『exclusively』





 バスの窓から見える空は、雲ひとつない快晴。
 久し振りに学園島から外に出た。その事情は、ともかくと
して。
 隣には、篠宮がいて。
 肩が触れ合う距離、どころか。
 膝の上に置いた手、その片方はしっかりと篠宮に握られて
いる。啓太も大好きな、暖かくて大きな手。
 今この状況は、まがりなりにも恋人同士である2人には、
甘いひとときであって良いはず、なのに。
 啓太は、やや俯き加減の顔を僅かに傾け、篠宮の表情を
伺い見る。

 …どうして。

 その視線は、真直ぐに前方を見据えていて。
 固く、何処か強張ったような貌。
 怒っているようにも見えるし、けれど何を考えているのか、
啓太には見当もつかなくて。
 だが、篠宮の様子がおかしいなと気付いたのは、帰路につく
頃からであったから、そうするとやはり。
 自分は、何か篠宮の機嫌を損ねるようなことをしでかして
しまったに違いない。
 もうすぐ、学園島が見えてくる。
 着く前に、謝ってしまった方が良いのだろうか。
 不機嫌に見える、その理由も分からないのに。
 謝罪をしても良いのだろうか。
 視線を膝の上に落とすと、啓太は考え倦ねたように、そっと
目を伏せた。




 それは、あまりにも唐突な篠宮の一言。
「出掛けるぞ、伊藤。すぐ支度しろ」
「え、・・・えええっ!?」
 弓道部の練習試合があったため、数日の不在の後ようやく
学園に戻ってきた篠宮は、寮に戻ってすぐに啓太の部屋を訪れ、
そのまま朝まで共に過ごした。
 翌日は日曜で、いつもより少しだけ朝寝をしつつ、一緒に
ベッドから出る前に、どちらともなく、極自然に重ねた唇。
軽く触れ合わせるだけのつもりが、それは次第に濃厚なものに
なって。もしかして、このまま再びベッドに逆戻りになっちゃう
んじゃないだろうか、と啓太がぼんやりと思い始めた時。
「・・・・・C1・・・いや、まだ0か・・・」
「は・・・?」
 ゆっくりと唇を離した篠宮が、何やら思案するように微かに
眉を寄せるのに。啓太が、怪訝そうに首を傾げれば。
「俺が留守の間、夜中に買い食い等しなかったか」
「・・・・・え」
 嘘は許さない、とばかりに。
 真直ぐに、顔を覗き込まれて。
「あ、・・・・・少し、だけ・・・」
 夜中に小腹が空いて、ついスナック菓子を口にしてしまったの
を、思い出して。
 済みません、と小声で呟けば、篠宮はそっと溜息を洩らしつつ
啓太の肩を軽く叩くと、きっぱりと告げた。

「虫歯が出来ているな。これから知り合いの歯科医に診て貰おう」

 そして、呆然とする啓太をどうにか促して保険証のコピーやら
あれこれと準備をさせ、学園島の外へ出るバスへと慌ただしく乗り
込むと、篠宮は休日診療もしているという歯科医の元へと、啓太を
連れていった。何でも、篠宮が寮長になったばかりの頃、日祝日に
虫歯が痛みだした学生を何度か治療して貰った医者らしい。
「こんにちは、今日も寮の学生さんの付き添いですか」
 受付の若い女性は、篠宮の顔を見ると愛想良く微笑み、啓太に
簡単な問診をすると、手際良くカルテの準備をして、暫くの後に
啓太の名を呼んだ。
「伊藤さん、お待たせしました。診察室へどうぞ」
「は、・・・はいっ」
 返事をして、勢い良く待ち合い室のソファから立ち上がり。
 チラリ、と。
 やや心細げな面持ちで、啓太は静かに隣に腰掛けていた篠宮を
振り返った。
「どうした、伊藤」
「あ、・・・・・いえ」
 ソファに腰を下ろしたまま、啓太を仰ぎ見れば。
 あからさまに不安げな眼差しと、ぶつかるから。
「・・・・・歯医者は苦手か」
 フ、と微笑えば。
 子供扱いされたと思ったのか、啓太はやや眉を寄せ、ブンブン
首を振って即座にそれを否定してみせる。
「ち、違います・・・っただ、ちょっと・・・・・」
 つまり、やはり怖いんだな…と。
 高校生にもなって、と呆れるところであるのだろうが、やはり
そういうところも可愛いな、と。思わず表情が弛む。
 とはいえ、このまま診療を受けさせずにいるわけにもいかない。
「行くぞ、伊藤」
「・・・・・、っ」
 言うやいなや、ソファから立ち上がった篠宮は、立ち尽くす啓太
の腕を掴むと、受付嬢の呆気に取られた視線を受け流し、そのまま
診察室へと足を踏み入れた。
「おや、・・・・・篠宮くん、だったね」
「こんにちは、先生。いつも御世話になっております」
 診察室で待ち構えていたのは、柔和な顔をした30代半ばと思われ
る医師で。
 篠宮と、そして篠宮に引きずられるようにして入ってきた啓太に
一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに人の良さそうな笑顔で声
を掛けてきた。
「治療に来たのは、そっちの子だね」
「そうです。極初期の虫歯のようなのですが・・・軽い内に治して
おくのが良いと思いましたので」
「相変わらず面倒見が良いねぇ・・・君は」
 呆れるでもなくサラリとそう言うと、医師は啓太の方へと視線を
向けて、その笑みを濃くした。
「伊藤くん、だね。はい、ここに座って・・・どんな感じか見せて
貰おうかな」
 付き添いがいるせいか、医師の態度まで子供に対するそれと殆ど
同じように感じられる。かなり気恥ずかしいものがあったけれど、
啓太は言われるまま、素直に椅子へと腰を下ろした。
 肩越し、後ろに視線を泳がせれば。篠宮は、診察室から出ていく
様子もなく、やや離れた壁に控えるように立っていて。啓太が見て
いるのに気付くと、その視線に緊張の色を見て取ったのか、自分が
ついているから大丈夫、とでも言うかのように柔らかく微笑んだ。
「っ、・・・・・」
 恥ずかしい、のと。
 嬉しい、のとが。
 ごっちゃになりながらも、そんな動揺を医師の前で見せる訳にも
いかないから、啓太は椅子の背に身体を預け、促されるままに口を
大きく開けた。
「んー、ああ・・・ここか。そうだね、この程度ならほんの少し
削るぐらいで済むよ。はーい、そのまま大きく口を開けててね。
大丈夫、全然痛くないからね。そう、良い子良い子」
 …小学生相手じゃないんだから、と。
 訴えようにも口を開けっ放しでは、それも出来ず。訴えたからと
言って、どうというわけでもなく。
 医師の言葉どおり、痛いと思う間もないまま。篠宮も見守る中、
治療はすぐに終了していた。

「有難うございました」
 本当に軽い虫歯だったようで、一度の治療だけで済んだらしく。
 会計を済ませ、診察券を財布に入れながら、ふと。
 傍らの篠宮を伺えば。
「・・・・・篠宮、さん?」
 何か。
 考え込むような、やや険しい顔つきを見付けて。
 どうかしたのだろうかと、そろりと声を掛ければ。
「ああ、・・・済まない。早く治療が済んで良かったな・・・さあ
帰ろうか」
 数時間は何も食べないで下さいね、ということであったから、
寄り道をしないで真直ぐに寮に戻るのは、当たり前の選択であったの
だろうけれども。
 せっかく久し振りに2人で出掛けたのに、という寂しい気持ちと。
 そして、どこか心ここにあらずな篠宮の固い表情が。
 啓太の口数を、少なくさせた。


 そのまま。
 乗ったバスは、学園島のバス停へと到着して。
 結局、殆ど言葉を交わすことのないまま、バスを降りた2人は、寮
への道を並んで歩く。
 手、は。
 ずっと、しっかりと繋がれたままなのに。
 互いの間に流れる沈黙が、甘いはずの空気を妙に切ないものにして
しまう。
「・・・・・伊藤」
 重苦しい空気のまま、辿り着いた啓太の部屋の前。
 ふと、呼ばれて。
 ようやく耳にした篠宮の声に、慌てて顔を上げれば。
 そこには、酷く。
 真摯な、貌が。
 強い瞳が、啓太を見つめていて。
「っ、・・・篠宮さん・・・?」
 怖いくらいに。
 真剣な眼差しが、啓太を捕らえているのに。
 不意に掴まれた肩が、少し痛いくらいで。
 どうしたのだろう、と。
 おそるおそる、口を開けば。
「伊藤、・・・・・俺は」
 思い詰めたような声が、耳にダイレクトに響く。
 その腕に、抱き締められているのだと気付いて。
 困惑しながらも、おとなしくその胸に身を任せれば。
「俺は、・・・・・絶対に医者になる」
「・・・・・は、はい・・・」
 それは。
 医者になりたいのだという篠宮の言葉は、以前にも聞いていた。
 心臓の悪い弟のことがあったから、だと。
 その弟は手術を受け、今ではすっかり元気になっているのだけれ
ども、だからこそ増々医者になりたいという思いは強くなったのだ
と、啓太は篠宮が語るのに何度も頷いたものだ。
 だけど。
 あの時とは、どこか。
 様子が、違う気がするのは。
「あの、・・・・・篠宮さ・・・」
「・・・俺が、お前を診るから」
「・・・・・・・え、・・・」
「・・・・・だから」
 篠宮が。
 何を、言おうとしているのか。
 それは。
 もしかして。
「・・・・・俺の、お医者さん・・・に、なってくれる・・・って
こと、ですか?」
 もしかしたら。
「ああ、そうだ。全部、俺が診察して治すから・・・、だからもう」

 他の男に触れさせたくはない。

 告げた吐息が、酷く。
 熱くて。

「・・・・・はい。全部、篠宮さんが診察して・・・治して下さい」

 でも。
 虫歯の治療は、やっぱり歯医者さんじゃないとダメなんじゃないの
かな、とか。
 良く分からないけれど、目とか耳とかも専門の知識が必要だったり
するんじゃないんだろうか、だとか。
 色々なことを考えてしまうけれど、それでも。

「俺も、・・・篠宮さんにだけ・・・触って欲しい、です」

 何とかなるかも、なんて。
 そんな単純なことじゃないんだろうけど、だけど。

 嬉しい。
 とても、嬉しい。
 から。

「全部、・・・・・診て下さいね」

 実は結構ヤキモチ焼きな人なんですね、と。
 その言葉は、啓太の胸の中。
 そっと、しまわれた。






お医者さんv啓太・専属(っつーか、専門!?)v
今から、みっちり予行練習でもしておきますか!!
お医者さんごっこーvvvvvvvvvvvvvvvv←待て