『桃花』
鑿が木を穿つ音が、狭い工房内に響く。
それは、いつもの光景。
だが、ここ何日か前から。その工房の主が彫り上げるものが
いつもとは異なっていた。
足元に幾つも並べられた、それは。
小さな木彫りの人形たち。
「うわぁ・・・沢山出来てるね」
ガラリと引き戸を開けて、龍斗が顔を覗かせる。
弥勒は一旦作業の手を休め、ちらりとそちらを見遣って。
そしてまた、手元へと視線を戻すのに、龍斗は微笑みながら
邪魔にならないようにと、そろりと足音と気配を忍ばせて。
弥勒の傍ら、そっと腰を降ろす。
これは、いつもの風景。
そのまま、半刻ほど過ぎたであろうか。
ようやく一段落した作業。仕上がった人形を床に下ろしつつ
弥勒が、フと溜息をつけば。
「お疲れさま」
いつの間に用意していたのだろうか。
フワリと湯気の立つ湯呑みを、龍斗が差し出すのに。
「・・・有難う、龍さん」
これもまた、日常のことで。
湯呑みを受け取ると、弥勒は龍斗の煎れた茶で、渇いた喉を
潤した。そういえば、朝起きてから水すら口にしていなかった
な、と思い。龍斗が知れば、またあの困った顔をされてしまう
のだろうと、やや口元を緩めれば。
「・・・・・何?」
「いや、・・・龍さんの煎れてくれる茶は、旨いなと思った」
「・・・・・何を誤魔化してるのか知らないけど、まあ良いや」
見透かされている。
隠し事は出来ないものだな、と微笑う吐息で湯気を揺らす。
「可愛いね、お雛様」
完成した人形のひとつを、龍斗は手に取る。
木彫りの雛人形。
段飾りにするような、きらびやかなものではなく、小さな子
が手にして、端切れで作った着物等着せ替えて遊んだりしても
良いような。可愛らしい顔をした、お雛様。
村の女の子供たちにと、数日前から弥勒が彫り始めたもので。
「みんな、喜ぶ」
「・・・そうだと良い」
愛おしげに見つめ、人形の頭を撫でる龍斗を見遣って。
弥勒もまた、柔らかく笑んだ。
「龍さんにも、作ろうか」
「え、・・・」
「気に入ったのなら、龍さんの分も」
真面目な顔で言う弥勒に。
龍斗は、驚いた顔をやがて苦笑に変えて。
「俺、女の子じゃないからなぁ・・・」
クスクスと。
笑う口元が。
ふと。
「あ、・・・・・」
何かに気付いたように。
何か、を。
思い付いたように。
呆然と、開いて。
ゆっくりと、引き結ばれる。
「龍さん・・・?」
やや固い表情をして、俯いてしまった龍斗に。
何か失言でもしてしまったのか、と。
躊躇いがちに声を掛ければ。
「・・・・・作って」
「え、・・・・・」
「俺に、作って・・・・・お雛様」
ゆっくりと上げた、顔。
そこには、何処か。
悲痛な、色。
「弥勒の貌を写した・・・・・男雛を、俺に」
何故、そんな顔をして。
そんな、ことを。
「・・・・・断る」
縋るような視線を正面から受け止めて。
今ここで目を逸らしてはいけない、と。
それだけは、確信しながら。
「どう・・・して?」
作ってくれると言ったのに、と。
キュッと、膝の上で握り締めた拳に力が込められるのを、視線の
端で捕らえ。
弥勒も。
知らず声に力がこもる。
「俺が、・・・いるからだ」
長い睫毛が。
ピクリと震える。
「俺が、いるのに・・・何故、そのような代用品を作って龍さんに
渡さなくてはならない」
告げれば。
見開いた瞳が、戸惑いに。
揺れて。
「・・・・・春になれば、この村を出る・・・と」
ポツリと。
呟くのに。
「九角から聞いたのか」
問えば。
龍斗は素直にコクリと頷く。
確かに、この村の長である天戒には、半月程前にそれを伝えた。
桃の節句が過ぎて暫し後に、この村を出て旅に出る旨を。
「俺が知らないとは、思っていなかったみたいだけど・・・ね」
苦笑混じりに洩らした吐息は、酷く。
切なげで。
「俺を置いて行くなら・・・せめて、残していってよ」
だから。
愛しい人の貌を写した男雛を、と。
「・・・・・龍さん」
「御願い、だから」
それを胸に抱いて。
彼は。
「・・・・・何故」
「何故、って・・・・・」
皆まで言わせようというのか、と。
半ば非難するような眼差しを向ければ、それは。
弥勒の静かな瞳に。
受け止められて。
「俺が、龍さんを置いて行く理由が分からない」
「え、・・・・・」
隻腕が、ゆるりと持ち上げられて。
龍斗の肩を。
そっと、抱く。
「ついて来てくれるのだと、思っていた」
「ッ、・・・・・」
「だが、・・・思うだけで、未だ何も告げてはいなかった、な」
引き寄せられ。
済まなかった、と告げた吐息が。
耳元を掠める。
「俺と、共に来て欲しい」
トクリ、と。
鼓動が、高鳴る。
「共に、・・・在って欲しい」
何よりも。
望んでいた、言葉。
「・・・弥、勒」
「答えは、要らない」
「な、・・・・・」
それこそ、何故・・・と。
弥勒の頬に手を添えるようにして、怪訝な目で覗き込めば。
「攫ってでも連れて行くつもりだと、九角にも告げたのだがな」
「ッ、そんなこと・・・聞いてない」
「そうなのか。まあ、・・・そういうことだ、龍さん」
呆然とする龍斗に、サラリと。
言ってのけるのに。
「・・・・・攫われるんだ、俺」
呟いた声は。
何処か、嬉しげに。
「ああ。手荷物を纏めておいてくれ」
攫われる準備をしておけ、というのも妙な気もしつつ。
それでも、それなりに持って行きたいものもあるだろうから、と。
「何も」
なのに。
「何も、要らない」
微笑んで。
寄せる唇が。
「弥勒がいれば、良いよ」
他には要らない、と。
囁いて、そっと。
重ねられる。
傍らに置いてあった人形が、カタリと倒れて転がったけれども。
それを取ろうと伸ばした手を、掴んで。
指を絡めるように、床に縫い留めて。
「共に」
行こう、と。
告げて、ゆっくりと。
微かに震えた肩口を、確認するように。
きつく、吸い上げた。
桃の花弁のように散った、それが。
消えないように。
ずっと。
「俺について来い」な、弥勒(悦)v
っつーか、攫うつもりだったんですか、兄さん(笑)。
取り敢えず、めでしためでたしv
・・・御屋形様、多分複雑な心境(花嫁の父?)v