『無限抱擁』


 言葉はナマモノなのだと、誰かが言っていた。

「どうして貴方が此処にいるんですか」

 そして。
 一度零れたそれは、取りかえしがつかないのだと。

 今にも泣き出しそうな表情。
 その人が背を向け走り去って、ようやく。

 気付いてしまった。
 愚かな、自分。


「そんな怖い顔で、そんな風に言われたら・・・・・やはり、
ショックだと思うよ」
 呆然と立ち尽くす、など。きっと、常の私らしくないのだろう。
 感情を持たぬはずの式でさえ、明らかに困惑と見て取れる表情で
私と、そしてあの人が走り去った方向に何度も視線を行き来させて。
「・・・芙蓉」
「は、はい」
 呼ばれ、すぐさま反応出来なかった事に、失態をおかしてしまった
という色がありありと浮かぶ白い顔。
 それを。
見て見ぬ振りをして。
「追いなさい、すぐに」
「御意」
 すぐさまそれに従い。芙蓉が、す、と下がろうとして。
「待って」
 それを制止する、凛とした声。
「それは、違うでしょう・・・?」
「・・・秋月様・・・」
 そして。再び困りきった表情で。今度は秋月様と私とに視線を
彷徨わせる式を。
「暫く、控えて居なさい」
「御意」
 静かに頭を下げ、その姿を周囲に溶け込ませる。
 再び喚ぶまで、そのままで在るよう。そう、心得ているから。
「晴明」
「・・・はい」
「貴方がすべきことは、何?」
「・・・・・私は・・・」
 澄んだ瞳に、見据えられて。
 何もかもを見透かす、それに。きっと、それは隠し通す事等、出来は
しないのだと。
「これから芙蓉とケーキを焼くの。貴方は邪魔だから・・・・・」
 そして、微笑んで。
「明日まで、居なくていいよ」
 その笑顔に。深々と頭を下げ、私は踵を返した。

「・・・・・秋月様」
「邪魔者は私達の方かもね。さ、手伝って芙蓉」
「・・・御意」
 二人、笑いあって。

 間に合いますように、と。


「・・・・何これ・・・」

 彼は、そこにいた。
 咄嗟に張り巡らした新しい結界に。どうしたものかと、戸惑いの
表情を露にして。
「・・・逃げられませんよ」
「・・・・・ッ誰が・・」
 背後から、気配を消したまま近付いて、声をかければ。
 本当に驚いたのであろう。大きな瞳を、更にいっぱいに見開いて、
振り返る、彼。
「というより・・・・・逃がしません」
「・・・何、だよ・・・それ」
 みるみる、その顔が歪んでいくのを見つめながら。
 こんな顔を、させるつもりではないのだと、己を歯がゆく思いながら。
「・・・ッ御門は・・・俺に、此処にいて欲しくないんだろう!?」
「そんな事は、言ってません」
「だって・・・・ッ」
 先程の、言葉。
 きっと冷淡とも取れる響きを、そのままに。
「私は、何故此処に居るのかと、そう貴方に問いかけただけです」
「・・・・・ッ」
「驚いたのですよ・・・・・瀕死の傷を負って。桜ヶ丘で眠り続けている
はずの貴方が・・・・・何の前触れもなく、目の前に現れて」
 淡々と。その事実を告げるのを。黙って、彼は聞いているようであり。
 私は。ただ、ありのままを。感じた、全てを。
 間違えずに、伝えなければと。
「・・・・・退院、なさったのですね。おめでとうございます」
「・・・・・うん」
「他の皆さんには・・・」
「京一が、迎えに来てくれて・・・そのまま、送って貰ったから」
 退院して、まっすぐに。
 此処に。
「・・・・・そう、ですか」
 その事実に。今、感じたそれを。
 伝えなければと。そう、思うのに。
「・・・・・突然、迷惑だったよな・・・ごめん」
 見付からない言葉に。哀しい言葉で、謝らせてしまって。
「・・・・・どう、言えば良いのか・・・・実のところ、困って
いるのですが・・・」
「うん、だから・・・ごめん」
 そうでは、なくて。
「どうして貴方が謝るのですか」
「・・・だ、って・・・」
「貴方に会えて。私は、嬉しいと思っているのに」
「・・・・・え」
「・・・・・あ」
 ああ。
 そうなのだ。
 こんな、簡単な。こんな言葉で。それだけで。
「・・・・京一に、ね」
 どこか。くすぐったそうな、そんな表情で。少し俯き加減に、
ポツリと話し出す彼を、自分でも不思議な程に穏やかな気持ちで
見つめていられて。
「クリスマスに誰と過ごしたいかって。聞かれて・・・すぐには
答えられなくて・・・・でも、此処に来たいって、思った」
 そういえば。世間では、クリスマスなのだと。今更ながら、気付いて。
「御門の顔が、見たいって。そう、思った・・・んだ」
 俗な風習だと。気にも止めていなかった、それを。その意味を。
 俯いていた顔をあげて、まっすぐに。
 その瞳で、私に告げるから。
 だから、もう。
「・・・・・奇遇ですね」
「・・・な、にが・・・」
「私も、そう思っていたのですよ。ならば、都合が良い」
 手を、伸ばして。
 今度は、違えることなく。
「今夜は、私と過ごして下さい」
 暖かくなる、その心のままに。多分、私は微笑んでいたのだろう。
 引き寄せられて。驚いた顔のまま、それでも抱き締めた腕に、身を
委ねて。背に回された手に、それが間違っていなかったのだと。
「み、かど」
 まだ、少し不安げな声色で。呼び掛けてくるのに。
「私と共に夜を過ごすのは・・・お厭ですか?」
 微かに笑いを含んだ声で問えば、ピクリと身じろぎして、そして
首を勢い良く振ってそれを否定してくれるのが。
 とても、嬉しくて。
 とても、愛おしくて。
「一緒に・・・いたいよ」
 消え入りそうな呟きに、そっと腕の中の彼に視線を落とせば。
 ほんのりと、耳を朱に染めた様が。
 たまらなく、それが。
「今宵は・・・・・離しませんよ」
 耳元に、囁いて。
「・・・・そ、れって・・・」
 咄嗟に上げた顔も、仄かに赤く。こんな表情も悪くないと、一人悦に
浸りながら。そんな自分に、微かに驚きながらも。
 もっと。色んな顔が、見たいと。
 そんな欲の深さに、呆れながらも。
 それも、彼の前では。
 こんな私も。ただのひとりの人間で。
 ただの、男で。

「覚悟しておいて下さいね」

 まっすぐに、告げれば。

 頬を染めつつ。
 とても綺麗に笑い返してくる、彼を。

 本当に。離すことなど出来ないと。

 離したくないと、思って。


 抱き締めた腕に、そっと力を込めて。
 その小さな檻に。彼を、閉じ込めた。