『我が侭』



 一見、普段どおり。
 傍目にはきっと、いつもと変わらぬ総代・九条綾人として皆の前で
明日の裏執行部の任務についていると映っているんだろう。
 だけど。
 もしかしたら、妙なところで鋭い紫上さん辺りは勘付いているかも
しれない。
 機嫌が良くない、というか悪い。
 明らかに怒っている、というか不貞腐れている。
 あの稀代の神子と謳われた、ミスターパーフェクト・九条綾人が。
 多分、おそらく。
 その原因を作ったのは、この僕で。
 だから気付いた、というより。
 だって、今日はまだ一度だって目を合わしてはいない。
 いつもさりげなく、幾度か流し目を送ってきたりするこの人のことだ
から、間違いなく意図的にだ。
 僕が、きっと何かをやらかしたのだというのは知れた。
 けれど、この人の気に触るような何をしたのか、見当がつかない。
 まさか。
 …昨日、してないから!?
 そんなことに考えが至って、自分で思い浮かべた内容に、ひとり赤面
してしまえば。
「飛鳥」
 それを見咎めたのか否か、だけど今日初めて。
 名を呼ばれた気がする。
「・・・はい」
 皆の視線が集まる中、努めて平静を装って応えれば。
「この後、残れ」
 簡潔に。
 だが、有無を言わせない口調で。
 それに皆の手前、勿論いやだとは言えない。
 言うつもりも、なかった。
「分かりました」
 頷いた視線の先、紫上さんが困ったように微笑みを浮かべているのが
見える。
 ああ、やっぱり気付いているんだ。
 そして、それの原因が僕にあるのだろうということも。



 本日はこれで解散、の九条さんの言葉と共に裏執行部の面々がそれぞれ
部室を後にする。最後まで残っていた紫上さんが去り際、双方納得のいく
まで話し合われますよう、と告げて扉を閉める。
 それを見送った九条さんの眉が、僅かに顰められる。気付かれていない
とでも思っていたのだろうか、だが足音がやがて遠ざかり聞こえなくなる
と、そのやや渋い表情のままこちらに向き直った。
「素直に残ったということは、理由も分かっているんだろうな」
「いいえ」
 即座に否定すれば、九条さんの口元が苦笑いの形に歪んだ。
 だって、本当に僕は知らないし。
「ただ、今日1日あなたが御機嫌斜めで、それが僕に関することだという
ことぐらいです、僕が分かっているとしたら」
「・・・・・」
 御機嫌斜め、という言い方が気に喰わなかったのだろうか、眉間の皺が
やや深くなる。
「本当に、分からないと?」
「はい」
 淀みなく頷けば、九条さんが大きく溜息をつく姿が目に映った。
「昨日」
 仕方ない、と言った口調で。
 どうやら、その理由を説明してくれるということらしい九条さんの言葉
を、おとなしく待つ。
「解散の後、残務処理で俺はここに残った」
「・・・・・そうですね」
 郷の重鎮たちへの報告書のようなものが、溜まっていたらしい。当然の
ように補佐についた紫上さんに、見送られて。
 御神に誘われて、そのまま皆と一緒に執行部室を出た。
 その時。
 背に、何やら視線を感じはしなかったか。
「そうたいした量はないと言ってましたし」
 それに。
「僕が見てはいけない書類だって、あったんでしょう?」
 それを理由に、立ち入りを咎められたことだってある。
「手伝って貰おうなどと、思っていたわけではない」
 手伝えることなんてないという考えはあったし、もし本当にそれこそ猫の
手も借りたいほど大変だったのなら、手伝えと言われていれば僕だって。
 帰ったりはしなかった。
「・・・・・あ」
 まさか。
 もしかして。
「僕が、帰ってしまった・・・から」
 ぽつりと呟けば、今度は小さな溜息。
 そこに、肯定の意を感じ取ってしまえば。
「そうだ」
 逃げも隠れもしない。
 真直ぐな、答え。
「・・・・・待っていて欲しかったんですか・・・?」
 そう、なのだろう。
 僕が御神たちと先に帰ってしまったから、だから。
 この人は。
「・・・・・そんな下らない理由で、1日拗ねてたんですか」
 子供じゃないんだし。
 仮にも、総代とかいう大層な地位にまで就いている男で。
 それに、ならば。
「待っていて欲しかったのなら、そう言えば良かったんです」
「目で訴えてみたんだが、伝わらなかったとみえる」
「あなた、ねえ・・・」
 呆れた、というか。
 どうしてこの人は。
 こんなに。
「お前なら、気付いてくれると思った」
「・・・・・無茶言わないで下さい」
 その視線に。
 全く気付いていなかったわけではなかったけれど。
「そうだな、言えば・・・良かったのだな」
 前髪を掻き上げながら苦笑する、いつもの仕草。
 そこにはもう、さっきまでの不機嫌さというものは感じられなかった
のだけれど。
「言っていれば、ここにいてくれたのだろうな」
「ええ」
 九条さんが、そう望むのであれば。
「そうすれば、結を帰らせた後でお前を抱けたのに」
 どうしても、そこに辿り着くんですか、結局は。
「・・・・・いつも、してる・・・のに」
「昨日は出来なかっただろう」
「そ、んな・・・っ毎日・・・・・」
「毎日でも」
 ふ、と。
 僕を見つめ、微笑った瞳の中に飢えに似たものを感じて、身を小さく
震わせれば。
「毎日、抱いていても・・・足りないんだ、飛鳥」
 何バカなこと言ってるんですか、と心底呆れ果てて言ってしまっても
良かったのかもしれない。
 そう思わなかったわけじゃない、けれど。
 そんな。
 真摯な目をして。
 そんなことを。
 言わないで。
「・・・・・僕では満足出来ないということですか?」
 出た声は、どこか乾いて。
 だけど、それが否定されることを僕は。
「満たされているさ・・・だが、俺の欲が深いんだ」
 確信、していたのだと思う。
「お前を、・・・・・お前だけを。俺は望む」
 差し伸べられた手に、抗うことなど。
 拒むことなんて。
 もう、考えられないのに。
「僕でなければ、だめなんですね」
 それは、まるで。
 自らに言い聞かせるように。
「お前が良いんだ、飛鳥」
 与えられる言葉に、満たされながらも、きっと。
 欲が深いのは、あなただけじゃない。
「どうしようもない・・・本当に」
 それは、きっと。
 自分にも向けた言葉。
 この人でなければ、僕は。
「飛鳥」
 促されるままその腕に身を委ねれば、ホッとしたような吐息がやがて
熱を孕んで肌に触れる。
 押し当てられた唇に。
 貪るように肌に吸い付く痛みに、僕は。
 歓喜、して。
 崩れ落ちる膝、立っていられなくなった僕の様子に九条さんは目を細め、
ゆっくりと俺を床に横たえる。優しい所作、だけどすぐに獣のように喉に
歯を立てられ、微かな痛みと裏返しの快感に僕は喘いだ。
「あなたが、・・・いい・・・・・っ」
 望むのも、望まれるのも。
 あなたが、いい。
 …あなただけで、いい。
 ただ欲しがられているだけの僕じゃない。
「っ・・・昨日の分も、・・・・・僕に」
 背を掻き抱きながら告げれば、のしかかる重みが不意に離れて。
「・・・・・そんなことを、言うと・・・」
 堪え切れない熱情を孕んだ瞳。
 それを注ぐのが、僕であればいい。
 そこに映るのが。
 僕だけであれば、いい。
「甘いんです、僕は・・・どうしても」
「ふ、・・・・・文字どおりに、な」
 そして、狡い。
 欲しいモノが、ここにある。
 離したくないんだ。
 離さないで欲しいんだ。
 あなたの望むまま、それは。
 僕の望む、ままに。
「あ、・・・っん・・・・・ん、っ・・・」
 ただ。
 あなたがいれば、いいんだ。






毎日ーーーー!?←ソコか
取り敢えず、お互い様です。我が侭。