『落とす恋、拾う恋』




 それは、ささやかな善意のようなものから始まったコトだった
…のに。

「あれ、トノサマ・・・何してるんだー?」
 放課後、会計室へと向かう途中の廊下。
 三毛の背中が、床に蹲るようにしてモゾモゾと動いているのを
見付け、啓太は何気なく声を掛けた。
「ぶにゃ、にゃああ・・・ぶにゃん」
 返事をされたところで、海野ではあるまいし、トノサマが何を
言ってるのかなんて、分かるはずもないのだけれど。
 傍らまで歩み寄って、しゃがみ込みつつ。
 ふと、視線を落とすと。
 トノサマの足元、見覚えのある、それは。
「学生証・・・」
 手帳になったそれは、この学園の生徒である証明になるもので
同じものを啓太も制服の胸の内ポケットにいつも携帯している。
 自分の胸元を探れば、啓太の学生証はちゃんとそこに収まって
いるから。落としたのは、ここを通った誰か。
「と、とにかく・・・事務室に届けないと・・・」
 もしかしたら、当人はまだ紛失に気付いていないかもしれない
けれど、やはり無くては色々と困ることも出てくるだろう。とは
いえ、落としたのが学園内の、それも校舎の中だったのは不幸中
の幸いだったかもしれない。もし、学園の外であったら、見つけ
るのも難しかったかもしれないし、そんなことは考えたくはない
けれども、悪用する者がいないとも限らないのだ。
「トノサマ、ちょっとごめん」
 前足で弄ぶように手帳を探っているトノサマから、そっとそれ
を取り上げて。取り敢えず拾得物として届けようと、跪いた膝を
軽く払いながら立ち上がろうとして。
「あ、っ・・・」
 不意に、手の中から取りこぼしてしまった、それを。
 また拾い上げようとした、手が。
 ふと。
 宙で、静止する。
「・・・・・ウソ」
 落とした拍子に手帳が開いて、中から覗いた、もの。
 挟み込んでいたのだろう、それを。
 啓太は。
 見てしまった。
「な、なんで・・・?」
 それ、は。
 1枚の写真。
 写っているのは、紛れも無く。
「・・・・・俺・・・」
 啓太自身、見間違えようはずもなく。
 迷った挙げ句、ようやく手帳を拾い上げて。
 はみ出した写真を、そっと取り出して見れば。
 撮った覚えのないそれは、隠し撮り…とでもいうのだろうか。
 それでも、ピンボケしたものではなく、啓太が思わず頬を染め
てしまうほどに、綺麗に。
 満面の笑顔が、いっそ眩しいくらいの。
「・・・・・誰、が・・・」
 それは、半ば無意識の行動だったのかもしれない。
 手帳の、最初のページ。
 そこが学生証になっており、持ち主の名前等が写真と共に載せ
られている、そのページを。
 開いてしまって。
「っ、・・・・・」
 その瞬間。
 啓太は、慌てて手帳を閉じて、落ち着きなく辺りを見回した。
 見てはいけないものを見てしまった気が、する。
 まさか。
 まさか、そんな。
「・・・・・伊藤くん?」
「っ、うわわあああ・・・っはいぃっ」
 呆然としていたところへ、不意に。
 背後から掛けられた声に、文字どおり飛び上がってしまいそうに
なって。
「ふふ、・・・・・どうしました?」
「し、七条さん・・・っいえ、・・・・・」
 その、時。
 咄嗟に、手にしていた手帳を。
 ズボンのポケットへと、押し込んでしまって。
 届けなきゃいけないのに、とは思っていたのだけれど。
 だけど。
「トノサマ、伊藤くんに遊んで貰っていたんですか」
 良かったですねぇ、と微笑みながら屈み込んで声を掛ける姿を
見つめ、啓太はコクリ、と息を飲み込んで。
「あ、の・・・七条さん・・・」
「はい、何でしょう」
 フサフサの尻尾を振りながら、テクテクと去っていくトノサマを
見送っていた七条が、ゆっくりと振り返って。
 穏やかに、笑いかけてくるのに。
「・・・・・えっ、と」
「はい?」
「・・・・・何でもありません」
 言いかけた、言葉を。
 とうとう、口にすることはなく。
 そのまま、七条と連れ立って会計室へと啓太は向かう事になった。



「こんにちは、西園寺さん」
「ああ、啓太か」
 会計室には、既に会計部を取り仕切っている西園寺がいて。
 PCのモニタからスッと目を離すと、啓太に柔らかく微笑みかけ、
そして七条へとチラリと視線を向けて。
「それで、首尾は?」
「さぁ、・・・・・どうでしょう」
 相変わらず、腹の底が伺い知れない笑顔でもって応える七条を仰ぎ
見つつ、大事な仕事の話ならその邪魔にならないようにと、そろりと
七条の傍らから離れ、お茶でも入れようと思い立つままに、衝立ての
向こうへと足を踏み出せば。
「ああ、僕がやりますから。伊藤くんは、そこに座っていて下さい」
「え、・・・でも」
 躊躇いつつ、西園寺の方をおそるおそる伺い見れば。
「啓太、ここにある書類を番号順に整理してくれ」
「は、はいっ」
 取り敢えず、自分の仕事を与えられてしまったから、済みません…
と七条に軽く頭を下げつつ、西園寺の元へと慌てて駆け寄り、書類を
受け取る。
「番号順に揃えれば良いんですね」
 確認の為に復唱すれば、西園寺は微笑んで頷きながら、ゆっくりと
立ち上がって。
「そうだ、宜しく頼む。…済まないが、私は少し席を外させて貰うぞ」
 向かい合う啓太と、そして御茶の準備をしている七条にも聞こえる
ようにか、後半はいつもよりやや声を大きくして。
「あ、はい。いってらっしゃい、西園寺さん」
「おや、どちらに?」
 いつもの御茶セットをトレイに乗せて、衝立ての向こうから現れた
七条に、西園寺は背を向けた肩越し。顔半分だけ、こちらを向いて。
「直帰してやっても良い…が、報告は忘れるなよ。臣」
「おや、聞いて頂けるんですか?」
「・・・・・楽しみにしているさ。それなりに、な」
 傍らで聞いている啓太には、何が何やら。
 でも、ふたりだけに通じる重要な話なのだと、自分を納得させて。
 部屋を出て行く西園寺にペコリと一礼して、啓太は書類をしっかり
と抱えて、自分に与えられた席へと向かう。
「ああ、伊藤くん。先に、御茶にしませんか?」
「え、でも・・・」
「冷めない内に、どうぞ」
 ティーカップに熱い紅茶を注がれて、そして美味しそうなクッキー
を取り揃えた皿を勧められれば。
 断り切れようはずも、なく。
「・・・・・頂きます」
「はい」
 そして、応接テーブルで向かい合うように。
 ふたり、午後3時のティータイムを過ごしつつ。
 七条の振る何気ない話題に相槌を打ち、応えながらも、その間も。
 啓太は、ズボンのポケットに隠してしまった、それに。
 どうしても、意識を奪われがちになってしまって。
「・・・・・伊藤くん」
「あ、っはい」
「・・・・・何か、気掛かりなことでもありますか?」
「え、・・・」
 見透かされている…と。
 応えに戸惑えば。
「少し、元気がないように見受けられましたので・・・僕で良ければ
相談に乗りますよ」
「あ、・・・有難うございます」
 でも、何でもないんです…と。
 強張ってしまわないよう気を遣ったりしながら、何とか笑顔で応え
つつ、紅茶を啜れば。
「そうですか…僕の思い過ごしなら、良いのですか」
「済みません、本当に…大丈夫、です」
 それは、ウソだと。
 だけど、一度隠してしまったものは、どうしたって。
「ふふ、・・・自分に気掛かりな事があったりするので、つい余計な
気を回してしまったのかもしれませんね」
「気掛かり・・・」
 その言葉に。
 トクリと、鼓動が高鳴る。
「落とし物を、してしまったみたいなんです」
「落とし、物」
 それが何を指すのか。
 啓太には、分かり過ぎる程に。
「ええ、・・・・・生徒手帳を」
 分かってしまって、いた。
 だって、それは今。
 啓太の、ポケットの中に。
「そ、それは・・・大変なこと、ですよね」
「そうですね、困っています」
 そうだろう。
 それが分かっていて、なのに。
 今ここで七条を安堵させるために、差し出す事も。
 あの写真を見てしまった後では、どうしても。
 躊躇われてしまって。
 啓太の胸の内の葛藤には、どうやら気付かないままに。七条は、湯気
を揺らしながら、紅茶で喉を潤しつつ。
「実のところ、生徒手帳自体は・・・特に、なくして困っているという
ことは、ないのですが」
「え、っ・・・でも」
 そんなことは、ないだろう。
 身分証明書にもなる、大切なものに違い無いのに。
「中に、・・・・・とても大切なものを、挟んでいたんです」
「っ、・・・・・」
 大切な。
「大切な人の、・・・・・写真を」
 大切な人、の。
 写真、それは。
「いつも側にいたくて、近くに感じたくて。手帳に挟んで、ここ・・・
胸の内ポケットに入れていたのですが・・・迂闊、でした」
「そんな、に・・・」
 大切なんですか、とは。
 聞けずに、やや震えてしまう手で。
 カップを持ち上げ、気持ちを落ち着けるように、紅茶を一口。
「写真を紛失してしまったことも、大変ショックなのですが・・・その
写真が、どうなってしまったか・・・それを考えると、不安で」
 呟く、表情は。
 微かに笑みを浮かべながらも、何処か。
 沈痛なものを、滲ませているようで。
 啓太は、七条にこんな思いをさせてしまっている、自分が。
 どうしようも、なく。
「もしや、誰かに踏まれてしまったりしていないだろうか、と。大切な
その人自身が踏み躙られてしまっているようで、その人の身に何か良く
ないことでも、起きてしまってやしないかと・・・僕は」
「だ、大丈夫ですっ」
 七条の貌を過った、悲痛な影に。
 どうにかして、その痛みを。
 取り除きたいと、それだけを思って。
「俺、この通りピンピンしてますし・・・・・っ、え・・・」
 咄嗟に、告げた。
 それ、は。
「・・・・・伊藤、くん」
「あ、・・・・・お、俺・・・っ」
 手帳、の。
 写真の行方を、もう。
 示してしまっているような、もので。
「さっき、・・・・・廊下で七条さんと出会う前に、拾いました」
 誤魔化しようも、なく。
 ズボンのポケットから、それを取り出し。
 おずおずと、テーブルの上に置き、七条の方へと差し出して。
「済みません、・・・お返しするタイミングを、見失ってしまって」
 頭を下げ、詫びる姿勢のまま。
 顔を上げられずに。
 七条の表情を見てしまうのが、怖くて。
 俯いた、ままで。
「・・・・・有難うございます」
 手帳を、手に取ったのだろう。
 七条の方から微かに、ページを捲る音が聞こえて。
「これを、・・・御覧になったのでしょう?」
「・・・・・済みません」
 やはり、隠し通せるはずも、なく。
 七条の言葉に、啓太は観念したようにギュッと目を瞑る。
 はみ出していたのを目にしたのは、偶然だったとはいえ。
 啓太は、その写真に写るのが自分であることを。
 その手帳の持ち主が、七条であることも。
 知ってしまっていたのは、事実で。
「どう、・・・思われましたか」
「っ、・・・・・」
 静かに問う、声。
 知ってしまった、その時の様々な感情を。
 上手く、言葉に出来なくて、ただ。
 すぐには応えられずに、そろりと目を開け。膝の上に置かれた自分
の手を、呆然と見つめ続けてしまえば。
「こんな、いかにも隠し撮りしたようなものが、僕の手帳から見つか
って・・・不快に思われたのではないですか」
「っ、そんなこと・・・」
 それは。
 それだけは、違う。
「そりゃあ、俺の知らない写真で、それを持っていたのが七条さんで
・・・見てしまったのは、本当に偶然だったけれど・・・・・本当に、
吃驚したけれど・・・でも、それでも・・・っ」
 決して。
 それ、は。
「・・・・・嫌、とか・・・そんなことは、なかった・・・です」
 むしろ。
 きっと。
「・・・・・俺、・・・嬉しかった・・・のかも」
 確信にしてしまうには、まだ。
 頼り無くて、フワフワした感情。
「さっき、も・・・大切な・・・って。言われて・・・俺っ、すごく
・・・嬉しかった・・・・・」
 これは。
 これは、もしかしたら。
「七条さんの大切に想っている人が、本当に俺なのかな・・・って。
考えたら、嬉しくて・・・震えが、止まらなくて・・・」
「伊藤くん」
 不意に。
 暖かいものに、包み込まれる。
 腕に。
 七条に抱き締められているのだと、気付くのに。
 瞬きすること、3度。
「な、・・・・・」
「君に告げても、良いですか」
 耳元、優しく。
 くすぐる、溜息のような。
「君が、好きです」
「七条、さん・・・」
「君を、愛しています・・・伊藤くん」
 甘い。
 告白。
 身体の芯が。
 熱く、なるような。
「七条さんっ」
 甘い。
 疼き。
 躊躇いがちに、それでも。
 その背に、自分も腕を回して。
「俺も、・・・俺も七条さんに、言わなくちゃならないことが、ある
んです」
 そう告げれば、ゆるりと抱き締めた腕が弛緩して。
 それでも、抱擁は完全には解かぬまま。
 額を押し付けるようにして、極至近距離。
 続きを促すように覗き込んでくる、淡い紫の瞳に。
 ますます、鼓動が早くなるのだけれど。
「好き、です」
 少し、ずつ
「俺、七条さんが・・・好きです」
「・・・伊藤くん」
「好き、なんです・・・」
 伝えたくて。
 言葉にするのも、もどかしいくらいに。
 溢れてくる気持ちが、抑え切れないくらいで。
 だから。
「っ、・・・・・」
 その瞬間、目を閉じてしまっていた啓太には、その時の七条の表情を
伺い知ることは、出来なかったけれども。
 微かに息を飲んだ気配から、きっと。
 驚いていたのだと、思う。

 …自分でも、吃驚…だよ

 キスを、していた。
 自分から、七条の唇に。
 初めての、それは。
 そっと掠めるような。
 淡い、口付け。
「・・・・・伊藤、くん」
 微かに触れただけの、キス。
 それでも、初めてのキスに。
 自分の行動に、唇を離してから、一気に。
 恥ずかしさやら、何やら込み上げてきて、七条の顔はやはり見れず
に、俯けば。
「・・・・・僕からも」
「え、っ・・・」
 微笑った気配に、咄嗟に顔を上げてしまえば。
 近付く、唇。
 触れたそれは、優しく。
 そして、ゆっくりと。
 その熱を増して。
 上手く息がつげずに、七条の背にキュッとしがみつけば。
 ゆっくりと離れた唇に、ホッとしたように息をした。
 その次の瞬間、今度は。
 角度を変えて、より深く。
 混ざりあう、熱い吐息。



 西園寺は、結局戻っては来なくて。
 七条と啓太が連れ立って会計室を出たのは、夕方。
 日も、かなり落ちた頃で。

「大丈夫ですか、伊藤くん」
「・・・・・はい」
 さり気なく腰に手を回し、気遣うような七条に。
 啓太は、ぎごちなく頷いて。
 その頬が、地平に沈みかけた夕陽のせいではなく、仄かに朱に染め
られていたことには、誰も。
 気付かなかった、はず。






知能犯ーーーーーーーーーーーーーーッ(ピシリと指差し)!!!!
あああああ臣め・・・ッ(悦←いいのかよ)vvvvvvvvvvvv
賢明な方には、既にお分かりかとは思いますが、っつーか
どうせそんなことだろうよ!!ってなカンジですが!!!!
・・・・・ナニを報告するんでしょうか、臣ったら。
こんな姑息っぷりが、でも愛おしいのですvvvvv←歪み愛