『a squabble』




「・・・ッもう、知らない ! 」
 叫んで、部屋を飛び出した。
 うまく履けなかった靴に、転んでしまいそうになったけれど。
 それでも、駆け出して。
 走って。

 お誂え向きに、外は雨。
 暗い空から叩き付ける雨に打たれながら。
 激しい雨音に聴覚を支配されながら。
 それでも、無意識の内に。
 その足音を、待っていた。


 些細な、こと。
 どうでも良いくらい、本当にちょっとしたこと。
 ほんの少し噛み合わなかった言葉に。
 そのすぐ後、一瞬考えるような素振り。
 そして、「ごめん」。
 謝るのは。
 謝らなければならなかったのは。



「・・・・・龍麻」
 背で聞く、微かな靴音。
 仕事柄、足音を忍ばせて歩く癖も、意味を持たない。
 気配を殺したって。
 龍麻には、意味がない。
「ごめん」
 そしてまた、その言葉を聞く。
 冷たい雨に鎮められかけていた憤りにも似た感情が、また。
 胸を突き上げて来る。
「どうして、いつも・・・そうなんだよ」
 諍いの後。
 謝罪の言葉を口にするのは、いつも。
「紅葉、は・・・・・悪くないのに」
 折れるのは、壬生。
 どんな時でも。
「そんなことはないよ」
「ッ、自分が悪いって思って、言ってる訳じゃないくせに ! 」
 どちらかが謝ってしまえば、解決してしまう。
 本当に、喧嘩と呼ぶまでにも発展しないような、こと。
 それでも、僅かにでも明らかに龍麻に非があるような時でも。
 ごめん、と。
 口にするのは、壬生だった。
「いつだって、・・・・・ッどうして」
 先に。
 言って、しまうのは。
「狡いよ、・・・・・紅葉」
 嘘だ。
 狡いのは、本当に狡い人間は、きっと。
「・・・・・どうして、いつも・・・俺に謝らせてくれないの」
「・・・・・ごめん」
 こうして。
 謝らせてしまう、自分。
「また、・・・謝る、し・・・・・」
「龍麻・・・」
 困らせてしまう。
 のに。
「・・・・・僕は狡い、から」
 背中に触れる、ぬくもり。
 抱きしめてくる腕も、やっぱり雨に濡れてしまっていたけれど。
「君に謝られると、胸が・・・痛むから」
 重なる身体は。
 耳元を掠める吐息は。
 熱くて。
「だから、それを聞きたくなくて・・・僕は、いつも先に謝罪の
言葉を口にして、君の言葉を奪ってしまうんだ」
 優しくて。
 痛い。
「だから、・・・・・ごめん」
「・・・・・くれ、は」
 首筋に、そっと押し当てられる唇が。
 微かに震えて。
「狡い男で、・・・・・ごめん、龍麻」
 愛撫にも、それは似て。
 溜息が零れる。
「俺だって、ね・・・紅葉に謝られると、痛い・・・よ。ねぇ、
知ってる・・・?」
「・・・・・、龍麻」
 きっと。
 またいつものように、「ごめん」と言ってしまいそうになって。
 一瞬言葉に迷ったのが、分かる。
「でも、やっぱり・・・悪いって、俺が自覚して言おうとしてたら
・・・ちゃんと、受けとめて」
「そう、・・・だね」
 痛みも。
 一緒に。
「・・・ごめんなさい、紅葉」
「・・・・・うん」
「・・・・・好き、だよ」
「僕も愛してるよ、・・・・・龍麻」
 澱みのない、声。
 抱き締める腕に、一層力が込められて。
 苦しくて。
 愛おしくて。
「これ以上雨に打たれていたら、風邪を引いてしまう・・・戻ろう」
「・・・うん、ちょっと寒い」
「僕が温めてあげるから」
 間髪入れずに囁かれた言葉に。
 ふと頬が弛む。
「ああ・・・だから、ミントの入浴剤使ったんだ?」
「・・・・・そういう訳じゃないんだけど」
 きっかけは、些細なこと。
 今夜は柚子の香りに、と龍麻が決めていた入浴剤が、既に壬生に
ミントの方を入れられてしまっていて、それで。
「ミントも、嫌いじゃないから・・・お風呂で暖まるよーだ」
「・・・・・龍麻」
 そっと暖かな腕から抜け出して、振り返る。
 悪戯っこのように笑ってみせれば。
 ほんの少し。
 寂しそうな視線を向けてくる壬生の腕を、捕まえて。
 引いて。
「一緒に、さ・・・紅葉」
 告げれば。
 一瞬、虚を突かれた顔をして。
 だけど、すぐに。
「そうだね、・・・・・洗ってあげるよ」
「・・・・・ッ、暖まるの ! 」
 嬉しそうに笑って。
 腰を抱き寄せる、手を。
 払い除けようとしたのは、素振りだけで。

「あ、明日は柚子だからな、絶対」
「分ってる。・・・柚子味も、良いよね」
「・・・・・味?」

 暖まろう。
 のぼせ過ぎない程度に、ね。






・・・・・バカップルがいます。
犬も食わないってヤツですか、もうヤダヤダv
「ごめん」って、軽くもあり重くもあり。
軽くもないし、重くもないんだよね、時にはね。