『凉浬、その愛』
その日。
朝から、凉浬は御機嫌斜めであった。
兄妹で共に営む骨董品店へと赴いてみれば、既に
開店準備を整えた兄が、何やら考え込んでいる様子に。
どうしたのかと、一応問うてみれば。
「朝いちで届けて貰うはずの品物が、まだなんだ」
そう告げて。
また、思案する様子に、やれやれと溜め息をつき。
「では、私がこれから先方に伺って、品物を引き取って
参りましょう」
それで宜しいですね、と窺えば。
途端、晴れやかな顔つきになる兄を見遣り。
また、深く溜め息をついて。
「それでは、これから行って参ります」
入ってきたばかりの戸口から、また出掛けようと背を
向けた凉浬に。
済まなそうに。
しかし、何処か嬉しげな口調で、奈涸が告げたのは。
「助かったよ・・・もうすぐ、龍君が来るのだからね」
俺がいなくては、彼が寂しがるからね、と。
ひとり悦に浸った様子で語るのを。
振り向きざま、苦無でサクリと始末してしまいたいのを
堪えつつ。
朝っぱらから、苦々しい思いで。
凉浬は、新たな殺意を胸に、以前にも訪れた事のある
得意先へと足を向ければ。
「あれ、凉浬?」
ふと。
掛けられた、声。
その、胸を震わす甘やかな響きに、振り返れば。
「・・・・・あ」
まさに。
今、兄が店で首やらナニやら長くして待ち焦がれている
であろう、その人が。
「龍斗、さん・・・」
柔らかく、微笑みながら。
凉浬の方へと、駆け寄ってきて。
「おはよう、何処へ行くの?」
店は逆方向だろう、と。
首を傾げるのに。
その仕種の可愛らしさに。
思わず、うっとりと見蕩れつつ。
「え、あの・・・兄の使いで、品物を引き取りに」
「そうなんだ」
そして。
これから、この可愛い人が兄に、と思うと。
口惜しさを感じずには、いられない凉浬ではあったが。
それは、おくびにも出さず。
龍斗だけに見せる、微笑みでもって。
「では、私はこれで」
告げて。
名残惜しくも、その場を去ろうとすれば。
「待って」
引き留める、声に。
振り返る前に、すぐに隣に龍斗が並んできて。
「龍斗さ・・・・・」
「俺も一緒に行くよ、・・・ね」
にっこりと。
魔性とも呼ばれる笑みで。
告げる、ものだから。
「で、でも兄が店で待って・・・・・」
今すぐ、この場に押し倒してしまいたい衝動に駆られ
つつも。
それを悟られまいと、気恥ずかしげに俯けば。
「自分で行けば良いのに、奈涸ってば・・・・・女の子に
荷物持たせようだなんて」
「いえ、それほど大きな品物では」
「それでも。たまには凉浬と、ふたりで歩きたいしね」
ああ。
そんな言葉と、その笑顔で。
誑かされた者は、一体どれほどいただろうと。
自分も、一瞬クラリとしつつ。
「・・・・・有り難うございます」
「えへへ、どういたしまして」
この好機、逃してなるものかと。
ペコリと丁寧に頭を下げながら、凉浬は心の中で拳を強く
握りしめ、歓喜に震わせた。
「あ、ちょっと待ってて」
少しずつ行き交う人が、増え始めた通りで。
ふと、龍斗が。
小走りに駆け出すのに。
「龍斗さん?」
振り向いた、その視線の先には。
赤ん坊を背負った、若い女が。
「これ、落としましたよ」
歩いていく、その後方に落ちた。
おそらく、赤ん坊に持たせていた玩具であろう。
小さなそれを拾い上げ、女を呼び止め差し出せば。
「ああ、済みませんねぇ・・・有難う、お兄さん」
龍斗を見上げ、一瞬その貌にポカンと口を開けて。
やがて、我に返り礼を述べるのに。
龍斗は、優しげな眼差しで。
「可愛い赤ちゃんですね」
背負われた赤ん坊に、笑いかければ。
「・・・・・ッ」
凉浬の見ている前で。
赤ん坊まで、うっとりと。
龍斗を見つめ、抱き上げて貰おうとでもいうのか、あー
だの、うーだのと声を上げながら、手を伸ばすのに。
「・・・・・あんな、赤ん坊にまで・・・」
さすが、魅惑の人。
そう、呟きつつ。
たとえ相手が、乳飲み子だろうと、甘く見てはいけないと。
すぐさま、龍斗の傍らに走り寄り。
「龍斗さん、そろそろ・・・」
困ったような、視線を向ければ。
「あ、ごめん・・・・・じゃあ、これで」
申し訳無さそうに、手を合わせつつ。
突然現れた凉浬を、呆然と見遣る母子に手を振り。
凉浬も軽く頭を下げ、踵を返して。
並んで歩く龍斗を、見上げれば。
そこに、どこか。
名残惜しげなものが、滲むのに。
「・・・・・子供が、お好きですか?」
赤ん坊を見つめる瞳が、あまりにも優しく穏やかだったのを。
思い起こし、そろりと問えば。
「そうだね、好きだよ・・・・・可愛いよね」
フワリと。
慈愛に満ちた、表情で。
微笑む、のに。
「・・・・・そうですね」
合わせて、頷きながら。
ふと。
もしかして。
龍斗は。
赤ちゃんが、欲しいのではないかと。
「・・・・・龍斗さんの、赤ちゃん・・・」
それは。
きっと、とてつもなく可愛らしいものだろう。
柔らかい、黒髪に。
白い、無垢な肌。
透き通った、不思議な輝きを持つ瞳に。
桜桃のような、可憐な唇が。
「ああ、でも・・・・・ッ」
「ッ・・・・・!?」
突然。
叫んで、座り込んでしまった凉浬に。
隣を歩いていた龍斗が、ギョッとした顔で足を止めて。
「す、凉浬・・・?」
心配げに覗き込む龍斗を、ちらりと見上げ。
そしてまた、唇を噛み締め、顔を臥せてしまうのに。
「どうしたんだ、何処か具合・・・」
「・・・・・私には・・・」
悲痛な声で。
蒼白な貌が、叫んだのは。
「私には、・・・・・龍斗さんを孕ませて差し上げることは、
出来ない・・・ッ」
「・・・・・は、い?」
一瞬。
とんでもない発言を聞いてしまったような気がして、自分の
耳を疑いつつも。
笑顔はそのままに、聞き返せば。
「女の私では、龍斗さんに赤ちゃんを産ませて差し上げるのは
不可能・・・・・せめて、兄のような愚息でもあれば・・・ッ」
「・・・・・ぐ、そく・・・」
何、ソレ?と。
問うのも。
ナニやら、躊躇われて。
「凉浬、えと・・・」
「・・・・・でも、仕方ありませんね」
問題発言の数々を反芻しては、目眩を起こしつつ。
それでも辛うじて立っている、龍斗に。
ふと。
凉浬が、立ち上がり。
何処か、吹っ切ったような。
それでいて、切なげな眼差しを向けて。
「あの兄上との間の子でも、龍斗さんの血が半分流れているのなら
・・・・・きっと、大丈夫でしょう」
何が大丈夫なんだ?
というか、どうして俺が奈涸の子を?
「・・・・・」
グルグルと回る思考。
凛とした面差しの少女の口をついて出た、言葉の内容の。
意味する所を。
考えてしまうのが。
どうにも、恐ろしくて。
「まあ、兄と私も一応血は繋がっていますから・・・ならば、私と
龍斗さんも、他人ではないですよね」
「凉浬・・・・・」
「・・・・・龍斗さん」
少女のほっそりとした、手が。
呆然と立ち尽くしたままの、龍斗の手をそっと取って。
「・・・・・良い子を、産んで下さい」
そんな。
真顔で、言われたって。
「む、無理・・・・・ッ出来ない!!」
「御心配無用です・・・・・兄は、あれで『飛水随一』と言われた
男なのですから」
「それと、これとは・・・ッ」
「そんなに、下手なのですか・・・あの男は」
「上手いけど、・・・ッだから、そうじゃなくてーーーーッ!!」
違う。
根本的に。
違うのだと。
訴えたいのに。
「それに、・・・ふふッ、兄に万が一何かあっても、私が立派に
その子の父親としての・・・」
「・・・・・もう、好きにして・・・」
飛水流、とは。
かくも、恐ろしきものなのかと。
ガックリと、項垂れつつも。
それでも。
彼女も、その兄のことも。
龍斗は、嫌いになどなれない、から。
「兄が、待っておりますから・・・急ぎましょう、龍斗さん」
「・・・・・はい」
おとなしく従う龍斗に、優しげな視線を注ぎ。
帰りに鰻でも買っていきましょう、と。
滋養強壮の献立を、心密かに練りつつ。
もう、すっかりすっきり。
晴れ晴れとした気持ちで。
凉浬は、兄の使いとして品物を受け取り。
ぼんやりと遠くを眺める龍斗を連れて、骨董品店への帰路を
急いだ。
凉浬ちゃん、壊れて・・・(遠い目)。
とてつもなくノリノリで書き上げた自分も
どうなのよと思いつつ・・・。
ひーたん、如月の血筋からは逃れられない
模様です・・・あああ(悦←?)v