パンジシールにて




君のために捧げる
この魂
君は再び帰ってきた

桑や葡萄の樹が植わった農地の間を流れる小川の清らかな音を聞きながら、風に揺すられるたびに赤い花びらを薄紫色に染まりかけた空にまき散らしているアル・ガワンを見おろしながら、わたしは歌った。低くつぶやくように、何気ない調子で。同時にこの気持ちが少しでも伝わればいいのにというかすかな望みを込めて。

君のために捧げるこの魂、そして幾百もの魂
君のためにこの身を捧げよう

彼は私に背を向けたまま、鞍をつけられすでに出立の準備を整えた馬になにやら話しかけながら柔毛におおわれた鼻面をなでていたが、ふと思いついたようにこちらを振り向くと、いつものようにそっけない調子で言った。
「……それは誰の歌だ?」

ミッヒ・ハーネマン、孤高の男。物言わぬものたちの代理人。
深い夜の闇の底から聞こえてくる雪解け水の流れのような彼の声を聞くたびに、わたしの全身は総毛立つ。
戦士たちに武器の扱いを指南するために遙か遠くからやってきた男が、ちょっとした気まぐれを起こしてここに居着く気になってくれないだろうかと私は時折夢想した。そして一日5回の祈りをうながす朗唱師となり、渓谷にこだまする日々のエザーンがこの不思議な声で呼び掛けられないだろうかと。

そんなやくたいもないことを思い出しながら私は歌いやめると立ちあがった。
「この歌か?アフマド・ザヒール」 「……聞いたことねえな」
「国民的歌手だよ。好きだったんだ、この曲」
彼はふんと鼻を鳴らすとあざ笑うような調子で言った。
「お前らの歌はどいつもこいつもうら寂しくて全く区別がつかん」
そして自分の言葉が思ったよりも皮肉っぽかったことへの言い訳のように付け加えた。
「…それはあれか?惚れたはれたの歌なのか?」
私は小さくうなずいた。
「恋人に捧げる歌だよ。今では遠く隔てられてしまった愛しい人に。歌詞はうろ覚えだがね……聞き直したくてもテープもレコードもすべて焼かれたとあってはな」

彼はちょっと肩をすくめると何か言いかけたが、その時背後からかけられた声に我々は振り返った。
「準備は整いました。ぼちぼち行きますか?」国境まで彼を先導する若者だ。
「こんな早朝に出発しなくても……女や子供らもみんな見送りたいだろうに」
出発をもう少し延ばさないかと未練たらしく尋ねた私に、「お別れ会」は昨晩ので十分だし見送りは苦手だからとかぶりを振った。
だから私は習慣に従ってーだがいつもより強く彼を抱き締めると、冷たい両頬に軽く口づけた。
我々のように髭をたくわえることができない頬、生まれながらに鏡のように滑らかな鑞の色の頬。

「ホダ・ハフィーズ」(さよなら)
また帰ってきてくれ、君がいないと寂しいという台詞が喉元まで上がってきたが、女々しいと思われるのが怖くてこう付け加えた。
「ベーロズ・ポシャット」(貴方の勝利を祈る)
ホダ・ハフィーズ、と彼もかすかに微笑みながら答えた。
そしてどこか優雅な仕草で馬にまたがり、遠くから風に乗ってくる匂いを待ちかまえる猟犬のような横顔で雪をいただいた山々を眺めていたが、唐突に何か思いついたように私を見おろした。

「国境を越えたら探してみる」
「……?」
「なんて言ったかな、アフマド……」
「アフマド・ザヒールか?」
「国民的歌手なんだろ?なら隣の国でもカセットくらい売ってるだろう」
「……でも」
「次来る時に持ってきてやるよ」

私があの曲を好きならば喜ばせてやろうと単純に考えたのだ。その子供のように屈託のない表情を目の当たりにして私は苦笑した。
人よりも銃とのたわむれを選ぶ彼のような男に、身を焦がす恋慕の情を伝えるなど過ぎた望みだったのかもしれない。
「ビズヤル・タシャコ」(本当に有り難う)と私も微笑み返した。

目の前からは荷を積んだロバと馬たちが歩き出す。
私とアル・ガワンの樹とヒンズークシュの山々に見送られながら朝もやの中を遠ざかってゆく後ろ姿。
十分遠ざかったことを確認してから私はもう一度歌った。今度は誰にかまうこともなく朗々とした声で。

君のために捧げる
この魂
君は再び帰ってきた
君のために捧げるこの魂、そして幾百もの魂
君のためにこの身を捧げよう

その時、豆粒ほどの大きさになった男がつと振り返って笑った気がしたが、それは私の思いこみにすぎないかもしれない。
いずれにせよそれが私が最後に見た、そして今なおまぶたの奥に焼き付いている彼の姿なのだ。


はじめはハネに片思いするのは少女にしようかと思ったんですが(世の中には物好きな娘もいるものです)、イスラムの縛りが強い国で嫁入り前の娘が一人で早朝の戸外、男と二人でいるのはありえないことなので、必然的にひげ面のオッサンに。
北部はどうなのか知りませんが、南部のホーストあたりでは同性愛はわりかしよく見られると聞いたことがあります。
二人の指揮官が若い恋人を巡って大喧嘩、市場に戦車で乗り込んで戦闘開始、何十人もの死者を出したなんてはた迷惑な事件もあったそうです。