『ゴメンね』



「・・・・・ここは?」
 ふと気が付くと、遺跡の中にいた。
 きょろきょろと辺りを見回すと、潜入時にはそこにいるはずの
化人の姿は見えなかったから、おそらく殲滅し終えたところなの
だろう。
「お疲れさま」
 声に、振り返れば。
 ウサギの像に腰掛けて、コクコクと喉を鳴らしながら旨そうに
飲み物を口にする葉佩がいた。ふー、と人心地ついたように息を
吐くその口元、飲んでいたのはミルクだったのだろう。白い液体
が僅かに溢れるのに、それを葉佩の赤い舌がゆっくりと舐め取る
のを見てしまえば。
「萌え!!萌えるわ!!ダーリィィーーーーン!!愛してるわーーーー!!!!」
 まさに、股間にクるというもの。
 鼻息も荒く自慢の俊足で両手を広げつつ駆け寄れば、恥ずかし
がり屋さん(すどりんメモより)な葉佩は、いつものようにスルリと
その抱擁を躱したのだが、ふと。
 垣間見た表情は、どこか憂いを帯びているように感じて。
「・・・・・九ちゃん?」
 その伏し目がちな様子にも胸をキュンキュンさせつつも、朱堂
が心配そうに声を掛ければ、ゆっくりと。
 顔を上げた葉佩の瞳は、涙をたたえて潤んで揺れている、から。
 ズキュンとキた欲望のままに抱きしめようとすれば、また身を
退いて躱されてしまう。
「ゴメン、茂美ちゃん」
「・・・え」
 ぽつりと。
 呟かれた謝罪の言葉に、にじり寄る足が止まる。
「茂美ちゃんのことは、好きなんだ・・・とても。大好きなんだ
・・・・・でも」
 好き。
 大好きだと、葉佩は言った。
 その言葉に一気に身体中の血が沸騰するような高揚感を覚える
のに、葉佩の貌は今にも泣き出しそうで。
「アタシのこと、好きなのに・・・そう言ってくれたのに、何故
そんな悲しい顔をするの?」
 朱堂も葉佩のことは好きだ。大好きだ。だから、それならば
2人は両思いのはずで、幸せなはずなのに。
「一体何が、アナタにそんな顔をさせるの!?」
 なのに。
 朱堂の問い掛けに、葉佩は泣きそうな顔のまま微笑んでみせた。
「・・・・・だって、俺は・・・・・」
「何!?何なの、九ちゃん!!」
 消え入りそうな声を掴まえたくて、また逃げられてしまうかも
しれないと思いながらも肩に手を添えれば、だけど今度は躱される
ことは、なく。
 それどころか。
 朱堂の手に、葉佩のひと回り小さな手が、そっと重ねられた。
 そして、目の前の柔らかそうな唇が、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「俺、・・・・・ネコなんだ」
「・・・・・にゃんこ?」
 真面目な顔で、真摯な瞳で。
 何を言うかと思えば。
「もう、九ちゃんったら・・・でも、アタシは九ちゃんが例え猫で
あったとしても愛してるわ」
 それは、本当。
 何やらとても可愛いことを言う葉佩に胸の奥をくすぐられるよう
で。愛しいという沸き上がる感情のままに、抱きしめようとするの
だけれど、トンッと。
 胸元を押され、それを阻まれてしまう。
「そうじゃない・・・そういう意味じゃない。茂美ちゃんになら、
分かる・・・だろ。俺、タチじゃ・・・ないんだ」
「あ、・・・・・ッ」
 ネコ。
 タチ。
 それは、同性同志でセックスする上での、立ち場のようなものを
意味する言葉で。
 葉佩は、ネコ。
 ネコは-----------受け身を表す。
「茂美ちゃんは、俺に抱かれたいんだよね・・・だけど俺は・・・
俺には、それは出来ないんだ」
 自分は抱かれる側だから、と。
 とうとう、葉佩の大きな瞳から涙がこぼれ落ちた。
「九ちゃん・・・そんな」
「ゴメン・・・ゴメン、茂美ちゃん」
 衝撃の告白だった。
 ショックは大きかった。
 けれど。
「・・・・・そんな、ことで泣くなんて・・・なんて可愛いの」
「そんなこと、って!!これは重要な問題じゃないか!!」
 目を真っ赤にしながら叫ぶ葉佩の、その。
 涙に濡れた頬を、朱堂の手が優しく撫でる。
「確かに・・・アタシは九ちゃんに抱かれたいと思ったわ。だけど
九ちゃんと1つになれるのなら・・・アタシは・・・・・」
 グ、と。
 いつしか壁際に追い詰められた形となっていた葉佩に寄り添う
ようにしていた朱堂の下肢が、意図を持って押し付けられる。
「ッ、・・・・・」
「うふふ・・・心配しなくてイイのよ、九ちゃん。このアタシが、
九ちゃんを抱いてあげるわ」
 きっと逃げたりはしない、という確信をもって、朱堂の唇が葉佩
の耳朶に寄せられる。潜められた声、その吐息に葉佩が怯えたように
肩を震わせるのに、ますます下肢に熱が集まる。
「分かるでしょ・・・アタシの熱い欲望が。アナタが望むなら、今
この瞬間からアタシは・・・・・雄として生きてみせるわ」
「な、・・・ッあ・・・や・・・・・ッ、茂美ちゃ・・・んッ」
「ああ・・・なんて可愛いの、九ちゃん・・・アタシ・・・アタシ
もう・・・・・」
 股間を押し付けられ、その硬さと質量に戸惑いながら身を捩る様に
朱堂は益々興奮を覚え、甘い声を零す可憐な唇に熱い口付けを与え
ようと。
 して。
「・・・・・何やってんだ、お前ら」
「ーーーーーーーーー!?」
 不意に背後に現れた気配と声と香りに、その人物を確信しながらも
振り返れば、そこには。
 のんびりとアロマを吸いながら佇む男。
「・・・・・何でアンタがここにいるのよ、皆守甲太郎」
 これから始まろうという、めくるめく時間を邪魔されたという思い
に、憎しみすら込めつつ睨み付ければ。
「お前、・・・・・童貞だな」
「な、・・・・・ッい、いやだわッどうしてそんなコト、アナタが」
 しっかり言い当てられてしまったのか、頬を朱に染めつつ腰をくね
らせる朱堂を片手で引き剥がし、皆守は足音も立てずに葉佩の傍らに
歩み寄ると、困惑したように立ち竦む葉佩の両側の壁に手を付き、その
耳元に唇を寄せて囁いた。
「九ちゃんに質問だ」
「な、・・・何・・・・・」
「ちょ、ちょっと!!どきなさいよ、アンタ!!」
 葉佩から引き離されたことに猛烈に抗議をする朱堂には目もくれず、
皆守はひそりと言葉を続ける。
「童貞で下手くそで短小極細早漏の男と、九ちゃんのツボも何もかも
知ってて気持ち良くイかせてやれるタフでマグナムな男と、お前は
どっちが良い?」
 選べよ、と。
 ラベンダーの香りが促すのに。
「・・・・・気持ち良い、方」
 ふわり、と。
 恥ずかしげに頬を染めながら呟いた葉佩に、皆守は口元の笑みを
濃くして。
「なら、決まりだな」
 頼りなげに立つ葉佩の腰に手を添え、引き寄せるようにして歩き出す
その前に、呆然とその遣り取りを見ていた朱堂が、ようやく我に返って
立ちはだかる。
「ま、待ちなさいよッ!!九ちゃんはアタシのことが好きだって言ってる
のよッ!!」
「・・・・・そうなのか・・・九龍?」
 抱き寄せた葉佩の耳元、わざと低く吐息で囁けば。
「・・・茂美ちゃんのことは好きだよ。でも・・・俺は皆守が良い」
 甘えるように皆守に身を寄せる葉佩に、朱堂は視界がピシリと音を
立てて割れたように感じた。
「な・・・な・・・な・・・な」
「そういう訳だ。じゃあな」
 片手で葉佩の腰をしっかりと抱き、ひらひらと手を振りながら出口に
向かう背が、遠く霞んで見えるのは何故だろう。
「気持ち良くして・・・甲ちゃん」
「ああ、この俺のカレーなテクに酔いな」
 なんじゃそりゃあ、と。
 叫んだ自分の声すら、どこか。
 遠くに感じて。



 目が。
 覚めた。
「・・・・・ハァ・・・ハァ・・・なんて夢なの・・・ッ」
 じっとりと嫌な汗をかいている。せっかくのセクシーネグリジェが
台なしだわ、と呟きながら時計を見れば午前2時。
「・・・・・九ちゃん」
 そういえば、今夜の探索には自分と皆守が同行したのだ。サクサクと
クエストの依頼品を回収して、早めに遺跡を出て寮に戻った。さっきの
悪夢のような遣り取りはなかったが、それでも。
「こんな夜は、愛しい人の寝顔でもオカズにするに限るわね」
 いやだわ茂美はしたない、などと呟きつつ、朱堂はベッドを抜け出す
と、そっと部屋を出て寮の外に向かった。
「・・・・・あそこね」
 深夜の冷たい風に身を震わせながら見上げた先、その窓は葉佩の部屋
のものだ。あの中で、愛しい人が寝ている。
「待っててね、ダーリン」
 ぴたり、と。両手を壁に付くやいなや、朱堂はどこのヤモリかイモリ
と見紛うほどの動きでもって、壁を伝い登っていく。愛と欲望の奇蹟が
ここにあった。
「・・・・・ふー」
 滑り落ちることもなく目的の場所まで辿り着くと、その窓枠を足場に
しながら部屋の中を覗き込む。だがしかし、あいにく今夜は月も出ては
おらずカーテンの隙間から覗いた部屋の中は暗くて、ようやくベッドの
位置の見当がつくぐらいであった。
「ああ・・・あそこに九ちゃんが・・・」
 どんな顔をして眠っているのだろう。想像するだけでも胸がドキドキ
するし、それを間近で拝めたりしたら股間が張り裂けそうな気がする。
「・・・・・裂けたら痛いわ」
 腰をモゾモゾさせながら、どうにか忍び込む手立てはないかと思案
していると。
 暗闇の中、ベッドの中の人影が起き上がったような気がした。
 見ている。
 上体を起こして、こっちを見ているのを感じる。
「九ちゃん・・・」
 ここに来てアタシを掬い上げて、と。
 祈るような気持ちで、その人影を見つめていれば。
 ゆらり、と。
 ベッドの中から、その人が立ち上がるのが見える。
 こちらに。
 ゆっくりと近付いて来た、その貌は。
「・・・・・夜這いとは御苦労なこった」
「み、・・・・・ッ皆守甲太郎!!ななななんでアンタが、ここに!!」
 まるで、あの夢の中の台詞である。
 嫌な感覚が蘇るのに唇を噛み締めつつ、朱堂は念のため確認をする。
「・・・ここは、九ちゃんの部屋よね」
「ああ、・・・それがどうした」
 眠い、と欠伸を噛み殺しつつ、寝起きの低い声で皆守が答える。
「その九ちゃんの部屋に、どうして上半身裸のアンタがいるのよ」
 こちらも負けずに声を低くして問えば、皆守の瞳がスと細められる。
 聞かなければ良かったかも、と。
 そんな思いが過ったけれど、もう遅い。
「残念だったな・・・もう半時間早けりゃ、拝めたかもしれないぜ・・・
俺の九龍がシーツの上で乱れる姿をな」
「ッーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
 にやり、と。
 勝者の笑みを浮かべる顔を、ダーツの的にしてやりたい。
 口惜しさにハンカチを噛み締めることも出来ないまま、ズルズルと壁に
貼り付いたままの姿で、朱堂が落ちていく。
 やがて地上に辿り着いた朱堂が放心したように地面に転がるのを見届け
ると、皆守は開いたカーテンをきっちりと閉め、ベッドを振り返る。
「・・・・・甲ちゃん?」
 窓際に立つ皆守を、寝惚け眼を擦りながら裸の上体をベッドに起こした
葉佩が呼ぶ。
「どうしたの?」
「いや、デカいヤモリがいたんで追い払ってただけだ」
「・・・・・ふーん」
 そんなのいたっけ、と首を傾げる葉佩に薄らと笑みを浮かべ、皆守が
またその傍らへと身を滑り込ませれば。
「甲ちゃん、冷たい」
「ああ、悪い」
 少しの間だったが窓を開けていたから、身体が冷えてしまっていたんだ
ろう。触れた素肌が、温もりが一層愛しくなる。
「九ちゃんが、あっためてくれよ」
「・・・・・もう」
 冷たい手を這わせてくる皆守に、しょうがないなと溜息をつきながら、
葉佩はその背に腕を回した。



 翌朝、半冷凍状態のオカマが男子寮の前で発見されたとかされないとか、
お湯を掛けたら3分で復活したとかいう話を、仲良く遅刻した皆守と葉佩
が八千穂から聞いたとか。




ごめん、すどりん。