『公認』




 弓道部の練習は、祝祭日に関わらず基本的に毎日行われる。
 篠宮が欠かさず顔を出すのは部長としては当然のことである
のだけれど、『部長』という立場に関係なく、やはり毎日弓を
引いていないと感覚が鈍るということもあるし、日々の鍛練の
詰み重ねが大事だというのも持論で。それに何より、こうして
弓をつがえ、的に集中する、そのピンと張り詰めた空気を篠宮
は心地よく感じていた。
 そして、この日も日曜ではあったが、午後からの練習に当然
のように篠宮も出て、肩馴らしに何度か弓を引いた後、副部長
と共に後輩の指導にもあたっていた。

「そういえば、今日は見掛けませんね」
「ん?」
「ほら、いつも見学に来ている、1年の・・・」
「・・・・・ああ」
 伊藤か、と。
 呟いたその声と、浮かべた表情に滲む、微かな甘さに。
 周りにいた部員達は、やや面喰らいつつ。
「夕方までには、起きてくるだろう」
「・・・・・は、ぁ」
 起きてくるだろう…ということは、件の少年はまだ寮の部屋
で、ぐっすり眠っているということなのだろうか。ということ
は、だがしかし。

 …何で、部長がそんなことを知っているんだろう

 それぞれの頭に疑問符と共に浮かんだ言葉は、しかし篠宮に
直接投げかけられることは、なく。
 最近、篠宮が1年の伊藤啓太を、やたらと気に掛けている…
というか、甘やかしているといっても過言ではないくらいに、
世話を焼いている様子だというのは、弓道部のみならず、この
学園の殆どの学生が知っていることではあったけれど。
 その『仲』の進展具合までは、まだ一部の予測の域を越えず。

「彼、弓道部に入る気はないんですかね」
「さぁ、な。誘ってみては、いるんだが・・・」
 苦笑混じりの言葉は、やはり仄かに甘く。尋ねた副部長は、
そこはかとなく気恥ずかしさを感じつつ、篠宮と並んで弓弦を
調整しながら、ふと。
 段々と気温が上がって汗ばむようになってきたからか、いつも
のように弓道着を肩から落とし、鍛えられた上体を曝す篠宮の、
その。
 肩甲骨から、背の中央にかけて。
 交差するように走った、幾筋かの朱線に。
 周囲にいた部員達も、ハッとしたように釘付けになった。
「どうした」
 静まり返ったその様子に、篠宮が怪訝そうに問う。
 あんぐりと口を開け凝視してしまっていた部員達は、あたふた
と背中から視線を外し、彷徨わせ。やや気まず気に互いを見遣り
ながら、やがて救いを求めるように、篠宮の傍らに立つ副部長へと
視線が集まる。

 …俺に、どうしろと!?

 見なかったことにしてしまえば良いのに、とは思いつつ。
 弓道場に漂う、困惑の空気と。
 篠宮の、どうしたのかと問う瞳に。
 副部長は慎重に、だが決して重苦しくはならないよう、努めて
爽やかに微笑みつつ。
「いえ、主将が背中に怪我をしているようなので、その・・・」
 それでも、どうしても動揺を隠し切れず。
 言葉に詰まりながら、どうにかそう告げれば。
「背中、・・・・・ああ、そうたいした傷ではないと思ったから
そのまま手当てもしていなかったんだ。驚かせて済まなかった。
特に痛みもないし、弓を引くのに支障はない」
「あ、そ・・・うですか、それなら・・・はい」
 怪我の程度とか、練習に支障はないとか。
 そういうことが、気に掛かるのではなく。
 その傷は、やはり。
 勘繰りでなければ、どう見たって。
「あの、主・・・・・」
 躊躇いながら、やはりどうしても目の毒だと。
 せめて絆創膏を貼るなりの手当てを勧めようと、副部長が口を
開いた時。
「あ、・・・・・」
 弓道場の入り口から聞こえた小さな物音に、振り返った篠宮の。
 その表情が、ゆるりと微笑みに変わる。
「っ、済みません・・・あの、練習の邪魔に・・・・・」
「いや、ちょうど中断していたところだから、気にするな」
 その柔らかな視線の先。
 靴を脱ぐ時に立ててしまった音に、集中を妨げてしまったのでは
と恐縮するようにペコリと頭を下げて入ってくる、啓太の姿が。
「そう、なんですか・・・あ、俺ここで見学させて貰ってますから
練習、続けて下さいっ」
「ああ、そうしよう」
 ゆっくりと頷いて、篠宮が部員達を促すように目配せする。
 板の間の隅に、ちょこんと正座する啓太を副部長も見遣りつつ。
本当に、彼らは仲が良いんだな…と、何となく微笑ましさなど感じ
ながら、篠宮と並んで弓をつがえようと、して。
「あ、・・・・・っ」
 不意に背後から上がった驚くような声に、弓を降ろして肩越し
振り返れば。
 座っていたはずの啓太が、やや腰を浮かし気味に。
 何故か、顔を真っ赤にして。
「背中、・・・・・」
 ああ、気付いたのかと。
 そうだよな、驚くよな、しょうがないよな、と。
 部員の誰もが苦笑しつつ、啓太の純情っぷりに微笑みを浮かべる
のに。

「気にしなくていい」
「っ、でも・・・・・俺」
「お前こそ、・・・その・・・大丈夫か」
「は、はい・・・」

 その、何げない一連の、やり取り。
 言葉の端々と、2人の間に漂う、何かに。

 …ああ、そういうことか

 ちゃっかり、しっかり。
 その場にいた部員達は、悟ってしまった。
 この2人は、既に。

「だが、やはり目立ってしまうのかな・・・この傷は」
 苦笑しつつ呟かれた言葉に、全員がうんうんと頷く。
「手当て、して来た方が良いですよ、主将」
 絆創膏で、ガードしてきて下さいと。
 切実に願いつつ。
「あ、伊藤くん・・・主将を頼んで良いかな」
 おろおろと立ち尽す啓太に、笑顔で声を掛ける。
「え、あ・・・はい」
「いや、付き添いはなくとも・・・」
 1人で大丈夫だという篠宮に、他意はないのだと示すように。
「もし先生が不在だったら、伊藤くんに薬塗って貰えるかと」
「ああ、・・・そうか、そうだな。じゃあ、済まないが・・・」
「ええ、後は任せて下さい」
 副部長に倣うように、部員達がコクコクと頷くのに見送られつつ
篠宮は啓太を伴って、弓道場を後にした。


「・・・・・はー・・・」
 篠宮たちの姿が見えなくなると、一同が揃って溜息をつく。
 まさか、という思いはあったけれども。
 そうだったのだと分ってしまえば、妙に納得がいって。
 しかも、それが何だかとても。
 微笑ましいものだと、思えてしまって。
「・・・・・お似合い、ですよね・・・」
 誰かがポツリと洩らした言葉に、皆で笑って。
 そうだな、と頷き合っていたのを。

 篠宮も、啓太も。
 知らない、こと。





・・・・・隠せよ(ボソ)。
見せびらかしたかったのか、天然なのか(笑)。
取り敢えず、そういう傷です。原因は、啓太ですv
・・・・・激しかったんだね・・・(悦)vvv