2010年4月29日(木)

スベスベマンジュウイヌ。催眠効果のあるこの尻をなでていると、いつの間にやら眠りに落ちてしまうせいで、実家で片づけなきゃならない用事をいつまでも済ませられないままなのだ。

「マヤちゃんを店の前につないで待たせてたら、後ろにあるチューリップだけが揺れてるねん。なんでかなーと思ったら、マヤのしっぽが巻き起こす風のせいだったよ」と犬と一緒に買い物から帰ってきたヘボピー。メルヒェンやなぁ〜!

コッカースパニエルは生まれてすぐに断尾(しっぽを切ること)するせいで、お尻にはポークビッツみたいな短いしっぽがちょこんとついてるだけなんだけど、これがまた笑っちゃうほどよく動くんだよねえ。しっぽ扇風機の風でチューリップを揺らすくらい、お茶の子さいさいだ。

ドーベルマンやグレートデンのように、アメリカや日本では断耳(耳を切ってキリッと立たせること)をする犬種でも、ヨーロッパでは「美観上の理由だけで犬の耳を切るのは動物愛護精神に反する」ので断耳はダメ。

そんな国でも、断尾は廃止にしていない。
というのは、痛覚が鈍い生後すぐに行う断尾に比べて、成長してから行う断耳は犬の苦痛がより大きい、という比較級の問題もあるみたいながら、そもそも断尾が「ハンティングの時にエキサイトしすぎる犬種が、しっぽをビシバシ振って自分の体を傷つけないため」という、一見ちゃんとした理由があって始まったためらしい。

たしかにマヤを見ていると、スパニエルやテリアの仲間といった断尾する犬種にとっては、「ムチと化した自分のしっぽでケガをする」という、「そんなアホな」と言いたくなることも起きかねない。それほどまでにスパニエル犬のしっぽは表情豊かなのだ。

嬉しい時にピコピコピコピコ・・・・・・と振るスピードは、「そりゃしっぽ回りの筋肉も鍛えられて、催眠効果満点のプリケツにもなるわなあ!」としみじみ感心するほど。

寝ている時に話しかけても、ちゃんとピコ・・・・・・ピコ・・・ピコ・・・・・・と夢のお国からお愛想。
いたずらを見とがめられた時には、はじめは誤魔化すみたいにピコピコピコピコ!とMAXスピードで振ってみせるものの、それでも人間が笑ってくれないと、ピコ・・・ピコ・・・・・・ピ・・・コ・・・・・・ピ・・・・・・とだんだんスピードが落ちてきて、ついには完全に停止して、居心地悪そうにお尻をもじもじさせるのは、「あー、自分でも悪いことしたって分かってんだな」と面白い。

だから私はいつも犬がいたずらをしたら、どれだけピコピコしようとも、怒った顔をしてしっぽを観察するのだ。ま、あまり追い込むと、しまいには逆ギレして「うー」と白目をむきだすので、手加減も必要なんだけどね。


私はサルーキ以外の犬種を飼うのはマヤが初めてで、同じカニス・ファミリアリス(イエイヌ)でも、犬種が違うとこれほどキャラクターが違うもんなんだなと感心してしまう。

しっぽ一つ取っても、ピコピコピコピコ!に対してクールで独立心の強いサルーキは、ふぁさっ、ふぁさっ・・・・・・とクレオパトラをあおぐ扇っぽい。それもコッカーみたいに身もだえして喜ぶことはせず、挨拶が終われば何事もなかったように、すました顔で自分の席に帰って行ったものだ。

また、犬たちがそれぞれの先祖から受け継いだクセのようなものを見るにつけ、遺伝ってすごいもんだなーと思う。
たとえばサルーキはタカと組んでガゼルを追っていた仕事のせいか、散歩の時にも上の方に注意が向いている。だから頭上のカラスやハトに気を取られて、電柱に頭をぶつけることもしばしばだった。

反対にコッカーはあきれるほど上を見ない。代わりに地面の上にあるものを見つけて、喜々としてくわえて運んでゆく。きっと主人が撃ち落としたシギ(コッカー)を運ぶ先祖の記憶がなせるわざだろう。

ダックスフンドはアナグマを追って地下にもぐっていたせいで、教えなくても一心不乱で毛布に穴を掘るマネをするらしいし、ラブラドールやゴールデン・レトリーバーは、川に飛び込んで主人の撃った鳥を運んだせいか、水と見ると発作的に飛び込んでしまうと聞く。

そして友人のボーダーコリーなんか、はぐれた羊を群に戻す、という牧羊犬の血がよみがえったのだろう、道路に飛び出しそうになった子供を全身で止めて車から守ったらしいからびっくりだ。

そんなこんなで早いものでマヤももう7才。母がアルツハイマーを発病する数ヶ月前にうちにやってきた赤ちゃんがもう7才とは、時は矢のように飛んでいくものだ。

今は元気なこの犬もだんだん衰えて、長くてもあと6、7年で去ってゆくのかと思うと、いきもののはかなさを感じてたまらなく寂しくなる。

せめて生きている限りはできるだけ可愛がってやるからね、とまじめくさった顔をしてご飯ちゃわんの前でスタンばっている犬に話しかけるのだった。

まじめな顔でおすわりするのはいいけれど、口の回りにさっき飲んだミルクがついたままですよ。

2010年4月27日(火)

クワガタのかぶりものを装着させられてイヤそうだ。それにしてもこういうものまで売ってるなんて、愛犬家って・・・・・・。

一番上にシモネタを置いたまま旅立つのは恥ずかしいから、いつもより早起きして日記更新中でちゅー。

ガイドと運転手と絨毯屋の店主、そして村のガキんちょを懐柔するためのちょっとした手土産をピックアップするだけで疲れ果て、ついレッドカーペットを見てしまったのが一昨日のこと。芸人さんの名前は忘れたけど、「だるまさんが転んだ・ドイツ軍ヴァージョン」には笑ったわぁ。いるいる、こういう裏声の変態軍曹!もう一回見たいな、あのネタ。「レッドカーペット」ってDVD化されてるの?

でもって昨日は昨日で残業が終わって整骨院に行ったら、帰宅は10時すぎ。睡魔と戦いつつ何とか片づけたのは、カメラの充電式電池チェックのみ・・・・・・おおお・・・・・・。

だって、急な偏頭痛や腹の差し込み、そして膝カックンに襲われないためにも、体のゆがみを直してから旅行にのぞむのは、ムチウチで猫背で体ねじれまくりの私にとっては不可欠な準備なんだけど、時間ないのに!とますますあせる。

そんな中、「もうすぐイランだね」と友人からのメールが届いたりするともう、灯油がたっぷりしみこんだ尻に、チャッカマンを近づけられてる気分。「いっそ『男です』で通したら?ミキさんならいけると思うよ!」ってS崎、それは無理だ・・・・・・と言いつつも、やればいけるかもしれない。

そうだ、一つ進歩があったんだ。
機内から装着しなきゃならないコートとスカーフ。頭をおおうものは、アフガンストールとエジプトで愛用したよれよれのガーゼのストールでよさげなんだけど、ワードローブにコートがない。

いや、「コート」というくくりでいいなら20枚ほどあるけれど、どれを取っても迷彩だったりヒョウ柄だったり、「マトリックス」のネオのコスプレにしか使えないデザインだったりで、「体の線をおおかくす地味なコート」というイランのドレスコードにはマッチしない。

あーあ、しよーがないから買うしかないか。ヘボピーはオバちゃん向けショップにて投げ売りされていた千円の、着用しようものなら確実に10才は老けて見られる15号(それしかなかった)のコートを買ってたけど、私もそういうのを見つけなきゃ。ヤフオクでも何枚か入札したけど、ナメてかかってたらどれも落札できなかったことだしさ。

予算は千円。安いスプリングコートならユニクロやジャスコにもありそうだが、多分一度きりしか着ないであろうものに大枚ははたけない・・・・・・となると目指すのは洋服も置いてるブックオフとか下町の中古衣料店。

家族連れでにぎわうブックオフには、赤や緑や、関取が着そうなサイズのとんでもないブツしかなかったけど、オバちゃんが自宅の一階でやってる、崩壊しそうな古着屋さんでいいもの発見!

「ゆったりしてひざまで隠れるコートありませんか」と言うと、たたみの上(自宅ですからね)に山と積まれた古着の中から、リクエストに添うものを次々ひっぱり出してくるオバちゃん。すごい商品の把握ぶりだ。

で、着用しようものなら確実に20才は老けて見られる「燃えるゴミ」、いやセミ・アンティークの中に、一枚だけ混じっていたコート。
エコバックの素材みたいにぺらぺらで色はベージュ。かろうじてそでと衿とボタンとボタンホールはついてますがなにか?という装飾過小なたたずまい。これだよ!これぞイラン・ファッション!

「これ、いくらですか?」と聞くとシーサーの親戚みたいなオバちゃん、投げやりに「1500円はもらわななぁ」
だが、「えーっ、千円にならない?」「そんなアホな。ものの価値分かっとらんな」「千円以下のを捜してるねん」「ほら、いいもんやで、見てみ」「ネットとかだともっと安くあるしなぁ」「1500円や」「頼むわ、千円にしてよぉ!」
・・・・・・という交渉を経て、「もう!千円でええわ!」と目的達成。コートを着ながら世間話などでオバちゃんの機嫌を取り、最後は満面の笑みで見送られたのだった。

いやー、関西人は値切るのが当たり前と思われているかもしれないけど、関西風に言えば「ええかっこしい」である私は値切るのがものすごく苦手。価格交渉に時間をかけるくらいなら、ええい定価で買ってしまえ!と思うタイプなのだが、ボリのレベルが違うイランでそんなこと言っていては、アホ高いものを掴まされる。

「ザ・県民ショー」に、典型的な「大阪のオバちゃん」で登場しそうなシーサーおばちゃんとの、まけて、いやまけられんのジャブの繰り出し合いは、世界に名だたるペルシャ商人との闘いの前哨戦を彷彿とさせて、私のトラベラーズ・ブルーはますます深まるのであった。

2010年4月25日(日)

梅干しよーし、チョコレートよーし、扇子よーし、折り紙よーし!とスーツケースに入れる荷物の指さし確認していると、周辺グッズの準備だけで疲れてきて、主要グッズ(カメラ関係)に取りかかる前に、ちょっとここらでブレイクタイム・・・・・・とテレビの前に座ったのが運のつき。「レッドカーペット」を見ながらゲイの友人にもらったエロ写真を整理しているうちに、ええっ?もうねんねの時間なのぉ?!

それにしても友人ー正確に言うならば、プリントアウト&フォルダ整理を担当する友人の養子さんのー几帳面さが災いして、ひとつのフォルダを開いたが最後、同じテイストの写真を延々と仕分けすることになるのはけっこうキツいものがある。

想像してみて欲しい、「3P」「5POVER」「顔射」「放尿」「ヒゲクマッチョ」「SM(スパンキング)」「SM(緊縛)」「フィスト」etcにカテゴライズされたフォルダを開き、それらをさらに「好き」と「嫌い」に粛々と仕分けする私の姿を・・・・・・。チ○コ大行進にウッときて、だんだん顔に斜線が入ってくるのも当然のなりゆきというもの。

救いはモデルがほぼすべて西欧人なことだけど、なんぼ異人さんが好物の私にだって、ナマコやクサヤのように食べられないものはある。
さらに言うならフォルダの贈り主と私の好みの間には、暗くて深いみぞがあるようで、仕分け後に晴れて「ミキ保存用フォルダ」に昇格するものは、せいぜい30枚いや40枚に一枚くらい。
でもって彼ら「撰ばれし男たち」のほとんどが、パチもんくさい軍服着用、もしくはスキンヘッドオヤジなのは、我ながらトホホとなる。

いずれにしても、もうケツは当分見たくない・・・・・・。フォルダ整理の続きはイランから帰ってきてからにしよう。と同時に「ミキ保存用フォルダ」に入れられなかった写真たちの、身の振りかたも考えてやらねば。

いや、せっかく手のかかったコレクションをプレゼントしてくれたんだから、捨てるって選択は鬼の所行。
今のところは「ハッテン場のトイレに放置した上で、誰かに拾ってもらい、写真には第二の人生を歩ませる」という案が第一候補なんだけど、殿方のテリトリーにちん入して、怪しげな写真を「使ってください」とばかりにこっそり放置する女ってのもなあ・・・・・・場の空気を乱しそうでさすがに遠慮がある。

そんなわけでゲイの方、どなたかこのボタ山を引き継いでくれるならドカッと差し上げますので、「えっちな写真希望」と記入の上、東京牛込局区内私書箱1919号「シシー・カニバリスム 尻フォトプレゼント係」までふるってご応募ください。

ぜんぜんカンケーないけど母。一時帰宅させた時に、パーフェクトボケ老人である事実を隠蔽すべく、私の帽子やサングラスを装着させてみたよ。

・・・・・・おお、目というものがいかに「心の窓」であることか!目を隠しただけで、自分ではもう何ひとつできない、寝たきりのヒトだとは思えない。裏社会の有力者だった夫亡きあと夫に代わり、「イワノフが手ぶらで帰ってきただってぇ?・・・・・・ボルガ川に沈めときな!」なんてピンシャンで采配をふるってる感じだ。

2010年4月25日(日)

あーごめんごめん、寝てたわ。昨夜飲み会でねえ、すぐ準備するからマンガ読んで待っててな、って感じのねぼけまなこ。

「範馬刀牙」の最新刊ゲット。大恐竜時代から時空を越えて、刀牙の前にたちはだかった史上最強生物・ピクルとの闘いを経て、(ピクル、烈の足食べちゃダメ!)次はどんなARIE−NAI展開を見せてくれるのか?と固唾を呑んで見守っていたら、新章は刀牙vs勇次郎の「史上最大の親子喧嘩」・・・・・・ぶるっ、愛憎入り交じるものすごい闘いになりそうで、想像するだに胃が弱る・・・・・・。

で、範馬勇次郎の背中の筋肉が「鬼の形相そっくり」というのは(一部の筋では)常識だけど、最新刊でも天まで駆け上がる勢いの刀牙テイストてんこもり。
父の背中が鬼ならば、CTスキャンを受けた息子の脳味噌のしわは「悪魔の顔」。「脳ってやっぱりスゲェよ!脳はやっぱりサイコーだよ!こんな奇跡に出会えるなんて・・・・・・ッッ」と脳科学者の藻木サンも大・興・奮!刀牙クン、ある意味においてすでに父を越えたわね。

いやはや、こういうテイストがあってこその「刀牙」とはいえ、貧血薬のせいで胃が弱ってる今の私には、この濃度&粘度の高さはちょっぴりキツいかも。「刀牙」は体調がいい時に開くべき漫画だね。でなきゃキャラに精力吸い取られて干物になる。

このように「濃ゆい」という点においては他の追随を許さぬ「刀牙」だけど、きっと作者の板垣先生も人目なんか気にせず我が濃道(のうどう)を歩んでおられるのだろう。
でもって「板垣先生」と聞くと、私が即座に連想するのが「黒ブリーフ」。「黒ブリーフ」と聞くと連想するのは板垣先生(と映画「トロイ」におけるブラピのパンチラ、と友人が作ってくれた黒ブリーフハーネマンCG)。

というのは、以前お友達(漫画家・男)が先生のお宅に遊びに行った時の話ーー「玄関のドアを開いたら黒ブリーフ一丁の先生が出迎えてくれた!」を思い出すから。
そんなこんなで「刀牙」のことを考えている私の脳味噌をCTスキャンしたら、前頭葉には黒いパンツ型の染みが浮かび上がっているかもしれない。


・・・・・・とのんびり漫画を読んでる場合ではないのだ。出発までに一週間を切ったイラン旅行、まだぜんぜん準備してないんだよね。

イランって観光客であっても服装規定が厳しくて、女性の髪の毛はスカーフで隠し、夏でも体の線の出ないコートを着用しなくてはならない。それも飛行機がイランの領空に入るあたりで、さあさあ皆さんファッションチェーンジ!と徹底している。

これは同じイスラム圏でもトルコやエジプトにはない厳しさなので、「えーっ?観光客までイスラムのおきてに従わなきゃなんないの?」と驚かれがちだが、逆に言えば女性の日常生活における一大問題のひとつー「何を着るべきか」について考えなくて済むことも意味する。

だっておフランスやおイタリアに行くんなら「あんまりボロっちいファッションだとレストランでナメられそうだしなぁ」と悩んだ挙げ句、街歩きではこうものなら外反母趾がスレて悶死必至の先のとがったパンプスや、汗の吸収率は最低レベルのとれっとしたワンピといった無駄アイテムを、スーツケースに突っ込まなくちゃならない。

だがイランでは心配ご無用。たとえ犬のアップリケがついた580円の裏起毛トレーナーを着ていようとも、白髪を2ヶ月染めていなかろうとも、パーマとれかけで頭がドバトの巣だろうとも、すべてのアラはスカーフとコートが優しく包み隠してくれるから。

そういうわけでヘボピーと私、「いっそトレパンで行くか?」「コンタクトはやめてメガネで通すのはどうよ?」などと言っていたものの、あまりにもイランをナメるとダリウス大王やホメイニ師の霊に叱られそうなので、そのあたり日本人として恥ずかしくないレベルは守ることにして。

さてさて、日が落ちる前にスーツケースの中身を整理しなくては。
3年間ほど封印していたスーツケースの中では、白い粉を吹いた革のパスポートケースとか、不気味なシミが浮き上がったエジプトポンドが芳香を放っていたりと、なかなかにテリブルな展開になっていたので、まずは使えるものと使えないものを分類せねば。

あーあ、旅行の準備ってホントにめんどくせぇなあ。めんどくさがってるうちに、どんどんネガティブ思考になってきた。
100万も出して楽しくなかったらどうしよう、バザールでの交渉めんどくさいなぁ、一週間も酒を飲まなくて大丈夫だろうか、あっちは車ぶっとばすから交通事故が怖いよね・・・・・・etc、旅立ちの日を目前にして、私は今、トラベラーブルーの真っ最中。でも、今さらキャンセルできないから、ちゃんとちゃんとするしかねえ。

2010年4月19日(月)

この一週間に見たDVDーー
「ピノキオ」(ベニーニ版じゃなくてディズニー版。でもピノキオって、どのヴァージョンでも人をイラッとさせるよな!)「あらびき団」「009バトルアライブ」「極上!!メチャもて委員長」「路上のソリスト」「狩人と犬、最後の旅」「Dウォーズ」「アイス・エイジ3」「ミルク」「紳士は金髪がお好き」、と色とりどり。

おおお……「あらびき団」で見たネタ、「万物は流転する……登別クマ牧場!」が頭について離れねえ!(見たことある人にはお分かりかと)モンスターエンジンの「神々の遊び」も近年稀に見る好みのギャグで、何度見てもテーブルを叩いて笑っちゃうけど、「登別クマ牧場」もすごくいい。

さて、己の将来と投資と恋愛に対しては悲観的でひねくれ者だが、映画に対しては「いいところを見つけよう」と素直な心でポジティブに接するせいで、どの映画にもそれなりに感動と笑い、そしてツッコミどころは見いだされるもの。

例えば手塚治虫&石森章太郎&永井豪で育った世代として、昔は「009」にはどこか気恥ずかしい感じを覚えていたのだが、今見るとすっごくスタイリッシュ!と見直したり、「メチャもて委員長!!」に、マジカルガールへの変身抜きで、普通の女のコ(かなりの変人だが)が「つるつるモテ肌になるには」「足の太さをカモフラするには」みたいな実用情報を提供するコンセプトは新しいかも、と感心したり。 (だが絵は酷すぎる。なんとかならなかったのか?)

そいでもってキャラ的にもいいもの発見。
小中学生の頃に読んだ時には、イケメン島村ジョーの添え物でしかなかった「009」の008(黒人少年)のキュートさに開眼vそりゃ008アイドル状態の同人誌も出て当然だわなぁ……。

「アイス・エイジ3」のバックーあっちの世界にイッちゃってる冒険野郎ーにもたまらなくキュンキュンv。
冷静に見れば下あごの牙が突きだした、片目でブサイクなイタチなのだがこの感じ、何かを思い出すと思ったら、小学4年生の時に「冒険者たち」(「ガンバの冒険」の原作)のノロイにショックを受けた時とおんなじだと気が付いた。三つ子の魂百までってことですね。

そんな中で一番「よかった探し」に困ったのは、やっぱ「Dウォーズ」だな。
「Dウォーズ」では、前世の怨恨を引きずりつつ、異世界の王者として甦るべく 現代アメリカに降り立った悪のドラゴンと善のドラゴンが、巫女的存在の女性(前世・韓国人。現世・アメリカ人)を巡って、高層ビルに巻き付いたり、車を尻尾ではじき飛ばしたりと大はりきり。

予告編を見た限りではCGがけっこう良く出来ていたので、ドラゴン好きとしては押さえるべし!と借りてきたのだが……目の錯覚だった。
米国・韓国合作なのだろうか、なんと言えばいいのやら、ストーリーやキャラが空中分解しててな……一緒に見ていた友人と、いったい何度
「意味不明!」と怒り混じりにシャウトしたことか。

特にエンドロールで何の前ぶれもなしに、♪ア〜リラン ア〜リラン♪と朝鮮民謡「アリラン」が流れた時には我が耳を疑った。
おお、この全身の骨が砕けるほどの脱力感!B級どころかY級。アルファーオメガで言うところのカイかプサイあたり。
まあ「バブルへGo!」「日本以外全部沈没」「戦国自衛隊1549」といった邦画の、テレビ画面を破壊したくなるほどの救いがたい駄作っぷりと比べると、まだ可愛いものなのだが。

そんな「Dウォーズ」で、唯一私の心を揺るがしたのは、悪のドラゴンに象を四頭も食われた動物園?の職員のオッサンの台詞。

ラウンドヒゲ・デブ・野球帽という、ハリウッドB級映画の脇役には欠かせないゆるキャラが、「なにぃ?ドラゴンに象を食われただとぉ?」といぶかしがる警官に、(ドラゴンが)俺を見た目は別れたカミさんみたいだった・・・・・・」と言ったのには腹を抱えて大爆笑。米国男性にとっての「別れたカミさん」(または「離れて住む母親」)の破壊力はドラゴン級!

「俺を見た目は別れたカミさんみたいだった」・・・・・・いやー、よくあるけれども実にいい台詞だ。今度ウォートランSSで新兵にでも言わせよう。

おっと、「Dウォーズ」にエキサイトしすぎて「ミルク」のことを書けなくなった。もう1時半だ、寝なくては。
あと何時間かでニュージーランドの市場が開くので、金曜日に「EUがJPモルガンを詐欺罪で提訴」報道で激震が走り、荒れまくった為替がどっちの方向に動くかを見るために、いつもより早起きしなきゃならないのだ。

「ミルク」はカミングアウトしたゲイとしては米国で初めて公職に就き、後に殺害されるハーヴェイ・ミルクをショーン・ペンが演じた作品。
正直言うと、期待が大きすぎたせいかあんまし面白く思えなかったんだけど……比較的最近、一般劇場で公開されたセクシュアルマイノリティーが主人公の映画として、 「フィリップ、きみを愛してる!」と絡めて紹介するつもりだったので、「ミルク」についてはまた日を改めて・・・・・・。

2010年4月18日(日)

引きこもりにて粛々と家事をこなした一日。
さっきまでマヤにやる肉を小さく切り分けて、2,3食分ずつラップに包み冷凍するという作業を延々と続けていたせいで、手が冷え切って血なまぐさい。

私は動物、特に肉と魚を主食とする動物にエサをやるのが幼い頃から大好きだ。
動物園に行けば、アシカに投げてやる魚の皿を親にねだるのは当然で、通学路ではあちらこちらの犬におやつをやって、天にも昇るいきおいで喜ばれることに生きがいを感じていた。

そして当時作った紙の人形は、ライオン、ヒョウ、アナコンダ、ワニetc、ともれなく肉食動物。そいつらの口の部分には切り込みが入れてあり、そこから紙に書いた骨つき肉、時々小動物(今思うとヤバい子供だ)を突っ込むのにもう夢中。

生肉をいじると、遠い祖先がコメづくりを始めてから失い去ったハンターの野生……さっきまで血をしたたらせていた獲物を、仲間がじっと見守る前で切り分けていた頃の、心のたかぶりが甦るのが快感だったのだろうか。
少女の頃には台所に立って、鳥のキモから赤黒い血の固まりを除去したり、鳥皮の裏から脂肪をこそげ取るという、普通の女の子なら飛んで逃げそうなお手伝いが趣味だった。
けれど……手の匂いが気になる大人になった今、延々と肉を切るのにはもううんざり。

包丁が入りにくいすじ肉を、こんなにたくさん切らなきゃならないなら、プロが使うようなバカでかい包丁が欲しくなってくる。 家庭用包丁では、手元が狂って自分の指を切り落としそうですごく怖い。ちょっくら向かいの肉屋に走って、でかい包丁を借りてこようかな、とふっと思ったりして。

でもって白いビニールのエプロンをかけて、右手の包丁をぎらつかせつつ、左手からは臓物をぶら下げた己の姿を鏡に映して微笑んだら、ホントの自分が見つかるかしらv

それにしてもちっちゃなコッカースパニエル用の肉なんて、少しづつ買った方が鮮度が保てていいと思うのだが、父は土佐犬に食べさせるつもりか!と言いたくなるほど買ってくるんだよねー。

それはきっと、戦中戦後の食糧危機の記憶のなせるわざなのだろう。出征経験のある父は、平成の世にあっても食料を大量買いして娘たちに怒られる。いくら言ってもその癖は直らないので、最近では私もヘボピーも、もう仕方ないよね、と諦めぎみ。

とは言え、目もかすんで手元も震える老人に代わって、肉を切り分けるのは私たちの仕事になるんだから、やっぱりやめて欲しいぞ大量買い。ま、大量とはいっても、コッカースパニエルの食べる量なんて大したもんじゃないんだけどさ。

思い起こせばサルーキが三頭ーーハルとキナとナチ(私のHNの由来はナチスじゃなくて、一才の誕生日に行方不明になった、大好きだったこの犬だ)がいた頃には、犬用にと千葉の肉屋から取り寄せた臓物肉ミックスを切り分けて、ラーメン屋にあるようなズンドウでぐつぐつ煮込んでいた。

そのせいで、手が血なまぐさくなるのみならず、玄関を開けると裏でなにかよからぬことが行われているような匂いが鼻をつき、部屋に上がれば上がったで、地獄のハウンドX3にクンクン匂いを嗅いで検分されるわで、ミキ家はもう、客もおののくキラーハウスの様相を呈していたにちがいない。

そんな昔を振り返りつつ、入刀を拒否するすじ肉に力まかせに包丁を入れていると、足元から「ふぅうぅううーーーっ」と、思いっきりわざとらしいため息が聞こえてきた。……マヤだ。さっきから美味しそうなにおいがプンプンしてるくせして、頭の上からちっともいいものが降ってこないことにしびれを切らした犬のため息だ。

犬の期待に応えるべく、生で食べさせても腹を壊されなさそうなパーツを選びながら、これからはマヤの肉、父に任せずに自分で買おう……と思うのだった。

くるんっv・・・・・・って感じのおねだり顔。かわいい・・・・・・自分の犬を「かわいい」などと言うのは、愛児を「豚児」「愚息」と呼ぶ日本人のメンタリティーからするといかがなものかと思いつつも、やっぱりかわゆいーんvvこの顔で「ふぅううううぅーーっ」なんてもどかしげにため息をつかれた日には、つい肉きれのひとつも放ってしまうというもの。

2010年4月18日(日)

父が母のホームに見舞いに行っている間に、万年床をあげて掃除機をかけ、布団はベランダに、敷パッドと毛布を洗濯機に。
母が元気だった頃ならこういうことは、母がきちんとやっていたんだろうけど、病が進行してからは父が自分でやっている……はず。

けれども80の峠をとっくに過ぎた父の老いぼれっぷりは、近頃ますます加速度を増しているせいで、布団を干したり洗濯させるのも気の毒だ。だから食事のみならずこういうことまで世話するようになったのだよ。お父さん、子供が娘ばかりでよかったね。

そんなこんなで、洗濯機がぐいんぐいんと力強く回転をはじめた10秒後……。
ポロロッカ真っ盛りのアマゾン川、いやむしろ中国・重慶の工場わきを流れる用水路を彷彿とさせる、さわると手が腐りそうなグレーの濁流に悲鳴をあげた。なに?なんなのよこの汚水?!

「ちょっと見てよこの色!」ヘボピーを呼び寄せて、そのドブ水っぷりを姉妹で鑑賞。「自分のことは自分でできる」なんて偉そうなこと言って、長いこと洗濯してなかったんだね。この毛布、ほんとはグレーじゃなくてブルーだったんだ……いま初めて知ったミキ家のひみつ。

「これじゃ『サッカー部員の元気な男の子が三人います』って感じだねー」と感心する私に、ヘボピー曰く「いやむしろ自衛隊の洗濯機だよ!」
そう言われれば体表面積も発汗量も、演習場での泥まみれっぷりもケタ違いの自衛官たちにこきつかわれる洗濯機の水は、さぞかしウルトラMAXダーティーに違いない。

もし電化製品に生まれ変わるなら、間違っても自衛隊の洗濯機だけにはなりたくないなあ……。 どうせなら腐女子かゲイアーティストのパソコンと化して、ある時ははてなき欲望を優しく受け止め、またある時はフリーズしてハンパな妄想に抗議を示すのだ。

さて、想像を絶するハードワークを要求されているであろう自衛隊の洗濯機だが、ヘボピーによれば、アホ高い新兵器に予算を取られすぎて、現場に回すゼニがなくなり、しょーがないから自衛官みんなでお金を出し合って洗濯機を買う……なんて憂慮すべき事態が起こってるらしい。

それだけでも十分気の毒なのに、光熱費節約のために、風呂を二日に一度にするなんて案まで出たそうだから偉い人って非情なもんだね。ただでさえ二時間で500〜700人も入らなきゃならないそうなのに……。ヘボピーの友達なんか、時間が無い時には真冬に水シャワー浴びてたそうだ。自衛隊残酷物語。

組織は人なり、とよくいうけれど、人の部分から削ってお上は一体なにをやってんのやら。心おきなく入らせてやれよ、風呂くらい。

洗濯して本来の色を取り戻した毛布を取り込んで敷き、もう一度ベランダに出てからふと部屋を振り返ると、マヤがこういうポーズのまま石化していた……。犬ってバカ。それにしても犬ってどうして洗濯したてのものの上に乗りたがるのだろう?

2010年4月17日(土)

朝ご飯を食べながらテレビをつけたら、画面に映った赤・青・緑の三体のガンダムが「我ら生まれた日は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん!」とシャウトして桃園で剣をクロスさせとった。ガ、ガンダム(SD)なのに三国志?!シュールだ・・・・・・。

でもって、三国志ガンダムの次の番組は「リボーン」。見る者に息つく暇を与えぬこのアニメ波状攻撃、さすがテレビ東京系だけあるな。
それにしても私がジャンプで読んでいた頃には、主人公はかろうじて普通の高校生だったはずなんだけど・・・・・・今日のOPを見ると話が宇宙の果てまで広がっててびっくりだ。
被毛が炎みたいに燃えてる白虎や、中空にふわふわ浮いてるマシン(念動力で浮くっぽい)に乗ったハムスター?、背中の大きな白い翼をぶわさっー!と広げる美声年・・・・・・とキャラがものすごいことになってるんですけど・・・・・・ツナってまだマフィアのボスなんだよね?ひょっとして「実はイタリアどころか異世界の王でした」まで話カッ飛んでる?

まぁどのキャラを取ってもイケメンそろいの「リボーン」、同人人気が高いのも分かるわぁ。これだけイケメンキャラが多いと絵の好き嫌いは別にして楽しそう。カップリングのバラエティーもすごい豊かにちがいない。リボーン腐女子、イベントでは買わなきゃならない本が多すぎてぎっくり腰になりそうだ。それにひきかえメインキャラが7人しかいないウォートランは・・・・・・(以下略)

いかん!!もう出立の時間だ。一週間前に慣れないハイヒールのせいで、足をくねって転んでひざを怪我してから、ひざのみならず腰まで具合が悪くなってきたからこれから整骨院に行かなきゃならない。病院が終わったら電車に乗って、昨年交通事故で亡くなったいとこの墓参り〜そのまま実家で親の世話。はぁああ〜忙しい・・・・・・。

そういうわけでなぐり書きだけど、ひとまず元気にしていますってことで。続きは実家で書いてきます。クパハネエロも短いのを思いついたからいっちょ頑張って仕上げるよ。

2010年4月11日(日)

プリプリしたおちりの下に、小ベンツならば余裕で買えそうな価値ある絨毯たちを敷いて、心なしか目が泳いでいるマヤちゃん。

以前、一番のお気に入りにたっぷり下痢便をされて以来、犬をうちで預かる前にはリビングの絨毯をすべてパソルームに避難させるのだが、トイレは済んでるし足の裏とおなかをしっかりふいたら大丈夫だろう、と何となく絨毯にのっけてみた。

すると絨毯上に配置されたきり、ゴーゴンに睨まれたあわれな犠牲者みたいに動かなくなったよ。目にもありありとおびえの色が浮かんでいる。人の心を敏感に察知する犬族の能力ってすごいものだ。「大丈夫だろう」と言いつつも、私の心の隅にある豆粒ほどの「万が一にでもそそうされたら・・・・・・」というおののきを感知したのだろうか。

思うに以前こういう布っきれの上でおもらししちゃった時に、私がオイオイ泣きながら(でも「トイレ行きたい」というサインを見逃した自分が悪いから、犬は叱らなかったよ。偉いぞ自分!)ふき掃除していた主人の悲しげな後ろ姿の記憶が、ちっちゃい脳味噌によみがえったのだろう。犬って人間が思っているよりはるかに繊細で利口なものだ。

そんなマヤは今美容室でカット中。お迎えに行くまで自宅で時間をつぶしている。外はいい天気だけど、引きこもりで掃除。たまには絨毯に掃除機をかけなくては虫がわく。

掃除が一段落したあとは、エジプトで買った螺鈿細工の小さなテーブルを80年モノの絨毯の上に移動させてから、アテのベルキューブと紅しょうが天を冷蔵庫から出して、まっ昼間からシェリー酒をあおりつつ「ペルシャ絨毯文様事典」でイメージトレーニング。そう、イランの絨毯屋でカスをつかまされないよう、今からハードな審美眼鍛錬を重ねなくてはならないのだ。

それにつけても私はやっぱり絨毯が好きで好きでしよーがない。人間より銃が好きなハーネマンと、互角に戦えるフェチレベルかもしれない。
日本では理解されにくい嗜好だし、誰に言っても「たかが織物にそんな大金を・・・・・・」とあきれられるけど、これまでに給料の大半を投入してきたことに悔いはなし。なんていうか、繊細なペルシャの美に触れていると心に平安が訪れるんだよね・・・・・・。

昨日もどうしようもなく腹がたって仕方がないことがあって、イライラして睡眠不足になるほどだったんだけど、こうして絨毯が敷き詰められた部屋に静かに座っていると、怒りや憎しみがすーっと消えていくのが分かる。
絨毯好きはみな私と同じことを言っていて、絨毯のもたらす平安に魅了された人々がコレクターと化すのかもしれないけど、この平安はどこからもたらされるものなんだろう、と絨毯を見ながら考えた。

思うに、ペルシャ絨毯の柄には、寺院の天井やタイルを模したものや、天国の花や鳥を描いたものが多い。
私はイスラム教徒ではないけど、祈りの力とか、花にあふれた楽園へのあこがれなんかは民族を問わず共通のもので、絨毯には人の心を安らかにさせるシンボルが、これでもかと詰め込まれているせいで、見ていると気持ちが落ち着くんじゃなかろうか。

それに、大きなものでは完成までに2年ほど要するペルシャ絨毯には、一目一目織り上げる織り子さんの手の温かさとか、草木染めならではの優しさが感じられるのもいいんだよね。

・・・・・・とネヴァーエンディング絨毯妄想しているうちに、マヤっこのお迎えタイムが迫ってきた。
それにしてもコッカースパニエルのトリミングって大変なものだ。美容師さんに「何時に迎えに行ったらいいですかねー」と聞いたところ、「今日は二人がかりでやりますから早いですよ。うーん、4時間半でできると思います」・・・・・・って、ちっちゃい犬っころのシャンプーカットに
よじかん・はん!

それだけの手間と時間をかけても、カット料金は9千円弱ぽっち。私ならその時給ではやりたくねーな・・・・・・。
シャイな客には噛みつかれ、毛玉だらけの客には手を取られ、犬用シャンプーで手は荒れ放題。トリマーって犬を心底愛していなければ到底できない仕事だよなあ。
カットが終わったデブでわがままな犬を「マヤちゃん、えらかったねー」といつも優しくあやしてお菓子をくれるトリマーさんには、ただただ感謝するばかりだ。

2010年4月10日(土)

今週末も実家でまったりしている。
実家に帰ってくると、父の食事を作るのにかなりの時間と手間を取られるのがめんどくさい。日頃家事をしない私なんかは、一日中ご飯を作っている気分になってくる。

でも、父はいつポックリ逝ってもおかしくない年齢。同級生もほとんど死んで残っているのは父他数名……なんて言ってると期寿(100才)まで長生きするかもしれないけれど、この世にいる間くらいは美味しいものを食べさせてやるのがせめてもの親孝行。
というわけで、ゴロゴロしてばかりのボンクラ亭主に殺意を覚える奥さんの気持ちも分かるよなぁ、とつぶやきつつも、せっせとお料理にいそしむ週末。

で、ご飯の準備と犬の世話が終わるとDVDを見たりサイト用の日記を書いたり。実家は非ネット環境なのが不便な一方、つい漫然とネットサーフィンしちゃうことがないもので、時間を有効に使えるのはメリットかも。

暇にあかしてこの二週間に見たDVDのことをちょっくら。
<すでに見たけどふたたび萌えを求めて>
「アドルフの画集」
芸術家になりたかった貧乏たれのヒトラーが、もし本当に才能を認められて画家になっていたら……というタラレバ話。裕福なユダヤ人画商(マックス)と奇妙な友情を結ぶアドルフが、大きな声では言えないがなんとも……
愛らしい。
レモネードをおごって欲しくてわざとらしい咳をしたり、冷たい手にハーッと息を吹きかけたみたり、マックスと自転車の二人乗りをしたりと、特大カツ丼並に萌えテイストてんこ盛りで、腐女子胸焼け。

言うまでもなくこれはドイツ映画ではない。イギリス・ハンガリー・カナダの共同製作で、ドイツでは公開すらされなかったらしいが、それも当然……っていうか、よくこんな映画作れたなーと感心すると同時に、封切り後の世評がとっても気になる。
きっと監督宅には世界各国の消印が押されたカミソリ入りの封筒が、津波のように押し寄せたに違いない。「もしヒトラーに独裁者になる以外のチャンスがあったら」という切り口のせいで制作者の身の安全が心配な、ひとことで言うならばそんな映画。

主演のノア・テイラー、これがまた私のタイプでな。サム・ワーシントンに代表される「イカニモ海兵隊」もいいけれど、ノアみたいに目つきがフラフラして神経質で芸術家肌の男も大好きなんだよねー。 いや、あくまで見るだけなら。

でも他の出演作は「シャイン」も「あの頃ペニー・レインと」もノアの愛らしさが出ていなくてイマイチだった。かろうじて「ラースと、その彼女」ではチョイ役ながらも、フィギュアマニアで落ち着きゼロの根性悪男役がはまってたかな。(「ラースと、その彼女」もツッコミどころ満載のものすごい映画だったので一見をお勧めする)


「スターリングラード」
第二次世界大戦末期、ドイツ軍に包囲されてズタボロのスターリングラードにて、必死の抵抗を繰り広げるロシアン狙撃手たちの物語。
画面の色調は常に薄暗く、塹壕には泥と垢にまみれたロシア兵士がイカめし状態で詰め込まれ、体臭がスクリーンを通してツンと鼻をつきそうな香り高い映画だ。

最初見たときには、まだ髪の毛ふっさふさだったジュード・ロウの美貌にびっくらこいて、おお神よ!このようなハンサムを地上に遣わし給もうたことに感謝します!とのたうちまわる勢い。

加えて、ジュード演ずる主人公ヴァシリ・ザイツェフは、スナイパーとしての腕前は超一流、敵軍の士官を次々と地獄に送るロシアのヒーローなのに、読み書きはかろうじてできるもののスペルなんかてんでむちゃくちゃで、インテリの友人にナメられまくる無学な羊飼い、というキャラも愛らしくて胸がキュンキュンv(主人公は実在の人物がモデルだそうです)

そのせいばかりでもないが、ヴァシリに彼女(モスクワ大学・文学部卒の才媛)ができて、イチャつきシーンが随所に差し挟まれたのはすごく不満だったなあ。せっかくドイツ将校との狙撃合戦が緊張感を保って進行していたのに……戦争映画に女は無用だ。

ほーらほら、貴方たちが「眠りながらしかめ面ばかり」「ずっと見てたのか?」「一晩中。幸せそうないびきもv」「いびきを?俺が?」「ええ。ブタみたいに……なーんてイチャイチャしてる間に、二重スパイとして働いていた少年はぶっ殺されて、ポールのてっぺんから吊されてますよ?

……と「スターリングラード」封切り当時は主人公の彼女に、握りしめたこぶしの爪が肉に食い込むほど嫉妬したものだが、今見直すと「ヴァシリくん、彼女とお幸せに。子供もどんどこ作って祖国復興に役立ってねv」と祝福したい気分いっぱいだ。

なぜなら今は主人公よりも、ガキんちょを吊した張本人ー自分もけっこう気に入って可愛がっていたチョコレートが大好きなハナ垂れ坊主すらも、少年ながらも立派に戦闘員ということで、任務のためなら殺害して囮とすることも厭わない、クールなバイエルン貴族のケーニッヒ少佐に萌えまくったから。

おおお……このオッサンがこんなに渋い男だとは9年前にはぜんぜん思ってなくて、「子供も殺す人でなしのナチ野郎」程度の認識だったのに……。今では完璧にロシア側からドイツ側に共感の軸足を移して見ている自分がいた。

宿敵との最後の戦いの地に向かう前、ヒトラーから与えられた鉄十字章を首からはずし、代わりに第一次大戦で戦死した息子の旧鉄十字章を身につけるシーンとか、ヴァシリに頭を打ち抜かれる前、進んで的を銃口にさらすかのように自分から帽子を脱ぐ時の、意志力に溢れた誇り高い表情なんかは、も、もう・・・・・・(ホップ、ステップ、ジャンープ!)た・ま・らーーん!
まったく、萌えとはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしのないものなのですね。


「崖の上のポニョ」
言わずもがな、人魚姫。でもこの人魚姫はアグレッシブだ。泡になって消えたりなんかしない。
ラストシーンで、いつまでたっても人間になるためのチューをしてくれない宗介に業を煮やして、自分からキスする場面が止め絵になるところなんかもう大好き!

「ポニョ」は私がジブリ、いや、これまで見た全てのアニメの中でベスト3に入れたいほど好きな作品。(ベスト1はズデネック・ミレルの「知りたがりわんちゃんとたまご」、ベスト2は2009年・谷口悟朗監督版の「ジャングル大帝」……ってのは大ウソで、ディズニーの「眠れる森の美女」)

これまでジブリ作品って、クオリティーの高さはケチのつけようがないところながらも、押しつけがましい教訓臭さ(ナウシカとかもののけ姫)と台詞回しがあんまし好きになれなかった。
妹ヘボピーも「黒沢映画と同じでジブリも台詞回しがクサくて鼻につく」と言っていたけどまったく同感だ。登場人物が子供ながらやたらと礼儀正しいのにも(「トトロ」のさつきとかね)ちょっと白けちゃうしさ。

でも「ポニョ」はそれほど台詞のクサさに引っかかることなく見られたな。まぁ宗介がたったの5歳だというのに、「ありがとうございました!」「さようなら!」と言うたびに、大切な接待相手を見送る下請け会社の部長ばりに深々とお辞儀をするところには、「あージブリだなぁ」と思ったけど。

絵は近年のアニメには珍しく、デジタルじゃなくて手描きだそうだが、あれが手描きの味というやつなんだろうか。ポニョが宗介会いたやの一心で、大波を起こすシーンなんかはあまりに美しすぎてウルウル。
デジタルと非デジタルの長所と短所について私はよく知らないけど、「ポニョ」の描線はデジタルほどパキッとしてないけど、ざっくりシンプルなところが力強くて見ていて心安らぐ感じ。

もちろん当サイトがハーネマン派の方々に「四の五の言わずとりあえず見とけ」と強力プッシュするフジモト氏のことも忘れてはならない。ほんとフジモト氏、私の持ってるハーネマン像(ダメっこパート)にものすごく近いのだよ。

「ポニョ」を見るのはもう5回目くらいだけど、フジモトさんって何回見ても惚れ惚れしちゃうのよねぇ、特にあの繊細な手の動き、たまらないわぁv……と管理人、ポニョを再生するたびに韓流ファンのオバちゃん状態と化す。もう、ケチらずに買っちゃおうかな、DVD。

いやホントに「髪の毛」レイヤーを不可視にしなくても、脇腹が痛くなるほど萌えられる愛らしさなので、ヲトラン系のみならずダメっこ萌えの向きは「ポニョ?子供向けでしょ?」とあなどってないで、騙されたと思ってまずは見るべし!見るべし!見とくべしーっ!

2010年4月4日(月)

子宮のことを書いた次の日には「I LOVE49(しきゅう)プロジェクト実行委員会」からバジルの種が届き、ちんまいポーチの中の通帳に、残高300万の通帳を遺して孤独死した友人の叔母さんのことを、「明日は我が身」と書いた日の夜にテレビをつけると、NHK「無縁社会」の特集で「俺も将来は孤独死かな」という同年代の人々のつぶやきが紹介されていた。これも一種のシンクロニシティー?

それにしてもあれほどまでに多くの30代、40代の独身者たちが、「孤独死やむをえず」と半分諦めの境地にあるとはびっくりだ。この問題を含めて近頃「日本、冗談抜きでヤバいんじゃないの?」とダークになることが多いなぁ。まさに「日沈む国」。サンセット・ジャパン。

ご存じの通りかくいう私も独身単身者の一人。親戚づきあいもほとんど無いし、甥も姪もいないから、そう遠くない未来に独りになる可能性が高いもんで、「孤独死やむをえず」とTwittってる人たちにはすごいシンパシーを感じる。

とは言え私の場合は、異性間の結婚しか認めない上に、男女別姓も許されない結婚制度に対して、ものすごい拒否感があったせいで、籍を入れない結婚形式ー「事実婚」を撰んだのは自分の勝手で、子供を持たなかったのも自分の勝手。離婚したのも自分の勝手だから、今になって「独りが寂しい」なんて間抜けなつぶやきを放つのは、さすがに遠慮があるんだよね。

けれども、家族を持ちたいとか、血縁はなくても人と一緒にいたいと強く望みながらも、経済的問題その他さまざまな理由で望みが果たされない人たちにとっては、単身者でいることの不安とやるせなさは時に耐えがたいものに違いない。
そして「俺も将来は孤独死かな」と諦めのポーズを取ってみせても、孤独が呼び起こす不安は、病気になった時に最高潮に達することだろう。

病気といえば私の場合は2年ほど前、風邪薬のショック症状?で夜中に死ぬかと思うほど具合が悪くなったことがある。
ケータイを開いて当時の履歴を見ると、ヘボピーに「水をかぶったみたいに背中が冷たい。部屋中にイヤなものがいっぱいいる。死に神が来ている感じ」なんて不気味すぎるメールを送っているが、悪霊が来てたか来てないかはおいといて、あの時ほど独り暮らしの恐ろしさを痛感したことはない。

結果的には、次の日CTスキャンで頭を検査した結果、単なる「蓄膿症」で片づけられたから、「予想より早かったけど楽しい人生だった」とドラマチックに別れを告げつつ、「男ヌード本はKさんに上げてね!」と、筋肉写真集の心配だけはきっちりしているメールは笑い話で済んでるんだけど・・・・・・。

あれが脳梗塞なら携帯を握る余裕すらないはずで。「ぐっ?ぐぎぎぎぎぎ……!だっ、だれかぁ〜〜!と呻きながら、誰もいない部屋で虚空をかきむしって独りぽっちでこときれるのって、一体どんな感じなんだろう?走馬燈ってホントに見えるのかしら、などと果てなき想像を巡らせるだけで死にたくなる。

まぁそう言いつつも、じゃあ結婚する?と言われると二の足を踏んじゃうんだよね・・・・・・。
それは、広めのスペースを20年近く独占して暮らししているうちに、常に一頭で行動するトラ並にテリトリー感覚がぜいたくになったせいもあるけど、今から人と深く理解し合って、信頼関係を築くのも大変そうだね、とつい投げやりになるからだ。

あーあ、たとえ結婚してなかろうとも子供がいなかろうと、年くったら単身者が入れるアパートメントー皆がつかず離れつの関係を保ちつつ、病気になった時なんかには助け合える互助会的なシステムはできないものだろうか。
ビアンやゲイの人たちと話していると、「老後はアパートを一棟借り上げて、みんなで住むのが理想」という話題がよく出るけど、セクマイもそうでない人にも、そういうセーフティーネットがあれば、孤独死への恐怖も少しは和らぐだろうに。

まぁ人間とは生まれてから死ぬまで孤独なもの。孤独や死への恐れとどう向かい合うかについては、古今東西の偉い人が色々と思索を重ねてくれているので、私なんかが今さら考える必要はなし。
ただ、脳梗塞でバッタリいった時に、腐敗して昆虫の保育所になる前に発見してもらえるよう、でもって押入に積み重ねられた無修正エロファイルのボタ山を警官に目撃されないよう、具体的対処法だけはぼちぼち練っておかなくては。

2010年4月2日(土)

下の日記で「子宮が憎い」なんて書いた矢先、実家のテーブル上にヘボピーが置いた小袋を発見。
スイートバジルの種が入った小袋には、かわゆくキャラ化された子宮のイラストと、みつをフォントで
「みんな子宮から生まれてきた LOVE 49v」(vはハート型です)。

見たとたんに「ぷっ……何コレ?」と思いっくそバカにしたものの、保健体育の教科書に載ってそうなリアル子宮イラスト(胎児つき)では、渡された方は血のしたたる生肉っぽさににびびって、受け取ったと同時にブン投げかねないから、たとえ卵巣がイアリング、卵管がお手手になっていようとも、このレベルのキャラクタライズは妥当な線か。

裏をひっくりかえすと、あらま、49(しきゅう)に捧げるこんなポエムv

0才の赤ちゃんも 100才のおじいちゃんも/みんな 子宮でいのちをもらった
その子宮が いま/あまり大事にされていないみたい
(中略)
もういちど考えてみて/子宮から生まれてきたことを
子宮がいのちとつながってることを
4月9日は子宮の日/女の人も男の人も子宮を大事に想う日
子宮を愛そうLOVE49v

うむむむむ……こっ、これはこれでなかなか……。「いのち」ってワード乱発には、鳩山サンの所信表明演説や、阪神大震災の慰霊イベントを筆頭として、尻がゾゾゾとするが、まあいい。

もらったヘボピーはさっき自衛隊駐屯地に花見に行ってしまったから聞けないけど、これを一体どこで配っていたのかが気になるところだな。
産婦人科の病院なら自然だが、多分駅前やセンター街なんだろう。「女の人も男の人も子宮を大事に想う日」とあるからには、男性にも配ったのだろうか。手渡された未婚男子の困惑した顔が目に浮かぶ。

……なんて言ってちゃダメだと思いつつも、生殖器絡みの病気って、どこか口にするのがためらわれるんだよねー。
子宮頸ガンや乳ガンのみならず、ED薬のCMや天皇陛下の前立腺ガン報道ですら、思春期の娘ならいざしらず、すっかり育ちきって産卵を終えたシャケのように脂気が抜けた今ですら、そっと目を伏せてしまう話題なのは、性教育が過渡期にあった「ふしぎなメルモ」世代ゆえだろうか。

そのせいか、筋腫の検査で会社を遅刻する際には「貧血の検査で……」とぼかしちゃうし、貧血にあえぎながらも手術をせずに閉経までしのごうとしているのは、メスが怖いのもさることながら「子宮の病気で入院する」という事実から目をそらしたいし、上司や同僚にも言いたくないからってのもあるんだよね……。

ともあれ子宮を大事に想わなきゃならないのは確かなこと。いや、肝臓も眼球もランゲルハンス島も大切さにおいては同じなんだが。

特にまだ繁殖適齢期を過ぎていない年齢の人は、たとえ今「ガキんちょなんてキライ!いらない!」と思っていても、生物学的タイムリミットが近づくにつれて、いつ何時「子供ってやっぱ可愛いよね」と180度方向転換しないとも限らない。
たとえ認めたくなくても、それが死にゆくさだめにある生き物のことわりというもの。ガキんちょなんて大嫌い!派の急先鋒だった私も保証する。

それにもし、ポール・ウォーカーやサム・ワーシントンみたいなハラショー(当社比)な男子が現れて、「この人の子供ならさぞ可愛いだろうなあ!」と胸をわななかせつつ彼のマティーニにハルシオンをひとつ、ふたつ、みぃーっつ!……なんて悪だくみしようとも、肝心の時に既成事実が作れなくてガッカリ……って羽目にもなりかねない。

だから生理不順や生理痛で悩んでいる若い人は、めんどくせーなと思っても、一度婦人科の扉を叩くことをお勧めする。婦人科の病気って、「30代の日本人女性の三分の一は持っている」とあなどられがちな子宮筋腫レベルでさえ、こじらせると結構イヤなものなんですぜ。

「もらった種はちゃんと育てるからねv」と精液奪取に成功したビアンカップルばりに話しかけたオシロイバナの子孫。右は以前ここで「やっと芽吹いた!」と嬉しがっていたやつ。そこそこ育ったから「もっと日光にあててやろう」と好意で外に出したら半生半死に・・・・・・。水は欠かさず液体肥料も与えてマメに世話をしてきたのにショックだ。

一方左は土に種を混ぜたまま、ぜんぜん生えてこないから諦めてなーんもせずに放置プレイしていた鉢。春がきたからだろうか、突然ムクムク芽が出てきた。トトロのしわざ?
気にすればするほど報われないのは、人間も植物も同じなのね・・・・・・(涙)

2010年4月3日(土)

カエルはラッキーアイテムだと聞いて、先日買った指輪入れは玄関に配置したよ。あと、赤いものを入り口に置くと邪を払うらしいから、「シュワちゃんが飛び出してきそうな柄ですね!」友人に言われたマッチョ系絨毯&赤い皿を。一体どれだけ福を呼び込もうと言うのだ・・・・・・。
あとは正倉院御物柄の布とトルコのイズニックタイル、そいでもって銃が大好きなドイツの妖精さんも国境線哨戒中。

ネットで見つけて一目惚れ。フインランドのブランド、イッタラの皿には、トーベ・ヤンソン(ムーミンの作者)が描きそうなトロール風の動物が描かれている。
はじめ見たときにはトリ?と思ったけど、よく見たら耳としっぽはキツネで足はシカ。どうやら一種の幻獣みたいね。

「お元気ですか?」と聞かれたら「元気じゃないです・・・・・・」と答えたくなる今日このごろ。主な理由は貧血による体調不調かもしれないけど、「血が足りない」だけでは片づけられないほど絶・不・調。

一時に比べると仕事はそれほど忙しくないというのに、これがもう、家事も、趣味も、運動も自己管理も、笑っちゃうほどぜーんぜん何もできてないんだよね。何もできてないから「これじゃいけない!」と気ばかりあせって、でもどうにも気力が起こらなくて、あ、これが負のスパイラル?って雰囲気満点なんだ。これって中年特有のウツなんだろうか。

貧血といえば先日子宮ガン検診のため、一年半ぶりに婦人科の門をくぐったところ、貧血の原因であるお子さんもとい筋腫はすくすく元気に育って、あとは古代の邪神として現代に蘇り、ホピ族の祈祷師との闘いの日を待つのみ・・・・・・というと映画「マニトウ」だけど、サイズの方は古代の邪神と呼べるほど巨大化はしておらずちょっぴりホッ。

でもね・・・・・・できてる場所が悪いらしく、先生の顔が心なしか雲っていたのがものすごく気にかかるのだ。
前回の検診時には、このまま閉経まで辛抱して逃げ切るのも一手です、と言われてたんだけど、今回は手術も微妙に勧められてさ・・・・・・。
これまでは貧血になるだけで済んでいたけど、運が悪いと生理の時に血が止まらなくなって、救急車で運ばれ下手すればそのまま失血死、ってパターンもありうるだなんて聞いたら、「ダイ・ハード」のジョン・マクレーン刑事だってきっとブルーになるというもの。

とはいえ手術もおそろしい。これまで発狂したマヤっこに、ビニール傘で応戦したがガードが甘くてガブッといかれたり、裸の大将似のランニング姿のオッサン(住所不定無職)の運転する車にひっかけられて、耳がちぎれかけて縫ったことはあるものの、対メスではヴァージンのこの体。「筋腫を子宮の内側から少しずつ削り取って、育ってきたらまた削る」なんて手術、想像するだけで卒倒しそうだ。

以前から己のオッパイと子宮は嫌いだったけど、こういう事態に陥ると、子供生まないんならこんな器官いらねーよ、いっそ筋腫だけといわずまるごともってけセーラー服!・・・・・・とますます恨みがつのる。
でも、子宮を取った友人の話では、なくなったらなくなったで色々と大変だそうだしなあ。やっぱはじめから持っていたパーツを失うと、いろいろ支障が出てくるものなのね、自然のことわりとして。

そんなこんなで体調不良、気分は憂鬱、惚れた相手はナチュラスルスルーだし、酔っぱらってコンタクトは落とすし、白髪はふえるし投資では絶賛ボロ負け中。タコツボから頭を出したら速攻スナイパーに脳味噌吹き飛ばされそうな、そんなストレス満点のヤな感じ。

そんな穴ぐら状態から這い出すために、見るとやる気が出る「ハート・ロッカー」にまたまた行くのだ。それにイラン旅行だっていい気分転換になるかもしれないしね・・・・・・いや、ものすごいゼニ払うんだからなってもらわないと困るんですけどー!ちょっぴり不安。

おっと、時間がたつのは早いなあ。そうこうするうちにお迎えの時間だ。
せっかくの休日、自宅の用事は山積だけど、父がまたまた怪我をしたもので(怒)実家に戻らなきゃならない。で、同じ方向に行く友人が送ってくれるというので、これから車で帰るのだよ。

その友人は友人で、88才の叔母さん(親兄弟すべて死亡。未婚子なし。元銀行員でお金持ってたはずなのに、そのほぼ全てを投資で失ったらしく、残っていたのは三百万円のみ・・・・・・オイラの未来?)が突然死、一番近い血縁者である彼が走り回る羽目になってスゲエ大変そう。
そんな叔母さんの話を聞くとますます、「人生このままでいいのか」って思っちゃうんだよね・・・・・・とこのままではうじうじのエンドレスプレイになるので、このあたりで切り上げてせいぜい親の世話してきまーす。