『winter solstice』


 ほこほこのカボチャと湯舟いっぱいに浮かべられた柚子。
 毎年のことではあるけれど、でも今年はこの学園でこの寮で行われる
それを、初めてこの場所で体験するのを。
 密かに楽しみにしていた、のに。

「・・・・・けほ」
 布団にくるまりながら、苦しげに咳をひとつ。
 喉にほんとにイガイガな虫でもいるんじゃないかと思ってしまうくらい
痛くて、息苦しくて。
 けほ、と。
 またひとつ咳をして、啓太は熱に潤んだ目で天井を見上げた。
 今日の夕食にはカボチャの煮付けが出るらしい。
 そして、大浴場には湯が見えないくらいにびっしりと浮かべられると
いう、柚子。
 そう、今日は冬至だ。
 正月やクリスマスなんかと違って、盛大に何かを祝ったりするような
ものではないけれど、カボチャだっていつでも食べられると言ってしまえ
ば、それまでだけれど。
 せめて。
「・・・・・柚子風呂、入りたかった・・・な」
 大きな風呂に沢山の柚子。
 気持ち良いんだろうな、と。
 それを聞いてから、楽しみにしていたというのに。
 一昨日からやたら冷えたからなのか、うっかり盛大に風邪を引き込んで
しまって。喉の痛みと、熱はようやく下がってはきたけれど、この状態
では風呂なんて多分許して貰えないだろう。
 ふと。
 かの人の顔が、浮かんで。
「・・・・・篠宮、さん」
 後でまた様子を見に来るから、と。
 そっと髪を撫でて部屋を出て行ってから、どれくらい時間が経ったの
だろう。あの時はまだ外は暗くなかったような気がする。
 けだるい身体をモゾモゾと動かして枕元の時計を見れば、9時少し前。
 ついさっきまでうとうとと寝入っていたから、もうそんなに時間が過ぎ
ていたというのにも気付かなかった。
「っ、・・・・・」
 途端。
 酷く、寂しいような悲しいような。
 人恋しさが、募るのに。
 病気になると、気弱になるものだというけれど、そんなことはどうでも
良くて、とにかく誰か。
 否。
 誰でもいいわけじゃなく。
「・・・・・早く」
 ただひとり。
 傍にいて欲しい、人。

 コンコン、と。
 控え目なノックに、トクリと鼓動が跳ねる。
 咄嗟に起こした身体は少しだるかったけれど、でも少しでも早く顔を
見たくて。
 やがて。一呼吸おいて開いたドアから入って来たのは、ふわりと。
 白い、湯気。
「し、・・・・・っ、けほ・・・、っ・・・・・」
 怪訝に思いながらも、きっとその後に続いて現れるであろう人を呼ぼうと
して。咳が絡んで声にならずに、でも。
「伊藤っ!?」
 途端、湯気の向こうから慌てて部屋の中に飛び込んで来たのは。
「・・・しのみ、や・・・さ・・・」
 やっと。
 来てくれた。
 顔を見たら。
 声を聞いたら、もうそれだけで。
「どうした・・・苦しいのか」
 目の奥が熱くなって。
 ぽろぽろと涙を零してしまえば、篠宮の方こそ酷く苦しげな表情をして
すぐ傍らに膝をついて覗き込んでくるのに。
「ち、が・・・・・」
 苦しい、けれど。
 でも。
「うれし、・・・い」
 掠れがちに呟いた言葉に、心配そうな瞳がやや驚いたように瞬いて。
「・・・・・そうか」
 何が、とは聞かずに。
 寝乱れた髪を梳くように、頭を撫でる手にまた泣いてしまいそうになる。
「まだ、少し・・・熱いな」
 そのまま。
 コツリと額を合わせられて、思わず目を閉じる。
 サラリと頬をくすぐる篠宮の髪に、ふと溜息がこぼれた。
「風呂は控えた方が良いな」
 確認するように告げられた言葉に、分かってはいても落胆は隠せない。
「そ、・・・ですね」
 あからさまにシュンとした様子の啓太の髪を、長い指がもう1度ゆっくり
梳いて。
「汗をかいて気持ちが悪いようなら、・・・後で湯を用意して拭いてやろう
・・・・・その前に、啓太」
「は、い・・・?」
 不意に、名前を呼ばれて視線を上げれば。
 さっき篠宮が部屋に入って来る時にも見た、白い湯気。
 差し出された淡い色のマグカップから立ち上るそれと、微かに届くその
香りは。
「・・・・・こ、れ」
「1つだけ分けて貰った柚子を薄く切って蜂蜜に漬けておいたんだ・・・
そのままじゃ口にしにくいだろうから、湯を注いで・・・・・」
「・・・・・柚子、茶・・・」
「ああ、そういうらしいな。喉にも良いだろうし、これなら・・・・・」
 続く言葉を口にしなくても、その微笑みを見れば分かる。
 知っていた、のだ。
 啓太がどんなに、それを楽しみにしていて。
 どんなに、それを残念に思っていたのか。
「・・・・・美味しそう」
 暖かな湯気と共に漂う甘酸っぱい香りに、嬉しげに目を細めて。そろりと
受け取ったマグカップに、口を寄せる。
 まだ覚束ない手元に、そっと篠宮が包み込むように手を添えれば、ふっと
湯気を揺らして啓太が微笑んだ。
「頂きます・・・」
 カップを傾ければ、ややかさついた唇にじんわりと熱い柚子茶が触れる。
少しずつ、少しずつ。舌先に触れたそれはほんのり甘くて酸っぱくて。
「・・・・・、っ・・・」
「っどうした!?熱かったか!?」
 カップを抱えるようにして俯いてしまえば、狼狽した声と共にカップを
それでも乱暴にはならないように取り上げられる。
「違、う・・・んで・・・す」
 火傷なんてさせないよう、ほどよい温度にして持ってきてくれたのだと
すぐに知れる。熱過ぎたわけじゃなく、ただ。
「・・・・・啓太・・・?」
 ただ、どうしようもなく。
 嬉しくて。
「篠宮さん・・・」
 幸せで。
 こんなに。
 こんなにも。
「・・・・・有難う・・・ございます」
 この人が。
「・・・啓太」
 凭れ掛かるようにしてその胸に顔を埋めれば、支えるように包み込む
ように、ゆっくりと抱きしめられる。
「・・・・・少し、だけ・・・」
 こうしてて良いですか?
 そっと告げれば、微かに笑った気配と背中を撫でる優しい手。
 安心して。
 目を閉じて。
 柔らかな温もりと匂いを感じて。
「・・・・・眠って良いぞ」
 囁く声に、頷くことも首を振ることも、なく。
「・・・・・紘司、さん・・・」
 ただ、ひとこと。
 大切な名前を、紡げば。
 少しだけ抱き締める腕の力が強くなったのに、口元にしいた笑みをやや
濃くしながら。

 好きです、と。
 何度も、何度も。
 夢見心地に呟いていた。





風呂の中で柚子潰しながら考えてた話でしたv←ちと時期ずれ