『唯一/沢山』



 例えば。
 その人の、意外な一面を見てしまったりしたら、良くも悪くも
ドキッとするもので。
 勿論、こっちの勝手な思い込みがあったりするのだから、その
一面は元々備わっていたものなんだろうし、いざ目の当たりに
して、その人の印象を変えてしまうのは、失礼なことなんじゃ
ないか…って思う。
 だけど、変わった…というより。
 そうじゃなくて。
 むしろ。



 ポカポカ、小春日和の昼下がり。
 こんな日は、ブラリと散歩に出たりするのも良いなあ…って、
思うけれど。
 暖かな陽射しを、少しだけカーテンで遮った、薄暗い美術室で。
俺は、岩井さんが絵を仕上げるのを、その作業自体を手伝うこと
は出来ないけれど、食事を運んだり散らばった絵の具を揃えたり、
そんな小さなことだけれど、少しでも岩井さんの役に立てている
のが嬉しくて、段々と彩りを増していくキャンバスに見とれたり
しながら、そっと岩井さんに声を掛けた。
「岩井さん、そろそろ休憩にしませんか」
「・・・・・」
 1度や2度そうして声を掛けたくらいじゃ、絵に没頭している
岩井さんは、全く反応を示さない。
 だけど大声を出したり肩を叩いたりして、もし手元が狂ったり
したら、大変だから。
 何度も。
 根気良く、俺は繰り返す。
「お茶、いれますから。ね、岩井さん」
「ん、・・・・・ああ、啓太・・・」
 気付いてくれた。
 まるで、夢から覚めたように、どこかぼんやりとして。でも、
ゆっくりと振り返った瞳が俺を捕らえると、柔らかく笑みの形に
細められる。
「・・・・・済まない」
 声を掛けられてもなかなか気付かなかったことに対してなのか、
それても俺に細々と雑用をさせていることに対してなのか、でも
そんなことはちっとも気にならないから。
「いいえ。・・・もうすぐ仕上がりそうですか?」
 むしろ、こうして側にいられることが。
 俺には、とても嬉しいことなんだから。
「ああ、・・・そうだな。夕方ぐらいには、形になりそうだ」
 もうすぐ完成する、絵。
 少しずつ仕上げられていく、その過程を見るのも楽しい。
「あと少しですね。あ、っと・・・はい、お茶です」
「有難う・・・啓太」
 渋い色合いの湯呑みに焙じ茶を注いで、そっと手渡す。紅茶や
コーヒーより、日本茶の方が何だかホッとするらしい。
 そう、こっそり教えてくれた篠宮さんお勧めの茶葉を使った
このお茶は、俺も密かにお気に入りで。
 岩井さんに湯呑みを手渡すと、自分の湯呑みにも注ごうと。
 して。
「あ、っ・・・・・」
 多分、ほんの一瞬の出来事だったんだろうと思う。
 だけど、その光景はまるでスローモーションのように。俺が、
取り落とした急須から、煎れたばかりの熱いお茶が、腕まくりした
腕に、勢い良く掛かった。
 ジン、と。
 痺れるような痛みが、むき出しの左腕に走る。
「啓太、っ ! 」
「えっ、・・・・・」
 しまった、と思うより早く。
 岩井さんの声に顔をあげるやいなや、宙に浮いたままの腕を、
強く掴まれる。
「早く ! 」
 引かれて、足がもつれてしまうけれど、岩井さんに手を引かれる
ままに、美術室の壁際にある手洗い場へと連れて来られる。
「っ、・・・・・」
 ああそうだ冷やさないと…と、ようやく気付いたのは、蛇口から
ほとばしる冷たい水が、赤く腫れた腕を濡らしてからで。
 俺の手首を掴んだ岩井さんの手ごと、いっそ痛いくらいの冷たさ
に晒されて、腕の感覚がなくなっていくけれど。
 だけど。
 岩井さんの掴んだ、その部分だけが。
 まだ。
「あ、つ・・・・・」
「まだ、冷やしたりないか・・・」
「い、いえ・・・もう、熱くないです・・・っ」
 そう、赤く染まった部分はもう、冷えて感覚が麻痺してしまって
いるけれど。
 熱い、と感じたのは。
「ああ・・・もう大丈夫、かな・・・」
 キュッと蛇口を閉めて、岩井さんが俺の腕を捧げ持つようにして
見つめる。
「少し赤くなっているが・・・水脹れにはなっていない、な・・・
良かった・・・・・」
 すぐに流水で冷やしたのが、幸いしたんだろう。俺の見た目にも
火傷の程度は比較的軽そうだった。
「取り敢えず・・・医務室で、火傷に効く軟膏を貰おう・・・」
「は、はい・・・・・あ、の・・・岩井さん」
「・・・どうした、啓太・・・」
 少し。
 困ってしまって、手元に視線を落とす。
 まだ、濡れた手は。
 掴まれたまま。
「ああ、袖口まで濡らしてしまった・・・済まない・・・・・」
「い、いえ」
 そうじゃ、なくて。
 そうじゃないんだけど、と言えないまま俯いてしまった俺の手を
ようやく岩井さんが、離す。
「っ、・・・」
「え、あ・・・・・っ」
 いっそ、熱いと感じていた手首。
 岩井さんに掴まれていた、そこには。
 くっきりと、赤い跡。
 だって、本当に。
 強く、とても強く岩井さんは。
「す、済まない・・・痛かった、んじゃないのか・・・」
「・・・・・痛いわけじゃ、なかったです・・・けど」
 あんなに。
 強い力で。
「・・・・・啓太・・・?」
 どこに、そんな力があるんだろうって。
 驚いて、だけど。
 でも。
「・・・・・有難うございます」
 ドキドキ、して。
 何だか。
 くすぐったくて。
「俺の方こそ、ごめんなさい・・・うっかりしてて」
「いや・・・大事に至らなくて、本当に良かった・・・」
 ああ、多分。
 今日は、また岩井さんを好きになった。
 いつも好きだけど、もっと。
「・・・好きになっちゃった」
「・・・・・え」
 思わず、ポロリと口から零れてしまった告白に、慌てて顔を上げ
れば、だけど怪訝そうに俺を見下ろす岩井さんには、気付かれては
いなかったみたいで。
「えっと、医務室行ってきますね」
「・・・・・俺も」
「岩井さんは、ここでゆっくりしてて下さい」
「・・・・・行く、から」
 啓太、と。
 縋るような。
 でも、優しい眼差し。
「・・・・・行こう、一緒に」
「・・・・・はい」
 だから、俺は。
 ただ、頷くしかなくて。

 俺の中の、「岩井さん」というものは。
 唯一のモノだけれど、でも沢山の「岩井さん」のカタチがあって。
 その、どれもが俺には。
 愛おしい存在、なんだ。





ああ見えて、意外と力持ちだと思います。
ただ、持久力は微妙かもしれません(何)。
そういうところも好きなんだね、啓太(見守り愛)v
…遅くなりましたが、岩井さんの生誕祝いも兼ねてv