2012年12月28日(金)

☆☆☆こわいわるいいぬのおはなし☆☆☆

ぎゃわん ぎゃわん うおおおおおん

おやおや、おそろしいなきごえです。いったいどこからきこえてくるのでしょう。

ぎゃわん ぎゃわわーん がりがりがり ぎゃわわわーん

どうやらこえはぱんだどうぶつびょういんからきこえてくるようです。

ぎゃわん ぎゃわん うおおおおおん がりがりがり

こえがするほうをたどってみると、ちゃいろくてむくむくしたいぬが、びょういんのおくにある、おりのなかでないていました。
みき まやちゃんです。

「こわいよう」 おねえさんとびょういんにきたうさぎがふるえています。
「だれのこえだろう」 ぼうやのむねにだかれたふぇれっとがきょろきょろしています。
「うるさいなあ」 おじいさんのひざにすわったぷーどるがぷんぷんしています。

あまりにもおおきなこえでないたので、のどはかれています。おりからでようとしてゆかをひっかいたので、つめはわれています。
でも、まやちゃんはなくことも、ひっかくこともやめません。どうしてでしょう?

それは、おねえちゃんたちがまやちゃんをおいて、がいこくにいってしまったからです。だからさびしくてかなしくて、まやちゃんはこんなにほえているのです。

ぎゃわん ぎゃわわーん がりがりがり ぎゃわわわーん

まやちゃんがあまりにもあばれるので、とうとうせんせいがいいました。「しかたがない、さいあみらーるをつかおう」

あれ?あれれれ?
かんごしのおねえさんがおりからだしてくれました。おうちにかえれるのかな?

まやちゃんがそうおもったしゅんかん、ちくっとおしりがいたくなって……。

ちんせいざいをちゅうしゃされたまやちゃんは、ようやくなくのをやめておとなしくなったのです。
まやちゃん、おねえちゃんたちがはやくかえってくるといいですね!


去る5月のパキスタン旅行で、生まれて初めて11日間もの長期にわたり、動物病院に預けられたマヤ。
それまでの外泊経験は、最長で3日間。鍋いっぱいのカレーを盗み食いして、タマネギの影響で溶血反応を起こして入院したのだ。(盗み食いで治療費14万円也。サイテー!)

そんな短期間でさえ大騒ぎした、甘えたでさびしがりでわがままなふとったコッカースパニエルを、11日間も預けることに不安はあった。それでもそこまで長期になると、さすがに諦めて慣れるだろうと思った私は、不二家ミルキーより甘かった。


パキスタン/ 中国国境をチャイナ様が越えさせてくれず、9日間の予定が11日間に延びた先の旅行では、現地からの電話がほぼ不可能だったこともあり、犬の様子を確認することができなかった。

だからイスラマバードから乗り換え地のバンコクに到着した時には、まっさきに病院に電話したのだ。どれもこれもクレジットカード使用不可能な中、やっと見つけた一台の、凶悪に雑音が多い空港の公衆電話から……。

「すみませーん!はい、現地トラブルで帰国が遅れてて……明日には迎えに行けますので、はい、はい……で、マヤは元気ですか?」
「元気ですよ〜。でも……」
そこでブツッと切れる電話。どうやら電話機側のトラブルらしい。
うおおおお!「でも」ってなんだよ?!「でも」って!!!

死ぬほど気になるが飛行機の離陸が迫っており、別の電話を探す時間はない。バンコクから次の乗り換え地、香港までのキャセイパシフィックでは、心配のあまりビールがまずかった。

そして香港。ここでもまた電話機がクレジットカードを認識してくれず、あちこちの電話で何度もトライしてようやくつながった。
「ま、マヤになにかあったんですか?!!(ぜいぜい)」

すると受話器に食いつきそうな私の気も知らぬげな看護士さん、のんびりした感じでいわく「マヤちゃん、元気なのは元気なんですが、さびしくてゲージから出ようとして、爪が割れて出血したので処置しました。あと、さっきいただいたお電話でなにか感じたんでしょうね。ひどい興奮状態になったので、鎮静剤を打ちました」 な、なさけねぇ!!!


スストからイスラマバードまで800キロの陸路をたどり、さらにバンコク・香港と乗り換えて、ようやく関空に到着後、ぱんだ動物病院へ直行。
患畜用ゲージという名の奥座敷から飛び出してきた茶色い固まりは、鳴きすぎたせいで声は枯れ、ストレスのせいか体重2割減で別犬のようにスリムになっていた……。

<補足>
マヤのお泊まりに支払った金額は、動物病院に12万円(ワンワンドッグ料込み)、国際電話代9千円也。
病院代は仕方がないけど、電話代が腹立たしい。ブチブチ切れる上に5分も話してないのにこの値段とは……。

どうやらあっちの電話機でもこっちの電話機でも、「このカードは使えません」「オペレーターにおつなぎします(そのまま切れる)」のアナウンスを聞かされまくった間の通話料も、ぜんぶ加算されていたと見える。もうカードではぜったい国際電話しないぞ!


……とそんな犬をふたたび預けて、土曜日からダージリン(インド)旅行。どうぞ管理人&ヘボピーの旅の無事と、マヤの心の平安を祈ってくださいませ。

それでは、いってきま〜す。

パキスタン出発当日。ギリギリになってスーツケースを詰めるヘボピーの回りでおおはしゃぎ。

ふざけて入ってみたりして。
1時間後にこの犬を襲う悲劇を思うと目頭が……。

はやくいきましょう!(わくわく)
車で楽しいところに連れて行ってもらえるいつものパターンだと思って、率先して玄関に向かう犬。哀れだ。

車内でもワクワク継続中。ぼく、ぶーぶーがだいすきなんだ。どこにいくんだろう。おかあさんのおみまいかな。

この後、動物病院に着いてからも何も知らずにはしゃいでいた。
だが、看護士さんにだっこされた自分を置いて、私たちが出ていった時……。

私はあんなにあっけにとられた犬の顔を生まれて初めて見た。

2012年12月27日(木)

あつがりのマヤちゃんは夏になると毛皮を短くしてもらいます。おねえちゃんはトリマーさんに「五分刈りにしてくださいっ!」というけれど、ほかの女の人みたいに「サマーカット」っていえばいいのに。

うしろ足をのばしてゆったりとしています。

高いじゅうたんの上に乗るとおねえちゃんにしかられるので、マヤちゃんが座ってもいいのはここだけです。

むっちりむうにい

ずる賢い笑み

友人に運転資金を持ち逃げされて、閉店に追い込まれた超高級焼き肉屋。いつもおこぼれをもらっていた猫が、何ヶ月たってもシャッターがおりたドアの前にいる。なんだか寂しそうだ。

猫には倒産なんか分からないものな、と気の毒に思い鶏肉をやったが食べない。「いつも牛肉ばかりだったから牛しかいらないいのかな」とスーパーに走って牛コマを買ってきた。それも食べない。
さすがにそれ以上の肉はやれないのでほっておいたら、次の日も、また次の日も座り続けていた……。

どうやら、ここに座るのは単なる猫の趣味らしい。

ー肉体は滅んでも魂は永遠に生き続けるーマッスル北村、伝説のワークアウトが今蘇る

父が亡くなったのと同時期に、Gジムに貼られていたポスター。この方の本名が父と同じなので目を引かれた。

マッスル北村。大会に向けたダイエットが原因と思われる急性心不全のため死去。享年39歳。こんなに若くてムキムキな人でも30代で亡くなるんなら、父が死んでも当たり前だなあ、と妙に感じ入ったのであった。

居酒屋のアテを無理くり定食化。なんかびんぼくさい。

ブティックのショーウインドウでお帽子をかぶせてもらってた。こういうちょっとした工夫にキュンとくるんだ。

2012年12月26日(水)

TSUTAYAで発見したアルバムジャケット。韓国のバンドだそうだが、このいでたちで「クオリティ重視」と言われてもにわかには信じがたい。特にオンドリみたいな左の人!拒否権はなかったのか?

天皇陛下の誕生日もイエスさまの誕生日も終わり、いよいよ年末が迫ってきた。リア充の人もそうでない人も、クリスマスを含むこの三連休、短い人生をせいいっぱい謳歌されただろうか。

三連休に管理人はなにしてたかというと、22日:母の見舞い 23日:実家の配管掃除立ち会いをしてから酒飲んで夕方5時就寝。

24日:16時間睡眠の後、8時起床。凶悪に寒い公園で犬とお遊びの後、犬を洗って一人と一匹でクリスマスパーティー、と変わらぬうつとの闘いを繰り広げつつも、最低限しなきゃならないこと、すなわち犬孝行だけは完遂した。

だって父が亡くなってからマヤは、朝8時から夜8時までひとりぼっち。せめて休日くらいは一緒にいてやらないと、あまりにも可哀想だからね。

だがそんな可哀想な犬を、さらに気の毒な目に遭わせなくてはならない日が刻一刻と迫っており、それに伴って私もますます憂鬱になってきた。
そう、今週末から私とヘボピーはインドに旅立つため、マヤはこわくてさびしくて大嫌いなペットホテルにお泊まりなのだ。

前回のはじめてのお泊まり──5月のパキスタン旅行の際、ホテルでマヤがどんな風に荒ぶったかは、帰宅後に書かせていただきたい。
さ、これから会社行ってきます。今年のカレンダーの並びは、遊びにはいいけど仕事するにはサイアクなので、あと3日間、般若の形相で働かにゃならんのだよ。

2012年12月21日(金)

マヤ暦によると地球最後の日。午前7時57分時点では大丈夫だが、まだまだ気は抜けない(笑)
今夜は会社の忘年会。しゃぶしゃぶ食べながら会社の人間と最後の時を迎えたくない気もするけど、まっいっか。なんといってもこの20年間、9時から5時まで共に過ごした仲だからさ。

整体がきいたのだろう。昨夜は朝5時に目覚めただけで、すこし悩んだ後にすぐにまた眠れたよ。悩み方もおとといほどまでの、内臓がでんぐりかえるような苦しさと比べるとぜんぜん楽!やっぱしばらく通おう、N接骨院。

で、5時に起きた時にちょっぴり自己分析してみた。どうして自分は父を失ってこれほどまでに苦しいのだろう?と。
その結果、ひとつめの理由は「自己愛が強いことによる『己を知る』ことへの執着」と「記録への執着」だという結論に達した。

そのために、生まれたときからの自分を詳しく知る唯一の人である父が世を去ったことによって、自分にまつわる最重要な記録も失われた、ということがショックを大きくしている原因だと思う。

人のありようを構成するものは主に個々の記憶だと考えるが、今の私からはその大半が失われて、体に大きな穴が開いてしまったみたいだ。
たとえるならば、貴重なパピルスのど真ん中のでかい破れがあって、その部分さえ残っていれば古代エジプト史、いや人類史の数行が書き換えられたかもしれないのに……とまで言うと話がでかすぎるけど、まあそれと同類の残念感である。

そして私に耐え難い後悔と苦悩をもたらしている一番の理由は、「父にはまごころを尽くしてやらなかった」ということ。これに尽きる。

自画自賛みたいでいやらしいけど、私は常日頃から人にも生き物にも、まごころをもって接することを心がけている。
だというのに近すぎる故か、父に対してだけはそれを忘れがちだった。まあ女ばかりの家族だと、父親ってけっこううるさくて邪険にしがちなものだしね……。

それでも父が去る少し前に大きな気づき(この表現あんま好きじゃないのだが)があったのだ。
以前ここにも書いたことだが、パキスタンの国境の町・スストで足止めされて、まっくらなホテルの部屋でぼんやりしていた時に、突然頭上に降ってきた思い。

「自分にとってこの世で一番大切なのは、父と、母と、マヤであって、仕事もお金も恋愛もどうだっていい」。
余命残り少ない両親と犬が生きている間は、彼らに誠心を捧げて生きる。これこそが自分が日本に帰ったらすべきことであると分かった時には、今まで見えてなかった目がクワッと開いたようで、神さまありがとう!私がんばる!って感じだった。

だからこそ悔しくてたまらなくて、自分を憎むしかなかった。
無事に帰国して父に優しくしたのもほんのつかの間で、あとは更年期障害でしんどいしんどいと己のことばかり。父のちょっとした望みをかなえてやるどころか、ひどく辛く当たったりもした自分がどうしても許せなかった。
せっかく神さまに当面なすべきことを差し示してもらったのに、実行しなかった。それが辛いのだ。


父が去って四ヶ月。予想を超えたこのつらさを克服して、いいお父さんだったよね、と心静かに思い出せるのはまだ先のことだろう。でも、今日みたいに体調がよくなると、少し引いた場所から自分を眺められる日もある。

こういう心のゆとりのある時にこそ、守るべき者が母と愛犬しかいなくなった自分が、これから先の残りの人生で、何に対してまごころをもって尽くせるのか?と思いをめぐらしてみて、来るべきうつモードを撃退すべく準備した方がいいのかも。

2012年12月20日(木)

整骨院に行ってきた。おかげさまで気分(ホップ)ステップ)(ジャンプ)!!!

ずっと悩まされていた、熱い手で首筋をつかまれるみたいな圧迫感と目のかすみ、それから肩のしびれが現時点ではきれいさっぱりなくなってるよ。

おまけに体のねじれが取れてまっすぐ立てているからだろうか。おろして三日目にして、生まれてきたことを呪うほど足が痛くなり、あーあ、これはまた誰かにあげるしかないなあ……とうつを加速させやがったメレルのスニーカー(1万5千円)も、別人ならぬ別靴みたいに足を優しく包み込んでいる。

今日の昼に靴屋で計ったら、左の方が右よりも一センチも大きくなっていた足だって、今ではきっと左右同サイズに戻っているにちがいない。
さすがゴッドハンドN先生!口コミだけで朝9時から夜10時11時まで、ひきもきらずに患者が押し寄せるだけのことはあるワー。

私が一番辛いところは、首と肩の線が交差するあたりの背骨のすきまなんだけど、それはストレスがたまるとてきめんに悪くなる部分らしい。
今日はそこのイヤな隙間を重点的に締めてもらったら、ウソみたいに気分が軽く、かつ前向きである。

このところタイガーマスクのエンディングテーマより暗かった反動もあって、明るすぎる自分がこわい。まあ脳味噌にダイレクトに効く薬を飲んだわけじゃないから大丈夫だとは思うが……。

で、この前向きなフィーリングの間になにかやっとくか、と考えた結果、ペシャワール会に入会することにした。
いきなりアフガニスタン草の根運動かよ!とのけぞられそうだが、けして斜め上を行ってるつもりはない。元々あったアフガニスタンへの憧憬がよみがえっただけである。

……ってことで、明日になったら会費、送金してきまーす。そいでもって三連休は父にローソクと線香を捧げつつ、アフガニスタン&パキスタン関連書を読んで心静かに過ごすことにしよう。


<直島・ベネッセハウスにいってきました>

ベネッセハウスにはパーク、オーバル、ビーチ、ミュージアムの四種類の棟があり、このたび宿泊したのは丘の上にあるオーバル館。

オーバルまではこういう専用モノレールにて、ごっとんごっとん山を登ってゆく。

おいっしょ!おいっしょ!やっと昇ってきたよ!なーんて台詞を付けると「モノレールくんがんばれ!」と童心にもどって応援しそうだが、実際にはスローすぎる動きにイライラ満開。「とっととこんかい!(怒)」と石つぶてを投げたくなる。

無人のこいつは丘の上と下にある駅、どちらかに停車しており、乗る際に呼び出すシステムである。

だが宿泊中、ただの一度も「ラッキー!こっち側に止まっててよかったね!」という事態に恵まれることはなく、常に10分とか平気で待たされた。常日頃の行いのむくいだろうか……。

6人乗りのモノレールから、きらめく瀬戸内海を眺める男たち。左はホテルマンだけど、右の男性二人は……??(内一人は英語しか話せない東洋系外国人)

「男がこんなホテルに友達同士で来るかなぁ。ぐへへへ」と言うと、Sに「まあ、先生と助手ということにしときましょう」と冷たくいなされた。

無駄に広い部屋つきテラス。夏ならばここで酒を飲んでも楽しそうだが、クリスマスまであと一週間という季節においては、ただの自殺装置。うっかり凍死しないように。

なお、ここを探検していると隣の部屋(スイート)とつながってたからびっくり!隣の人が写真左の男二人じゃなくてよかった……。(男女カップルでした)

宿泊客は一般公開が終わった夜中のミュージアムを、思うさまウロウロし放題。ブルース・ナウマンの代表作「100生きて死ね」だってひとりじめできるんだ。

安藤忠雄設計による、ドーム状ホールのど真ん中にぽつんと置かれたブルース・ナウマンをヒマそーに眺めるS。
時は夜の10時。この上なく贅沢な時間である。もうストレスフルな日常には戻りたくない……。

オーバル棟は池をぐるりと取り囲む形で、6つの客室とオーバル宿泊客専用のバーが配置されている。

泥酔なう。ナルキッソスのマネをしたなんて、ぜんぜん覚えないんスけど……。

ソファーからムクッと立ち上がったのは夜中の3時。
ガンガンする頭を押さえながら眺めた海の向こうには、四国の灯りがゆらめいてる。

屋上から眺める夜明けの瀬戸内海。
頭上に365度広がる空を見るのは久々で、朝の冷たい空気が体に染みいり、浄化されるような爽快感を覚えた。

夜明けのオーバル池

池の上の空

太陽が昇った。草が枯れていない時期ならもっと綺麗かな。

水面に青空が映っていたよ

テラスレストランからの風景。おだやかに見えるが海辺の紫外線あなどるべからず。

はじめこそ「気持ちいいねー」と喜んでいたけど、だんだん炭火でじりじりあぶられる焼き鳥の気分になってきたので、店のおねえさんにブラインドをおろさせる羽目に……。

チチチチチ……(=´ω`=)管理人、ワンコ至上主義ですがニャンコも好きです。

“街プロジェクト”の中央部にあるうどん屋フロントにて、もの欲しそうに待機していたネコの名前は「クロちゃん」。ダイレクトすぎていっそすがすがしい

2012年12月19日(水)

今日は気分がいい。昨日にはついに限界を感じて「もうアカン、明日になったら精神科に行こう……」と思うまでに切羽詰まってたのに、うつってこれほどまでに波があるものなのかねー。

ただ、この四ヶ月というもの、「もうアカン、もう限界!」と思いつつ、うって変わって元気な日もあるせいで、「もうちょっと様子を見よう」とだましだましやってきたものの、このまま快方に向かう気がしない。

むしろうつモードの絶望ぶりが日を追って深くなっているあたりを見ると、今日みたいに調子のいい時を見計らって、ちゃちゃっと病院に行くべきかもしれないよね……と言いつつも、やっぱ西洋医学で脳をいじってもらうのは最終手段にとっといて、とりあず整体の予約を入れるのだった。


昨日まで「ついに限界か?」と思った理由、それは週末、びっくりするほど楽しい経験をしたというのに、そのさなかにあってさえ、何度も絶望感とそれに伴うパニック障害みたいな体のふるえと恐怖心に襲われたからだ。

はるばる東京から大好きな友人Sが来てくれて、一緒に009 RE:CYBORGを観て直島に旅行して、アーティストが手がけた素敵なホテルに泊まって、美味しいものを食べて、芸術にも自然にも触れる最高にぜいたくな旅をした。

むちゃくちゃタイトなスケジュールもなんとかこなせて、予報では雨だったのにお天気にも恵まれ、春みたいにあったかくてこの上なく心癒された。

だというのに、「この世界にはもう父はいないんだ」と気づくともう駄目で。轟音を立てて襲ってくるうつの波。

「アカンSさん……またうつ来たわ……」なんて唐突に言われる方はたまったもんじゃなかろうて。それでも黙って私の繰り言を聴いてくれた彼女には、ただただ感謝するばかり。

まあ相変わらずこんな感じで悶絶してます。それでも整体に行ったら少しは良くなるはず。一回1800円の治療費がキツくてしばらく行ってなかったんだけど、ゼニより健康が大事だよね。

あとは整体に通って様子を見つつ、それでも駄目ならお次は婦人科で更年期障害の治療をしてみます。

↑べろんべろんに酔っぱらってます。コンタクトも外さず着替えもせずにこのまま寝てしまった。うつの人とはとても思えない荒ぶりようだ。

直島で宿泊したベネッセハウスのお部屋。デイヴィッド・トレムレットが壁画を制作。広い、そしてお高い。

部屋からのぞむ瀬戸内海。この窓はリモコンでグイーンと全面開放できるのに、さぶいから利用する機会がなかったのが残念。

2012年12月13日(木)

おひさしぶりです。こちらの更新停滞ぶりをご覧いただければお分かりの通り、相も変わらず地を這うような精神状態。日にち薬とよく言うけれど、おいおい〜!もう4ヶ月にもなるのに一体いつになったら気力が戻るんだ?と逆ギレしたくなる。

仕事にはちゃんと行ってるし、ダルくてたまらないけど週に二日はジムにも通ってる。でも、それ以外はなにをする気もおこらない。ここの更新はおろか、メールも書けない、DVDを見る気も本を読む気もないままに、9時になったら寝てしまう非効率的な毎日だ。

せっかくの人生をこんな風に無為に過ごすなんて、ものすごくもったいないことだと思いつつも、気力がついてこないんだ……。一日一日を杖につかまりゼイゼイいいながらよろめき歩いてる感じ。生きる事がこんなにキツいと思ったのは、多分生まれてはじめてだわー。

仕事には行けて、何度も目覚めるけど夜になると最低5時間くらいは眠れていて、食欲も落ちたとはいえぜんぜん無いことはない。ただ空虚さだけが耐え難い。

一時は精神科にかかることを勧められたけど、今のこの状態も立派なうつ病の症状なんだろうか?そう思いながらも、この虚無感は薬で治す類のものじゃない気もするんだよね。

毎日が耐え難く辛くて、8割くらい絶望している。管理人が一体どうすれば生きてゆく気力を取り戻せるのか、誰かいい方法思いついたら教えてください。

←先日ここでふれた「表紙買いしてだまされた本」とはこいつです。カバーはこんなに天使っぽいのに、ページを開くとどいつもこいつもチ○コ、ビーン!!!

これが元気な時なら「あらあら、いたずらっ子がいっぱい!」と笑って済ませるところだが、弱った時にビーン!!はキツい。……とぼやきつつ、も一度そっと開いてみる出勤前。さあ、今日もがんばってゼニかせいできます。ゼイゼイ……。

2012年12月6日(木)

おはようございます。今日もなんとか生きてます。
毎朝5時に目が覚めて、後悔と不安(主に母の件で)に悶絶するのは、これはもう個人の努力では改められないと分かったもので、ジムや風呂と同様に、日課の一種ととらえて受け入れるようにしています。まあしんどくないと言えば嘘になるけどな……。

有り難いことに近々、大好きな友人がはるばる東京から慰問に来てくれるので、当面はその計画を立てるのに一生懸命。正月休みの旅行もずんずん迫ってきていることだし、うだうだ言わずにがんばりますわー。

まぁ!98円でこんなにキレイなおダイコン!
このぴしっとぶり、一本一本品出しする店員さんの後ろ姿が目に見えるようだ。

暴れん坊のホッケー選手が妖精界に殴りこみ!元プロレスラーのザ・ロックが妖精の羽では飽きたらず、ピンクのチュチュまで着させられており、過ぎたるは及ばざる感いっぱいの作品。痛々しい気分を味わいたい方にはおすすめです。

2012年12月5日(水)

下の日記を書いた後、夜中にきっちりマヤが吠えまくりました。翌朝、ソッコーで神社にお参りいきました。それを友人H氏(66才)に話したら、「そんなん読むの、まだまだ早いわ!www」と一笑に付されました……。

気を取り直して豚っこ大将の写真を貼って会社行きます。

マヤを前から見たとき〜

うしろから見たとき〜

ヘボびーねえちゃんに抱っこされてうっとり。リラックスしすぎて足だらーん。

怖くて怖くてたまらないけど興味はそそられる。回りをぐるぐる回っておっかなびっくりワンワン吠えてはいたが、お尻は完璧に引けていた。

会社パソのデスクトップにはこれがいます。私も一緒に寝ちゃダメですか?

あったかいお布団の上でゆたーり。明るい場所でお布団をバタバタすると卒倒するほど舞い立つほこりには、もう目をつぶるしか。

マヤちゃんはとっても新しもん好き。段ボール箱を上げたら早速入ります。風がスースーだからおうちとしての意味はありませんね!

ヘボピーねえちゃんまでぼくのおうちに入ってきた。ちょっといやなきもちになった。 ヘボピーにげてー!(´・ω・`)

2012年12月2日(日)

ヘボピーに勧められて『怪談徒然草』を読んでいる。著者・加門七海さん自身の体験を中心とする怪異譚で、中に収められている「三角屋敷の話」はダントツで怖い。

これ、お姉ちゃんが昔くれたコピーの話の後日談だよ、面白いから読んでみなよ、とずっと言われていた。というのは15年ほど前、「幻想文学」で霜島ケイさん――実際に三角屋敷に住んでいた方が書いたバージョンを読んだ際に、コピーをヘボに押し付けたのである。

この、東京某所のあるマンションをめぐる一連の話は、ホラーとしてよりもむしろ、生きた人間の底なしの悪意が怖すぎて背筋がゾゾゾ。
読後のなんともいえず嫌な感じを独りで抱え込むのが怖かったから、悪しきパワーを分散すべく、22ページ丸々コピーして妹に押し付けた。ひでぇ姉だ……。

そんな古い紙束を今でも持ってるなんて、ヘボもよっぽど興味を引かれたんだなあ。この子、べつに心霊系の話に興味なかったはずなのに……とびっくりしながらも、「面白いよ、読めばいのに」としつこく言われても、頑として拒否し続けていたのが『怪談徒然草』の加門七海バージョン。

だってさ、怪談は元気はつらつな時におっかなびっくり近づくものであって、ちょっと突かれただけで膝から崩れ落ちそうなほどぐにゃぐにゃな自分が読もうものなら、よからぬものに付け込まれかねない。君子というほど賢くはないけど、危うきには近寄らないに越したことはないよね。

だというのに、今日はこわごわ開いてしまった『怪談徒然草』。
父が他界してからこちら、どうしても手に取れなかったものを読む気になったのは、気力が多少は戻ってきたということなのだろうか。
それとも、おととい観た宮古島の古謡をめぐるドキュメンタリー『スケッチ・オブ・ミャーク』のせいかな。影響されやすい私は、ミャークの老人たちが、古木に手を合わせ神様に祈りの歌をささげる姿を見て、心霊や神仏に対する畏敬の念と同時に、軽く親しみのようなものを覚えたからかもしれない……。

話を本に戻す。
読み始めると加門七海さんの体験談はやっぱり面白い。だが怖い。独りの夜に読もうものなら、変なものにバックを取られて「ミキさんうしろうしろー!」なマジこわレベルだ。

でも、今はそれほど嫌な感じはしないので、視界の隅で父の仏前のろうそくがゆらめく部屋、たった独りで読書中。
いや、独りじゃなかった。さっきからぷぅーっ、ぷぅーっと規則正しく聞こえてくるいびきの主が、隣の部屋の座椅子の上で爆睡している。

怖くないのはきっとマヤがいるからだ。
これが自宅で独りだと、お化け本が横にあるだけでもガクブルもんだろうけど、「人間に見えないものが見える」やら「邪をはらってくれる」といわれる霊界セコム的存在・犬族への信頼感、これはでかい。

そういえば先代の愛犬イリ(霊能者お墨付きのラッキードッグ)が死んで三ヶ月後、マヤを我が家に迎えた日の夜中、ほんの赤ちゃん犬だっていうのに、まるで猛獣みたいなものすごい声でたった一声だけ吼えたもんだから、母と私はびっくり仰天して飛び起きたことがあった。

その話を霊感が強い友人にしたところ、「家を守ってたイリちゃんが死んで、家の中のバランスが崩れてたのかもね。それでマヤちゃんが何かを追い出そうと頑張ったのかも」とさらっと言われて、売れ残りの茶色い子犬をちょっと見直したものだ。

マヤがそんな声で吼えたのは、うちに来た初日が最初で最後。今ではいびきをかくのがお仕事。
ただ、そんな鈍感ドッグがこのところ、夜11時とか12時に突然タタタ……と走っていって、玄関に向かって気迷いがちに「うぉん」と小さく吠えることがあるのは、ちょっと気味悪いんだよね……。

……と夜の12時にこんなこと書いてると背中がゾクゾクしてきたもんで、八幡さんのお札に手を合わせてから、マヤを無理やり抱っこして布団に入ることにする。玄関の盛り塩も設置完了!

なお、加門七海さんの本を読んで、古代エジプトからみで「なるほど!」と膝を打つところがあったもので、次はそのあたりのことを書かせていただきたい。