭痛薬も一年に一度飲むかどうかという薬嫌い。お腹にくっついてかゆみをもたらしているこのセロファンを、すでにはがしたくて仕方がない。

それに、副作用はどうなのよ?とネットで調べたところ、そこで報告されていた不正出血や頭痛、腰痛、倦怠感、そしてなにより「体重増加」という文字に、すっかりブルってしまった。

考えてみればこういう薬が開発される前までは、江戸の農民もビクトリア朝の主婦もヒッタイトの機織り女も、年を取るとエストロゲンの分泌低下にともなって、みんな更年期障害に悩まされてきたはず。女の一生における自然のなりゆきを無理にねじ曲げるのは、本当に体にいいことなんだろうか?

QOL(クオリティーオブライフ)を上げるための服薬は、症状が辛い場合なら仕方ないとしても、私の場合はホットフラッシュ(突然カーッと熱くなって上半身がシャワーを浴びたみたいに汗だくになる)と更年期うつ、そのどちらともなんとか折り合いをつけてきた。

ただ、2週間ほど前から出現した「ムズムズ足」──下半身の中を虫が這っているような不快感があり、体を三枚おろしにしてひっくり返してかきむしりたくなるような症状にはかなりイライラさせられるもので、子宮ガン検診のついでに婦人科に相談してみたんだ。

こうしている間もセロファンを貼った腹はむずかゆく、私の迷いはふくらんでゆく。すでに不正出血が見られるのは薬の副作用か、それとも昨日、子宮内膜の組織をチョッキンと切り取られたせいなのだろうか……。


これまでは人並み以上にタフだった私ですら、加齢と共にガタついてきた。
結膜炎は治らず、視力はどんどん低下して、老眼は進行。血中の中性脂肪率は検査する度に高くなり、ひざは痛く、握力は低下。記憶力も集中力も急速に衰えつつある。
2,3年前まではずっとAランクを誇ってきた健康診断の結果も、今やコンスタントにCかD。どんどんポンコツになってくる自分が怖い。

なんだか自分の体が自分のものじゃないみたい。手も足も思うように動かなくてもどかしい。
年を取るということは、これまで当たり前に持っていたもの──体力、気力、それから家族なんかを、次々に手放さざるを得なくなることなんだなぁ、と痛感する。

それでもずっと年上の人たちに「このところ急激に体調が悪くなって……」とぼやいたら、「それでも60才になったら50才の時はもっと元気だった、70才になったら60才の時はもっとましだったと思うものよ。今なんかまだまだ大丈夫よ!」と慰められた。
まったくなぁ……。今のこのしんどさなんて、振り返ると大したことないんだろうな。

10年後の自分がどうなっているのか想像するだに恐ろしい。床に伏せった屋根の上では、萩原朔太郎の猫に鳴かれていたらいやだなぁ。

『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』

だからこそ、体がちゃんと動く今のうちに会社をスパッと辞めて、バイトでもしながら好きなように生きとくべきなのか?と、人生の折り返し地点を過ぎた今、けっこう迷いの多い今日このごろです。

2013年8月17日(土)

早いもので盆休みも三日目に突入。うじうじするのに忙しくて、意味のあることはぜんぜん何もできてないYO!と焦りを感じながら、目覚めるや速やかに台所に移動して冷蔵庫よひらけゴマ!
カルピスソーダを取り出してグラスに注いたところへ、一連の流れで宝焼酎をドバドバ加えそうになった自分の右手を、ガシッとつかんで止めたのは左手であった。

カルピスチューハイなんてカルピスの味しかしないんだから、無理に酒を入れることもない。休みだからって飲まずに済むなら飲まないにこしたことないよね、と自制心を働かせた自分えらい!……と思ったのもつかの間。
結局のところ、休日の自由を満喫するために欠かせないアイテム──朝酒の誘惑に負けてワインの封を切ったところでちゅー。


さて、(ワイングラスを傾けながら)みなさんは映画『マン・オブ・スティール』の前評判を耳にされただろうか。そう、ピッチリムッチリ・モッコリバッチリのあれである。
かく言う私はゲイ向け雑誌で新作情報をチラ見した程度で、あらすじも、キャラクターもまだよく知らない。。

いつもならSF映画ファンとして新作情報には、角のタバコ屋の知りたがり奥さんのように耳をすましているというのに、『マン・オブ・スティール』に限ってはハナクソほじりながら「は?それがなにか?」と言わんばかりの無関心ぶりを示している。
いや、実のところ無関心を装っているだけなのだが……。

というのは「これまでのスーパーマン像をくつがえすキャラデザイン」を売りにした作品を手放しで受け入れることは、神と聖人に対する裏切りに思えて「マン・オブ・スティール観てぇぇええ!」と簡単に叫ぶわけにはいかないのだ。

なお、この場合の「神」はブライアン・シンガー監督、「聖人」は『スーパーマン・リターンズ』のスーパーマン:ブランドン・ラウスを指すのですが、みなさん、観てないでしょ?
うんうん、興行成績的にはズダボロで、批評家からはケチョンケチョンだったからね……。(※)

だがしかし、私にとってはスーパーマンといえば、ゲイであるシンガー監督の美意識と、夢と希望と萌えが詰め込まれすぎて、妄想袋が破れそうなこの映画の、あまりにもの輝かしさに思わずひざを折って拝みそうになる高貴な赤パン男子を指す。

はぁあ?『マン・オブ・スティール』?それがどうした!赤パンはいてないスーパーマンなんざスーパーマンじゃねえや!カーッ!ペッ!

……とかたくなに殻に閉じこもる私に、何も知らない妹ヘボピーから浮いたメールが届けられた。

「30日公開のマン・オブ・スティール、主人公のピッチリモッコリぶりが凄い!みてみ。」おおおおお……!

その時私は、安い店を調べる手間をおこたった結果、高い日焼け止めをつかむ羽目になってうちひしがれていた。

Dドラッグで848円で買ったばかりの日焼け止めが、Oドラッグでは598円。ムカつく!と思いながらそこでもう一本買ったところ、そのまた向かいのBドラッグではさらにお安く548円?!素通りするわけにもいかず、ドジでのろまな自分に罰を与えるためにさらに2本購入。計4本の日焼け止めを前にして呆然としていたのだ。

そんな事情もあって、マン・オブ・スティールの件には触れず、高い買い物をしたぼやきメールを送ったところ、ヘボピーからのレスはこれ。

「それはショックやな……。マン・オブ・スティールのピチモッコリ見た?

百円二百円の違いなんかどうだっていいやん……お姉ちゃん相変わらずセコいなあ。なにはともあれピチモッコリ!!というフィーリングが丸分かりだ。

そこで「マン・オブ・スティールはピチすぎて萌えない!」と手短に返信したところ、「ハンサムとも違うしね」と姉のノリの悪さに心なしかがっかりしたような反応を示した直後、気を取り直して「フィギュアのピッチリぶりも凄い!ゲイ的にはどうなんやろ?」

メールヌード大好きな私なら分かるが、ふだんピッチリにもモッコリにもさして興味を示さないヘボピーのこの食いつきっぷり。さすが同じDNAを受け継いだ姉妹。バレエ「海賊」のモッコリを見た時の母のはずんだ声(←)がよみがえった。

その後も突如としてビビビ……とメール着信音が鳴り、携帯を開いてみれば「マンオブスティールが見たい!」と叫ばれるもんで、公開日の30日までに「赤パンじゃないスーパーマンなんかスーパーマンじゃない」という私の信念はへし折られそうである。

しよーがないから前売り券を三枚購入。公開日に姉妹三人そろって観に行くわ。アメコミ原作映画にはスカも多いので映画的に過剰な期待はしないでおくけど、観賞後にはピッチリモッコリはいかほどものであったか、その感想くらいはお伝えしようと思っている。


※……「スーパーマン シンガー」でググってみると、“ブライアン・シンガー監督「スーパーマン・リターンズ」失敗理由を分析”という見出しがヒット。

えーっ?私の好きな映画は監督本人にすら否定されてんの?とショックを受けそうになったが、読んでみるとそうでもなかった。

映画版第4弾となる「スーパーマン・リターンズ」は、クリストファー・リーブに代わりブランドン・ラウスを新スーパーマンに起用し、新シリーズ第1弾として製作された。

しかし、世界興行収入が期待外れの3億9100万ドルに留まったため、続編製作は中止。その後、ノーランとスナイダーによる再リブートとなった経緯がある。

シンガー監督は、VoicesFromKrypton.comの取材に「『スーパーマン・リターンズ』は少しノスタルジックかつロマンティックで、みんなが期待していた映画ではなかった。とくに、サマーシーズンにおいてはね」と失敗について説明した。

シンガー監督は、大好きなリチャード・ドナー作品を目指したのが間違いだったと認める。ただし、作品の出来には満足しているそうで「過去の作品を見直してみて、『げっ、詰めが甘いな』とか、『もっとマシになるのに』と思うときもある。でも、この映画に関してはあまりない。もし直せるなら、第一幕のテンポをもう少し早めることくらいだね」

たしかに「超能力を失って普通の男になったスーパーマンが、悪者に追いつめられ蹴り飛ばされて、焦点の合わない目をして泥水の中をはい回る長シーン、あれは「みんなが期待していたスーパーマン映画」とはかなりちがうと思いまーす!
それでも好きな人は大好きだと思うので、創造主である監督に「作品の出来に満足している!」と言い切ってもらってホッとしたわ。


<DoでもEけど私的なアメコミ原作映画格付け、というより好き嫌い>

<松> スポーン 300 ファンタスティック・フォー(1) Xメン(1&2) 
スーパーマン(初代) スーパーマン・リターンズ  スパイダーマン(1) ヘルボーイ スコット・ピルグリム ウオッチマン

<竹> キャプテン・アメリカ ロジャー・ラビット シン・シティ ブレイド Xメン(1st ジェネレーション)

<梅> ファンタスティック・フォー(2)アベンジャーズ ウルヴァリン ミュータント・タートルズ 
アイアンマン(ペンペン草に分類したいところだが、圧倒的人気があるのでかろうじて梅)

<ペンペン草> Xメン(3)ゴーストライダー エレクトラ マイティー・ソー グリーン・ランタン(ひどすぎて開いた口がふさがらんかった) 全てのハルク映画 デアデビル ザ・スピリット 
キック・アス(カルト人気だけど、少女がガンガン人を殺すという設定がもーホンマ苦手で、嫌いな映画のひとつ。同じタイプの苦手さで、アメコミ原作じゃないけど『スーパー!』と言えば分かる方には分かっていただけるかと。「コミカルに表現された殺戮シーン」が許せないんだと思います)

<評価外> バットマンシリーズ(一応全部借りてみたものの、肌に合わないのかどれも途中で観るのやめちゃったので)

2013年8月10日(土)

これはなんといういきものですか?

言うだけ無駄だが暑いですな。ヤフーニュースによれば高知や和歌山で気温40.7度に達し、ツイッターからはコミケ開催中のビッグサイト館内は気温46度、湿度98%、そしてなのは完売でヲタ発狂という悲報が届けられた。みなさんのいらっしゃる場所の灼熱っぷりはいかがだろうか。
管理人はエアコン代をけちって扇風機一択の結果、温度計が33度を示すパソルームにて、ハダカデバネズミのようにうごめいているところだ。

それにしても言うだけ無駄だが昼も夜も暑い!
さきほど開いた友人からのメールによれば、彼のご近所さんで、引っ越してきた時は男性だったのに、いつの間にか女性になっていて、先日ついに夫らしき男性が現れた人が熱中症で救急搬送されたらしい。丈夫な成人女性(男性)でも熱中症をあなどっていると酷い目に遭うものだな。

彼いわく「昨夜はオカマで今日はホモでは洒落にならないから気を付けるw」とのことだったが、そうだよぉM君!私もノーパン搬送されないよう、「ベタベタして気持ち悪い」とか言ってないで、寝るときはちゃんとパンツはいて寝るよ。みなさんもどうぞお気をつけ下さい、色々と。


あー、こうしててもやっぱアカンわ。いや、この2,3日うつがもー酷くてな……。こうして明るくふるまっているけど、実は朝起きてからずっとタヒにたい(ネット表現)くらい絶望しているのだ。

これは気温&湿気の上昇にリンクして、去年の今頃はギリギリ生きていた父に優しくしなかった記憶がよみがえり、自分を責める気持が頭から振り払えないせいだろう。
いや、ひょっとすると木金のたった二日間ぽっちで作ってしまった株の失敗(マイナス100萬。おぇええぇ……)に対して、えいやっ!と損切りしてケリを付けたせいかもしれない……。まぁ多分7割は後者のせいだろう。

とにもかくにも各種要因が手をつないで輪になって私を苦しめているので、気分転換にチャリを飛ばしてお好み焼き屋にすじ焼き食べに行ってくる。市場の中にある地元のじいちゃんばあちゃん御用達の店だから、6時にはしまりそうで怖いんだ。

あとにマヤちゃんの写真を貼っていきますので、ワンちゃん好きは適当に眺めてください。

スーツケースの守り手・マヤ。
こいつをワンワンホテルに預けて旅行に行くこと数回。人間がこの箱をひっぱり出してくるとよからぬことが起こると認識したようだ。

くつろいでいるように見えるけど、実はギッ!とにらんでるよ。
スーツケースに手を触れようものなら、ツタンカーメン王墓を守るアヌビスのごとく攻撃をしかけてくること必至である。怖いっ!

おかおがかゆいよ〜。取り入れたばかりのお布団の上で甘えるぬいぐるみちゃん。

しばらく風呂に入れてないんだから、布団の上でごろんごろんしないで欲しいんだけどな〜。

出勤するヘボピーねえちゃんをお見送り。その際にはぬいぐるみをくわえたままなので、マンションの下に落とさないかとヒヤヒヤもんだ。

呼ぶと駆けてくるさわやかコッカースパニエル。

ヘボピーが「がいせんも〜ん!」と叫んで足の間を通り抜ける。マヤの数少ない芸の一つだ!……って、通り道に立ちはだかるだけの話なんだけどね。

犬ちゃわんの前が定位置。いつでもお腹がすいてたまらない犬なんだ。
でも、夜中にトイレに起きた時にじっとここに座ってる姿が目にはいると、生き物のもの悲しさを感じてすごく寂しくなるからやめて頂きたい。

キティーちゃんいぢめ中。強きに弱く、弱きに強いマヤちゃんです。

♪ふんばり地蔵、なに見てござる♪

犬はヒマな時、一体なにを考えているのだろう……。

あ、おねえちゃんがきた。

もふもふもふもふ。お客さん、ちょっとにおいますね〜。

きゅぅぅう〜ん。このキュートなわんこが家族全員を血祭りに上げた、恐怖の噛みつきドッグだと一体誰が思うだろうか。

若くてフサフサの頃のマヤ、ペルシャ絨毯でくつろぐの図。

この絨毯って高級車が買えるお値段なんだけどさ、犬から守るために巻いて部屋の隅に置いてあったのに、巻き上げた上にわざわざ小鳥みたいにとまって下痢便してやんの!他にもトイレする場所はなんぼでもあるってのに!

今でもこの絨毯の隅には下痢便の痕があって見るたびにムカつく。でもきっと、こいつが死んだらグラグラ揺れながら排便していた後ろ姿を、懐かしく想い出すのだろう。

3才頃のマヤ。顔の感じとかコートの状態とか別犬みたいだ。
それもそのはず。犬の3才というと人間では28才くらい。つやつや・ぴちぴちで当たり前。

ワンワン美容室でクリスマス用の髪飾りをつけてもらって、ボクちゃんというよりレディーっぽい。

2013年8月8日(木)

今日は8月8日。8月8日、ぱぱ……「パパ」の日……?うぉおおぉおお──ん!お父さ──ん!去年の今日はまだ生きてたのになぜ死んだ──!(´;ω;`)……というのはおいといて。

管理人、粛々と日々を消化しております。
外で遊ぶ気分になれないから、会社が終わると実家に直行。マヤをお供に読書しながら静かに晩酌、という地味な過ごし方。また映画史に残るほど有名なのに未見だった映画DVDも借りてきたりと、じんわり丁寧に時間をつぶしている。

週末になると家にこもってお片づけ。
10年以上前からうっちゃったままだった香典返しや引き出物、その他いろんな箱を押入から取り出して整理していると、大丸友の会に入会するともらえるタオルセットを見つけては、友の会ってお得なんだよ。こんな可愛いタオルもらえたよ!と得々としていた母の顔を思いだして悲しくなるし、引き出物の箱がタバコのヤニで真っ茶色になっているのを見ては、そんな体に悪いものはやめなよ!と私に叱られて、コソコソ隠れてタバコを吸う父の背中を思いだして泣きたくなったりもする。

それでも、やるべきことを少しづつ消化する程度には元気なので、たとえここで死にそうなこと書いててもあまり心配しないでください。ミキ、株とFXに大金突っ込む程度には元気です。(そして10年間失神したままでいたいほど大損中でごんす)

さて、お片づけ中に数冊の大学帳(死語か?)が出てきた。自分がつけていた古い日記だ。
表紙には5色のマジック(当時は細書きの水性ペンといえばラッションペン一択だ)を使って丁寧なゴシック体で書かれた文字。

"I am AFGHAN HOUND! Oh!beautiful Afghan ! 

どうやら犬マニア心に火がついて間がない頃の日記らしい。「私はアフガンハウンド!」って、自分人間やろ?って感じだが、まぁ中坊の言うことだから大目に見よう。

"I am AFGHAN HOUND! Oh!beautiful Afghan !の表紙をこわごわめくると、「7/21 火 天気 雨時々くもり」。
「起 7:00」が二重線で消されており、以後この記述が見られないのは、起床時間まで記録してもしゃーないと思ったのか、それとも寝坊がちでこいつを書くのはヤバいとでも思ったのだろうか。

文章から推測すると、日記を付けだした時にはどうやら中一だったみたいだ。
「きょうからこの「I am AFGHAN HOUND!」(beautiful Afghan !)のノートに日記を書き始めた。三日坊主にならないように!アヌビス、バステット。どうぞ見守ってください」というツカミからして、おいおい!なんでいきなり古代エジプトの神々なんだよと突っ込みたくなるが、全編この調子。我ながら中二病ならぬ中一病のおそろしさに震えた。

ほぼ毎日欠かさず、長い時にはノート2ページに渡ってびっしりと書き記された日記からは、父母も祖母も、若くして亡くなったいとこもみな元気で楽しく暮らしている様子が想い出されて、ああ、けっこう幸せな少女時代だったんだなぁ、と懐かしさが胸にあふれると同時に、「きょうは勉強は2時間で、あとはそうじと文化祭の話があった。くまちゃんと外にパンを買いに行った。ちさは3つ買って教室で食べ、くまちゃんは1こかって家で食べた。じょうちゃんがクレセントでかえ、かえといっていた」とか、そんなんわざわざ書くような話ちゃう!!と突っ込みたくなる記録も満載で、中1ってまだまだ子供なんだなぁ、としみじみしたよ。

そんなわけで、中坊がいかにアホかということが見て取れるこの日記、文章を書く気力に欠ける時には、ちょくちょくここで紹介させてもらうつもりです。

2013年8月6日(火)

のっけから暗くて申し訳ないが……。母の夢に目覚めた。今も動悸がおさまらない。

夢の中の母はアルツハイマーを患って数年が経過した頃の、まだまだ自分の足で歩けて話もできる状態らしい。一方、自分ではきちんと家事をしているつもりが、はたから見ると家中を無茶苦茶に引っかき回しているにすぎない、加えて徘徊という大問題が始まった時期だ。

家に帰ると目に入ったのはテーブルに上にばらばらに放り出された雑多な小物、テレビはつけっぱなし、母の姿はない。うわっ!お母さん外に行っちゃったんだ。どうしよう、早く探しに行かなきゃ!と怖くて足ががくがく震えたのは、現実世界の記憶そのままだ。

だが、家を飛び出そうとすると、玄関先に母の姿。
私の姿を認めた母は「千里?!ああよかった!お前がいてくれて!」と叫んで駆け寄ってきた。私も「お母さん!私もお母さんがいてよかったよ!」とひしと抱き合って、再会できた嬉しさに二人してオイオイ泣きじゃくった。
その時の胸を締めつけられるような懐かしさ、もう一度会えた嬉しさがあまりにも大きくて目が覚めたのだ。

目覚めた直後も母の痩せて骨張った体の感触、髪のにおいがあまりにもリアルに残っていたものだから、結膜炎の目をしょぼしょぼさせながらぼんやり考えた。
お母さん、会いに来てくれたのかな。あの世ってほんとにあるのかなぁ。

こんな時には自分が死後の世界やら来世やらを100%信じられればどんなに楽だっただろう、と残念に思う。半分は霊的な存在を信じているけど、生き物は死ねば無になるのみだという考えもどうしても捨てられないという、宙ぶらりんの状態はかえってしんどい。

それでも今日のところは「母が私を心配して会いに来た」と素直にとらえることにするよ。
というのはこのところ、父にできなかったことへの後悔と末妹の心配(母の死後、心の病気が加速して結構ヤバい)が増しているのに加えて、マヤちゃんのわき腹に不審なしこりを発見したもので、
おおおお!お前まで!と不安に押しつぶされそうなのだ。

まぁ心配性すぎる自分も問題だけど、今さら楽観的な性格に変えるわけにもいかないなら、「母が守っていてくれる」と信じて、なんとか上手くストレスと折り合いを付けていきますわ。

2013年8月3日(土)

化粧品屋の軒先からジジジジジ……と聞こえてきたかしましい鳴き声。見上げればそこにはエサをねだる子ツバメが。

ツバメの子育てって5月のイメージがあるんだけど、真夏にジジジジはちょっと遅すぎやしないか?

地球温暖化の影響で、春・晩春の季語もやがて夏の風物詩へとスライドするのだろうか……。

親がいない時には体を固くしてきゅっと口を結んでる。
おんもはこわいってかあちゃんがいってたよ。

お好み焼き屋のプードル、本日はビールケースの上にちんまりのっかっておりました。

座布団代わりの段ボール箱に泣いた。しかしこの犬が愛されまくっているのは、ゼニのかかったカット&カラーリングで一目瞭然。

<こ れ は ひ ど い> 
成田空港・免税店サイドで食べたラーメン。寿がきやなら380円で食べられそうなこれが700円か750円と、椅子ごと後ろにひっくりかえりそうなお値段。

それでも他の店ではうどん定食1300円だなんて、輪をかけてありえない価格帯なので仕方なくこの店でオーダー。

こちらはエビ天ラーメン。茶色いスープに覆われたしょうゆラーメンに比べると、素材が白日のもとに晒された分だけさらにわびしい佇まいである。

出国審査場を超えれば日本であっても日本でなし。異世界の値段でも黙って食えってことなのだろう。
これから一週間、インド料理しか食べられないなら、ここでダシもんを食べるしかねぇ!とハイソなプライスには目をつぶってオーダーしたものの、スーパーの袋入りラーメンと寸分違わぬお味でした。

老後の楽しみをなげうって、可愛い孫のために庭のスペースを空けるおじいちゃん。値切るだなんて、そんな酷い人はいないよね?……と言いつつも、区内配達参千円って、おじいちゃんそれは時給高すぎないか?

東京都にはピーポ君がいるように、わたくしたちの兵庫県警にはこうへいくんとまもりちゃんがいるのです。

でも、こうへいくんの足、キモいんだよねぇと思いながら調べたところ、他県の警察マスコットはこんな生やさしいもんじゃなかった。

ttp://homepage3.nifty.com/chara_town/Police_Chara-Dept/newpage2.htm
(頭にhをつけてね)

どれを取ってもありえん造形だけど、特に岩手の「けいた太郎くん」とか青森の「アピーくん」とか長野の「ライポくん」!これを選んだ審査員は百たたきの上、セントヘレナに島流しじゃ。

東京のどこぞの街角に立っていたなにかの樹。びっくりBEクリエイトなどモロ迷彩だ。

きちがい帽子や(じょにーでっぷ)のお茶会にまねかれたアリスは、イケメンをよく見るために、はりきってメガネをしていきました。

でも、ちょっと度数がきつすぎたようです。レンズで顔がゆがんでぶすに見えます。ざんねんですね!

ヤング向けのおしゃれショップ(全般的に死語)にて採取したシュールTシャツ。
メガネの部分にプラスチック製のフレームが貼り付けるという、「これ、手洗いじゃないと駄目やん!はずれても知らんで!」と洗濯担当のママにいやがられそうなめんどい仕様である。

H2ロケットにくくりつけられて、これから大気圏離脱しまーす。

硬いものに激突しながらも、すたこらさっさと逃げられる程度にダメージ少なくてよかったね。
しててよかったシートベルト!

付き合いはじめのカレ、私にはもったいないほどカッコいいから、ついホントの自分をいつわって、おしゃれで素敵な女の子ぶってるんだけど、最近ちょっと疲れちゃった……という向きにおすすめ。

カレと二人でうち飲みする時にこのDVDを借りてきて、イモ焼酎のお湯割り片手に「パンツ〜!w」とか「ケツ〜!w」と叫んでみましょう。

ヘボピーねえちゃんのおひざでうっとり。モフモフのぬいぐるみちゃん。

いや実際にこいつを抱っこして歩いていると(最近「抱っこ」という技を覚えたせいで、散歩中にすぐ動かなくなるのだ)、すれちがったご夫婦に「あれまぁ生きてる!ぬいぐるみかと思った!」とびっくりされたので、あながち飼い主の欲目ばかりってわけでもないんだぜ。

2013年8月2日(金)

早いものでもう8月。去年の今頃は何をやっていたんだろう?とダイアリー帳を開いてみると、「マヤ連れて帰宅」とある。
そういえばこの頃は、なぜだか分からないけれど実家に帰るのが嫌でたまらず、ペット禁止のマンションでも2週間くらいなら隠せるだろうと、こっそり自宅に犬を連れ帰ったんだっけ。

だがその4日後、普通なら転ばないような場所で足がもつれて、高校球児のスライディングばりにズザザザザ──っ!と転倒。みるみるうちに足首が腫れてきて犬の散歩どころじゃなくなったもので、しぶしぶマヤは実家にかえしたんだ。

そしてそのまた4日後、父が緊急入院。
当直の医師には、大したことないからその日に家に帰れと迷惑そうに言われたせいもあって(振り返ればこの当直医、とんでもない奴だった!)、まーたお父さんのおおげさ病がはじまったよ、すぐに退院できるだろうと安心しきっていたのに、病室から一歩も出ることなく、2週間後にさらりと逝ってしまった。
そうだ、去年の8月はろくでもない一ヶ月だったんだ。

まったく、一年前にはその一年後に両親ともが世を去っているなんて、夢にも思わなかった。
いや、急速に衰えつつあった母の方は、あまり長くはないかも……とはうすうす感じていたものの、頑健だった父は長寿の家系だから、祖父母と同じく90才を超えるまでは余裕で生きるだろうと信じていた。でも、本当にしんどかったんだね、お父さん。

当たり前だと思っていた日常は、いつ何時がらりと姿を変えるか分からない。今あるものはいつまでもそこにあるとたかをくくって、身近なものを大切にしなかった自分への嫌悪をぬぐえない。

でも……。もしあの時転倒しなければそのまま犬は預かり続けているはず。
父はマヤに会えないままに入院して、そのまま世を去るになるところだったと振り返ると、転んでラッキーだったとほんのちょっぴりほっとする。

ねんざしたお陰で父は長年くらした家での最後の4日間、溺愛していた犬と共に過ごすことができた。見舞いに行くと開口一番、「マヤは元気か」と尋ねるほど気にしていたから、せめて入院前に会わせてやれてよかった!
これは後悔まみれの父にまつわる記憶にあって、数少ない心のよりどころなのだ。


来年の今頃、2013と書かれたダイアリーを開くとき、そこには何が書かれているだろう。愛する者との別れと、新たな出会いを記す書き付けが入り交じっているのだろうか、予想も付かない。

ただ一つ分かっているのは、8月31日の欄に「父 一周忌。三人姉妹ですきやき」とメモがあるであろうこと。

末妹と父との激しい相克のために、生きているうちに父娘四人でご飯を食べることはかなわなかったけれど、父が魂と化した今、上等なお肉をふんぱつして好物だったすきやきを囲み、思い出話に花を咲かせたい。もちろんテーブルの下にはマヤの犬皿も並べて。