『奇蹟、たくさん』



「奇蹟というものを、信じたことはなかった」
 今までは、と。
 そっと、俺に言葉を落とした篠宮さんの額には、まだ汗が
うっすらと浮かんでいて。拭いてあげたいな、と思いながらも、
壁と篠宮さんの身体との間に閉じ込められた俺は、それでも
身じろぎひとつ出来なかったのは、きっとそのせいばかりじゃ
なく。
 いつもより、高い体温。
 静かな昂揚に、微かに潤んだ瞳。
 ドキドキと、高鳴る鼓動が収まらなくて、ただ。
 真直ぐに見下ろしてくる貌を、見つめることしか出来なくて。
「有難う・・・啓太」
 御礼、なんて。
 言われるようなことは、何もしていない。
 ただ。
 ただ、ひたすらに。
 想いを込めて、祈りながら。懸命に応援していただけ。
「お前のお陰で・・・勝てた。あの伸びやかな軌跡は、お前の
祈りが通じたからだと、思う」
 そうじゃ、ない。
 それが、届いたのだとしたら、それは天にではなく。
 きっと、篠宮さん自身へと。
 その想いの欠片が、伝わったのかもしれないと、思えれば。
「そうじゃない、です・・・篠宮さんは、毎日一生懸命練習して
いたから、だからこうして大事な試合で素晴らしい成績を残せた
んですっ・・・」
 毎日。
 欠かさず、弓道場に通って弓をひいて。
 その姿を、俺はいつも見ていたから、だから知っている。
 この結果は、奇蹟なんかじゃなく。
 篠宮さんの、日々弛まぬ努力によってもたらされたものだと
いうことを。
 そう告げれば、だけど篠宮さんは優しい表情のまま、ゆるりと
首を左右に振って。
「確かに、練習の成果も・・・あるのかもしれない。だが、啓太
・・・例え毎日弓をひいて、鍛練を重ねていたとしても、それが
本番で如何なく発揮されるとは、限らないんだ」
「あ、・・・・・」
 そう、だ。
 篠宮さんだけ、じゃない。
 この試合に臨んだ人たちは、きっと皆必死に頑張って練習して
きていたはずなんだ。それでも、的を外すことだって、ある。
 練習すれば、頑張れば。
 それだけで、必ずしも最高の結果を得られるとは限らないんだ。
「運が良かった、などという言葉では、片付けてしまいたくない」
 ひそり、と。
 耳元、寄せられた唇。
 吐息が、まだ熱い。
「俺が、日々積み重ねてきたものを、出すことが出来たのは・・・
それを引き出してくれたのは、お前なんだ・・・啓太」
 お前が、見守っていてくれたから。
 だから、あんなにも静かな気持ちで的に向かえたのだ、と。
 それを否定なんてさせない、とでも言うように、耳に。
 篠宮さんの言葉は、注がれて。
「俺の、・・・・・俺が、篠宮さんを・・・・・」
「そう、だ。だから、頑張れた・・・いつも以上に」
 微かに笑ったような吐息は、どこか照れたように震えて。
 俺のお陰で、篠宮さんが勝てたんだって。
 それが、100%本当のことかどうかなんて、分からないけれど。
 だけど、篠宮さんが言うのなら、きっとそうなんだ。
 そして、そう確信してしまえば、どうにも。
 気恥ずかしさが、込み上げてくるもので。
「っ、篠宮さん・・・そ、そろそろ・・・あのっ、みんなのところ
へ、戻らないと・・・っ」
 篠宮さんの優勝が確定して、すぐに。
 表彰式の準備が行われている、その間に。
 御祝に駆け寄った弓道部の人たちを、どう躱してやって来たのか、
応援席でまだ呆然と歓喜の余韻に浸っていた俺の腕を引いて、その
まま控え室へ。
 カギは、かけていなかったはずだから。
 いつ、誰が篠宮さんを探して、入ってくるか分からない。
 こんな、壁際で身を寄せ合ってる姿を見られたりするのは、多分
まずいんじゃないかって、心配してしまったりするのに。
「ああ、そう・・・だな」
 その言葉に、ちょっとホッとするけれど、なのに。
 どうして。
 俺の両脇の壁につかれていた手が、いつの間にか。
 俺の背を抱き寄せて、篠宮さんの胸に。
 しっかりと、抱き締められていたりするんだろう。
「あ、の・・・っ篠宮、さん」
「もう少し、だけ」
「し、・・・・・」
「・・・・・嬉しくて、しょうがないんだ・・・済まない」
 勝てた、こと。
 最高の試合を、見せられたこと。
「啓太に、それを見て貰えた・・・それが、とても嬉しいんだ」
 何だか。
 ほんの少し、だけ。
 そんな篠宮さんが、可愛いなぁ…って。
 思ってしまったのは、失礼だったのかもしれないけれど。
「凄かった、です」
「・・・ああ」
「感動、しました・・・」
「・・・俺も、だ」
「この人が好きで、好きで・・・どうしようって、思いました」
「・・・・・啓太」
 惚れ直した、とかいう言葉があるけれど。
 そんなのじゃなく、もっとずっと。
 篠宮さんのことが、好きになって。
 好きで、好きで。
 この気持ちには、果てがないんじゃないかなって、思う。
 どこまでも。
 俺は、この人のことが、好きで。
 好きに、なる。
「・・・・・これは、奇蹟じゃないんだろうか」
「え、・・・・・」
「・・・・・俺も、同じなんだ」

 同じ。
 気持ち、なんだ。

「篠宮、さ・・・・・」

 それって、と。
 聞き返そうとした言葉は、続きを重ねられた唇に奪われて。
 しばらくして、副部長さんが篠宮さんを探しに来る、ほんの数秒前
まで、それは続いて。
 微かに朱に染まった唇のまま、表彰式に向かう篠宮さんを見送った
俺と目が合った副部長さんが、ほんの少し苦笑混じりに肩を竦めたり
していたのって、もしかしたら。
 ねぇ、もしかしたら。


 後日、そのことをさりげなく篠宮さんに聞いてみたら、やや困った
ような微笑みと共に返ってきた言葉に、俺は思わず絶句した。

「弓道部全員で、俺たちの仲を祝福してくれているそうなんだ」

 それって。
 ねぇ、それって。

「知られてしまっていたのは、何やら気恥ずかしいような気もするが
・・・・・微笑ましく思ってくれているそうだから、良かったのかも
しれないな」
「は、はぁ・・・・・」

 誰も、反対したりとかそういうのがなかった、なんて。
 これって、すごいことなのかもしれない。
 …恥ずかしいのには、変わりないけど。

「さて、これから朝練に行くんだが・・・啓太も、見に来るだろう?」
「え、・・・・・っ」
 そんな話を聞いた後じゃ、何だかどうにも。
「啓太?」
 だけど、それでも。
「行きます・・・っ」
 見ていたい、から。
 そして、またきっと。
 沢山、沢山好きになる、から。

 嬉しそうに微笑って差し出された手を、俺はそっと掴んで。
 キュッと、力を込めて握る。

 沢山。
 想いを、込めて。





恋人の前で、本領発揮の篠宮さんですv
張り切りましたのです・・・くくくv
カッコイイ姿に、啓太もメロメロなのですv
そしてやっぱり、弓道部公認なのね(笑)♪