『シノビアイ』



「なーんか、ここんとこ退屈だねえ・・・ばらっち」
 ここ数日は、執行部の裏の仕事である討魔という任務もなく、極普通
の高校生らしい生活を送る日々である。
 平和なのが一番だというのに、弁当の空揚を頬張りながらの一ノ瀬の
セリフに、伊波は欠伸を噛み殺しつつ、こっそりと溜息をついた。
「そうですね・・・取り敢えず、昼間は至って平穏な気がします」
 話を振られた榊原が、いつものようにニコニコと笑いながらそう応える
と、その言い回しに何やら引っ掛かるものがあったのか掴みかけた里芋の
煮付けをそのままに、一ノ瀬が身を乗り出した。
「何、何かあるっての、夜には ! まさか、アンタ内緒で夜遊びなんて ! 」
「まさか、そんなことしませんよ」
 ボクは夜更かしは苦手なんです、と笑顔で返すのに。
「なら、一体どういう・・・」
「ただ、昨夜は珍しく寝付けなくて。少し夜風にでも当たろうかと思って
部屋を出たんですけど」
 苦笑混じりにそう言って、榊原はそっと視線を泳がせる。
「あれ、もう食べ終わったんですか、伊波君」
「あ、・・・・・うん」
 こっちに話を向けられるとは思わず、慌てて顔を上げれば。
「おにぎり1個で身体もつのかー、飛鳥。それはそうと、ばらっち・・・
やっぱり寮をこっそり抜け出したんだね」
「抜け出してませんよ。それに、結局建物の外には出られなかったんです
から」
 一ノ瀬と会話しているはず、なのに。
 榊原の笑んだ瞳は、コップに手を伸ばした伊波に向けられたままだった
のだが、一ノ瀬は別にそれを気にする風でもなく、ただ話の続きを聞きた
くて、うずうずしている様子で。
「出られなかった・・・って、何かあったんだ!?」
「あった、というか・・・こういう話って、あまり大きな声で言っちゃ
いけないような気がするんですけど」
「ああもう、焦らすな」
 やや声のトーンを落とす榊原に、一ノ瀬はあからさまに不満げに眉を
顰めながらも、小さくなった声を聞き取ろうと顔を寄せる。
 伊波はといえば。
 特に話の内容に興味がないのか、ぼんやりと頬杖をつき、ただひたすら
襲って来る眠気と戦いながら御茶を啜っていたのだが、小声で話している
わりには、しっかりと耳に入ってくる会話を、聞くともなしに聞いてしま
ってはいたのだけれど。
「廊下は静まり返っていて・・・時々、遠くで虫の音が聞こえるくらいの
本当に静かな夜、だったんです。だけど、ふと・・・耳に、微かにですが
どこからか・・・音が届いたんです」
「お、音・・・ど、どんなっ!?」
「それは、ですね」
「よう、飛鳥」
 音…と、ぼんやり頭の中で反芻している伊波の耳に、不意に聞き慣れた
声が響く。
「あー、総代・・・なんでここに!?」
「伽月、食べ物を口の中に入れたまま喋るのは感心せんな」
「いちいち煩いなあ、もう」
 そう窘められて、一ノ瀬は不満げに口を尖らせつつ。伊波が机に置いた
ばかりの飲みかけの御茶が入ったコップに手を伸ばそうとすれば。
「ああ、こちらをどうぞ一ノ瀬さん」
「おー、気がきくじゃん、ばらっち」
 すかさずそれを制するように、自分のまだ手付かずの御茶を差し出した
その様子に、引き攣らせかけた口元をこっそり引き締め直した男が1人。
「綾人様、取り敢えずお席に」
「ん、ああそうだな」
 後ろに従うように立っていた紫上が、そっと椅子を勧めると、それを片手
で引き寄せつつ、九条は当然といったように伊波の隣に腰を落ち着けた。
「・・・・・何しに来たんですか」
「身体が辛そうだと、結に聞いた」
 そう言われて、やはり九条の後ろに控えるようにしている紫上に視線を
向け、伊波はまた小さく溜息をついた。
「・・・・・別に。眠いだけですから」
「無理はするなよ」
「む、・・・・・っ」
 無理させたのはあんたじゃないかと言いかけた口を慌てて閉ざし、あくま
で平静を装いつつ、伊波は榊原に声を掛けた。
「ごめん、話の続きしてて」
「良いんですか?」
 ちらりと九条に視線を向け、そして確認するように伊波に微笑むのに。
「寮に何か問題があるのなら、ちょうど総代もいることだし、聞いて貰った
方が良いんじゃないかと思って」
「ああ、そうですね」
「む、寮で何か不都合でも?」
「不都合、というか・・・取り敢えず、話を聞いて頂けるのでしたら」
 九条が頷けば、榊原は昨夜寝付けずに寮の部屋を出たところから語り始め、
ちょうど九条たちが来る前に話し終えていた部分に差し掛かる。
「で、音を聞いたんだよね」
「・・・・・音?どのような音だ」
「小さな音でした。そうですね、・・・・・床か、何かが・・・軋むような
音が」
「・・・・・アンタの足音じゃなくて?」
 もっと、おどろおどろしい音でも想像していたのか、一ノ瀬がやや呆れた
ように口を挟めば。
「いいえ、ボクは立ち止まっていましたし。それに、あれは人の歩くような
音ではなかったと思います。息を潜めて聞き耳を立てていれば、それは断続的
に聞こえて来ました・・・ギシギシ、と」
「「・・・・・ギシギシ?」」
「何だよ、総代も飛鳥も・・・2人して声を揃えて」
「あ、・・・・・っ」
「いや、済まん・・・話を続けてくれ」
 互いに顔を見合わせ、すぐに伊波の方が困惑したように視線を逸らすのに、
九条が苦笑混じりに先を促す。
「では、続けさせて頂きますね。・・・その音だけなら、建物自体の立て付け
の問題なんだろうか、って思うんですけれど。よくよく聞いてみると、何だか
人の声のようなものまで混じっていたんです」
「こ、・・・声っ!?う、うらめしや〜とか!?」
「そんな古典的なものではものではありませんでしたよ、一ノ瀬さん。ただ、
とても・・・苦しそうな声だったように思います」
「ひええ・・・それって・・・・・」
 一ノ瀬が怖がる素振りを見せつつも、だがその瞳は何やら期待に満ち満ちて
輝いているのに、榊原は笑みを洩らしつつ。
 そして、先ほど口を揃えた九条たちの様子を伺えば、いずれも難しそうな顔
をして、考え込んでいるように見えて、また榊原は小さく口元を弛めた。
「そうだなあ・・・あと、水のような音がしましたよ」
「み、水・・・っ!?」
「ええ、・・・濡れたような音が・・・・・」
「うわあああ・・・マジ!?マジなの、ばらっち!!」
「ええ」
 ついに一ノ瀬が立ち上がり、榊原の肩を掴んで揺するのに。
「どこまで話を作る気だ、拓実」
 最高潮まで盛り上がった怪談じみた空気を一蹴するように、九条が眉を顰め
ながら、そう告げれば。
「九条さんは、ボクが作り話をしているとでも・・・?」
 笑顔をそのままに、榊原が九条に向き直る。
「そうだ」
「へえ・・・断言出来るんですか」
「ちょ、・・・ばらっち」
 互いに微笑んでいるのに、何やらその間にパチリと火花が散ったような気が
して、一ノ瀬が焦るのに。
「やっぱり、いたんですね・・・あそこに」
「だったら、どうした」
「いえ、・・・・・どおりで入れないはずでした」
 まるで2人にしか分からない会話を交わす総代と転入生の一見穏やかな笑顔
の間で、1人。
「・・・・・飛鳥、アンタ・・・変な顔」
「・・・・・・・・・・」
 しばらく無言のまま。
 ふるふると震えつつ、真っ青になったり真っ赤になったりを繰り返している、
もしかしたら今回の話の犠牲者とも言える少年が。
「音・・・やっぱり・・・外に・・・・・」
「いいえ、綾人様の結界は完璧でした」
「何で知ってるんだよ・・・紫上さん」
「あの、・・・私もお手伝いさせて頂きましたので」
 泣きそうな声でポツポツと呟くのに、それを宥めるように紫上がそっと肩に
手を添える。
「一度、じっくり話し合う必要がありそうだな・・・拓実」
「ええ、ボクもそう思っていたところですよ、九条総代」
 方や、どんより。
 方や、火花散らし。
「ちょっと、あたしにも分かるように話せってのー!!」
 何となく、いつの間にか蚊帳の外。
 取り残された一ノ瀬が叫ぶと同時に、昼休み終了のベルが鳴り響いた。
「早く教室に戻られた方が良いんじゃないですか、九条さん」
「ふ、ここは一旦退いてやる。・・・飛鳥、また今夜な」
「・・・・・・・今夜?また?どういうことよ、飛鳥」
 去り際、九条の残した言葉を一ノ瀬がしっかり拾って伊波に問い詰める気
満々で迫るのに。
「まあ、やはり顔色が優れないようですね・・・済みません、石見先生・・・
伊波君を医務室に連れて行って来ます」
 さりげにそれを庇うようにして。
 ちょうど教室に入って来た担任に、紫上が告げる。
「おや・・・大丈夫ですか、伊波君・・・紫上さん、宜しく頼みます」
「はい、お任せ下さい。さあ、行きましょう・・・伊波君」
「・・・・・・・」
 俯いたまま、紫上に付き添われて逃げるように教室を後にする伊波に、だが
確かに本当に具合は良くなさそうだったかも…と、一ノ瀬は追撃の手を弛め。
 そして。
「今夜も、・・・ね」
 また寮の伊波の部屋に忍び込んで、音やら色々洩れないようしっかり結界を
張って、そういう行為に及ぶつもりなんだな…と。
 宣言して去る辺り、戦線布告のような気がするから。
「いつまでも勝者きどりでいたら、大間違いですよ」
 静かに微笑みつつ、榊原が席に戻るのを。

 少し離れたところから、こっそりひっそり僕も負けません、なんて。
 拳を握り締めていた者がいたのは、誰も気付くことはなかった。





寝かせてやれよ、あーや(溜息)。
ブラック・ばらっち。素で。