『essence』




 触れる度に。
 確実に変わっていく様が、愉しいと思った。
 元々在るものを引き出したに過ぎないのか、自分の手が
創り変えてしまったのか。
 本質、なのだろうと。
 指摘してやれば、すぐさまそれを否定しつつも、身体は
快楽に溺れていく。
 心も。

 だが、自分は変わらない。
 ここに在るものが、本来の自分の姿であると。

 変わらない。
 変えられることなど、あるはずがないのだと。

 だが。
 これ、は。



 街へ出たのは、ほんの気紛れだった。
 特に何か目的があったわけではないが、近くまで寄った
ついでとばかりに、色々と面白い小道具でも見繕ってやるか
と、大通りから道を1本逸れようとして。
 信号のないその道路は、幹線への抜け道にもなるという
こともあって、以外と交通量が多い。横断歩道こそ設置は
されてはいたが、その手前で多少減速する車はあっても、
歩行者のために停止までしてやろうという車は、殆どない
に等しかった。
 そこを横断するつもりはなかったのだが、何故だか。
 つい、足が止まってしまったのは。
 行き交う車に向かい側の歩道に渡れずに立ち往生する、
ひとりの老婦人が視界に飛び込んできた、から。
「・・・・・だから、何だというんだ」
 普段なら、気にも留めない存在。
 たとえ視界の隅に捕らえてしまったとして、わざわざ意識
して立ち止まることなど、ないはずなのだ。
 自分の行動を不審に思う前に、ふと中嶋の脳裏を掠めた貌。
 ああ、そうか。
 あいつなら、おせっかいにも老女に声を掛け、そして。
「・・・・・くだらない」
 啓太、が。
 取るであろう行動が、見てきたように分ってしまう。
 だからといって、自分には同じようなことをする理由など
ない。
 このまま。
 何事もなかったように。
 何も見なかったと、踵を返せば良いだけのことだ。
 相変わらず、おろおろと立ち竦む老婦人から視線を外し、
その場から立ち去ろうとした、時。

「邪魔なんだよ、ババァ ! 」
 けたたましいクラクションと共に罵声が響く。
 肩ごしに振り返れば、意を決して横断歩道を渡ろうとした
のだろうか、一歩前に足を踏み出したまま、怯えたように
立ち尽くす老女の姿と、苛立ったようにアクセルをふかして
通り過ぎる車の排気ガスが、目の前を過った。
 後続の車も、同じように警告を込めて何度もクラクション
を鳴らしては、殆ど通せんぼでもするかのように、次々と
スピードを上げて走り抜けていく。
 これでは、当分あちらへは渡れまい。
「・・・ちッ」
 苛々する、のは。
 こちらも同じだったけれども、それよりも。
 響くクラクションと怒声が、堪らなくうっとおしい。
「どいつもこいつも、・・・馬鹿ばかりだ」
 忌々しげに吐き捨てながら、中嶋は大きく足を踏み出すと、
通り過ぎる車を困ったように眺めて溜息をつくばかりの老女の
腕を、半ば強引に掴んだ。
「ぐずぐずするな」
 腕を引き、白く引かれた先の上に共に歩み出すと、近付く
車両に----ドライバーに向けて、示す…というよりも、完全に
制止する意思を込めるように、スッと手を半分上げて。そして
とどめのように、ややスピードを緩めた車の運転席を、銀の
フレーム越し、冴え冴えとした視線で射抜いた。
 止まれ、と。
 声にはしなかったものの、その命令にも等しい言葉は、だが
しっかりと伝わっていたようで。
 きっちりと停止線の手前で止まった車を一瞥し、中嶋は堂々
とした足取りで老女の腕を取り、引きずるようにして反対側の
歩道までを、走ることもなく渡り切った。

「もう少し先に行けば、信号があるだろう」
 そこを渡れば済むことなのにと匂わせつつ告げれば、突然の
出来事に呆然としたままの老婦人の顔が、ハッとしたように
中嶋を仰いだ。
「ああ、そうやねぇ・・・ほんま済みませんでしたねぇ・・・
せやけど、有難う・・・お兄ちゃん」
「・・・・・」
 皺だらけの顔を増々皺くちゃにして、その老婦人が人懐っこい
笑顔を向けてくるのに。
 中嶋は、どう応えるべきか咄嗟に惑い。
「・・・・・気を付けるように」
 どうにか。
 それだけを告げれば、愛想笑いすらも出来ない中嶋であった
はずなのに、それでも嬉しそうにコクコクと頷く。
「ああ、そうや・・・これ」
 どうにも居心地の悪い空気に限界を感じて、軽く手を上げて
中嶋が立ち去ろうとすれば。
 ジャケットの裾を、クイと引かれて。
 まだ何かあるのかと肩ごしに小柄な老女を見下ろせば。
「ほんま、おおきにや」
 にっこりと笑って、差し出された手に。
 弾みのように応えてしまったことは、中嶋自身全く訳が分から
なかったのだけれど。
 微笑みながら何度も頭を下げつつ去っていく老婦人を、半ば
呆然としながら見送って。
 そして、中嶋の手に。
 残された、もの。
「・・・・・ふぅ」
 いっそ捨ててしまっても良かった。
 だが、結局ひとつ溜息をついて。
 手の中のものを無造作にポケットに突っ込むと、中嶋は元来た
道を、ゆっくりと歩き始めた。
 良いことをした、などとは思わない。
 晴れ晴れとした気持ちになど、なるはずもない。
 ただ、訳の分からないモヤモヤとしたものが胸の中、残って
いて。
 何とはなしにフレームを指で押し上げつつ、またひとつ。
 溜息が零れた。



 寮に帰り付いたのは、まだ夕方というにも早い時間。
 休日で、皆それぞれに外出しているのだろうか、ロビーや廊下
にも人影は、まばらで。
 特に見知った顔に会うこともなく、中嶋が真直ぐに辿り着いた
のは、昼前に立ち去ったばかりの。
 啓太の、部屋。
 勝手知ったるとばかりにドアを開ければ、中は出ていった時と
変わらぬ様子のまま。
 ベッドの中、俯せに枕を抱き締めるようにして眠る、裸体。
 さすがに、この時間ならば既に起きているだろうと思っていた
のに、どうやら気を失うようにして眠りに落ちた明け方から、彼
は昏々と眠り続けているらしい。行為の後始末は、してやったの
だが、昼前には目を覚ますだろうと、パジャマまで着せることは
しなかった。
 掛けていた毛布から覗く肩に、鬱血とは違う紅い跡が見える。
 背後から貫いた時に、噛みついてやったらイイ声で啼いたな…
と、口元に薄らと笑みを敷きながら、ふと。
 思い立った、ように。
 ポケットの中、忘れかけていたものを取り出すと、眠る啓太の
頭の上に。
 降らせるように、それをパラパラと落とした。
「・・・・・っ、い・・・・・」
 コツリと当たったそれに、僅かな痛みを感じたのか、やや掠れ
た声を上げつつ、啓太はゆっくりと覚醒する。
 ぼんやりとした瞳が、目の前に転がるものと、そしてベッドの
脇に立つ中嶋を捕らえて、零れんばかりに大きく見開かれた。
「な、中嶋さん・・・・・っ、これ・・・?」
「・・・・・ああ」
 起き上がろうとして、まだ身体が辛いのだろうか。やや顔を
顰めながら、毛布に包まるようにしてベッドの上に正座した啓太
に、中嶋は淡々とした声で告げる。
「お前に、くれてやる」
「え、・・・あ、有難うございます・・・・・っ、えっと・・・
あの、これ・・・どうし・・・・・」
「お前のせいで、受け取るはめになったんだ。片付けろ」
「な、何ですか・・・それ」
 困惑の面持ちで中嶋に向けていた視線を落としつつ、啓太は
ベッドの上に散らばる幾つもの-----飴の包みを、ひとつひとつ
拾い集め始めた。
「俺、この飴・・・好きなんです」
 全て掻き集めて。
 手に一杯の飴に、啓太は中嶋を見上げ、微笑った。
「甘酸っぱいイチゴの飴の中に、甘いミルクっぽいのが入って
いて、何だか懐かしい味がするんですよ」
 嬉しそうに語る啓太を、中嶋は無言で見下ろしていた。
 飴など、殆ど口にした記憶はない。せいぜい、喉飴といった
類いのものだ。それでも、極力甘味の少ないものを選ぶ。元々
甘いものは好きではなかったから、飴玉ごときでそんなに喜ぶ
というのは、どうにも理解し難いものであり。
「ならば、せいぜい奇麗に片付けてくれ」
「っ、は・・・はい」
 いますぐにでも、といった意味にでも取ったのだろうか。
 啓太は慌てて手の中の飴をひとつ摘むと、包みを外して投げ
込むように口の中に放り込んだ。
「・・・・・」
 クルリと、口の中で舌が飴を回転させるようにしている様子が
見て取れる。しばらくモゴモゴと口を動かしていた啓太は、その
顔をゆっくりと綻ばせて呟いた。
「美味しい・・・です」
「・・・そうか」
「えっと・・・中嶋さんは」
「俺に、これを食えというのか」
 片側の頬を微かに膨らませているのは、その内側に飴を収めて
いるせいかもしれない。両頬ならば、まるでリスかハムスターだな
と、そんなことを考えつつ見遣れば。自分だけが美味しいものを
食べているのが申し訳ない、とでも思ったのだろうか。そっと膝の
上に置いた飴と、そして中嶋の貌とを交互に見比べて、おずおずと
口を開くのに。
「どうしてもと言うのなら、味見してやってもいい」
 せっかくだからな、と唇の端を吊り上げたまま。
 え?、といった表情の啓太の顎を指先で掬い、素早く口付けると、
薄く開いた唇の隙間から強引に舌を滑り込ませる。
「っ、・・・・・」
 口腔は、酷く甘ったるく。
 目的のものを舌先で捕らえると、中嶋は早々に唇を離した。
「・・・・・こんなものが旨い、とはな」
 自分の舌の上に奪い取った、飴。
 啓太の口の中で溶かされ、幾分小さくなっていたけれども、その
甘味と独特の酸味は、馴染みのないもので。
 それでも、舌の上で何度か転がしているうちに、不意に。
 固い飴の部分に小さく亀裂が入り、舌先に感覚の異なる甘さが
広がっていく。
「なるほど、・・・ミルクか」
 イチゴの飴の中に、ミルク味のするものが入っているのだと、
そういえば啓太が言っていたような気がする。練乳のような風味
といったところか。
 薄らと笑みを浮かべつつ、中嶋は小さくなってしまった飴に
軽く歯を立てればそれは簡単に崩れ。口の中に、ミルクの甘味が
いっぱいに広がる。
「・・・・・お前と同じだな」
「は、・・・・・えっ?」
 飴を舐める中嶋の様子を、呆然と見つめていた啓太が怪訝そうに
瞳を瞬かせるのに。
「俺が、しゃぶってやっても・・・歯を立てても、こうして中から
ミルクを出す」
「・・・・・、っ」
 この言葉が意味するところに気付いた啓太が、頬にサッと朱を
敷くのに。
「こんな、いやらしいものが好きなんだな・・・お前は」
 ククッ、と喉の奥で笑いながら。
 反射的に退こうとする身を、そのまま突き倒すようにしてシーツ
の上へと押し付ける。ベッドが2人分の重みに軋む音と、微かな
衣擦れの音と。
「中嶋、さん・・・」
 怯えたような、それでいて。
「いやらしいお前には、似合いだな・・・啓太」
 期待を孕んで震える声に、ゆるりと唇が弧を描いて。
 重ねた唇は、やはり酷く甘ったるく。
 いつもなら、不快感に眉を顰めるところであったけれども。
 せっかくだから、しっかりと味わってやろう、などと思ってしま
えば、ふと笑いが込み上げてきて。それを苦笑で誤魔化すようにして
顔を埋めた首筋に、噛み付くように歯を立てれば。
 投げ出されていた頼り無い腕が、縋るように中嶋の背に回された。

「甘いのは、好きじゃない」

 味覚が変わってしまったとは、思わない。
 こういう日も、あるのかもしれない。

 変えられるものなら。
 変えてみせるがいい。






私も好きです、あの飴(悦)v
お婆ちゃんの腕を引いて横断歩道を渡る中嶋は
ビジュアル的に、とてつもなく違和感が(震)!!
ありえねぇ!!!!とか絶叫しつつ(ヲイ)。
甘いモノ苦手の中嶋が啓太を食った時点で、もう
決定なのです(何)vくくくv