『猫が見てる』




 いいなぁ…、と。
 思わず、そう呟きそうになって。
 慌てて、その言葉を飲み込んだまま。暫くの間、俺はその場に
立ち尽くしてしまった。

 心地よい陽気に誘われて、フラリと中庭に出て。特に何をする
でもなく、独り歩いて。
 …そういうのを散歩って言うのかもしれないけれど。
 そうして歩いて、ふと。
 木立の向こうのベンチに、見知った顔を見付けて。
「し、・・・・・」
 声を掛けようと、して。
 その人が、1人ではないことに気付いて、俺は何故か呼び掛け
ようとした言葉を。続けることが出来ずに。
 1人ではない、というか。
 正確には、人は1人で。
 1人と。
 1匹。
 ベンチに座る、その人の……七条さんの、膝の上。
 丸まって眠っている、猫…トノサマ。
 その三毛の長い毛を、七条さんの長い指が梳くように、優しく
撫でて。ポカポカ暖かい木漏れ日を浴びながら、七条さんの膝の
上で。
 頭を撫でて貰いながら。
 とても。
 気持ち良さそう。

 その光景に。
 …いいなぁ、と。
 呟きそうになった自分に。
 その言葉を、飲み込んでしまったことに。
 声を掛けられなかった、ことに。
 戸惑って。
 その場に立ち尽くしたまま。時間にすれば、それほど長くは
なかったのかもしれないけれど。
 七条さんの、何処か穏やかな表情に。
 どうして。
 こんなに。

「っ、・・・・・」
 息苦しさを感じて、俺は。
 その場から逃げ出すように、踵を返そうと。
 した、のに。
「ぶにゃあああああん」
 不意に上がった、トノサマの御目覚め(?)の鳴き声に、足を止め
てしまえば。
 ザッ、と靴が地面を擦る音に。
「・・・・・伊藤くん?」
 ああ。
 気付かれてしまった。
「どうしたんですか、こんなところで」
 振り返れば、トノサマを膝に乗せたまま。
 七条さんが、普段よりもずっと柔らかい笑顔で、こちらを見つめ
ていて。
 何だろう。
 本当に。
 苦しい。
「あ、・・・・・天気が、良いので・・・」
「ふふ・・・そうですね。御散歩日和ですからね」
 それでも、もう立ち去ることも出来なくなってしまって。俺は、
不自然ではないように、何とか微笑いながら。七条さんの座るベンチ
へと歩み寄って。
 その間にも、七条さんに喉をくすぐられて、膝の上に乗せられた
まま、ゴロゴロと甘えるトノサマの姿に。
 何だか。
「・・・トノサマ、そろそろ海野先生のところに戻らないと」
「ぶ、・・・にゃ、にぁああああん」
 よく分からないモヤモヤとしたものを感じて、それが一体何なのか
と、困惑してしまって。なかなか言葉が出て来ない俺に、やはり笑顔
を向けたまま。
 七条さんの手が、膝の上のトノサマの背中を軽く促すように叩けば。
相変わらずの奇妙な鳴き声を上げて、ヒラリとそこから飛び下りて、
そのまま。
 俺の足元を、ポテポテと。
 急ぐ様子もなく歩いて行くトノサマを、ぼんやりと見つめてしまえば。
「・・・・・、っ」
 擦れ違う間際、トノサマと。
 目が、合ったような。
 そして。
 笑われた、ような。
「・・・・・気の、せいだ・・・よな」
 去って行く背を、見送ってしまって。
 ポツリと、呟けば。
「何がですか?」
「あ、・・・・・っいえ、何でも・・・ないです」
 不意に掛けられた声に、ビクリと肩を揺らしてしまって。
 …どうしよう。
 不審に、思われなかっただろうか。
「・・・宜しければ、座りませんか」
 2人掛けのベンチ、その隣をさり気なく促されて。
 でも。
 どうしてだろう、その傍らに突っ立ったまま、俺は。
 動けずに。
「伊藤くん?」
「俺、・・・・・っ」
 目が。
 どうしてだろう、さっきまでトノサマが乗っていた膝に。
 そこばかり、見てしまう。
 何で。
 こんな。
「・・・・・何でしたら」
 立ち尽くす俺に、七条さんはその笑みを濃くして。
 そして。
 膝を、ポンポンと。
 叩いて。
「どうぞ、伊藤くん」
 そこに。
 座れ、って。
 促したり、するから。
「っ、・・・・・」
「あ、・・・・・」
 あからさまに、動揺したような声と、表情。
 珍しい、よな。
 七条さんの、こんな。
「泣かないで、・・・・・泣かないで下さい、伊藤くん・・・」
 泣く?
 …俺。
 …泣いて、るのかな。 
「俺、・・・・・」
 戸惑いがちに伸ばされた手、七条さんの長い指が。
 俺の目元を、そっと優しく拭って。
 そんなことされたら、益々。
 息苦しくなって、泣いてしまいそうなのに。
「意地悪、です・・・っ」
「・・・伊藤くん」
「七条、さんは・・・っく・・・・・」
「・・・・・済みません」
 謝ること、なんてないのに。
 七条さんが、悪い訳じゃない。
 ただ、俺が。
「・・・・・いいな、って・・・思ってしまったんです」
 七条さんの膝の上のトノサマを見て。
「羨ましいなぁ、って・・・トノサマ、狡いなぁ・・・って」
「伊藤、くん・・・それは」
 これは。
 この、気持ちは。
「・・・・・なのに、トノサマと同じ扱いをされるのが、嫌だなんて
・・・すごい、我が侭・・・なんです」
 もう、分かってしまった。
 きっと、七条さんにも。
 だったら、もう。
「・・・・・ごめんなさいっ」
 ここには、いられなくて。
 これ以上。
 困らせたく…嫌われたく、ないから。
 勢い良く頭を下げて、この場から少しでも早く、逃げ出してしまい
たくて。
 なのに。
「待って、下さい・・・っ」
 そんな。
 切羽詰まったような、声。
 七条さん、らしくないなぁ…なんて。
 思った、次の瞬間。
 腕を取られ、強い力で。
 引かれて。
「あ、・・・・・っ」
 そのまま、俺は。
 七条さんの。
 膝の、上。
 後ろから、これじゃまるで。
 抱き締められてる、みたいな。
「・・・・・伊藤くん」
「っ、・・・」
 耳元、七条さんの声。
 吐息まで、感じて。
 息が。
 詰まりそう。
「逃げないで下さい」
 その言葉に。
 身じろぎすら、封じられて。
「お願い、だから・・・・・どうか、このまま」
 身体の力が。
 入らなくて。
「・・・・・言い訳だと、笑って下さっても結構です」
 俺は、おとなしく。
 七条さんの言葉を、聞いていた。
 膝の上に。
 後ろ抱きにされた、ままで。
「ここで日向ぼっこをしていると、さっきのようにトノサマが僕の膝
の上に乗ってくることがあります。彼とは仲良しですし可愛いなぁ…
と、頭を撫でてみたりもします」
 そう、それは。
 さっき俺が目の当たりにした光景。
「トノサマの毛を梳いてあげながら・・・僕は、とても不謹慎かもしれ
ないことを、考えていました」
 それ、は。
「君の、ことを・・・考えていました」
「え、・・・・・」
 思ってもみなかった、それは。
「伊藤くんの頭を、こうして膝に乗せて・・・その髪を梳いてみたい…
と。撫でて、手で触れるだけでは足りなくて・・・心の中で、僕は君の
髪に口付けたりもしました。そんなことを、僕は考えていたんですよ」
「・・・・・う、そ・・・」
「嘘じゃ、ないんです」
 耳の後ろ。
 近付く吐息が。
 髪に。
「っ、・・・・・」
 唇が。
 触れて。
「こんな風にしたいと、・・・・・思っていたんですよ」
 軽蔑しますか、と。
 そんな、こと。
「・・・・・俺が、して欲しかった・・・こと、です」
 そう、俺は。
 こんな風に、七条さんに。
 触れて欲しかった。
 俺も。
「・・・・・本当に、良いんですか?」
 そして、また。
 今度は、耳朶に。
 キス。
「君が許してしまったら、・・・・・僕はもう自分を止められる自信は
ありませんよ」
 覚悟は。
 …良い?
「止めなくて・・・いい、です・・・っ」
「・・・伊藤くん」
「もっと、・・・・・沢山」
 俺に。
 触れて。
 もっと。
 全部。
「・・・・・ならば、僕も」
 後悔はさせません、と。
 囁いた唇が、頬に触れて。
 そして。
 背中から抱き締めたまま。
「ん、・・・・・っ」
 噛み付くような。
 キス。
 息もつげないくらいに、それは。
 熱くて。
 激しくて。
 だけど、止めなくていい…って。
 言ったのは、俺で。
 もっと、沢山。
 そう望んでいるのは。
 俺も、だから。
「七条、さ・・・・・ん・・・っ好き、・・・です」
「好きです、・・・・・愛して、いますよ・・・伊藤くん」
 告げる。
 想い。
 胸の奥、つっかえていたものが。
 溶けていく。
「ところで、伊藤くん」
「は、はい」
 キスだけで、もうフラフラになってしまった俺を、まだ強く抱き
締めたままの七条さんが。額を押し付ける距離、ニコリと笑って。
「僕としては、もっとずっと沢山・・・君に触れたいなぁって思うの
ですが」
「っ、は・・・い」
「ここでは、どうにも落ち着きませんから、場所を変えましょうか」
「は、え・・・っ!?」
 その言葉と。
 七条さんが苦笑混じりに向けた視線の先を、おそるおそる追えば。
「・・・・・っ、トノサマ・・・」
 さっき俺が立ち尽くしていた木の影。
 顔だけ、こちらに見せて。
 何だか、ニッタリと笑っているかのような。
 トノサマ、が。
「駄目ですよ、トノサマ。これ以上は、君にだって見せてあげる訳には
いきません」
「・・・・・ぶにゃあ」
「ということですので、続きは僕の部屋で構いませんね」
「え、ええええ・・・っ」
 爽やか…そうな笑顔と共に、そう告げられて。
 後ろから俺を抱き締めていた腕が、少し弛んだ…と思った、次の瞬間。
「し、し、し、・・・七条さんっ」
「こういうことも、したかったんですよ・・・実は」
「ああああああ」
 これは、しっかり。
 お姫様抱っこ、ってやつで。
 夢が叶いましたねぇ、なんて。
 そんな、嬉しそうに。
 …もう。
 ……恥ずかしいけど。
 ………嬉しい、かも。

 トノサマに見送られてしまいながら、七条さんは俺を抱き上げたまま、
宣言通りに真直ぐと、寮の自分の部屋へと俺を連れ帰って。
 そして。
 その後のことは。

 …ナイショ、かな?





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・・・トノサマも男の子だからね(だから何)。