『wonderful opportunity』





 行きは良い良い帰りは怖い…とは、よく言ったものだと思う。

 並外れて運の良かったりする啓太ではあったが、だからといって
万事どんなことでもどんな時にでも、その強運が発揮されていると
いうことは、ないのだ。うっかり小石に躓くことだってあるし、
テストのヤマかけが外れたことだってある。
 但し、転んでもたいして怪我もしないし、赤点を取ってしまった
経験もない。
 そういうところは、やはり幸運であると言えるのかもしれない。

 だがしかし、今の状況は。
 もしかしたら、運に少しばかり見放されていたりするのだろうか。
「・・・・・だ、大丈夫・・・だよな」
 幹にしがみつきながら、啓太はそろりと地上を見下ろした。
 自分の身長よりは、数倍高い木の上。
 そんな場所に、啓太はいた。


 小1時間前、いつものように学生会室に手伝いに訪れた啓太は、
これまた毎度のように仕事を放り出して逃走した丹羽を捕獲して
来るようにと、中嶋から依頼された。というよりは、見た目明らか
に不機嫌のオーラを身に纏っている中嶋から、早々に離れたかった
というのもあり、「頼む」とも言われないままに捜索を買って出た。
 そして、丹羽の行きそうな場所を考えながら歩いていて。
 東屋が程近い、雑木林になった辺り。
 木々の間をさえずる小鳥の声が、何やらいつもとは違うような
気がして、小道を逸れてみれば。
 大木の根元。
 雑草の茂みから聞こえる、羽ばたきと鳴き声。
「・・・・・雛?」
 草をかき分けてみれば、そこには。
 フワフワとした産毛がまばらな、まだ幼い小鳥がポツリと。
「どうして、こんなところに・・・あ」
 頭上からせわしなく聞こえる鳴き声に木を見上げれば、親鳥と
思しき鳥たちが、啓太を威嚇するように飛び交っては、鋭い声を
あげていた。
「もしかして、この上に巣が・・・?」
 まだ、飛ぶ練習を始めるにも早そうな、頼り無い翼の小鳥である
から、何かの拍子に巣から落ちてしまったのかもしれない。だと
すれば、このままでは巣には戻れないだろうし、この学園島には
外敵になるような動物は、殆どいないとは思うのだが、それでも
やはりこのままで良いはずがない。
「・・・・・トノサマだって、いるしね・・・」
 鶏の空揚が好きなくらいだし、あんな顔しててもしっかり肉食
だったりする訳で。
 小鳥は、自力では戻れない。親鳥だって、運べない。
 だとすれば、方法は。
「・・・・・それしかないよな」
 呟いて、啓太がしゃがみこむと、幼鳥は幼鳥なりに身の危険でも
感じたのか、バタバタと羽を動かし高い声を上げて逃げようとする。
「攫ったりしないよ」
 そんな小鳥の抵抗に苦笑しつつ、啓太はそっと柔らかい羽毛に
包まれた小さな身体を手の平で掬うようにして包み込む。
 途端、親鳥の威嚇の声が一層大きくなったけれど、怯え切って
しまったのか、すっかりおとなしくなった小鳥をズボンのポケットに
そろりと収めると、意を決したように大木の幹に手を掛けた。
 木登りなんて、小学生の頃以来である。その時だって、こんな高い
木じゃなかったし、周りに友人だっていた。
 今は、ひとり。
 だけど。
「・・・・・待ってて」
 すぐに、巣に戻してあげるから。
 その気持ちだけで。
 啓太は、ゆっくりと木を登り始めた。


 意外と、何とかなるものだと思った。
 猿のようにスルスルとはいかなかったけれど、啓太は巣が作り付け
られている枝のあるところまで、どうにか辿り着いて。
 そして、しっかりとした枝で身体を支えつつ、兄弟たちが待つ巣の
中へと、小鳥をそっと戻した。しばらくは、呆然としたように動かな
かった小鳥は、暫くすると我が家に戻れたことに気付いたのか、他の
兄弟たちと仲良くピーピーと大合唱を始める。
 後は、啓太が立ち去ってしまえば、まだ警戒して離れた枝から様子
を伺っている親鳥も帰って来ることだろう。
「じゃあね」
 手の平に触れた小鳥の羽の柔らかさと温もりを、ほんのりと名残り
惜しく思いつつ、木から降りようと。
 して。
「・・・・・っ !! 」
 登っている時には、下を見る余裕なんてなかった。
 見上げた時には、あまり実感がなかった。
 だが、随分と高いところまで。
 啓太は、登ってきてしまっていたのだ。
「・・・・・ウソ・・・」
 地上が、遠く感じられる。
 とはいえ、登ってきたのだから、降りられないはずはない。
 そう思うのに、足が竦んでしまっていて。
 啓太は地面を見下ろし、引き攣った笑いを浮かべた。
 そういえば。
 子供の頃、やっぱり木登りしてして。
「・・・・・落ちた、っけ」
 あの時は、両親にもこっ酷く叱られたものだ。
 しかし強運のなせる技か、幸いにも擦り傷程度で済んで。
 それでも。
 あの、落下する恐怖だけは。
「うわー・・・イヤなこと思い出しちゃったよ・・・」
 スッと血の気が引くような、あの感覚。
 それは、今でも鮮明で。
 この高さならば、降りる途中で滑ってしまっても、そう大怪我に
なることは、ないだろうとは思う。
 大丈夫、だと。
 そう、思うのに。
 言い聞かせているのに。
 手が、震えてしまう。
 どうしよう。
 降りられない。

「・・・・・う」

 大声を出して人を呼べば、誰か来てくれるかもしれない。
 かなり恥ずかしいけれど、このままでは埒が開かないのも事実で。
 なのに、声まで震えてしまって。
 意気地なし、と自分を叱咤しつつ、何とか助けを呼ぼうと、口を
閉じては、また開いてを繰り返し。

「・・・・・だ、・・・」
「っ啓太 !? 」

 不意に。
 足元から聞こえた、声。
 それは。
「・・・・・っ、王様」
 呆気に取られたように見上げてくるのは、啓太が探しに出た、丹羽
その人で。
「な、何してんだ・・・お前」
 呆れたような、緊張感のない声で聞かれて。
 啓太は、情けないやら恥ずかしいやら、もうどうしようもなく顔を
赤くしながら、声を振り絞って叫んでいた。
「た、助けて下さい・・・っ王様 ! 」
 その泣き出しそうな声に。
 丹羽にも、ようやく事態が飲み込めてきたようで。
「降りられなくなっちまったのか・・・っつーか、何でそんな所に登っ
たり・・・」
「も、それは後で説明しますから・・・ここから降ろして下さいっ」
 ずっと遠い地面を見下ろしていると、何だか目が回りそうで。
 とにかく早く、下に降りてしまいたかった。
「降ろせ、ってもなぁ・・・」
 呟きながら、丹羽は周囲を見渡す。
 ハシゴがあれば良いのだろうが、この辺りにはさすがに置いていない
ようで。
「待ってろ、すぐハシゴか何か持ってきて」
「っ、王様・・・・・」
 確か、用具室にあったかなと見当をつけ、丹羽が踵を返そうとすれば。
 心細気な声が。
 降ってくるのに。
「おい、泣くなよ・・・啓太」
「な、泣いてなんかいません・・・っ」
 でも、泣きそうだと思った。
 宥めすかして待たせれば、すぐにハシゴを取って来れる。
 子供じゃないのだから、啓太だってそれくらい聞き分けられるはずで。

 だけど。

「・・・・・王様」

 どうしてか。
 このまま、啓太を置いて行くことが。
 出来なくて。
 ハシゴがなければ、助けてやることは出来ないのに。
 ただ、困惑したように。
 縋るように見つめてくる啓太を、見上げることしか。

 助けてやる、ことは。
 出来ないなんて。
 こと、は。

「啓太、俺のことどう思ってる」
「・・・・・は、い・・・?」

 一体。
 何を聞いているのだろう。

「どうなんだ、啓太」
「ど、どうって・・・王様は、王様で・・・強くてカッコ良くて、えっと
・・・頼りがいがあって、優しくて・・・俺、すごく尊敬してるし、王様
のこと大好きだって思ってま・・・・・」
「ああ、もういい」

 人に聞いておいて。
 啓太が口にする言葉に、頬を染めてしまったりして。
 ムズムズするような、妙な気持ちを誤魔化すように頭をガシガシと
掻きつつ、丹羽は真直ぐに啓太を見上げ。
「俺のこと、信じられるな」
「は、・・・・・」
「信じろ」
「・・・・・っ、はい」
 よし、と丹羽は不敵ともいえる笑みを浮かべ。
 そして、ゆっくりと。
 啓太に向けて、その両腕を広げた。

「来い、啓太」

 それ、は。
「・・・・・う、うそ・・・」
「嘘でも冗談でもねぇ。来い、啓太・・・飛び下りろ」
「っ、や・・・・・そんな、ことっ」
 丹羽の言葉とは裏腹に、啓太は木にしっかりとしがみつく。
 地上2階か、もしかしたらそれ以上の高さがあるのだ。
 それに、自分は小さい子供でもなく。
 丹羽の腕にかかる衝撃は、相当のものだろうし。
 それに。
「こ、怖い・・・ですっ」
 もしも。
 その衝撃に丹羽が耐え切れなかったら。
 自分だけではない、丹羽だって。
 怪我をしてしまうかもしれないのに。
「啓太 ! 」
「いや、です・・・っ無理、・・・王様・・・・・じゃ」
「無理じゃねぇ! 」
 ああ、とうとう泣いちまったな…と。
 そんなことを、ぼんやりと思いつつ。
「お前は、俺が受けとめてやる・・・絶対にだ。だから、来い、啓太」
「・・・・・王様・・・」
 信じろ、と。
 受け止めるから、と。
「・・・・・啓太」
 安心しろ、と。
 笑う、その顔に。
 引き寄せられるように。
「来いよ、ほら」
「・・・・・っ、王様・・・・・! 」
 手を、離す。
 宙に舞った身体は、真直ぐに。
 その。
「・・・・・、っ」
 腕の。
 中へ。
「あ、・・・・・っ」
「・・・・・ほら、な」
 大丈夫だっただろ。
 丹羽の明るい声が、耳のすぐ近くで聞こえる。
 しっかりと、受けとめてくれた、腕。
 胸元、抱き込まれて。
「・・・・・王様」
「もうちょっと、ガーッとくるかと思って身構えてたんだがよ・・・
啓太、お前ちょっと軽過ぎやしねぇか」
 背中を、ポンポンと叩く。
 その大きな手が、心地良い。
「重かったら、王様・・・受けとめられなかったでしょう?」
「う、・・・いや、そんなことはねぇ ! 」
「・・・・・でも、信じてました」
「ははっ、散々怖いだの嫌だのと喚いてたくせに」
 気持ち良いけど。
 どうして。
 抱きしめたまま、なんだろう。
「まあでも、無事降りられて良かったな」
「はい、・・・・・有難うございました」
「おう」
 離れない。
 腕が、しっかりと抱いたまま。
 離せない。
 抱きとめたまま、どうしても。

「・・・・・王様」
「ん?」
「・・・・・何でもない、です・・・」

 そろそろ戻らないとマズいんだろう、とは分っている。
 だけど、こうして重ねた身体が。

「・・・・・なぁ、啓太」
「はい?」
「あ、いや・・・・・何でもねぇよ」

 とても。
 気持ち良いから。

 だから、もう少しだけ。
 このまま。あと少し。
 もう少しで。





未満、なカンジ。
・・・・・じれったいーーーーーーーーー(暴)!!!!!!!!!!!
それにしても、頑丈ですな・・・王様(笑)v