お熱いのがお好き

「ひどい!ひどすぎるっ!一週間ぶりだっていうのに!」

大声で叫んだシャダは、足元のクッションを逞しい背中めがけて力一杯投げつけた。
柔らかい水鳥の羽根がパンパンに詰まったクッションは、隆々とした肩に当たってぽふんっ、と軽い音を立てる。
だが、トルコブルーの枕に乗せた頭から艶やかな黒髪を滝のように垂らしたまま、横たわった男は微動だにしない。

「一週間もおあずけ食らって一回っきり?」
シャダは声を震わせた。
「それもあっという間に出してハイおしまいなんておかしいよっ!どこかよそでやってきたんじゃないのか?」

半身を起こしたカリムはあくびを噛み殺しながら言った。
「ふわああぁ・・・馬鹿なことを言うな、浮気なんて邪魔くさい。ただ疲れてるだけだ・・・」
クッションのお次に投げつけようとファイアンスの枕に手を伸ばしたシャダの腕を、大きな手でがしっとつかんだカリムは眠たそうに続ける。
「なあ、頼むよシャダ・・・俺だって年がら年中一晩に八回も九回もできるわけじゃない。それに今は仕事で神経使いすぎて勃たないだけだ」
そして紫の目を怒りに見開いている恋人に優しく口づけると、けだるげにベッドに横たわるカリム。
「頼むから今日のところは勘弁してくれ・・・」
だがシャダはどうにもおさまらない。


斬新な仕掛けがあちこちに散りばめられるはずのアクナムカノン王の永遠の家。
その着工が遅れているからと職場に泊まり込んでいるカリムの帰りを、この一週間というものシャダは黙って待ち続けていた。
10台の精力旺盛な若者にとって一週間のおあずけはかなりの苦行。
何度も自分で自分を慰めそうになったことも確かにあった。
だが、苦行の結果もたらされるご褒美の気持ちよさだけを心の支えに、この一週間というもの我慢に我慢を重ねてきたというのに!

「やあ、久しぶりだな。会いたかったぞ」
一週間もやってなかったら相手もさぞ溜まって・・・とあれこれ想像を巡らしながら、いそいそとカリム邸の寝室に向かったシャダを、目の下にクマを作った屋敷の主はぼさぼさ頭で出迎えた。
筋肉がはち切れそうな太く固い両腕で、いつもよりも荒々しく抱き締められただけでシャダは昇天しそうになる。

・・・だがその後がいけなかった。
そそくさと長衣を脱ぎ捨てた発情期の雄牛のような男にのしかかられて・・・
「あっ!ああぁんカリムぅ!そんなにあわてな・・・」
と最後まで言うか言わないかの間に、あわただしく腰を動かしたカリムはあっという間に果ててしまったのだ。

さすがにこれはちょっとないんじゃない?
シャダは呆然とした。

「ねぇ、カリムぅ、頼むよ・・・あとちょっとでいいから・・・」
・・・だが、重たい肩をゆさゆさと揺さぶる手はうるさそうに払いのけられるだけ。
相手の股間に手を伸ばしてみても、巨大なそれはのっそりと横たわったままぴくりともしない。
そのうちに規則的な寝息が聞こえてきて、シャダは情けなくて泣きたくなってきた。

自分はこんなに溜まってるのに、カリムの方はそれほどじゃないんだ。
それって愛情の差?
それとも倦怠期ってやつ?
「倦怠期」なんて中年夫婦の問題であって若い自分たちには関係ないものと思っていたものの、振り返ってみれば10年になるカリムとのつきあい、これはけっこう長い。
体の方のつきあいもするようになってからはまだ三年とはいえ、幼なじみカップルはダレて当然なのかもしれない。

加えて、シャダの不安の種はそれだけではなかった。
つい先日、恋人の部屋で見つけてしまったのだ。
部屋の主がこっそり隠していた雑誌の数々を。
本棚の「新建築」の裏に重ねられていた「デラ・べっぴん」や「おっぱい倶楽部」を!

カリムは女の方がよくなったんだろうか・・・?シャダは恐怖にうち震えた。
そういえば、街中や宴会で巨乳を目にした恋人の、隠しきれない嬉しげな視線に思い当たるフシなきにしもあらず。
「そんなにスイカップが好きなのか?」心の中でそう叫びながらも本心を確かめるのが怖くて、つい調子を合わせ一緒になって喜んでしまう自分が悲しい。

「おっぱい倶楽部」のパピルスの中で2キュービット(約104cm)はありそうな胸をさらし、嫣然と微笑む美女の肖像画と自分のぺたんこの胸を見比べながら、ボリュームでは完全敗北だとシャダは死ぬほど憂鬱になった。

このままではいけない!
尻に火がついたような激しいあせりを感じるシャダ。
何か手を打たなきゃ巨乳の女にカリムを取られちゃうよ!

いつの間にやら恋人の勃たない原因が女性との浮気であると決めつけた王宮屈指のあわて者は、カリムの愛と勃起を取り戻すべく、決意に燃える瞳で夜明けのシリウスを見上げるのであった。



数日後のこと。
仕事を終えたけだるい昼下がり、寝台の上にだれきった猫のように体を伸ばしたシャダは、さっき駅前の雑誌スタンドでこっそり買ってきたばかりのパピルスの束を開いていた。
毒々しい絵の具で着色された「大衆テーベ」の表紙に踊るのは扇情的な見出しの数々・・・

「バイブメーカーに利用女性の珍要望!」「ボーナス風俗必勝ガイド」
「レクミレが漏らす“アムル王と差し違え復讐”」「ゲッ!モロヘイヤスープにゴキブリの羽がッ!」
「本誌が選んだオリエントの各界三大巨乳」「殺す!奪う!即、密入国!ハッティ武装スリ団!」

世も末だ・・・
溜息をつきながらも、「マンネリ打開の特効薬!潜入!スワッピングパーティー」の記事を思わず食い入るように読んでしまうのが情けない。

自分でこんな大衆誌を買うのは初めてのことだった。
でも成人男子として読んだことくらいならある。



金持ちのパーティーではつまらなさそうなくせに、安酒場ではやたらと生き生きするマハードに誘われて、好奇心一杯で訪れた「ラクダのウインク」。

大きなえくぼをつけた愛嬌たっぷりな娘が濁ったビールを運んでくるのを待つ間、シャダはギトギトと脂ぎった棚に無雑作に積みかさねられた雑誌におそるおそる手を伸ばした。
メンフィスの金貸しやら、グルメなうんちくたれ新聞記者やらを主人公にした戯画本にはさまれた大衆誌。
太明朝体ヒエログリフの扇情的な題字が踊る表紙を開いたとき、メンフィスの旧家の子息はそのめくるめく下世話さに息が詰まって失神寸前であった。

普通に見えるひとたちがこんなことやあんなことまで!?ええっ?これって許されるの?
自分は人よりずっと世慣れしている方だと思っていた。
だがそれは単にボンボンの思い上がりであったとやっと気づいた彼。

財務省長官とヒラ役人がヌビアからデルタまで・・・ナイルを股にかけて魚を釣り歩く戯画の次の展開も気になったが、彼の心をがっちりと捕らえたのは、紙面に踊る強壮剤広告のかずかず。
世の中には倦怠期や勃起不全に悩まされている男がいかに多いことか!
シャダの心は少しだけ慰められた。

だが、飲み屋のテーブルではマハードの手前あまり必死に見入ることもできない。そこでシャダはこっそり買った今週号を長衣に隠し、こうして自邸に持ち帰ったのだ。
いったん噛みつくと雷が鳴るまで口を離さないという亀を何匹もぶら下げて喜色満面な社長。男根にはめるだけで勃起不全が治るとうたったアラバスタのリング・・・

こんなもの、入れてる途中で割れたらケガするじゃないか!
間抜け広告の数々にくすくす笑っていたシャダは、その時出入り口から聞こえてきたしわがれ声にびっくり飛び上がった。
「シャダ様、スイカを切りましたがいかがですか?初物ですからお召し上がりになった方がいいですよ」
声の主はシャダが生まれる前から一家に仕えてきた召使いイネト。
小柄な老女は真っ赤なスイカを山盛りにした皿を捧げもってにこにこしている。

ふわふわ浮ついた長男の監視役にと、実家の母がメンフィスから派遣した忠実なる召使い。
真面目一筋のイネトにこんな俗悪な雑誌を読んでいるところを見られたら・・・シャダはどぎまぎした。
いつものように『そんな低俗な雑誌をお読みになってイネトは情けのうございます!』なんておろおろされるに決まってる。

「あ、ああ・・・スイカか。では少し頂こうか」
そう答えながらベッドの上に広げた「大衆テーベ」を本棚に並んだ「法曹界」の裏に隠そうとあわてるシャダ。

だが、雑誌が隠されるよりも一足早く室内に入ってきたイネトの反応は意外なものだった。
驚く風もなく「あらシャダ様、今週号の『大衆テーベ』でございますか?」と満面の笑みを浮かべたままの召使い。
イネトは言った。
「釣りバカなんたらとかいう戯画、あれはけっこう面白くてあたくしも好きなんでございますよ。先週号でハマが大きなボラに呑み込まれましたがあれからどうなりまして?」
「は?大きなボラ?・・・あ、ああ・・・あれか。ボラがアラシヤ(現在のキプロス)の漁師の網にかかってね、その腹を割いたらハマがぴょこんと飛び出して・・・」

イネトが釣りバカファンだったとはね。
シャダは「大衆テーベ」を小机の上に・・・もちろんなにげなく表紙を下にして置きながら、老いた召使いに今週号のあらすじを説明してやるのだった。


とんだ邪魔が入ってしまった。
イネトのかさかさした足音が部屋の向こうへ遠ざかるのをしっかりと確認すると、やっとの事で読みかけの雑誌に手を伸ばしたシャダ。
一呼吸置いてみると、どの記事も作り物くさくてなんだか白けてしまう。
・・・だが次の瞬間。
真顔になったシャダは紙面を食い入るように読み始めた。

「うんざりするほど愛されたいの」
腰ひも一本でセクシーポーズを取る娘の横に踊っているのは、いかにも効きそうな強壮剤の広告コピー。

早漏と勃起力減退は男の性の二大トラブルです。でもご安心を!
クフ王の昔より王侯貴族に愛されし秘薬、ついにエジプトに登場!
アフガニスタン・バダクシャンより白ひげ薬局が独占輸入販売!
サンプル進呈!まずは折り込みハガキを投函ください。

白ひげ薬局(本店・へリオポリス 支店テーベ、ハットウシャシュ、クノッソス他全12店)
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「うーむ、『白ひげ薬局』というのはうさん臭いが、『王侯貴族に愛されし秘薬』ってところが強烈に効きそうだなぁ」
自分も貴族であることをすっかり忘れてシャダはうなった。
それに、ラピスラズリの産地である地の果てからやってきたと聞いただけで、なにかとてつもない未知のパワーを秘めているような気がする。

ただ、問題はその値段。
たった三回分がなんと彼の月給一ヶ月分に相当するとは!
彼は先進国エジプトでもかなりの高給取りだから、これはけっこうな値段である。
こんな高価な強壮剤、「大衆テーベ」の読者層の手が届くとはとても思えないが、せっぱ詰まった男たちはきっと晩酌を我慢してこつこつ貯めた銅で買ってしまうのだろう・・・

シャダは思った。この薬を試してみよう、と。
高ければ取りあえずなんでもよく見えてくるのは彼の悪癖であったが、サンプルが効かなければ買わねば済む話。
黒檀の小物入れから銀のナイフを取り出すと、折り込みハガキをていねいに切り離すシャダ。

「住所・テーベ市屋敷町東3・・・年齢・19才、と」
極細字の葦ペンをさらさらと滑らせるシャダ。
太くかっちりとしてそのまま書き手の剛健さを示すカリムのそれとは正反対に、彼の筆跡は極めて流麗だが何とも神経質である。
いずれにせよ、その達筆は老師シモンに負けず劣らずなものであったので、保管用の神への讃歌や、少年たちが学校で使う習字の手本を頼まれることも少なくなかった。

・・・さて、それから性別か。
大衆紙の折り込みハガキを埋めるにはもったいないような筆跡でここまで書いてきて手が止まった。

自分の性別は男。だけど薬を飲ませるのも男。
ならばここは「夫の勃起不全で悩んでいる妻」ということにしておこうかとふと思ったのだ。
たかがサンプル請求に全部本当のことを書く必要もないしね。

「名前」欄に「ネフェルネフェルウ」と女性名を書き込んだシャダは、調子づいて「一言」欄にも繊細きわまりないヒエラティックでこう書き添えた。

「最近主人が夜の営みを拒否するようになってたいそう悩んでおります。色々な方法を試してみましたが、どれも目立った効果がございませんでした。わたくしにとって『絶倫錠』は最後の頼みの綱です。何とぞサンプル送付お願いいたします」

これでいいだろう。
満足げな笑みを浮かべて立ちあがったシャダは、頭からすっぽりと白布をかぶるとあたりを伺いながらハガキを手に、こそこそと郵便局に向かうのであった。



「郵便どぇーーす!」
折り込みハガキを投函してから一週間。真っ白な出っ歯を太陽に照り輝かせたヌビア人配達夫から、泥と藁とで封印された手紙を受け取ったシャダは、手紙を開いて溜息をついた。

新しいパピルスにはこうあった。

弊社の製品へのお問い合わせ誠にありがとうございます。
サンプル請求いただいた「絶倫錠」でございますが、その使用に際しましては錠剤の服用と同時に多少の呪文の朗唱が必要となっております。
つきましては、手順のご説明のため担当者がお宅までお伺いいたしますので、同封のハガキにてご都合のよろしい日時をご連絡くださいませ。

たかがサンプルに邪魔くさい・・・家まで来るとなるとどうせサンプルだけじゃあ済まないんだろ?
ああ・・・僕はセールスを断るのが苦手なんだ。あ、じゃ女って書いたのもまずいなぁ・・・まっいいか。
溜息をつきつつもこれはすでに乗りかかった船。
シャダは黒い牛革張りのスケジュール帳を開くと、イネトが留守にする日をチェックしてそれをハガキに書き入れた。


「失礼いたしまぁーーーす。」
さらにその三日後、しわがれた声が玄関先に響いた。
「へリオポリスの方から参った者でございますがぁ。奥様はご在宅でございましょうかぁ?」

この日に会わせて召使い達に休暇をやっていたシャダは、黒い薬屋の鞄を下げて玄関先に立っている男の顔を見た瞬間・・・
「・・・ひゃぁうっ・・・!!?」
と息を呑んだきり彫像のように固まってしまったのである。

<つづく>


この続きはオフ本「世紀末バックドロッパーズ」で!(笑)ガハハなカリム様大活躍のお下劣系大作!