とても暑い日だった。

発掘現場にほど近い資料小屋のなか、ルートヴィッヒ・ボルヒァルト教授は、ポケットに無造作につっ込んでいた麻のハンカチーフを引っぱりだすと流れ落ちる額の汗を腹立たしげにぬぐった。

くしゃくしゃになったハンカチーフの隅には、綺麗に目の揃ったロングアンドショートステッチで持ち主のイニシャルが二種類の文字ーアルファベットとヒエログリフで刺繍されている。
このイニシャルを刺してくれた妻との結婚記念日にはとてもベルリンに帰れそうにない。ならせめて花屋にあれの好きなピンクの花束を頼んでおかなくては。
妻の笑顔と故郷のひんやりと心地よい風を思いだして急に郷愁にかられたボルヒァルトは、しきりに汗をぬぐいながら昨夜ついに壊れてしまった協会支給のフィリップス製扇風機を恨めしげに見つめるのだった。


西暦1912年12月6日。
エジプト・アラブ共和国、テル・エル・アマルナ。

ナイル中流域に位置するこの小さな街で、ボルヒァルト率いるドイツ・オリエント協会の発掘隊は三千三百年前に打ち捨てられた古代エジプトの廃都・アケトアトンの発掘に従事している。
当時いかなる神にも、いかなる女神にも属していなかったこの処女地に新都をうち立てた王は、自らアクテンアテンー「アテン神の僕」と名乗り、太陽神アテンのみがただ一つの神であると高らかに叫んだのだ。
その異端ゆえに歴代ファラオの系譜から葬り去られた彼の存在は数千年間のあいだ歴史の礫土の底に埋もれ、記憶の彼方に置き去られていた。

ボルヒァルトたちドイツ発掘隊が鍬を入れていたのは、アクテンアテンが築きし夢の都の南西に位置する市街地跡であった。
前年度の発掘調査ですでにある程度の成果は出ていた。見当を付けた職人や建設労働者の居住地区からは、彫刻家の卵たちが使った学習目的の胸像やかなり保存状態のよい頭部像が次々に発掘されていたのだ。

だが、長年発掘現場で砂にまみれてきた学者の勘は、これからここで発見されるであろうものは、今まで発掘されたどんな価値ある遺物ですらくだらないがらくたに見せてしまうほどの逸物であることを、絶え間なく彼に囁きかけていた。
そして、ボルヒァルトは今までの経験則で自分の勘は十分信頼するに足るものであることを知っていたのである。


いくら昼過ぎの熱い時間とはいえ12月でこの熱さでは身がもたない。今年割り当てられた設備費から最新式の扇風機を何台か買う余裕はあっただろうか?
そう思いながら机の中から資材係のクラウスが作成した予算配分表を引っ張り出そうとした時・・・

「ミスター!ミスター!」
突然聞こえてきた甲高い叫びに驚いたボルヒァルトは戸口から飛び出した。

ぎょろつく両目を興奮に血走らせたエジプト人作業員が、息を弾ませ差し出したものは一片の紙片。そこには鉛筆でこう殴り書きされていた。
「緊急!等身大、彩色胸像、P47区の家の中!」



P47区の家屋遺跡、その奥にある小さな部屋に足を踏み入れた同僚を、頬を紅潮させた発掘監督のヘルマン・ランケ教授が出迎える。
「モハメッドが何か見つけたらしい。今まで出たことのないようなものみたいだ」
無言で頷いたボルヒァルトは、早くお宝を見たくて辛抱たまらずイライラした風に何度も足を踏み替えている人夫頭に歩み寄る。
扉入り口のすぐ前の左側、盛り上がった瓦礫の間からのぞいているのは、明るい肌色に彩色された婦人の像であった。

ボルヒァルトは震える指先で胸像の回りに積もった瓦礫を取り除いていく。
ゆっくり、ゆっくり丁寧に・・・細心の注意をもって。
やがて、固唾を呑んで見守る6つの目にまず触れたのは、青く塗られ後方に張り出した後頭部、それから耳、そして鼻、あご、顔面・・・

そして、永遠にも感じられる長い長い数分の後、3300年の時を越え姿をあらわしたのは、目も見張るほど華麗な胸像。
呪縛にあったかのように息を呑んで立ちつくす現代人たちを、永遠に左目を欠いた顔に謎めいた微笑みを浮かべ見つめかえすのは、アクテンアテンの寵妃にしてエジプト史上最高の美女。
王妃ネフェルティティ。



アクナムカノン王治世10年収穫期第2月5日。
エジプト・テーベ、アメンホテプ三世葬祭殿。
青々と葉を広げるパピルスが刺繍されたハンカチーフで、秀でた額から流れ落ちる汗をぬぐったシャダは恨めしげに背後を振り返った・・・

(これ以降虫食いで進行中)


・・・導入部はこういうカンジで。学者のオッサンと現場発掘員よか出てこないっつーの!(笑)


古代エジプトのリッチ階級では一般的ではなかった刺青をシャダはなぜ額にほどこしているのか?これは私がまず最初にひっかかったポイントでした。
単なるファッションと考えるにはあまりにリスクが大きな刺青という行為(額への刺青はモーレツに痛いうえに「芸人や売春婦まがいの真似をして・・・」と良識ある人々からは眉をひそめられそう)を小心者のシャダがなぜあえて行ったのか?

そう考えたとき私が取った苦肉の脳内設定は「シャダの刺青はピラミッド時代に失われたトトの魔法のキーワードである」というものでした。
そしてこの古い英知の鍵を握っていたのが、導入部分でボルヒァルトに発掘されるネフェルティティ像の作者であるトトメス爺ー全てを失い失意のうちに廃都アケトアトンから流れ来て辿り着いたテーベで隠れるように余生を送っていたアクテンアトン王のお抱え彫刻家。
そう、シャダの刺青は古代エジプト史に名を残す芸術家トトメスの手によるものだったのだ!(笑)

どうにかしてトトの魔法を知りたいと願う王宮サイド。だが敬愛するアクテンアトンの名前を削り取り、その存在を歴史から抹消した王から連なる全ての血筋を許せない頑固ジジィトトメスの、秘密を墓場まで持って行こうとの決意は岩より硬い。

そこでジジィ懐柔役として派遣されたのが、まだ学生であった少年シャダ。
ネフェルティティに許されぬ愛情を抱いていたトトメスのこと、王妃と同じミタンニ王族(※)の血を引くシャダならば、ひょっとするとかたくなに閉ざされた老人の心を解きほぐしてくれるかもしれない・・・(当家の設定ではシャダは4分の1ミタンニの血を引いています)

そして王宮サイドの読みは的中。徐々に心を通わせ合い、いつしかトトメス翁と老人キラー・シャダはのっぴきならない間柄に・・・でもジジィ立たなくてエッチは未遂(笑)

・・・ってかんじでプロットを立ててたものの、老人&ハゲじゃ地味すぎるじゃろと思い直し進行中止。
テーベ西岸、掘っ建て小屋のベッドの上で瀕死のトトメスが「儂が死んだらあれに左目を入れてアマルナに埋めてくれ。王妃への復讐ももう終わりだから」と机の上のネフェルティティ像を指さす場面とか、シャダの手をぎゅっと握って息絶えるジジィとか・・・
細かいシーンだけは先に書いてるものの、魔法絡みのシーンとかを書くのが私にはなかなかむつかしくてね・・・

そもそもこの話はまずラストシーンが浮かんで書き始めたもの。
一人葦船に乗り込んだシャダが、ちょっと振り返って砂塵の向こうに霞むかつての美しい王都を眺める場面がまずありきだったんですよ。(恥ずかしながら私のシャダ像って「アホでお気楽に見えるけど根っこのところはものすごく内省的で孤独ではかない男」なので寂寥シーンは任せとけ)

老人との約束を果たすために船に乗ってナイルを下り、呪われた都アケトアトンの廃墟に佇むシャダ、胸には惚れた男の心を最期まで占めていた王妃の像を抱いて・・・
どこに埋めてしまってもいいようなものの、どうせなら王妃の像をトトメスの工房跡に戻してやろうと考えた優しい彼は、胸像を胸に渺々と風が吹きすさぶ廃都を彷徨うのです。そして、やっと見つけた工房の机の上にそっと置いてやるのね、この上なく美しい王妃の胸像を。
だのにそこまでやっときながら、シャダはトトメスのもう一つの願い「像に左目を入れる」って遺言だけは嫉妬心から果たしてやらないのよ(笑)

あとはただ沈黙。過ぎゆく時と共に塵芥に埋もれゆくネフェルティティ像が再び生者の胸に抱かれるのは、それから三千年後、ドイツ発掘隊の手によってなのであった・・・

・・・ってかんじなんですが、私は遊戯王的エジプトは、アクテンアテン王あたりまではリアルエジプトと同一線上にあったものが、それ以降パラレルワールドとして微妙に枝分かれした世界だと解釈しているもので、それまでの人々、アメンホテップやネフェルティティやラモーゼやレクミレはシャダ達とわずかながらでもクロスしていると考えています。

だから僅かでもリアル現代と交差したシャダを描きたいんですよ。ゆえにこの話では今はベルリンエジプト博物館にあるネフェルティティ像を返しに行くシャダ、という妄想をしてみたんですが、妄想を形にするってホントにむつかしいものですね。それに余りにもリアルエジプト重視で遊戯王的にはあんまし面白くないだろうしね。

でも自分自身とシャダを愛する一部の方々の楽しみのために、ちょっと毛色の変わった話として何とか完成させたいと思ってはおります。

はぁぁああ〜、延々とだべってしまってすいません。・・・っつーか、自給自足だけじゃなく人様のシャダ話をもっと色々読みたいものです・・・エロでも真面目でもギャグでも何でもいいから誰か読ませてくれっ!

※・・・ネフェルティティがミタンニの王女であったという説は今や時代遅れになっていますので念のため。現在最も有力な説はツタンカーメンの次にファラオになったアイの娘説だそうです。でも、「ミタンニの王女」の方がロマンがあるから(笑)ここでは旧説を使ってます。