2010年12月31日(金)

あっという間に大晦日。株式市場は閉まっているが、為替市場はファイト、いっぱ──っ!!で稼働中、元気いっぱい円高進行中。大晦日くらいはゆっくり休んでくれっつーの、まったく。

あれっ?為替市場って、FXはやめたんじゃなかったんですか?と軽蔑のまなざしで見られること必至だが、やっぱ仕事で毎日為替見ていると、ああー、ここで買っとけばよさげなのに!という誘惑にあらがいきれず、低レバレッジでちょろっと参戦してるのよねえ。私は誘惑には素直に身をゆだねるタイプ。

ただ、以前はこれからますます円高になると読んで、ひたすら円を買っていた。
だが今は国の借金がどんどこ増える結果、いつの日か国債償還が困難になって襲い来るであろう円安を、何年でも腰をすえて待とうかな、と非国民的なスタンスでもって、ドル、ユーロ、ポンドを取り混ぜて買っている。(ポンドは円より危なそうだが・・・・・・)

加えて上がろうと下がろうとうろたえないためにも、各通貨はしっかり脳内擬人化。
ドルはデジタルカモフラージュの軍服に身を包んだ、頼り甲斐たっぷりのマッチョ男子、ルドガー・ハウアー。(ドルフ・ラングレンも可)
ユーロは黒セーターの文学青年。躁(ドイツ、フランス)鬱(ギリシア、アイルランド、スペイン他)の両面性を抱えて心身共に病気がち。ルックス的には、映画史上最高の美男、ジャン・コクトーにも愛された俳優、ジャン・マレーだ。

そいでもってポンドはチェックのフラノスーツに身を包んだ、過去の栄光だけで生きてる英国紳士。リーマンショック前は「ザ・シティー」の金融マンとしてぶいぶい言わせていたが、今は支払いに追われてケツに火がついている。たとえるならば・・・・・・。
いかん!英国=シャーロックホームズの流れで、ロバート・ダウニーJr.しか思いうかばねえ!ポンドがアイアンマンだなんていやだー!(管理人、口ひげ男子は管轄外です)

・・・・・・とけっこう楽しそうだが、ここでも自分の飽きっぽさを再認識。
FX再開はしてみたけれど、以前に比べると我ながらびっくりするほど熱がさめてて、前みたいに朝の4時から狂ったように売買することもなし。低レバレッジで外貨を買ったまま、名目上多少マイナスになろうともまっ別にいーや、そのうち円安になるでしょ、ってゆるい感じでうっちゃってある。
言ってみれば外貨預金の代わりゆえ、またしても心身共にボロボロになるまで為替どもにコマされる心配はないので、そのあたりなにとぞご安心を。

友人と歩いていると、「あっ!ミキさんだー!」と叫んで指さした先にこのポスター。う、ウマ・・・・・・?「高貴さ」がなのか「顔」がなのかは、問いたださずにおきたい。

2010年12月30日(木)

近頃よく、ずっと昔に見たCMのことを急に思い出すのだ。
いま頭の中でぐるぐるしているのは、アマゾネス風のマッチョなレディー、プロレスラーのレジー・ベネットが「ダ・ダーン!ぼよよん、ぼよよん」と胸をゆさぶるピップフジモトのCMと、企業名は失念したけど、セイウチ(アシカだっけ?)の親子が困ってるみたいな顔で手をつなぐバックで、さねよしいさ子の「マルコじいさん」が流れるCM。

「マルコじいさん」は30代以上の方なら、歌詞を聞けばすぐに思い出すんじゃなかろうか。
♪ボラボラの マルコじいさん 酒飲みで貧乏でふにゃふにゃで だれにでも 話すのさ ついてない人生を あれこれと♪って、情けないようなそれでいて愛しくてたまらないような、泣き笑いみたいなCMだった。

そう考えると、年をとったから昔のことが懐かしく思い出されるってばかりじゃなくて、昔のCMってじっさい面白かった。一本の作品として視聴者を楽しませたり考えさせたりする作品が多かった気がする。

日本人がガウディを知るきっかけになったサントリーのアルチュール・ランボーシリーズ、コピーのMitaが正月限定で流していた、人類絶滅後の世界を想わせる光景の不穏なCM(正月早々縁起でもねえ!と言いながら、みんなこのシリーズを楽しみにしていたものだ)、次はどんなコピーを乗せててくるんだろう、とわくわくさせたパルコのCM・・・・・・と、ちょっと記憶をさぐるだけで、もう一度見たいCMは山ほどある。

どうなんだろう、昔のCMって今はほとんどYou Tubeで見られるようになってるのかな?「世界のCMフェスティバル」のDVDを買ってみたけど、日本のCMはほとんど収録されてなくてガッカリしたもんで、You Tubeに上がってるなら嬉しいんだけど。

もしめぼしいCMがYou Tubeで網羅されてるなら、なにをおいてもまっ先に見たいのは、TDKの「電子部品擬人化CM」
電子部品たちがスーツ姿の西洋イケメンと化して、なーんも知らずに携帯音楽プレイヤーをつけてジョギングし、DVDにディスクを入れてロマンス映画に涙を流すマスターに寄り添うという、凶悪なまでにモノ萌えピープルの秘孔を突いてくるCM。私なんかこのCMに惚れすぎて、「ひでぶ!」と叫ぶと同時にTDKの株を買ったほど萌えるシリーズだ。

もしYou TubeでこのCMが見られるなら、速攻知らせて頂きたい。私のMacではようつべは見られないので、譲ってもらったままセットしてないゲイツマシンを、光の速さで設定しますんで。

彼こそ我が心のアルカディア・ミキ的には史上ナンバーワンイケメンのマーカス・シェンケンバーグ(モデルさん)なんだけど、想像してみてほしい。

TDKのCMではこういうタイプのイケメンが10名ほどひしめきあって(ウォークマンやDVDプレイヤーに詰め込まれた電子部品ですから)忠実なまなざしでマスターに仕えてるのだ。おおお!モノ萌えとしてあれに萌えずして何に萌えろというのか!ぜひともリメイクしてくれTDK!

2010年12月30日(木)

マクセルのi-Pod Dockがようやく修理から──正確には修理がきかず代替品が帰ってきたから、2ヶ月ぶりに部屋で音楽をかけているよ。

久々に聞くのはジョン・レノン&ヨーコ・オノかニック・ケイブかドアーズか、それともバンド・オブ・ブラザーズのサウンドトラックか、なににしようか迷った末に、いま再生しているのは「海の上のピアニスト」のサウンドトラック。
この映画、作品全体としてはたまらなく好き!ってほどではないんだけど、ちょっとしたシーンが震えるほど美しくて印象に残ってるのだ。

なかでも一番好きなのは、主人公がひとめ見た瞬間に恋に落ち、世を去るまでひたすらに一方通行の愛を捧げることになる、移民の少女との出会いのシーン。

ピアニストである主人公がピアノの鍵盤に指をかけた時、ふと客船の船室に目をやると、窓から少女の横顔が見える瞬間の、なんという繊細きわまりない美しさ!この世の「善きもの」をかき集めたようなあのシーンには、胸を打たれるあまり涙が止まらなかったものだから、サウンドトラックも入手したんだよね。

うん、今背後でかかってるけど、主人公が彼女に思いをはせて奏でるこの曲──レコーディングした原盤が破壊されたせいで、夢のごとく消え去ったという設定の短いピアノ曲、"PLAYING LOVE"はやっぱり美しい。あー、映画ももう一度見直そうかな。

それにしてこのi-Pod Dockったら!
購入して半年もたたないうちに、突然作動しなくなったから修理に出したら代替品を返してくれて、それから4,5回使っただけなのにまた故障。修理に出したらまたまた代替品・・・・・・。この手の家電って、修理がきかないほどか弱いものなのか?

なんでもi-Podを差し込む部分の接触不良らしいんだけど、やっぱりメイドインチャイナは避けた方が無難なのかねー。価格が2,3千円なら仕方ないかなとも思うけど、一万円近くするんならもうちょっとしっかり作ってほしいもんだ。

震災による火災で打撃を受けた商店街。久々に歩いたら、屋根がなくて鉄柱のみ渡してあったもんで、まさか焼け落ちたままで放置プレイ?と長田区民のおおらかさにおののいた。

だが、10余年経った今でも震災のつめ跡が?なーんて心配ご無用。よく見れば天井にはほろが畳まれており、これを開閉して雨をしのぐのだと判明。
心配するならむしろ、屋根裏の散歩者の方を心配すべきらしい。

2010年12月29日(水)

携帯電話のメモ帳に「鼻毛の夢」ってあるんだけど、いったいどんな夢だったのか?!会社の昼休みに昼寝していて見た夢だが、一体どう鼻毛だったのか全く思い出せずモヤモヤしてる。

自分の鼻毛が伸び続けてあわてふためく夢なのか、それとも鼻毛を長く伸ばしている男の夢だったのか?そういえばワンピに登場するサンジのボスのゼフ?とかいうオヤジ、あの人が伸ばして編んでるのは鼻毛だっけ?

いや、それならゼフxサンジのエロ本(※)であんなに燃えた記憶があるわきゃない。「はぁ・・・はぁあぁあんっ!」とか言われても「でもそれって鼻毛だよね」なんて冷たく突っ込んだ記憶があるはずだ。

※・・・・・・ワンピースをろくすっぽ読んでもいない私が、なぜゼフサンみたいなマイナーカプの同人誌を持ってるかというと、G-men?Badi?どちらかのお勧め同人誌コーナーでその存在を知り、こりゃ魅せてくれそうだ!と早速ゲットしたのだよ。

結果、さすがゲイ雑誌が力強く推薦するだけあって、ミートなクオリティーが素晴らしい。今なお保存版として我が書架の「筋肉男子棚」に並ぶ栄光に浴している。


「カレーなう」?なんだそりゃ。え?「今カレーを食べてます」ってことだって?ヒャヒャヒャヒャ!
みんなヒマだねぇ〜!そんなこといちいち報告しなくたっていいのに。えっ?やらないやらない!アタシは絶対やらないよっ!wwwなーんて思いっきりバカにしていたツイッターの魔力に囚われ、はや一ヶ月。

さすがに「なう」だけはあれだけあざけり笑った手前、「うっ・・・・・・ここで使ったら文字数が削れていいだろうな」と思ってもなんとか自粛しているものの、いったんアクセスするとつい延々といじくり回してしまう青い小鳥。

特に実家ではひどい。実家はネット環境じゃないせいもあって、眠る直前にまで携帯をさわっちゃったりと、マスターベーションを覚えたサル状態だ。貴重な時間を食う遊びだとは思いつつも、なんだかクセになっちゃうのよねー。

だけどツイッター、Mixiに比べると普及率は低いのかな、私の回りの人たちはほとんどやってないのが残念だ。私の方はMixi、旧MacのOSを突如として切り捨てられた恨みがあるもんで、今ではログインすらしてないんだけど。

ツイッターの存在価値というか、なにがどう有益で、SNSとしてどう優れているのか、まだよく分かっちゃない。(友人に質問すると「情報の反映の速さでしょうかねー」だと言っていた)

けど、140文字の言いっぱなしは、たくさんの文字数を詰め込めるがゆえに、ちゃんとした文章を書かなきゃ!と気を張るMixiに比べると、サクサク書けてけっこう貴重。
また、足あとを付けた付けられた、ミク友になるためには了解を得て・・・・・・といった気遣いが、現実世界の人間関係に近いMixiよりも、フォローしようと切ろうとご自由に、というツイッターの方が、つながりがゆるくて私にはちょうどいいんだよね。

そもそも私は神経症的と言えるほど「待つ」ことが苦手なイラチだ。赤信号を我慢するくらいなら、遠回りでも歩き続けて別の道を渡るし、電車を待つとイライラするあまり寿命を縮める勢い。

時間つぶしが必要な時にはできるだけ本を開くけれど、電車のシートやバーのカウンターなど、読書できるだけの時間とスペースがある場所はそうそうない。
そんな時にはどうでもいいことをツイートしたり、フォローしている人や組織のツイートを読んで、時間を殺せるツイッターはありがたい。

ただ難を言うならば、先述の通り「ツイッターを利用している友人がほとんどいない」ということと、同じ趣味の人をフォローしたいと思って検索しても、「ペルシャ絨毯」「セイラフィアン」「ホルエムヘブ」「ブルース・ウェバー」「G−Men」「ウォートラン」「クリス・エヴァンス」など、私の興味あるワードについては、皆無に近いレベルでツイートがヒットしないのだ。

特にペルシャ絨毯!この一ヶ月でヒットするのは自分のつぶやきばかりなり。青山の絨毯屋あたりが「展示会なう」なんて呟いてそうなものだが。それとも探し方が下手っぴなのだろうか?

・・・・・・あ、フォローしているマイアイドル・軍事評論家の小川和久先生が「熱海なう」ですって?
おおお、小川先生ですら「なう」を使うなら、自分もアリな気がしてきた。「自宅なう」。

2010年12月27日(日)

<注意!今日の日記はうんざりするほどうじうじモードです>

今週末はずっと実家滞在。
いかんわー、実家だとどうしても怠惰になって、布団の中で一度読んだ漫画をだらだら読み返したり、そのまま日がとっぷり暮れるまで昼寝してしまったり、つい携帯をいじり回したり……で、あっという間に時間が過ぎて、ハッと気付けばえっ?もう4時なの?!

いや、昼寝から目覚めたら時間の無駄した!とあせりまくってIBookを開き、自宅に戻ったらせめてサイト日記だけでもUpできるように、とキーを叩き始めるのだが……。

これが自宅に帰って読み返したら、うへーっ!こりゃないっ!と頭をかきむしるほど、暗く、クドく、そして愚痴っぽく、その結果、さすがに人様のお目に入れられん……と、せっかく書いた文章をほとんど削除する羽目に。

実家では怠惰になる理由はだいたい分かる。
うちよりもかなり標高は高いし、築年数は古くてすきま風うずまくマンションだというのに、どうしてだか実家は暖房なしでもあったかいのだ。

酒も食べ物もたっぷりあって、目が合うだけで短い尻尾を思い切りふって、ご機嫌うかがいしてくれる犬がいて、物音ひとつしない我が家とは違い、一日中父が見ているテレビのせいで、雑音が絶えることはない。
群を作るほ乳類って、基本的に寂しがりだと思うんだけど、こういう環境にあると安心するあまり、ついまったりしちゃうのは自然のことわりかもしれない。

でもね、実家では何を書いても暗くクドく愚痴っぽくになるのはどうしてなのかな、と考えると、思いつくのはやっぱり母のこと。何よりも愛し尊敬していた存在の欠如が、じわじわ心に染み入ってくるせいなのだろう。

実家から離れて独りでいると、母を失った苦痛はぼちぼち克服できつつあるのかな、という錯覚におちいるのだが、この家に帰ってきて、母が嬉しそうに集めていたがらくたや、可愛いイラストのついたメモ帳、一生懸命刺してた刺繍作品なんかが目にはいると、やおら哀しみがつのる。
一日中向かい合って刺繍をしながら馬鹿げた話に大笑い、いっしょにいるのが楽しすぎて、ちょっとした買い物にすら連れだって出かけた母ともう、二度と会話ができないと思うと、ひどい喪失感に襲われるのだ。


アルツハイマーにむしばまれた母が、身の回りのものをぜんぶそのまま残してこの家から去ってから、はや2年と2ヶ月が経った。
本人に特別養護老人ホームに入る意思は全くなかったけれど、徘徊レベルが自宅で介護できる限界を超えたのだ。

すべての認知症患者はそうだろうが、母自身は私たちの決意が揺らぐほどうちにいたがった。ホームに入ってからもずっとうちに帰りたがっていた。
だから、瀬戸内海を渡ってなお何十キロも先にあるホームには、無理に入れたようで辛い。今でも胸が押しつぶされそうな罪悪感と、もう少し頑張って自宅介護できたのでは?という後悔がある。

そんな中でもこの11月、自分の誕生日を境に、ある日突然頭の切り替えができた気がして、こうやって母の喪失にだんだん慣れてくるんだろうな、とほっとするような寂しくもあるような気持ちでいた。

けれども頭では整理がついたように思えても、心は一筋縄ではいかないもの。
ある時点では「あ、立ち直れたな?」と目の前の霧が晴れた気がしても、次の日には「やっぱり駄目だ……」と頭をかかえる、相変わらずその繰り返しだ。

ましてや母はこの世から去ったのではなくて、今もちゃんと生きていて、しかし、少しづつ、少しづつ駄目になっているせいだろうか。事実をどう受け取り、どう乗り越えるべきなのか、今もってよく分からない。
「一日でも長くこの世にいてくれるだけでいい」と思う日もあれば、「徐々に機能を奪われて最後には死に至るなんて、真綿で首を絞められているようだ」と悲観的になる日もある。

ただ……今こうして思いのままに書きつづっているうちに、どうすればこの苦しみから逃れられるか、何となく見えてきた。
それは「あるがままに」なのかもしれない。

くよくよしていて情けなくて愚痴っぽい自分であっても、こんなにひどい状況下にあるんだから仕方がない、と全面的に自己肯定した上で、悲しいときは悲しみ、憂鬱になる時は思いきり憂鬱になって、自然に心が凪いでくるのを、無理をしないで待つのが最善策なのかもしれない。

慈愛にあふれ、明るくて愉快で皆に愛された母。笑っちゃうほど心優しくてこの上なく気高い、この世で一番大好きで、誰よりも尊敬してる人だった。
自分はその母の愛情を一身に受けて育った。そして、病に斃れる前の十年余は母の近くに住んで、毎日がとても楽しく満ち足りていた。
それだけでもう十分ではないか。

今ではもう、ベッドの上で身動きすることすらままならない状態だからこそ、娘であると同時に姉妹であり親友でもあった私は、母に代わって母が見たかったであろうものを見、したかったであろうことをしよう。
そして、母に十分すぎるほど注がれた愛と、これまでは母ばかりに注いできた愛を、何らかの形で他者にも投射できればと思っている。幸いにも今、ようやく心から納得した上でそれができる対象が出現したことだし。

……ということで、ようやくウジウジ心を収納。このテキストも自宅に戻って読み返したら、うへーっ!恥ずかしいーっ!と頭をかきむしるんだろうけど、こういう時代もあったのねえ、とあとから読み返して思うために、恥を忍んでUPさせて頂く。

以上、長らく管理人のウジウジにおつきあい下さいまして、皆様どうも有り難うございます。煩悶はこれにて(当分の間は)封印します。
いつまたオープン!セサミ!のかけ声と共に姿を現すかも知れないけど、明日からはしっかり通常の下世話営業に戻れることと思いますので、これに懲りずに今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2010年12月24日(木)

ロンリークリスマスな自分へのプレゼントと、友人(♂)が送ってくれたプレゼントで、101匹ブリーフ大行進。ペルシャ絨毯の上に並べたら気分はマハラジャ。寂しさなんか吹き飛んだ。ふおっふおっふおっ、そこなカウボーイ!もそーっと近う寄れ。

さぶいっ!もう我慢の限界だ!とエアコンのリモコンに手を伸ばすと・・・・・・うそっ!8時間前に消したはずなのに消えて・・・な・・・い?おまけに「冷房」ってなんじゃそりゃ。そりゃ冷えもするわ。

さて、クリスマスということで、ニュースがバブルのアイコン的存在、間もなくン十年の歴史に幕をおろす赤坂プリンスホテルを取り上げていた。

赤坂プリンス通称赤プリは、バブルまっただなかの頃は、クリスマスには全館満室なのはいうまでもなく、2年先までクリスマス予約がいっぱいだと聞き、ほえー、みんな張り切ってるねえと感心したものだ。

このニュースに登場して、過ぎ去った泡沫経済のことを蜃気楼を眺めるがごとき遠いまなざしで語るのは、モロに自分と同世代の男女。
ある者は赤プリのバーテンダーとしてシェイカーを降り続けた日々と、クリスマスになると店の外でカップルが作った行列に想いをはせ、またある者は赤プリであげた結婚式の写真を眺めつつ、今の日本の閉塞感が・・・・・・と神妙な顔で語っていた。

そんな結婚式の写真が映し出されると同時に、テレビを指さして爆笑していた。「なっ!懐かしすいーっ!」
そう、私と同い年の奥さんのドレス姿が、もう、嬉しくなっちゃうほど当時のトレンドぴったしカンカン(死語)だったのだ。

当時の若い女性に流行のファッションは、原色x金ボタン(カントリーマァム大)x肩パット。
そしてテレビに映し出されたウエディングドレスはというと、色こそ純潔を表す白とはいえきっちりはずさず、ちょっとお姉さん!肩!肩ーっ!と叫びたくなるほどの肩の張り出しっぷり。
かつ、ディズニープリンセスのドレスみたいにぶわっ!とふくらみ、タテxヨコx高さで算出したボリュームは、なんだかもう、中でサルでも飼えそうなものすごいことになっている。

ハリウッドの衣装デザイナーがマイケル・ベイ監督に、三国志にインスパイアされたSFアクション映画の衣装デザインを依頼されたら、こういう肩幅にしちゃうんじゃないかって感じだけど、これぞバブル・スタンダード!私はこういう、当時流行った衣紋掛けばりのファッションを「ガンダム系」と総称している。

加えて、幸せいっぱいで純白のガンダムドレスに身を包む奥さんのお化粧は、こちらもきっちりバブル・スタンダード。すなわち「前髪くるりんx焼ノリ眉メイク」と、思いっきり当時の空気を体現しており、テレビを見る私を、ほんのり甘酸っぱい気持ちにさせたのであった。


ほえー、クリスマスで赤プリ満室だってさ。バッカでー!(笑)なーんて斜に構えつつも、私もおでかけ前にはホットカーラーでくるくるに前髪を巻き上げ、眉毛は太く、黒々と、中国奥地に住む少数民族の娘さんがやってそうな感じで、超しっかりメイクしていた。
言うまでもなくメイクを整え装着するのは、ガンダムスーツに8センチのピンヒールだ。

そんなバカでマヌケで愚かしくて、でもみんな酔っぱらってたみたいで楽しかったバブルがはじけて20年。
エレウノ・モンタナ・ガリアーノ、ミュグレー・ドルガバ・アルマーニ。ギャルソン・ピンダイ・イッセイミヤケ・・・・・・と、当時買った洋服はほとんど処分しちゃったけれど、その中でも特に高かったものと、生地が高級すぎて「パッチワークにでも使えるかも」と思ったものは、どうしても捨てられなくて、定期的に防虫剤を投入しつつ、大切に保管していた。

だってよく聞くじゃないの。「わーっ!それ可愛いっ!どこで買ったん?」「えっ?これ?(照れながら)お母さんが若い頃に着てた服やねん」みたいな会話がティーンの間で交わされている、と。
だから私もめまいがするほどの諭吉を投じて購入したガンダムスーツたちを、いつか来るその日のために静かに眠らせておいた。おいた、の、だが・・・・・・。

バブル崩壊後20年、「巡る〜巡る〜よ時代〜は巡る〜」と中島みゆきは歌っているが、私は確信した。ことガンダムスーツに関しては、ぜったい時代は巡ってこねえよ!と。

「えっ?これ?(照れながら)お母さんが若い頃に着てた服やねん」のJKだって、セーターとかスカートとか、コーディネートに使えるちょっとしたアイテムとしてママのお下がりを喜ぶのであって、上下装着するだけでそのまま宇宙に飛び出せそうなガンダムスーツは、いかな森ガールや古着好きさんでも、コーディネートのしようがないっちゅーねん。

ああああ!今思えば、10年前に処分したコム・デ・ギャルソンとかゴルチェのアイテムの方が、今の若い子でも工夫して着られたかもしれないのに・・・・・・。だが、手元に残しているのは、生地の素晴らしさゆえに捨てるのを惜しんだインポートもののスーツばかり。

そういうわけで、バブルと決別することにした私は、クローゼットベースから立ち上がり、その全貌を顕したガンダムスーツたちを紙袋に突っ込んで、チャリを飛ばすこと4往復。当時一着30万とか40万した洋服は、ぜーんぶ近所で古着屋やってるオバちゃんにタダで上げ、いや、押しつけました。

でも店舗兼住宅の店頭に、ユニクロの服とメイドインチャイナの腕時計を並べてるようなお店のオバちゃんでさえ、「ま、くれるんならもらってもええけどな・・・・・・」と、山と積まれたガンダムスーツを前に渋い顔。
というのは私と同様、バブルの遺物を持てあましたご婦人が、市外からも洋服を抱えてゾクゾクとやってくるせいで、オバちゃん、古着の山で圧死しそうというのだ。

「紺色のスーツは長く着られますよ」「カシミアのコートは一生モノですよ」
当時ブティックでよく耳にした言葉だが、そう言われてどれだけ無駄ゼニを使ったことか!現在のトレンドでは、「長く着られる」「一生モノ」は存在しないんだとしみじみ。

私は固く決意した。もう高い服は買わない!この年になると、服はシンプルなセーターとパンツでも、時計とアクセサリーとバッグでツボを押さえておけば、それだけで十分いけるのだ。

それと同時に私はオバちゃんの古着屋の店頭に思いをはせる。犬のアップリケのついた裏起毛トレーナーと、えび茶色のアクリルカーディガンの間に吊られるであろう、イタリアもののガンダムスーツに・・・・・・。

ほんと、生地はすっごくいいんだけどねえ。自分に裁縫の能力があればなあ・・・・・・あ、お客さん!そのプリント、プラダと同じ工房がやったやつだから、ほどいてクッションとかポーチに再生したらいいと思いますよ!

関係ないけど防火週間に提出された子供たちのおしゅうじ。「火の用心」はわかるが、「か・じ!」ってきっぱり書かれても・・・・・・防火という観点からするとどうなのか。

2010年12月23日(木)

「アンタの肩なんかぜんぜんこってないんだからねっ!」と言いながらツボ押ししてくれるのだろうか。アキバのメイドマッサージ店の看板。

夕食を5時に済ませちゃったせいで小腹がへって、近所のパン屋で買ってきたバゲットを食べている。

近所のパン屋というがあなどるなかれ、パンとケーキの消費量日本一の我が街では、パン屋の数は星の数ほど多く、そのクオリティーはドバイのブルジュ・ハリファほど高い。ゆえにチャリを5分走らせるだけで、犬が電柱にぶち当たるよりもたやすく、大人気のパン屋さんに行き当たるのだ。

たった140円でこんな美味しいパンが食べられる時、そして道を歩いていて、入出港する客船の汽笛が聞こえてきた時には、K市に生まれてよかったなあとしみじみ思う。いや、市民税は高いし、介護認定の審査は閻魔大王の審判より厳しいけどさ・・・・・・。

さて、パンに塗ったのはマーガリンとオリーブオイル。お料理好きさんならアボガトや生ハムやベジマイトなんか乗せて、より心豊かなひとときを楽しむところだろうが、家事が仕事の8倍ほど苦手な私は、パンを切って油を塗るだけでもんのすごい仕事量をこなした気分。

オリーブオイルは、ネットのイタリア食材ショップでおためし買いしたCARMって銘柄。500mlで2500円するけど、オリーブオイルがそれほど好きではない私でも、そのまま舐めて「美味しい!」と思えるから、リピするつもり。おすすめです。

一方、マーガリン。
身体には悪いが、私はバターよりもマーガリンが好き。いつもなら気分だけでもカロリーに気を遣ってカロリーハーフを買うんだけど、数十年ぶりに買い物かごに放りこんだのは、50円安かった♪パンにはやっぱりネオソフト♪(最近はやってない?このCM) 
これが久々に食べると、給食のパンについてたマーガリンの安っぽい味にそっくりで、けっこうイケるんだよね。人間老いてくると、昔食べた味を好むようになるものだろうか・・・・・・。

今の給食ではどうなってるのかな、マーガリン。ご飯食が導入されるかなり前に小学生だった私の時代には、銀色の紙に包まれたキューブタイプ。下半身が三角形した女の子のマーク(たぶん厚生省の栄養基準合格マーク)がついていたような。
で、残した給食をダイレクトにランドセルに入れようものなら、こいつがすぐに溶けて教科書もろともベタベタになるんだよねー。

そこで、ケンシロウのように躊躇なくパンに指先を突っ込み、ざくざくとタテ割りにした上で、マーガリンをはさんで家に持ち帰る、もしくは下校時に犬にやるのが、給食テイクアウトの基本テク。校門をくぐる頃には、いい具合にマーガリンがパンにしみ込み、犬まっしぐら、というわけだ。

ああ、通学路でいつも私のパンを楽しみにしてたあの雑種犬、懐かしい。ランドセルの中でぺちゃんこになったパンをウホウホ食べる犬を見るたびに、なんだか申し訳ないような、そこはかとなく切ないような気分におそわれたもんだ。

・・・・・・とはるか彼方に過ぎ去った過去を懐かしみつつ、パンをつまむこと5切れ。いかん、マーガリンとオリーブオイルでベタベタのパン、焼きそばUFO並のカロリーにちがいない。こんなもん夜の12時に食べてちゃあ・・・・・・やっぱ入会しようかな、コナミスポーツクラブ。

南京町の雑貨屋店頭にて。いつも変な服を着せられているこいつを見るといつも、可愛いような情けないような・・・・・・と胸がキュン。

2010年12月18日(土)

朝の9時からケアマネージャーさんが父の介護の相談のために来てくれるから、昨日から実家に帰ってる。
こういう時、なんでもかんでも手配しなきゃならない長女って、ほーんといやーねー、ブーブー。

というのは、今や特別養護老人ホームで寝たきり@アルツハイマーの母に続き、父までもが近頃ちょっぴり危ういのだ。まあ父はもう85才だもんで、ヨーダ並によぼよぼでも人類としては当然といえば当然なんだけどさ。

目はよく見えないし足元もおぼつかないながらも、今はなんとか自分の身の回りのことはしている父。だけどこの数ヶ月の急激な衰えっぷりは、私の心の警報装置を鳴り響かせるには十分なものだった。

そんなわけでこれから先、事態が急激にシリアス味を増した時に、頭皮がはがれ落ちるほど頭をかきむしらずに済むように……と、先手を打って準備をすすめているというわけ。

それにしても昨今の介護認定ゲットの困難さときたら!
激増する老人の数に伴って資金ぐりが厳しくなってきた行政側が、少しでもサービスの受益者を減らすために、介護必要度の判定作業をよりハードに、よりクールに行っているとはニュースで聞いていた。

それでも私なんか、母のために要介護1から5まで段階的に取得したから慣れてるもーん!と思ってたんだけど、自分、ちょっと世間ナメてました。
事態が6、7年前にくらべて、ここまで厳しくなっていたとは……。

晴れて要介護認定を受けるまでの山あり谷ありの厳しさたるや、たとえるなら村のビール樽かつぎ競争で優勝した筋肉自慢くらいでは、いきなりデルタフォースには入隊できない……その逆バージョンって感じかな。

特殊部隊の精鋭たちは、常人をはるかに越えた肉体的、精神的な強靱さを求められる。
一方、要介護認定(レベル1〜5)にパスするためには、そんじょそこらの老化レベルじゃおっつかなくて、介護に疲れ果てた家族が、夕方のニュースのネタになりかねないことを発作的にしたくなるほどの、老人側の肉体的・精神的な衰退が求められる……と、どうやらそういうことらしい。


聞くところによれば、「要支援」の上のレベルである「要介護認定」ゲットの最重要ポイントは、「ボケているか否か」。
なぜって認知症だと、火の不始末で棟続きの住宅5棟を丸焼けにしたり、徘徊中に高速道路に迷い込んで玉突き衝突の原因を作るとかで、家族以外の人間を巻き込む可能性が高いから。そうでなければ介護は基本的に家族がするもの。家族の問題は家族内で解決しましょう!・・・・・・分かりやすいですね。

だからたとえば目が見えなくて足がヨロヨロで歩行に困難が伴おうと、頭さえしっかりしていて壁を伝ってでも自分でトイレに行ける程度なら、認定をゲットできたとしてもぜんぜん意味ない要支援。

奇声を発しながら高速道路を全裸で歩き回るとか、「鬼が襲ってきよった!」と燃えさかるたいまつを振り回すとか、お父さんお母さんにそこまでやってもらえないと、「要支援→要介護」、いわば野球でいう2軍→1軍、ウォートランでいう少将→中将への高い壁は越えられないのだ。

まあたしかに介護に要する財源も人員も、笑っちゃうほど足りてない事情は分かる。だから受益者を極力減らそうとする行政側の言い分にも、一理あると思わないでもないんだけど……。

でも、それなら誰がちょっと見ても「おかしい」と思うようなことにジャバジャバ税金を使うな、って言いたいよね!
年収1千万2千万円もらってる老いぼれが、日がな一日新聞読んでソリティアやってるだけの天下り団体や、一日の利用者数十名の箱モノに天然温泉のようにゼニをかけ流すのなら、ヘルパーや介護士の給料、もっと上げてやれっつーの。

人はパンのみにて生きるにあらず。でもパンがなければ生きていけない。介護みたいなウルトラマックスハードな仕事がそんなに給料安くては、そりゃあ若人に避けられて人手不足にもなって当然だわ。

ともあれ、自分がヨボヨボになる頃には、今の100倍はシビアさを増しているであろう介護を取り巻く状況。今から30年先には目の前に、いかなる姥捨て山が広がっているのだろう……なんて心配しても無駄すぎるから考えない。
だからこそ休日返上でがんばるのだ。せめて父にはワイらの分まで年金と介護保険、きっちり使こうてもらいまっせ!って。

ちなみに先日「エコノミスト」の調査部門が発表した「死の質ランキング」によれば、調査対象の40カ国中、台湾14位、シンガポール18位に続いて、GDP世界3位の経済大国・日本は23位だそうで・・・・・・ああ無情。

2010年12月13日(月)

写真ではなにがなにやらよく分からないかもしれないけど、これ、銀座のアバクロ(アバクロンビー&フィッチ)の、吹き抜けになった階段を9階あたりからみおろしたところである。

半透明の階段とライティング効果で、大きな万華鏡みたいなかんじ。中央に写っている黒いのが吹き抜け部分なのだが、高所恐怖症の私はチラッと下を見ただけで、お尻はゾゾゾ、足はガクガク。生まれたての子馬のようにその場にへたりこみそうに。


我らハダケ男子フォトグラフ愛好家にとって、アバクロと聞くとまっさきに思い出すのは、セレブ御用達のアメリカ東海岸をモチーフとした衣料品ではなく、ページをめくった瞬間に「生まれてきて、よかったぁ──!」と青空にジャンプしたくなるような眼福マッチョ満載のカタログ。

また、紙に印刷された眼福くんだけではない。店内では厳しい選考審査にパスしたイケイケのメンメンが、シャツを不必要なまでにはだけつつ、あれやこれやと客のお世話をしてくれるパラディソだとも聞く。

じっさい同好の友人(♂)は、オープン直後にそそくさと調査におもむき、「店員さんのレベルはなかなかのものでしたよ!」とドーパミンが文字の間から染み出しそうなメールをくれたもんで、私も目が黒いうちに見なければ!そいでもってストアモデルとの記念写真をゲットしなくては!と、アバクロ訪問を2010年の行動目標にかかげていた。

そんなこんなで2010年も終わりに近くなったある日。
生まれて初めて銀座の土を踏んだ私は、銀座通の友人に「どこか行きたいとこありますか?」と問われるや、おもむろにグーグルマップをプリントアウトしたくしゃくしゃの紙を取り出して、デルフォイの巫女のようにおごそかに、かつCNNのアナウンサーのようにはきはきと答えたのだ。「アバクロ」、と。

日本でもっとも地価が高い街のど真ん中、アバクロビルはシバの女王の空中庭園のごとき異次元感を車道にまでまき散らしつつ、地上11階にておっ勃っている。うーむ、消費不況のこのご時世に、豪奢なお話ですなあ!

このドアの向こうでは、21世紀に蘇りしソドムの市と呼びたくなる光景が繰り広げられているのだな──なーんてふとどき妄想しようものなら、マイケル・ジェフリーズCEOに火炎放射器で焼き殺されそうだが、チェックのシャツの西洋アンちゃんの出迎えをうけてソドムの市に入場する私は、怒張する期待感を持てあましすぎて、店員さんの手が思わず警報装置に伸びそうな不審者モード。

入るといきなり金持ちそうなカップルが、上半身裸のストアモデルとにこやかに記念撮影しており、一瞬、他の惑星にワープしたかと勘違いする・・・・・・。


だが、そんな髪の毛が焼けこげるほどの期待感、非日常感は、エレベーターで最上階に上がり、そこから一階ずつフロアをチェックしながら、足がガクガクしそうにサスペンスな階段をおりる過程で、あららら、すっかりしょぼしょぼに。

なーんかアバクロの服ってどんくさいなあ、いや、どんくさいと言うとファンに怒られるけど、正直なとこ、ただの一枚も購買欲をそそる服がないよ・・・・・・ってのは「アメリカ東海岸ファッション」にシンパシーを覚えない私としては予想された感想。
しょぼしょぼに萎えた一番の理由は「チャラすぎるにもほどが」ってことなのだ。

たしかに店員さんは男も女も厳しい選考審査にパスしたと思われるルックスで、なによりスタイルがいい。
だが、なんぼスタイルがよかろうとも、バブル全盛期の巨大ディスコ・キング&クイーンでかかってたみたいなBGM、日本人には鼻がもげそうに感じるきっつい香水のかおりが充満する中で、ひとときたりとも休むことなく、一発キメた観賞魚のようにリズムに乗って体を動かされては!
あまつさえ
「ハッピー?」とか「ヒャウウゥウーッ!」「ヘイヘイーっ!」なんていきなり声を上げられては!・・・・・・客、まったく落ち着けません。

はじめのうちこそ足が宙に浮くほどはしゃいでいた我々も、3階に降りたあたりですでに無言。

ようやくたどりついた一階で、ストアモデルのアンちゃんと記念撮影はいいんですか?と問うSちゃんに「うーん、アジア系マッチョには興味ないのよねえ」と力無く答えてあとにしたビルからは、アバクロフレグランス・FIERCEの香りが路上にまで広がっていた・・・・・・。

・・・・・・とまあ色々けなしたけど、ゲイテイストがお好きな方は、銀座に行ったらどうせなら一度見てみることをおすすめする。予想よりも日本人スタッフが多くて外専には物足りないとはいえ、目の保養になるのは確かだしね。

21世紀に蘇りしソドムの市というよりも、21世紀に蘇りしディスコ・キング&クイーン(もしくはマハラジャ)は、銀座でこの規模で展開して大丈夫なのか?って考えると、ひとごととはいえ落ち着かない。
ここはぜひ、アバクロ帝国が滅びる前に、ゼニはあるとこにはあるもんですなあ、とある意味における異世界を体感してほしい。

2010年12月10日(金)

イランにおける京都的存在・古都イスファハンの絨毯屋がくれた名刺。

写真のイマーム広場は南北512m、東西159mで天安門広場に次いで世界二位の広さを誇るそうだ。そして言うまでもなくこんな馬鹿でかい絨毯はこの世に存在しない。

パソコンで手作りしたと思われるこの名刺、店主(ぽっちゃりメガネの30代)がノリノリで製作するうちに、うっかり絨毯のサイズを見失ってやりすぎちゃったと見たが、カット&ペーストにもほどというものが。

・・・・・・なーんて言ってるけれど、そういう自分も「やりすぎた」という意味ではイランのアンちゃんのことを、「ものにはほどというものが」と笑える立場じゃないのだ。

日曜日は行きつけのバーJにてついやりすぎ。
お招きにあずかったすっぽん&シカ鍋会にて、心のおもむくままに空っぽの消化器にワインを注ぎすぎ、気が付いたときには酔っぱらって椅子から転げ落ちたりと大・活・躍!
恥ずかしいわ二日酔いだわ打ったお尻は痛いわで、月曜からの3日間は酒断ちの日々。ああ二度と酒で醜態さらすまじ。

だというのに昨日の会社の忘年会。量的にはセーブしたはずが、急激に衰えた己の肝臓機能を見誤っていた。
ハッと気付くとまたしても調子こいてやりすぎ・・・・・・。他から見たらささいなやっちゃったレベルだったらしいのが救いだが、プライド的な意味において自分を許せなくて、気持ちは一気に習志野第一空挺団(急降下といいたい)。二次会も遠慮してすぐさま帰宅、ベッドにもぐりこみ頭から布団をかぶって心でシクシク泣いていた。

マゾなのだろうか、さらにそこへ悩んでも意味がない私生活におけるもやもやまで引っぱり出して、昨夜はもう、まったく眠つけない。
それに、両手を古代エジプトのお祈り風に上にあげないと呼吸が苦しいというのは、転んでお尻にディープインパクトをくらったことによって、全身のバランスがかなり崩れてるわよっ!というサインにちがいない。
これははやく整骨院に行かないと、ぎっくり腰とか、膝カックンとか、もっとひどい事態に陥りそうだ。


そこで翌日、受付開始と同時に、速すぎて止まって見えるスピードで電話のリダイヤルボタンを押し続け(患者が多くてなかなか予約が取れないのだ)やっと押さえた整骨院。
診察台にうつぶせになって、先生が後頭部をごりごりすると・・・・・・。
あれっ?右はなんともないのに、左の頭の上の方はへこんでなんかブヨブヨしてる、でも下の方は骨がいつもよりぼこっと浮き上がってる感じだけど、これって気のせい?

そんな心の中を見透かしたように先生いわく、「昨日、なにか強いストレスを感じるようなことがありましたか?」
うへー?!そんなこと、頭に出るんですかー?

そうなんです、昨夜かなり悩んで眠れなくて・・・・・・両手も上げなきゃ息が苦しくて、と答えると、「ああ、寝るときに手を上げてしまう、というのはストレスが原因ってケースばかりじゃないけど、それもありますね。子供なんか知恵熱を出した時に、手を上に上げて寝てることが多いよ」ですと。へえぇ──っ。

そんなこんなでひとまず楽になって、今は普通に上を向いて安らかに眠れるようになった次第。
ま、しばらくの間はあちこちに支障が出るので、できるだけ通院するようにとは言われたんだけどね・・・・・・。飲み過ぎの失敗によってよけいな手間と時間とゼニがかかるのは、リーマンも海老蔵もおなじ。予定外の病院代を使う羽目になってがっくりだ。

とはいえ、今の私は基本的に元気。
「今だから言えるけど、何年間も治そうとしてもなかなか良くならなくて、もう可哀想でたまらなかった」と先生に言わしめたこの身体、
「生まれてきて、よかったぁあぁああ────っ!」と青空にジャンプしたハッピーな11月6日(マイバースデー)を経て、なにやらけっこう調子がいいので、今回のお尻イタイ事件の後遺症からもすぐに立ち直ることだろう。

それにしてもバースデー直後に受診した時に、身体をさわるなり、「あれ?なにか吹っ切れたの?身体の状態が前とぜんぜん変わってるんだけど」と指摘されたのには「どうして分かるんですかーっ?」と診察台から飛び起きるほどびっくりしたもんだ。

うーむ、不思議だけど人の身体ってそういうものなのかな。ならば「ポジティブシンキングでガンに克つ!」なんてのも、あながち出鱈目じゃないのかもね。

同じ老いるのなら、退職後にはほいほいシナイ山に登ったり、マルディグラパレードでマッチョ兄貴にウホウホ言うバアさまになりたいので、これからは私、真面目すぎてクヨクヨする性格なんですよねえ、と現状肯定ばかりせず、多少無責任だと思えるくらいのお気楽ゴクラクな生き方を心がけようっと。

イマーム広場にて「いいポーズ」をきめるガイドのA氏。旅行中、私とヘボピーとA氏の間ではこの「いいポーズ」という台詞が大流行。特にA氏はいたく気に入って、写真におさまるたびに「いいポーズ!」とリフレインするもんで、しまいめには私もヘボもひそかにイライラッ。

このA氏、ガイドのくせしてキャラ属性が「ずっこけ」。忘れ物はするわ、すぐ腹をくだして行方不明になるわ・・・・・・と色々ぶちかましてくれるもんで、だんだん我々がゼニを出して彼を旅行させてあげたような気分になってきて、ヘボピーと「なんかガイドといっしょっていうより、友達と旅行に来たって感じだよね!」とささやきあったものだ。

それでもずっこけすぎで憎めないA氏のことは、イラン旅行ページにてあらためて。

2010年12月7日(火)

現在夜中の1時前。こんな夜更けだってのに、外ではカラスがカァカァ鳴いてるんだけどどうしたんだろう。
ガラスのかけらとかピカピカ光る王冠とか、せっせと集めた宝物をふとどきものが盗もうとでもしてるのかな。それともヒッチコックの「鳥」みたいに、銭湯帰りのオッサンでも襲撃中なんだろうか。
何にせよ夜中のカラスはホラーテイストだからやめて欲しい・・・・・・ただでさえ今夜は背後がなんとなく気味悪くて、無性にゾクゾクきてるってのに!


胃酸過多のせいで、目覚めると胸がムカムカするあまり、どうもご飯を食べる気になれなくて、ムカムカしたまま家を出る、というのは中学生の頃から続くミキ家の朝の光景。

それでも朝抜きは肥満のもとだとか不吉なことを聞くもんで、近年は一袋5枚入りで80Kcalのティッシュペーパーみたいなクラッカーとか、カロリーメイト(私はフルーツ派だ)を会社のデスクで渋々ながら食べていた。

そんなある日、最近うっかり体重3キロゲットであせりまくった友人が、ダイエットもかねて体にいいとされるオートミールを食べ始めたと聞いた。

ビタミン豊富で胃に優しくて、作るの簡単で味もそこそこだし、いいですよお、オートミール!……って褒めたたえるけどほんまかいな。君の舌は私のよりはるかに外人仕様だから、その台詞、鵜呑みにはできんな。

湯をそそぐ前のオートミール。ルックス的には家畜のエサ。

オートミールといえば、まっさきに思い出すのはアメリカ映画の朝食シーン。
それも歯に矯正器具をかぶせたガキんちょが、わしづかみにしたスプーンでさもイヤそうにぐちゃぐちゃかき混ぜて、ママに「ダメじゃないヘンリー!ちゃんと食べなさいっ!」なーんて耳を引っぱられて、「だっておいしくないんだもーん!」と泣きべそかいてるネガティブイメージ。

さもなくばオレンジ色の囚人服に身を包んだムサい男どもが、アルマイトの食器をガチャガチャ言わせながら、黙々と食するって感じかな。もちろんその5分後に、ケツにさわっただの俺はオカマじゃねえだので始まる殴り合いも欠かせない。

なんにせよオートミールには、遠い異国の食文化ってイメージてんこもり。いわば欧米人から見た納豆にしてぬかみそ漬け。それも、オートミール文化圏に生まれ育ったヘンリー君にさえ避けられがちな、微妙なメニューじゃないの?

だもんで、いくら「いいですよぉ」と勧められようと、はいそうですかと素直に信じる気になれなくて、申し訳ないけど一袋だけもらったオートミールは、一ヶ月近く会社のデスクに放っぽったままだった。


だが、うっかり80Kcalクラッカーの買い置きを切らしたある日のこと。絶賛放置プレイ中だったオートミールをマグカップにあけて、おそるおそるお湯をそそいでみた。
すると湯面に浮かび上がる、なにやら薄汚くてもやもやした雑穀の殻みたいなもの。色はなんといえばいいのか・・・・・・雨上がりの工事現場をほうふつとさせる、灰色と黄土色の中間色。
どぼぐえーっ!!

もし動物園で病気入院中の動物がこういう色のゲロを吐いたなら、飼育員さんはパニック起こすだろうなあ・・・・・・と厳戒態勢の飼育舎を思いうかべつつ、マグカップの中でたゆたっているおそるべきものを一口すすると・・・・・・。
あれれっ?思ったよりイケる?(ぱあぁああっ)いやむしろ、思ったよりいけるというより、予想をはるかに超えていける味だ。

ここに梅干しでも入れたらどうだろう……とやおら工夫を加える心がめばえてサンプル室をあさったら、発掘された期限切れの「まぜりゃんぜ 梅しそ味」。ふりかけてみると、おお!まるきりお・か・ゆ!それも割高な雑穀入りお・か・ゆっ!vv

湯を注いだ状態のオートミール。実物の色はもうちょっときちゃない。会社でこれをすすっているところを同僚には見せないよう注意している。だって「ミキさんキモっ!」とか思われそうだから・・・・・・。

調べてみるとオートミールはエン麦を押しつぶしたもので、ビタミンB群・ ミネラル・食物繊維などの栄養がたいそう豊富だそうだ。もちろん胃弱さんにも優しいメニューであることは、ドロドロでぐちゃぐちゃの形状からも一目瞭然。

それからというもの、私の朝食はお湯を注いで梅干し(またはまぜりゃんせ鮭ワカメ)を加えたオートミールこれひとすじ。
一度メニューを決めると飽きるということを知らず、同じモノを延々と食べても平気なタイプなので、これから10年先の朝食も多分オートミールだろう。

みなさんも手はじめに、小袋入り(12袋で600円くらい)にトライしてみてはいかがだろうか。

アメリカのヘンリー君は嫌いでも、ほとんどの日本人は「なーんだ、おかゆじゃん」と抵抗を覚えない味だと思う。(ただしプレーンを買うこと!最初からレーズン&メープルみたいな冒険すると、残りの袋はネコにやる羽目になるかも)

私はすでに2キロ入りの大袋x2(送料込みで2千円弱)を購入済みだ。これで何ヶ月ももつと思えば節約にもなってうれしいけど、大袋ゆえコクゾウムシがわく前に食べ切らなきゃならないと考えると、若干胃が重くならないでもない。

微笑みがうさんくさいオッサンがトレードマークのクエーカー・オートミール。他にも何種類かあるみたいだけど、私はこれを買っている。購入は輸入食品を売ってるお店でどうぞ。くれぐれもデビューはプレーンから!

2010年12月4日(土)

さかまちさんが管理人のバースデーに贈ってくださったクパハネSS、アップさせて頂きました。
「戦場トラウマ持ちのハーネマン」と「前線経験のないクーパー」の、関係が進展しててハーネマンがちょっとだけクーパーを信用している、という設定のもとでのSSは、アンダーグラウンドの「頂きもの」からどうぞ。
さかまちさん、素敵なプレゼントどうもありがとう!

あー、こうして人様に萌えを分けて頂くと、がぜんやる気になるものだ。「もっこりーもっこりー」なんて野菜のもっこりにばっか喜んでないで、自分もとっととイギリス人伍長(23歳)のもっこりを踏みにじるドイツ人軍曹(32歳)を描かなくては!


で、なおも続く四日市駅前シリーズ。

四日市駅前商店街でひそやかに活動中のシュールな物体は、三重の民話に題材を取ったマスコットキャラ「こにゅうどう君」。
かわいくないにもほどというものが。

こんなアホ面でプシュゥー、ガタン!と首を伸ばしたりひっこめたりされると、さしもの穏和な私も思わずイラッ。

テーブルの上にまでびっしり貼られた客の写真が、ポンペイ遺跡のモザイクタイルと見まごうたこやき屋「だっくス亭」。
たこやきは食べたいけど、モザイクの構成員になるのは遠慮しときます。

商店街の裏道を抜けると、突如として現れる元・大衆食堂。古家マニアの友人が泣いて喜びそうな風情あるたたづまい。

棟続きの隣の店は、LLサイズ婦人服ショップとして絶賛営業中だが、食堂の方はやってなくて残念。ここで鍋やきうどんを食べたらさぞ美味しく頂けただろうに。

「ママ屋」という店名と5ケタの電話番号に時代を感じる。それにしても、家として住むのなら、看板おろせよってレベルの風化っぷり。

いや、確かにバブル時代には私もこういうカラーリングの服着てましたけどね・・・・・・今装着するには、かなり根性が試される配色だ。
右のWシャウト姉ちゃんの浮かれっぷりもなかなかのもの。名古屋人は派手好きと聞くが、隣県三重にまで味噌煮込みハデ文化圏の影響は及んでいるのだろうか?

この手の看板を見るたびにいつも、こんなド下手なもん、書いてもらわない方が店のためにはいいんじゃないか?と思うのだが、ナイトビジネス界にもいろんな筋とのお付き合いってもんがあるのだ。

越乃で焼き肉を食べてから、おしゃれトークで軽く飲み、ほろ酔いで向かったオチョオチョで、シモネタをリミッター解除するのが四日市のレジャー通。

真っ昼間ですらほとんど人通りがない高架下に設置されていた。そ、そんなに犯罪多発地域なんか?とむやみに恐怖心をあおられる。

ボタンをおすとけいさつにつながります。けれどボタンを押して「よびだしちゅうです」が点灯してる間に、すべてが終わってる気がしないでもない。

ひなびた路地裏のこの一角だけが、不可思議な生命エネルギーにあふれ赤々と燃えている・・・・・・ような錯覚におちいる神々しい店名。

朱雀と火の鳥、きっと姉妹店なのだろう。火の鳥の方は手塚火の鳥のタイトルロゴそっくりだし。

開いてるのか閉まってるのか判断に迷うお店が居並ぶ商店街で、ひとり気を吐いている紳士服店「ハチドリ」。落ち着いた外装とは裏腹に、ショーウインドウにはアバクロのギリギリポスターが・・・・・・。ちょっとアンタ!そんなとこからチ○コ見せちゃダメよっ!

まあ「イット」と呼ばれるよりはマシではあるが・・・・・・。店への階段を上がるだけで、そこはかとなく寂しくなりそうな店名。
IIというからには、一店舗目もあるのだろう。オーナーは天然なのかどうなのか。
スナック水野も縦にされてて不思議ちゃん。

花や鳥と語らうフェアリーたちが描かれた建物は公園のトイレ。けしからん!税金の無駄遣いだ!と四日市市民の代わりに怒っておこう。

不況の波に洗われ、うたかたのように消え去って、今は貸店舗になってます。

2010年12月3日(金)

この世の中で5本の指に入る「言うだけムダなこと」、その筆頭が「ドリームジャンボで3億円当たったらどうしよう!」だとは常々思っているんだが、年の瀬になるとつい20枚ほど購入しては、「3億円当たったらどうしよう」と夢見る瞳でほざいてしまう。

みなさんは3億円当たったらどうするか決まっているだろうか?私は自分の取る行動を、腹が立つほど鮮やかにイメージできる。

まずはみずほ銀行で3億円の振り込みを確認するや否や、「なにとぞ当行に預金を!」とすがる支店長をふりはらい、帯がついたままの100万円x10束をバッグに突っ込んで新幹線に飛び乗り、まずは銀座の大塚家具でセイラフィアンとラジャビアンの絨毯を買う。

そいでもって次は会社のヒマを見計らってエミレーツに飛び乗り、トランジットのドバイでパティックフィリップの時計をゲット、お次はイランで心ゆくまで絨毯を・・・・・・って、言うだけムダすぎて泣けてきた。

でもね、バースデーからこっち、ささやかながらヒキが強くなってる感じだもんで、シャミー1000のソフビ人形の前に祀られたドリームジャンボ、せめて10万円くらいは当たってくれないかなー、なんて淡い期待もなきにしもあらずなのだ。

「ひょっとしてあたし、ツイてる?」と思い始めたきっかけは、あしたのジョーの故郷・南千住のひなびすぎてミイラ化寸前のシャッター街を、友人と探索していた時に訪れた。

年代モノのTVゲーム機や、箱が黄ばんだガンダムかるたが現役で棚に並ぶおもちゃ屋の店頭で発見した、心躍るようなガチャガチャ──その名もびっくりおやさいストラップ

そのメンツたるや、大根あし、シリトマト、金のたまねぎ、スイカップ、ごぼうんち、そしておいもっこり・・・・・・と小学生男子限定でバカ受けしそうな魅惑のラインナップ。

そして脳味噌の一部が小学生男子レベルのままで発達を拒否している私もまた、魅惑のアイテムを前に叫んでいた。「おいもっこり、欲すぃーっ!!」

しかしガチャガチャというもの、狙ったブツを一度でゲットするのは至難のわざであることは、オタクの皆さんならご存じのとおり。「一発でおいもっこりが出たら奇跡だよねー!」とへらへら笑いつつ、おふざけ混じりに100円入れてガチャガチャした我々は、次の瞬間、驚きに目を見開きフリーズしていた・・・・・・おおお!おいもっこり・降・臨!

おもちゃ屋さんの向かいでは、朝っぱらから酔っぱらっておまわりさんに諭されるおっちゃんの姿。足元にあるのはもちろん缶チューハイ・・・・・・おっちゃん、ガンガレ!

それ以降も続くプチウェーブ。この流れで当たるかもしれませんよー、とSちゃんが一枚づつ買ってくれたスクラッチくじは、100円と500円の当たりくじ。スクラッチなんて10枚買って一枚当たりが出る程度の確率なもんで、金額は別にしてこれはそこそこのツキレベルと言えよう。

飲みに入ったビストロでは、ボトルで頼んだワインを間違ってグラスで出されて「これはサービスします」。翌日以降もツイてることはパラパラ続き、東京で買った宝くじはどれも千円や3千円の当たりであった。

まあ昔見てもらった占い師に、「それなりにお金は回ってくるけど、つかんだお金が指の間からさらさらこぼれ落ちる相」だとか、「一生食べるには困らないけど、宝くじみたいな大きなお金をつかむ相じゃない」と突き放されたもんで、ドリームジャンボ当選に代表される、ウルトラマックスラッキーがやってくるはずねえや、って心の片隅ではあきらめてる。あきらめちゃいるけど、「宝くじは買わなきゃ当たらない」ってのもまた真実。

ドリームジャンボ発売は12月24日、クリスマスイブまで。すでに20枚は購入したけど、もう10枚か20枚買うべきか否か、心はハリケーン・カトリーナで乱れ迷っているところだ。だって迷って当然だよね、ドリームジャンボは一枚300円だけど、300円あったら吉野屋で一食、マックなら三食食べられるんだもんね。

いずれにしても、もし追加購入に踏み切る際には、幸運を呼ぶおいもっこりを忘れず携帯につけていきたい。

今井美樹や真矢みきと同年輩の婦人が身に付けるには、かなり度胸が試されるおいもっこり。袋にはこんな文章が・・・・・・。

もっこりしたおいもを収穫。静岡県在住の佐久隆史さん(39)がこのほど、先端が2つにわかれたさつまいもを収穫し、地元で話題をよんでいる。佐久さんは「まるで人のよう、なぜかもっこりしているし・・・」と変わった形に想像力を膨らませている。地元の子供達は「もっこりーもっこりー」と歓声をあげ、喜んだ。

もっこりーもっこりー!(笑)おいもっこりがこうならば、「金のたまねぎ」はさらにえげつない感じでキン○マ的なのだろうか?そう考えるとびっくりおやさいストラップ、猛烈にコンプリートしたくなってきたので、年内に南千住、行くかもしれん。