『melty lover』



 6月9日。
 その日は、和希の誕生日だ。
 一応、というか…その、恋人…の誕生日の御祝をしたくて
そして、何か贈り物をしたくて。
 和希だったら、多分どんなプレゼントでも喜んで受け取って
くれるんだ、とは思う。実際、それとなく欲しいものを尋ねて
みたら、そう言われたし。
 啓太自身がプレゼントってのもありなのかな、ってスルリと
頬に指を滑らせながら、問うてきたりするから、驚いて思わず
壁に張り付くようにして逃げてしまったんだけれど。

 俺は和希のもの、なんだから今更…。
 
 ポツリと。
 呟いてしまえば、途端。
 顔が一気に熱くなって、きっと絶対に真っ赤っかになってる
それを、見られたくなくて俯けば。
 空気が、揺れて。
 近付く、気配。
「啓太」
 優しい声に、おずおずと顔を上げようとして。
 微笑っているだろう和希の表情を見る、前に。
 柔らかく、だけどしっかりと。
 包まれて。
 抱き締められて、俺は。
 酷く安心して、そのまま。
 目を閉じていた。



 そして、和希の誕生日を目前に控えた日の、夜。
 夕食の片づけを終えて帰ろうとする、寮の食堂のおばちゃんたち
の励ましを背に、俺は悪戦苦闘していた。
 『誰でも簡単に作れる、イチゴのデコレーションケーキv』という
タイトルのレシピを覗きながら、何とか型に流し込んだスポンジに
なるはずのものを、オーブンに押し込む。
「簡単・・・じゃない気がする・・・」
 タイマーをセットして、俺は知らず滲ませていた額の汗を手の甲
で拭う。ケーキ作り、なんて言うと何だかフワフワと可愛らしい
イメージがあるけれど、これは結構な重労働だと思う。
 後でホイップも作らなきゃ…これも、大変そうだ。
 そう、俺はひとり黙々とケーキを作ろうとしていた。


 それは、明日に控えた和希の誕生日の、ため。
 手作りのケーキで御祝したいなぁ…って思って、でもそういうの
って、女の子みたいだよな…という迷いもあったりで。放課後に
図書室で御菓子作りの本-----まさか置いてあるとは思わなかった
けれど-----をぼんやりと眺めていたら、不意に肩にそっと置かれ
た手。

 …伊藤くんが作るんですか?

 声を掛けて来たのは、資料を返しに訪れたらしい七条さんで。
 尋ねられて、どうにも誤魔化すのが下手な俺は、和希の誕生日に
ケーキを作ろうかなと思案していたのを、白状させられてしまって。
 それは随分と羨ましいことですね、と微笑う貌に、そこはかとなく
ヒヤリとしたものを感じつつ。それでも、七条さんが「それならば
良いものがありますよ」と俺の手を引いて会計室に連れて行って。
事情を知った西園寺さんにも、苦笑混じりに「羨ましい男だな」と
言われたりしながら、その場でプリントアウトしたレシピを受け取る
ことになって。


 で、結局。
 食堂のおばちゃんたちの許可を貰って、そのレシピを見ながら俺は
ケーキ作りに励んでいるというわけで。
 デコレーションに使う生クリームやイチゴの準備をしている内に、
辺りにスポンジの焼けてくる良い匂いが漂ってくる。
 ちゃんと綺麗に膨らんでくれれば、成功だ。
 焼き上がりにドキドキしつつ、もう使わないボールを片付けたり
して、タイマーの残り時間を何度も見る。
 チーン、と。
 人気のなくなった食堂に、やたらと音が響いたのが、ちょっぴり
恥ずかしかったりしたけれど。
 おそるおそる、オーブンから引き出したスポンジは、見た目も
美味しそうに綺麗に焼き上がっていて。
 ウキウキと引き出して、ゆっくりと冷ましながら仕上げの準備。
 ホイップクリームとイチゴの、シンプルなケーキ。
 まん中に、溶かしたチョコレートで「Happy Birthday, KAZUKI」
の文字を入れて。
 あとは。
「・・・・・それが、問題なんだけど」
 完成したケーキと、そして多めに準備していた『あるモノ』を
交互に見つめながら、俺は小さく溜息をついた。



 午前零時まで、あと少し。
 6月9日に日付けが替わる頃に部屋に行くからね、って和希には
伝えてあったから。
 夜中だし、軽く控えめにドアをノックすれば、すぐに開かれたドア
の向こう、嬉しそうに微笑う和希が迎え入れてくれた。
「11時前から、ドアの方ばかり見ていたよ」
 ちょっと照れくさそうに笑ってベッドに腰掛ける和希の隣に、俺も
腰を降ろす。
 そして。
 2人の視線が辿り着く先、アナログな時計の長針と短針が。
 カチリと。
 重なる。
「・・・・・御誕生日おめでとう、和希」
「有難う、啓太」
 御祝の言葉を贈る俺の唇に、和希のそれがフワリと重なる。
 優しいキスに、そのまま浸ってしまいそうになるけれども、でも
まずは。
「あ、・・・・・えっと、和希・・・これ」
 今まで頑張って作ってた、んだから。
 そろりと唇を離して、膝の上に置いていた箱を差し出す。
「もしかして・・・」
 軽く首を傾げながら、和希が白い紙の箱を開く。
「・・・・・すごい」
 その中に収められたケーキを見て、和希の瞳が驚きに見開かれる。
 ケーキだろう、って予想はついていたみたいだったけど、だって
作った俺もびっくりするくらい、それはちゃんとしたデコレーション
ケーキに仕上がっていて。
「味も、多分・・・大丈夫だと思うんだけど」
 飾り付ける時に薄く削いだ表面を少し口に入れてみたら、結構
美味しいかもって思ったから、きっと…大丈夫のはずで。
「・・・・・手作り・・・啓太の、手作りのバースデーケーキ」
 半ば呆然と呟く和希の表情が、ゆっくりと。
 俺を振り返って、綻ぶ。
「俺は、世界一幸せな男だよ・・・啓太」
 有難う、と。
 今度は頬に、優しいキスを1つ。
「何だか、食べるのが勿体無いな」
「でも、食べてくれないと。せっかく、和希のために頑張ったんだ
からっ」
「そうだな、じゃあ一緒に食べようか」
 そう言って、一旦箱ごと俺に預けて、取り皿になるものを探そう
と、するのに。
「和希、その前に・・・大事なこと」
「え・・・?」
 怪訝そうに振り向く和希に、箱と一緒に持って来た小さな紙袋を
差し出す。
「何?それも、俺に?」
「うーん、まぁ・・・そうなんだけど」
 また戻って来て隣に腰を降ろした和希は、紙袋を受け取って。
 そして、中身を覗いた途端。
 浮かべていた笑みが、微妙に強張る。
「・・・・・啓太、これ」
「うん、バースデーケーキには、これがないと」
「・・・・・そう、だな・・・でも」
「そう、数が分からなくてさ」
 引き攣った笑顔の和希から、紙袋をそっと奪って。
 その中身を、膝の上に広げて見せる。
 転がり出たのは、バースデーケーキには必需品の。
 細くて小さな、色とりどりのロウソク。
 取り敢えず、30本。
「さ、自分の年の数だけケーキに飾って」
 まとめて、和希の目の前にズイッと押し出せば。
 動揺を隠せない視線が、ゆるりと逸らされ宙を彷徨う。
「和希」
「け、啓太・・・適当で良いじゃないか、なぁ。あんまりたくさん
乗せられないだろうし」
「細いから、平気だよ。ほら、早く」
「・・・・・っ、はぁ・・・・・」
 落ち着きのない動きをしていた瞳が、やがて観念したように俺の
元へと戻る。
 そして、俺の手からロウソクを受け取ると、ひとつずつ
ゆっくりと白いケーキの上へと円を描くように並べて飾っていく。
 1、2、3、4、・・・・・。
 20を超えたところで、俺はこっそりと和希の表情を盗み見た
けれども。もしかしたら、怒っているかもしれないな…という危惧
は、苦笑混じりの顔に消し飛ばされて。
「完成」
「・・・・・え、ええ・・・っ」
 ロウソクを並べ終えた和希が、俺の方を向いてニッと笑う。
 そして、ケーキの上には。
「ぜ、全部って・・・・・ウソっ」
 和希。
 さ、30歳…になったのか!?
「勿体無いから、全部飾った」
「も、・・・・・それって、意味ないっ!!」
 勢いに任せて立ち上がろうとした俺の膝から、和希が慌ててケーキ
を取り上げて、ローテーブルの上に避難させる。
 あ、危ない…せっかくのケーキ、落としてしまうところだった。
 いや、それはともかく。
「どうして・・・っ、そんなに本当は幾つなのか、知られるのが
ヤなんだ!?」
 知られたく、ないんだ。
「・・・・・俺にも・・・教えては、くれないんだ・・・」
「け、いた・・・」
 どうして。
 俺にも打ち明けられないような、ことなんだろうか。
 俺には。
 俺にだけは、教えてくれたって良いのに。
「・・・・・知ったら、驚くよ・・・多分」
「い、今更・・・和希が理事長でカズ兄だったってだけで、俺には
十分びっくりな出来事だったよっ」
「・・・啓太」
 そう、和希は。
 この学園の理事長で、そして俺が幼い頃大好きだったカズ兄で。
 そして。
「・・・・・こ、恋人・・・なのに、なのに和希が何歳になったの
かも知らない、なんて・・・っう・・・う・・・・・」
「っ啓太、ごめん・・・ああもう、何やってんだ・・・俺っ」
 グシャグシャと、和希が苛立ったように自分の髪を掻き乱している。
 今度こそ、本当に。
 …怒った…?
「つまらない、意地なんだ・・・お兄ちゃん、ならまだしも・・・
おじさん、なんだって思われたら・・・俺、ちょっと立ち直れない
かもしれないな、って・・・だから」
「・・・・・そんなこと、思わない」
「うん、・・・・・でも、何ていうか・・・若者振りたかったって
いうか」
 …若者、って。
 そんな、年…なんだろうか。
「それに、いずれは啓太にも分かることだと思ったし・・・戸籍謄本
とか、そういうの見たらさ」
「・・・・・戸籍謄本?」
 何で、俺が和希の戸籍謄本なんて見ることがあるんだ。
「本当なら、婚姻届で・・・なーんてのが一番嬉しいんだけど」
「婚姻届、・・・・・婚姻 !?」
 誰の、って。
 聞こうとして、だけど。
 和希の俺を見つめる、真直ぐな瞳に。
 もしかして、でも、それって。
 …やっぱり。
 …そういうこと、なのかな…って。
「早いとこ、日本の法律変えないとなぁ・・・」
 …誰が変えるんだろう。
「・・・・・なぁ、啓太」
「え、っと・・・・・あの」
 思い掛けない発言に、何をどう応えて良いものやら困惑する俺の。
 手を、そっと。
 握って。
「好きだよ、啓太・・・・・愛してる」
「っ、・・・・・」
 熱を帯びた瞳に。
 捕らえられる。
「紙切れの上の契約なんて、本当はどうでも良いんだ・・・だけど、
俺は・・・・・」
「和、希」
 顔が、近付いてくる。
 キス、されるのかな…って。
 思わず、目を閉じてしまえば。
 でも、唇は触れてこなくて、だけど。
 耳元。
 吐息が、囁く。
「一緒に、なろう・・・啓太」
 …それ。
 …もしかしなくても。
 ……プロポーズ、なんじゃ…。
「か、・・・・・」
「…歳の誕生日の御祝に、啓太の返事が聞きたいな」
 返事って、そんな…いきなり言われたって。
 …え。
 今、確か。
「和希、今っ・・・・・年・・・」
「おじさんで、びっくりしたか?」
「そんなこと、ない・・・って、いやそうでなくて、あの・・・」
「啓太」
 返事。
 待ってるんだ、和希。
 そんなの。
 いきなり、だけど。
 そんなのは、ねぇ。
「い、今更・・・なんだよ・・・っ」
「・・・・・聞きたい」
「・・・・・うー」
 言わなくても、分ってるくせに。
 でも。
 言わなきゃ分からない、よね。
 ちゃんと。
 俺も、言わなきゃいけないんだ。
「俺も、和希が・・・好き。大好き・・・・・あ、愛して・・・る
から、だから・・・・・一緒に、いたい・・・ずっと、ずっと」
「・・・・・啓太っ!!」
 言い終わらない、うちに。
 俺は、しっかりと和希に抱き締められていて。
 …ちょっと、苦しい。
「か、和希・・・・・あ、ケーキ!! 食べないと、だから・・・」
「啓太、甘くて良い匂い・・・美味しそうだ」
「それはケーキ作ってたからで、ねぇ・・・和希ってば、も・・・」
 じたばたと暴れる俺を、ベッドの上に縫い止めて。
 キス。
 唇に。
 頬に。
 たくさん。
 たくさん、降りてくるから。
「・・・・・もう」
 ケーキより、啓太だ…って。
 それって微妙に、オヤジギャ…っと、それは言わないでおくけれど。
 冷蔵庫に入れておかないと、生クリームが溶けてしまうそうな気が
する、けれど。
 だけど、ねぇ。
 熱くて。
 俺の方が先に、溶けちやいそうだよ。
 だから。
 全部、責任持って食べてもらわないと。
 …なんて。
 何だかちょっと怖い気がして、言えなかったけれど
 でも、一応。
 …そういうこと、だから。





食わせろーーーーーーッ(落ち着け)!!!!!!!!!!!
ああもう、そりゃあケーキより啓太だろうさ!!
甘いぜコンチクショウ・・・ッ!!と拳震わせつつ
御誕生日おめでとう、和希v
個人的に、三十路ちょい手前希望(笑)。