2012年12月28日(金) ☆☆☆こわいわるいいぬのおはなし☆☆☆ ぎゃわん ぎゃわん うおおおおおん おやおや、おそろしいなきごえです。いったいどこからきこえてくるのでしょう。 ぎゃわん ぎゃわわーん がりがりがり ぎゃわわわーん どうやらこえはぱんだどうぶつびょういんからきこえてくるようです。 ぎゃわん ぎゃわん うおおおおおん がりがりがり こえがするほうをたどってみると、ちゃいろくてむくむくしたいぬが、びょういんのおくにある、おりのなかでないていました。 「こわいよう」 おねえさんとびょういんにきたうさぎがふるえています。 あまりにもおおきなこえでないたので、のどはかれています。おりからでようとしてゆかをひっかいたので、つめはわれています。 それは、おねえちゃんたちがまやちゃんをおいて、がいこくにいってしまったからです。だからさびしくてかなしくて、まやちゃんはこんなにほえているのです。 ぎゃわん ぎゃわわーん がりがりがり ぎゃわわわーん まやちゃんがあまりにもあばれるので、とうとうせんせいがいいました。「しかたがない、さいあみらーるをつかおう」 あれ?あれれれ? まやちゃんがそうおもったしゅんかん、ちくっとおしりがいたくなって……。 ちんせいざいをちゅうしゃされたまやちゃんは、ようやくなくのをやめておとなしくなったのです。 そんな短期間でさえ大騒ぎした、甘えたでさびしがりでわがままなふとったコッカースパニエルを、11日間も預けることに不安はあった。それでもそこまで長期になると、さすがに諦めて慣れるだろうと思った私は、不二家ミルキーより甘かった。
だからイスラマバードから乗り換え地のバンコクに到着した時には、まっさきに病院に電話したのだ。どれもこれもクレジットカード使用不可能な中、やっと見つけた一台の、凶悪に雑音が多い空港の公衆電話から……。 「すみませーん!はい、現地トラブルで帰国が遅れてて……明日には迎えに行けますので、はい、はい……で、マヤは元気ですか?」 死ぬほど気になるが飛行機の離陸が迫っており、別の電話を探す時間はない。バンコクから次の乗り換え地、香港までのキャセイパシフィックでは、心配のあまりビールがまずかった。 そして香港。ここでもまた電話機がクレジットカードを認識してくれず、あちこちの電話で何度もトライしてようやくつながった。 すると受話器に食いつきそうな私の気も知らぬげな看護士さん、のんびりした感じでいわく「マヤちゃん、元気なのは元気なんですが、さびしくてゲージから出ようとして、爪が割れて出血したので処置しました。あと、さっきいただいたお電話でなにか感じたんでしょうね。ひどい興奮状態になったので、鎮静剤を打ちました」 な、なさけねぇ!!!
<補足> どうやらあっちの電話機でもこっちの電話機でも、「このカードは使えません」「オペレーターにおつなぎします(そのまま切れる)」のアナウンスを聞かされまくった間の通話料も、ぜんぶ加算されていたと見える。もうカードではぜったい国際電話しないぞ!
それでは、いってきま〜す。
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2012年12月27日(木)
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2012年12月26日(水) TSUTAYAで発見したアルバムジャケット。韓国のバンドだそうだが、このいでたちで「クオリティ重視」と言われてもにわかには信じがたい。特にオンドリみたいな左の人!拒否権はなかったのか? 天皇陛下の誕生日もイエスさまの誕生日も終わり、いよいよ年末が迫ってきた。リア充の人もそうでない人も、クリスマスを含むこの三連休、短い人生をせいいっぱい謳歌されただろうか。 三連休に管理人はなにしてたかというと、22日:母の見舞い 23日:実家の配管掃除立ち会いをしてから酒飲んで夕方5時就寝。 24日:16時間睡眠の後、8時起床。凶悪に寒い公園で犬とお遊びの後、犬を洗って一人と一匹でクリスマスパーティー、と変わらぬうつとの闘いを繰り広げつつも、最低限しなきゃならないこと、すなわち犬孝行だけは完遂した。 だって父が亡くなってからマヤは、朝8時から夜8時までひとりぼっち。せめて休日くらいは一緒にいてやらないと、あまりにも可哀想だからね。 だがそんな可哀想な犬を、さらに気の毒な目に遭わせなくてはならない日が刻一刻と迫っており、それに伴って私もますます憂鬱になってきた。 前回のはじめてのお泊まり──5月のパキスタン旅行の際、ホテルでマヤがどんな風に荒ぶったかは、帰宅後に書かせていただきたい。 |
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2012年12月21日(金) マヤ暦によると地球最後の日。午前7時57分時点では大丈夫だが、まだまだ気は抜けない(笑) 整体がきいたのだろう。昨夜は朝5時に目覚めただけで、すこし悩んだ後にすぐにまた眠れたよ。悩み方もおとといほどまでの、内臓がでんぐりかえるような苦しさと比べるとぜんぜん楽!やっぱしばらく通おう、N接骨院。 で、5時に起きた時にちょっぴり自己分析してみた。どうして自分は父を失ってこれほどまでに苦しいのだろう?と。 そのために、生まれたときからの自分を詳しく知る唯一の人である父が世を去ったことによって、自分にまつわる最重要な記録も失われた、ということがショックを大きくしている原因だと思う。 人のありようを構成するものは主に個々の記憶だと考えるが、今の私からはその大半が失われて、体に大きな穴が開いてしまったみたいだ。 そして私に耐え難い後悔と苦悩をもたらしている一番の理由は、「父にはまごころを尽くしてやらなかった」ということ。これに尽きる。 自画自賛みたいでいやらしいけど、私は常日頃から人にも生き物にも、まごころをもって接することを心がけている。 それでも父が去る少し前に大きな気づき(この表現あんま好きじゃないのだが)があったのだ。 「自分にとってこの世で一番大切なのは、父と、母と、マヤであって、仕事もお金も恋愛もどうだっていい」。 だからこそ悔しくてたまらなくて、自分を憎むしかなかった。
こういう心のゆとりのある時にこそ、守るべき者が母と愛犬しかいなくなった自分が、これから先の残りの人生で、何に対してまごころをもって尽くせるのか?と思いをめぐらしてみて、来るべきうつモードを撃退すべく準備した方がいいのかも。 |
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2012年12月20日(木) 整骨院に行ってきた。おかげさまで気分(ホップ)爽(ステップ)快(ジャンプ)!!! ずっと悩まされていた、熱い手で首筋をつかまれるみたいな圧迫感と目のかすみ、それから肩のしびれが現時点ではきれいさっぱりなくなってるよ。 おまけに体のねじれが取れてまっすぐ立てているからだろうか。おろして三日目にして、生まれてきたことを呪うほど足が痛くなり、あーあ、これはまた誰かにあげるしかないなあ……とうつを加速させやがったメレルのスニーカー(1万5千円)も、別人ならぬ別靴みたいに足を優しく包み込んでいる。 今日の昼に靴屋で計ったら、左の方が右よりも一センチも大きくなっていた足だって、今ではきっと左右同サイズに戻っているにちがいない。 私が一番辛いところは、首と肩の線が交差するあたりの背骨のすきまなんだけど、それはストレスがたまるとてきめんに悪くなる部分らしい。 このところタイガーマスクのエンディングテーマより暗かった反動もあって、明るすぎる自分がこわい。まあ脳味噌にダイレクトに効く薬を飲んだわけじゃないから大丈夫だとは思うが……。 で、この前向きなフィーリングの間になにかやっとくか、と考えた結果、ペシャワール会に入会することにした。 ……ってことで、明日になったら会費、送金してきまーす。そいでもって三連休は父にローソクと線香を捧げつつ、アフガニスタン&パキスタン関連書を読んで心静かに過ごすことにしよう。 <直島・ベネッセハウスにいってきました>
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2012年12月19日(水) 今日は気分がいい。昨日にはついに限界を感じて「もうアカン、明日になったら精神科に行こう……」と思うまでに切羽詰まってたのに、うつってこれほどまでに波があるものなのかねー。 ただ、この四ヶ月というもの、「もうアカン、もう限界!」と思いつつ、うって変わって元気な日もあるせいで、「もうちょっと様子を見よう」とだましだましやってきたものの、このまま快方に向かう気がしない。 むしろうつモードの絶望ぶりが日を追って深くなっているあたりを見ると、今日みたいに調子のいい時を見計らって、ちゃちゃっと病院に行くべきかもしれないよね……と言いつつも、やっぱ西洋医学で脳をいじってもらうのは最終手段にとっといて、とりあず整体の予約を入れるのだった。 はるばる東京から大好きな友人Sが来てくれて、一緒に009 RE:CYBORGを観て直島に旅行して、アーティストが手がけた素敵なホテルに泊まって、美味しいものを食べて、芸術にも自然にも触れる最高にぜいたくな旅をした。 むちゃくちゃタイトなスケジュールもなんとかこなせて、予報では雨だったのにお天気にも恵まれ、春みたいにあったかくてこの上なく心癒された。 だというのに、「この世界にはもう父はいないんだ」と気づくともう駄目で。轟音を立てて襲ってくるうつの波。 「アカンSさん……またうつ来たわ……」なんて唐突に言われる方はたまったもんじゃなかろうて。それでも黙って私の繰り言を聴いてくれた彼女には、ただただ感謝するばかり。 まあ相変わらずこんな感じで悶絶してます。それでも整体に行ったら少しは良くなるはず。一回1800円の治療費がキツくてしばらく行ってなかったんだけど、ゼニより健康が大事だよね。 あとは整体に通って様子を見つつ、それでも駄目ならお次は婦人科で更年期障害の治療をしてみます。 ↑べろんべろんに酔っぱらってます。コンタクトも外さず着替えもせずにこのまま寝てしまった。うつの人とはとても思えない荒ぶりようだ。
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2012年12月13日(木) おひさしぶりです。こちらの更新停滞ぶりをご覧いただければお分かりの通り、相も変わらず地を這うような精神状態。日にち薬とよく言うけれど、おいおい〜!もう4ヶ月にもなるのに一体いつになったら気力が戻るんだ?と逆ギレしたくなる。 仕事にはちゃんと行ってるし、ダルくてたまらないけど週に二日はジムにも通ってる。でも、それ以外はなにをする気もおこらない。ここの更新はおろか、メールも書けない、DVDを見る気も本を読む気もないままに、9時になったら寝てしまう非効率的な毎日だ。 せっかくの人生をこんな風に無為に過ごすなんて、ものすごくもったいないことだと思いつつも、気力がついてこないんだ……。一日一日を杖につかまりゼイゼイいいながらよろめき歩いてる感じ。生きる事がこんなにキツいと思ったのは、多分生まれてはじめてだわー。 仕事には行けて、何度も目覚めるけど夜になると最低5時間くらいは眠れていて、食欲も落ちたとはいえぜんぜん無いことはない。ただ空虚さだけが耐え難い。 一時は精神科にかかることを勧められたけど、今のこの状態も立派なうつ病の症状なんだろうか?そう思いながらも、この虚無感は薬で治す類のものじゃない気もするんだよね。 毎日が耐え難く辛くて、8割くらい絶望している。管理人が一体どうすれば生きてゆく気力を取り戻せるのか、誰かいい方法思いついたら教えてください。 ←先日ここでふれた「表紙買いしてだまされた本」とはこいつです。カバーはこんなに天使っぽいのに、ページを開くとどいつもこいつもチ○コ、ビーン!!! これが元気な時なら「あらあら、いたずらっ子がいっぱい!」と笑って済ませるところだが、弱った時にビーン!!はキツい。……とぼやきつつ、も一度そっと開いてみる出勤前。さあ、今日もがんばってゼニかせいできます。ゼイゼイ……。 |
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2012年12月6日(木) おはようございます。今日もなんとか生きてます。 有り難いことに近々、大好きな友人がはるばる東京から慰問に来てくれるので、当面はその計画を立てるのに一生懸命。正月休みの旅行もずんずん迫ってきていることだし、うだうだ言わずにがんばりますわー。
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2012年12月5日(水) 下の日記を書いた後、夜中にきっちりマヤが吠えまくりました。翌朝、ソッコーで神社にお参りいきました。それを友人H氏(66才)に話したら、「そんなん読むの、まだまだ早いわ!www」と一笑に付されました……。 気を取り直して豚っこ大将の写真を貼って会社行きます。
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2012年12月2日(日) ヘボピーに勧められて『怪談徒然草』を読んでいる。著者・加門七海さん自身の体験を中心とする怪異譚で、中に収められている「三角屋敷の話」はダントツで怖い。 これ、お姉ちゃんが昔くれたコピーの話の後日談だよ、面白いから読んでみなよ、とずっと言われていた。というのは15年ほど前、「幻想文学」で霜島ケイさん――実際に三角屋敷に住んでいた方が書いたバージョンを読んだ際に、コピーをヘボに押し付けたのである。 この、東京某所のあるマンションをめぐる一連の話は、ホラーとしてよりもむしろ、生きた人間の底なしの悪意が怖すぎて背筋がゾゾゾ。 そんな古い紙束を今でも持ってるなんて、ヘボもよっぽど興味を引かれたんだなあ。この子、べつに心霊系の話に興味なかったはずなのに……とびっくりしながらも、「面白いよ、読めばいのに」としつこく言われても、頑として拒否し続けていたのが『怪談徒然草』の加門七海バージョン。 だってさ、怪談は元気はつらつな時におっかなびっくり近づくものであって、ちょっと突かれただけで膝から崩れ落ちそうなほどぐにゃぐにゃな自分が読もうものなら、よからぬものに付け込まれかねない。君子というほど賢くはないけど、危うきには近寄らないに越したことはないよね。 だというのに、今日はこわごわ開いてしまった『怪談徒然草』。 話を本に戻す。 でも、今はそれほど嫌な感じはしないので、視界の隅で父の仏前のろうそくがゆらめく部屋、たった独りで読書中。 怖くないのはきっとマヤがいるからだ。 そういえば先代の愛犬イリ(霊能者お墨付きのラッキードッグ)が死んで三ヶ月後、マヤを我が家に迎えた日の夜中、ほんの赤ちゃん犬だっていうのに、まるで猛獣みたいなものすごい声でたった一声だけ吼えたもんだから、母と私はびっくり仰天して飛び起きたことがあった。 その話を霊感が強い友人にしたところ、「家を守ってたイリちゃんが死んで、家の中のバランスが崩れてたのかもね。それでマヤちゃんが何かを追い出そうと頑張ったのかも」とさらっと言われて、売れ残りの茶色い子犬をちょっと見直したものだ。 マヤがそんな声で吼えたのは、うちに来た初日が最初で最後。今ではいびきをかくのがお仕事。 ……と夜の12時にこんなこと書いてると背中がゾクゾクしてきたもんで、八幡さんのお札に手を合わせてから、マヤを無理やり抱っこして布団に入ることにする。玄関の盛り塩も設置完了! なお、加門七海さんの本を読んで、古代エジプトからみで「なるほど!」と膝を打つところがあったもので、次はそのあたりのことを書かせていただきたい。 |