『俺の、ナイショ』




「・・・・・っ、七条さんのバカぁ・・・っ!!」

 叫んで。
 七条さんの笑顔が、ほんの一瞬凍り付いたように見えたけれど。
「伊藤く・・・・・」
 そろりと伸ばされた、その手を振り切って。
 珍しく西園寺さんが呆気に取られた表情で席を立つのを視界の
隅に。
 俺は。
 会計室を、飛び出した。


 闇雲に走って。
 何処に行こう、と考えていた訳じゃないから、ただもう走って。
 急に駆け出して、そのままずっと走り続けていた俺は、乱れる息
の苦しさに、ようやく足を止めて。
 ガクガクの膝。
 ペタリと、その場に膝を折るようにして座り込んで、そこが寮の
裏手の林の中であることに気がついた。
 敷き詰められた落ち葉の柔らかな感触が、何だか心地よくて。
 ほんの少し。
 昂っていた気持ちが、落ち着いた。
「・・・・・」
 ゆっくりと、襟足から覗く首筋に手を添える。
 そこは。
 そこにあるのは、俺が会計室を飛び出した、そもそもの。
「・・・・・、っ」
 その、小さな跡を。
 西園寺さんに、見つかってしまったから。


「そう目立つものではないが、気を付けた方が良い」
 いつものように、会計室で書類の整理を手伝っていた俺は、ふと
傍らを通り過ぎた西園寺さんの指先が首にかかる髪を掬い上げる
ようにするのに、くすぐったさに肩を竦めれば。
 だけど、西園寺さんの咎めるような視線の先にあるのは。
 おや、というような七条さんの顔。
「ああ、見つかってしまいましたか」
「見つかるようなところに付けたのは、お前だろう・・・臣」
「え、・・・あの・・・・・」
 何が見つかったというのか。
 話の中身が見えなくて、そろりと傍らに立つ西園寺さんを見上げ
れば。
「昨夜、臣と一緒だったのだろう」
「え、・・・・・あっ」
 まさか。
 ウソ…っ。
「済みません、伊藤くん・・・迂闊でした」
 朝、鏡では見えなかったけれど。
 というか、ちょうど正面からは見えない、位置。
 そこに。
 残された。
「ウソ・・・っどうして、こんなところに・・・・・っ」
 制服を着て、見えるような場所には決して跡は付けない。
 …それ以外は、ちょっと何だか凄いことになっているけれど。
 それは、ともかく。
「わざとじゃないのか」
「ふふ、そう見えますか・・・郁には」
「啓太に近付く輩への牽制としか思えんな」
「ああ、・・・・・そういう手もあるんですねぇ」
 どうして。
 だからって、誰かに見られるところに。
 こんな、あからさまな。
 もしかしたら、西園寺さん以外にも気付いた人がいたかもしれない。
 小さな、この。
「・・・・・や、・・・」
 七条さんの付けた。
「伊藤くん?」

「・・・・・っ、七条さんのバカぁ・・・っ!!」

 薄らと紅い、その跡が。
 そこから、何だか全身に熱が広がっていくようで。
 堪らなくなって、俺は。

 逃げて、来たんだ。



「七条、さん・・・」
 そう、逃げたんだ。
 恥ずかしくて。
 俺が、こんなに恥ずかしいのに。
 七条さんは、平然としていたから。
 七条さんにとっては、もしかしたら何でもないコト。
 だけど、俺には。
「・・・・・怒った、かな」
 バカ、って叫んでしまった時の七条さんの顔は、驚きと。
 そして、困ったような。
 ちょっと。
 悲しそう、な。
「・・・・・呆れちゃった、かもしれない」
 何か、言いたそうだったのに。
 聞かずに、差し出された手をも振り切って、飛び出して来た。
 もしかしたら、ちゃんと謝ろうとしていたのかもしれない。
 …でも、七条さんが全面的に悪い、んだろうか。
 目立つところに、こんな跡を付けられたのは、すごく恥ずかしくて。
 でも。
 嫌、だった?
 俺は。
 何だか、くすぐったいような。
 嬉しいような、そんな気持ちは。
 俺の中に、なかった?
「七条さん・・・・・」
 逃げてきたのに。
 なのに、今すごく。
 七条さんに会いたいって、思う。
 こんなところまで走って来て。
 見付けて貰えないかもしれないのに。
 ううん。
 探してくれているとは、限らないんだ。
 だけど、でも。
 我が侭、なのは分っているけれど。
 追い掛けて。
 探して。
 そして、ここにいる俺を。

「・・・・・見付けた」
「っ、・・・・・」

 見付けて欲しい、って。
 思っていた、のに。

「伊藤くん・・・・・足、早いですねぇ」

 どうして、そんな俺の考えてることを知ってたみたいに。
 こんな風に、そんなに息を乱して。
 本当に、慌てて追い掛けて、探して。
 そして、ようやく見付けた、って。

「思いっきり見失ってしまって、どうしようかと思いました」
「・・・・・でも」
 ちゃんと。
 見付けてくれた。
「ここにいる、って・・・どうして・・・」
 殆ど迷わずに。
 辿り着いたみたいに。
「分かりますから」
「え、・・・・・」
 座り込んだ俺の視線の高さに合わせるように、七条さんはしゃがみ
込んで。
 にっこりと。
 笑う。
「伊藤くんのいる所は、ちゃんと・・・分かるんですよ、僕は」
「分かる・・・って」
「発信機がついてますから」
「え、ええええ・・・・・っ」
 そんなもの。
 一体いつ、付けられたんだろうって、慌てて自分の制服をパタパタ
叩いて調べようとすれば。
「ああ、そうではなくて」
 ふふ、と。
 微笑いながら、七条さんの大きな手が。
 七条さん自身の胸元に、そっと押し当てられる。
「いつでも、どこにいても・・・君の存在は、ここで感じられるん
ですよ」
「な、・・・・・」
 ここ。
 …心?
「そ、そんなこと・・・って」
「ちゃんと、君を見つけられたでしょう?」
 そうだけど。
 だけど。
 でも。
 …七条さん、なら。
 ……トノサマと会話出来る、くらいだし。
「もちろん、これは君にだけ有効なんですが」
「・・・・・はぁ」
 ああもう、いいや。
 そういうことにしておこう。
「・・・・・本当に、済みませんでした」
「え、あ・・・」
「君の気持ちも考えずに・・・軽率だったと反省しています」
 やっぱり。
 こうして、謝ってくれるんだ。
 だけど。
「あ、あのっ・・・嫌、とかじゃないんです、っでも・・・やっぱり
みんなに見られるのは、ちょっと・・・」
「ええ、分っています。分っていたのに・・・済みません、伊藤くん」
 俺も。
 分ってる、んだ。
「俺も、・・・ごめんなさい。バカ、なんて言ってしまって。何だか
ちょっと・・・・・気が動転してて、つい」
「いいえ、僕がいけなかったんですから・・・伊藤くんが謝ることは
ありませんよ」
 そう言って、笑って。
 ごく自然な仕草で、俺の方に延ばされた、手。
 でも、それは。
 頬に触れる、直前で。
「・・・・・七条さん?」
 止まってしまうから。
 どうしたのかって、俺が首を傾げれば。
「君に、・・・・・触れても良いですか」
 ああ、まだ。
 この人は。
「七条さん」
 ごめんなさい、俺が。
 逃げてしまったから、だから。
「・・・・・好き」
 ちゃんと。
 今度は。
「伊藤、く・・・・・」
 背を向けたり、しないから。

 もう片方の手も取って。
 俺の頬を挟むようにして、押し付ければ。
 ほんの少し強張っていた七条さんの表情が、ゆっくりと解けて。
「もっと、触れても・・・良いですか」
 唇にかかる、吐息。
 近付く。
 触れる、熱。


「あの、・・・・・もう、見えるところには・・・」
「ええ、気を付けます」
 耳元で、落ち葉がカサリと音をたてる。
「見えるところには、付けません」
 胸元、七条さんの唇。
 くすぐったさと。
 微かな、痛み。
 見えないところ、に。
 きっと、また。
 たくさん。

 他の誰にも。
 見えないところに、七条さんが残してくれた、跡。
 誰にも。
 見せたく、ないんだって。

 気付いてしまった、俺の。
 ささやかな、独占欲。
 七条さんは、知らない。
 ナイショの、気持ち。






見せびらかしたい気持ちと、誰にも見せたくない気持ち。
どっちも、「自分のモノ」って気持ちからv
そしてナチュラルに青●突入(爽笑)v