『Your eyes only』



 こんなはずじゃなかった。

 周囲のざわめきから取り残されたように、遠く。音が、酷く
遠くに感じる。まるで、見えない壁に隔たれた空間に置かれて
しまったように。
 コートの上、ネット際で崩れるように膝をつき倒れる長身。
 その光景を、啓太はただ呆然と。
 瞬きすら出来ずに見つめていた。



 目の前で起こったことが、信じられなかった。
 試合は中断。その人は担架に乗せられ、救護室へと運ばれて
行った。しばらくして、救急車のサイレンの音が聞こえてきた
から、そのまま何処かの病院へと向かったのだろう。
 大丈夫、だったのだろうか。
 怖くて。
 まるで逃げるように、啓太は観客席を後にした。
 どうやってこの寮の部屋まで戻ってきたのか、その記憶すら
なくて。
 ふと気付けば、薄暗くなった室内に、あれからどれくらいの
時間が経ったのだろう、と。
 ふと、枕元の目覚まし時計に目をやれば。

 コンコン。

 ノックの音に、ハッとしてベッドから立ち上がる。
 多分。
 いや、きっと。
 ドアの向こうに立っているのは、間違い無く。

「な、・・・・・っんん」
「ハニー、ハニー・・・っただいま、啓太っ ! 」
 ドアを開けると同時に飛び込んできた、その腕にギュウギュウ
と抱きすくめられ、胸元に顔を押し付ける形になってしまって、
啓太は呼ぼうとした名前を、音に出来ずに。
 けれど。
 相変わらず、熱烈な抱擁を解こうとしない、その。
 恋人、の名を。
 胸の中で、啓太は噛み締めるように呟いていた。

 …成瀬さん

「ずっと探してたんだよ・・・どこにもハニーの姿が見付けられ
なくて、・・・ああでも試合があんな形で中止になってしまって
大変な騒ぎになっていたから、もしかしたら困ってしまって寮に
先に帰ってしまったのかな、って・・・ゴメンね、ハニー・・・
せっかく応援に来てくれたのに、あんなことになるなんて僕も」
 あんな。
 ことに。
「あ、の人・・・っどう・・・・・」
「啓太?」
 どう、なったのだろう。
 コートに倒れて、動かなくなった。
 成瀬の、対戦相手だった人は。
「どう、なったんですか・・・っあの人、成瀬さん・・・っ」
「ハニー、・・・啓太どうしたんだい、真っ青だよ・・・ねえ、
啓太」
「だって、俺・・・俺が、あんな・・・こと、っ・・・・・」

 対戦相手は、成瀬がまだJr.スクールに通っていた頃からの
ライバル的な存在だったと、聞いていた。向こうの方が、ほんの
少しランクが上なんだけど、すぐに追い越すつもりだからね、と。
今日の試合、勝利は君に捧げるよ…なんて。そんな甘ったるい
言葉に、しっかり耳まで真っ赤にしながら、どうにか頷いた。
 それから、まだ半日も経っていない。
 そして。
 昼過ぎから始まった試合は、ラリーの続く熱戦となった。
 どちらも、一歩も譲らず。
 ただ。
 啓太の目にも、成瀬の方が少し押され気味に見えていた。
 逆クロスに打ち込まれ、どうにか返した球は、僅かにネットに
触れ、サイドラインを割る。
 あと少し。
 なのに。
 追いつけない。
 膝に置いていた手は、いつしか祈るように胸の前で組まれる。
 どうか。
 どうか、と。
 成瀬の勝利を祈る、その思考の狭間に、するりと。
 潜り込み、通り過ぎていった。
 昏い。

 もし。
 相手が、例えば。
 急に体調悪くなったり、そう。
 ほんの少しだけ。

 そんな。
 何てこと考えてるんだ…と、自分の中を過った思いを断ち切る
ように、ゆるゆると首を振り、コートに視線を戻した、瞬間。
 倒れたのだ。
 自分が図らずも、そう。
 願った、通りに。

「俺は、・・・とんでもない、ことを・・・っどうして、あんな
こと・・・考えたり、っ・・・・・」
 蒼白な啓太の肩を抱くようにして、どうにかベッドに座らせ、
その隣に寄り添うよう腰を下ろして。成瀬は、啓太の言葉の1つ
1つを、ただ静かに聞いていた。
 沈黙。
 宥めるように、ずっと啓太の背を優しく撫でる手は止まること
は、なかったけれど。
 ただ、話の途中。
 幾度か、微かに。
 成瀬の形の良い唇から、溜息のようなものが零れるのを。
 啓太は、気付いてしまっていた。
「・・・・・そんな、ことを・・・」
 ポツリ、と。
 長い沈黙の後、成瀬が呟く。
 ああ、やはり。
 呆れている?
 それとも、それとも。
「・・・・・」
 嫌われて。
 しまったんだろうか。
「悲しいよ、ハニー・・・」
 ああ、そう。
 やっぱり。
「ずっと、僕を見ててくれていると思っていたのに」
「・・・・・え」
 微妙に。
 方向性が、ずれているような気がして。
 訝しげに、啓太が顔を上げれば。
「試合の間中、啓太はずっと僕のことだけ見て、僕のことだけを
考えてくれてるんだって、そう思ってたのに・・・ほんの一時でも
僕のハニーは、あいつのコト見て・・・考えてたんだね」
 どうして。
 そんな、拗ねたような表情で。
 そんな、ことを。
「成瀬、さ・・・ん」
「・・・でも、しょうがないね。今日の僕は、ハニーにカッコイイ
ところを見せたくて、良いカッコしたくて、何だか張り切り過ぎて
空回りしていたかもしれないから・・・うん、ホント情けないけど
それは認めるよ」
 肩を竦めながら、そんな。
「そう、じゃな・・・くて、俺・・・は」
「ハニーの視線を釘付けにしたかったら、もっと色んな面を鍛え
なくちゃいけないよね、うん」
「・・・っ、成瀬さん ! 」
「啓太」
 つ、と。
 成瀬の人さし指が、啓太の唇に押し当てられる。
「昨日から、熱があったらしいよ。でも、どうしても試合に出るん
だ、って・・・かなり無理をした。向こうのコーチが言ってたよ」
 見上げた先には、柔らかな。
 笑顔。
「体調万全にして、また戦いたいって伝言も聞いた。でも、調子が
悪くて、あんな球打てちゃったりするんだから、やっぱり凄いよね
彼は・・・負けていられないな、僕も」
 ゆっくりと頬に滑らされた手は、じんわりと温もりを伝えて。
 もう、それだけで鼻の奥がツンとしてしまうのに。
「見ていて、ハニー・・・僕を。もっとずっと、君の目にはステキ
に映りたいけれど、でもちょっとだけカッコ悪いかもしれない僕も
見ていて欲しいな・・・全部、啓太に見ていて欲しい、ね・・・」
 僕のハニー、と。
 囁かれた言葉も。
 吐息も。
 キスも、ほんのりと甘くて。
「見て、ます・・・っ」
 溶けそうで。
 一緒に。
「成瀬さん、だけ・・・っ見ていたい、から・・・っ」
「うん」
 微笑って。
 また、啄むようなキス。
「でもね、ハニー」

 キスする時は。
 目を閉じてて良いんだよ。






遅刻しておりますが、成瀬さん御誕生日おめでとう!!
ついでに、メリークリスマス!!
・・・・・誕生日ネタでもクリスマスネタでもナイけど!!
ナニはともあれ、勝利の女神(♂)を腕に、連勝街道を
突っ走る予定であります、成瀬由紀彦・射手座O型!!