『同じものを』



 いやだって、だめだって、止めて下さいって。
 言ったのに、なのに。
 昼休みが始まると同時に姿を消して、午後の授業が始まる直前に
何だかヨロヨロしながら教室に戻って来た僕を、伽月は「お腹でも
壊したんじゃないのー」と、からかいつつも心配してくれたけど。
 それを見ていた紫上さんは、ふわりと微笑んで一言。
「お疲れ様です」。
 なんて。
 ええ、疲れましたとも。しょっちゅう、こんなことじゃ身が持ち
ませんとも。
 …あの総代、どうにかして下さい。


「平気かー、飛鳥?」
「あ、まあ・・・うん」
 放課後、執行部室に集まるように言われていて、掃除当番だった
僕と伽月は少し遅れて教室を出た。
「あんまり、無理するんじゃないよっ」
「・・・・・僕に言われても」
「んー?」
「いや、あんまり遅れるといけないから急ごう」
 規則正しく廊下は走らずに、早足で執行部室に向かう。
 気分的には、今日はあまり乗り気じゃなかったりするけれど。
 だって。
「よう、遅かったな」
「・・・掃除当番でした。遅れて申し訳ありません」
 ガラリと扉を開けると、まっ先に目に飛び込んできたその笑顔に、
答えた僕の声は何だか棒読みになってしまった。
「御前、時間が勿体ないですわ。やっと全員揃ったことですし、話
を進めて下さいませんこと?」
 溜息混じりに、那須乃さんが告げる。
 やや苦笑めいたものを浮かべた九条さん以外は、多分…紫上さんも
分かっていたかもしれないけど、他の皆は僕のぎごちなさは、特に
気にもしなかった様子で。
「そうだな。まず、昨日の------------------」
 九条さんの話に、皆それぞれに意識を向ける。
 それは、僕も例外ではなかったけれど。
 声はともかく、あの顔を…唇を見ていると、数時間前にこの同じ
場所で起こったことを、どうしたって思い出してしまうから。
「こら飛鳥、・・・ちゃんと俺の話を聞いているか?」
「っ、聞いてます」
 知らず、視線を彷徨わせてしまっていた僕を、九条さんが窘める。
 …分かってて、言ってるんじゃないだろうか。
「ならば、しっかり俺の方を見てろよ」
「・・・・・はい」
 ああ、その笑顔がくせ者なんだ。
 微笑って、この人はいつも。
「・・・・・飛鳥」
「・・・・・何だよ」
 隣の伽月が声を顰めて呼ぶのに、僕も小声で答えれば。
「そこ、どうかした?」
「そこ、って・・・」
「さっきからっていうか・・・昼休みの後ぐらいから、やたらと手が
そこに行ってるんだよね。首んとこ」
「っ・・・」
 首のところ。
 無意識、だったんだろうけど。
 襟で隠れて見えない、でもギリギリのところだったから。
 それに、まだ。
 あの人の唇の感触が。
「な、・・・何でもないっ」
「何でもないってことはないだろっ、見せて ! 」
「そこ、騒々しいですわよ ! 」
 那須乃さんの厳しい声に、一瞬躊躇してしまえば。
「っ、伽月 ! 」
 襟元、伸びた伽月の手が。
 隠れていた、首筋を。
「・・・・・あれ?」
「・・・・・っ」
 騒ぎに、全員がこちらを見つめているのに。
 そこ、を。
「これ、って」
「・・・・・」
 みんな、に。
「・・・・・何処で、こんな虫に刺されて来たんだよ」
 …はい?
「何ですの、たかが虫刺されぐらいで、そんな大騒ぎを・・・」
「でも、那須乃さんも虫は苦手では」
「黙りなさい、若林」
「す、済みません」
 相変わらず尻に敷かれてるなあ、若林・・・って、それはともかく。
「かゆみ止めでも塗っておくか、飛鳥?」
 にやりと笑いながら、その虫が言うのに。
「いえ、結構です」
 襟を直しながら、僕も負けじとにっこり笑って答える。

 そう、昼休み。
 事前に呼び出された僕は、またしてもコトに及ぼうとする九条さん
に、時間がない慌ただしいのはいやだと、散々ごねたんだ。
 そうしたら、九条さんはキスだけでも、って。
 言うから。
 …僕だって、この人のことは嫌いじゃない…むしろ、好きだから。
 それなら…と小さく頷けば、強く腰を引き寄せられて、性急に唇が
合わせられる。
 キス、は好き。
 だから、舌を絡め取られても抵抗もせず、むしろそのくすぐったくも
甘い感覚に酔いしれてさえいた。
 たけど。
 キスは、それだけでは終わらなかったんだ。
 ペロリと僕の唇を舐めながら離れた九条さんの唇が、いつの間にか
寛げられた首筋に落とされて、僕は慌てた。
 キスだけだって、言ったのに。
 だけど、九条さんは首筋に軽く歯を立てながら、いけしゃあしゃあと
言ってのけた。
 …だから、ここにもキスしてるんだろ?

「・・・・・虫よけ、ですか」
「・・・え?」
 ふと、紫上さんの呟いた言葉に振り返れば。
「そういうことだ」
「ふふ、了解致しました」
 2人にしか分からない、会話。
 …何だか、ちょっと…いや、なんだけど。
「何、何!?やっぱり、ここ虫いるんだね !? 虫よけっていうか、蚊取り
線香用意しないと、ってことだよね !! 」
「それならば、こちらに確か・・・」
「なんだ、そんなところにしまってあったら分からないよー」
 奥の棚を探る紫上さんに、伽月が駆け寄って笑う。
「・・・・・虫・・・よけ」
「どうしたのです、若林」
「あ、いえ・・・」
 何やらひとりブツブツと呟いていた若林が、ちらりと僕に視線を向け、
そして九条さんの方を見る。
「どうした?」
「いえ、・・・・・そういうことなのかなって」
「さあ、どうだろうな」
「だから何なんですか、はっきりおっしゃい」
「取り敢えず、さっきの話を続けたいんだが」
 その九条さんの言葉に、さすがに那須乃さんも若林への追求を止める。
「綾人様、これをこちらに置かせて頂きます」
「ああ、済まんな、結」
 部屋の片隅、蚊取り線香の煙が仄かに立ち上る。
 そんなもの置いたって、僕にこの跡を付けた張本人には、何の効果も
ないっていうのに。
 でも、この首の跡を虫刺されだって伽月が勘違いしてくれたお陰で
助かったと言えば助かったのかもしれない。
 キスマークだなんてバレた日には、それこそ大騒ぎになってしまう。
「飛鳥」
 ともかく、昼休みにああいう行為に及ぶのは控え…ううん、止めて
貰おう。キスだけだとか言って、殆ど上半身全部にこの人は。
「・・・飛鳥」
 あんなことの後で、普通の顔して授業に出なきゃいけない僕のことも
少しは考えてくれたって。
「・・・・・あ、す、か」
「ひ、っ!?」
 不意に、目の前に九条さんの顔が迫って来るのに、驚いて後ずされば。
「俺の話を聞いていたか?」
「は、は・・・い」
「聞いていなかったな」
「す、・・・済みません」
 バカ飛鳥…という伽月の溜息が、耳に届く。
 ほんとにバカかもしれない、僕。
「話は以上だ。本日はこれで解散とする」
「色々と騒がしいことでしたけど・・・では、失礼しますわ、御前」
「し、失礼します、皆さん」
 九条さんの解散の声に、那須乃さんやそれを追う若林が部屋を出て
いく。
 僕も、伽月とさっさと帰ろうと踵を返そうと、して。
「待て、飛鳥」
「は、い?」
 ポン、と肩を叩かれて振り返れば、九条さんの笑顔。
 その後ろで、紫上さんもにっこりと笑っている。
「飛鳥、お前は話を聞いていなかっただろう?これから、みっちりと俺が
1から教え込んでやる」
「な、っ・・・・・」
「が、頑張ってねー・・・飛鳥。じゃ、また ! 」
 巻込まれては堪らんとばかりに、そそくさと伽月が背を向ける。
「ま、待っ・・・・・」
「では、私はお邪魔になるといけませんので、これにて」
「ああ、御苦労だったな、結」
「失礼致します、綾人様。伊波くん、あまり綾人様を困らせませんよう」
 それって、どういう意味なんですか。
「まあ、そういうところもイイんだがな」
 だから、何。
 いつの間にやら、しっかり背後から羽交い締めにされたまま、閉まる
扉を見送る。
「は、離して下さい・・・っ」
「断る」
「九条、さ・・・んっ」
 不意に降りてきた唇が、あの跡に触れる。
「本当は、もっと付けてやりたいんだ・・・皆に、知らしめてやりたい」
 これは俺のものだ、って。
 そう囁く声に、身体が震える。
「僕、は・・・あなたのもの・・・じゃ、な・・・・・」
「飛鳥」
「あなたのもの、なんかじゃ・・・」
「・・・飛鳥」
 ずるい。
 そんな切なげな声で、呼ばないで。
「・・・・・ここじゃ、いやです・・・」
 抱き締める腕に、そっと手を添えて。
 ポツリと、そう伝えれば。
「ならば、俺の部屋で」
 告げられて、小さく頷く。
 結局、僕はこの人を拒めないんだ。
 それは。
 その理由にだって、気付いているんだ。
「分からせてやるよ、飛鳥」
 分かっている、んだ。
 僕に対する、欲も…愛情も。

 同だけのものが、僕の中にも在って。
 そして、それを僕が隠そうとしていることも。





素直になりましょう(にっこり)v←そんだけ?