悪戯なシャツ    歌ひ手アシヱ




フリーランスのカメラマンをしている、シャダは、現在、都内のマンションの一角に、居を構えている。
都心からも、仕事場からも、十年来の恋人である、カリムの自宅からも、遠からず近からずの距離にあったので、シャダは、此の物件にかなり満足していた。

休日の朝早く、クリーニングから取って来たばかりの、お気に入りのシャツを、ビニル袋から取り出すと、願掛けするかの様に、部屋で独りブツブツと呟くシャダ。
一般では、広く着用されているとは思えない、眼に鮮やかな原色ブルーの其のシャツは、ジョン・ガリアーノの作であり、ちょっと気張ってオシャレして、カッコつけたい時は、此のシャツを着るのが、シャダの習慣になっていた。

そう、此の日は、銀行員をしている恋人のカリムとの、久々のデートだったのだ。


新宿駅東口。
髪に煙草の匂いが着くのを、酷く嫌がるカリムの要望通り、全席禁煙のカフェで、二人は落ち合った。

傍から見ると、ちょっと変わってると以外、何ともコメントし難いような、独特のファッションで、バリバリに決めたシャダの目の前に現れたのは、非常にラフなスタイルのカリムだった。

先にテーブルに着いていたシャダは、如何にも休日着のカリムが隣に腰掛け、店員に注文している脇から、行儀悪くも口を挟んだ。
「君はさぁ、恋人と会うのに、いいトコ見せよう、とか、思わないの?」
同じ物を、と言い終えたカリムが、シャダを振り返ると、シャダは大層ご立腹の様子で、小指を立てて、目の前にあったデミタスカップを摘まみ上げると、其の侭口に運んだだけだ。

「思うさ」
急いで来たらしく、少々乱れた黒い髪を、片手で梳き上げて整え乍ら、拗ねている恋人のご機嫌を伺うカリム。
「じゃあ、どんな風に思ってるのか、僕が納得するように話してみせてよ」
シャダは、アーモンド型の瞼に縁取られた、宝石の様な瞳でカリムに一瞥を呉れると、カップから口を離し、お下品にもカチャリと音をさせて、ソーサーに着地させたのだった。

久し振りのデート当日、待ち合わせに場所に現れた、あまりにも洒落っ気の無いカリムに、シャダは大層腹を立てていた。
大好きな恋人に会うのが嬉しくて、こんなに粧し込んでいる自分が、ひどく滑稽で、また不憫にさえ思えたからだ。
「ねぇ、早くして」
唇を尖らせ、詰め寄る様に、上目遣いでカリムを見たシャダは、此の時突然、自分の身体に起きている、或る異変に気付いた。

シャツで乳首が擦れるのだ。
理由は定かではないが、むず痒いような、熱いような感覚が、胸の先端に、突如として襲いかかった。
(クリーニング屋を変えた所為かな?)
恋人に気付かれない様に、さりげなく胸元を探ってみると、其処には、ツンと尖った、可愛らしい表情の乳首があった。

急かされたカリムが、左右を確認してから、ぐっと背中を屈め、シャダに顔を近づけると、声を低くして呟く。
「前から試したいと思っていた事があるんだ、…と言っても、お前が厭だと言うなら、絶対に無理強いする気はないし、俺も最初から巧く遣る自信はないんだが…」
「カリム、其れってさぁ、若しかして」

「勿論、セックスの事だ」

自分の問い掛けに対する、カリムの回答に、シャダは、アスワンの日輪を直視したかの様な、衝撃を喰らった。
そして、其の所為で、暫く呆気に取られていただけだったが、漸く物を言う余裕が出来ると、一旦溜めた空気を、鼻から吐き出し、眉間に手を遣った。

「君は、何でそうな訳?」
カリムは根本的に優しい。
職業が違うので、価値観のズレもままあるが、きちんとシャダ個人を尊重して呉れるし、何より付き合いが長いので、皆迄言わずとも、な部分も多い。
身体の相性も殆ど問題はないし、パワーファイターのカリムは、何時だってうんざりする程愛して呉れる。

だが、今日のカリムの態度を見ていて、シャダの脳裡を掠めたのは、「マンネリ」と云う名の、忌々しい宿敵であった。

一言言って遣らなくちゃ、と鼻息を荒くした其の時、再び、シャツが擦れる、と云うより、乳首が疼きだした。
(何だってこんな時に…)
気になって手を遣りたいのはやまやまだが、異変に気付いたんだか、気付いてないんだか定かではないが、カリムがじっとこちらの手元を伺っているではないか。
(どうしよう…)
仕方なく、胸元に遣ろうとしていた手で、カップを掴むと、予定していたかの様に口に運んだのだが、其れは如何にも挙動不審であった。

「いっっっっっつもそうだよね、会って、ご飯食べて、其の後エッチ。
前回も、会って、ご飯食べて、其の後エッチ。
其の前も、会って、ご飯食べて、其の後エッチ」
怪しまれない様に、乳首の痒みを堪えている所為で、イライラが増したシャダは、ついつい声が高くなった。

「何が問題なんだ?
特に喧嘩をする事もないし、上手く遣っていると、俺は思うんだが」
飽くまでも強気で、マンネリを指摘したい、事の重大さを分からせたい、そう思ったシャダは、一人で妙に興奮してしまった。
「其れってねぇ、マンネリっていうんだよ、マ・ン・ネ・リ!」

大人げない物言いになってしまったが、当のカリムは殆どピンと来ないようで、ぽかんとした表情で、ただ頷くだけだった。
「分かった?僕、そう云うのって、良くないと思うんだ」
とうとう言って遣ったんだ、と、自らの功績を讃える様に、軽くそっぽを向いて鼻を鳴らすと、何だか一度に気が抜けたように感じたシャダであった。

テーブル越しに、マンネリに対しての悪感情を示したは良いが、達成感から脱力した所為か、乳首は愈々過敏な反応を表す様になっており、ちくちくと、何とも言えない刺激が、常にシャダを苛んだ。
其の上、変に意地を張ってしまっていて、マンネリスムに鈍感なカリムに、素直に異変を伝える事は出来ないばかりか、シャツが擦れない様にする事も出来ず、自らで以て、現在の胸元の状態を推して知る術もなかった。
目の前のカリムに怪しまれないよう、自分自身で行動に規制をしくと、どうにも埒があかなくなり、独り悶々としている其の間にも、悪戯なシャツは、執拗にシャダを責め続けては、涼しい…ブルーなので…表情を呈しているだけだった。

「分かったよ、済まなかった」
指摘された事に関しては、言われてみれば、そうなのかも知れない、と云った風に、明らかに暢気な態度のカリムであったが、シャダが厭がって居る事は、大変良く理解出来たらしく、困った様に眉を顰めて笑みを造り、謝罪の意味を込めて肩を竦めた。
「べ…別に君が悪いとか言ってる訳じゃないよ。
何て言うか、ホラ、お互いの心がけの問題だろ?」
真摯な姿勢で、真っ直ぐ見詰めて来たカリムに、妙に気圧されたシャダは、特に後ろ暗い事もないのに、狼狽してフォローに廻った。



申し訳ありません制作途中です

Published:2006.Aug.28