『微睡み注意報』




「良い天気だな」
 そう呟いてみたところで、応える者はいない。
 というより、応えられる者はいない。
 麗らかな陽気に誘われて藍碧台まで来てみれば、見晴しの良い高台
の、その柔らかな草の上。
 寝そべる、先客がいた。
 足音を忍ばせて近付き、そっと覗き込んでみれば、どうやら本当に
眠ってしまっているようで、規則正しい穏やかな寝息が微かに耳に届く。
 飛鳥、と。
 囁くように呼んでみたけれども、覚醒する様子はなく。
 軽く肩を竦め、その傍らに腰を下ろしてみたけれども、一向に目が
覚める気配はない。
 よく眠っているなと感心しつつも、けれどこんなすぐ近くにいる自分
の気配に全く気付いてくれないのを、やや不満に思う気持ちがあるのも
確かで。
「つれないな、飛鳥」
 可愛い寝顔に、知らず口元を綻ばせながら。
 半ば悪戯のように、ひょこりと一房跳ね上がった髪を軽く引っ張って
みる。
 それでも、伊波は起きない。
 ならばこれはどうだ、とばかりに今度は滑らかな頬を突ついてみた。
 と。
 微かに、睫毛が震えたような気がして、起きるかもしれないなという
期待を含ませつつ、じっとそれを待っていれば。
「・・・・・」
 だが、しかし。
 閉じた瞼が開く様子はなかった。
「・・・・・こうなれば、やはり・・・定番のアレしかなかろう」
 なかなか目覚めない、眠り姫。
 起こすのは、王子様のキス。
「そうなるべく出来ているのだろうな」
 良く出来た筋書きだ、と呟きつつ。
 まるで誘うように薄らと開いた柔らかな唇に、己のそれを重ねようと
覆い被さるように身を屈めた、その時。
「・・・・・っ」
 不意に、何の前触れもなく。
 伊波の瞳が開いた。
「あ、飛鳥・・・」
 こっそりキスを仕掛けたことなんて、それこそ数え切れないほどある
というのに、その一歩手前、極至近距離で相手が目覚めてしまうなんて
なかっただけに、思わず声が上擦ってしまう。
 言い訳でもしてみるか、それとも男らしくこのまま唇を奪っておく
べきなのか。
 悩んでいたのは、ほんの極僅かな時間で。
「・・・・・綾人さん」
 それは。
 互いの熱を分け合っている時ぐらいにしか、呼ばれない名。
 起きたばかりだからか、どこか舌っ足らずに呼ぶ声に、トクリと鼓動
を高鳴らせれば。
「あ、・・・・・」
 ゆっくりと、背に回された手。
 それに促されるように、傾いていく身体。
「綾人さん・・・」
 囁く吐息が、唇が触れる。
 ねだるように押し付けられた甘やかな感触に、その気になるなという
方が無理な話で。
 何度か啄むように口付けた後、深く重ねたそこから舌を滑り込ませる。
 探り当てた舌は、触れればやや怯えたように震えて、それでも誘い掛け
るようにゆっくりと絡めとってやれば、やがて応えるように。
 熱い吐息が混じり合う。
「ん、っ・・・・・」
 鼻に掛かる声も、甘えているようで可愛らしくて。
 酷く、そそる。
「して、・・・・・もっと・・・綾人さん」
 キスの合間に、そう囁かれて。
 誘い掛けられれば、まだ真っ昼間で、ここが何処かだなんて、そんな
ことはもうどうだっていい。
「今日は、随分と大胆だな・・・飛鳥」
 たまにはそういうのもいい、と。
 寛げたシャツの中、白い首筋に濡れた唇を寄せれば。
 コトリ、と。
 背に回されていた腕が、草の上に落ちる。
「・・・・・な」
 まさか首筋にキスしただけで達したのか、などと不埒なことを考えつつ
顔を上げて様子を伺えば。
 そこには。
 可憐な、眠り姫のかんばせ。
「・・・・・飛鳥?」
 呼んではみても、いらえはなく。
 また眠って。
 しまっている、のだと知れて。
 では、先程のあれは一体。
「・・・・・・・寝惚けていた、というのか・・・」
 それにしては、あまりにも。
 いや、もし本当にそうなのだとしたら。
「タチが悪いぞ・・・全く」
 こんなに。
 煽っておいて、そんな素知らぬ顔で。
 寝てしまうだなんて、許されるはずがないとばかりに。
 耳元、まだ熱の燻る吐息で囁きながら、そのすぐ下にある薄い皮膚に
唇を落とす。ややきつく吸えば、一瞬その身がひくりと震えるのが感じ
られたけれど、それでもやはり目を覚ましてしまうことはなく。
 ただ眠り続ける伊波の、その寛げた胸元はそのままに、九条はゆっくり
と立ち上がると、口元に笑みを浮かべながら。
「待っているぞ、飛鳥」
 白い肌、首筋にくっきりと残された跡。
 起きればじきに気が付くことだろう、そうしたら。
 一体どんな顔をして、やってくるだろう。
 もっとも、行き先は告げないから、彼が自分を探している様を考えた
だけでも、楽しくなってくる。
 今は、まだそうして眠っているといい。
 けれど。
「ああ、また眠らせてはやれないかもしれんな」
 不穏なことを呟きつつ、踵を返す。

 災難なお姫さまが目を覚ますまで、あと少し。
 長い夜の始まるまでの。
 束の間の、静かなひととき。





眠っている相手にはイタさなかった模様v
取り敢えず、あーやのナニの鎮めは飛鳥たんのお役目ですv
天魔よりアレかもしれません。頑張れv