『サクラサイタ』


 ちょっと回り道して行こう、と。
 提案したケイスケに、誘われるままに路地を抜け、坂道を上がって。
開けた視界には、穏やかに流れる小川と柔らかな青草が茂る河川敷。
輝く水面に思わず目を細めれば、それを見ていたのかケイスケが眩し
そうに笑った。

 工場長から取引先に持って行ってくれと書類の入った封筒を渡され、
確かケイスケが道を知っているはずだからと、2人で。渡し終えたら
そのまま帰っても良いからと送りだされるまま、まだ日も高いうちから
工場を出た。いつも帰る頃には、太陽は沈みかけているか、時には星を
眺めながらの帰り道ということもある。それだけ、忙しい。内戦で荒れ
果てた街が、復興へと向かっているということを、日々フル回転の工場
機器からも感じ取れる。
 まだ鋪装されていない道を30分ほど歩けば、目的地に辿り着いた。
わざわざ済まんねと笑う愛想の良い取引先の整備工場の社長にペコリと
頭を下げ、工場長に言われた通り、2人はそのまま帰路についた。
 ここから自宅アパートまで、のんびり歩いたとしても小1時間も掛か
らない。ついでに晩飯の買い物でもしようかなどと考えていたアキラに
ケイスケが、どこか楽しげな様子で言ったのだ。
 ちょっと回り道して行こう。

 ろくに手入れなどされていないそこは、草等生い茂るままに延び放題
で、確かまだ風が冷たい頃に1度ぶらりと訪れた頃にはあったと思しき
遊歩道のような小道も、それがどこなのか判らないほど草に覆い尽くさ
れている。とはいえ、そんなことはたいして気にもとめず、ガサガサと
草を踏み分けて川沿いを歩く。
 ただ黙々と歩くアキラの横顔に、ケイスケはちらりと視線を向けては
口元を弛める。会話らしい会話なんてなくて、だけどこうして2人で肩
を並べて歩く、それだけのことがこんなに嬉しい。
 手を繋いだり出来たら、もっとずっと幸せなんだけどな、と思うけど
照れ屋なアキラがそれをすんなり受け入れてくれるとも思えなくて。
 でも、いつか。
 手を繋いで2人、ここを歩けたらいいなあと、また口元を綻ばせて
いれば。
 ふと。
 アキラの足が止まるのに。
「・・・アキラ?」
 怪訝そうに声を掛け、そしてアキラばかりを見つめていた視線を前に
向ければ。
「・・・・・う、わ」
 舞う。
 白い。
 花びらが視界をふわふわと過る。
 その向こう、煙るように咲く。
「桜、だよ・・・な」
 ぽつりと立つ、1本の桜の木。
 満開の花が、風に花弁を散らす。
「え、でも・・・今頃」
「やっと、・・・花をつけた」
 首を傾げながら、改めてその木を見上げていれば、アキラが同じよう
に桜を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「やっと、って・・・」
「本当なら、4月には咲いてるはずなのに・・・蕾すらつけなくて。
もう咲かないんじゃないかと思ってた」
 今は、もう5月も末。本州であれば、とっくに花が散り葉桜となって
いて不思議はないはずの。
 この辺りでも、小規模ながら幾つも戦闘があったのだと聞く。その間
この桜は花をつけることもなく、ただ静かに佇んでいたのだろうか。
そして、ようやく平穏な日々が訪れようとしている今、少しだけ遅れて
こうして花を咲かせたのだろう。
「・・・・・キレイだな」
 淡い花びらが舞い落ちる中、満開の桜を見上げてアキラが呟く。
 それにつられるようにアキラを返り見たケイスケは、眩しげに目を
細め、吐息のように囁いた。
 キレイだ、と。
 花の下、佇むアキラの姿に呼吸さえ忘れるほど魅入られている。
 思わず見とれてしまっていたことに、ふと何やら気恥ずかしくなって
やや落ち着かない素振りで作業着のポケットに手を突っ込んだりして
いれば。
「あ」
 ポケットの中、指先に当たった冷たい金属の感触。
 そういえば、作業場の隅に転がっていたそれを拾って、ポケットに
入れて、そのまま。
「ケイスケ?」
 不意に声を上げたケイスケに、アキラがどうしたのだと問うように
首を傾げて見遣るのに、その髪に降りた花びらが、また風に舞う。
「・・・・・アキラ」
 一歩。
 踏み出して、そっと手を差し伸べる。
「何、・・・・・」
 今更握手でもあるまいし、その行動にやはり怪訝な瞳を向ければ、
伸ばされた手がアキラの腕を取って。
 胸元、捧げ持つように上げられた手、そこに。
 ポケットから探り出したものを、ゆっくりと。
「っ、・・・・・」
 滑るように、その位置。
 左手の薬指に収まったのは、鈍く銀色に輝くナット。
「・・・・・・・・・・」
 何を。
 どうして。
 これって。
 意外と細い指に、やたら大きなそれが嵌められたのを、まじまじと
見つめ。何か言いかけて口を開いては、また噤み。何をどう言えば
良いのか考え倦ねている様子のアキラに、少しだけ掠れた声で。
 それは、緊張故だったのかもしれないけれど、それでもはっきりと。
「こ、今度・・・ちゃんとしたの、買うから ! それまで ! 」
 告げるものだから。
 まさかと視線を巡らせた先、ケイスケの顔は文字どおり真っ赤で。
 ああ、だとしたら。
 いくら、そのテのことには鈍いと言われていようが、この状況から
すれば、それの意味することといえば、もう。
「そ、相場は給料3ヶ月分らしいんだけど、だからもうちょっと先に
なるけど、でも」
 それ、を。
 3ヶ月分の給料を注ぎ込んで買うのだとして、そうしたら。
 殆ど貯えもない自分達の生活はどうなるんだよと言いたくもなった
し、そんな高価なもの貰ったって万一失くしてしまったらと思うと、
身につけるのが恐ろしい。それに。
 けれど、さすがに今それを言うのは不味いような気もしたけれど、
それでも。
「・・・・・必要ない」
「っ、・・・・・」
 ぼそりと漏らしてしまえば、目の前のケイスケの表情が、あからさま
に失望とも絶望とも何とも言い様のない暗いものに変わる。
 ああ、そうじゃないんだ、全く。
 どう伝えれば良いのか分からない。
 何も言わなければ言わないで誤解を招くし、思い付いた言葉を口に
すればするほど本当のことから離れていってしまいそうで、困惑して。
 視線を落とせば、指に不釣り合いなナットが見える。
 どういうつもりでケイスケがこれを嵌めたのかなんて、分かり過ぎる
ほどに分かっているのに。
「・・・・・俺は」
 アキラの些細な言動に一喜一憂するケイスケは見慣れているつもり
なのに。
 ただ、言葉を選べなくて。
 それでも。
「・・・れば、いい・・・・・から」
 どうにかして、伝えなければならない言葉がある。
 しっかりと。
「俺は、・・・ケイスケがいれば、それで・・・いい・・・」
 ただ。
 それだけで良いんだ、と。
 伝わればいい。
 伝えられたらいい、と。
 ぽつりぽつりと、どうにか口にしながら顔を上げれば。
 やや蒼白だったケイスケの顔が、呆然としたような、そんな表情へと
変わって、そして。
「・・・・・アキラ ! 」
「ケ、・・・・・」
 どこか。
 泣き笑いの中に、安堵と。
 歓喜を確かめる間もなく、飛びつく勢いで抱きしめられて。
 胸が苦しいのは。
 痛いくらいにきつく抱きしめられているから、それだけじゃない。
「アキラ・・・アキラ・・・アキラ」
 ひたすら名前を呼んで、ぎゅうぎゅうとアキラを腕の中に抱き込んで。
 見えなくたって、今のケイスケの表情なんて、手に取るように分かる。
「バカ・・・苦しい。離せ」
「アキラァ・・・・・」
 気恥ずかしさ半分。後は本当に強く抱かれるものだから苦しくて。
 ケホ、と小さく咳き込めば、名残惜しげに解かれる腕。
「なぁ、も1回言ってよ・・・アキラ」
 やや熱を帯びた声が、耳朶にそっと触れる。
 途端、一気にそこから顔に身体に火がついたように感じられて。
「帰るぞ」
 きっと、顔が赤くなってる。
 それを悟られたくなくて、慌てて踵を返し、スタスタと歩けば。
「くーーーーッ ! 」
 堪らん、といった声を上げて駆け寄る足音、振り返る暇も与えず背中
から抱きしめられる。
「アキラ、耳真っ赤っか」
「な、ッ・・・・・」
 くすり、と。
 笑う吐息と、そして耳朶を辿る濡れた感触。
「バ、・・・っこんなところで ! 」
「うん、帰ろう、早く」
 しっかり頬を朱に染めたアキラの抗議も何処吹く風、鼻唄にスキップ
すらしそうな御機嫌な様子でケイスケがアキラの手を取る。
「早く帰ろう、・・・そして、さ」

 ここじゃ出来ないようなこと、しよう?

 可憐な花びら舞い散る中。
 爽やかな笑顔で。
 何、言ってるんだコイツは。

「ケ、イスケ・・・っ」
「俺もね、アキラがいればいいよ」
 微笑う瞳の奥、真摯な光。
 繋いだ手は、暖かくて。
「・・・・・、っ・・・」
 返す言葉はなくて、ただそっと握り返せば。
「・・・・・うん」
 伝わる。
 想い。

 ふと、ケイスケの肩についていた花びらが、そよぐ風に乗って舞う。
 それを視線の端で捕らえながら、急ぐケイスケに手を引かれるまま。

 帰ろう。
 2人の、部屋へ。





SAY YES なカンジ。
晩飯食いっぱぐれるに3000点!!