2013年7月31日(水)

ちかごろこの日記の誤字脱字単語の重複が多くてはずかしい。以前なら気付いてすぐに訂正してたんだけど、今はどこが間違ってたのか5分経つと忘れてしまうので、もういいや……とうっちゃりっぱなし。
あ、こいつまた変換ミスしてやがらぁと気付いても、疲れてるんだなぁと見ないふりしてやってください、お願いします。

そうなんだ。逃げの王道「疲れてるから」と「更年期障害」はできるだけ使わないでおこうと思いながらも、口を開けば「疲れた・しんどい・ホットフラッシュが辛い」と言ってしまう自分がキライになりそうな今日このごろ。
六波羅蜜寺・空也上人立像の口からは「南無阿弥陀仏」と唱える一音一音が阿弥陀仏となって出現したが、私の口からまろび出ているのはさしずめ、布団をかぶってふて寝しているちっちゃいOLあたりだろう……。

そんな中、引き出しの整理をしていると、懐かしい写真が出てきてちょっと元気が出たような。

淡路島のホテルが六本木・J men's TOKYOのショーをやった時に、ヘボピーに誘われて行った母がダンサーと撮った写真だ。

J men's TOKYOとは、15年ほど前の筋肉さわりたガールの間では、知らなきゃモグリと言われたショーパブというか、おしゃれストリップ小屋というか。

はるばる海を越えてYENを集めにやってきたムキムキマッチョの美丈夫たちが、ちんまいステージ狭しと踊り狂い、インターバルではなんと!もっこりパンツ一丁で客席の間をチョウのように飛び回り、あまつさえ汗まみれのビキニにお札(現金をお店の発行するチップに交換してもらう方式)を突っ込ませてくれるという、思いだしただけでも微笑みがもれる夢の国。実際、若い娘さんを連れて行った時には「パラダイスですねぇ……」と半分魂がぬけた状態であった。

そんなJ men's TOKYO、関西地方でも外貨をかせごうと各地のホテルなどでショーをやっており、そこに母とヘボピーと叔母が三人で乗り込んだのだ。

そもそも『ターミネーター2』のシュワちゃん大好きという母、半裸の殿方が舞い踊るショーが嫌いなはずはない。パンツにお札はさみタイムでは、興奮のあまりどんどんチップを買おうと、万札を振り回し黒服を呼ぼうとしたため、叔母に「ねえちゃん……やめときぃな……」と半泣きで止められたらしい。

そういえば、母は自分の葬式プランも立てていた。もちろん冗談なんだけど、「私が死んだらお棺は4人のムキムキマンにかつがせて、赤じゅうたんの上を歩いて欲しいなあ」と言っていたものだ。きっと頭の中にはシュワちゃんとか、J men's TOKYOのダンサーたちの姿があったのだろう。

その台詞はヘボピーも覚えていたようで、葬儀の日に「ゴールドジムでマッチョを4人調達してきて、お棺を運んでもらうとかどうよ?」と言ったのは、あながち冗談ばかりってわけでもないと思う。

こんな写真がひょっこり出てきたせいだろうか、昨夜、夢に母が出てきた。
夢の中の母は病気が終末期に至り、もうすぐ命の灯火が消えそうな、そう、最後の夜のイメージで、もちろん口もきけないし意志疎通も不可能な状態。

それなのに、口を開いて何か言おうとするから必死で耳をすましたら、もつれる舌で「いい じんせいだった」。
お母さん、一言もしゃべれなかったのに!と飛び上がるほど驚いて、でも、これを伝えたかったのかなぁ、これは夢なのか、それとも本当にお母さんが来たのかな、と思ったところで目が覚めた。

そうかな、いい人生だったのかな。母は幼い頃に苦労したし、末の妹が荒れた時にも筆舌に尽くしがたい苦労をした。
でも、最後の夜に「お母さん、色々あったけど、まあ、いい人生だったねぇ。ほんと、楽しかったねぇ!」と語りかけると、すこし呼吸がおだやかになって何か言いたげに感じられたのは、私の思い過ごしばかりでもないだろう。

マッチョではじめたのに結局は湿っぽくなって申し訳ない。それでもこの写真を見ていると、あの世の母が「ああ!面白かった!」と言っているようで、私の気持ちもほんのすこし安らいだ。

2013年7月29日(月)

今年のバーゼルコレクションで発表されたヴァン・クリーフ&アーペルの新作。

「8時位置のボタンを押すと、バレリーナのチュチュが上方に開いて、左側では時間、右側は分を表示、4秒間停止した後に元に戻る」と、普通の文字盤に慣れた目には不親切な気がするこの時計は1312万5000円。いらんわ。


昨日は久々に活動的だった管理人。というのは10時から5時まで豚っこ大将をわんわん美容院・夏の丸刈りフェアに参加させたため、その間は犬のことを気に病まずにすんだからだ。

マヤは父が亡くなってからこちら、平日の日中はずっとひとりぼっちで留守番しているのが哀れで哀れでもーたまらなくってさ……。罪滅ぼしといってはなんだが、休日はできる限り家でいっしょにいてやるんだけど、これがけっこう束縛されるのだ。

そんな中、昨日は突如として自責の念にかられたらしいヘボピーが「マヤちゃんを迎えに行ってやろうか?」と殊勝なことを申し出てくれたので、犬を預けてからそのまま外出、自宅に戻って寝るまでずっとフリーダムを満喫。

10時に犬を預けて、電車に乗って明石まで行って、あさっぱらから明石焼きをアテにビールをグビグビ。食べ終わるとまた電車に乗ってマッサージショップでありえないほど大奮発、一万円もはたいてリフレクソロジー(足つぼマッサージ)とハンドマッサージとヘッドマッサージをしてもらったよ。

それから向かったのは下町の名画座。チューハイとスルメを買って行こうと映画館の向かいのスーパーにダッシュしたら、つぶれていて絶望した……。

しょーがないからUCCの缶コーヒー(関西人的には貧乏くさいイメージらしいが、缶ドリンクでこれが一番好きなんだ)を片手に見たのは『ナバロンの要塞』。1961年公開の映画をフィルム上映してるってすごい話だ。
なお、同時上映は『イージーライダー』、次回上映は『スタンド・バイ・ミー』 と『戦場にかける橋』の二本立てとさらにすごい。このところの神戸の映画館のがんばりっぷりはちょっと心配になるほど。日本映画発祥の地という矜持がよみがえったのだろうか……。

映画鑑賞後は、戦争映画の興奮を胸にラウンドワンへ。前に行った時には照準むちゃくちゃでゲームにならなかったウォートランは、見事に調整され不死鳥のごとく蘇っていて喜びを感じた。

あとは一枚2千円の服を3枚購入してから、ラーメン屋で豚足をアテにまたビール。おなかいっぱい!と思いつつも、ラーメンが食べたくなって追加したら、案の定食べ過ぎで胃がキリキリ、大後悔。

まあそんな感じでちょっとはリフレッシュできた感じです。
今日からまた新しい一週間のはじまり。暑くて湿気てておんもに出たくないけど、がんばってお仕事いってきます。あー、胃が重い。

2013年7月27日(土)

鏡を通り抜けて向こう側の世界に行ってしまった少年たちと、あちらとこちら、二手に分かれて鏡の割れ目から空き缶をパスし合う遊びをするという、夢分析的にはいかがなものかって感じの夢を見ていたよ……。

目覚めると枕元から射し込む日の光。ちょうど朝日が昇る時間だ。起きあがってカーテンを開けると、雑居ビルの間にしずしずと昇りゆく太陽はいつもより赤くて、エジプト・カルナック大神殿で見た朝日を思いだした。

ふと足元に目をやると、あらま、クローゼットに太陽が映っているじゃないの。この家に住んで10年以上になるけれど、今の今まで気付かなかった。

年に2回、冬至と夏至に日の出の光が奥の至聖所まで届いて四体の神像の顔を照らすという、アブシンベル神殿ほどのレア度ではなかろうが、今日は太陽と窓とクローゼットの角度がちょうどいい日だったんだろう。代わり映えしない日常にも、ささやかな発見はあるものだなぁとしみじみ。


ここしばらく、またしても鬱がぶりかえして何をやる気も起こらない。文章を書く集中力にも欠けるので、メールの返信もぜんぜんできなくてマジすみません。お願い、もうちょっと待っててね……。

鬱の源はまたしても父への後悔。我ながらしつこい性格だ。すでに納得のいった話だと思っていたのに、死去から一年未満くらいでは、そう易々とは逃がしてもらえないらしい。

意志疎通が不可能だった母とは違って、父は最期まで頭だけはしゃんとしていた。目がよく見えなくて足も萎えていたけれど、記憶力はすごいものだった。だからこそ自分が更年期のヒステリーなんかおこさず繊細にケアをしていれば、ゆったりと豊かな老後を過ごさせてやれたのに!という後悔が、来る日も来る日もチクチクと私を苛む。

それでも、うじうしたってもう遅い、と気持を盛り経たせるため、綺麗でハッピーな昔のミュージカル映画ばかり選んで見ているのだが……。これがまた鬱を引き起こす。
モンローやヘプバーンがチャーミングであればあるほど、舞台がロマンチックであればあるほど、映画、特にミュージカルが好きだった父にもっと洋画を見せてやればよかったなぁ!という後悔が勢力を拡大。ミキ軍、負けっぱなしだ。

父はDVDの再生だけはボタンを手探りしてできたものの、若者でさえ迷う音声・字幕の設定は無理だった。(あの設定画面はなぜあそこまでややこしくデザインするのか!もうちょっと年寄りのこと考えやがれとオバちゃん思うの)

だから父のために借りてくるDVDは古い邦画ばかり。黒澤明も岡本喜八も木下恵介もDVD化されている作品の数はしれているから、同じ映画を何度も何度も見せていた。
一方、父が本当に見たかったであろう洋画は「日本語吹き替え設定ができないから」という理由でほとんど借りてやらなかった。ちょっと自分がついて、最初に設定さえすれば、レンタルできる作品は数え切れないほどあったというのに!

だからこのところ昔の映画を見るとき、感動とは別の涙が流れることが多い。

モンローの『紳士は金髪がお好き』では、こんなに可愛くて楽しい映画、お父さんが見たらさぞ喜んだろうなあ!と思って泣き、ディズニーの『101匹わんちゃん』では、デブで食いしん坊の子犬の「おなかがすいが、ほんとだよ」という台詞をマネする父の裏声を思いだして泣き、ヘプバーンの『パリの恋人』を見ては、ロマンチックな画面を見つめたであろう父の、老いて小さくなった背中を想像してまた泣いて……と、涙が枯渇しそうな勢い。
この哀しみは一体いつ癒えるのだろう。3年?それとも5年?それまでに眉間の泣きじわが増えそうで非常に困る。

それでも人の記憶はいつか必ず風化する。父の声や表情の記憶は年月の経過と共に漠然としたものになり、やがて時折想い出すだけになる日が来るであろうと想像すると、それはそれで悲しいものだ。

だから、たとえ憂鬱と戦うことは辛くとも、父の姿がまぶたの裏にありありと蘇る今のうちに、ありったけの記憶を引っ張り出して悲しめる間は悲しんでおこう。
それが孝行しきらなかった親にできるせめてもの供養だと、今日も一人静かに泣いてます。

押入の整理をはじめたら、マヤがあわてて走ってきて滑り込み!ほんとに知りたがりで野次馬なワンちゃんなんだ。

母が遺してくれた刺繍の額が出てきたので、持って帰ろうと重ねて置いていたら、押入からササササ……と移動してきて、ためらうことなく上にのっかったよ。

他に寝るところはなんぼでもあるのに、なぜわざわざそこを選ぶのか!

箱がグラグラしようと神妙な顔をして乗ったまま。犬のきもちが分からない……。

花見団子のおもちゃをくわえて春風のように駆け抜ける、さわやかコッカースパニエル。

仕事から疲れて帰って玄関を開けるとこういう犬が迎えに出てきたら、イヤなことも忘れるってもんだ。

ヘボピーのおなかの上でねんね。なんやもう……丸いですねぇとしか。

おねえちゃんはつかれたつかれたといってるから、ぼくがかわりにねてあげるんだ。じゃ、おやすみなさい〜。

2013年7月24日(水)

ケンミンなら誰でも知ってる兵庫県のマスコット・はばタンが選挙の投票キャンペーンで駅前に登場!
人気者ゆえ街頭での遭遇率はかなり低く、こんなに至近距離で見るのは人生2度目。カメラを向けると脊髄反射でポーズを取ってくれた。

ゆるキャラ大好きな友だち(46)は「わーっ!はばタンだぁーっ!」とおおよろこびで走っていって、Vサインで記念さつえいなんかしてもらってた。はばタン、すごく人気があるから、どこででも子供にもみくちゃにされている。

でも、ぼくはこいつのこと、まだホントに仲間だとは信じてないんだ。だって、のりまきせんべい博士にもらったメガネをかけて見ると、ほら……。

明石市では市民の代表・タコを熱烈に抱擁していた。「明石焼きウマソー!」という意味だろうか。

はばタンのモデルはフェニックス。そう、阪神大震災の瓦礫から立ち上がる人々を励ますために生まれたキャラクターである!
まぁ不死鳥としては威厳に欠ける気もするが(↑写真参照)今のアイドル、より庶民的な方がいいのだろう。

東京の荒川区かどっかの下町で発見。エレガントなマンションにチャキチャキの江戸っ子が住んでいる。

べらんめえ!うちの野菜にケチを付けるやつぁ荒川に沈めるざますよ!

これも東京の下町にあった看板。一見どういうこともないのだが……。

よく見ると特殊なフォントなのだ。ヒゲ文字っていうのか?こういうの。
こいつにうなじとかサササ……と撫でられたら注意力散漫で歩行者にぶつかりそうだ。

洋風なのにオリエンタル。西洋と東洋が出会う街、そこはイスタンブール……。(いや日本です)

Kさん提供・クリーニング屋さんのポスター。店主がパソコンを駆使して制作したのだろう、すごい力作だ。ブツを隠すはぁとvを使い回しているのが微笑ましい。はぁとで隠されたこいつは犬の「フン」じゃなくて「ウンチv」と呼びたくなるな。

2013年7月21日(日)

ふと思い出したこと。私が中学生の頃、NHKの海外ドラマ「大草原の家」をみんなで見るのが好きだった。
その中のあるエピソード、子供達を遺して病で世を去った母親が、生前に書いた手紙が読み上げられる場面。

──私が死んでも微笑みの中で思い出してください。涙でしか思い出せないのなら、いっそ思い出さないでください──はっきりとは覚えていないがこんな台詞だった。

この場面で母はオンオン声を上げて泣きながら「私が死ぬ時も同じ事を言うと思う。お前、覚えておいてね」と言ったのだ。死は遠い未来のことだったとはいえ、私にとってもこの手紙はひどく悲しかったので、涙を流しながら母の言葉に耳を傾けた。

母が去った今、あれは正確にはどういう台詞だったのだろうと調べてみた。すると……。
ありがとうインターネット!『大草原の小さな家』全話のあらすじをアップしてくださっているサイトを発見。「リメンバー・ミー」というエピソードだそうだ。

「思い出」Remember Me (part1 & part2)

ジュリア・サンダーソン未亡人にはジョンJr、カール、アリシアの3人の子どもたちがいます。けれどもある日、余命いくばくもないとベイカー先生から知らされ、勇敢にも死ぬ前に子ども達を引き取ってくれる家庭を探しはじめます。
ジュリアはチャールズに「もし死ぬ前までに見つからなかったら、後をすべてあなたにおまかせするわ」と託し亡くなります。

遺言は「私のことを笑顔で思い出して。私もあななたちの笑顔を覚えているんですからね。
もし涙をながして悲しい顔をするくらいなら、いっそのこと私のことを忘れてほしいの」
"Remember me with smiles and laughter, for that is how I remember you.
If you can only remember me withtears, then don't remember me at all"

そうだ、これは正に母の言いたかったことだ。いや私の母のみならず、すべての母親の心を代弁する言葉だと思う。

今はまだ母を想い出す時、tearsとsmilesが半々くらいだけれど、微笑みの中で想い出せる日はやがて来るだろう。

2013年7月20日(土)

喪失の哀しみがじわじわきている。お別れまでに9年以上の猶予をもらえた母の場合、予想だにしていなかった死が突然訪れた父の時に比べれば、精神的なダメージは少なくて、なんだかあっけないなぁと思っていた。

確かにそう。父が去った時には後悔に殺されそうで精神科の扉を叩く寸前までいったけれど、今はそこまで追いつめられていない。心は凪いだ海のように静か。
ただ、寝ても覚めても哀しみに充たされていて、何をしようと何を見ようと心が動かないのは困ったものだ。守るべきものがもういないというやるせなさ。心を浮き立たせることができず、ひたすら虚しい。

母がアルツハイマーと診断された日のことを時々振り返る。「この病気の平均余命は10年です」という医師の言葉。
でも、その数字には現実味がなくて、お母さんは例外的にもっと長くもつかもしれない、もつに決まってる、いや、誤診かもしれないと楽観的だった私は、その期におよんでもヘラヘラしていた。

また同時に、私がお母さんのことあまりにも好きすぎて、もしもガンや事故での死別なら後追いするのは確実だから、10年という長い時間を与えられたこと、これは、別れは誰にでも訪れるものだけれど、10年あげるからゆっくり心の準備をなさい、という天の差配なのか?と自分勝手に思ったこともよく覚えている。

でも10年は先にあっては遠い未来だが、過ぎ去ってみるとあっという間だった。

古いメモ帳を取り出して繰ってみると、2004年2月25日の欄に「母 アルツハイマー宣告」と書かれている。
ああ、2月25日だったのか。そういえば寒い日だった。よく見ないと分からないほど小さな文字なのは、現実を直視したくなかったせいだろうか。


あれから9年4ヶ月。
発病後の6年間の介護の苦闘は、ホームに入所した後の3年半、離れて暮らした期間のおだやかな記憶で上書きされて、今ではぼんやりとした形でしかない。

振り返ると、嫌なこと、苦しかったことはよく覚えていない。覚えているのはひたすら強く優しく、愉快で涙もろくて、時々イジワルで可愛らしい母の姿だけだ。
宣告された余命には満たなかったけれど、去るまでの一ヶ月は私の後悔が少ないよう力を尽くさせ、三姉妹を枕元にそろえ臨終を見取らせたることで、最期まで私たちに愛を示してくれたのだろう。

アルツイハイマー末期には何も認識できなくなると言われるけれども、深いところでは元のままの母が残っていたに違いない。そう確信するほど、家族とホームのスタッフ双方の後悔を最小限に収める、気遣い屋の母らしい最期だった。

昔から「尊敬している人は?」と問われた時には母ですと即答したものだ。己の親に対してなんのてらいもなくこう答えられることは、この上ない幸せだろう。
本当にいい人だった。母みたいに年を取りたかった。
小さなもの、弱いものにひたすら優しく、ユーモアとウィットにあふれていて、童女みたいで、茶目っ気たっぷりで、一緒にいるだけで楽しかった。母の元に生まれたこと、それが自分の受け取った人生最大の贈り物だと思っている。

でも母はもういない。意志疎通が不可能になってから長かったとはいえ、語りかけるべき肉体が地上にないことがこれほどまでに虚しいとは!


父が去り、母が去り、そして数年以内にはマヤが去るだろう。「これでマヤが死んだらいよいよぜんぶ終わりだね」と悲しそうにヘボピーが言った。
私もそう思う。この10年を共に過ごしたマヤが死ぬ時、私たち家族の歴史は一段落する気がする。

これは、未来に希望を託せる子供がただの一人もいない家庭構成ゆえの感傷かもしれないけれど、家族の物語を共有するメンバーが舞台のすそから次々と消えてゆくことは、予想をはるかに超えて辛いものだと思い知った。

だから言いたい。親御さんと仲がいいなら一緒にいる時間をできるだけ持つべきだと。また今あまり仲が良くないとしても、可能ならば関係を修復して欲しい。
きょうだいがいる人は家族は親だけじゃないから別にいいやと思うかもしれないが、親ときょうだいとは愛情の質において全くの別物だ。

生まれたばかりのあなたを胸に抱いた喜び、成長する幼子の姿を最も濃く記憶に残しているのは父母に他ならない。
私は自分の成長過程を知る父を失い、母まで失った今、自分という存在が今やハパックス・レゴメノン──古代には理解されていたけれど、現在では解読不可能な単語──になってしまったようで心もとない。

親との別れはいつか訪れるもの。それでも私は父母と話し足りなかったという後悔で胸が痛い。
若い頃には自分の歩んできた道を振り返ることなど滅多になかろうが、年を取り生きることに倦んだ時、人は「今ある自分はどうしてできたのか?」とふと知りたくなるものだと思う。しかし子がそういう年になれば、親はすでに死去していることも多いだろう。

だから親御さんが元気な方々には、ちょっとだけ時間をさいて話を聞いて、成人の目で家族の歴史を解読してみることをお勧めする。
親がこの世にあり今からでもそれができるみなさんのことが、私は心の底から羨ましい。

2013年7月20日(土)

横須賀の海上自衛隊まつりにて。水上発射管(艦の甲板上から短魚雷を高圧空気で発射する装置)に添えられていた。

エヴァンゲリオンのパロなのは言うまでもない。一般人の私ですらちょっとはっちゃけすぎちゃうか?と思ったのだが、この日は上官も多目に見てくれるのかな。

海自まつりと同日に開催された米軍のフレンドシップデー。横須賀米軍基地は230ヘクタール、東京ドーム43個分の広さで、敷地内には学校や教会やマクドやボーリング場がある。

思いやり予算として日本国民の血税がさぞふんだんに投下されているのだろう、と冷ややかな私のまなざしも、生の兵隊さんを目にした瞬間に激変。うぉーっ!米軍カッチョええーっ!!

軍用犬萌え〜!ブラックシェパードです。
ポーズを取ってくれたアンちゃんに「この子いくつですか?」と尋ねると2才との答え。ふむ、真の信頼関係を築くのはこれからだな。

敷地内のあちこちではおおざっぱなチキンステーキ、皿からはみだしそうなステーキ、二人で分け合って十分なビッグサイズのコーラなど、いかにもヤンキーっぽい様々なものが売られていた。

こいつらも日本ではあまり見ない大味っぷり。でかけりゃいいのか?背後に吊られたワンピースの色も「外国です〜!」って感じがする。

基地のボーリング場にて。ここでもおおざっぱな品揃えだ。欲しいぬいぐるみが一つもねえ!ちょっとはバンプレストの神ラインナップを見習ってほしい。

謎の白い生き物。こいつ、何かのキャラクター?どこかで見たことあるようなないような……もやもやするので知ってたら教えてください。

海上自衛隊まつりの帰りに寄ったショッピングモールでは、ゴキブリのパネルを手にしたマスクマンのおにいさんが、わらべ相手に奮闘中。

「さーて、この虫はどこに住んでるのかなぁ〜?」「いえ〜!」「もり〜」「レストラン〜!」たかがGにテンションだだ上がりのお子さまたち。マスクマンも大変だ。

どうして自分が新幹線の小田原駅で降り立ったかぜんぜん記憶にないんですが……。とにかく小田原駅の改札。さすが本場。私もかまぼこ作りたい。ピンクのやつ。

どう読めばいいのかさっぱり分からない。きっと人類の声帯では発声不可能なエイリアン文字なのだろう。

新幹線の車中にてディズニー帰りの母子連れ。楽しかった気分がよく伝わってきますね!
楽しすぎた反動で、この子、休み明けに学校行きたくなくなるんじゃないか?とちょぴり心配になりました。

ちょっと前の車内広告。

「ナ ベ ア ツ」しかねぇだろ!
そう突っ込んだ人は多いと思う。

荒川で遊んでいた野良猫一家。テラカワユス(=´ω`=)

だが私の目は子猫ちゃんより姉ちゃんの背中に釘付け。みたらし団子……。

流通専門誌・激流。「内食争奪戦」「拡大のインパクト」「激化の予感」」「流通環境激変」「競争のハードル」「苦戦の相似形」……とおだやかではない。

雑誌タイトルからして元気一杯なのはいいのだが、流れが早すぎて業界すべてが濁流に飲みこまれ、海の藻屑と消えそうな勢いだ。

自転車のカゴからあふれんばかりのマヤっち。本人はいたって楽しそうなんだ。

2013年7月19日(金)

フェレット雑誌より。「孫」と書いて「フェレット」と読む。

「まるで孫のように愛らしいフェレット。フェレットのいる家には本当の孫もよく遊びに来ます。本当の孫との関係を上手くいかせてくれるフェレットを、孫心(真心)込めて大切に育ててみませんか?」

つまるところイタチの孫より人の孫なんだろ?なんて言ったら叱られるかな。

<体重は?>オス:1〜2L 標準的なカボチャ一個分と軽量!メス:600 〜900g リンゴ3個分!……と野菜に置き換えるとよくわかりますね。私もこれから重量を野菜で表現しようかな。「失礼ですが体重は?」「標準的なカボチャ50個分です!」
<寿命は?>6〜8年。お年寄りでも寿命の心配なく過ごせます。
年を取ってくるとペットを遺して死ぬリスクも勘案しなくてはならない。妙にリアリティーあふれる一文である。
<目>約50センチ先まで見えます。フェレット、意外と目が悪いんだね。知らなんだ。

ダラダラ仕事するインド人審査官にイライラするインディラ・ガンジー国際空港の出国審査場にて。
我々の目は携帯に夢中な少年の背中に釘付けになった。

ガイコツにするだけでは飽きたらず、目ん玉を飛び出させた上に串刺しにされている。そこにはどれほどの怨恨があるのだろう……。そしてこのような物騒なTシャツを選ぶに至った若者が抱える心の闇は……。

成田空港にて。ワシントン条約に違反するから国内持ち込みしちゃ駄目!ぜったい!な品々。

やる言われてもいらんわ(#^ω^)

奴隷がクレオパトラをあおぐやつですね。リスクを侵してまで誰がこんなもん持って帰るというのか。

シュール!!!

やると言われたらちょっとだけ欲しいかも……。

2013年7月17日(水)

長い文章を書く気力がないもので、ビデオレター代わりに写真でもアップして、そこそこ元気ですよとお伝えします。

もう行くことはなくなった母のホームへの道。360度たんぼ!たんぼ!そしてまたTANBO!!
この道をてくてく歩きながら「あ〜!北海道ってやっぱ気持がいいなぁーっ!」なんて空想旅行プレイで自分をなぐさめていたものだ。

のどかにもほどがある景色を眺めながら、往復2時間、延々と歩いた結果、誰に会っても「ミキさん痩せましたねえ!」と驚かれる。健康的ダイエットではあるものの、ごらんの通り日光を遮るものがなにひとつないため、インディオ並に日焼けするのが難点である。

淡路島は牛乳と牛肉が名産でもあるせいで、牛っこもあちこちで見られるよ。

知らない人間を見つけて立ち上がろうとする牛っこ。瞳は好奇心に輝いている。

この高速バスに乗って島に通った日々がなつかしい。それにしてもどこかで見たことあるようなこいつ、ないと思うの。

浜で拾ってきたこんぶを干して、自家製だしこんぶを製造しようともくろむ近所のお宅。潮の香りが漂いあたり一面が漁村と化していた。

近所のおこのみやきやの入り口で、いつもちょこんと座っているプードル。

こいつのちょこんとした様子を目にするたび、いきもののわびしさを感じて胸がきゅんとなる。

マヤちゃんももう10才。おじいちゃんの顔になったなあ。

おしりプリプリ。暑い日には風が通るすずしい場所で眠るんだ。

2013年7月14日(日)

うぁあぁああぁぁあ!!!『進撃の巨人』、アラームかけてたのに眠気に負けて見逃してもたぁああぁあ!第2シーズンでオープニング画像が変わってたってのに!ブサメン(オルオ)見逃したぁあ!!
んもぉーっ!夜中の2時からやるからこんなことになるのよぉ!ちびまるこちゃんの時間帯にでも放映してよぉ!(録画しろ)

あーあ、やっぱ疲れてんのかな……。昨夜は久々に十三のバーJに行ったんだけど、お勘定を忘れて出てきちゃった。帰宅後に「あれ?お金払ったっけ?」とはたと気付いたものの、払ったか否かあやふやだったもんだからオーナーのTさんにメールしたら、「もらい忘れてました」って……どっちもどっちや、とか言ったら叱られる。
すみませんでした、近日中にお支払いに行きます。手みやげにモロゾフの空きプリングラスをいっぱい持って……。

話かわるが昨夜、バーに来ていた女装子さん(PCエンジニア)から聞いたんだけど、CDやHDに保存した画像データは記憶媒体の劣化と共に消えてしまうものだから、定期的にコピーを作り直さなきゃ駄目!ぜったい!なんだってね。

いや、私もCDーRは頼りにならんもんだとは以前から知っていた。はじめてそれを知った時にはもーびびりまくって、それ以降50枚入りタワーの安いCD−Rを使うのはやめ、太陽誘電社製の高いやつに切り替えた上でコピーを二枚づつ作り、さらに外付けHDにも焼くようにしていたのだが……。それでもまだ甘いらしい。

女装子さんはどうしているかというと、5枚のHD上にデータを移しているそうだ。でも普通はなかなかそこまでできないよね。どうすればいいでしょうと尋ねると、異なるメーカーのCD−Rに2枚、外付けHD二つに焼けば、安心度はかなり上がるよと言われたもんで、早急にHDをもうひとつ買ってくる。

それでもデータ保存においてより安心なのは、より原始的なものだから、紙に焼くのが一番だと聞いてなるほどー!と思った。
古代史においても石に刻まれた碑文は数千年の時を経て残っているけど、石の代わりに使われるようになったパピルスは、その多くが消失してしまってるものね。
紙よりさらに進化して便利なはずのCDやHDといった電磁記録媒体が、保存という観点においては原始的な石や紙とは比べようもないほどもろく不安定なのは皮肉なもんだ。

でも、「写真はプリントアウトして保存するのが一番安全」と言われても、すでにある何万枚もの写真をプリントしようと思ったら、いくらお金がかかることやら。なにより置く場所に困る。

それでももう二度と撮り直すことのできない家族や犬たちの写真は、お金がとか場所がとか言ってないで、とっととプリントアウトしなくては……と思いながら写真をいじってると、あらっ!もうでかける時間。なんかこのところ時間の感覚が鈍い。この日記も誤字脱字同じ単語反復が多いし、やっぱ疲れてんのかな……。

さて、これから親戚の墓参りの手伝いに、電車に乗っていってきます。親がいなくなったからって残された親戚孝行にいそしむ自分、すごい寂しんぼさんみたいで恥ずかしいんだけど、優しい叔父叔母はそのあたり分かってくれてるので、素直な姪はせこせこ通います。

←「紙に焼けかぁ……」と思いながらデジタルカメラが登場する前──フィルムカメラの時代のアルバムを開いてたら、恐ろしい写真がぞくぞくと。

これはその一枚、バブルまっさかりの頃の管理人。ピンキー&ダイアンの白スーツにブルーのブラウス。シャネルのフーシャピンクの口紅に眉ばっちり。今なら白スーツなんぞUSJのイベント進行役しか着てそうにないが、当時はこれでも地味すぎるほどだったんだぜ!

今から20年ほど前。京都・太秦映画村ではっちゃけ中。どこの旅芸人や。

ヤングイリちゃんと。この頃はなんの心配もなかったのだろう、ものすごくハッピーそうだ。今の自分と比べると、あー遠くに来ちゃったなぁと胸が痛む。

2013年7月12日(金)

徐々に日常モードに戻りつつある。母を喪った寂しさもさほど感じなくなった。姿を変えて自分の中にいる気がするからだ。
むしろ母がもう苦しまなくてよくなったことを、嬉しくすら思う自分に驚いている。振り返ると、「一日でも長く私たちと共にいて欲しい」と願う一方、本心では日々病み衰え死に向かう姿を目にせざるを得なかったことが、いかに大きな重圧だったのかと思う。

ただ、しょっちゅう父母に話しかけているせいで、傍目に見ると独り言が多くて危ない人に見られそうなのが問題だ。まあブツブツ言うTPOを選ぶくらいの判断力はまだあるから、きっと大丈夫……だろう。


やらなくてはならないこと、守るべきものがなくなった今、姉妹三人とも時間をもてあましている。
私は暇つぶしに株と為替を、まるで親の敵みたいな勢いで売買しているけど、投資とは実に神経にさわるものだから、本当は手を引くべきなんだろう。勝っても負けても虚しくて、心がざらざらしてきてイヤになる。

末妹はパチンコに明け暮れているみたいだし、ヘボピーに至ってはやることなさすぎて教会に通うようになったらしい。数年後には洗礼を受けてるんじゃないか?と予想させるほどの方向転換だけど、対象が何であれ心の支えを見つけるのはいいことだ。

私は信仰という方向には行かないだろうけど、情熱を注ぐもの、守るべきものを早急に見つけなきゃならないとは思ってる。カレでもカノジョでもいいから探してみるか、いやむしろ結婚して老いた旦那の世話をする方が、「守るべき対象」という意味ではガチガチに堅いかもしれない。mっs堅すぎて途中でイヤになりそうだけどな……。

……なんてうつらうつら考えながら、相変わらず気力を欠く日々。ベッドに寝ころがって携帯でツイッターやら2ちゃんまとめスレを見たり、同じ漫画を何度も繰り返し読んだりする怠惰な毎日。

漫画といえば、軽くマイブームがきてるのが『進撃の巨人』。以前から原作コミックは読んでいたけど、アニメ化をきっかけに腐女子界に嵐を巻き起こしているようだ。
かく言う私も死ぬほど眠い土曜日深夜2時、己の頬をひっぱたいて目をくわっと見開きアニメを鑑賞。制作会社は『009 RE:CYBORG』と同じIGポート。くっそおー!株、買っときゃよかった!上場してるなんて夢にも思わなかったんだ。

進撃で同人しようかなあとも思ってみるものの、ブームのジャンルにつき描き手がものすごく多いせいで、人様の作品を見るだけで満足してしまうんだよね。
しかしもしサイトのトップがミケオル(ミケxオルオ。どマイナーCP。それでもけっこう人はいるみたい)なんかに変わったあかつきには、ついにこいつ進撃しおった!と思ってやってください。

2013年7月8日(月)

昨日、真夜中に目が覚めたとき、ベッドに眠る私を父母がのぞき込んでいるような気がした。それと同時に赤ん坊だった時の、 完全無欠の保護下にある安心とでも呼ぶべき感じが不意によみがえって、親の愛とは有り難いものだなあとうつらうつら思っていると、いつの間にかまた眠りに落ちていた。

新しい一週間がはじまった。
これまでなら毎朝、神さまに手を合わせる時には、母が苦しみ少なく一日でも長く私たちと共にあり、幸せな夢の中で笑っていられますように、と祈っていたけれど、そう願う必要がなくなったのはそこはかとなく寂しい。
しかしまた同時に、遠く離れたホームのベッドの上で来る日も来る日も天井を見つめているお母さんは、一人苦しんでいるんじゃなかろうかと心配する必要がなくなったせいで、重い肩の荷をおろしたというのも本心である。

母が旅立って丸二週間。心にあるのは澄んだ寂しさとでも呼ぶべきものだけで、自分でもあっけなく思うほど悲しみは少ない。後悔に苦しみ悶え毎日泣き暮らした父の死の時とは大違いだ。
突然全ての時間を自分のために使えるようになったのに、何をする気も起こらないから本調子ではなかろうが、父母のことを思い出しても、悲しみや後悔の代わりに、愛しい思いが胸にあふれてちょっと泣きそうになるだけだ。


どうしてこんなに悲しみが少ないのか。本当のところ母の存在が重荷だったのだろうか?自分は冷たい人間なのかな?とも考えてみたが、別にそういうわけではなさそうだ。なににつけても自分を責めて後悔をひねくり回す気質だけれど、今回に限ってはそんな気持には全くならない。

悲しみが少ない理由には、最後の一ヶ月、時間と気力と体力の限界までホームに通ったこと、そして息を引き取るまでの12時間、一睡もせずに話し続ける機会が持てた満足感もあるだろう。

そしてなによりも、さまざまな場面で「私にとっていいことは母にとっていいことで、母にとっていいことは私にとっていいこと」とひとかけらの疑いもなく言い切れる、母との間にあった絶対的な愛と信頼ゆえなのだろうだと考えている。今は私がこれでよかったと思っているから、母も「娘がよかったと思っていることに満足している」と信じられるのだ。

人生において「絶対」と呼べるものは滅多に手に入らないだろうが、母との信頼関係が絶対的であったと思えるのは、とても幸せなことだろう。


母の手を取り話しかけ続けた最後の夜を時々振り返る。

痰が喉に溜まってガラガラとうがいをするような音を絶え間なく立て続けた12時間は、苦しみを取り除いてやれないという意味で絶望的だったと同時に、不思議な静けさともう駄目かもしれないという諦念と、昔、いっしょに刺繍をしながら延々とおしゃべりをした時のような、なんともいえない楽しさにも充たされていた。

大好きな大好きなお母さん!あの時は楽しかったねえ。──ほら、イリを連れて山に登ったときのこと覚えてる?イリちゃんは可愛い犬だったね。今頃お父さんと散歩してるだろうね。
──マヤちゃんは無愛想な子犬だったよなあ!私は白黒の女の子にするつもりだったのに、お母さんがこの茶色い犬がいいというからマヤにしたよね。
お母さんに選ばれなかったら、マヤは保健所行きになってたんだよ。それをお父さんに話したら、俺、そんなこと知らんかった。ああ、ママがマヤを助けたんか。マヤ、パパお前のこと、もっと好きになったわって話しかけてたよ。
私が生まれたときどんな風に嬉しかった?いきなり首が曲がっててびっくりしただろうね。今でも整骨院に通ってるのよ。お母さんが次元大介に似てるって言ってた先生も、元気でもうけまくってるよ。年収いくらくらいなんだろうね、億は超えてるよなあ。
──宝塚は何組が好きだっけ?ああ、フィナーレの大階段はきれいだったよね。また行こうよ。そいで帰りに中華料理を食べようね。三宮も元町にも買い物行こうよ。

真夜中、ますます状態が悪化してきた時には、末妹と二人、本気で叱った。
お母さん、今日はスーパームーンなんだってさ。お父さんはブルームーンの夜に死んじゃったから、お母さんまでそんなありがちなことせんとってよ!

そして夜が開ける前にはまた叱った。お母さん、人間は満潮と干潮に合わせて生まれたり死んだりすることが多いそうだけど、そんなありきたりなことやめてよね。カッコ悪いからさあ。

夜が明ける頃にはのどが枯れて、話すこともなくなったから歌を歌った。ぜいぜいいう呼吸が今にも途絶えそうだったから、朝9時に看護士さんが来るまで、それが無理なら8時にヘボピーが到着するまでは、なんとしても気力をもたせて欲しかった。
そんな時には何を歌えばいいか分からなくなるもので、子供でもないのに末妹と声を合わせてトトロの主題歌とアンパンマンマーチを歌った。忘れないで 夢を
こぼさないで 涙 だから 君は とぶんだ どこまでも

夜が明けてからはひたすら神に祈った。常日頃から神社に参拝はしているけれど、あれほど必死で祈ったことはなかった。どうぞ母をお救い下さい、母の苦しみを取り除いてやってくださいと大きな声で願う自分の声が、がらんとした部屋に響き渡って頭がくらくらした。


こうして振り返ってみると、5,6年前から会話が成り立たなくなっていた母と、最後の話ができた気がしないでもない。母はただぜいぜいいうばかりで一言も発することはなかったけれど、私たちの声は確実に届いていただろうし、肉体は死にかけていても心は中空にあって私たちと会話していたような、そんな感じすらしてくるのだ。


あなたはまだゐる其処にゐる
あなたは万物となつて私に満ちる
私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

智恵子抄の「亡き人に」の一節が心に染みいる日々である。

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お見舞いのメールありがとうございます。気力が足りないため返信できないままでおりますが、おいおいお返事差し上げます。ひとまずみなさんに心からの感謝を。

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そのためhoremhebのヤフーアカウント以外のPCメアドあて、およびパソコンから携帯電話あてにメール下さった場合、メールが迷惑フォルダに振り分けられ、そのまま気付かずに消去してしまった可能性があります。(このサイトのメールフォームからのメールは100%受け取れます)(私信:T島さん、携帯宛のメールは受け取っております)

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2013年7月3日(水)

どうもやる気が起こらない。当然だよね、まだ葬儀から一週間しか経っていないんだから。やらなくてはならないことは沢山あるのに、何にどう手を付けていいか分からなくてぼんやりしている。
昨夜は仕事もないのに7時過ぎまで会社にいて、皆帰ったから仕方なく図書館に行き、閉館まで本棚の間をぐるぐると回遊していた。

ガルシア・マルケス、ユルスナール、ダニエル・キイスあたりを手にとって開いたものの、目に飛び込む文字の小ささに頭が痛くなったから、児童文学コーナーで子供の頃に読んだ本──『冒険者たち』『ドリトル先生航海記』『ながいながいペンギンのはなし』を選んでから、詩歌の棚に行って『三好達治詩集』を借りてきた。

夕食はサイゼリア。一週間に二度は来てるものでいいかげん飽きたものの、ワインが安くて長居できるからつい足が向く。
眠くなるまでここで時間をつぶそうと、三好達治集を開いた。

三好達治の作品では「花のたね」(「たまのうてなをきづくとも けふのうれゐをなにとせん はかなけれどもくれなゐの はなをたのみてまくたねや」)くらいしか好きじゃなかったのだけど、少女の頃には読み流していた詩の数々が、老いつつある今、ことのほか心に染み入った。

なんだかなあ、これが長く生きるってことなのかなと思うと同時に、自分よりもさらに数十年の年を重ねた父母は、己の歩んできた道をふと振り返った時、一体何を思ったんだろうか、とぼんやり考えたりした。


そうそう、この日記で何度か紹介した母の特養の画伯「川上なをゑさん」。あの方は寝たきりや呆けにしては字も絵もあまりにもしっかりしているもので、通所サービスを受けているおたっしゃ組かと思っていた。

でもなをゑさん、入居者だったんだ。母の介護でホームに泊まり込んだ時(夜中の特別養護老人ホームを見られるなんて貴重な体験だった)なをゑさんの部屋があったから、ああこの人だと思って次の日に廊下で話しかけた。

そしたら交通事故で下半身不随になって入居はしているけれど、頭も口もいたって元気で。まだ自分の足で歩けていた頃の母のことも覚えていて、「お母ちゃん元気か?」と案じてくれたから、「ええ元気にしてますよ」と答えた。

そのなをゑさん、母が去った朝、私が葬儀社を待っている間のこと。「ねえちゃんねえちゃん」と呼ぶから何かと思えば、「これ、やるわ」。
それが右の作品。そして「私、これが前から大好きなんですよ」と部屋に飾られていた絵を指して言うと、「ええよ、上げるよ」と言ってくれて、もらったのが左の作品。

これを眺めながら老いやら幸福やらについて、しみじみと考えている。

2013年7月2日(火)

病気になるずっと前からやりかけのままほっぽりだしていて、「私が死んだらあんたら処分に困るね」と気にしていた刺繍とパッチワーク。道中一人では寂しかろうと、お供にクマのぬいぐるみ、お弁当にはところてんと御座候(回転まんじゅう)。

愛読書の『赤毛のアン』は書店で買えたけれど、限られた時間では山岸涼子の『妖精王』も小沢 真理の『世界でいちばん優しい音楽』も見つけられなかったから、代わりに『エロイカより愛をこめて』の7巻──少佐と伯爵とジェームス君はもとより、ロレンスもミーシャも白クマもサバーハもみんな登場して、一番楽しかった頃の巻を選んでお棺に入れた。

お気に入りだった白と黒の矢羽根模様のツーピース(親戚は一人残らずこの服を覚えていて「ああ!これこれ!覚えてる!」と笑った)をかけ、指には小さなビーズの指輪をはめた。
それからヘボピーがお化粧してやったけれど、アイラインが濃すぎてどこかのプリマドンナみたいになったから、あわてて消したらみんなが知ってるお母さんになったよ。


大好きな人たちが泣きながら花を入れていく。花に包まれた母は、びっくりするほど綺麗だ。
ヘボピーが言った。「お母さん、眠り姫みたいやね」

その間中CDプレイヤーから聞こえていたのは、マリア・カラスの『カスタ・ディーバ(清らかな女神)』。朗々たる歌声。
その曲はまるで見計らったかのように「最後のお別れ」のはじまりと共に流れはじめ、棺のふたがぱたんと閉じられると同時に終了した。なんというシンクロニシティー。


母が去った。うちに連れて帰る前日のことだった。
あと30時間辛抱すれば小鳥たちの声で目覚め、涼しい風がそよそよ吹く気持ちのいい我が家に帰れたのに、24日月曜日、午前8時22分、特別養護老人ホームのベッドの上で、三人の娘たちに見守られながら逝ってしまった。

それでも不思議なほど私の心は静かだ。山の頂でひんやりした空気を肺いっぱいに吸いながら、眼前に広がるパノラマを一人眺めているような、そんな気持でいる。

この世で一番愛する者を失った時、泣いて泣いて立てなくなるほど気が抜けて、しばらく普通の生活すらままならなくなるのでは心配していたけど、涙すら思ったほど出なくて自分でも驚くほどだ。それはきっと母が長く病に苦しんだせいもあるのだろう。お母さん、やっと楽になれたね、もう体は羽毛みたいに軽いでしょ?と話しかけている。


死亡診断書にはこう書かれている。
(ア)直接死因:肺炎(10日間)
(イ):(ア)の原因:栄養障害(3ヶ月)
(ウ):(イ)の原因:アルツハイマー型認知症(9年間)

何という長い9年間!
正確には9年半、病魔は母の体を蝕み、最後の数ヶ月は話しかけても何の反応も示さず、まぶたもほぼ開けられず、流木のようにねじくれた体でベッドに横たわるばかりだった。特に自宅介護を決意する少し前からは、しばしば高熱を出して全くものを食べなくなり、ホームから何度か緊急招集されるほど弱りつつあった。

それに死の3日前の血液検査では、血中蛋白濃度を示す数値が信じられないほど低下していたそうだ。「三木さんは丈夫だったんだね、こんな数値で生きている人を僕はこれまで見たことはない」と死亡を確認しに来た医師が言った。

それほど危うい際にあっても、20日木曜日に「状態がよくない」と連絡を受けてホームに飛んでいって、そして「搬送途中で死亡するリスクがあることも了承の上で、なんとしても火曜日にうちに連れて帰る」ことを決意してから4日間、母はがんばった。
その間、私とヘボピーと末妹は交代で24時間そばにいて話しかけ、体をさすり、十分なお別れを言うだけの時間を与えてもらったのだ。

最後の夜は私と末妹が一睡もせずにそばに付いていただけではなく、家に帰っていたヘボピーも始発のバスで飛んできて8時に到着。三人の娘が揃ったその15分後に息を引き取ったから、がんばってくれたんだなあ、としみじみ思う。友人が言った「お母さん、最後までカッコよかったね」と。

最後の息は私ではなくヘボピーの胸の中で引き取った。ヘボピーが顔をのぞき込みながら髪を撫で、「赤とんぼ」を聞かせている時に、ぜいぜいいう息がふっ……と止まったらしい。
「あの子は気が小さいところがあるから、私が死ぬ時はマミさん、あんたのところに行くわ」と、以前ヘボピーの夢に出てきた母が言ったらしいことを思い出した。

「お母さんが死んだ!」
その叫びで仮眠をはじめたばかりの私と末妹は飛び起きて、ベッドサイドに集まり口々に叫んだ。「お母さん、ありがとう!」「また会おうね!」「お母さんの子供で本当に幸せだったよ!」そんな私たちの目の前で母は小さく「さいごのあくび」を二回して、そして息を止めた。
死に際して聴覚は最後まで残るという。私たちの声は確実に聞こえていただろう。


母は去ると同時に、私の憂いも一緒に持っていってくれたようだ。あれほどまでに私を苦しめた父への後悔、それが今ではきれいさっぱりぬぐい去られているから。
葬儀を終えてまだ一週間。ガックリくるのはこれからかもしれないけれど、まあ、しばらくのんびりやります。