『bloody snow』



 その日は朝からチラチラと白いものが空から舞い降りていた。
 明け方から降り始めた雪は、勢いこそそれほど強くはなかったものの、
まだ初春を告げる風も吹かぬこの時期のこと、夜の帳が降りる頃には、
トシマ一帯を白く染め上げていた。
 聳え経つ『城』の中、建物に入ってしまえばそれなりに人心地つける
暖かさはあったが、さすがに一歩外に出ればその寒さに思わずブルリと
身が縮こまる。
 ここよりはずっと温暖な気候が年中続く土地で育った青年には、もう
そろそろ慣れてきたとは言え、やはり寒いものは寒い。そう感じるもの
は、しょうがないのだ。
 よりによってこんな冷え込む日に、屋外での見張りの順番が回ってきた
不運にひそりと白い溜息を吐き出しながら、どこか黒く濁ったような空を
見上げる。あの暗い場所から、こんな白く儚いものが落ちてくるなんてと
ぼんやりそんなことを思いながら、それでも気を張り周囲の警護に当る。
 と。
 ふわり、と。
 視界を過る、白い影に思わず緊張が走る。
 不審者か、とその人影に目を凝らせば、しかしそのふわふわと頼りなげ
な影は、降り積もった雪に融けるように。
 やがて音もなく、その場に崩れ落ちた。
「な、・・・・・」
 一瞬の躊躇。だが、しっかりと携えた銃に手を添えながら、見張りの
青年は雪に埋もれるように倒れてしまった人物に駆け寄る。よく見れば
白くふわふわとたなびいていたものは、かなり上等のものと判るシルクの
ローブ。袖も通さず、ただそれを素肌の肩に羽織っただけの姿で。
 倒れ伏していた、のは。
 この『城』に、主に仕えていて知らぬ者などいない。
「っ、・・・アキラ・・・様」
 呆然と、その名を呟き。しかし、次の瞬間慌ててその口を手で覆う。
 どうして。
 この人が、こんなところにいて、寄りによって自分の目の前で倒れて
いるんだろう。
 白い雪の上、羽織ったローブの下から覗く肌も、ゾクリとするほど白く
夜の闇にも浮かび上がって見える。その体温すら、感じられないのではと
思うほどに。
「あ、・・・・・」
 知らず、手を伸ばそうとして、その手の甲に舞い落ちた雪にハッとする。
 この寒さだ。こんな薄着で、雪の積もる冷たい地面になど伏していたら
それこそ瞬く間に体温が奪われてしまう。
 中途半端に差し出し、躊躇して止めてしまった手は、その迷いを表すか
のように幾度か宙を彷徨い。
 やがて、意を決したのか、それでも微かに震えさえ残しながら。
 倒れたままの白い身体に、おずおずと。
 触れた。
「あ、あの・・・このままでは御身体に障ります・・・どうか御部屋に」
 その細い肩はかなり冷えきってはいたものの、仄かに人肌の柔らかさと
温もりを感じさせて。
 ホッとすると同時に、酷く焦燥のようなものを感じさせる。
 このままでは、いけない。
 早く、彼を主の寝室に運んで、そして冷えた身体を暖めなければ。
 放っておけば、間違いなく風邪をひいてしまう。ただ純粋に、助けねば
という気持ちから、僅かに過った畏怖にも似たものを振り切るようにして
その身体を抱き起こす。
 もしや意識を失っているのだろうかと、恐る恐る顔を覗き込んでみれば。
 思い掛けず、極至近距離。
 濡れたように揺れる、翡翠を思わせる瞳に息を飲む。
 どくり、と。
 身体の奥で、うねるように鼓動が跳ねた。
「・・・・・寒い」
「え、っ・・・・・あ・・・」
 やや青ざめた唇が、溜息のように言葉を紡ぐ。
 力なく垂れていた腕が、ゆっくりと青年の引き締まった身体を辿るよう
にして胸元を伝い、やがて絡み付くように首を抱く。
「・・・連れてって」
 吐息が触れ合う距離、微笑う貌に引き込まれる。
 あれは、いつだったか。腕を見込まれ『城』に仕えるようになったのは
一月前のこと。
 遠くから、主に寄り添うようにして庭園を歩く姿を垣間見た時から。
「アキラ様・・・っ」
 声を聞きたいと思っていた。
 微笑みかけて欲しいと思っていた。
 叶うことなら。
 触れて。
 その肌に口付けて。
 思うまま貪ってみたいのだと、奥底に秘めてきた欲望が、じわりと。
 熱を帯び、勃ち上がり、鎌首を擡げる。
「俺を・・・・・暖めて」
 耳元、囁く声に、華奢な身体を抱く腕に力がこもる。
 目眩がするほど軽い肢体を抱き上げ、半ば駆け出すようにしてその場所
を目指す。
 主の寝室。
 そこで。
 そう、望み通り暖めてやるのだ。
 この身体を、余すところなく。
「お、い・・・お前っ・・・・・」
 静まり返った廊下、そこを警護する数人の兵士が、脇目も振らずに主の
寝室の方へと向かう青年にギョッとしたように声を掛ける。
 だが、立ち止まる気配もなく先を急ぐ男の、その腕の中から愉しげに
微笑いかける淫蕩な瞳と目が合った途端、青ざめ狼狽したように互いの顔
を見合わせ。
 やがて、途方に暮れたような幾つもの溜息が、冷えた空気を震わせた。


 アキラがそこを彷徨い出た時のまま、僅かに開かれた寝室の重い扉の隙間
肩を捩じ込むようにして中へと滑り込む。入れば、すぐ目の前に置かれた
大きく豪奢なベッド。そこに、いっそ乱暴かと思えるような所作でアキラを
投げ出すと、身に付けた僅かばかりの防具を外すのもそこそこに艶かしい
肢体へと覆い被さる。
 笑いさざめく吐息が、耳朶をくすぐる。
 微かに甘い香の立ち上る首筋に顔を埋め、柔らかな薄い皮膚に噛み付く
ように口付け、濡れた音を立てながら吸い、舌を這わせる。
 冷たかった肌が、ゆっくりとその温もりを取り戻し、更にその温度を上げ
ていけば、白く透き通るようなそれが、ほんのりと色付いていく。
 もっと。
 恥ずかしいぐらいに、朱に染め上げて。
 内も外も、しとどに濡らしてやりたい。
 気も狂わんばかりの情慾が、男の全てを支配する。
 聞こえるのは、己の獣じみた荒い息遣いと、甘く掠れたアキラの喘ぎと。
ベッドの軋み、そしてどこか粘着質な濡れた音。
「もっと・・・もっと、だ・・・・・」
 鼻息も荒くアキラの下肢に顔を埋めた男の硬い髪を、細い指が掻き乱す。
 まだ足りない。こんなものでは、満たされない。
 欲を吐き出して、蠢く内壁を熱く固いもので擦り突き上げられ、体奥に
溢れるほど白濁した熱情を注ぎ込まれても。
 それでも、満たされることなどないのだ。
 この男の、そんなものが欲しいんじゃない。
 飢えたように乾いた唇を、己の舌でそっと舐め上げ、アキラは。
 淫猥な音が支配する部屋の、その重厚な扉一枚隔てた外に。
 聞こえるはずのない、コツコツと規則的に近付く硬質なそれを感じた気
が、して。
 快楽に蕩けそうな瞳を、スと。
 細めた、刹那。
 視界に映る、黒い影。
 閃く刃。
 吹き出す、暖かな血潮。
 断末魔の叫びを上げることもなく。
 痙攣する欲の塊がスローモーションのようにベッドから床へと崩れ落ちる。
「・・・・・ああ」
 鮮血を浴びながら、身体を起こしたベッドの上。
 更に鮮やかな赤を瞳に宿した男に向けて、アキラは血に塗れた腕をそっと
伸ばした。
「・・・・・おかえり・・・・・」
 血の滴る刀を一閃し、静かに仕舞うと。この部屋の----城の主は、その
手を取り、掴んだそれをを引くようにして赤く染まった白い身体を腕の中に
収めると、そのまま軽々と抱き上げる。
「片付けろ」
 声に、扉の外に控えていたらしい数人の兵士は蒼白な面持ちで入室すると
床に落ちた骸を血の染み込んだシーツ共々運び去り、主の寝室を元のように
整えるべく、慌ただしく動き出す。
 その様子をシキの腕に抱かれ、まだ快楽の余韻に潤んだ瞳で眺めていた
アキラは、甘えるようにその肩口に顔を埋めると、吐息混じりに囁く。
「俺も・・・キレイにして」
 ねだる声に、シキは血に濡れそぼった髪を梳くように撫でた。
「・・・・・しょうのない奴だ」
 目を細め、ゆるりと口の端を吊り上げると、アキラを腕に抱いたままスッ
と踵を返す。
「一緒に入るの・・・久し振りだ・・・・・」
 しなだれ掛かるようにシキに身を委ね、アキラはうっとりと微笑む。
 向かった先は、寝室の奥から続く扉の向こうに造られた、常に湯気を立ち
上らせる広い湯殿。たゆたう湯の中に、シキは血に塗れたままのアキラを
ゆっくりと浸した。
 透明な湯は、アキラを中心にして赤くその色を変えていく。噎せ返るような
血臭が立ち篭める中、仄かに頬を身体を朱に染めながら、アキラは縁に佇む
シキに艶然と笑いかける。
 それを受けとめたシキの瞳が更に鮮やかにその彩を増し、壮絶な笑みを
乗せるのを、恍惚として眺めながら。
 これから始まる濃密なひとときを思い、己を抱き締めるようにして身を
震わせた。





甘いだけでは決してない、壮絶なお風呂えっちをv