『Liar』



 本当は。
 ずっと。
 ずっと前から、あなたに憧れていたんだって。
 遠くから、見ていたんだって。
 そう告げていたら。
 あなたは、どんな顔をしたでしょう。


 僕の中で「総代」と呼ばれる人は、この春學園を巣立っていった
涼しげな眼鏡の似合う人であったから、最初の内はあの人が総代と
呼ばれているのに、ピンとこなかったものだ。
 だけど、総代という生徒を代表する立場に就くよりもずっと以前
から、あの人の存在は僕にとって、そして皆にとっても特別なもの
だった。
 宗家で。
 神子として選ばれるべき人で。
 俗人と呼ばれる僕たちからすれば、いっそ雲の上のような存在。
 ただ、幼馴染みの伽月は何かと構われたりしていたようで、彼女
の口からあの人の名を聞く度に、ほんの少しだけ。
 あの人を、近くに感じていた。
 言葉を交わしたことも。
 視線を合わせたことすらない、遠い存在のあの人を。

 壮行の宴で、初めて声を掛けられた時。
 目を、合わせた瞬間。
 あれほど憧れの対象であった人に、僕が感じたのは。
 恐れにも似たものだった。
 畏怖、というのとはまた違う、それは。
 あの、僕の内を見透かすような瞳。
 怖かった、だけど。
 それでも、微笑みかけられて嬉しかった。
 本当に、嬉しかったんだ。

 それをきっかけに、だけどその距離が一気に縮まるなんてことは
想像すらしていなかった。
 執行部に入り、毎日のように顔を合わせ、言葉を交わして。
 飛鳥、と名前で呼ばれた時は驚いた。
 だけど、あの人は僕に限らず、皆をファーストネームで呼ぶ。
 笑いかける優しい顔も、肩を抱く親しげなその行為だって。
 僕だけのものじゃないって、それすら意識もしなかった。
 けれど。

 好きだ、と告げられた時。
 壮行の宴で感じたのと同じ、感覚に陥った。
 怖い。
 その距離を縮めるのが。
 より深く。
 繋がりを持ってしまうことが。
 だって、そうしたらきっと。
 今度は、僕の方が手を離せない。
 例え、僕がこの人のものになったとしても。
 この人は、決して僕だけのものにはならない。
 望んでしまうのが。
 怖かった、のに。

 吐息が、肌が、触れる。
 互いの熱が、混ざりあう。
 抱きしめられる、その腕から逃げ出してしまいたいのに。
 それでも僕の手は、戸惑いながら、震えながらも伸ばされる。
 縋り付いて。
 身体中、その内まで、この人の存在を、熱を感じて。
 きっと束の間である、その幸せに身を委ねてしまうんだ。


「・・・・・どうした」
 あまりにも長い間、じっと見つめ過ぎていたから、気配に気付か
れてしまったんだろうか。
 閉じていた瞼がゆっくりと開いて、僕を映す。
 僕だけを。
 映して。
「眠れないのか?」
「・・・・・いえ」
 腕に包まれて、眠りに就いていた。
 ふと目が覚めたきっかけは何だったのか、それすら思い出せない。
 気が付けば、その腕を抜け出して。
 眠る秀麗な貌を、ただ見つめていた。
「眠れないというのなら、・・・・・付き合うぞ」
 寝起きの、少し掠れた声。
 微かに笑いを含ませて、いたずらな手が肌を辿る。
 いつもなら、これ以上は冗談じゃないとばかりに、即座に払い除け
てしまう、その手を。
 そっと取って、その指先を口に含めば。
 笑んでいた瞳が、驚きに見開かれる。
「・・・綾人、さん」
 貫かれて、揺さぶられる意識の中でしか、呼ぶことのない名。
 だけど、とても愛おしい響き。
「何、を・・・そんなに」
「・・・・・」
「お前は、・・・何に怯えている、飛鳥」
 気付いて。
 知られてしまうんだろうか。
「怖い夢を・・・見ました」
 そう、だったんだろうか。
 見た夢の中身は、もう覚えてはいない。
 だけど、それならば理由になりそうな気がして、そう告げれば。
「泣くのならば、俺の前で・・・そう言ったな」
「・・・・・ええ」
 その約束は、まだ違えてはいない。
 だけど、もしも。
 あなたがいない、その時は。
「泣けばいい、いくらでも・・・泣けないというのなら、俺が」
 泣かせてやるから、と。
 腕を引かれ、倒れ込んだ胸元。
 その温もりに、胸の奥が引き絞られるみたいに。
「綾人さ、ん・・・・・っ」
 暖かな手が、そっと背を撫でて。
 やがて、確かな熱をもって身体を辿って下りてくる。
「まだ、・・・柔らかいな」
「あ、う・・・・・、んっ」
 指先が、双丘の奥をそっと押す。
 つい数時間前まで、そこに埋め込まれていたんだ。
 燻る熱に、思わずこくりと息を飲めば。
「すぐに、欲しそうだ」
「や、・・・・・」
「違わない、だろう?」
 ああ、そうだ。
 この人の言うとおり、僕は。
「もっと、・・・・・欲しがって良いんだ、いくらでも」
 だけど、それを口に出しては言えない。
 だって、欲しいのは。
 全て。
「あ、や・・・・・、っ」
 望んで得られるモノじゃない。
 のに。
「・・・共に」
「ん、っ・・・・あ・・・・・っ」
「俺、は・・・・・お前と共に、・・・・・・飛鳥」
 繋がった、瞬間。
 告げられた言葉は、耳に途切れがちに。
 それでも。
「共に在る・・・・・約束、だ」
 その儚い言葉に、それでも僕は。
 ひとときでも、しがみついていたくて。
「一緒に、・・・・・いたい」
「あす、か」
「綾人さん、が・・・・・欲し、・・・・・っ」
 そんな言葉で、この人は縛れはしない。
 だけど、その半ば悲鳴のような言葉に、九条さんは。
 微笑んで、とても。
「・・・・・身も心も」
 嬉しそうに。
 強く。
 抱きしめてくれる、から。

 せめて。
 離れずにいたい。
 ずっと。
 あなたの傍に、在りたい。
 どこか遠くへ行くというのなら、その時は僕も。
 共に、連れていって欲しい。

 我が侭な言葉に、それでもあなたは幸せそうに頷いていた。
 離れない、と。
 離さないと、あなたが言うのなら、この手は離れることはないと
信じていた。

 今は。
 ねえ、どこで。
 僕は泣いたら良いんですか。





あーや的には、離れる気はなかったかと思われますが!!
とはいえ、結果的には嘘付いちゃったワケで。
とっとと帰って来て、言い訳してみやがれですvむふv