『どうしようも、なく』



「・・・困ったなぁ・・・」
 実のところを言うと、今現在それ程困った状況に陥って
しまっているわけではない。だけど、この気紛れな『彼』は、
いつになったら此処から降りてくれるのかなんて、全く見当
もつかない、から。
「ヤバい、なぁ・・・」
 このままでは、足が痺れ切ってしまう。
 こっそりと溜息を付きながら、啓太は正座をした自分の
膝の上で眠る、不敵に無敵な『彼』を。その見かけよりも
ずっと手触りの良い毛を梳くように、そっと撫でた。

「・・・・・あ」
 ふと。
 翳った視界に、訝し気に顔を上げれば。
「ふふ。こんにちは、伊藤くん」
「七条さん・・・っび、吃驚した・・・っ」
 啓太が背凭れにしている傍らの木に片手を付き、長身を
屈めるようにして覗き込んでいる七条の。見なれた笑顔が
そこにあって。
 近付く気配を全く感じさせなかったことに、やはり驚き
は隠せず。でも、どうせならもっと早く…自分を見つけた
時点で声をかけてくれれば良いのに、と少しばかり抗議の
意味を込めて、やや眉を顰め気味に見上げれば。
「伊藤くんも、お昼寝中なのかと思いまして。起こして
しまわないように足音を忍ばせて来たんですが・・・でも
かえって驚かせてしまったようですね。済みませんでした」
「あ、・・・いえっ」
 笑みの中、微かに申し訳なさそうな色を滲ませて、サクリ
と謝られてしまえば、もう怒る気になどなるはずもなく。
「・・・・・それにしても」
 そして。
 笑みの形に細められた目は、スと下がって。
 啓太の膝の上。
 それは気持ち良さそうに眠る、その。
「あ、・・・もしかして、トノサマを捜しに来たんですか?」
 いつもなら会計室で仕事をしているであろうはずの七条が、
こんな風に用もなく中庭にフラリとやって来ることは、まず
ないだろうから、と。その理由を推測して問えば。
「ええ、・・・そうですね。先程、海野先生にお会いした時
捜しておられる御様子でしたから」
「そうだったんだ。なら、どうぞ連れていってあげて下さい」
 海野に頼まれてのことなのだと、啓太はそう納得して。膝の
上でイビキまで立てつつ惰眠を貪るトノサマの頭を撫でてやり
ながら、七条に告げれば。
「その必要はないです」
「え、・・・・・」
 ニッコリと。
 笑みを深くして、七条がすぐ傍らに腰を降ろすのに、思わず
四肢を緊張させてしまうのに。そんな啓太に、やや苦笑めいた
ものを浮かべつつ。七条は深く腰を折ると、眠るトノサマの
その耳元。
 ボソリ、と。
「・・・・・ここは、君の指定席ではありませんよ」
「・・・・・ぶ、にゃああああぁん」
 囁けば、まるでそれが覚醒の呪文のように。パッチリと目を
覚ましたトノサマが、やがて軽く延びをしながら、啓太の膝の
上からヒラリと飛び下りて。
「では、さようなら。トノサマ」
「ぶにゃ、・・・にゃああ」
 呆気に取られた啓太と、相変わらずニコニコと微笑み見送る
様子の七条をチラリと返り見て、やがてスタスタと去っていく。
その三毛の背中が、校舎の影に消えてしまう頃。
「・・・・・すごい、七条さん・・・やっぱりトノサマと会話
出来ちゃうんだ・・・」
「会話、というよりコミュニケーションでしょうか。トノサマ
とは、とても仲良しですから・・・僕の気持ちが、伝わったん
ですね」
「気持ち、ですか」
「ええ」
 その気持ちとやらの詳しい内容についてまで、深く突っ込んで
みようと思うほどには、啓太は未だその笑顔の裏に存るモノには
無頓着で。
 無防備で。
「それはそうと、・・・・・伊藤くんに、お願いしたいことが
あるんですが」
「は、・・・・・何ですか」
 感心したような眼差しを向けてくる啓太に、柔らかく微笑み
かけて、七条は。
「僕にも、して頂けませんか・・・・・膝枕、というものを」
「え、・・・えええええ・・・っ!?」
 極自然に、サラリと。
 そんな、御願いごとを口にするから。
「ま、まさか・・・じ、じょうだ・・・・・」
「嫌ですか?」
「い、嫌・・・だなんて、そんなことは・・・・・」
 何だか。
 トノサマにはしてあげていたのに、と言外に。
 そんな、まるでヤキモチみたいな。
 そんな、ことって。
「では、良いんですね」
「・・・っ、は・・・・・はい」
 勿論、嫌だなんてことはないのだけれど。
 恥ずかしくて、照れくさくて。
 それでも、拒み切れずに頷いてしまえば、目の前には。
「有難うございます」
 本当に。
 嬉しそうに微笑む、貌があって。
「それでは、失礼しますね」
「は、・・・・・ど、どうぞっ」
 礼儀正しく断って、ゆっくりと身体を傾けた七条の、その
頭が。結局正座を崩せずに座ったままの啓太の膝に、そっと
置かれて。
「・・・・・」
 重いとは、思わなかった。
 ふわりと、暖かくて。
 何だか。
「くすぐったい、感じがしますね・・・」
「あ、・・・・・そ、そうですね」
 そんな、同じような感想を聞いてしまえば。
 自然、固くなってしまっていた身体が、緊張を解いて。
 笑みさえ、溢れてくる。
「気持ち良いです・・・伊藤くんの、膝枕」
 夢見心地のように、どこかうっとりと呟かれて。思わず
赤くなってしまった顔は、七条には見えなかっただろうか。
「あ、あの・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・七条、さん・・・?」
 照れ隠しに、呼び掛けてしまって。
 しかし、その応えはなく。
 どうしたのだろうと、小首を傾げつつ、そろりと。膝の
上の貌を伺えば。
「・・・・・あ」
 口元には、柔らかな笑みを敷いたまま。
 そして、その紫色の輝きを持つ瞳は。
 ゆるりと閉じられて、いて。
「・・・・・寝、ちゃって・・・る」
 どうやら、啓太の膝枕で。
 その心地よさに眠気を誘われ、そのまま。
 寝入ってしまった、ようで。
「・・・・・もう」
 しょうがないな、と呟きつつ。
 でも、起こす気なんて、勿論なかったし。
 それに。
「七条さんの、寝顔・・・」
 そういえば、初めて見るかもしれない。
 こんな、無防備に眠る姿は。
 それが、何だか。
 とても、嬉しい。
「寝ていても・・・カッコ良くて、綺麗・・・だけど」
 ちょっと可愛いな、と。
 微笑いながら。
 やや、躊躇いがちに、その色素の薄い髪を。
 撫でるように、梳いた。



 微かに肌寒さを感じて。
 ゆるやかに浮上する意識のまま、そろりと目を開ければ。
「伊藤、くん・・・・・」
「・・・おはようございます、じゃ変ですね・・・もう起き
ますか、七条さん」
 やや傾いた、オレンジ掛かった陽の光の中。
 くすぐったそうに微笑む、貌。
「・・・・・眠ってしまっていたんですね、僕は」
 この膝の感触が、あまりにも心地よくて。
 目を閉じてしまったら、そのまま。
「疲れていたんじゃないですか?よく眠っていましたよ」
「そう、ですか」
 それ程疲労が溜まっていたという自覚はなかったけれど。
 それにしたって。
「ちょっと、もったいない気もしますね」
「え、何ですか」
「ふふ、・・・・・贅沢を言ってはいけません、からね」
 どうせなら、ちゃんと。
 起きていて。
 啓太の膝枕という、この至福のひとときを。
 味わいたかった、なんて。
「有難うございました・・・本当に、気持ち良かったです」
「あ、え・・・っと・・・・・お粗末様、です」
 名残惜しくはあったけれども、ゆっくりと身を起こして。
 その隣に腰を降ろしたまま礼を述べれば、気恥ずかしさ故か
朱に染めた頬を俯き加減に隠しながら、ペコリと頭を下げたり
してみせるのに。どうしたって、沸き上がる愛おしい気持ちは
抑え切れないけれど。
「我が侭を言って、申し訳ありませんでした。それに、もう
日も暮れてしまいますね・・・つい、寝入ってしまって」
「いいえ、俺なんかの膝枕でも・・・その、七条さんのお役に
立てたのなら、良かったです」
「ええ、それはもう。伊藤くん以外の膝を枕になんて、僕には
考えられませんから」
 それは、本音で。
 そして、とても贅沢な。
 願いに繋がって。
「っ、・・・・・あ・・・そ、そろそろ会計室に、戻らないと」
「この時間なら、郁は帰っているでしょうし・・・特に仕事が
あった訳でもありませんから、このまま寮に戻って差し支えは
ないと思いますよ」
「あ、じゃあ・・・一緒に」
「はい、一緒に」
 嬉しそうに笑い掛けられれば、どうしたって。
 こちらの喜びだって、2倍にも3倍にもなるのに。
「では、行きましょうか」
「はいっ、・・・・・う、わ・・・・・っ」
 先に立ち上がった七条が、当然の用に差し出す手を、少しだけ
面映く思いながらも、それを拒む理由も見つからなくて。促され
るまま手を取って、自分も立ち上がろうと、して。
 ずっと、正座のままだった足は。
 もう、感覚もないほどに。
 痺れ切ってしまっていた、ようで。
「・・・っ伊藤くん」
 踏ん張れずに、転んでしまいそうになった啓太の、その身体を
七条は、抱き締めるような形で支えて。そのまま、刺激を与え
ないよう、膝の上に腰を乗せるような形で、そろりとその場に
座り込む。
「す、済みません・・・有難う、ございます・・・っ」
「やっぱり、僕の我が侭で・・・君を・・・足が、こんなに痺れ
切ってしまうまで、付き合わせてしまって」
「いえ、俺が正座に慣れていなかったからで、七条さんのせい
なんかじゃ」
「僕の責任です」
 肩を落とす七条の様子に、啓太が慌てて言い募るのに。
 項垂れていた、かに見えた七条の、その瞳が。
 悪戯っぽく輝いた、ような。
 気がしたと思った、途端。
「だから、・・・僕が責任を持って、君を部屋まで送り届けます
ので、安心して下さいね」
「な、・・・・・っうわわわ・・・っ」
 支える腕に力がこもったと感じた、次の瞬間。
 身体が、宙に浮かんで。
 急に高くなった視界に呆然としつつ、ふと我に帰れば。
 自分が七条の腕に、抱かれて。いわゆる、お姫さま抱っこの姿
で抱き上げられているのに気付いて。
「う、そ・・・っ七条さん、お・・・降ろして下さい、っ・・・」
「でも、足が痺れているんでしょう」
「す、少し時間が立てば治ります、から・・・っ」
「僕が抱いて帰る方が早いです」
「で、でもっ・・・・・お、重いし降ろして・・・」
「嫌です」
「・・・・・嫌、って・・・」
 その言い様に、唖然として七条を仰ぎ見れば。
 啓太を抱き上げ、悠然と微笑む紫色の瞳の中に、確かに。
 愉悦の色を、見つけてしまって。
「・・・・・恥ずかしい、です」
 耳まで、ほんのりと赤く染めつつ。やや視線を落としながら、
ポツリと呟けば。
「僕は、嬉しいですよ」
「・・・・・うう」
 その声色は、本当に嬉々とした響きでもって。
 重いと訴えた自分の体重の負荷さえ感じさせないくらいに、その
足取りも軽く。
 ああ、どうか。
 寮に帰り着くまでの間、誰かに会ったりしませんようにと祈る
けれども。どんなに運が良かろうとも、それは無理だと思えて。
「裏道を抜けて行きましょうか」
「え、・・・・・っ」
 さりげなく落とされた言葉に、驚いて見上げれば。
 お見通しですよ、とでも言うように微笑み返されて。
「多分、どなたにも見つからないかと思いますよ」
「あ、・・・・・有難う、ございます」
「・・・ふふ」
 本当は。
 この、様子を。
 啓太を抱き上げて歩く、この姿を。
 学園中の男達に、これでもかと言うほど見せつけて、見せびらか
してみたいという、そんなエゴのようなものが。
 なかったとは、言い切れないけれども。
「勿体無い、ですから」
「は?」
「決して落としたりはしませんけれど。しっかり、しがみついていて
頂けると幸いです」
「は、はいっ」
 そうして、素直に縋り付いてくる、様に。
 なんて自分は狡い男なんでしょうね、と自嘲してみるけれど。
 こんな、彼の姿は。
 誰にも見せたくは、ないのだと。
 これは、自分だけの特権。
 自分だけの、もの。
 あからさまな、それは。
 独占欲であって。
 啓太だけに、それは。
 全部。
「・・・・・済みません」
「え、・・・・・」
「赦して下さい、ね」
「あ、あの・・・だから、足が痺れたのは七条さんのせいじゃ・・・」
「本当に君は、・・・・・優しい人ですね」
 なのに。
 だから。
 その優しさに、付け込むようなことをしてしまう自分は、本当に。
 狡くて、どうしようもない男なのだけれど。
「七条、さ・・・・・」
「好きですよ、本当に」
「っ、ん・・・・・」
 こうして、キスを掠め取っても。
 顔を真っ赤にして、困ったように。
 それでも、ちゃんと。
 赦してくれる、から。
「どうせなら、このまま君を何処か遠くへ攫ってしまいたいですね」
「な、っ・・・・・」
「・・・ふふ。まあでも、取り敢えずは・・・部屋に御連れ致しま
しょうか」

 僕の部屋にね、とは。
 コソリと心の中で囁くに留めて。

 夕暮れの小路を歩く。
 ゆっくり。
 でも、早くと。
 もどかしい気持ちに、苦笑しながら。

 満ち足りた気持ちに。
 微笑んで、また。
 キスを落としながら。





・・・・・啓太の膝枕(御満悦)v
っつーか、羨ましいぜコンチクショウとか
ブチブチ言いつつも、書いちゃうわけですよ
こういうメロメロなのを(地団駄)!!
そして確実に、臣の腕枕に続いちゃったり
するんですよ、あああもう!!!!