2012年11月30日(金)

本日はいつにも増して絶不調。
いつもならベランダのオシロイバナ(タネを拾ってきて埋めたら芽が出たから育ててる)に水をやりながら、燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びれば「気を取り直してがんばろー!」と思えるのに今日はダメ。

「うつに効く」と人気の一箱5万もする漢方サプリを飲んでもダメ。
納豆とフルーツタマネギのオムレツを作って、きちんと朝ご飯を食べてもぜんぜんダメ。まるでウォートラン最終面の地下水道でライフポイント残り2、ポケットには百円玉ゼロって状態くらいしんどい。

胸の奥に固まりができたみたいで吐きそうなのは、たぶん今朝みた夢が原因だ。
目覚める直前に父が普通に生きててさ……。「あっ!これまでのことはぜんぶ夢だったんだ!また元通りの生活に戻れるんだ!」って体が震えるほど嬉しくて、踊り出したい気分で目が覚めたらそこにはいつもの世界。
有頂天から一気に突き落とされるものすごいガッカリを毎日繰り返してたら、そりゃあ疲れもするわな……。

映画に行ったりメールを書くだけの気力は出てるから、表面的には回復基調かな?と思う一方、部屋の掃除や身だしなみができなくなってきた。物忘れもひどくなって、若干仕事に支障が出てきた。

人にはこういう時、「大丈夫、心配しないで」とギュッとしてくれる、トモエ(009の少女キャラ)みたいな存在が必要なんだなぁと、しみじみ思う秋の朝。
11月も今日で終わり。父が逝ってから丸3ヶ月。地を這いずるような青息吐息の日々だったけど、そうそう死ぬわけにはいかないなら生きていくしかない。ならしっかり生きないと損だとは思うものの、精神の制御ってむつかしいもんだ。

2012年11月27日(火)

毎日毎日ブルーな文面で、ここをのぞいてくださる方には「こいつまだ引きずってるわ……いい加減立ち直れよ!」と思われていそうで申し訳ない限り。

それでも、親に死なれた人間がこんな風にダメダメになるんだという、これもひとつの参考というか、先生になった気持ちで、小学生が書いた観察日記を読むように眺めて頂ければ有り難い。きっと「あさおきたらかぶとむしはしんでいました」みたいなバッドエンドにはならないと思うから……いや多分。

もう本当に、親が生きている人がうらやましくて仕方がない!どんなお金持ちよりも、親と「今日の味噌汁、アサリが大きいね」みたいなどうでもいい話ができる人が、背後から六角レンチで殴打したくなるほどうらやましい。

管理人の胸をかきむしるこの懊悩が多少なりとも伝わって、確実にやって来る未来へのおののきを覚えた方は、親御さんが健在ならば、今からこれでもか!というくらい大事にしておきましょう。
親孝行にやりすぎはない。どうしたって絶対に後悔するものだろうけど、後悔は少な目の方があとあとの人生は楽にきまってるぜ。


今朝も夜明け前に目覚めてしばし悶絶。起きてしまうと比較的楽なのだが、目が覚めて立ち上がるまでの辛いこと!
起きればいいと分かってるのに、体が水を吸った綿みたいに重くて動かない。その間中、後悔と思慕の念が頭の中でぐるぐる。邪悪ななにかが私をベッドに縛りつけて、廃人にしようと企んでるみたいだ。

立て!立ち上がれ!立ち上がれ自分!と必死で己を鼓舞しているうちに、唐突に思い出したのは平沼赳夫@たちあがれ日本……ではなく、サッカラにある最も古いピラミッの内部に刻まれたヒエログリフの文言。

「彼(王)は立ち上がる 立ち上がる 立ち上がる 立ち上がる……」「彼は 天に昇る 天に昇る 天に昇る 天に昇る……」と延々と繰り返される神の文字。いや、現代の一般日本人が天に昇っちゃまずいわけだが。

……とこんな風に、今朝も覚醒→悶絶→葛藤→起床、という苦悩コースを経た結果、こうして出社ギリギリにパソコンに向かっている。
毎朝のニーチェ的闘いが恒例になってくると、いっそ枕元にCDプレイヤーを置いて、「あー、また来たわー」と思ったら即座にBGMを流したろかとも思ったり。流すのはもちろん「ツァラトゥストラはかく語りき」。いや、ワーグナーの方がいいかなあ。

けれど毎朝そんな曲で目覚めていると、妙な方向に喝が入った結果、「資本主義の豚どもに天誅を!」と叫びながら火炎瓶片手にゴールドマンサックスに突っ込みかねないので、気合い注入のミュージックはアニソンあたりで止めておきましょう。

2012年11月26日(月)

すみません。立ち直れたと思ってましたが完璧に勘違いでした。早朝に目覚めては苦悶を繰り返すうちに、気力も体力も日を追って低下してきた感じがする……。
まあ夜9時には睡魔に負けて寝ちゃうので、睡眠時間は健康優良児並に取れてるし、食事もきちんとしているから、メンテナンスが行き届いているということを元気と言うのなら一応は元気だが。(ジェットのマネしてみました)

この苦しみはかけがえのない家族を失った人間の多くが抱くもの。理由ははっきり分かっている。だから精神科にかかるのはちょっと違う、と考えるだけの客観性は取り戻せたので、一時に比べると快復しているのだろうか?

だが一方で、死んでしまった人は生き返らないなら、延々と嘆き続けるのも無駄だとは分かりつつも、人の心ってそう簡単に制御できるものではないと痛感している。毎日つらくてつらくて、「悲嘆のあまり死んでしまった」というギリシア神話っぽい死に方を「ウッソでぇ〜!(笑)」とあざ笑えない。

老いた親を失った人の心が平均何ヶ月くらいで落ち着くのか、どこかで知ることはできないだろうか?よく「親に死なれた場合、三回忌でようやく落ち着く」と耳にするが、このしんどさが三年も続くかと思うと絶望しそう……。

自分の嘆きっぷりは過剰なのか?それともみんなこんなに苦しむものなのか?そのあたりを知ることができれば、お先まっくらに思える未来に多少の灯りが見いだせそうに思う。

夫や子供のいる人は比較対象にはならない。40代独身女性、きょうだいとは別居、甥も姪もいないという類似データがあれば、誰か知らせていただきたい。

←大阪駅前ビルのトイレにて採取。「見なします」より硬派なのはいいけど、「おれば」がすべてをぶちこわしている。

2012年11月22日(木)

今日も4時に目が覚めた。それから2時間近く父のことが思い出されて眠れない。少し前だと心は後悔でいっぱいだったけど、今は自分が愛し守るべき対象はもうこの世にいないのだ、という虚無感で押しつぶされそうだ。

あまりにも辛いから、これなら無理に寝るのはやめよう……と5時半だけど起き出したよ。人間、睡眠不足でも死なないよね。それに明日から三連休、だるければ一日寝てればいいんだから。

部屋を片づけてから、朝食(キノコ鍋)をモグモグしつつ79年版サイボーグ009のDVDを鑑賞。為替ボードを見てひとしきり断末魔の悲鳴を上げ、気を取り直しヤフオクの落札者に取引連絡。
そうこうするうちに朝日がのぼり、ペルシャ絨毯のヤケには目をつぶってカーテン全開!日光を浴びるとちょっぴり気分がよくなった。今日も一日がんばろー!

出社までもうちょっと時間があったから、海の向こうから届いたばかりの脱ぎたがり男子写真集をチェック。
だが、表紙買いしたそれらの本は、予想に反して中身がダークチョコレート。褐色〜黒色の肌の色のモデルにレザー、ボンテージそして毛をトッピング。そんな彼らの股間では、
チ○コ、ピーン!爽やかな気分も吹っ飛んだ……。うぐぅ……オイラあんま好きじゃないんだ、もろ出しは。

そんなわけで、為替と毛むくじゃら男の影響でまたしてもうつ状態に逆もどり。ぜいぜいいいながら生きてます。あー、生きるのって辛いワー(口ぐせ化)。

2012年11月20日(火)

目覚めたのは朝5時前。それから父にしてやらなかったことの後悔で、眠ろうとしても眠れない。でも起きようとしても体が動かない。そうこうするうちにどんどん時間は過ぎてゆき、あっという間に朝7時。

こんなに辛いのにあなたは!まだ!会社に行けと言うのか!答えてもらいたい!!神よ────っ!!!!!

……と独り009ごっこで気合いを入れて起きたところです。人生ってしんどいものですなー。


餌付けされたイノシシ「タロウ」の一生

高座の滝〜芦屋ロックガーデンにかけての登山道に、ハイカーの持つリュックサックを奪う雄のイノシシが出没するようになり、平成21年末には被害報告が寄せられるようになりました。

このイノシシは、ハイカーやロッククライマーの間では「タロウ」と呼ばれ、よく知られていました。

タロウの親もその親も人からエサをもらったり、奪ったりすることによって生活してきたことから、タロウは自分で植物の根を掘ったり、ミミズを食べたりする本来のイノシシのエサのとり方を覚えませんでした。ハイカーを襲ってリュックサックの中身を失敬するしか食べ物を得る方法を知らないある意味かわいそうなイノシシでした。

タロウは成長するにつれて、ハイカーを襲う頻度やそのやり方がエスカレートし、平成22年5月以降は、マスコミで「イノシシ相次ぎ人襲う」「イノシシリュック奪い堂々『完食』」「追いはぎイノシシ、登山者襲う」等の見出しで大きく報道されるようになり、タロウはその仕業のひどさから「ゴンタ」や「ゴンタロウ」とも呼ばれるようになりました。

被害が続出することを受けて市は平成22年9月、法律に基づき有害な獣として駆除しました。イノシシにエサを与えていると、イノシシが人を恐れなくなり、人を脅して食べ物を奪うようになってしまいます。餌付けが結果となってタロウを殺すことになってしまったのです。

うぉぉおおおお──っ!!タロォおぅおおおぉ──っっ!

……とこのようなにっぽんむかしばなし的な市の広報ペーパーが郵便受けに投げ込まれる我が家は、べつだん山の中ってわけじゃない。K市メイン駅から徒歩9分、ゆるぎなき市街地である。

だが、10年ほど前から深夜や早朝に犬の散歩をしていると、ちょくちょく生ゴミをあさるイノシシの姿を見かけるようになった。
そんな時には腐っても猟犬。先祖の血が騒ぐのか、誇り高き砂漠のハンターである亡きイリはもちろんのこと、甘えたデブのコッカースパニエル・マヤさえもが、一心不乱に生ゴミをモグモグやってる茶色い固まりに突進しようとするもんで、危なっかしくて仕方ない。「牙で突かれたらアンタ死ぬよっ!」と犬を叱りつけながらそっと迂回する。

先日も早朝、山のふもとの遊歩道を散歩していると、突然耳をぴくっとさせて、犬が一目散にダッシュした。
野良ネコか?と思ったら、柵の向こう側から親しげにこちらを見つめている生き物は、ネコの20倍ほどでかい。子連れのイノシシだ!

イノシシたちはブヒブヒ鼻を鳴らしながらしばらくたちずさんでいたけれど、何もくれないことが分かると静かに山へ帰っていった。
その後ろ姿を見るとなんともいえずわびしげで、思わずコンビニにパンを買いに走りそうになったけど、「K市いのししの出没およびいのししからの危害の防止に関する条例 第4条1項」が思い起こされて、鬼の心を取り戻した。

イノシシは普通4.5匹のウリ坊を連れているものだが、この母イノシシにくっついていたちょっと大きな子供はたった一匹ぽっちだったのが、生きていくことの厳しさを示しているようで、なんだかとても寂しくなった。

広報ペーパーより。ぼたん鍋が30人前は取れそうな立派な体格のイノシシが、クリーンステーションでお食事中。

角を曲がったらいきなりこんな光景が展開してると、やっぱびっくりするもんです。

イノシシにエサを与えてはダメ!ぜったい!
それにしてもこのウリ坊、親をコピー→縮小→彩度&明度変換→ちょちょっと線を書き入れてペーストしただけのすごい手抜き技だ!

まやが なにかを みつけた! A:にげる B:みにいく

Bを選択するとこんなイベント発生。静かに鼻を突きだして、ブヒブヒいっていた。

2012年11月15日(木)

去る11月6日はマイバースデー。かつてはバリバリにおしゃれしておフランス料理を食べに行くハレの日だったけど、年中がら年中気分がケの今、化粧する気すら起こらない。だからわんことサシで粛々とおうちdeバースデー。

マヤにはトリのもも肉を焼いてやり、あこがれの丸かぶりを許可!父の仏前から持ってきたローソクのせいで、空間が微妙に抹香くさい。

友人がくれたバースデーカード。「これを見つけた時にはめっちゃテンションあがったよぉ!」って……。そいでもってプレゼントは手榴弾型のシャンプー容器。私は一体どういう人間だと思われているのだろうか。

なお、Gジムではこんな感じで股を割って柔軟体操をしているマーベラスなマッチョが鑑賞できます。興味のある方は連絡ください。「友人枠」(利用料千円)で同行します。

またしても微妙に鬱っぽい。他界してまだ三ヶ月経ってないんだから当然と言えば当然のことながら、気温が下がれば下がるほど、父の不在の寂しさが身にしみる。

父は10メーター歩くのすらヨロヨロで、目はほとんど見えなくて、アルツハイマーの妻は家族の顔も分からないまま遠く離れて住み、話し相手はわんこ(噛みぐせあり)のみ。

そんな人をどうしてもっといたわってやらなかったんだろう?という後悔がもう、どうしたってぬぐい去れない。
悪い目も足も治すのは無理なことだけど、ちゃんと話し相手になることによって、もっと朗らかな気持ちで豊かな晩年を送る手伝いができただろうに、と思い始めると、己のことばかり考えていた自分なんか消えてしまえ!って気分になる。

そんな中、昨日たまたま目にしたヤフー知恵袋。父親をなくしたばかりで「来世があるなんてどうしても信じられない。ただ虚しい」という、多分若い女性の相談に対し、自分も家族を失ったという人々が多数書き込んでおり、それを読むと同様の哀しみを抱えた者はいくらでもいるんだ、とちょっとだけ気持ちが安らいだ。

……とここまで書いてタイムアウト!出社しなきゃ。愛する者のために、今日もがんばってゼニかせいできます。

2012年11月7日(水)

バタバタしてます。
海外のクリスマス休暇の関係で、会社は一年で一番ヒマな時期。週三日出勤でもこと足りるほどヒマなのに、どうして用事がぜんぜん片づかないんでしょう。
一時に比べるとかなり体調回復したとはいえ、まだ本調子ではなくて動きがスローなことや、だるくて10時には寝ちゃうせいかな……。
いや、理由は明らか。映画ばっかり観てるせい。なにをって?『のぼうの城』……ウソです。『009 RE:CYBORG』です。二日に一回観てる計算です。うへへー。

「り」と入力すると009 RE:CYBORGと一発変換されるように、愛Macのみならず会社のゲイツ機にまで登録しました。もうアカン……。
ウォートランや遊戯王の時とは異なり、腐萌えじゃないのでどこまで続くかは分かりませんが、今のところは「ジェットまじ天使」とか言ってるのがもー楽しくてたまりません。

今週末は2,3回見に行く予定です。近々東京から友人に来てもらって、009ごっこに付き合わせようと思うほどはまってます。いや、007役は君に譲るからさ、ぜひ頼むわSちゃん(鬼)

すこし前まで太ったトラネコが座っていた散髪屋の窓。しばらく姿を見ないなあと思っていると、ある日を境にイヌに変わっていた。

きっとネコの身になにかあったんだね。ネコ、お疲れさま(´・ω・`)

母の見舞いに隣の島に行った帰り、車のボンネットに花粉だらけのミツバチがくっついてきた。

時速100キロOVERでぶっとばしても風圧に耐え、うちの近所までついてきた彼。やがてぶーんと飛び立ったのはいいが、70キロ先のおうちまで戻れただろうか。

おしゃれなお嬢さん方が集うコスメショップで採取。

「ぷるん」と「ヘビ毒」。これほどまでに食い合わせの悪いニュアンスがあっただろうか。

「スイッチをオンすれば遠くのヒソヒソ話などが聞こえるよ!」
ガチャガチャでよく見かけるのが「盗聴器」。ちょっと前までは携帯電話型だったのに今スマホ。時は激流となって流れても、盗み聞きへのあこがれは変わらない。

犬猫用食べる草。商品名は「犬猫うれし草」、
だが、うちの犬はちっともうれしそうじゃなかったので、一口も食べないままに枯らしてしまった。380円かえせ!!

駐車場の雑草は「やめれ!」と止めてもモリモリ食うくせして、犬猫うれし草を一口も食べない犬。マメみたいな目だ。

もったいないから細かく刻んでエサにふりかけてみた。思わずクックパッドに登録したくなった。

よく火が通っていないトリの胸肉の唐揚げ色のワンちゃん。

ワンちゃんの前足。ピーン!!!

オーナーは誰かは知らないが、駅前の街路樹で自転車チェーンのコレクション。ひとまずかけてあるだけなのか、それとも常設展示品なのか。

2012年11月2日(金)

「雷光と化したヤマタノオロチ」の夢を見てからというもの、まるで憑き物が落ちたかのようにぐっすり眠れるようになったこの一週間。夜中になると廊下がなんとなくイヤな感じだったもので、玄関に置いていた盛り塩も、もう必要ない気がするから取り払った。

そんな中、昨夜は久しぶりに3回目が覚めた。いずれも夢に起こされたのだ。

はじめの夢ではぜんぜん知らない税理士(ちょびヒゲメガネのちっちゃいオッサン)にいきなり押しかけられ、「もうっ!ミキさん資産管理が下手すぎるんだから!」とあれよあれよという間に契約を結ばされて、びっくりするあまり目が覚めた。
管理すべき資産なんぞあるわきゃないけど、税理士や不動産屋とバトルする夢はなぜだかよく見るんだ。前世はリッチマンだったとでもいうのだろうか……微妙に情けない。


二つ目の夢では肉体的にとても疲れた。

今回は安全地帯から「雷光と化した龍」を眺めるのではなくて、雷雨の中を誰かとさまよっているうちに、「ピシャ──ン!」と落雷に直撃されるのだ。

雷を受けた瞬間は夢とはいえ、頭の先からつま先までが引きつるほどの衝撃を受けた。
夢だと分かっているのだが、このまま心臓が止まってしまい、リアル世界では自分はすでに死んでいるのでは?とぼんやり考えるほどだった。

雷に打たれたまま、体が動かず横たわっている。目の前は厚い霧に覆われたようで、何も見えない。ただ「しっかりして!」「死なないで!」という人々の声だけがはっきり聞こえてくる。

彼らの声に答えられないまま、ひょっとして私、幽体離脱してるの?と思って体を見ると、「もう一人の自分の体がはっきり見える」わけでもないから、取りあえずこれは夢なんだと安心しながらムクッと起きて、霧をかきわけながら歩き出すところで目が覚めた。

ここは本当にリアル世界なのか?とふと不安になったから、ソッコーでパソコンを立ち上げて、証券会社のサイトを開いたら、インターバンクはしゃかりき動いており……ギャアアアア──っ!!円安──っ!!(←円高にベットしてます)


三つ目の夢はなんともいえず懐かしい夢。父が蘇るのだ。

父は一度死んでから生き返っている。
病院に行くわ、と玄関先でヨロヨロしながら靴を履こうとしている父に駆け寄って、「お父さん、無理しないで!一緒に行くから!」と肩を支えながら、どうして生きている間にこんな簡単なことをしてやらなかったんだろう?!と思っている。
また、死者が生き返ったら死後硬直は解けるものなんだなあ、と妙にリアルにも考えている。

父と、私と、妹の三人で廊下をゆっくり歩いていって、一気に降りるとしんどいからと階段に腰をおろして父が言った。「そういえば、もうすぐお前らどっちかの誕生日やったな」。
そう言って私を見た父のもうほとんど見えていない目の色は、生きていた頃そのもので、懐かしさのあまり胸が詰まった。

「ちがうよ、マミの誕生日は10月7日だよ」と答えると、「そうか」と笑いながらうなづいて、これは夢だと分かっていても、もう一度父としゃべれるのが嬉しくてたまらなくて、「ああ!」と天を仰いで自分の涙で目が覚めた。
あとに残ったのは、これまでのような身もだえするほどの哀しみの代わりに、なにかしらとても懐かしく暖かい気持ち。

実際にはヘボピーの誕生日は10月7日ではなく4月だし、11月に見た夢で10月のことを「もうすぐ」と言っているのも変だなぁ……とぼんやり考えているうち気が付いた。
父が言っていたのは私のことだ。来週は私の誕生日なんだ!と。

これが潜在意識の見せた夢であろうとも、来世があろうとなかろうと、そういうのはもうどうだっていい。
ただ、もしあの世があるというなら、そこはこことは地続きで、なにかとても慕わしいところに違いないと思ったりした。