『恋路』



 今日も今日とて、休日出勤…もとい、学校の授業のない日曜だと
いうのに、執行部の裏の任務で山1つ越えたところの祠まで遠征。
こういう言い方をすると、何だか緊張感に欠けるというか不真面目
だ、って窘められてしまいそうだけれど。
 でも、僕だってたまの日曜日くらい、ゆっくり昼までゴロゴロ
していたいって思っても、バチ当たらないんじゃないだろうか。
 それでなくても、ここ最近は。
「飛鳥っ」
「ふ、・・・・・あっ」
 断続的に襲ってくる眠気を払おうと、頭を振った時だった。
 あくまで我等の役目は鎮め、と屠りを行わずにいた天魔のうちの
一体が、いつの間にか背後に忍び寄っていた。
 失態だ。
 不意を突かれ、その爪に裂かれようという、刹那。
「・・・・・え」
 一歩、後ずさった僕は。
「う、わあああ」
「くっ、龍痺!!」
 足元の小石を踏んずけてしまったようで。
 すぐ近くにいた九条さんが繰り出した技に天魔が倒されるのを、
まるでスローモーションのように捉えながら。
 受け身もままならぬまま、おかしな転び方をしたものだから。
「っ、・・・・・」
 足首に走った痛み。
 ああ、また…やってしまった。


「飛鳥、怪我はないか」
 刀を収めながら、九条さんが座り込んだままの僕を振り返る。
「あ、・・・一応」
「・・・そうか」
 九条さんの安堵した表情に、チクリと胸が痛む。
 …天魔に負わされた傷は、確かにないんだけれど。
「不様ですわよ、伊波飛鳥。御前のお手を煩わせたばかりか、石に
躓いて転ぶなんて、お役目に対しての姿勢を疑いますわ」
「・・・美沙紀、結と祠の祓いを」
「っ、・・・すぐに」
 那須乃さんの手厳しい言葉に、それでも言われた通りだよな…と
返す言葉もなく俯いていると、九条さんの凛とした声が響いて。
 顔を上げれば、紫上さんと共に祠に向かう那須乃さんの背と。
 そして、九条さんの苦笑混じりの顔があった。
「あいつも、お前を襲おうとした天魔を討とうと弓を番えていた」
「そう、・・・でしたか」
 助けようとしてくれていたんだ。
 そのようなつもりではなかった、と彼女は言うかもしれないけど。
「有難うございました」
「無事で・・・良かった」
「っ・・・・・」
 心底。
 ホッとしたように、そう告げるから。
 何だか気恥ずかしくなって、そっと視線を逸らせば、ちょうど伽月
が木立の向こうから駆け寄ってくるのが見えた。
「バカ飛鳥、何ボーッとしてたんだよ」
「・・・・・ごめん」
 ここにも、容赦のない女子が1人。
「ほら、いつまでもそんなとこに座り込んでないで、さっさと立つ !」
 そう言って、僕の腕を掴んで引き起こそうとするのに。
「あ、つ・・・・・っ」
「え、・・・っ」
「飛鳥!?」
 無理に立ち上がらせようとさせられて、咄嗟に踏ん張った右足首に
激痛が走る。思わず手を振り払って倒れるように腰を落とせば、座る
僕に覆い被さる勢いで、九条さんが顔を覗き込んで来た。
「何処だ、・・・・・足だな。右か」
「っ、・・・」
 確かめるようにふくらはぎ辺りに触れていた手が、足首まで下りて
きて、僕が眉間に皺を寄せるのを見て得心したように頷く。
「挫いたか・・・かなり痛む、か」
「いえ、・・・たいしたことは、ありません」
「そういえばアンタ、ちょっと前にも同じとこ捻ったよね・・・」
 ああ、そうだ。
 あの時は、最低だの何だのと散々言ってくれたよな、伽月。
「ならば、余計に無理はさせられんな」
「な、っ・・・・・」
 伽月の言葉に九条さんは頷き、そしておもむろに僕の脇と膝裏に手
を差し入れてくる。
「何、するんですかっ」
 咄嗟にその身体を押し退けてしまえば、九条さんは至極真面目な顔
で、しかしどこか楽しげにこう告げた。
「その足では郷まで帰れんだろう。俺が抱いていこう」
「・・・・・止めて下さい」
 何を言うんだ、この人は。
 というか、それならせめて背負うぐらいにして欲しい。
 だって、さっきしようとしたのはどう見たって、いわゆる「お姫様
抱っこ」と言う奴じゃないだろうか。
「遠慮することはないぞ、飛鳥・・・俺とお前の仲じゃないか」
「どんな仲だろうと、無理なものは無理です」
 現実問題として、ここから郷までの道程を考えると、九条さんには
難しいだろうと思う。僕だって女の子じゃないんだから、そう軽くは
ないし、女の子並みに軽かったとしても、山1つの道のりを人ひとり
抱えて行くなんて。
「むう、どうした」
 どうにかして僕を抱き上げようとする九条さんと、それを阻もうと
する俺の様子に、それを唖然と見ている伽月の後ろから、のそりと
巨体が声を掛ける。
「こいつが素直じゃないんでね」
「いや、だからそうじゃなくて」
「飛鳥が足挫いちゃって、総代が抱いて運ぶって言い張るんだけど、
飛鳥はそれは無理だって・・・揉めてる最中、先輩」
 やれやれ、といった風に伽月が事の次第を宝蔵院さんに説明すると、
九条さんと僕とを交互に見比べていた強面が、ふと破顔する。
「捻挫とは、災難だのう・・・伊波。よし、ここはひとつワシがお主
を担いで」
「あんたは黙っていて下さい、鼎さん」
 ピシリと。
 大先輩の有り難い御言葉を一蹴。
「これ以上余計なことをおっしゃると、風天丸に蹴られますよ」
「・・・・・キツいのう、綾人」
 いや、魂神をそんなコトに使っちゃいけない、っていうか…アレに
蹴られたら、いくら宝蔵院さんでもただじゃ済まないかと。
「・・・・・九条総代の魂神は、馬じゃなかったですよね・・・」
 若林、お前も命が惜しかったら黙ってろ。


 結局。
 根負けというか、折れたのは僕の方だった。
 だけど、やはり抱いていくというのは危険だろうという紫上さんの
僕にとっては有り難い進言もあって、九条さんは渋々姫抱きを諦め、
僕を背負って歩き出した。
「済みません、九条さん・・・あの、重くないですか」
「ふむ、これはこれで悪くないな」
「・・・・・」
 だから、何どさくさに後ろ手に人の尻撫で回してるんですか。
「綾人様、どうぞゆっくりいらして下さい」
「うむ、お前たちは構わず先に進んでくれ」
 九条さんが告げるのに紫上さんは頷いて、少し先を行く伽月たちと
合流すべく、僕たちから離れる。
「はい、どうぞお気をつけて・・・伊波君、安心して綾人様に身を
委ねて下さいね」
「・・・・・紫上さん、そういう言い方・・・」
 ものすごく他意を感じるのは、こんな状況だからなんだろうか。
 柔らかく微笑みながら踵を返して行く、その背が恨めしい。
「結の言うとおりだ。俺に、全て委ねてくれればいい」
「・・・・・」
「頼って、甘えてくれて良いんだ・・・飛鳥」
「・・・・・九条さん」
 身体を預ける、その背は意外と広くて。
 そして、とても暖かい。
 とても。
 安心、する。
「眠っても良いぞ」
「・・・眠ってしまうと、もっと重くなります」
「ああ、寝顔を見れないのは残念だがな」
 何となく噛み合ってない会話、でも暖かな言葉の響きに、つい口元
が綻ぶ。
「いつも、見ているくせに」
「見ているだけではないんだがな」
 笑いながら、眠っている僕にこっそりキスしているんだ…って告白
されたけど、でもちっともイヤな気持ちにはならなかった。
「起きてるときにも、散々・・・してるのに」
「だから、今出来ないのが残念だ」
 そう、かな。
「・・・・・出来ますよ」
 呟いてしまった言葉に、九条さんがピタリと足を止める。
 零れ落ちた僕の言葉の、その意味を探るように、確かめるように
肩越し振り返った九条さんに届くように。
 少し、伸び上がるようにして。
 飛鳥、と吐息で囁いた唇に、自分のそれでそっと触れる。
 掠めるようなキスに、九条さんは微笑って。
 でも、ちょっと物足りないなんて言うものだから。
「続き、は・・・後で・・・・・」
 なんて。
 何だか、甘ったるい言葉を残してしまったりして。
「続き、か。約束だぞ、飛鳥」
「・・・・・はい」
 どうしちゃったんだろう、僕。
 ああ、そうだきっと。
 多分、少し眠くなって来たから、だから。
「着くまで、まだ時間がある・・・眠れ」
「は、い・・・」
 言われるままに、コトリと身を預ける。
 歩く振動と、背中の温もりに、そのまま引き込まれるように眠りに
落ちていく。
 だから。
 郷に着いたら足はちゃんと結に治させるからな、と呟いた九条さん
の声は、もう届かなかった。





・・・・・その場で治させない、あーやの策略(笑)。