『好きのしるし』




 彼に出逢ったのは、木々の緑が濃くなる、初夏。
 いつものように木陰で本を読んでいた、その視界の隅に。ふと
入って来た、小さな足。
 後で知ったことだけれども、子供達の間で大人気らしい特撮の
ヒーローものの絵柄がプリントされた、シューズを履いて。
 横文字の並ぶ本を、まじまじと覗き込んでいる、子供。
「・・・・・君は?」
 そろりと声を掛ければ、少し癖のある柔らかそうな髪が揺れて。
 澄んだ、大きな瞳が。
 真直ぐに、振り仰いで。

「けいた」

 そう告げて。
 彼は、無邪気に笑ってみせた。



「カズ兄ーっ」
 駆けてくる小さな身体を、腕を広げて受け止める。
 ピョン、と跳ね上がって。
 胸に飛び込んでくる彼を…啓太を、落としたりしないように、
しっかりと抱きとめて。
 今日も、降り注ぐ陽射しは強く。
 そして、体温の高い子供にしがみつかれれば、普段あまりかく
ことのない汗も、じっとりと浮かんでくるけれども。
 それでも、ちっとも不快になど感じない。
 むしろ、ずっとこのまま。
 この温もりを、抱き締めていたいくらいなのに。
「遊ぼ、遊ぼーっ」
 もう少し。
 もう少しだけ、このままでいたいと思うのに、腕の中の子供は
遊びをせがんで、華奢な足をバタパタと振るから。
 苦笑しながら、そろりと地面に降ろしてやれば。
「カズ兄、オニさんー」
 いつの間にやら始まったらしい、鬼ごっこ。
 しかも、自分が鬼だと既に決められてしまっていたようで。
「こら、啓太ー」
「えへへ、捕まんないよーぅ」
 悪戯っぽく笑いながら、駆け出す小さな背を。
 苦笑混じりに、追い掛けて。
 本気で追えば、難無く捕まえる事は出来るけれども。
 わざと捕り逃してみせれば、得意げにキャッキャと笑う顔が。
 もっと、見たかったから。
 目一杯手加減した、鬼ごっこを続けること、小1時間。
 やがて、互いにクタクタの汗だくになった頃。ようやく彼の小さな
手を捕まえて。
「シャワー浴びて、おやつにしようか」
「うんっ」
 いつものように。
 シャワーでさっぱりした後は、使用人の用意してくれたケーキと
ジュースで、2人でおやつの時間を過ごす。
 2人の、時間が。
 楽しくて。
 愛おしくて。
「ごちそうさまでしたっ」
 ケーキを結局、2個も平らげて。
 小さな手を合わせ、言うのに。
「ごちそうさまでした」
 いつも釣られて、自分も同じようにするのを見て。
 啓太は、嬉しそうに笑う。
 そんな些細なことも、とても。
 大切で。

 なのに。

「カズ兄ー」
 お腹が膨れれば、自然眠気が襲ってくる。
 散々走り回った後でもあるし、小さな子供なら尚更。
「御昼寝の時間だよ、啓太」
「やー、まだ遊ぶのー」
 嫌々をしながらも、既に目はトロトロに眠そうで。
「ほら、また俺も一緒に御昼寝するから・・・おいで、啓太」
 手を引いて、自室へと連れて来れば。
 スプリングの効いたフカフカのベッドがお気に入りの啓太は、
駄々を捏ねていたのも忘れて、ててて…と駆けて小さな身体ごと
ベッドへとダイブする。
「カズ兄、早くー」
「・・・はいはい」
 その様子に苦笑しながら、ベッドへと腰を下ろして。
 コロリと横になった啓太に布団を掛けてやりながら、自分もその
傍らへと身を滑り込ませる。
「・・・えへへ」
 もぞもぞと擦り寄ってくる身体を抱きかかえるようにすれば。
 胸元、顔を上げた啓太が寝惚け眼を擦りながら。
「カズ兄・・・大好き」
 いつものように。
 告げる、声も。
 瞳も、本当に。
 無垢で。
 綺麗だから。
 なのに、ふと湧いた悪戯な気持ちに。
 ポツリ、と。
「・・・・・キライ」
 にっこりと笑みを浮かべながら、呟いた。
 これは、ほんの冗談。
 ウソだよ、とすぐに。
 訂正する、はずで。
 それで、笑って済むはずだった。

 なのに。

「・・・・・、っ」
 ピクリ、と。
 寄せた身体が震えて。
「・・・ひ、・・・・・っ・・・・・」
 薄らと開いた唇から、掠れた悲鳴のようなものが洩れて。
 これ以上ないくらい、大きく見開かれた瞳。
 その、縁から。
 沸き上がっては、ポロポロと零れ落ちる。
 大粒の。
 涙。
「っ、・・・・・ひー・・・・・、っ」
 泣き叫ぶでもなく。
 喉の奥から洩れる、微かな声。
 唇を微かに震わせながら、真直ぐにこちらを見つめて。
 ただ、涙を流す。
「け、いた・・・・・」
 どうしたら。
 いいのだろう。
「・・・・・き、・・・ぃ・・・」
「っ啓太・・・」
「好き、・・・・・好きぃ・・・・・っ」
 とうとう。
 ふにゃりと、顔を歪めて。
 胸に縋り付くようにして、ギュッと。
 シャツを握り締めて、泣きながら。
 ただ、ひたすら繰り返す。
「っ、・・・好き・・・ぃ・・・っ、好き・・・・・・」
 ただひとつの。
 言葉。
「啓太、・・・・・好きだ、好きだよ・・・」
 ごめん、よりも。
 ウソだよ、よりも。
 何よりも先に、ちゃんと。
 伝えなければならない、言葉。
「啓太が、好きだよ・・・大好きだ・・・好きだ」
 しゃくりあげる身体を、抱き締めて。
 何度も、何度でも。
 伝える。
 自分自身にも、言い聞かせるように。
 偽りのない気持ちを、確かめるように。
「・・・・・好き・・・?」
 告げれば、ふと。
 胸元から、くぐもった声が聞こえる。
 心細げな響き。
 その不安を拭い去りたくて。
 髪を撫でてやりながら、そっと顔を上げさせる。
 涙で濡れた、頬は赤く。
 こんなに。
 こんなにも。
「好きだよ・・・啓太が、大好きだ」
「・・・・・ほんと?」
 本当に。
 どうしようもなく。
「本当に、・・・・・好きだよ」
 堪らなく。
 愛おしくて。
 まだ頬を伝う涙を、そっと唇で拭えば。
 くすぐったそうに身を捩りながら、やっと。
 笑って、くれた。
「カズ兄、好き・・・」
「ああ、俺も大好きだ・・・いっぱい、好きだよ・・・啓太」
 沢山。
 言葉では、言い尽くせないくらいに。
 こんなにも、込み上げて。
 溢れそうな。
 想い、これは。
「・・・良かったぁ・・・」
 安心したように、またキュッとしがみついてくる身体を、そっと
抱き寄せる。
 良かった、本当に。
 嫌われてしまったら、と。
 こっちも泣きそうだった、から。
「・・・ねー、カズ兄」
「ん・・・?」
 安堵と、寄り添う温もりに。
 何だか、睡魔に誘われるのに。
「あのね」
 半分落ちそうな、瞼。
 その、視界に。
 啓太の。
 可愛い、笑顔。
「・・・・・え」
 視界一杯に広がった。
 啓太の。
 驚く間もなく、口元に押し付けられた。
 柔らかい。
 唇、それは。
「好きの、しるし」
 啓太の。
「っ、・・・・・」
「大好き、カズ兄。おやすみなさーい」
 啓太からの。
 キス。
「け、・・・・・」
 コトリ、と。
 枕に頭を投げ出すように横になった啓太から、すぐに。
 穏やかな寝息が聞こえてくるから。
 起こそうとした身体を、またベッドに沈めて。
「・・・・・今の、って・・・」

 押し当てただけの。
 幼い、キス。
 『好きの、しるし』と啓太が言った。
 純粋な、キス。

「・・・・・参った・・・」
 こんな、小さな子供に。
 こんなにも、もう。

「・・・・・啓太」
 誰かが聞いたら、笑うかもしれない。
 けれど、これは。
 多分、きっと。

「・・・・・待ってる、から。お前が、もう少し大人になって、
そうしたら・・・また、聞かせて欲しいよ」

 小さな、それは。
 だけど、確かに。

 恋、なんだ。






・・・・・犯罪・・・(ドキドキ)?
っつーか、思いっきりショタなんですが、この人(今更)。
結果(?)は、約10年後のアレでvくくくv
ちっちゃい子は、言葉をそのまんま丸ごと受けとめて
しまうのです。そこが、愛おしくもあり怖くもあり。
・・・・・ちっちゃい啓太・・・(萌え)vvvvv