『愛おしい、ヒト』




 王様は、猫が苦手だ。
 どうやら子供の頃のトラウマってヤツらしいんだけど、
その苦手っぷりというか、恐がり方は尋常じゃない。
 触ることは出来ないし、姿を目にするのも嫌。
 鳴き声聞いただけでも鳥肌を立てちゃうんだから、相当
のものだ。
 このことを知っているのは、俺や中嶋さんや西園寺さん
…極々少数なんだけど。やはり、生徒会長としての面子が
あるから、くれぐれも他言無用というわけで。
 王様…カッコ良くて、男らしくて、勉強も結構出来て、
運動神経もズバ抜けてて、リーダーシップもあって。
 ほんとに凄い人、なんだけど。
 この猫嫌いは、タマに傷というか。
 でも。
 誰にでも欠点というか苦手なものは、1つや2つあるもん
だし。
 それに。
 そういうところが、とても可愛い…と思う。
 とても。
 とても、愛おしいと思う、んだ。



「でも、やっぱり・・・直せるものなら、直した方が良い
と思うんですよね」
 放課後の生徒会室。
 俺が来た時には、ここには副会長である中嶋さんの姿しか
なくて。「丹羽を見なかったか」と聞かれて、俺はすぐさま
「見てません」と、きっぱりと答えた。
 下手に答えに躊躇すると、大変な目に遭うのは学習済み。
 お仕置き、と称してこの人は。
 ………また思い出しちゃったよ。
 とにかく、油断大敵なんだ、中嶋さんは。
 俺の答えに、中嶋さんは「そうか」と素っ気無く応えて、
書類の束を差し出した。いつものように、これを整理しろと
いうことらしい。
 素直に受け取って、向い合せの席に座り、俺は黙々と作業を
こなしていった。
 王様は、帰って来ない。
 今日も、お仕事サボるつもりなんだろうか。
 昨日は、俺もしっかり昼寝という名のサボりに、お付き合い
した。どうやら最近、お気に入りになってしまった俺の、膝を
枕にして…寝るんだよな。
 はっきり言って、恥ずかしいし…あまり長時間だと、足が
痺れてしょうがないんだけど。
 だけど、俺の膝枕で気持ち良さそうに眠る王様の寝顔を見る
のは、好きだ。精悍、な顔が…少しだけ、幼く見えて。
 重いけど、疲れるけど。
 でも、すごく。
 満たされる、っていうのかな。
 その時間を、俺はとても幸せだと思うようになっていた。

「・・・で、具体的にどうしたいと言うんだ?」
「え、・・・・・?」
「直せるものなら、云々と言っていたような気がするが」
「あ、・・・・・そうです、直してあげたいな、って思うんです
よね、俺っ!!」
 中嶋さんが、半ば独り言のような俺の言葉に耳を貸してくれて
いたことか嬉しくて、思わず机に身を乗り出すようにして応え
れば、その勢いに一瞬唖然とした後、眼鏡の奥の瞳が何やら含み
のある笑みに細められる。
「あいつが不能だとは知らなかったがな」
「・・・・・不能?」
 ククッと笑い混じりに告げられた言葉に、首を傾げれば。
「つまり・・・丹羽がインポで、それを治してやりたいと言うん
だろう、啓太は」
「イ、・・・・・・・っ違いますっ、王様のはちゃんと立派に、
・・・・・あ、あああああああっ」
 …なんで。
 なんで、こんな真面目に反論しちゃったりしてるんだよ、俺。
 目の前の中嶋さんの意地悪な笑みに、からかわれただけだって
のに気付いて。もう、絶対に顔なんか真っ赤になってるよ…。 
 …恥ずかしい。
 よりによって、イン………はぁ………むしろ、ちょっと元気
過ぎて困ってるくらいなのに………って、ああもう!!そんなことは
どうでも良くって!!
「相変わらず、見ていて飽きないな・・・お前は」
「・・・・・中嶋さん、真面目に聞いて下さい・・・」
 いかにも楽し気に笑う中嶋さんに、ただ溜息ばかりが漏れて。
でも、事情を…王様が猫が苦手だってコトを知っている中嶋さん
なら、協力してくれるかもしれない。
 ………多分。
「それで、ナニを治すんだ」
「・・・・・王様の猫嫌い、です」
「・・・・・・・なんだ、そんなことか」
 あからさまに呆れたような表情。
 というか、一体どんなことを想像していたんだろう…まさか、
ほんとに王様がイ………だとかって。あ、あははは…アレ、冗談
だよね。そうだよ、だから動揺してちゃダメだ、俺っ。
「そんなことか、って・・・結構重要な問題ですよ。世の中には
猫が何万匹いると思ってるんですか・・・此処には、トノサマ
しかいないけど、学園の外・・・には・・・・・」
 トノサマ。
 …あ。
 ………そうだよ、トノサマがいるんだ。
 だったら、もしかしたら。
「どうした、啓・・・」
「中嶋さんっ、俺すっごく良い方法思いついちゃいました!!王様、
この方法なら・・・少しずつでも、慣れて行ってくれるかも」
 突然ひらめいた企みに、ウキウキとしながら腕をブンブンと
振り回す俺を、中嶋さんは何となく胡散臭げに眺めていたけど。
「よく分からんが、面白そうだ・・・お手並み拝見といこうか」
「はいっ、頑張ります!!」
 自分でも吃驚するくらい元気よく返事をして、俺はウキウキと
椅子に座り直すと、やりかけの仕事に戻った。中嶋さんをチラリ
と見遣ると、やれやれ…といった風に少し肩を竦めて、やはり
書きかけの書類にペンを走らせ始めていた。
 今日は、この仕事が終わる頃には時間的に遅くなっちゃいそう
だし、明日だ。明日、思い付いたばかりの計画を実行する。
 うまく、いくかな。
 うまく、いくと良いな。
 ちょうど、海野先生の授業が明日の2時間目にあるから、話を
持ちかけてみよう。勿論、王様がトノサマを苦手だってことは
言わないけれど。
 ああ、明日。
 どうか、うまくいきますように!!



 翌日。
 放課後、前もって話をしておいた海野先生から、トノサマを
預からせて貰った。
 「トノサマは、伊藤くんのコトが大好きなんだよね〜」と、
ニコニコ笑顔で言われて照れつつ、トノサマを抱いて化学室を
出る。そして、向かう先は生徒会室。
 王様、今日もサボりなんだろうか。
 でも、王様がサボりに行く所は大体分かっているから。
 きっと大丈夫、と決意を固めつつ、辿り着いた生徒会室のドア
を数回ノックする。
 と。
「おお、やっぱり啓太か、……………な、なーーーーーーッ!?」
 中から声がしたと同時にドアが大きく開かれて。
 わざわざ出迎えてくれた王様が、その笑顔が。
 瞬時に強張ってしまったのは、その原因は俺の腕の中のトノサマ
であることは明白で。頬を引き攣らせながら、ゆっくりと後ずさる
ようにして、やがて書類棚の奥にバタバタと逃げ込むのを、俺は
溜息をつきながら見送って、でも。
 今日は。
 絶対に。
「啓太が大事な用が有るそうだと言って、引き留めておいたんだ
・・・感謝しろ」
 中に入ってドアを閉めると、中嶋さんが悠然と微笑みながら
腕組みをして立っていた。さてどうする、と興味深げな色が、
その眼鏡の奥の瞳には、はっきりと見て取れて。
「有り難うございます、中嶋さん。・・・王様、隠れてないで
出て来て下さい」
 応えは、なかった。
「王様っ・・・・・じゃあ、俺がそっちに行きますよ」
 それなら、と奥に向かって一歩踏み出すと、すぐに大きな溜息
が聞こえて、苦虫を噛み潰したような表情で、王様がのっそりと
姿を現した。
「・・・・・啓太、お前・・・どういうつもりだ」
 見るのも嫌、といった風に視線は逸らしたまま。
 ちょっと…切ないな。
「王様に、お願いがあるんです」
 そう告げると、一瞬こちらに視線を向けて…でも、トノサマを
見た途端、また眉を顰めて顔を逸らしてしまう。
「お願い、・・・・・なら聞いてやっても良いが、その前にソレ
をどっかに、やっちまってくれ」
「ダメですっ」
 きっぱりと言えば、驚いたような顔が振り返って。
 トノサマが視界に入ってしまって、かなり嫌そうな表情をした
けれども、視線は真直ぐに。
 逸らさずに、俺を見てくれたから。
 だから。
 どうか。
「お願い、です・・・・・俺を、抱き締めて下さいっ」
「は、ァ・・・・・!?」
 呆気に取られた貌。それも、予測済みで。
 トノサマを腕に抱いたままで、俺は王様に訴えかけた。
「このまま、・・・・・俺のこと、抱き締めて欲しいんです」
「啓太、お前・・・・・」
 呆然と俺を見つめる瞳は、困惑に揺れている。どうしたものか
と迷っているのか、分かる。
 けど。
 俺だって、もう後には退けないんだ。

「・・・・・そういえば、礼がまだだったな」
「えっ?」
 不意に。
 中嶋さんが、俺の背後に忍び寄っていて。
 肩越し、トノサマを撫でた手が、そのまま俺の首筋にも掠める
ように触れるのに。思わず、息を飲めば。
「有難う、の言葉だけで俺が満足すると思っていたのか…ふッ、
まだまだ躾が足りないようだな、啓太。丹羽は見てのとおりだし
…俺が抱き締めてやろうか…今、ここで」
「な、何を・・・・・っ」
 耳元に、フッと息を吹き掛けられる。
 いやだ、そんな。
 なんで、そんなことを。
「・・・・・っ、ヒデ!!」
「お前は、そこで木偶の坊のように突っ立って、見ているんだな」
 そして、中嶋さんの腕が。
 ゆっくりと、前に。
「っ、くそォ・・・・・っ!!」
 舌打ちと、忌々しげに唸る声。そして、ドカドカと大きな足音。
 中嶋さんの方に気をとられてしまっていた俺が、ハッとして顔を
上げれば、そこには。
「・・・・・っ」
 王様の、怒ったような顔と。
 そして。
 ぎゅっ、と。
 強く。
 強く、俺を包み込む腕の。
 力強く、熱い。
 苦しいぐらいの、抱擁。
 俺と王様の間に押し潰されてしまったトノサマが、ぶみゃあ、と
鳴き声を上げて抗議していたのに。
 でも、一瞬ピクリと肩を揺らしただけで。
 その腕は、俺を。
 強く、しっかりと抱き締めていてくれた。
「王様、っ・・・・・」
 嬉しい。
 嬉しい、よぅ。
 猫が苦手な王様が。
 こんな状況なのに、俺のこと。
 抱き締めて、くれている。
 だけど。
 でも、これって。
「王様・・・ごめんなさい、王様を試すようなこと、してしまって
・・・・・でも、俺・・・王様に・・・・・」
 ふと、罪悪感のようなものが胸を過って。
 逞しい肩に頭を押し付けるようにして、俺は謝った。
 すごく、ずるい方法だったと。
 今更ながら、分かってしまって。
「本当に、・・・・・ごめんなさい・・・・・」
 何度も。
 何度、謝っても。
 だけど、王様は何も言ってくれなくて。
 でも、俺を抱き締めたままで。
 ………王様。
 ……………どうして。
「・・・・・啓太、こいつには何を言っても無駄だ」
 すぐ傍らに歩み寄っていた中嶋さんが、溜息混じりに告げる。

「トノサマごと、お前を抱き締めたまま・・・・・気を失っている」
「え、ええええええええええっ!?」

 そんな。
 ことって。
 嘘、だろーーーーーっ!?




 結局。
 どうにか王様を引き剥がした中嶋さんが、トノサマを海野先生の
ところに帰しに行ってくれて。「今日は仕事にならんから、俺は
このまま帰る・・・・・後は、任せた」と、鍵を投げてよこした。
 そして、まだ放心状態の王様を、その頭を膝に抱くようにして、
俺もぼんやりと、しだいに暗くなっていく生徒会室で、奥のソファ
に座っていた。
「・・・・・ごめんなさい・・・」
 まだまだ、謝り足りなくて。
 時折、思い出したようにポツリと呟く。
 王様からの、返事はなくて。
 やっぱり、こんな方法はいけなかったんだと、自分が情けなくて。
 本当に、情けなくなって。
「・・・・・泣くな」
「は、え・・・・・っ」
 不意に。
 頬に触れた、手。
 目元を拭うように、やや乱暴な仕種で長いがっしりとした指が
撫でる感触に。
 また、溢れる…涙。
「王様、・・・・・俺、俺・・・・・っ」
「・・・俺の、猫嫌いをどうにかしようと、思ったんだろう・・・
ああいう手を、使ってくるとはな・・・」
「ご、めんなさ、・・・っ俺、王様に・・・っ酷い、ことっ・・・」
「ああ、もう泣くな」
 焦れたように身を起こして、王様は俺の隣に座り直すと。
「っ、・・・・・」
 強く。
 さっきとは、比べ物にならないくらいに、強い力で。
 俺を、抱き締めて。
「なぁ、・・・・・俺は、啓太を・・・抱き締めたいと思う・・・
抱き締めたいと思うのは、啓太だけなんだよ」
 耳元で囁く声は、熱を帯びて。
 そのまま、俺の身体も熱く震わせる。
「啓太だけを、・・・・・抱き締めたいんだ」
「・・・・・っ王様」
 泣くな、と言われたけれど。
 やっぱり、涙は止まらなくて。
 何度もそれを、拭っていた唇が。
 やがて、ゆっくりと。
 俺の唇に、下りてきて。
 優しいキス、から。
 深く、激しく変わっていく、のに。
 俺は、その広い背に縋り付くように腕を回して。
 与えられる熱に、酔いしれながら。

 もう1度、心の中で。
 ごめんなさい、と謝った。




 結局、俺の企みは失敗に終わって。
 王様の猫嫌いは、相変わらずだったけれども。

 だけど。
 やっぱり、そういうところも引っ括めて、俺はこの人が好きで。
 愛おしくて、しょうがないんだから。

 放課後、ふたり日向ぼっこして。
 王様は、いつものように俺の膝を枕に眠っていて。
 その、寝顔に俺は胸が一杯になって。
 こっそりと、そのおでこにキスをした。

 大好きです、と。
 想いを込めて。




王様×啓太でっす(爽笑)!!
微妙にヘタレ攻めな王様ではございますが、でも
やっぱりカッコイイんですよね・・・くふv
心を鬼にして、は啓太には無理だった模様v
・・・・・中嶋が良い人っぽくて吃驚です(謎)。