『つかまえて』




 午後の講議の終業を告げるベルが鳴って。
 皆、帰り支度やら雑談やらに和ませていた空気が、ガラリと前方の
ドアが開き、そこから姿を見せた人物の顔を見るなり、何やら一気に
教室全体が緊張に包まれる。
 篠宮紘司。寮長にして弓道部主将を務める、品行方正・眉目秀麗・
成績優秀…と、とにかく学園の生徒達からも一目を置かれる人物には
違いないのだが。
 やや、生真面目過ぎる…というか、堅物というか。
 下級生などは、特に何かしでかした訳でもないのに、この寮長殿と
擦れ違うだけでも、冷や汗をかいてしまう…などという、それは実際
のところ、定かではないけれども。とにかく厳格な人だ…という印象
は、強く。
 そして、何の前触れもなくこの1年の教室を訪れたことに、皆一様
に、背筋等伸ばしたりして。一体、何の用なのだろうと固唾を飲んで
見守れば。
「・・・伊藤を知らないか?」
 教室内を見回していた篠宮が、やがて誰にともなく問うた言葉に。
 伊藤…啓太のクラスメート達は、ようやく納得した…というように
ホッとして、それぞれ顔を見合わせながら。そのうちに、篠宮に一番
近い場所に立ち尽くしていた生徒が、おずおずと。
「授業終わったら、もう姿が見えませんでした。・・・あいつと仲の
良い遠藤も、今日は欠席で・・・俺・・・たちには、あいつが何処に
行ったのかまでは、ちょっと」
「・・・・・そうか、有難う」
「い、・・・いいえっ」
 篠宮に礼を述べられて。そのクラスメートはというと、思わず敬礼
までしてしまいそうな程、ピシリと姿勢を正して。
 やがて、啓太を探しに行くのか、篠宮が教室を出て行ってしまうと
教室の空気が、口々に漏れる安堵の溜息と共に、弛む。
「うわ・・・俺、汗びっしょり」
「焦ったぁ・・・朝、遅刻しそうになって廊下走ったの、見咎められ
てたのかと思った」
「それなら、その場で注意されるだろ・・・・・、あ」
 緊張を解いて笑い合う声が、ふと止まる。
 そして、ポツリと。
「伊藤、何やらかしたんだよ・・・」

 クラスメート達は、まだ知らない。
 篠宮と伊藤が、先日くっついたばかりの『恋人同士』だという事を。



「・・・・・教室で待っていろと言うべきだったか・・・」
 啓太のクラスメート達の緊張も心配(?)も知らず、篠宮は難しい顔を
して、廊下を歩いていた。擦れ違う学生達の、やはり緊張に足音すら
立てられずに歩く様も、目に入らず。
 篠宮は2年の学年度が終了した時点で、殆どの単位を修得していた
から、3年生なってからの授業は、数える程しかなく。今日も、特別
受けるべき講議も入れてはいなかったが、毎日弓道の部活のために朝
から始業時に登校しては、弓を引いていた。
 今朝も、啓太と一緒に登校して、門のところで別れて。
 その時に。
 啓太が、くしゃみをした。
 それが、何やら気掛かりになっていて。
 風邪でも引かせてしまったのではないかと、啓太のクラスの授業が
終わるのを待って、様子を見に来てみれば。
 当の啓太の姿は、なく。
 終業から1分と経たない内に、急いで何処に向かったのだろうと。
 考えて。
「・・・・・学生会、か」
 もしかしたら、何か手伝いでも頼まれていたのかもしれない。律儀な
啓太のことだ、例え体調が優れなくても、一度した約束を違えるような
ことは、するまい。
「・・・とはいえ」
 やはり、体調の悪い時にはおとなしく休んでいるべきだ、と。
 そこにいるであろう啓太を迎えに、学生会室へと足を向けた篠宮で
あったのだが。
「啓太ァ?・・・今日は、来てないぜ」
 訪ねてみれば、そこに啓太の姿はなく。
 サボり中だったのを連れ戻されたところなのだろうか、まるで寝起き
といった様子のぼんやりとした顔で書類に判子をつきながら、丹羽が
答えるのに。
「そういや、明日は会計室の方に手伝いに・・・とか何とか、昨日来た
時に言ってたような・・・なぁ、ヒデ」
「・・・・・さぁ、な」
 会計室、と聞いた途端に、傍らに立っていた中嶋が露骨に眉を顰める
のに。丹羽はあからさまに、しまった…というように、視線を逸らし。
 篠宮は、やれやれ…と、こっそりと溜息をついて。
「分かった。では、会計室の方を覗いてみよう」
「おう、御苦労さん」
「・・・恐ろしくマメな男だな、お前も」
 それぞれの言葉に、軽く手を上げて応えつつ。
 今度こそは、と会計室へと足を向ける。
 だが。
「いいえ、こちらにはいらしてませんよ」
 対応に出た七条は、相変わらず得体の知れない笑みを浮かべつつ。
 だが、その声色には微かに残念だ…という響きが感じられて。
 啓太がここに居ない、ということ。
 残念だ、と感じているのは、わざわざ訪ねてきた篠宮を慮ってのこと
なのか。
 それとも。
「ああ、もし伊藤くんがこちらに見えることがあれば、貴方が探していた
と、お伝えしておきますから」
「済まないな、頼む」
「いいえ、お互い様ですしね」
 何が、とは。
 何やら、聞きそびれてしまって。
 取り敢えず、目星いところと言わず学園内を回ってみるか…と、篠宮は
踵を返すと、やや足早にその場を去った。
 廊下は、当然走らない。

「えー、伊藤くん?今日は、あのクラスでの授業もなかったし、見掛けて
いないよねぇ、トノサマ」
「ぶにゃあああーん」
「・・・そうですか、失礼しました」
 どうしてこの生物教師は猫と会話が出来るのだうと、ということを疑問
に感じる余裕も、どうやらなく。やや落胆の溜息をつきつつ、生物準備室
を後にする。
 さっき中庭で擦れ違ったデリバリー中の滝も、今日は姿は見ていないと
言っていた。何なら学食チケット1枚で探すの手伝わして貰いましょか?、
という揉み手の申し出も、サクリと断って。
 もしや、テニスコートに…と覗いてみたものの、無駄足で。
 もう日もかなり暮れてきた渡り廊下を、肩を落し気味に歩いていれば。
「・・・・・どうした・・・篠宮」
「ああ、卓人・・・まだ、寮に戻っていなかったのか」
 スケッチブックを脇に抱え、岩井が遠慮がちに声を掛けてくるのに。
「これから・・・帰るところだ。そういう篠宮は、・・・・・まだ伊藤を
見付けられていない・・・のか」
「え、・・・・・」
 啓太を探していることは、今日登校してからは初めて顔を合わせる岩井
は、知らないはずなのに、と。怪訝な目を向ければ。
「・・・やはり、引き留めておくべきだった・・・済まない」
「っ、会ったのか・・・啓太に ! ・・・・・あ、っ」
 思わず大声を上げてしまったことに、慌てて口元を押さえれば。
 岩井は、静かな笑みを浮かべつつ、篠宮を見遣って。
「篠宮は、伊藤のことになると・・・・・いや、それよりも・・・伊藤が
お前を探して、美術室に・・・来た」
「俺を、・・・・・探して?」
 それは。
 一体。
「篠宮が自分を探しているということを・・・誰かから聞き及んだらしい。
それで、伊藤も・・・お前を探しに走り回っていたようだ・・・」
 それでは。
 つまり。
「お互いに、お互いを探して・・・見事に擦れ違ってしまっていた、と
いう訳か・・・」
「そう・・・だな」
 何てことだ、と。
 篠宮は、深々と溜息をついて。
「俺のところに来たのは、もう小1時間前になる・・・それに、日ももう
暮れかけているから・・・もしかしたら、寮に戻っている・・・のでは」
「そうだと良いんだが」
 だが、啓太のことだから。
 まだ、篠宮を探して学園内を走り回っている可能性も、捨て切れず。
「もう少し、この辺りを探してみる・・・卓人、済まないが・・・もし、
また伊藤を見掛けたら・・そうだな、自分の部屋で待っているようにと
伝えておいてくれないか」
「・・・分かった」
「済まんんな、じゃあ」
「ああ・・・・・頑張れ」
 穏やかな微笑みと共に、しっかり声援を送られてしまったのに、やや
面喰らいながら。夕食の時間までには、と再び校舎の中へと戻る。
 何処に。
 啓太は、一体何処にいるのだろう。



 それから暫く学園内を探し歩いて、あちこちで人に尋ねてもみたけれど
やはり啓太も篠宮を同じように探していた…ということを、何人もから
聞いて。それでも、結局啓太自身とは出会う事は、なく。
 殆ど日も落ちた寮までの道を、独り歩きながら。
 だが、もしかしたら既に自室に戻っているかもしれないと、そう思うと
呑気に歩いてなどいられずに、篠宮は駆け出してしまっていて。
 そして、真直ぐに辿り着いた、啓太の部屋。
 だが、しかし。
 鍵が掛かったままの部屋の中、人の気配もなく。
 もう夕食が始まっている時間だから、食堂に行ってしまっているのかも
しれない。それならば、いい。
 いいのだが。
「く、・・・・・っ」
 本当に。
 彼は、一体何処に行ってしまったのだろう。
 こんなことならば。
 ずっと。
「・・・・・どうする、というんだ・・・俺は」
 一瞬、頭を過った思いに、自嘲気味に首を振りながら。
 取り敢えず、上着を脱いでから食堂へ行こうと。
 寮棟の奥にある自分の部屋へと向かって。
「・・・・・、っ」
 通路の、最奥。
 篠宮の部屋の、ドアの前に。
 うずくまる。
「い、・・・・・啓太、っ・・・」
「え、っあ・・・・・」
 それは、紛れもなく。
「啓太、・・・・・っどうして・・・」
 ずっと。
 探して、探して。
 探していた、啓太が。
 ドアを背に、膝を抱えるようにして。
 座っているから。
「お帰りなさい、篠宮さん」
 そして、そう言って。
 フワリと、微笑んだりするから。
「っ、・・・・・どうして・・・こんなところに」
「あ、・・・あの、篠宮さんが俺を探してるって聞いて、俺も探したり
していたんですけど・・・何だか、擦れ違っちゃってばかりで。何処かで
待ってるのが良いのかなー・・・って思って、・・・ここに」
「・・・・・ならば、自分の部屋で・・・それに、確かスペアキーを
渡していただろう。ここまで来たのなら、中に入って待っていれば・・・」
 込み上げてくる愛おしさと。
 そして、会いたくて会えなかった、もどかしい気持ちとが。
 一気に押し寄せて。
「でも、・・・篠宮さんの御留守の間に、勝手に入るのは・・・やっぱり、
いけないことのような気がして・・・」
 叱られた子供のように、シュンとして。
 やや、俯き加減に。
「それに、・・・ここなら、篠宮さんが帰って来たら、すぐに分かります
から、だから俺・・・・・でも」
 それでも。
「・・・・・済みません」
 そのまま。
 ペコリと頭を下げて。
「ずっと、探してて下さったんですよね。俺が、フラフラしているから
・・・・・済みません、本当に」
 そんな風に。
 謝ったりするから。
「いや、・・・・・それは、もういい」
 確かに、あちこち捜しまわった疲労感は否めないけれど。
 ちゃんと、ここに。
 啓太は、いるのだから。
「それで、・・・・・お前は、授業が終わってすぐに、一体何処へ急いで
いたんだ」
 それでも、やはり。
 気になっていたことでは、あったから。
 まだ座り込んだままの啓太の傍らに膝をつき、そっと肩に手を置いて。
 問い詰める口調ではなく、静かに聞けば。
「弓道場です」
「な、に・・・?」
「篠宮さんの練習している姿、・・・早く見たくて・・・」
 言いながら、少しずつ朱に染まっていく頬を。
 呆然と見下ろしながら。
「そうしたら、・・・副部長さんが、篠宮さんが俺の教室に行った…って
教えてくれて、急いで教室に戻ったんですけど・・・そうしたら、教室に
残ってた皆が、篠宮さんが来ていたけれども・・・すぐにまた、俺のこと
探しに出ていった、って・・・」
 だから、自分も。
 篠宮を探そうとしたのだ、と。
「そうしたら、早く合えるかな・・・って思ったんですけど、かえって
御迷惑かけちゃったみたいで・・・」
「・・・・・いや」
 そんなことは。
 もう、どうでも良くて。
 啓太が、自分に会いに来ようとしていた、それが。
 どうしようもなく、嬉しくて。
「済まない・・・俺の方こそ、・・・ここで随分待ったのだろう?」
「そんなこと、ないですよ」
 だって、ここにいれば絶対に会えるって分かっていたから。
 だから、待っていられた。
「伊藤・・・・・」
「あ、で・・・篠宮さんの、用って何ですか?」
「え、・・・・・ああ、それは」
 その時になって、やっと。
 自分が啓太を探していた最初の理由を思い出して。
「朝、別れ際に・・・くしゃみをしていただろう」
「え、・・・そうでしたっけ」
「それで、・・・もしかしたら、風邪を引かせてしまったんじゃないかと
気になって・・・」
「ええ、・・・っ大丈夫です ! 元気ですよ、俺」
 そう言って、安心させるかのように、にっこりと。
 満面の笑顔を向けてくるのに。
「しかし・・・」
「それに、風邪引いたからって・・・篠宮さんのせいじゃ」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・っ、あ」
 不意に、黙り込んでしまった篠宮の。
 その目元が、薄らと赤く染まっているのを。
 見てしまって。
 その、意味を。
 啓太も、とうとう悟ってしまって。
「あ、あの・・・っ、えっと・・・・・本当に、大丈夫ですからっ」
 同じように、頬を染めつつ。
 それこそ、身振り手振りで元気さをアピールし始めるのに。
「だが、万一のことも・・・」
「元気ですっ、本当に何ともないんです、から・・・だから、っ・・・」
 だから。
「・・・・・啓、太」
「その・・・・・」
 だけど、その先の。
 欲求は、どうしても。
 告げられずに、俯けば。
「・・・・・付いていても、良いか?」
「え、・・・・・」
「一晩中、・・・・・お前の側に。いても・・・良いか?」
 密やかな願いを。
 汲み取っての言葉なのか、それとも。
 これは、篠宮の。
「・・・・・っ、はい」
 望み。
 だったのかもしれない。



 それから、2人して連れ立って食堂に姿を現せば。
 捕獲成功おめでとう、などと声を掛けられ、拍手までされて。
 苦笑混じりに、それらを躱しながら。
 それでも、こっそりと繋いでいた手は。
 離さずに。
 ずっと。





こういう擦れ違いも、もどかしくて暴れつつも悦(笑)v
・・・・・ちょっと、バカップル・・・(苦笑)?
啓太に風邪を引かせるかもしれないようなコト、
致しましたのですな・・・篠宮ったら(含笑)v